幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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 キンダークラブ通信 No.9 掲載リポート
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子どもの未来をひらく国際交流のつどい

~ラボ国際交流40周年記念 体験談を聞く会~



2011年11月20日(日)、フォーラム・ホール〔横浜市戸塚〕にて
神奈川支部湘南地区企画イベントとして開催されました。
その中でスピーチした前田Pのラボっ子の体験談を、
本人たちの了解のもとでご紹介いたします。


ミシガン

中学1年 亥埜 恭平

ぼくは今年の夏休み、ミシガン州へ1ヶ月間ホームステイしました。
最初の1週間半は、教会学校の夏のイベントのお手伝いをしました。
5、6歳の子供たちと水遊びをしたりダンスみたいなのもやって、ぼくも楽しかったです。

ミシガンといえば五大湖。
本当に海みたいなミシガン湖に、仲よくなった友達と何度も行きました。
水が冷たい日、波の荒い日、ちょうど良い日、海賊船がきて大砲音を鳴らした日。
「いろんなミシガン湖がみれてラッキーだね」とMomにいわれました。
水が冷たいので途中休憩で砂浜に上がって、ぼくは砂のお城を作りました。
すると、ホストや友だちがお城に飾るための貝殻を採ってきてくれました。
貝殻を探すのは大変だったはずなのに、ぼくのためにたくさん集めてくれたのです。
とっても嬉しかったです。

ひまなときは、ぼくが得意な習字を教えたり絵をかいてみせたりしました。
折り紙は、手裏剣を作りました。
そしたら、よく遊んでいた友達の間で大ブレイクして、1週間くらいブームになりました。
車の中でもたくさん作って、車の中が手裏剣で埋まりました。全部で100個以上作りました。

ホームステイ中一番の思い出は、家族でマキナックアイランドへ行ったことです。
この小さな島では車が禁止されていて、交通手段は馬車と自転車しかありません。
湖ぞいのきれいな景色を見ながら、4時間ほどかけて、いい気分で島を一周しました。
その日は絶好のお天気で、風が気持ちよかったです。

最初の1週間は、英語をきいているとあたまが痛くなるときがありました。
それは一生懸命英語を聞こうとして脳がフル活動しているからだと思います。
だんだんなれてきましたが、相手によって聞き取れ方が違いました。
いっぱい会話した人ほど分かりやすかったです。
自分の思っていることが相手に伝わることの大切さを思い知らされました。

ホームステイにまた行きたいです。
でも次は、英語をもっともっとしゃべれるようになってから行きたいです。
ホストファミリーのところへ行って、ホストと、
「あの時はああだったなあ・・・」とふたりで話したいなと思います。




アラスカ

中学1年 築城 圭輔

ぼくはアラスカのニキスキーという所へ行きました。
ホストファミリーはDadとMomとホストのヘンリーで、エスキモーのイヌピヤックという種族のネイティブです。

アラスカの白夜は、予想以上に明るくて驚きました。夜10時でもすごく明るくて、
そんな時間に「これから海に遊びに行こう!」とDadがよくさそってきました。

行く前は英語が心配だったけれど、
よく聞いて理解しようとしていたらなんとか通じて、困ることはありませんでした。
ラボのCDのことばを思い出して使うことも多かったです。
ラボは英語を言うことが中心でやっているから、実際に海外に出てもなんとかなるんだなと思います。

ステイ中はホストファミリーや友だちと一緒に、日本ではできない体験をいろいろやりました。
 
どこに行くのか聞かされずに行くと、洞くつの中は宝石採掘所でした。
大きいアメジストの原石が見つかりました。ぼくは石が好きなのでうれしかったです。

また、アラスカはとてもサケが有名で、ラフティングに行って、サケ釣りをしました。
1週間に2,3回行ったけれど、何度行っても毎回わくわくしました。
やっとかかってすぐそばまで寄せたとき、
Dadが思いっきり引っ張ったら糸がプツリと切れてしまい、本当にくやしかったです。

