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0705
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〔5〕宇宙からの客人、“脚長おじさん”
    ――――ザトウムシとレンゲショウマと… 

夏の終わりにはレンゲショウマを見に行くのが習わしになって数年になる。
今年は8月25日、急にしのびよる秋の気配に背中をおされて
友人と奥多摩・御岳山へ、森の下の小さな妖精たちに会いに行ってきた。
レンゲショウマについては、この「ひろば@」で
何度か紹介したように思うが、そのつつましやかな気品と清潔さ、
自身の美しさも知らぬげに、うつむいて恥じらう乙女のような
その愛らしさが好きで、わたしのパソコンの背景画面は一年じゅう、
数種類のこの花の画像で飾られているほどだ。

lenge003

さて、今年はこの山で、とんでもない生きものと出会ってしまった。
数年ここに通っているのに、これまではまったく気づかずにいた。
みなさんは、小さなこんな生物のこと、ご存知でしたか。
よほど注意していないと見られないが、それと気づけば、
いるいる、あっちにも、こっちにも。
あざやかなオレンジ色をした、頭と足しかない生命体。
クモのようでクモじゃない、「脚長おじさん」Daddy Long Legs
と呼ばれることもあるらしい「ザトウムシ」、または「メクラグモ」。
どうでしょうか、SF的といえないでしょうか。

zatoh008

レンゲショウマの群生する傾斜地から武蔵御嶽神社へつうじる小径には
うっそうたる杉木立が、ひんやりとした湿気をふくむ夏の濃い影をつくっている。
手つかずの自然が深呼吸して気持ちよい風を生む空間。
その十数メートルの小径と崖をかぎる垣のうえの、
あちこちに豆つぶが動く。いやいや、豆つぶどころか、米つぶ、
いや、その半分ほどしかないオレンジ色の生きもの。
クモの仲間なら、頭胸部と胴体がはっきりと分かれ、
カッコよくくびれているが、そうはなっていない。
どうやら、クモの類というよりはダニの仲間に近いようだ。
(じつは、ホンモノのダニも見たことはないが)
何よりの特徴は、頭も胸も胴体もいっしょになったような粒から
にょっきり出ている、途方もなく長い四対の脚。とにかく不自然なほど長い。
測ったら、おそらく10センチくらいはあるのでは。
しかもそれらの脚は髪の毛よりももっと細い。
中でもそのうちの2対はおそろしく長く、これを触覚のように使っている。
そんな細さで、その先端まで神経が通っているなんて考えられるだろうか。
そうなんです、写真に収めてやろうとレンズを向けると、
アレレッ、いない! その長い長い脚を使って、信じられない素早さで
かげに隠れる。その動きはまさに宇宙生物の歩行だ。
横浜開港150周年記念博で登場して評判になったフランス製のクモのお化け、
ナント市からやってきたENEOSラ・マシン、人智を尽くしてこしらえた
あんなものは鼻先でフン! と笑いのめすほどの、自然でスムーズな動き。
クモの気持ち悪さはなく、どこか、ヒョウキンでおもしろい。

寡聞にしてその生態については知らない。どんな分布になっているのだろうか。
口がどうなっているのか、目はどこについているのか、
ルーペをあてて見るという状況にはなく、ただの通りすがりの風狂人には
それ以上のことはわからない。なにしろ初めて見る生命体なのだから。
「おまえなあ、なんのために生きてるんよ」「何がおもしろくって
こんなところに生きてるんよ」と問いかけても、むろん応えはない。
どうやら雑食性で、アリなどの小型の虫の死骸や
キノコのようなものを食べるらしい。食べるといったって、
あんなに小さな個体。宇宙のガスを吸って生きる仙人のような。
それでもこの地球に生きる仲間なんだね、おまえさんも。
おたがい、生きてても、そんなに世間さまの役には立ちそうもないが、
せいぜい仲良くしようぜ。
雨にも風にも負けず、長生きするんだな。〔2009.08.26〕



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〔4〕イノシシ(猪 豕 亥)
    ――小さい命、弱い命、みんな同じ命、かけがえのない命      

