☆★☆ラボの現場を抱えるテューターの思い☆★☆ |
12月16日 (土) |
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ラボ理念といういわゆる単に理論を振り回すだけなら誰でもできる。
ラボ活動の記録や事例から、推測し、こうだろうなぁ
あ~だろうなぁと考えることもできる。
しかし、実際に現場を抱えるテューターの思いは
そんなうわっつらのことだけではすまされない。
常にもっともっとどろどろとした人間関係から起こる
悲喜こもごもの出来事がある現場という物に直面しているから。
子どもたちの活動も記録になど決して残すことができないこと(状態)が
いっぱいある。
イメージや場面づくりなど、言語習得に関しても
こどもたちが動きながら、表情やしぐさで表現することも
多いし、一人の意見に対して、かぶせるように複数の子がわき出るように
意見を言ったりなどということもある。
そんなときはテューターの思いも高まっている場合が往々にしてある。
だからむしろどんなやりとりがあったなど残せないことの方が膨大な量にのぼり、
記録として残せることはほんの氷山の一角でしかないと
認識しているテューターがほとんどなのではないかなぁ。
☆金曜日のラボ☆
金曜のラボは、プレイルームとキディのグループがあった。
小学生はクリスマス発表を控えているので木曜と合同ラボだったからお休み。
☆「別れ」の朝☆
さて、金曜の朝は出張プレイルームが横浜の会場であります。
そこに、その会場から歩いて小一時間のところに住んでいらっしゃる
いわゆる横浜在住の方ですが私に会いに来て下さったお母さんがいました。
息子さんは小さい頃から川崎の幼稚園ラボに通っていた。
小学生になったとき、横浜にお引っ越し。
車もないのに、電車を乗り継いで通って下さった。
崎本パーティは川崎にあるのに、
実際は横浜(幼児、小学生、高校生、大学生)、
東京(幼児、小学生)、千葉(大学生)からも
通ってくる子たちがいる。
今日見えたラボママも、ラボに来るのを楽しみにしながら
毎週、横浜から川崎まで通って下さっていた。
その子は、ラボのお話が大好き。
毎週のラボも楽しく飛び回ってやっていた。
キャンプも毎年参加。元気な頃のこと。
で、子どもが中学受験を控えて塾に通うようになって、
ラボは準会員となり、無事目指す中学に入学。
さぁ、ラボに戻って国際交流に参加と思った矢先に病気になり入院。
学校に通うことすらできなくなってしまったのです。
今は、どうにか学校に通えるようになったものの、
毎週のように検査を繰り返す日々。
体育はできず、内出血が起こると血が止まらずに
命に関わるという状態。
ラボへの復帰の道もたたれてしまい、残念ながら、退会。
そこまで決心するのに発病から3年かかりました。
それでついに退会となった今、ママが私に会いに来て下さったということです。
私がなかなか逢おうとしなかったからです。
そして、これを持ってきましたというトールペイント。
かなり大きな心のこもった作品です。
そのママからトールペイントをいただいて
お別れのご挨拶をした後は胸がいっぱいになって
思わず涙がこぼれてしまいました。
あ~、ついにお別れなんだなぁ。
とそんな気持ちでいっぱいになって。
ラボを続けているとそんなつらい別れもたくさんある。
でもりんちゃんはまた逢えることもあるからいい。
永久の別れをしたラボっ子もいた。
☆プレイルームへ☆
さて、そのママと別れをした後は子どもたちとママ達が待っているプレイルーム。
可愛い子どもたちは私がうさぎみたいに
目を赤くしていたので、おかしいなぁと思ったでしょうねぇ。
不思議なそうなお目目でじ~っとみていた。
でも、なるべく平常心を保ちながらラボをしている間に、
気持ちが回復。
元気に汗しながらラボをすることができたのです。
ママと子どもたちのお陰。
☆キディラボ☆
午後はキディラボ。
このグループに一人、父子家庭の子がいます。
男の子でとっても元気。
私のことが大好きで、毎週のラボを首をなが~くして
待っていてくれます。
私がちょっとでも遅れると、思わず幼稚園の玄関を飛び出して
来るのですが、先生から大目玉をくらって泣いていたりする子です。
おばあちゃまがいらっしゃって。
その子はおばあちゃまの事をおかあさんと呼んでいるのです。
ん~、どうしようと悩みます。
実際はおばあちゃまなのにお母さんと呼んでいいものかどうか。
悩んだあげく、その子がおかあさんと言っているのであれば
私もそう呼ぼうと決めて、子どもにあわせてお母さんと呼びます。
違和感はある物の、母親のいない子どもの気持ちを考えると
あえて、おばあちゃまと訂正することができません。
