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昨日はアメリカの感謝祭でした。日本ではハロウィーンほど有名ではありませんがアメリカでは、最も大切な行事のひとつです。では、感謝祭って何?実際はどうやってお祝いするの?ちょっとまとめてみました。
【What is Thanksgiving Day?】
1620年,母国イギリスを逃れ「メイフラワー号」に乗りこんでアメリカに新天地を求めて移住した清教徒の一団、ピルグリム・ファザーたち。1年ののち、厳寒の地プリマスでどうにか生き延びられたことと、彼らのアメリカでの最初の収穫に感謝して行った収穫祭が「感謝祭」の始まりです。いわばアメリカ合衆国の歴史的な記念日で、家族や親戚が集まって当時と同じご馳走を食べながら神様に感謝、ピルグリム・ファザーに感謝するのがこの日の慣わしです。(CELEBRATE WITH U.S.より)
でも本当は,荒野のアメリカで生きてく術、狩猟や栽培の方法を教えてくれたネーティブアメリカンに感謝する日のような気がしますが・・
【いつThanksgiving Dayが11月の第4木曜日と決まったの?】
初代大統領ワシントンのとき憲法制定を祝って、1789年に11月の最後の木曜日を「感謝と祈りの日」とすると云う大統領宣言が出されたました。その後、1941年11月26日に、Thanksgiving Dayを「11月の最後の木曜日」から「11月の第4木曜日」にし、国民の休日とする、という法案にルーズベルト大統領が署名、今日に至っています。
【大統領が七面鳥に恩赦するって?】~The luckiest Turkey in America.
ホワイトハウスでは毎年、Thanksgivingの前日に、大統領から七面鳥に恩赦が与えられます。これは、Thanksgivingに全米の家庭の食卓に上る七面鳥に対する感謝と罪滅ぼしのための式典として、トルーマン大統領の時に始まった行事です。57回目に当たる今年も、ブッシュ米大統領が、ホワイトハウスのローズガーデンで恒例の「恩赦式」を行いました。
候補に選ばれた七面鳥たちは、例年と違い、ローズガーデンでの儀式に備え、人に慣れるために、人の手から餌付けされ、15匹の最終候補の中から、選ばれた1匹と、「補欠」の1匹がワシントンに送られました。恩赦を受けた七面鳥は、バージニア州にあるフライング・パン・パークという農場に送られ、その後、丸焼きにされる心配をせず、幸せに暮らすとのこと。
ホワイトハウスの恩赦式の様子は↓
http://www.whitehouse.gov/holiday/thanksgiving/
【Here in America】
ここからは、アメリカ・ニューイングランド地方では実際どのようにお祝いしていたかを書きます。
ハロウィーンの大騒ぎが終わり、11月になると町中がサンクスギヴィングに向けて準備に入ります。感謝祭の当日の第4木曜日を含めた四日間はThanksgiving Holidayとして学校も仕事も休みになりアメリカ国民大移動で、ほとんどのお店も閉ってしまいます。 その前にアメリカ中の家庭はめいっぱい食べる物を買い込みます。
私が留学中お世話になっていた家庭には、当時、5才、7才、9才のこどもたちがいました。そのこどもたちは、真っ白いTurkey(七面鳥)を大切に育てていました。
そしてThanksgivingの前の日に、お父さんがこどもたちのいる前で、あろうことか大切に育ててきたそのTurkey の首をはね、しばらく逆さにつるして血抜きをし、その後みんなで協力して羽抜きをました。私はあまりの光景にことばを失いましたが、このことを大人(親)がどうこども達に教えていくのか、その一部始終を見ることがができたのが私のThanksgivingの何よりの思い出です。
お父さん(小学校の校長先生)は、おおよそ次のように語っていました。
「Turkey は、自分達(つまり人間)が生きていくために殺したのだから、人間の責任としてきちんと食べなければいけない。命は尊い。鳥も動物もひとつしかない命なのだ。その尊い命を受け継ぐ事によって自分達は生かされているんだ。そのことに感謝をしなさい。」と、こどもたちに丁寧に話していたのが印象的でした。
そう、スーパーでパックの中に入っている鶏肉のかたまりと生きて鳴いているニワトリが一致しない日本の多くの子供たちに足りないのは、こういう体験を通じた教育なんだと思いました。
でも、でもですよ~、その時の私は、目の前の光景に正直凍りつきました。あまりに残酷!首をはねられてもしばらく走り回る首なしTurkeyというものを初めて見て、さらにそのTurkeyに追いかけられて思わず本気で逃げてた私。なにか文化の途方もない違いも同時に感じました。欧米人ってやっぱり狩猟民族なんだな~と改めて実感し、農耕民族代表の私としては、ただもう事の流れを自分の中で消化させることに必死でした。
都市部では、Turkeyを飼うことも難しいでしょうし、もちろんすべての家庭でそうしているわけではありません。ほとんどはグロッサリーストアーに向かい、食肉コーナーに並ぶ冷凍のターキーの塊(5kg~10kgくらい)を一家の大黒柱のお父さんたちが真剣なまなざしで肉を持ち上げて重さをはかったり転がして形を吟味して、我が家の感謝祭の主役を選んでいきます。
七面鳥のほかに野菜、缶詰め、お菓子の材料、そのほか一年中で一番沢山ごちそうを食べる日の為に、たくさんの食料品を買い込んで準備していました。
11月の第4水曜日の午後からは、勤め人達が大急ぎで職場を後にしますので、その晩のインターステーツ(高速道路)は全米中で大渋滞になります。皆徹夜になっても故郷を目指します。
そして当日の朝、お母さんは下拵えしておいたTurkeyをオーブン にいれます。テーブルの準備をしながらターキーが焼き上がるとちょうどお昼です。
さあ!サンクスギビングディナーの始まりです。ディナーは正餐の事なので昼でもごちそうはディナーといっていました。もちろん、ちゃんと襟付きのきちんとしたお洋服に着替えて席に着きます。
こんがり焼き上がったTurkeyを切り分けるのは、一家の主の役目です。カ-ビングナイフを使って、しっとり焼けた肉を削いで皆に振る舞います。 ターキーのおなかにたっぷりつめこんだスタッフィング(細かくして味付けした野菜、パン、おコメなど)は肉汁が滲みておいしい付け合わせになります。ターキーには黄色い塩味のグレービー、またはルビー色の甘いクランベリーソースを かけていただきます。 そして、お待ちかねのデザートは、パンプキンパイ!