  日本人のイノふ(胃の腑)を満たし、イノち(命)をシジ(支持)したイノシシ

― 庶民がお肉を食べられないのは、いつまで続いたのですか。
― 正式に肉食解禁になったのは明治5年(1872)です。明治天皇ご自身が肉食を奨励し、それを禁じるのはいわれなきことだ、としています。この天皇はフランス料理がお好きだったそうですから、それにはお肉が欠かせないですものね。
― ずいぶん長くつづいたのですねぇ、肉食禁止令は。
― でもね、いつだって人はいろいろ知恵を働かせるものです。実質、江戸時代には肉食は復活していたようです。肉はご法度だけれど魚ならいいじゃないか、と、イノシシのことを「ヤマクジラ」と呼んで食べていたといいます。魚類なら問題ないじゃないかという発想。獣類、すなわち哺乳類の捕獲とそれを食糧にすることが禁じられていたわけですが、その当時はまだ、クジラといえば魚の一種だという認識で、それも哺乳類だとは庶民は知りませんでしたので。小夜ちゃんは知っていましたか? 哺乳類ですよ、クジラは。
― したたかな江戸庶民の知恵。こう見てきますと、食べることが社会の文化を推し進める牽引車になっていたような…。食欲はどんな理不尽をも腐食させてしまうバクテリアみたいなものですね。
― はっは、バクテリアのような貪欲な食欲。生物発生以来、食べること、子孫を残すこと、…突き詰めれば、生きものの関心はそこに行き着きました。肉を食するようになった人間も、その例外ではありません。古代より狩猟がさかんにおこなわれていたことはよく知られています。4000年前にはもう、野生のイノシシを食用のブタとして家畜化していたようですよ。飛鳥時代のことが書かれた「播磨風土記」には「猪飼野(いかいの)」のことがくわしく記されています。天皇からこの地を賜ってイノシシを放ち飼いにし、育てあげたその肉を献上した、とあります。天皇に限らず、肉はだれにとっても重要な食糧源、主要な蛋白源だったのでしょうね。

日本人とイノシシ
― 古代の人が食べたお肉といえば、イノシシだったのですか。
― 縄文時代のことを文献で見ると、狩猟はイノシシとシカがほとんどでした。とくにイノシシは食肉の3分の2を占めていたとあります。
― 地方によっては、シカのことをシシということがありますね。宮澤賢治の「鹿踊りのはじまり」は、シカではなく「シシ」と読んでいます。
― イノシシを狩ることが多かったのは、それが田畑を荒らす害獣だったことにもよります。大事な作物を食い荒らしてしまう憎っくいヤツでもあった。
― 害獣ですか、イノシシは? 害獣、…イノシシ年生まれのおかあさんには、このこと秘密にしておいたほうがいいですね。去年、おとうさんと京都へ行ったとき、狛犬のかわりにイノシシのオスとメスが向かい合っている神社がありましたね。イノシシを悪い獣ではなく神聖視する人もいたのでは…。
― そうそう、小夜ちゃん、よく憶えているね。和気清麻呂(わけのきよまろ)を祀る護王神社の拝殿前にあったもの。ほかの神社にはイノシシの狛犬は多分ないと思いますね。道鏡の策略で遠い大隈(鹿児島県)に流された和気清麻呂。途中で道鏡の放った刺客に命を狙われますが、そのとき300頭のイノシシが現われて清麿を守り、宇佐神宮まで導いたという故事にもとづいて、土地の人がイノシシを祀ったとされています。
― いろいろありがとう。明日から新学期。もうお休みしますね。今夜はイノシシの夢を見るかしら。 (コント「小夜とともに121」より抜粋



