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過去日記:父危篤→浜松へ 04月03日 (月)
2日、ハワイから帰国した翌日、9時から9時の12時間ラボを終了。
帰宅後すぐに静岡の兄から連絡が入り、父が危篤だという。

これまでに何度も同じ様な状況がありましたけど、
そのときは、これまでとは少し違う。

旅行や合同練習の疲れから、しばし横になり目をつぶる。
でも休めるわけもなく、シャワーして少し体力と気力が
快復したと思ったのが夜11時過ぎ。

厚木にいる妹をピックアップして、一路浜松へ。
浜松と言っても実際には浜松西インターと言って
名古屋よりに位置している。

東名を車を飛ばして、休憩を入れて4時間。
病院に到着したのは午前3時過ぎ。

呼吸は苦しそうだったが、父はまだ大丈夫と思われた。
いつも兄夫婦が面倒を見てくれているのだが、その日は妹と
交代でつきそう。

夜が明けて、月曜日。
状況は少しずつ、悪くなる中、兄と妹の3人で父のことを
いろいろと思い出しながら、羽地、名護、那覇、石垣島の
事を話し続けた。

その夜も交代で付き添い、火曜日もいいお天気で、
元気だったらお花見に連れていきたいねと話す。

お昼近く、看護婦さんが脈が弱くなってきているという。

ん~、あぶないなぁ。

お医者さんが来て、他にもいろんな方たちが来て。。。

そして、みんなに見守られる中、父は逝ってしまいました。

ちょうど、沖縄から子や孫がこちらへむけての飛行機に乗っている時間でした。

80才まで現役の医師として病に苦しむ人たちを看てきた父は
今年1月7日に92才の誕生日を迎え、
そして、4月4日、私たちに見守られながら息をひきとりました。

12年間闘病生活を送り、その間は苦痛を伴い
決して楽な日々ではなかったと思いますが
最後まで自力呼吸で頑張っている父の姿から、
多くのことを学びました。

その父もとうとう逝ってしまい、
葬儀などの段取りもあわただしい中、
みなさまからの心のこもった弔電や美しいお花に励まされました。
ほんとうにありがとうございました。

「裸で生まれ 裸で去る人生 奉仕なくして何が残る」

全国ロータリークラブの日めくりに選ばれた父のこのことばが
ず~っと私を支えてきました。

これからもこどもたちとの活動を頑張っていきたいと思っていますので、
どうぞよろしくお願いします。

陰ながらいつもいつも支えてくださったとんかつ姫様にも
心から感謝しています。

ほんとうにありがとうございました。
Re:過去日記:父危篤→浜松へ(04月03日)
とんかつ姫さん (2006年04月11日 10時38分)

とうとう更新なさったのですね。

丁度ハワイからお帰りになってからお父様のことの前後の何時にも増し
てのスケジュールに、サンサンのお体が心配でした。

昨日もやはりお元気ではなかったみたい(~_~;)。

でもこうやって公にすることで、前に進む心の準備が出来てくるよう
な・・・希望的観測です。

お父様は傍から思えばお見事で、お幸せな一生のように思われますが、
ご家族にとっては「これで満足」と言うことも、時も無いことでしょう。

亡くして数年の間に「ああもしてあげれば良かった」「こうもし
て・・・」の反芻を経て、肉体があって実際には(私の場合)100キロ離
れていた頃より、魂になった今のほうが「そばにいてくれる」「寄り添い、
問いかけながら生きる」を実感しています。

この数年いつもお心にかけながら子供たちと、ご家族との今を懸命に生
きていらっしゃったサンサンに「ほら、もう苦しくもなく、ず~っとそば
にいるから」とおっしゃってますよ、きっと。
Re:過去日記:父危篤→浜松へ(04月03日)
Play with meさん (2006年04月11日 16時20分)

このたびはご愁傷様です。
お寂しくなられましたね。
長い闘病生活も乗り切られて天寿をまっとうなさった事と思います。
どうぞお気を落とさないで、おかあさまをお大事になさってください
ね。サンサンさんもおからだに気をつけてくださいね。
Re:過去日記:父危篤→浜松へ(04月03日)
チェリーさん (2006年04月12日 01時03分)