ハロウィンで使うカボチャは食べてもおいしくない種類のものですが秋になって出回るカボチャはオレンジ色でほくほくして、とてもおいしいです。ナツメグ、シナモン、それにジンジャーをおもいっきり効かせて甘く焼きます。
そのほかそれぞれの家庭での定番プティング(すごくおいしい!)やケーキ、ミンスミートパイやマシュドポテト、コーン、ビーンズ、ラデイッシュ・飲み物にフルーツ、あふれる程のごちそうを囲み、家族一同が食べ物を与えて下さった神様に感謝を捧げる、そういう祝日でした。
大勢でパーティ、というよりも遠くの家族が集ったり、普段会えない友人と共に家で過ごす、あたたかく、そしておなかいっぱいになる幸せなホリデイです。
ちなみにBig Dinnerのおかたつけは、男性の仕事になっていました。ゲストも含めた女性陣は、食事が終わるとワイン片手にアメリカンフットボールや各地のパレードをテレビで見たりお話に花を咲かせていました。その間、キッチンでせっせと後片付けをしているのが男性陣。それもとっても楽しそうに!
いいな~この分業制!! まさしくThanksgiving day!!!
アメリカの小学校で実際に作っていたTurkey の飾りを昨日のプレイルームで作ってみました。(こどもの手形をそれぞれとって、指の大きさに切った色紙を両面に貼り付けるだけです。)↓
羽(指)の部分に楊枝を貼り付け、そこにマショマロを刺して、感謝祭のお料理に飾っていましたが、プレイルームのこども達は「私だけのTurkey 」を大切に抱えて帰りましたー!!
♪Over the river and through the woods(感謝祭のソングバーズ)を歌いながら! Happy Thanksgiving!
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社会に向けてラボを発信する時に、いつもネックになるのが「テーマ活動」ということばだ。一般の人にはとてもわかりにくい。では、見てすぐわかるかというと、ごちゃごちゃしていてなおさらわかりにくい。説明を始めてもだいたいが長くかかりすぎる。そもそもこのゴチャゴチャがいったいどうやって言語習得に結びつくのか、ということも想像しにくい。テーマ活動を社会にどう語っていくか、どう実践していくか,私にとって相変わらず大きな課題だ。発表会が終わってちょっと(かなり)ホッとしたので、これから何回かにわたって、何でラボでは「テーマ活動」をしているのか、自分なりに整理していきたいと思う。まずは近況報告から~
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11月20日はラボ山梨地区テーマ活動発表会でした。山梨県内で活動する全9パーティ約250名がステージに立ち、笑顔満開。今年のオープニングは「一つしかない地球」をBGMに今年度国際交流参加者と留学生の写真をパワーポイントでスクリーンに映し出すことにトライ。(あ~もうスライドの時代は終わったな~と感慨深い。Special Thanks to Hiro!)その後7つのテーマ活動の発表と、0才~小1までのラボっ子が出演するナーサリーライム広場で構成。それを午後だけで行うのですから、見る側も、やる側も大忙しのテンテコマ~イ♪保護者の皆様もお客様も東京や長野からも駆けつけて下さったテューターの皆様も(遠路ご来場いただきありがとうございました。)さぞお疲れになったことでしょう。でも、でも、それぞれのパーティのテーマや年齢構成や特色が見事に生かされた魅力的な発表会、だったと、私は非常に誇りに思っています。ここに至るまでのお互いの努力は相当です。そのガンバリをちゃんと認めて心から賞賛を贈ってあげられるようなそんな見る側の態度も同時に育てていきたいと思っています。
さて、今年の間瀬パーティの発表は『ふしぎの国のアリス・ハートの女王』です。このテーマは、6年前の地区発表会で1度発表し、さらにオーディション~東京支部テーマ活動大会へ出場した思い出多い物語。その時、年長さんだった子が今や中1になり、見事な女王様に成長。その女王様の手を握りながらしっかりと発語していたミニ女王様は5才。ラボッ子のつなぐ手は未来へのバトンなのだとしみじみ思いました。
今年の挑戦はプレイルーム年代も含めた1才から19才までの超縦長グループでの30分英日のテーマ活動への取り組み。全体練習はたった4回(それしか時間がとれなかった)。ナレーションは3才からの挑戦です。複雑な動きや身体表現は到底かなわないので、あくまでも自然体。皆が年齢に応じてふしぎの国の住人として伸びやかにWonderlandを楽しみました。
で、今回改めて思ったのは、「気持ちはこめるものではなく、生まれるもの、わき上がってくるもの」なんだな~ってことです。「そのセリフはもっと、気持ちをこめて・・」な~んて、つい言っていた私。幼児も含めたテーマ活動の中でのやり取りを見ていると、「こめる」なんて問題外。楽しい思いも悲しい気持ちも、本当に感じているからこそ表現(おもてにあらわすこと)ができるんだな~って、ハッとさせられます。そしてその表現活動こそが言語習得の最も基本的な部分を支えていることを再認識させられます。
