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0705
小夜 & GANO トーク=<2>


〔ごろごろ にゃーん/かわいそうなぞう/愛の体験としての絵本/屋根裏部屋の秘密〕





2-4★ごろごろ にゃーん…長新太

小夜/「ごろごろ にゃーん、ごろごろ にゃーんと、ひこうきは とんでいきます」。文句はこればっかりですよ。
がの/そう、このことばだけ14回くり返されます。
小夜/かわっていますね。呪文みたい。
がの/もう、あきれてしまいます、びっくりです。これほどひとを食ったはなしって、ほかにあるでしょうか。
小夜/ばかばかしくてあきれてしまいます。でも、おッもしろい!
がの/これは、『ちへいせんのみえるところ』と並んで、長新太のナンセンスとユーモアの極致と言っていいのではないでしょうか。日本の絵本作家をずずずーっ見渡しても、こんな奇想な世界をつくるひとは、まずいませんよ。
小夜/「ごろごろ にゃーん」というからネコちゃんのかわいいおはなしかと思えば、飛行機のおはなしでした。
がの/そうですけれど、ほら、へんてこな飛行機を操縦しているのは、どうやらネコちゃんみたいじゃないですか。
小夜/その飛行機ったら、カッコわる~い!
がの/そんなことをいったら、この6月25日に亡くなったばかりの絵描きさん、怒って小夜ちゃんのところに化けて出てくるかもしれませんよ。まだそのへんに魂はただよっているんですから。
小夜/だって、…飛行機といっても、お魚のオバケみたいですよ。エンジンもなければプロペラもない飛行機なんて、へんですよ。
がの/トビウオのひれみたいな翼をつけた、ぶかっこうな飛行物体。どちらかというと飛行船でしょうか。それが、「ごろごろ にゃーん」「ごろごろ にゃーん」と、ずんずん飛んでいきます。
小夜/ありえないわ、空中から海に糸を垂らしてお魚釣りをするなんて。なにを釣るのかしら。
がの/絵の下のほうを見てごらん、巨きなクジラが、ほら、いっぱい、いっぱい並んで、大きく口をあけ、歯をむき出して、ぎょろりとした目でにらみつけながら、その飛行物体がすぎていくのを見送っていますよ。飛行機が墜落するのを待っているのかな。
小夜/地平線にそって長々と横たわっている大蛇のうえを、のんびりと「ごろごろ にゃーん…」
がの/人のすがたの見えない大都会のうえを、静かに、静かに「ごろごろ にゃーん…」
小夜/あら、おとうさんの大の苦手なイヌも出てきましたよ。あららら…、しっぽの先をイヌに噛みつかれたまま飛行機は「ごろごろ にゃーん…」と飛んでいく。
がの/おっ、だいじょうぶかな、大峡谷にかかる鉄橋の下をくぐっていきますよ。
小夜/満月の光をいっぱい浴びながら、ジャングルのうえをゆうゆうと「ごろごろ にゃーん…」
がの/はっハっはっハはハはハ・・・。おなかがよじれてしまいそう。もう、おかしくって、あきれて、笑うしかありませんね。これぞ新太ワールドというわけ。
小夜/これほど笑えたご本、小夜はほかに知りません。おとうさんは、どちらかというと、むずかしいご本を読むことが多いじゃないですか。急にこういうおはなしを読んだら、笑ったひょうしにアゴが外れてしまわないですか。
がの/おっ、たいへんだ。アゴはなんとか無事ですけれど、頭のネジがマジでズレてしまいそう。発想の奇抜さ、奔放さ、ハチャメチャなナンセンスには、めまいがして世界がクルクルまわって見えます。ひとによってはこれを「暴力的なまでのくだらなさ」と、おもしろがって評するひともいますが。
小夜/暴力的なまでのくだらなさ…。ぴったりだわ。そうよ、ゴロツキのおかしさよ。だからゴロゴロ…なんだわ。でも、よくわからないのは、最後の場面。なぜですか、いきなり人間の手がニューッと出てきたりして…。
がの/だって、小夜ちゃんも、この絵本の世界で常識のワクから思いっきり遠く離れて楽しみ、大笑いしたじゃないですか。いってみれば、空想の世界、いや、狂気の世界で遊ばせてもらいました。ピーター・パンや妖精ではないですから、人間はいつまでもそこにとどまってはいられません。おとなだって子どもだって、行ったら、こんどは帰らなければなりません。山に登って、そのまま帰らず、仙人になる人は別ですけれど。正気の世界、現実の世界に帰らなければならないのです。さあさあ、長新太という名うての魔術師がかけた催眠術から解かれて、そろそろ現実の世界に帰らねばならない時間ですよ、そう知らせてくれている標識と考えたらどうでしょうか。
小夜/わかりました。たっぷり遊んだあと、日没になり、「さよなら、さんかく、またあした」といってお別れする時間になったのですね。
がの/でもね、このおはなしは、げらげら大笑いして、それでおしまいというおはなしではないと思いますよ。ナンセンスの向こう側までよ~く目をすえて見てごらん。わたしたちに向けるやさしいいたわりの目が光っているとともに、人間というもの、その生き方、社会というものをじっと凝視して批判する目がぎらぎら光っていますよ。すぐれた絵本にはかならずそういう一面が秘められています。
小夜/もうひとつだけ、いいですか。長新太さんの自作絵本は、この『ごろごろ にゃーん』だけでなく、ほかの絵本を見ても、同じことばが何度もくり返されます。ことばが少ないですよね。『ちへいせんのみえるところ』なんて、唯一のことば「でました」が何度も何度もくり返されます。
がの/ことばをぎりぎりのところまで削り落として絵で語ろうとする絵描きさんの挑戦でしょうね。小夜ちゃんはまだ見ていませんが、同じこの作家の『しっぽ』や『ぼうし』でも、それぞれの見開き画面にあるのはたったの1行か2行の文だけ。 『もじゃもじゃしたもの なーに?』になると、もう、ことばはまったくありません。そうした試みは長新太さんがはじめてではなく、たとえば、覚えているでしょ、太田大八さんの名作絵本『かさ』。墨一色のペン画であらわされている世界に、幼い子のさす赤いカサの動き。すごく印象的でしたね。急な雨で立ち往生しているおとうさんを駅までお出迎えに行くのですが、そこにことばはひとつもありません。それでも、女の子のこころに動いている感情をじつに的確にとらえていました。ほら、おりこうさんのおつかいのごほうびに、おとうさんはケーキ屋さんに立ち寄ってくれたじゃないですか。
小夜/おとうさん、図書館に行きましょう。見たいご本がまたいっぱいになりました。
がの/ですけど、ケーキ屋さんには寄りませんよ。(2005.7.3)