たぶん、その子もほんとはおばちゃんなんだけど、
お母さんと呼んでいるということを認識していると思います。
そうであれば、お母さんと呼んでもいい。
そんな中、キディグループのママ達もその子と
お婆ちゃまに対してとっても優しいのです。
これでこそ、ラボだぁ。
いろんな人をそのままの状態で受け入れる。
差別をしない。
そんな広い心を持つことの大切さ。
☆もう一つの別れ☆
このキディグループの中には、ラボママでこの秋に母親と悲しい別れをした方が
いらっしゃいます。
私たちも夏の発表の時にそのラボママが出産を控えていたので
ラボママのお母様がラボにいらしていて、一緒に
発表会にも来て下さっていたりしてなじみのあった方だったのですが
その後まもなくお亡くなりになってしまったことを聞き、
お元気なお姿が印象に残っているときだったので
信じられないという思いでショックを受けました。
ラボママの出産は無事に終わり、元気な男の子が生まれ
みんなで祝福しました。
☆1000の風☆
亡くなられたお母様は「1000の風」がお好きだったとか。
私も「1000の風」にリンクを貼っているのですが、
その話をしながら一緒に涙をながしたものです。
☆一日の出来事☆
たった一日のクラスの中でも、子どもたちのまわりには
いろんな事が起きていて、テューターは一緒に喜んだり、
悲しんだり。
ラボの現場は上に述べた事に限らず、たくさんの問題を抱えながら
日々、子どもたちとの活動を大切にしつつ営まれている物です。
ラボの英語教育が人間教育と言うからには
決して、うわっつらの関わりだけにとどまらず
一週間に一回しか逢えない子どもたちの家庭環境から
来る精神状態をも鑑みつつ、物語だけではない精神的な部分にも関わっていく過程で
涙がでるほど嬉しかったり、心をえぐられるような悲しみも伴う物です。
いずれにしても子どもたちの成長、
一緒に見守って下さるラボママや
その他の方々と活動していけるのは幸せと考えます。
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Re:☆★☆ラボの現場を抱えるテューターの思い☆★☆(12月16日)
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メリーポピンズさん (2006年12月18日 23時10分)
>記録
先日お会いした時に、ちらっとおっしゃってましたね^^;
このこと、もっとお話を聞きたかったと思ってました。
サンサンさんの発表会が終わった頃を見計らって、あらためて
出直してきます(^^)
3年もかかって、退会をされたお母さんのお話。
読みながら、もう目がうるうる・・・・でした・・・。
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Re:☆★☆ラボの現場を抱えるテューターの思い☆★☆(12月16日)
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サンサンさん (2006年12月19日 00時50分)
読んで下さったのね。
ありがとう。
きっと全国のテューターのみなさんも
たくさんの子どもたちのそれぞれの事情を
受け止めながらラボをなさっているのでしょう。
言語習得、人間教育と簡単に言いますが
実は実はとっても人間くさい活動の上に成り立っているはずです。
それがラボなんですねぇ。
楽しいこともあるけど、いいことだけではない。
いろんな出来事がある。
そういうことを含めてのラボなんだって
みんな知っていてもそれはどこにも書かない。
私ももう、書かないと思いますが、
ちょっと書いてみたかったので。
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Re:☆★☆ラボの現場を抱えるテューターの思い☆★☆(12月16日)
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ちびままさん (2006年12月19日 08時56分)
何度か足を運んで拝読しながら、確かに心に響く言葉を実感しながら
書き込みする勇気がもてない自分がいます。
メリーポピンズさんへのレスを読んでいてはっと思い出したこと・・・
もう10年近くになるでしょうか、サマーキャンプでのことです。
同じロッジの中高生とも仲間として受け入れてもらって(多分)ロッジ
生活を満喫、一緒に感動したり怒ったり。
しかし最後の夜の最後のソングバーズの時、あの独特の興奮の中、連れ
て行っていた小1の子達もすごくはしゃいでいて
この風景をカメラで記録したい・・・気がついたら輪から離れたところ
でみんなの様子を写真におさめている自分がいました。