随分前に岡田陽先生(玉川大学名誉教授)の表現活動についてのレクチャーを受けた時に先生がおっしゃっていたことを思い出しましたので、少しでも参考になれば、と思いここに記します。
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『従来の表現教育は,既成の芸術ジャンルの概念にとらわれ、とかく形式的・技術的で表現の根源にある人間の内面活動(イマジネーション)に目を向けることをしなかった。表現とは「オモテにアラワス」と書きます。表にあらわすためには、内なる何かがあるはずです。自分の内面にあるイメージの世界を具体的な形象として外にあらわすことが表現なのです。日本古典の「徒然草」にも「おぼしきことを言わぬは、げにぞ腹ふくるる心地しける」とありますが、自分の思っていることを外へ表現するということは、昔から変わらぬ人間の本質的な欲求であることが分かります。』
『「表現」の目的は、歌がうまく歌え、絵がうまく描けることではなく、豊かな内面を持った人間を育てることにある。人は表現する事によって、内なるイマジネーションを活性化し、訓練する。表現活動の経験を繰り返すことによって怖れることなく勇気と自信を持って自己発揮する人間性豊かな個性の確立ができるのである。』『表現とは、個人の個性のものであり、教育とは、普遍化と個性化の二面があり、感情とは個人の生活経験の中で養われるものである。したがってこどもの表現を豊かに育てるためには保育者自身がすぐれた表現者でなければならない。魅力的で、エネルギッシュで、柔軟で、人間的で、創造的・・・こどもにとって保育者は何よりの環境―イメージをつくる仕掛け人なのだ。』
初めから自由に自己表現できる子どもは多くないものです。表現活動の経験を繰り返すなかで、自信を持って自分を表に現せるようになればいいですよね。そういう場と機会がラボ教育活動の中で、とりわけテーマ活動で実践されていることを私は誇りに思っています。
ラボは、「心の表現としてことば」を捉えている、そこのところがポイントです。現在の日本の英語教育の中でラボのテーマ活動は、言語習得の道筋をたどる最も優れた活動だと私は確信しています。だからこそ~どうかすべてのこどもたちにテーマ活動体験を!と願わずにはいられないのです。あ~、もっと、もっと社会に向かって発信していかなくちゃ!
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財団法人ラボ国際交流センター発行の会員向け機関誌(年4回発行)『ラボの世界』の9月号が届きました。
私はこの冊子が大好きで、いつも一字一句逃すまいと隅から隅まで熟読しては、妙にやる気マンマンになっています。
「10代とともにー」では、社会の第一線で活躍している専門家の方々が、ラボのこどもたちのインタビューに答える形で自分の子供時代を振り返りながら、夢を形にしていく過程で大切にしてきたことや現在の社会で求められている力を熱く語り、そしてこどもたちに向けて励ましのメッセージを贈っています。この機関誌の根底にいつも流れているのは、「本物に出会う」機会と「夢をもつこと」の大切さ、その夢をあきらめずに、実現できるように努力していくことがいかに人生を輝かせるか、ということです。大好きな事に出会い、夢中になり、その道を極められた方々の一言一言が、これから夢をかなえていくこどもたちに伝わればいいな~、ちゃんと読んでくれればいいな~って思いを込めながら私もこどもたちにこの冊子を手渡しています。
その大好きな冊子『ラボの世界』の裏表紙に間瀬パーティOBで現在、中学の英語教師をしているむつこさんの「現役ラボっ子に『贈ることば』」が写真入で載りました。(間瀬PのOBはまだそんなに多くはいませんが、英語の教師になって現役で活躍している元ラボッ子は2名います)
むっちゃん(いつまでたってもこの呼び方でゴメン!)は、所属していたパーティがなくなったため、中1の時から間瀬Pに毎週、御坂峠を越えて往復2時間以上かけて通ってきてくれた根性の持ち主。(遠いから通えない、なんてやわな事は言わなかった。それをサポートし続けたお母様も立派でした。高校生になってからは勉強も部活も忙しくなったけれどなんとかやりくりをしながら通い続けてくれたことを私は生涯忘れません!)
中2でカンザス州に参加し、高校の時にその時のホストを受け入れ、それから10年以上たった今もホストファミリーと家族ぐるみでお付き合いをしています。そのむっちゃんが国際交流から帰ってきた時、私に言いました。「私、英語がだいすきなんです。だからもっと勉強して英語が使える職業につきたいと思います。」(昔からとても丁寧な言葉使いだったむっちゃん!)