〔長新太、その他作品〕

≪へんてこ へんてこ≫

☆…きょうはお天気がわるく外で遊べませんでしたので、おとうさんのお部屋の探検をしました。数年前にリフォームしたとき(詐欺にはあいませんでしたよ)、押し入れをそっくり本棚に改造してしまいました。立派な本棚ができたのですが、それでもぜんぜん本の整理はできず、山済みの乱雑ぶり。もう、手もつけられません。小夜が少しその山をひっかきまわしましたら、いろいろなおもしろそうな絵本が出てきました。長新太さんのものも何冊か。たとえば『へんてこ、へんてこ』という絵本。さちこさん、ご存知でしたか。ほんとうにヘンテコな本ですね。森の奥に橋がかかっています。トロルは出てきませんよ。ひとは怖がってここを渡ることはありません。この橋を渡るときは、からだがニューーーッと伸びちゃうんですって。ネコが渡れば「ネーーーコーーー」に、ブタが渡れば「ブーーーターーー」に、流れ星が渡れば「ホーーーシーーー」に。ヘンテコですよね。では、もともと細長いヘビが渡ったらどうなるでしょう。「ヘーーーーービーーーーー」ですって。オバケも渡りますよ、「オーーーバーーーケーーー」になって。さちこさんもこの橋は渡らないほうがいいと思いますよ、お顔がニュ~~ッと伸び、胴体がニュニュニュ~~ッと伸び、手や足もオバケみたいにヒョロ~リと伸びてしまいますからね。