◆イノシシの民話をたずねて
〔みかんさん/2007.10.01〕
>イノシシが出てくる話は『十二支の話』しか、思い浮かびません。それも、主体なキャラではなく、登場人物の1人(一匹)という存在ですが。ブタも日本の話(民話)には出てきませんよね~!?
     ----------------------------
 どうしてなんでしょうねえ、その後わたしもいくつかの昔話の本を探ってみました。大和の伝説にもない、それなら古くから狩猟が盛んにおこなわれていた奥羽地方の民話ではどうかと見当をつけて、「羽前の昔話」(稲田浩二監修、武田忠編、日本放送出版協会刊)をつぶさにあたってみました。雀、猿、兎、田螺(つぶ)、いたち、鼠、蛙(びっき)、狼、狐、犬、蜂、牛、猫、蟹、(かまいたち)、…などなど、さまざまな動物、それに鳥類と魚類が登場しますが、イノシシも豚もひとつも語られていません。ほんと、どういてなんでしょうかねえ。
 「猪」の字の入った姓の知人をみかんさんも何人かお持ちではありませんか。猪瀬さん、猪岡さん、猪野さん、猪俣さん、猪熊(葉子)さん(児童文学者)、…ずうっと、ずうーっとたどっていけば、この人たちのご先祖はどこかで猪との関係にぶつかるのかも知れませんが、それぞれ、荒っぽい「猪突猛進」にも「イノシシ武者」にも「手負いのイノシシ」にも似つかない、静かな、思慮の深い、抑制の利いたすばらしい人たち。土地の名前にも「猪」の字を見ることがよくあります。

 「豕(イノコ)を抱いて臭きを知らず」という格言をご存知でしたか。イノシシまたはブタの古称がイノコ。どうもいやな臭いのする存在ということになっていたようで、自分の欠点や醜さというものは、自分ではなかなか気づかないものだ、こころせよ、ということでしょうか。耳が痛いですね。


◆萬葉集にみるイノシシ
 古来、日本人には親しかったはずのイノシシ。その肉は「ぼたん」と呼ばれて珍重されたし、イノシシの子を「ウリボウ」と呼んで親しんだり、姓名にも知名にもなっているのに、それがどうも、物語としてはどうやら伝わっていないことがわかりました。いや、ご存知という方がおいででしたら、ぜひお教えくださいませんか。
 萬葉集にこんなのがあります。ちょっとオトナの時間です。

   妹をこそ 相見て来しが 眉引きの 
     横山辺(よこやまへ)ろの 猪(しし)なす思へり
  ―3531

あの娘に逢いにきただけなのに、(眉引きの)横山辺りの猪のように思いおる、ちくしょうめ! といったところでしょうか。夜這いに来た男を害獣のイノシシのように嫌って追い払ったのは、娘自身か、それともその親か。あわれな男よのう、おぬしは。また、こんなのもあります。

   心合へば 相寝るものを 小山田の
     鹿猪田(ししだ)守(も)るごと 母し守らすも
  ―3000

(娘と)心さえ合えば(合意のうえなら)共に寝てもいいはずなのに、小山田をよく荒らしにくるイノシシを見張るようにして、おっかさんがきつい目をして番をしているからなあ、というわけ。まあ、見込みなしだよ、おまえさん、あきらめるんだな。〔2007.10.02〕

◆亥の子祝いと十日夜
 九州・熊本にお住まいのみかんさんなら、「亥の子祝い」という西日本の農村部にひろくおこなわれてきた習俗をご存知でしょうか。陰暦の10月の亥の日におこなわれる刈り上げ祝いの行事で、あらゆる病気を追い払い、家内安全、そして、イノシシの多産にあやかって子孫繁栄を祝うもの。夕闇が迫るころ、子どもたちが家々の庭を石で搗いてまわり、都度、門口でお金やお菓子などの祝儀をもらい受けるといいます。石は4~5キロもある円形の重いもので、上には御幣が結びつけられ、石のまわりには縄が巻かれます。そこから何本もの縄が出ていて、それを子どもたちが一本ずつ持って四方八方に張り、リーダーの掛け声に合わせて上げたり降ろしたりするらしい。“よいとまけ”の要領かな? わたしは、山口や北九州で幼児期~青春期をすごした愚妻から、このときに歌われる「亥の子唄」という子どもの歌を聞きました。