今、その夢を実現し、今度は自分がそうであったように一人でも多くの生徒に「英語を好きになってほしい」と思いながら教壇に立って奮闘しています。
むっちゃんの英語の発音は本当に美しいのです。『テーマ活動を通じて骨身にしみた発音、リズム・イントネーション、何より表現力は私の英語指導を支えています』(本文より)とあります。ラボで培った力がその子の未来を支えていると思うと本当に嬉しいです。それにラボ活動経験者が教員だったらきっと教室は笑いが絶えないだろうな~、そんな先生に出会えた子達はきっと英語が好きになるだろうな!って、想像しただけで幸せな気分になります。教師が変われば授業が変わる、授業が変われば生徒が変わります。日本中にラボっ子OBの教員が増えたなら、こどもたちにとっての学校が変わるかもしれませんね。
自分の夢に迷いがなく、やるべきことが明快に見えている子は幸せです。ラボのこども達は、一般に比べて自分の進むべき道を早く見つけていくように思います。それは、「幼い時から本物に出会う機会、憧れに出会う機会が圧倒的に多い」というのも大きな要因です。それにやはり十代初期に親元を離れて海を渡り1ヵ月もの間、異文化体験することが大きなターニングポイントになっていると思うのです。それまで見たこともない圧倒的に大きな空の下で、自分と向き合い、自分の限界を超えていく経験をそんなに若い時にするのですから、当然、「自分って何だろう」「自分は何がしたいんだろう?」って考えるでしょう。日本でだらだら過ごす時間とは質が違いますよね。 夢を実現していく勇気もきっとその時にたくさん培ってくるんだと思います。
9月号の『ラボの世界』には、熊本のOBで現在、東京大学で「地球惑星科学」の研究をされている科学者からのメッセージもあります。「国際的な視野とバランス感覚」はラボを通じて学んだそうです。
「ひとつしかない地球」をラボっ子のために作詞作曲してくれたThe Boomの宮沢和史さんは(山梨のラボっ子でした)、「美意識」を、ラボで培ったとおっしゃっていました。
ラボ創立40周年を前に、今、社会で活躍する元ラボっ子が増えていることは嬉しい限りですし本当に頼もしく誇りに思います。
現役ラボっ子はテレビで活躍する人がOBにいてくれることもとても誇れるようです。東京湾景やプライドに出演していた佐藤隆太君やオリコンチャート1位の175Rの何とかクン?!、今や時の人となった「楽天」の社長さんは、テューター子弟です。
(お母様は現役のテューター!←嬉しいな~)フォーチュン誌で「世界で注目される新人」として取り上げられた日本初本格的サイバーモールの創業者。7年で8000店舗を抱え、経常利益1000億円を次の目標にしている)まさに目指すは世界のオンリーワンでナンバーワン!
国連広報官として世界を舞台に活躍している妹尾靖子さんは、9月19日の朝日中学生ウィークリーで、ラボ活動で得たことについて語っています。
ずっと夢をあきらめないで! 夢に向かって歩いてほしい、そういうエールが先輩ラボっ子からたくさん発せられていることを、ラボのこどもたちや保護者の皆様やこのホームページをご覧になった方々に是非お伝えしたい、と思いました。
機関誌『ラボの世界』は、エールの宝庫です。ご家族でじっくりお読み下さい。冊子いっぱいに広がるメッセージをこどもたちがしっかりと受けとめてくれる事を心から願っています。
あ~またまたマジョマジョパワー全開で力はいっちゃいました。(笑)
長文日記最後まで読んでくださりありがとうございました!!
【ラボの世界】原文
http://www.labo-party.jp/now/wo/detail.php?MODE=NE&PAGE_ID=91"
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P.S.日記は公開していますがプリントアウトする場合には、是非一言お寄せ下さい。Thank you for your attention.
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ラボ・パーティに所属しているこども達のほとんどが、12歳~14歳で当たり前のように海外に旅立って行きます。そしてアメリカやカナダのもうひとつの家族の一員として丸々1ヶ月を過ごしてきます。
海外でのホームステイは、今では決して珍しいものではありません。自治体や学校、英会話学校、旅行会社主催の様々なホームステイプログラムがあります。ですが、さすがに1ヵ月出かけるとなると、一般的には驚かれます。
わが子が通っている中学でも、100%に限りなく近い数の生徒がいわゆる学習塾に通って英語も勉強しています。しかし実際に中学生年代でホームステイに出かける子はめったにいません。今夏、旅行以外で海を越えてステイした生徒はラボ国際交流参加者3名のみです。「ホームステイ」の言葉は一般化されていますが、かように中学生年代で長期に送り出す、ということは世間一般では今でもやはり特別なことなのだなぁと改めて認識します。
さて、ラボ国際交流出発前の様子は前回の日記でお知らせしましたが、8月20日オハイオ・ミシガン・カンザス・バージニアグループの帰国にあたり、お迎えに再び成田に行ってきました。
