子育ての場としてのラボ・パーティ |
03月31日 (土) |
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春のパーティ合宿がおわりました。今回は、こんなに自由時間が多くていいものかと思うほど、テーマ活動の練習やゲーム等の合間を自由に遊んでもらいました。考えてみれば、いくら自分を出せるラボ・パーティだといっても、全く自由に遊んでいる訳ではありませんし、その仲間と自由に遊べる時間を他に設けることは、忙しい子どもたちには難しいことです。「他のクラスの人とたくさん友達になれたのが一番うれしかった」というご感想もいただき、あまりにゆったりとしたスケジュールでどうだったのかと反省する一方、今の子どもたちには必要な時間でもあったかもしれないと感じました。
また合宿で深く感じたことは、お母様方が、本当に、よそのお子さんを我が子のようにあたたかく見守り、声をかけて下さっていたことです。パーティの子どもたちの名前が分かるようなものを作りたいというご意見もいただきました。ふだん舞台の上で素で発表している子どもたちの様子を見ているから、自然にこのようなお気持ちになられるのだと思います。複数の大人の目で子育てができる貴重な場だとあらためて感じました。
だから何か失敗をしたとしても、よそ事ではなく、なぜだろう、何が原因だろう、助けてあげたいと、たくさんの大人達が知恵をしぼりあえます。子育ての悩みもいっしょに励まし合いながら、言い合っていけます。学校よりも長い期間、縦割りで様子を見つめているからこそ、ひとりひとりの特性が分かった上で相談しあえるのです。
ありがたいことに、お母様方から「ラボ・パーティという場をおかりして、子どもたちを支え、育てていければと思います」「学校の先生や周りの大人たちとの関係が希薄な昨今、先生をはじめとするラボのテューターの存在は本当に有難いと思っています」などいろいろなメッセージをいただいています。
ラボは、本当に人と人とが、体をくっつけあって、動き回る場です。今の子どもたちには、こうした人間同士のぶつかりあいのようなところが欠けているようにも感じます。合宿の夜にも、「体全体をつかって表現することは、本当にすばらしい」というご意見をいただきました。
一般のお稽古事では考えられない、この集まり(パーティ)が、子どもたちのあらゆる感情や発散の場として、貴重な受け皿にもなっているように感じます。
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