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山口地区テューター 「かいだんこぞう」に取り組んで |
06月14日 (水) |
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この春の中国支部テューター研修で、山口地区は「かいだんこぞう」を発表しました。
ねらいは二つ。
一つ目は既刊ライブラリーの掘り起こし。
二つ目はテーマ活動の発表をすることで、ラボっ子とおなじ体験をすること。
春の高学年地区合宿(対象は小4以上)のテーマも「かいだんこぞう」でした。
取り組んでみた結果、ラボっ子達もテューター達も「今まであまりやったことがなかったけれど、テーマ活動をしたら面白かった。楽しかった!」という感想が多く聞かれました。
≪以下は山口地区テューター達の取り組み過程で出た気付きや意見です≫
・発刊は1973年。ちょうど自分たちの子ども時代、青春時代にあたり、郷愁を感じる。
・折しも高度経済成長時代。生活が豊かになり、団地はあこがれの住まいであった。
田舎にも急行列車が走るようになり、団地もでき、どんどん便利になっていく。
その一方でだんだん自然が失われていくのは必至。都市化、近代化の光と影。(バージニア・り―・バートンの「ちいさいおうち」と共通するものがある)
・始めと終わりの部分のみ現在形で書かれており、かいだんこぞうとのできごとは過去形で書かれている。
・階段を表現することは決定した。かいだんこぞうを一人で表すのか、階段の何人かで表すのか?
ひっそりとした感じを出すには一人がよい。30センチくらいだからかがんで、かいだんの陰からのぞき見る感じ。
・タケちゃんがころぶのは階段が足をすくう感じで表現する。
・Goblinは、いたずらな小さい魔物のような存在。ざしき童子みたいに住みつくとその家にいい事があるのではないか。
・かいだんこぞうは孤独な子どもにしか見えない。タケちゃんが強くたくましくなるまで一緒にいる。
・お母さんの存在感がない。病院の薬をもらってくるのもタケちゃん。
唯一お母さんが出るのは、お父さんと二人並んで田舎道を歩いていく場面だけ。
ここでは沈みゆく夕陽が二人の影を長くのばしているイメージを表現した。
・タケちゃんがだんだん新しい生活になじんで逞しくなっていったら、かいだんこぞうはどんな気持ちなのか?
ホッとして嬉しい気持ち、でもちょっぴり淋しい気もする。
・タケちゃんがたくましくなったらかいだんこぞうはどうなるのか?
そのまま階段に住みつく、あるいは他の団地に行く。
・タケちゃんは最後には学校に慣れるのか?
「先生に聞いてみよう」と思うのだから、だいぶ馴染んできたと思われる。また音楽が明るい感じなので、友だちができる情景を表現した。
・このライブラリーの音楽はシンプルなだけに、力強くお話を物語っている。
音楽に合わせて自然に表現を決めていった。
・このお話はラボっ子にぜひやってもらいたいお話である。
転校でなくとも、新学期や新しい環境に入った時、誰もがタケちゃんのような気持ちを経験するのではないだろうか。
≪実は私個人としては「かいだんこぞう」はあまり好きなお話ではありませんでした≫
ストーリーが地味で絵が暗いと思っていました。
タケちゃんの顔に目、鼻、口がないのも不気味ですらあります。
でもやっているうちに考えが変わりました。
顔が描かれていないから、見る人が自由に想像できるのです。
タケちゃんは「友だちがまだできないけれど、淋しくはありません。」と言っているけど、実は淋しい顔をしているのではないかな?
絵が黒と白で描かれているのも「階段の明るいところと暗いところ、光と影、心の明と暗」を表しているのではないかな、と思えてきました。
タケちゃんの走る姿の力強いこと。
きっと子どもは誰でも、いろんな心の闇をも乗り越えて成長していくのでしょう。
「テーマ活動をすると、その物語が好きになる」
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