わが息子が他のカンザス仲間と税関を通過して、北ウイング出口から到着ロビーに出てきたときはさすがに涙がでそうでした。
少し日焼けしてちょっと大人びたいい笑顔だったので、ああ、良いステイだったんだなぁ、ってわかりました。
いろいろ話を聞くうちに、「英語は困らなかった。わからないことは聞いたし、ホスト(1才上)も弟(同じ年)もすごくやさしくて、バスケットのチームメイトもみんな、みんなやさしくて、自分のことを気にかけてくれて、みんなでよく裏庭のプールで思い切り遊んだ。最高に楽しいカンザスだった」そうで、Raid(ホスト)がこういった、 suzi(マム)が、こういった、といろいろ話してくれるのです。
で、私は非常に不思議に思いました。英会話のレッスンなんて全然してこなかったのに、なんで、わかったの?ってつい何度もしつこく聞いてしまいました。そうしたら以下の答えが返ってきました。
「同じような状況で同じような言葉が何度も出るのでそういう言葉は、すぐに覚えられた。
新しい言葉を最初に聞いたときはわからないんだけど、だいたいこういうことかな、って想像して、その次にまた同じ状況で同じことばが出ると、今度は自分でも使ってみると通じる、っていうわけ。」だそうで、
これって、母語を習得した時と同じ状況ではないかい、と、結構感動します。
でも、せっかく英語に慣れた耳があっという間に思いっきり日本語モードで宿題に追われてしまい、かわいそうな気もします。
ともあれ、
中1、中2で、アメリカの家族とちゃんとコミュニケーションをとり、仲良く楽しく暮らせる、という力は、
単に英会話が上手にできる、ということよりも、もっとずっと人間の総合的な力が必要なのだと実感しました。
一瞬一瞬、そのたびに考えどうするべきか選択をせまられ、決断し行動していく1ヶ月。
自分で問題をひとつひとつ解決していける力、他者や自分とのコミュニケーション能力、これからの社会ではさらに必要となっていく大切な力だと思います。
「何故、英語を学ぶのか」その動機付けがきちんとできた国際交流参加者の本当の意味での国際交流はこれからスタートです。
2004年の熱い夏の体験が参加したみんなの心に深くしっかりと焼きつき、さらに新しいことに挑戦していく勇気と自信につながっていくことを願っています。
は~また、長くなってしまった。
お待たせしました。やっと画像登場!!
お帰り~
カンザスグループ 到着!
嬉しくて思わず手ブレ!!
オハイオ第一グループ通関後、到着ロビーへ!
お得意、バディーチェック!
飛行機の中で書いた感想文回収~解散式1回目
(手前はカンザスグループ、奥はオレゴングループ)
この後、お迎え組みはお別れ。東京駅移動組みは、リムジンへ
~成田第一ターミナルを後にしました。
国際交流参加の皆さん、お疲れ様でした!
自分に挑戦した皆を誇りに思います。
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甲府39・9度!(いっ、息ができない~)観測史上(明治28年の観測開始以来)最高気温を記録。その熱い甲府から陽炎にゆれる中央高速をかっ飛ばし、灼熱の首都高速の渋滞にもめげずに駆け抜け、4時間かかってラボ国際交流参加者集合場所:成田ビューホテルへ!
これまた全国最高40.2度を記録した千葉。
高速を降りてホテルに向かう途中に撮影。見事な夏空。体感温度はもっと高かった!
フロントを抜けると吹き抜けになっているアトリウムガーデンがロビーから見下ろせます。右は結婚式用のチャペル。(こどもにはちょっと豪華すぎ?!の素敵なホテルです)
全国から送り出しの皆様!国際交流参加者集合初日(21日出発グループ~コロラド・カンザス・ミシガン・オハイオ・カナダ/プリンスエドワードアイランド・バージニアグループ)の集合の様子です。
受付でパスポートチェックを受けていよいよオリエンテーションの開かれる会場へ!左からOH(最大グループ96名!)/MI/KS/CO/VA/PEI,右手はお見送り保護者席
無事成田にたどり着けるかどうか、さぞご心配だったことでしょう。
北海道・東北地区~九州・沖縄各地からも皆、元気にやってきました。そして時間を追うごとにお友達づくりが活発に。さすがキャンプで鍛えられた面々。頼もしいです。(この規模で全6日間、次々に旅立っていくんですね~。9・11以降も毎年こうして1000人もの若者を送り出すラボの底力、スゴイと思いませんか?)
↑(財)ラボ国際交流センター常務理事の激励スピーチ
(今年は手短でとてもよかった!)
午後4:30には見送り関係者は退場しました。外に出ると熱風と陽炎でクラクラ。正面玄関前から目を細めて見上げるとちょうどノースウエスト機が着陸態勢に!成田空港のすぐ近くなので離着陸機が5分おきにすぐそこにやってきます。手の届きそうな距離!車の置いてある位置とそう変わらない。
湧き上がる熱気と飛行機の爆音に、これまでの忙しかった毎日がフラッシュバック!
間瀬P5人のアドベンチャー達。あんなに小さかった君達がよくぞここまで!!
さあ、いよいよ2004年一度しかない熱い夏のスタート。
この1ヶ月の皆の頑張りに期待します。
行ってらっしゃい!!!!