ご愁傷さまです。
私は父の最期に間に合いませんでしたが、ラボの行事がない時を選んで
亡くなってくれたような感じを持ちました。
パーティの皆さんのご協力とご理解のもと四十九日の法要までずっと母
の側にいさせてもらいました。
今月三周忌をやりますが、葬儀も一周忌も三周忌も土、日のいずれか。
皆が集まりやすいように考えて亡くなる日を決めたのではないかと。
私の苦しみや迷いも全部あちらの世に持って行ってくれました。
父の愛情を今更ながら感じた二年間です。

どのように生きたかで神様が最後の儀式を演出してくれる、父は一市民
として愚直に生き、神からこのような暖かい儀式を与えられた。
私も神様に罰を与えられないような人生を歩まなくてはと思いました。
サンサンさんのお父様は清廉潔白に生きられた、たくさんの方にその素
晴らしい精神が受け継がれたことでしょう。

さて、私は「どこへも行かなくても楽しそうにしているのだからいいの
よ」と言って下さったサンサンさんのお言葉、目からうろこ。
な~んかとっても嬉しくて、楽ちんになりました。
Re:Re:過去日記:父危篤→浜松へ(04月03日)
サンサンさん (2006年04月12日 07時51分)

とんかつ姫さん
>とうとう更新なさったのですね。
→そうですね。
 なかなかその気になれなくて。
 引きずっては行けないと思いましたので、やっと。

丁度ハワイからお帰りになってからお父様のことの前後の何時にも増し
てのスケジュールに、サンサンのお体が心配でした。
→いつもほんとにありがとうございます。
 
昨日もやはりお元気ではなかったみたい(~_~;)。
→そうですね。
 ニコル氏の講演会での握手の手のぬくもり、ありがたかったです。
 冒頭のあの音楽、語りなどで、泪がぼろぼろあふれてきてしまってこ
まりました。
 人生を全うして最期を迎えたわけですから。。。
 でも、やはり。

でもこうやって公にすることで、前に進む心の準備が出来てくるよう
な・・・希望的観測です。
→ありがとうございます。
 そうなんです。
 前へ進もうと思って。。。

お父様は傍から思えばお見事で、お幸せな一生のように思われますが、
ご家族にとっては「これで満足」と言うことも、時も無いことでしょう。
→やってあげられることは限られてくる物ですね。
 代わってあげたいと思っても。。。

亡くして数年の間に「ああもしてあげれば良かった」「こうもし
て・・・」の反芻を経て、肉体があって実際には(私の場合)100キロ離
れていた頃より、魂になった今のほうが「そばにいてくれる」「寄り添い、
問いかけながら生きる」を実感しています。
→今は、もう、見舞いに行ってもいないんだなぁという寂しさの方が大
きいのですが、そのうちに側にいてくれる。。。になるのだと思いま
す。

この数年いつもお心にかけながら子供たちと、ご家族との今を懸命に生
きていらっしゃったサンサンに「ほら、もう苦しくもなく、ず~っとそば
にいるから」とおっしゃってますよ、きっと。
→そうですよね。
 父もやっと楽になったなぁという思いもあります。
 ほんとによく頑張っていました。
 もう、いいよと言ってあげました。
 もう、大丈夫。わかったから、心配しないでねって。

----------------------------
Re:Re:過去日記:父危篤→浜松へ(04月03日)
サンサンさん (2006年04月12日 07時59分)

Play with meさん
>このたびはご愁傷様です。
お寂しくなられましたね。
長い闘病生活も乗り切られて天寿をまっとうなさった事と思います。
どうぞお気を落とさないで、おかあさまをお大事になさってください
ね。サンサンさんもおからだに気をつけてくださいね。
----------------------------
→いつも折に触れ、メッセージをくださるPlay with meさんに感謝して
います。
 あのとき、大きなお役をお願いしたときの出会いから、心がふれあい
現在に至っているような気がします。いつも、絆を保ってくださってあ
りがとうございます。
 ラボの40周年ですから、頑張ろうと思っています。
 これからもよろしくお願いします。
Re:Re:過去日記:父危篤→浜松へ(04月03日)
サンサンさん (2006年04月12日 08時09分)