すると、ずっと近くに感じてくれていた高校生の男の子が「何で写真な
んか撮ってるんですか!それより一緒に感動しなきゃこっちも冷めてし
まう・・・」と冷たく言われたのです。
それ以降なにかすーっと引いていくものを感じて、彼との間にもシニア
との間にも距離があいてしまった苦~い体験。
テューターとして親向けにも写真を撮って帰りたい!記録として残した
い!という気持ちが
一番大切にしなきゃいけないその場のこどもたちとの関係を悪くしてし
まうということがわかりました。
それ以来、キャンプなどでも場を見てカメラを向けるようになりまし
た。どう説明すればいいか言葉が見つからないのですが、こんなことか
らきれいな花火を画像で残すより、一瞬で消えてもいいから(消えるか
らこそ)子供と一緒にこの目で見て一緒に感動するテューターでいたい
と思っています。両方やらなきゃ!といわれてるんでしょうが。
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Re:Re:☆★☆ラボの現場を抱えるテューターの思い☆★☆(12月16日)
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サンサンさん (2006年12月19日 09時06分)
ちびままさん
あ~、感覚的にわかってくださったのね。
嬉しいです。
その熱い感情を大切にしていきたいですねぇ。
記録しようとすると、やっぱりさめたというか冷静な部分がないと
だめですねぇ。
もっともっと熱い思いをぶつけあったり、
ことばを交わしたりしているラボの方が好きです。
だから、今の教務の中では私は劣等生。
テューターを辞めようかと思うこともあったりします。
何かいい方法はないものかしら。
記録も大切なんでしょうけど、
ラボはそれだけではないと言う部分。
もっとそれ以上の物なんだ。
パーティでの熱い思いはなかなか記録には残せないし、
子どもたちが達成感いっぱいの発表をしても
こどもとのやりとりがきちんと書き残されていないと
なんだか何も見えなくて、わからないなんて
ひどく批判を受けてしまうし、
記録を読みあうときも感情を入れてはいけないし、
他の方の記録から何かを読み取ろうとすると
やむを得ず、下を向くことになるし
テューター同志のアイコンタクトは減ってしまうし、
ましてやテューターの熱い思いのやりとりが
減ってと言うのか、記録に書いてないことは
言わないようにと言うお達しがあったりするし、
これでいいのかなぁと、、、
ん~、何かもっといい方法は、、、と言われたって
今更、何も思いつきませ~ん。
こんなことを行っているなんて
やっぱり、私はだめですねぇ。
ひろばから撤退しなければいけませんねぇ。
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Re:☆★☆ラボの現場を抱えるテューターの思い☆★☆(12月16日)
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みかん(でこぽん)さん (2006年12月19日 16時24分)
ひろばから絶対撤退しないでくださいね!
ここでしか、サンサンさんと繋がれない私としては、それは、困りま
す。40周年にも行けなかったし、目指せ45周年です。(^^)
毎日、このページで勉強させて頂いたり、涙流したり、なんとか、気持
ちを奮い立たせて、ラボをもうちょっと頑張ってみようと願っている全
国のテューターのためにも、お願いします。
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Re:Re:☆★☆ラボの現場を抱えるテューターの思い☆★☆(12月16日)
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サンサンさん (2006年12月19日 21時01分)
みかんさん
>ひろばから絶対撤退しないでくださいね!
→みかんさん、ありがとう。
私はやはり、あたりさわりのないことは書けないので
それに更新を控えていた間に、いろいろ思うこともあって
ちょこっとそう言う思いを出したときに
やはり、撤退はあるでしょうねぇ。
ここでしか、サンサンさんと繋がれない私としては、それは、困りま
す。40周年にも行けなかったし、目指せ45周年です。(^^)
→40周年、行った方はそれなりにたくさんいい刺激をもらいました
よ。
でもね、行かなくても、大丈夫。
これからいくらでも挽回できますよ。
気にしないのが一番。
You didn’t miss much. That, I’m sure.