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ラボに出会えてよかった!!輝くこどもたちと数えきれないほどの感動の瞬間を共有できて本当によかった!と、心からそう思える20周年記念発表会でした。
私が目指してきたこと、これまでみんなと力を合わせてやってきたこと、これから共に歩んでいきたい道を感じ取っていただければいいな~と思っての初めての周年行事。その舞台は、「すべての子が光り輝くステージ」であってほしいと願ってやみませんでした。
高校生が一人と大学生年代が一人、あとは中学生以下で、500席の会場、総出演者120名を越える発表会をきっちり運営していくことにおける全責任が私に重くのしかかって、発表会直前は、前回の日記のような有様でした。それも全部自分がまいた種でして、企画力だけは妙にある が、段取りがいまいちの私の周りにいるラボっ子・保護者の皆様はさぞ大変だったことと思いマス。
しかしながら案ずるより産むがやすし。我がパーティの最年長ラボっ子(発表2日前に19歳になったラボ歴16年!)が、全てバイリンガルで格調高く(日本語も英語もとても美しく)司会をしてくれたおかげで、会全体がなんとも品のある趣で華麗に進行。
(私が司会をしたわけではないが自画自賛しています)
1才から小4までのラボっ子とそのすべてのお母様(お父様)も交えての発表も、とても「初めて」とは思えないほど堂々と実に活き活きと展開されました。なんたって大人が楽しそうで、それを見ているこちらまでウキウキしてきました。だいたいは、頑張っているこども達を客席から応援するパターンですが、今回は、こどもたちと同じステージで一緒に頑張る場にしました。それは、親子で一緒にテーマ活動を創りあげる経験をどうしてもして欲しかったからです。そしてテーマ活動を通じて何が獲得できるのか親自身が体感して欲しかったからです。
いずれにしても大好きなママやパパと一緒に発表できるなんて、なんてぜいたくで幸せなこども達でしょう。ステージに立つみんなの顔はとても誇らしげでした。
ナーサリーメドレーも総勢17組、各ファミリーごとにステージで発表。まさしくその子だけのOn the Stage! 1才だってしっかり舞台で歌えちゃうのがラボっ子のすごさ!
段階を経て成長していく姿を随所に感じていただけたらいいな、と、ラボ歴4年~16年、そして10年以上前に卒業した元ラボっ子たちは、とっておきの写真をスクリーンに写しだして「自分にとってのラボ」を舞台で語りました。万行パーティの素晴らしい激励発表や20年の重みを実感したOBによる「バベルの塔」と、そっくりの「私」まで登場する「かぶ」。感動の嵐で胸がいっぱいでした。
パーティ一期生のラボっ子たちが、ちゃ~んと残っていてくれたこと。発表によせて遠くから前日に駆けつけて合宿までしてくれたこと。20年経っても、「先生、だ~いすき」って文集や寄せ書きに書いてくれたこと、うれしくて嬉しくて、涙がこぼれます。
ことばは、人と人の関わり合いの中で育っていくもの。その関わり合いが深く豊かであればあるほど言葉もまた豊かに育まれていくものだと思います。英語を学べる教室は星の数ほどあれど、人間同士の深い絆と信頼関係がしっかりと築けて、しかも何十年にもわたってそれを育んでいける英語教室はそう多くないでしょう。「心に響く英語力」を獲得するには、人間同士の深い関わり合いがどうしても必要なのです。
ラボのテーマ活動は仲間との共同作業。その過程で精神を鍛え、心をかよわせ、お互いの魂をだきしめあえるほどに同じ瞬間を生きます。そしてその仲間に私もいれてもらえることの幸せを実感します。
「教え、教えられる関係」だけだったら、こんなにもあふれる思いを共有することはできなかったなぁと、そこが共に育ち合っていけるラボの大きな魅力だと実感します。
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当日の写真がまだ取り込めないので、前日のリハーサルから
「なよたけのかぐやひめ」~静かな時間が流れます。
が、実は「背筋を伸ばしてェ~」とわたしの雄叫び!
とても雅やかにはなれないなァ~!!
その横で、発表会の準備に忙しい「母の会」
間瀬パーティ20周年発表会に寄せて多くの皆様のご協力をいただきましたことをここにあらためて感謝申し上げます。また、この、[ひろば@LABO]でいただいた、たくさんのあたたかいおことばを大きなエネルギーにかえて、また今日から新しい一歩を踏み出したいと思います。
ありがとうございました。
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動悸・息切れ・めまい、、毎日1000メートルを全力疾走しているみたいで、胸の鼓動が止まりません。(本当に止まってしまっては困りますが、、)ドキドキが日増しに強くなって、心臓が筋肉痛です。
あと5日。本当に発表にたどり着けるんだろうか?と、夜中に突然目が覚めます。あ~、眠れない日々です。4つのテーマ活動同時進行は身体に悪いです。体力はほぼ使い果たしましたので、あと、できることは、、
祈るのみ!どうか、誰も休みませんように。とどこうりなく進行できますように!みんなが、「楽しかった!」っていえるような、心にあったかい思いが広がるような、そんな20周年になりますように!
一昨年まで地区発表会で使っていた会場を単独パーティで回せるか、ドキドキします。でも、受付と音響・照明ブースはお母様方が担当してくださることになりました。心強いです。「なよたけのかぐやひめ」を除く前半の発表は、プレイルーム~小学低学年の全ての親が加わっています。(本当はお母さんだけのテーマ活動にしたかったんだけど、、、無理でした。次回、目指します。おそるべしまじょまじょ!)ナーサリーメドレーはそれぞれ親子単位で発表します。
テーマ活動もナーサリーも、こどもだけのものではなく、親が関わることの大切さを実感してもらうことを目指します。他のお母様方が見てくださり、刺激を受けてもらえたら、【山梨ラボママひろば】が開催できるようになるかな=いつか、パーティを越えたラボママの発表を地区発表会で、できるといいなって思ってます。(野望?無謀?いや、希望、展望デス)
入会間もない方は、「よもや、こんな展開になろうとは・・」っと、さぞ驚かれたことでしょう。ラボって何?みたいな時に、え”~~~母もステージに立つのォ?~~?木や川や風になんて、どうやればなれるのよ~?えッ~~タペストリーも作るの~?!へっ?文集も?→益々、「ラボっていったい何ぃ~~??」になったか、急速に理解が深まったか、、、聞くのもちょっと怖いので、このまま当日に突入します。
考えてみたら、ふつうの塾や習いごとでは、こんなことはありえないわけで、、、十年も前に卒業した子たち(もうパパやママ!)も、OB発表のために集まってくれるし、ナーサリーメドレーの音源がうまくつなげられない、っていえば、ラボパパが助けてくださるし、、私一人の
力はたいしたことなくても、みんなの力と思いが集まるとすごいパワーになるんだと改めて実感します。
本当にラボはあったかい!