  亥の子亥の子/えびす大黒さんという人は/一に俵をふんまえて/
  二にニッコリ笑って/三に酒つくって/四つ世の中よいように/
  五ついつものごとしに/六つ無病息災に/七つ何事ないように/
  八つ屋敷を広めて/九つここに蔵をたて/十でとっくり納めた/
  繁盛せえ 繁盛せえ/○○のうち 繁盛せえ


祝儀をくれなかったり、少なかったりすると、最後のところは、

  貧乏せえ 貧乏せえ/○○のうち 貧乏せえ

になるというから、こりゃあたっぷり祝儀をはずまないとひどいことになりかねない。子どもたちは夜更けまでこうして各戸をまわり、最後は当番の家に集まって「亥の子餅」とさまざまなごちそうをたべ、その晩はだいたいの者がそこに合宿して一夜を明かす。事実は、朝までわいわい騒いで眠らない場合が多いそうですが。
 これって、関東地方や中部地方で陰暦10月10日の夜におこなわれてきた「十日夜(とうかんや)」の刈り上げの行事と同じ趣旨のものでしょうかね。この日は、田の神が稲づくりを終えて山に帰る日とされ、関東地方では、石でなく、わら鉄砲と呼ぶ藁を束ねた太い棒状のものを地面にトントンとたたいて各戸をまわります、“トーカンヤ、トーカンヤ…”と囃しながら。からみ大根につけてお餅を食べるのが慣わし。当屋にみんなで泊るのも西日本の習俗と同じですね。〔2007.10.02〕


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〔3〕どじょうのこと、どうしよう

目が合ってしまった。「どじょっ子だ~の、ふなっ子だ~の」と思わず口ずさんでしまいました。〔シュークリームさん 06.07.09〕

⇒どじょうと目が合ってしまった! どうしよう、どじょう…どうしのような気分でどうじょうがわいて、どうも、どうも、とドジなごあいさつ。…なんか、目に見えるよう。

どじょっ子とふなっ子の目線で歌っているのがなんとも、ほほえましいですね。私たちが忘れてしまった、大切な視点に気づかされます。童謡を通じて、日本の風土、文化を伝えましょう! その逆バージョンを、私たちはナーサリーライムでやっているんですものね。〔シュークリームさん 06.07.09〕

⇒長く歌われてきた童謡のなかには、わたしたちのこころのなかにある日本の原風景があります。こういう純良な日本のすがたを海外のひとに自然に伝えていけたらすてきじゃないですか。素朴な美しい童謡がたくさんあります。山梨のまじょまじょさんがそうしたわらべうたを英語にしてうたう活動に久しく取り組んでおられますね。

なんだか、どじょっ子とふなっ子と目が合ったことで、とてつもなく大切なことを感じ、学んだって気がします。忘れられない一瞬になりそうです。〔シュークリームさん 06.07.09〕

⇒ハッハッハ。運命的な出会いの一瞬! ところで、シュークリームさんの甘い目で見られたどじょうくん、それこそ、どうしよう、どうしようと、目をまわして卒倒などしませんでしたか。
 わたしも、じつは、地元の川の美化運動の一端をになって活動しております。子どもが遊べる川、ホタルが舞い飛ぶ川をめざそうというのですが、コンクリートで固められた深い川は、今更どうすることもできないでいます。せいぜい年に二、三回、ヴォランティアをあつめて川に入り、掃除をしたり、汚さないように呼びかけたりするていど。一度毀してしまった自然はなかなか戻りません。そちらでは校区をあげての活動に広がっていて住民の意識は高い様子。うらやましいです。
 川は、水は、子どものもっともかわいい、もっとも飾りのない、天真爛漫な表情を遊びのなかで引き出してくれるものなのですが。
          ☆
 どじょうには「泥鰌」という漢字があてられていますね。
 「でいしゅう」がどうして「どじょう」となるのか、よくわかりませんね。旁(つくり)の「酋(しゅう)」は「酋長」と使われることがあるように、ある社会のカシラ、チョウ、おさ、の意味ですから、どじょうとは泥土のなかにすむ魚のうちの「おさ」ということになりますでしょうか。シュークリームさんは、その偉い「おさ」のご挨拶を受けるという名誉にあずかったというわけ。「パパラギ」を語ったツイアビ酋長のような存在?
 どじょう(土壌)を荒らし、としょく(徒食)をむさぼる、どしょうぼね(土性骨)もない人間に、やたら川をとしょう(渡渉)するでない、とその「おさ」に諌められたとか、諌められなかったとか。
 また、この「酋」には、強い、勁さ、美しさ、といったニュアンスがあるように思います。「遒(しゅう)」は「遒逸(しゅういつ)」(文章に力があり、すぐれている)、「遒勁(しゅうけい)」(筆の力に勢いがある)などと使われますし、「蝤(しゅう)」となると、虫の大将ということなのでしょうが、これはキクイムシのことですって。木のシンを食って枯らしてしまう困った虫。ですが、色がみごとにまっ白なことから、絶世の美女のたとえにも使われるとか。古代中国・越の傾城の美女・西施のような、たおやかな女の人かなあ。象潟(きさがた)や 雨に西施が ねぶの花〔06.07.10〕