チェリーさん
>ご愁傷さまです。
私は父の最期に間に合いませんでしたが、ラボの行事がない時を選んで
亡くなってくれたような感じを持ちました。
パーティの皆さんのご協力とご理解のもと四十九日の法要までずっと母
の側にいさせてもらいました。
今月三周忌をやりますが、葬儀も一周忌も三周忌も土、日のいずれか。
皆が集まりやすいように考えて亡くなる日を決めたのではないかと。
私の苦しみや迷いも全部あちらの世に持って行ってくれました。
父の愛情を今更ながら感じた二年間です。
→チェリーさんもお父さん大好きな子だったのですねぇ。
 私と一緒。
 チェリーさんもお父様の愛情をいっぱい受けて育ったのでしょうね。

どのように生きたかで神様が最後の儀式を演出してくれる、父は一市民
として愚直に生き、神からこのような暖かい儀式を与えられた。
私も神様に罰を与えられないような人生を歩まなくてはと思いました。
→そう。
 頑張りましょうねぇ。

サンサンさんのお父様は清廉潔白に生きられた、たくさんの方にその素
晴らしい精神が受け継がれたことでしょう。
→父は、奉仕を通じて、多くのことを残してきた人です。
 足下にも及びませんが、私も頑張らなくてはと思わせてくれる父で
す。

さて、私は「どこへも行かなくても楽しそうにしているのだからいいの
よ」と言って下さったサンサンさんのお言葉、目からうろこ。
な~んかとっても嬉しくて、楽ちんになりました。
→そうそう、チェリーさんは、いつも心が自由に解放されていて、苦し
くても楽しい方ですよねぇ。
 それはチェリーさんの得な面。とりえ。武器。
 その良いところを大切にね。
----------------------------
Re:過去日記:父危篤→浜松へ(04月03日)
まんぎょどんさん (2006年04月12日 13時01分)

メッセージ欄に書き込みをしたものの、最後のところで、失敗してしま
いました。この度は、お父上のご逝去心よりお悔やみ申し上げます。何
と悲しいことでしょう。
すばらしいお父さまのお言葉や精神が、今のサンサンさんに受け継がれ
ているのですね。私はサンサンさんから、たくさんの希望と勇気をいた
だき、寛容の精神を学ばせていただいています。

今は、気力でやりこなしていらっしゃると思いますが、どうぞ、お疲れ
がでませんように。今度は うんと身近に(心の中に)いらっしゃるの
ですから、安心ですね。益々のご活躍をお祈りしております。
Re:Re:過去日記:父危篤→浜松へ(04月03日)
サンサンさん (2006年04月12日 18時56分)

まんぎょどんさん
>メッセージ欄に書き込みをしたものの、最後のところで、失敗してし
まいました。この度は、お父上のご逝去心よりお悔やみ申し上げます。
何と悲しいことでしょう。
→ありがとうございます。
 まんぎょどんさんにもどったのですか?

すばらしいお父さまのお言葉や精神が、今のサンサンさんに受け継がれ
ているのですね。私はサンサンさんから、たくさんの希望と勇気をいた
だき、寛容の精神を学ばせていただいています。
→嬉しいです。
 私もまんぎょどんさんから、元気をもらっています。
 ありがとうございます。

今は、気力でやりこなしていらっしゃると思いますが、どうぞ、お疲れ
がでませんように。今度は うんと身近に(心の中に)いらっしゃるの
ですから、安心ですね。益々のご活躍をお祈りしております。
→そうですね。
 いつも一緒にいるのですよね。
 そう思えるようになったら幸せですね。
 「1000の風」を聞いています。
----------------------------
Re:過去日記:父危篤→浜松へ(04月03日)
どらみさん (2006年04月13日 00時09分)

遅ればせながら、、お父様のご逝去心よりお悔やみ申し上げます。
お父様の思い出、いっぱいですね。
ステキなお父様だったのですね。
「裸で生まれ 裸で去る人生 奉仕なくして何が残る」
本当にいいことばです。
それがそのままサンサンに受け継がれて、活動されていらっしゃるよう
に思いました。
私も父を15年前に亡くしていますので、その寂しさはとてもよくわかり
ます。
時間が解決するって言うけど、私はいまだに父が結婚式で歌ってくれた
「ふるさと」の歌は歌えないんです。