毎日、このページで勉強させて頂いたり、涙流したり、なんとか、気持
ちを奮い立たせて、ラボをもうちょっと頑張ってみようと願っている全
国のテューターのためにも、お願いします。
→もっと、テューター同志が温かい心で
コミュニケーションをとることができたらいいなぁと
思いますね。
みかんさん、私もラボは大好きなのですが、
だからこそ、言いたいことは言っていこうと
思っていますよ。
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Re:Re:Re:☆★☆ラボの現場を抱えるテューターの思い☆★☆(12月16日)
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ゆみねーさん (2006年12月20日 09時29分)
テューターの立場からしかラボを見れなかった私は今ラボママになって
いろんなことがまた見えてきました。
ラボの深さを本当に感じてます。
サンサンさんのように長くラボをされてあるかたでさえたくさんの悩み
を抱えてあるんですね。新人さんはもっともっと入り口のところでもが
いてあるでしょう。
テューターという仕事は誰にでもできるものではないと思います。
記録は子どもの言語習得の実績・成果を裏付けるものとして残してるよ
うに感じてます。本当はその実績や成果を公表して公に評価してもらう
ことがラボが求めているのではないことぐらい誰だってわかっています
が会員募集のためには必要なのかもしれませんね。
だから現場のテューターしかわからない、公表できない記録があっても
いいとおもいます。
子どもが育ってるかは、現場のテューターがちゃんとわかっていればい
いと思います。しかし結局新人テューターにしてみれば何を目標に何を
成果に活動をやっていけばいいのかわからないからこういった先輩方の
記録は大切でそこから読みとる力をつけるのでしょうね。
またテューター自身の感性をラボママはよくみてあります。個性はあっ
てもテューター像というのは感性が豊かである、とうことがないと物語
での活動はできないのではないかと思ってます。
テューターの方々はいつもお忙しくされてあるけど雲がゆっくり流れて
いるその流れが乳幼児の時間の流れである(私がプレイさんのママさん
にいつもいってたことばです)のと同じように週1時間でもお空をぼ~と
眺めて心穏やかな時間をすごしてもらいたいです。テューターの、せか
せか姿はかえって見苦しいというものをラボママになって感じてます。
えらそうなことばかり書いてすみません。
サンサンさんにはこのひろばから撤退はだめですよ~
書き込みされてないけど読んである新人テューターはたくさんいらっし
ゃいます。
日記楽しみに読んでる私です!
40周年行きたかったです!
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Re:Re:Re:Re:☆★☆ラボの現場を抱えるテューターの思い☆★☆(12月16日)
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サンサンさん (2006年12月20日 13時07分)
ゆみねーさん
お久しぶりですぅ。
今はラボママなのですねぇ。
確か楽天にHP持っていらっしゃたような。
ブログでしたかねぇ。
私もいろんなところにいろんなHP持っているので
ちょっと記憶がさだかではありません。
ひろばを離れていろいろひろばのこと思うのと同じように
ゆみねーさんもラボを離れていろいろ感じるところもあるのでしょう
ね。
ぜひそのうちにまたパーティを作ってくださいねぇ。
楽しみにしています。
書き込み、とっても説得力あったし、
嬉しかったです。
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Re:Re:☆★☆ラボの現場を抱えるテューターの思い☆★☆(12月16日)
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サンサンさん (2006年12月20日 18時10分)
s。。laboさん
ごめんなさい。
書き込みの趣旨がよくわからないので、
申し訳ないのですが、
書き込みとそれに対する御返事を削除させていただきます。
今後も、顔が見えないので、同じ様な処置をとらせていただきますね。
ほんとにごめんなさい。
もし、私に伝えたいことがあればメッセージからお願いしますね。
それに対しては、御返事、差し上げたいと思います。
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Re:☆★☆ラボの現場を抱えるテューターの思い☆★☆(12月16日)
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がのさん (2006年12月20日 22時04分)
ラボ理念といういわゆる単に理論を振り回すだけなら誰でもできる。
しかし、実際に現場を抱えるテューターの思いはそんなうわっつらのこ