     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

〔2〕イヌぎらい

〔2005.10.28の日記〕
朝から、地域のふたつの小学校の福祉体験学習に。それぞれ3,4,5,6年生を対象に、日本盲導犬協会の協力を得て盲導犬のことを紹介、「共に生きる」をテーマに話し、小学生たちと対話した。体育館で2時限ずつ。おつきあいいただいた盲導犬はラブラドル・レッドリバーのディックくん、4歳8か月のオス、それに視覚障害者の方、盲導犬訓練師の女性。
むこうからイヌを連れた人がきたら、とくかく逃げるに如かずの知る人ぞ知るイヌ嫌いのわたしが、どうして盲導犬を…? どうして、というほどのことはありません。この企画のコーディネーター役の地区社会福祉協議会の役員を代表して、仕方なく、というだけのこと。
それでも、おとなしく、なかなか品格もあるディックくんにふれて、少しだけワンちゃんアレルギーは減った、…かな? 現在、日本盲導犬協会に盲導犬が欲しいと登録している目の不自由な人が4,700人、それに対して活動しているのは958頭と、ぜんぜん不足しているという。さて、わたしたちにできることは…。
 盲導犬育成のためのたくさんの募金が寄せられたり、訓練前の生後2か月から10か月間、里親となって世話するパピーウォーカー、仕事を終えたイヌをあずかるリタイアウォーカーという人もいるようです。ご覧になりましたか?

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 私は犬好きですが、触れません。むすめのりんごが盲導犬の映画を見て以来、我が家でもいろいろな場面で話し合うこともありました。少なくとも私にできることは、自分で募金することと、私の周囲にいる人にも声をかけること、です。〔ドロシーさん/2005.10.29〕
★…甘えることしか知らないバカなイヌ、見さかいなく吠えつく気ちがいイヌ、ところかまわずフンやオシッコをするタチの悪いイヌ、…もうそんなのがこの世界に存在することさえ許せない思いできました。「小犬をつれた貴婦人」というすぐれたロシア文学作品にいかれた時期もあるにはありましたが、現実は、イヌとなれば大から小に至るまで、盲導犬、聴導犬、介助犬というりっぱなおイヌさまさえ、可愛いと思ったことはないし、会えば目を逸らし身を避けることしかしてきませんでした。聞けば、ここから比較的近くに訓練センターがあるとか。イヌなんてきらいだ、なんてお勉強中の小学生たちの前や、盲導犬ユーザー、訓練師の前では云えないし、もう、破れかぶれですよね。それが、たくさんの人の集まるきょうの“フェスタ”では、受付のわきに盲導犬育成の募金箱を設置して募金をお願いすることになり、わたしも、仕方ありません、率先したような恰好で500円硬貨をチリンと落としました。悪いけどそこまでかなあ。補助犬の里親たるパピーウォーカーやリタイアウォーカーにまではぜったいになれないと思いますね。〔2005.10.29〕
     