それから、4-Hのイベントでスチール製のお皿を作りました。
1枚の四角い鉄板を金づちでたたいて、丸く切って、みがいて、
電動ハンマーで形を作り、強烈なバーナーで模様を焼きつけました。
こんなことをしたのは初めてだったけど、我ながらうまくできてうれしかったです。

あるとき、ホストや友だちと一緒に海に行きました。
そこは干潮になると一面ドロになります。
初めは足だけのつもりで入って行ったのに、気づいたら全身ドロまみれでした。
そのあと、こごえるほど冷たい川に飛び込んでドロを洗い流しました。
もう本当に冷たくて、からだの感覚がなくなりました。
日本人はつくづく寒さに弱いと話しながらたき火にあたって、ホットドックを食べました。

ぼくは将来お金をためて、ホストファミリーに会いに、もう一度アラスカへ行きたいです。




めぐ

大学3年 倉持 恵

私の最初の「国際交流」は、8年前の冬、中学1年の時でした。
姉がホストシスターとなり、
オーストラリアから来日した3歳年上の女の子Mylanが4週間私たち家族と一緒に暮らしました。

当時の私は英語をほとんど喋れませんでしたが、
日本の歌やジョーク、くだらない話をして、Mylanととても仲よくなりました。
「伝えたい」「話したい」という気持ちだけは強くあったからだと思います。
その時の経験から
「正しい英語が使える使えない」はコミュニケーションをとる上で、一番に大切なことではないと思えました。
とにかくあの一か月は、Mylanと笑い合った思い出がたくさんあります。

その翌年2004年の夏、当時中学2年で北米のホームステイプログラムに参加しました。
私はアメリカ、バージニア州に一ヶ月間ステイしました。
ホストファミリーのLangelotti familyは、
Dad、Mom、同じ歳のホストシスターのKelseyと6歳下の妹のEvaの4人家族でした。
一緒に過ごした時間が長かったこともあり、
どちらかと言うと、MomよりDad、ホストシスターより妹のほうに打ち解けていたように思います。

半年前の冬にMylanを受け入れしていたので、コミュニケーションは気持ち次第でどうにかなると思っていたのに、
ことばの壁にぶち当たりました。
ステイ中、host familyによく言われた言葉がありました。
それは「Never mind」「気にしないで」という言葉でした。
「正しい英文で言わなきゃ」「伝わらないかも」と思うと、どうしても言葉が出てこなくなり、
伝えたいことを言いきる前に、ホストファミリーから「もういいよ。Never mind」と話を切られてしまう事がよくありました。
この「Never mind」は最後まで言われていたと思います。
帰国した後、「私はホームステイで何を得たのだろう」と後悔したり、悩んだりした時期もありました。

一年後の夏休み、ホストシスターのKelseyと毎日一緒に書いた英文日記やたくさんの写真を見ながら、
私はホームステイのアルバムを作りました。
思い出のアルバムを作り終えたとき、
「アメリカに、私はこんな素敵な家族ができたんだ」と思うことができました。
そしてLangelotti familyは私にとって、もうひとつの大切な家族になりました。

受け入れとアメリカのホームステイを経験して、中学3年生になった私は
「自分もホストシスターになりたい。もう一度受け入れがしたい」と思いました。
念願叶い、オーストラリアから1つ年上のSaritaを3週間受け入れすることができました。
Sariは本当にまっすぐで、素直な女の子でした。
決して日本語が上手だったわけではないけれど、
誰とでも積極的に話そうとする姿勢はすごいなと感じました。
だからこそ、Sariはたくさんの友達を作ることができたんだと思います。

Sariはとても筆まめなので、帰国後は沢山の写真と一緒に手紙をよく送ってくれました。
国際電話をすることもあり、盛り上がると1時間以上話してしまい、親に怒られることもしばしばでした。
電話越しの会話はとても難しかったけれど、
辞書を片手に、発音できないものはスペルを言い、英語と日本語の両方使い、「伝えたい」一心で話していました。

