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ヒー子からの手紙≪LNP30thXmas 会によせて≫ |
01月14日 (水) |
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中川P30周年おめでとうございます。本当にすごいですね! 30年もの間たくさんのラボっ子を育て上げた潤子先生は、もう人間ではないです。 魔女という噂があるもの頷けますね。 私自身があまり真面目なラボっ子ではなかったこともあって、 個性豊かでかつ大人の思い通りには成長しない数多くの子供たちをいつも暖かく見守り、 その未来を信じつづけた潤子先生の情熱は太陽よりも熱いのではないでしょうか。 その熱い気持ちはどのラボっ子にも伝わっていると思います。
ラボの思い出で印象深いのはアメリカでの1カ月のホームスティです。 何もかもがケタ外れに大きくて、目の前は見渡す限りの牧草地帯。 空港からホスト宅までの道中はまっすぐに延びたフリーウェイと牛くらいしか見えないという光景に 高校2年生だった私は映画の中に飛び込んだ気分になりました。 そして何より、言葉も満足にわからない私を家族の一員として受け入れ、 大切にしてくれたホスト・ファミリーとの出会いはそれまでの私の後ろ向きな生き方を大きく変えてくれました。 ただ周りの大人の言うままに動いてきたロボットが意志を持った人間に生まれ変わったように、 やりたいと思ったことは遠慮しないでどんどんやっちゃえ!という 「当たって砕けろ」精神を目覚めさせてくれたように思います。 そんな気持ちと潤子先生の強い後押しもあって、 翌年には1年間のアメリカ留学という夢をラボが実現させてくれました。 1カ月のホームスティがきっかけでまたアメリカで1年を過ごすことになるなんて、 本当に何事もやってみなければわからないものだと感じた瞬間でした。
ラボ留学0期生としての1年は様々な人に支えられ 涙あり、笑いありの忙しい1年となりました。 制服はなく、ロッカーがあって教科書はそこに置きっぱなしだし、 休憩時間は次のクラスに急いで移動したりお昼はカフェテリアで取ったりと 日本とはまるで違うアメリカの高校生活は毎日がワクワクするものでした。 そんな生活の中で強く感じたのが自分の考えをきちんと持つことの大切さです。 人がどう思うかではなく、自分がどう思うかということ。 同い年のアメリカの高校生はいつでもしっかりと自分の考えを相手に伝えることができました。 それがどんなに周りと違っていても。 そんな姿を間近に見ることで私もしっかりしなくちゃ!と思ったものです。
それから約20年、一児の母となった今ではラボ・ママとしてラボと関わり続けています。 子供の頃好きだった「ワフ家」を今度は娘と2人で聞いて楽しむなんて不思議な感じがします。 娘のラボを覗くと、何十年経っても変わらないラボの姿と、 年月を重ねて進化したラボの両方を見ることができて驚きます。
そんな姿に触発されてママ(&パパも!)同士でテーマ活動もするようになりました。 子供の時は好きじゃなかったのに、ママ同士で一緒にやるテーマ活動はビックリするくらいおもしろい! いつも笑い声が耐えません。そんなママ達の発表を見るラボっ子の目は毎回真剣そのもの。 ラボ・ライブラリーは大人になったからこそより深く楽しめるのかもしれません。
中川P30周年の今年は我が家にとっても記念すべき年となりました。 ホスト・ファミリーとしてアメリカから日本語研修に来たAlexという18歳の女子高生を 1カ月受け入れしたのです。年齢は離れていましたが、 小学1年の娘とAlexはとても仲のいい姉妹になりました。 2人は好きな食べ物や興味のあることが一緒で、私を驚かせました。 またAlexの自宅が私が初めてホームスティしたお宅と同じ州にあり、 車で2時間くらいの近さであるということも不思議でした。 人と人との出会いや結びつきには何か運命めいたものがあるのかもしれません。 そんな中で潤子先生と出会い、ラボと関わりながらここまで来られたことは大きな喜びです。
ラボに昔と変わらない情熱を注ぎ続けられる潤子先生は本当に素敵です。 これからもその素敵オーラを周りにどんどん発し続けていって欲しいと思います。 2008 12 28
   
H.Mさん(旧姓H.Uさん)(ヒー子)LNP入会は1975年、現在長女が、Wパーティー在籍中、 1986年1ヶ月のホームステイ(ワシントン州へ)1987年ラボ留学0期生(全国で2名のトライアルでインディアナ州へ) お母様は、LNPギースの会(中川Pナーサリーライム研究会)で活動中
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