≪ぼくのすきなおじさん≫

 『ぼくのすきなおじさん』という本も出てきました。もう、ばかばかしいほどおかしいおじさんです。小夜はいやだわ、こんなおじさんは。とんでもない石頭のおじさんで、車が突進してきても、そのアタマでゴッツーンとぶっとばしていまいます。お月さまだって、サッカーのヘディングのようにして突き飛ばし、遠くへ押しやります。あるとき、こちらもとんでもなくアタマの硬いオバケが登場! オバケの大きな住みかをおじさんが突きとばすものですから、オバケはカンカンに怒ります、「アンタ、なにするの!」と、おじさん目がけてガッツーーンとアタマをぶっつけます。さて、おおきなたんこぶができたのはどっちでしょうか? めまいをおこしたのはどっちでしょうか? オバケのほうでした。すごいアタマの持ち主のおじさんをぼくはだいすきだけど、でも、アタマの中身のほうはよくわからない…、というおはなし。こんなお話いつくった人なんですね、長さんて。(2005.7.8 To: さちこさん)

≪ブタヤマさんたら ブタヤマさん≫

☆…『ごろごろ にゃーん』ほか、長新太さんの絵本など、たくさん届いたようですね。よかった~。ラボのおともだちもたいへん喜んでくれたことでしょう。小夜はね、長新太さんのおはなしで、もうひとつび~っくりしたものがあります。Hiromi~せいせいのよくご存知の『ブタヤマさんたら ブタヤマさん』という絵本。これもかわっていますねぇ。チョウチョを追いかけるのに夢中で、うしろのことなんかちっとも気づかないというヘンテコなおじさん。黄色のショッキングな蛍光色がやけに目立つ画面に、これまた巨大ないろいろなものが登場し、ブタヤマさんをうしろから追っかけます。
    ブタヤマさんたら ブタヤマさん
    うしろを見てよ ブタヤマさん
この人の作品の特徴に、同じことばのたくさんのくり返しがありますが、この作品でも11回、上のことばがくり返されます。オバケが出てくる、大きなトリが出てくる、大きなセミが出てくる、そのたびにくり返されることば。さらに巨大なネズミ、バッタ、魚、イモムシ、もっともっと、イカ、カエル、ヘビ、フクロウ…。ブタヤマさんの無頓着ぶり、おバカさんぶりこそ、独特の新太ワールド。笑いが止まりませんよね。(2005.7.15 To: Hiromi~さん)