多くの出会いは人を育てますが、それはたくさんの感動がそこから生まれるからですよね。
~~~高鳴る鼓動!湧き上がる熱き思い!!さあ、あともう一息!
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春は大忙し!日記も2ヶ月近く更新できなかった。この美しい日本に生まれて生きているのに、生命の息吹も美しい花々もじっくり楽しむ心の余裕も時間の余裕もなく、ただ毎日をあわただしく過ごしてしまうにはあまりにもったいない。
あんなに待ち遠しかった春が行ってしまう前に、せめてここに春をとどめておきたいと思う。
・・・・・・
毎週土曜日、甲府から40分かけてに塩山(えんざん)の出張パーティに出かけて5年目の今年、初めて有名な慈雲寺のしだれ桜を見ることができました。
慈雲寺は暦応年間(1338~1341)に夢窓国師によって開かれた禅寺で、樋口一葉の文学碑があることでも知られています。(「たけくらべ」や「にごりえ」で知られる明治の女流作家・樋口一葉のことは、がのさんの日記にも登場していますが、一葉の両親が塩山市中萩原地区の出身で、父はこの慈雲寺で学んだことがあり、江戸に出てからは徳川幕府につかえ、明治になってからは東京府庁に勤めていたそうです。一葉は短い二十四年の生涯の間、結局一度も塩山の地を訪れることはなかったようですが彼女の作品には、しばしば塩山の地名や風情が登場することからその思いを尊び、慈雲寺境内に一葉の文学碑が建てられたそうです。このたび女性として初めてお札に登場することもあり、一葉の像も新しく建てられていました。)
境内にあるしだれ桜は、樹形の美しさで県内屈指とされる銘木で、樹齢300年。市指定天然記念物になっています。
糸が垂れるように淡い紅色の花を咲かせることから「イトザクラ」とも呼ばれているようです。
↑同じ日、4月10日の塩山クラスのテラスからの眺めです。
桃の花で、一面がピンク色に染まり、その美しさに言葉を失いました。山梨は4月上旬、平地から丘陵へと桃色のじゅうたんを敷き詰めたように鮮やかな色に染まります。
ラボを終え、塩山から甲府に戻る途中、甲府盆地を望む。
夕方になってしまい、光線が少なくかすんでいますが、一面に広がる桃色が見えるでしょうか?
4月上旬から中旬にかけて、雪をいだいた南アルプスの山々を背景に、すももの白い花と黄色い菜の花と桃のピンクの花が同時に咲きますので、まるで花園のような美しさです。
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このひろば@で迎えた初めての春。全国から素敵な花の便りが寄せられるたびに、すぐにそこに飛んで行きたい衝動を抑えるのに必死でした。
ラボ・テューターって、毎日とても忙しいけれど、「五感を磨く」ことを怠っては生きてはいけない、と、しみじみ思います。せめてGWにはゆっくりと「命の洗濯」をしなくては、、感性豊かなラボっ子に太刀打ちできなくなっちゃう!!!!
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3/5は、嬉しい日でした。いっぱい嬉しいことがありました。ひとつは、20周年記念に向けてラボママ「アリスの会」が動き始めたこと。総て出張パーティの私はいつも忙しく動き回り、なかなか自宅にお招きできなかったのですが、今日初めて違うグループのママたちを交えてのつどいが「我が家」で開催できた記念すべき日となりました。 実は、周年行事をするのは初めてなんです。このひろば@でも「5周年記念発表会!」とか出ていたりするので、すごいな~って思っていました。
ラボは日常パーティ以外にもたくさん行事があるので、なにかパーティのイベント日程を決めるのも一苦労。支部の交流会の日を除き、地区行事を考慮し、様々な学校に通う中高生の試験や部活の大会の日程を考えに入れ、さらに希望の会場を確保し、単独で発表会を開催するなんて、とてもじゃないけど私にはできないな~って思っていたので、なかなか周年行事に取りかかれなかったのです。
それでもさすがに20周年。やっぱり、なにか自分の中でも正面から取り組みたいと思うようになりました。ここまでラボを続けられたのは、偶然にしろ私に出会ってしまったこどもたちやそのご家族の皆さんのお力があったからこそ。その出会いのひとつひとつが本当に素敵で、このうえなくあたたかい輪が広がっていることをありがたく幸せに感じています。そして今の私にできることは何だろう?って考えた時に、一緒に活動しているラボっ子一人一人に光り輝く場とチャンスをつくることだ、と思いました。これまで我がPを支えてくれた(もう大人になってしまった)みんなと、今、頑張っているラボっ子が同じステージに立って、未来へのバトンをつなげたらと思います
6月13日(日)山梨県立文学館講堂で「間瀬パーティ20周年記念発表会」を開催します。なにしろはじめてなので試行錯誤は覚悟のうえ。でもあったかい会になればいいな~って思います。(がんばれまじょまじょ!がんばれラボっ子!)