とだけではすまされない。常にもっともっとどろどろとした人間関係か
ら起こる悲喜こもごもの出来事がある現場という物に直面しているか
ら。
⇒ ご意見、うかがいました。その趣旨はよくわかりました。おことば
の通りなのでしょう。ところで、これは、誰に向けて訴えているのでし
ょうか。事務局でしょうか、会員父母の方々に対してでしょうか、それ
とも教務を担当しているテューター仲間の方に向かってでしょうか。
わたしはこういうことに意見をはさむ立場にはないのですが、一般論
として言わせていただけますと、子どもの発することばのどれにも、た
とえそれがその場を混乱させるだけの他愛ないことばであっても、それ
なりの意味がある、それをテューターはごまかしなく聞きとってほしい
と願うわけですが、それをこういうところで記録するかどうか、という
こととは別なんだろうと思います。ましてや、それが義務となると、わ
たしには疑問に思えます。
記録活動は無意味だ、というつもりはもちろんありません。ただ、こ
のひろば@の各所でときどき見せてもらう活動記録のかぎりで、率直に申
して、何のための記録なのかなあ、と思うことがときどきあります。目
的が互いに十分理解し合えているかどうか。どんな与件に沿って書くこ
とになっているのか。ひまわりさんがドイツのほうから云いかけている
ことですが、テューターが書く場合、子どもが書く場合、ともにそれな
りの“準備”と、課題意識をみんなで共有しあうということがありはし
ないか、ということ。そしてそれをだれがどこでどんなdimesion をもっ
て、どう評価するのか、到達点なんてないのでしょうが、それならどこ
までいったらとりあえずヨシとするのか、と、そうしたことをもっとみ
なさん同士で話し合い、了解しあうことが必要ではないか、そこがはっ
きりしていれば、氷山のシンのところも見えてくるのではないか、と。
……口はばったいことを申しました。何やらちょっとした誤解があ
り、わたしの書き込みと勘違いされたらしいことのおことわりついでに
失礼しました。
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Re:Re:☆★☆ラボの現場を抱えるテューターの思い☆★☆(12月16日)
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サンサンさん (2006年12月20日 22時40分)
がのさん
→ん~、たぶん、このHPを訪問してこの日記を読んで下さる方ですか
ら、すべて含まれるでしょうねぇ。
子どもの発することばのどれにも、
→もちろん、全身耳にして、子どもたちのことばを聞き取るようにして
いますよ。
でもね、あとでそれを記録してと言われると、ねぇ。
なんだかそうなると、記録するためにやりとりしているようにも
思えるのですよねぇ。
すると、話し合いに集中できなくなってしまう。
どこか冷めた感じになってしまったり。
記録活動は無意味だ、というつもりはもちろんありません。
→記録活動は大切な活動だということですから私も否定するわけではあ
りませんが、何しろ、それをシェアするときの体験がこれまでは辛い事
ばかりだったものですから。
ひまわりさんがドイツのほうから云いかけている
→話し合いと言うよりも、言われたからやっているという
方がほとんどではないでしょうか。
このような活動が好きな方はいいのですが、
それほど好きではない場合は、苦になるだけです。
どうしましょう。
ことばは「放す」ものだから、それを捕まえて残そうとすることは
それほど、大切なことなのかなぁ。
どうもいまだに趣旨を理解しようとしない自分がいます。
書き込みに関しては、誤解が生じてしまって
すみませんでしたぁ。
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Re:Re:Re:☆★☆ラボの現場を抱えるテューターの思い☆★☆(12月16日)
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がのさん (2006年12月21日 02時18分)
サンサンさん
【その1】
>もちろん、全身耳にして、子どもたちのことばを聞き取るようにして
いますよ。でもね、あとでそれを記録してと言われると、話し合いに集
中できなくなってしまう。
記録活動は私も否定するわけではありませんが、これまでは辛い事ばか
りだったものですから。
話し合いと言うよりも、言われたからやっているという方がほとんどで
はないでしょうか。
このような活動が好きな方はいいのですが、それほど好きではない場合
は、苦になるだけです。
⇒好きな人なんぞいないと思いますよ。サンサンさんはほんとうに素直
(失礼!)なんですね。云われたことをそのまま素直に受け止めるという
のは、おおいに尊重されていいことではありますが、おっしゃるとお
り、完璧を期して子どものことば、子どもの表情や動きをとらえて記録
していこうとしたら、ラボ・パーティの活動をダイナミックに運ぶなん
てできっこありません。第一、メモばかりしていたら子どもの顔なんて