 あらら! がのさんは犬嫌いなんですか? かくいう私も家で飼ってるから仕方ないぐらいの感覚です。理由は一つ。行動を制約されるということ。でも決して抱っこしたりは出来ません。〔Hiromi~さん/2005.10.30〕
★…恥ずかしながら、イヌはダメですねぇ。先日、子どもたちの前でカッコつけてしまったものですから、さっそく背中からお腹、腕の内側に気持ちわるい発疹が出てしまいました。お医者に行きたいのに、翌日はずうっと地域の催しに縛られて身動きできないし、ひたすら痒みに泣き泣き耐えてきましたが、きょうあたりはようやく痒みはおさまりました。もう、ヤダ~!
 子どもたちは、怖がりもせず「可愛い」「可愛い」と近づいて撫でたり、ペロペロ舐められたり。たまげます。だいたい、愛犬家という人種がいるなんて信じられません。落し物用のビニール袋を持ち、気まぐれなイヌに引っ張られて(ダイエットのために)散歩している若い奥さんをたくさん見ますが、どれほどきれいな奥さんでも、ゲッ! ですね。背を丸めてフンをしているあの動物のすがたを見ようものなら、最悪。おっきな石がそばにあったらそれを力いっぱいぶちあてて(投げつけたら急いで逃げろ!)やりたくなる衝動を覚えます。若くて活力ありヒマもあるなら、福祉施設へ行ってご老人たちのお世話でもしたらどうなの、と云ってやりたくなるのですが…。あの人たちって、イヌの嫌いな人種もいるなんてぜんぜん信じていないみたいで、それがまた醜い。〔2005.10.31〕

一昨日都内の娘の所から帰る車中で、盲導犬を連れた方が座席の前にいました。とてもおとなしく、けなげなくらいでかわいかったです。丁度隣に1歳くらいの子どもを連れたお母さんが乗り合わせ、その方と話していました。とてもいい光景でした。〔Hiromi~さん/2005.10.30〕
★…は~。盲導犬になるイヌはラブラドルレッドリバーとゴールデンレッドリバー、それとその2種をかけあわせたイヌにかぎられるのだそうですね。賢さということでいえば、シェパードなど優秀なのがほかにもいますが、シェパードなどはシャープで怖いところがありますよね。目なんか恐ろしい光をもっています。その点、この種類のイヌは、耳がだらりと垂れていたり、目はとろんとしておだやかだったりで、周囲にこわがられないので、これが使われるとか。たしかにやさしそう。子どもなんかはすぐ手を出したくなるようで。…でも、だまされちゃいけない。わたしにとっては、ダメなものはダメ。
 この年齢までイヌめに脅かされて生きてきたつまらぬ人生。困ったものです。きのう「小犬をつれた貴婦人」(アントン・チェーホフ)のことをちらと書いたものですから、なつかしくなって書棚の奥から引っ張り出して27年ぶりに読み返しましたよ、犬アレルギーが幾分かは減るかもしれないと期待して。いいなぁ、いいなぁ~、この若いベレー帽の貴婦人。中背でみごとな金髪、ほっそりとした弱々しげな首すじ、美しく澄んだ灰色のひとみ。無邪気で、世慣れない女の清らかさのただよう様子で、海岸通りや街の公園、辻公園を、真っ白なむく毛のイヌといつも散歩しているアンナさんという若い人妻。小犬のことはもうどうでもよく、人生に疲れたグーロフという中年の銀行員との邂逅と切なすぎる不条理な恋の冒険に、もう頭のなかはいっぱい。
 文豪が彫り深く描きだす人間のほんとうのすがたにすっかり酔わせてもらいました。〔2005.10.31〕


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


〔1〕サルとイヌ
   
   初しぐれ 猿も小簔をほしげ也

 ご存知,芭蕉の名句のひとつである。「初しぐれ」というくらいだから,今の季節の句ではない。秋のものだろう。この寒の季節に結びつけて猿のことをイメージすると,雪降るなかをうっとりと目を閉じながら温泉につかる信州のあのやつらのことが思い浮かぶ。世にもめずらしい"Snow Monkey"の"Hot Tub Time"としてアメリカの有名なグラフ誌で大きく特集していたのをむこうで見た記憶がある。日本アルプスのどっかの温泉(地獄谷温泉といったかな?)だったと思うけど。
 この句に描写された猿,今年が申年ということであちこちでもてはやされているかわいげな,すっかり飼い馴らされた猿族ではなく,きびしい野生を生きるヤツのことだろうね。きびしいものが伝わる。