去年の2月、Sariが家族旅行で来日したので4年ぶりに再会しました。

一方、最初の女の子のMylanはその後、家族旅行や友達との旅行で何度も日本を訪れ、
そのたびに私たち家族とみんなで食事をしました。
またMylanは2年前に1年間九州の大学に留学しました。
もちろん私はMylanを訪ねて、2人で九州を旅しました。

その後、Mylanがオーストラリアに戻った時、
私はずっと行きたかったオーストラリアに2週間一人で行きました。 
MylanとSariは2人ともシドニーに住んでいたので1週間ずつ一緒に過ごし、
後半はSariの家にホームステイしました。
Sariの姉や従姉弟ともすぐに仲良くなり、
一緒にサイクリングをしたり、シドニーの街を歩いたりしました。
オーストラリアは私にとって「異国の地」というより、
「MylanとSariの住んでいる所」として、とても身近に感じました。

今、大学を卒業したMylanは日本の企業に就職して今年の7月から東京で働いています。
なので、一緒に買い物したり食事したりすることもあります。
私の両親もMylanに会うのをいつも楽しみしていて、
特に父は「Mylan、うちに遊びにくればいいのに」とよく言っています。

わたし達家族の中で、Mylanを「外国人」として意識することはありません。
私にとっては8年間付き合ってきた大切な「友達」です。
MylanもSariも、日本人の友達と全く変わらず、ただ使っている言葉が違うというだけです。
2人ともこれからもずっとかけがえのない友達です。

また、去年の夏休み、アメリカの家族Langelotti familyに会いに、私はバージニアを訪れました。
この旅行もオーストラリアへも、自分一人の力で行きたかったので、バイト代を当てました。
正直言って、6年前のhost familyとの初対面は緊張と不安でいっぱいでした。
しかし一人旅で14時間のフライト。
その上国際線が遅れたために国内線に乗り換えできなかったこともあり、
Dadが車を運転して迎えに来てくれて、再会できた時は、本当にほっとしました。
これまで付き合いを積み重ねてきて、私の中で、Langelotti familyが「本当の家族」になったからだと思います。

相変わらず自分の英語力はいまいちだったと思うのですが、
前回と違い、一度も「Never mind」と言われませんでした。
それは何より「分かり合いたい」という気持ちを持って、過ごしたからだと思います。
到着した初日からリビングでごろごろしていて、完全にリラックスモードでした。

Kelseyの運転で4時間ドライブしていた時は、
6年前ならきっと耐えられずに黙っていたと思いますが、今回はずっと喋りっぱなしでした。
自分のコミュニケーション力も上がったし、6年経って2人とも成長して前よりも分かりあえた気がしました。

その後、3ヶ月後には偶然Momが仕事で日本に来ることになり、我が家にも一泊ステイしてもらいました。
私の両親も、Momに会ったことで、「Mom、いい人だね」と言ってくれました。
今までは「私とホストファミリー」だけの関係でしたが、
両親とMomが実際に会えた事で、「両親とホストファミリー」の家族同士の関係になり、
お互いの良さを感じてくれたことも私はとてもうれしかったです。
Langelotti familyとは、今でも手紙やメール、そして毎年クリスマスプレゼントを送るなど、親しい関係が続いています。

そして、今年の夏は一ヶ月間イギリスに語学留学しましたが、国際交流をたくさん体験してきたおかげで、躊躇なく実行でき、
世界各国から来ていた留学生たちとたくさん友だちになれました。
「伝えたい」「分かり合いたい」という気持ちさえあれば、
日本人だろうと外国人だろうと関係ないと強く思えるようになりました。

外国に行ったり外国の人と話したりすることは、私にとって「普通」のことです。
これからも出会った人と、関係を続けていきたいと思っています。

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