見られないじゃないですか。どんなことばにも意味がある、それを逃さ
ず聞くといいましたが、かたい沈黙や無表情にも意味があるわけです
し。
不慣れなわたしがたまに英語をつづるものですから、早速恥ずかしいミ
ス・スペルをおかしてしまいましたがdimension 、…これ、どう訳しま
すかねぇ、尺度とか規準とか、目を注ぐべき視点、といったようなこと
でしょうか。一つごとのテーマ活動の中でどこをポイントに子どもを見
ていくか、それがテューターに課せられたもうひとつの「テーマ」活動
なんだと思うんです。規準をつくり、それに沿ってテーマをとらえ、あ
る時間の総体のなかで子どもの成長とともに生きる、というスタイル。
記録活動は、10年前、わたしが退職するころから旧態依然にやっている
活動です。個人的にはあまり賛成しかねる活動、というか、もっともっ
と研究する必要があると思いますが、10年余の活動の中で何が得られた
かの検証ももうされねばならないはず。外部講師の手前よがりの論理に
はまって無邪気にありがたがっている場合ではなく、自分たちの活動を
自分たちできちん検証する時期にあり、云われたから何となくやってい
る、というのじゃ、頼りないじゃないですか。どこまでやればいいのか
と、虚しいじゃないですか。
【つづく】
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Re:Re:Re:☆★☆ラボの現場を抱えるテューターの思い☆★☆(12月16日)
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がのさん (2006年12月21日 02時21分)
サンサンさん
横浜で大盤振る舞いにおこなわれた40周年の祝典。これで飛躍的にテー
マ活動が前進した、ということがなければ、あれは何だったのか、とい
うことになりますよ。前進と同時に、ラボの原点、ことばはこころ、こ
とばを育てることはこころを育てることだ、に立ち戻ることも忘れるこ
となく。わたしごときが出すぎた余計なことを言ったようでしたら、ご
めんなさい。
(すみません、いい気になってデレデレ書いていたら、たちまちオーバ
ー。簡潔に書かないといけませんね)
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Re:Re:Re:Re:☆★☆ラボの現場を抱えるテューターの思い☆★☆(12月16日)
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サンサンさん (2006年12月21日 08時07分)
がのさん
完璧を期して
→そうなんです。完璧にと思うとできない。
覚えていることだけを書けばと言われてもそれも気持ちが悪い。
第一、メモばかりしていたら子どもの顔なんて
→そうなんですよ。子どもの言いたいことをちゃんと受け止めたいし
話しを止めたりしたくない。
みんな、どうやってメモしているのでしょうねぇ。
どんなことばにも意味がある、それを逃さず聞くといいましたが、かた
い沈黙や無表情にも意味があるわけですし。
→まさにそのとおりなんです。子どもたちは身振り手振りで、表情を加
えながら伝えようとしています。声のトーンとかいろいろ。
でも、言ったことばだけをメモに残す。まぁ、説明をつけてもいいので
しょうけど、それこそ私には無理という物。
dimension 尺度とか規準とか、目を注ぐべき視点、一つごとのテーマ活
動の中でどこをポイントに子どもを見ていくか、それがテューターに課
せられたもうひとつの「テーマ」活動なんだと思うんです。規準をつく
り、それに沿ってテーマをとらえ、ある時間の総体のなかで子どもの成
長とともに生きる、というスタイル。
→そう、テーマ活動の中で生きる。子どもたちはまさにそれをしている
わけです。生きるために小さな頭と心で思いを巡らし、ことばの宇宙に
遊びに行くわけです。お話の世界を楽しむ。テューターは子どもたちに
沿いながら「テューターに課せられた『テーマ』活動」を展開してい
く。
それも含めての記録活動ということにはなっているのですけどね。
いまいち、楽しめない。
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Re:Re:Re:Re:☆★☆ラボの現場を抱えるテューターの思い☆★☆(12月16日)
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サンサンさん (2006年12月21日 08時10分)
がのさん
記録活動は、10年前、
→そうです。私もプロジェクト活動の時にはさんざんやっていました
よ。でも、あれはどちらかというととっても楽しい物でした。心躍るよ
うな楽しさがありました。今はあれとは全く違う物になっているので
す。ことばを中心に書き留めていく物です。若い方々で最初からそれで
パーティ活動をしてきている方はなんの違和感もないのでしょうけど、
それに記録から学ぶことも大切なことで必要だと思っている方もいらっ