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 わたしもあちこちでエンぎでもない猿(申)のことを書き散らしたけれど,べつだん猿のことが好きなわけではない。エテして世はそんなモン(キ)じゃないでしょうか。生年も干支でいう申というわけではない。ということで,もう猿のことは書かザルことにして,おしまい,サ(ル)らば。
 で,サルでないとすると,それならイヌか。ところが,わたしの弱点のひとつをさらすことになるが,イヌ,これがどうしようもなく苦手なのである。どんなチビ犬を見てさえ,怖くて怖くてしようがない。どうしてか,とたずねると,やはり小さいときの悲惨な記憶に行きつく。このごろはよく,若いご婦人が大小の犬を引いて(引かれて)散歩している。最近ようやくわかったのだが,彼女たち,ほんとうのところはどうやら犬が好きというわけではなく,ダイエットが目的なんだね。見栄っぱりの彼女たち,昼日中,ただにウォーキングするのはヒマジンそうで気まりが悪いので,犬をダシにしているということらしい。チェーホフの「小犬をつれた貴婦人」をゆたかなロマンのなかで読むことはあるけれど,ここらの貴婦人たち,どうも動機が不純だよね。そんな貴婦人たちに道で出会うと,犬には目を合わせないようにして,片側いっぱいに避けて通ることになり,ときには溝に落ちて足首を捻挫することもある。立ち木にゴチンとぶつかって眩暈を起こすことも。怖がるわたしをからかうかのように,イヌっころめ,わざわざこっちに近づいて睨みをきかす。クッソー! だれも見ていなかったら,拙者が武蔵の末裔(ウソ)だと知らぬな! とコン棒で思いっきりひっぱたいてやりたいところだ。(ついでに云うと,わたしの生まれた地の寺に柳生石舟斎の師である剣聖・上泉伊勢守*の墓所がある。これ,ホント。国定忠治や大前田英五郎といった任侠の徒もそんなに遠くないところであのなりわいをしていたらしいんだけど)
 ときにはその愛犬家たち数人が公園にたむろして犬をはさんで半日をつぶしている光景を目にする。そう,幼児の公園デビューなんて今どきもう古いよ。気の弱いわたしなんぞは,公園不法占拠にあまり文句も云えず,しかめっつらをして早々に通りすぎるわけだが,彼女たち,この世にイヌ嫌いの人種がいるなんぞ考えたこともないようだから,まことに始末が悪い。ヒマをもてあましてイヌに遊んでもらっている彼女たち,あらためて見れば,ダイエットを気にするほどのことはない,スラリとしたこのごろのシャンなヤングママさんたち。そんなことで時間を浪費しているのはもったいないじゃないか。本を読んでごらんよ,タメになることいっぱい書いてあるよ。それでもやることを思いつかなかったら,手が足りずに困っている福祉施設のヴォランティアをやってくれたらいいのに。人生の黄昏どきにある高齢者たち,その最後の輝きに浴すほうがどれほど健康的か…。サンサンさんの日記を拝借するなら,ひとさまのためになってこそ人生ってもんじゃないか,奉仕なくして何があとに残るのよ。そう云ってやりたいけど,ま,ウッルセー! と返されるのがオチなんだろうね。やっぱり,時代おくれかなあ,わたしは。

*上泉伊勢守秀綱……新陰流兵法の開祖。足利義輝将軍や北畠具教らに兵法を教えたほか,その弟子には柳生石舟斎宗厳・宗矩親子ほか多数の剣の達人を輩出した。いまも剣道で使われている袋竹刀(ふくろしない)を発明したのもこの人。前橋市上泉町の西林寺(曹洞宗)に眠る。一般にはカミイズミ・イセノカミと呼ばれるが,地元では「コイズミ・…」と呼んでいる。

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