ピノッキオに取り組んでいらっしゃるのですね。
実は家も今ピノッキオに取り組んでいます。
最近更新をサボっていましたが、また遊びに来ますね。
サンサンもどうかお体にお気をつけられ、元気でがんばってください
ね。
Re:Re:過去日記:父危篤→浜松へ(04月03日)
サンサンさん (2006年04月13日 09時14分)

どらみさん
>遅ればせながら、、お父様のご逝去心よりお悔やみ申し上げます。
お父様の思い出、いっぱいですね。
ステキなお父様だったのですね。
「裸で生まれ 裸で去る人生 奉仕なくして何が残る」
本当にいいことばです。
それがそのままサンサンに受け継がれて、活動されていらっしゃるよう
に思いました。
→ありがとうございました。
 父のなした技の何百分の一くらいしかできていない自分が情けなくな
ることがありますが、でも、精一杯できることをやっていくことが大切
なのかなぁと思っています。
 今回は、みなさまから励ましのことばをいただいて読んでいると、自
分にはこんなにすてきな仲間がたくさんいるんだという思いを強くして
います。
 テューター仲間と思いを共にして、子どもたちの成長を楽しみながら
頑張って行けるなぁと心強く感じます。
~~~~~~~~~~~~~~

私も父を15年前に亡くしていますので、その寂しさはとてもよくわかり
ます。
時間が解決するって言うけど、私はいまだに父が結婚式で歌ってくれた
「ふるさと」の歌は歌えないんです。
→そうですか。
 それって、ほんとに心の中に刻印されている部分で、そのメロディを
聞いただけで泪があふれ出てくるのでしょうねぇ。
わかるような気がします。私も先日のニコルさんのおはなしの前の音楽
や語りでもう、泪が止まらなくなってしまっていて、ちょっと恥ずかし
かったです。
~~~~~~~~~~~~~

ピノッキオに取り組んでいらっしゃるのですね。
実は家も今ピノッキオに取り組んでいます。
→そうですか。
 同じテーマに取り組んでいるなんて。。。
 何話なのかなぁ。
~~~~~~~~~~~~~~~

最近更新をサボっていましたが、また遊びに来ますね。
サンサンもどうかお体にお気をつけられ、元気でがんばってください
ね。
→私もここのところ、ひろばから遠のき気味で、まだちょっと更新が思
うようにできていません。どうしたのかなぁと自分でも不思議な感じで
す。
どらみさんも元気で頑張ってくださいね。
またどらみさんの桜色の笑顔に逢いたいです。
----------------------------
Re:過去日記:父危篤→浜松へ(04月03日)
林ライスさん (2006年04月15日 08時10分)

久し振りにサンサンさんのサイトに来て驚きました。
お父様が亡くなられていたのですね。
遅ればせながらご冥福をお祈りいたします。
お父様の残された
「裸で生まれ 裸で去る人生 奉仕なくして何が残る」
のことば、すばらしいですね。
お父様の存在があるから現在のサンサンさんがあるのですね。
私も大人になって初めて自分がどんなに愛されて育ったかを自覚しまし
た。
お疲れがでませんように。

久し振りにサンサンの日記を拝見して
私も忙しいなんて言ってられない、
もう少し頑張って日記の更新もしようと思う力を頂きました。
いつもありがとうございます。
Re:Re:過去日記:父危篤→浜松へ(04月03日)
サンサンさん (2006年04月16日 11時38分)

林ライスさん
>久し振りにサンサンさんのサイトに来て驚きました。
お父様が亡くなられていたのですね。
遅ればせながらご冥福をお祈りいたします。
お父様の残された
「裸で生まれ 裸で去る人生 奉仕なくして何が残る」
のことば、すばらしいですね。
お父様の存在があるから現在のサンサンさんがあるのですね。
私も大人になって初めて自分がどんなに愛されて育ったかを自覚しまし
た。
お疲れがでませんように。
→ありがとうございます。

久し振りにサンサンの日記を拝見して
私も忙しいなんて言ってられない、
もう少し頑張って日記の更新もしようと思う力を頂きました。
いつもありがとうございます。
→ほんとにお久しぶりです。
 楽天の頃から、そしてひろばが立ち上がった頃を思い出しました。
 懐かしいですね。
 あのときのメンバーでまたお会いしたい気がします。
----------------------------
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