しゃると思います。まぁ、そう言う方はそれでいいのですけどねぇ。
虚しいじゃないですか。
→そう、虚しいのですよ。
私は、日々の子どもたちとの活動を生き生きと楽しくやっていきたい。
その結果として、子どもたちに生きる力がつき、それぞれの人生を楽し
く過ごせるようになれば良いと考えます。
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横浜で大盤振る舞いにおこなわれた40周年の祝典。
→ポスト40周年。
残された事務局(?)とテューターでしっかりとラボを発展させていか
なければいけないと思っています。
各自の努力が必要とされているのです。
記録活動をしていない者が言えることではありませんが
ひたすら記録していればいいと言う時ではないような。。。
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Re:Re:Re:Re:Re:☆★☆ラボの現場を抱えるテューターの思い☆★☆(12月16日)
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がのさん (2006年12月21日 10時53分)
サンサンさん
>テューターは子どもたちに沿いながら「テューターに課せられた『テ
ーマ』活動」を展開していく。それも含めての記録活動ということには
なっているのですけどね。いまいち、楽しめない。
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またも出ましたサンカク野郎が…。
この問題に限らず、ポスト40周年の課題は、わたしごときが言ってどう
なるというものではありませんが、テューター自身が自分たちの活動を
きちんと評価する、自分の足元にあるものをもう一度しっかり見直すこ
とではないかと思うんですね。なんで外部の“有名人”におべんちゃら
を言ってもらわねばならないのですか。そこができないと、ラボは前へ
いけません。
“有名人”も“学者さま”もときには結構。江戸町人が破れ障子の当て
物にして貼っていた浮世絵、鍋敷きのかわりに置かれた浮世絵をゴッホ
が見てびっくり、そこからこの固有の日本絵画が見直されるようになっ
た。だれも見向きもしなかった桂離宮をブルーノ・タウトが見て、日本
建築の最高傑作と評価、それではじめて、ああ、そうだったのか、と見
られるようになった。そんな例もあるにはありますが、あの祝典に来た
“有名人”にそうしたホンモノの眼識があったかどうか。
それよりは、テューターが主体的にアンガージュ(参加)しないとね(きょ
うの午後、じつは実存主義文学を市民の前で語る機会がありまして、ち
ょいと気取らせてもらって、フランス語なんぞで、ハッハ)。その点、サ
ンサンさんはテューターのあいだの指導的な立場にあるわけですから、
こんな狭苦しいところでわたしなんぞと考え合っているのでなく、問題
をオープンにして、自分たちのことを自分たちで考え語り合う、率直に
ホンネで語り合える場をつくってくださることを期待したいのですが。
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Re:Re:Re:Re:Re:Re:☆★☆ラボの現場を抱えるテューターの思い☆★☆(12月16日)
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サンサンさん (2006年12月22日 08時20分)
がのさん
またも出ましたサンカク野郎が…。
→サンカクは参画かなぁ。
ようこそ、サンカク野郎さま。
ポスト40周年の課題は、
テューター自身が自分たちの活動を
きちんと評価する、自分の足元にあるものをもう一度しっかり見直すこ
と
→そうですねぇ。各パーティでそれができていけば
そうして、各パーティの特徴をしっかりアピールしていければ
いいでしょうねぇ。
“有名人”も“学者さま”
→そう言う方々は今あるラボを外から認めて下さったと言うことで
テューターは安心したり、喜んだりしているのですが、
まぁ、それだけではあまり前に進まないでしょうねぇ。
悪いことではありませんが。
テューターが主体的にアンガージュ(参加)しないとね(きょ
うの午後、じつは実存主義文学を市民の前で語る機会がありまして、ち
ょいと気取らせてもらって、フランス語なんぞで、ハッハ)。
→お、お、おフランス語ですかぁ。
がのさん、おフランス語も、、、
サンサンさんはテューターのあいだの指導的な立場
→それはもう、過去のまぼろしですよ。
支部代表をしていたり、連合会の会長をしていましたけど、
過去のことです。
今では1パーティのテューターとして頑張っていますよ。
率直にホンネで語り合える場
→私がそう言う場を設けることはできませんが、
ぜひ、そんな場があったらなぁと心から思います。
なくて残念。でも、私が本音を言い始めたら、大変なことになってし
まいますから。このあたりでごかんべんを。
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