二つ目に嬉しかったことは、今日の私のお誕生日を覚えていてくださったお母様方がサプライズパーティを開いてくださったこと。
↑こ~んな素敵な手作りバナーと
花束と手作り寄せ植えとケーキやお赤飯でお祝いしてくださったことです。涙こらえるのに必死でした。
(あんまり嬉しかったので思わず写真に撮り、しっかりUPしちゃいました!)
そしてもうひとつは、今日、新しい命が誕生したこと。今日の母の会に出席予定だったラボママに、朝、男の子が生まれたのです。ともえママにとっても一生忘れられない日になりますね。
~春。新しいことが始まる予感。さあ、動きださなくちゃ!
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近所にセスナ機が墜落!私は昨夜墜落現場のまさにその駐車場でピアノ教室に行くわが子を降ろし、又お迎えをしていました。毎日通る道沿いに一列10台ほどがやっと止められる小さな駐車場です。今朝も幼稚園正課があり、その時間そこを通るはずでした。プリンターの調子が悪くてもたもたしていたら、停電。セスナ機の主翼が送電線を切った瞬間だったことを知ったのはお昼過ぎにプリンターを運び込んだ電気屋さんでネットニュースを見て。鳥肌が立ち吐きそうでした。自宅から徒歩5分のところです。国立附属幼・小・中学校・国立病院・公務員宿舎・一戸建てが密集している場所で、住民や通行人を一人も巻き込まなかったのはまさに奇跡です。でもセスナ機に乗っていた3人が亡くなりました。
いつ、どんなことになるかわからない人生を思う時、後悔のないように生きなければ、と思います。(毎日、後悔だらけなので、、、)
~本題です。前回、雪かきで時間切れになってしまった部分を今日は頑張って書きます。2時間休みなしに語ってくださった講演内容をつぶさに再現することは難しいのですが、このページを読んでくださっているあなたに、国際化時代を生きるこども達をお持ちの皆さまに、そして留学中のラボっ子に、できる限りお伝えできればと思っています。(もしかしたら聞き間違いや落としていることがあるかもしれませんので、気づいた方は是非校正お願いします!!!)
6、心のやさしさ
~If I wasn’t hard, I wasn’t be alive. If I couldn’t ever be gentle, I couldn’t deserve to be alive.(チャンドラー/プレイバックより~強くなければ生きていけない。しかし優しくない男は生きるに値しない)
・人には優しく!悪いところをけなさない
・相手へ気配りができる人に!日本人は善意はあるのだけれど、表現ができていない。
・先生が親切であるかどうかで、こどもの性格はずいぶん変わる~教育が人生を変える
7、ほめることは伸ばすこと
~アメリカは誉める文化・日本はあらさがし文化
・よいことをみつけて、きっちり褒める。
・名監督は、一日一回必ず女優をほめる。どこでほめるかいつも見ている
・褒めることで人生が変わる ~本人の実力はさることながら、周りがそれをどう受け止め、どうほめてあげるか
*褒め方のコツ→できるだけ簡潔に!「さすがだね」 しかる時→「きみとしたことが・・」
8、余裕のある人生
・もう少し余裕を持って生きよう!~「空海」「良寛」「一休」日本人に人気
・屏風(びょうぶ)人間たれ~一つだけでなく、いろいろもっていると倒れない
~家族があり、仕事があり、好きなことがある人生に!
9、礼儀と品位 ~Guts, Grit, Gumption and grace~
・アメリカで成功する4つのG・・Guts(根性) Grit(度胸 )Gumption(積極性)Grace(優雅さ)
~アグレッシブであると同時に品の良さを身につけさせる。
品位がないと超一流にはなれない
・「朝晩のあいさつ」「ありがとう」は、礼儀の基本 ~アメリカ人は日本人の5倍は「ありがとう」を言っている。
・お土産や高価なプレゼントより、センスのあるThanks Cardを!
~日本人は手土産は忘れないが礼状はない。結婚式にお祝いは出すが帰った後感想は誰も寄せてくれない。講演をしても、拍手はあるが感想を述べてくれない
10、幸福とは何か ~H=((M+2P)÷D+2F+h)h'+2S+D
H=Happiness (幸福) とは、M=Money(お金) と 2P = Position (人に言ってもはずかしくない自分の仕事)とpopularity(人気/どんなに偉くなっても人気がないと幸せとはいえない)を足して、D = Desire(欲望)を割ったもの(50万のお金を得ても、まだ50万かと思うか、50万も!と思えるかでしあわせ度は変わる)そして、
2F=Friend とFamily(良い友人と良い家族)とh=hobby(趣味)を足をたしてh’=healthy(健康)をかける。(どんなにお金があっても欲望を満たしても健康でなければ幸せとはいえない)
さらに2S=State(良い国家)とSociety(良い社会)があり、
D=Disposition(幸せと思える気質)があること。Dは、Destiny(運命/出会い)あるいは D=Dream(夢)とも言い換えられる。
★幸せな人とは、自分を幸せだと思える人のこと。人生は出会い。どんな人に出会ったかで人生は大きく変わる。死ぬ時に自分の人生は満ちたりていた、悔いはない、といえるような人生を送ろう!
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