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2-3★かわいそうなぞう…土家由岐雄

〔Play with meさん〕
トーク2を読ませて頂いて、「戦争で上野動物園の動物を死なせていく中、ゾウが最後まで死なずに…」小さい息子が散髪をしてもらっている間、そばで読み聞かせをしたことを思い出しました。なみだが流れてとまらないのですが、散髪屋さんの奥さんもいっしょに聞いてくださったのが昨日のような思い出です。お膝であったり、手をつないだりしながらお話を共有していく時代を本当に本当に大事にしたいですね。(2005.6.23)
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『かわいそうなぞう』、トンキーとワンリーのおはなし。小夜は3歳の終わりのころにおとうさんに読んでいただきました。たいへんだったのですって、2晩ほど泣きづめに泣いていて、おかあさんは「そんな刺激の強いものを読んであげなくてもいいじゃないですか」とおとうさんを叱っていました。仕方なく、おとうさんは上野動物園へわたしを連れていき、元気にしているゾウさんを見せて、それでようやく泣きやんだ、とか。だって、動物をぜんぶ殺さなければならないなんてひどいです。毒を飲ませようとしても、おりこうなゾウさんはそれを飲みません。それなら注射で毒液を、といっても、皮膚が硬くて針が折れるだけ。手段を失って、エサも水もあげないという手段がとられました。小夜が声をあげて泣いてしまったのは、もう衰弱して立ち上がる力もないのに、トンキーは最後の力をふりしぼって、あの長いお鼻を上にあげて芸をしながら、よろよろと倒れて死んでいったという場面です。芸をすればみんなが喜んでくれ、大好きなエサももらえた、その幸福な日々を思い出しながら死んでいったすがたは、あまりにも悲しいじゃないですか。あとでわかりますが、おなかには一滴の水もなかったといいます。
秋山ちえ子さんは、毎年8月15日の終戦の日、ラジオで土家由岐雄さん(1904~1999)の書いたこのおはなしを朗読なさっていたそうですね。地球上のすべての命が平和のカサに護られて暮らせますようにとの祈りをこめながら。
このおはなしにも甘い媚びはかけらもないですよね。商業主義的な欲望もなく、きびしいです、辛らつです。でも、ウソがなく、誠実です。反戦思想という「思想」さえ越えて、誠実です。若い子のファッションには縁のない、むしろ地味な絵本ですが、一度読んだら忘れられませんね。
散髪をしながらPWM先生のおひざのうえでこのおはなしをきいた息子さんの幸福を思います。そのあたたかい記憶は、生涯消えることはないでしょう。その自然な強いむすびつきの感覚こそが絵本を読む精髄なのかもしれませんね。ありがとうございました。(2005.6.23)
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〔Play with meさん〕
長らくこのおはなしを忘れていました。小夜ちゃんの話している様子でまたなみだがあふれてきました。読んでいる間じゅう涙がとまらなかったことを思い出して、また涙です。(2005.6.24)
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信じられないようなおはなしですが、実話にもとづいて書かれたものだそうですね。一日に何百キロものエサを食べないと元気でいられないゾウさん。そのことをよく知っていて、それでもエサも水もやらないでいる飼育係のひとの悲しみも、どんなだったでしょうか。トンキーのけなげさを思うと涙がとまらなかったのですが、上野動物園へつれていっていただき、かわいい子ゾウさんが元気に走っているのを見て、小夜はホッとしました。ですから、どんな動物がいちばん好きなのですか、と聞かれるたび、小夜は「ゾウさんです」と応えてきました。でも、このごろは、レッサーパンダ、あの、風太くんのような立って歩くパンダもいいな、と思っているのですが。かわいいですねぇ、なでなでしてあげたくなります。
「かわいそうなぞう」は、すこしまえまで、小学校の教科書にはだいたい載っていたようですが、このごろはどうなのでしょうか。あまりうわさを聞きませんが。PWM先生はラボのおともだちにこのおはなしをしてあげることはありますか。(2005.6.24)

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★『水仙月の四日』関連 “ヤドリギ”についての追記

(「トーク=1」のほうに添えるべきものですが、容量オーヴァーのため、こちらで)

古い新聞にのっていたちょっとおもしろい記事を見つけましたのでご紹介します。
イギリスには、クリスマスにヤドリギを飾る風習があるというのをご存知でしたか。
そうらしいですよ。むしろ古代ケルトの人たちは、ヤドリギを春のシンボルとみて、
冬至の宗教行事に使っていたようで、この流れをくむ風俗慣習と思われます。
冬枯れた木立の風景のなかに、そこだけ緑の色をとどめて枯れることなく
寒さに耐えているヤドリギ、そのすがたに尊いものを感じたとしても
ふしぎはありません。
おもしろいのは、クリスマスにそのヤドリギを飾り、その下に立った女性とは
だれでもキスをしていい、ということになっているらしいです。
イギリスに行くなら、その時期にしようかな。どうです、みなさんも。

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2-2★親と子をつなぐ愛の体験としての絵本

このところ、「はなのすきなうし」あたりから始まって、赤羽末吉さんの原画のこと、宮澤賢治の童話絵本を花や植物というところに視点をあてながらつれづれに書き、皆さんにおつきあいいただきました。そんななかで、小夜ちゃんという5歳のかわいい少女が登場し、いっしょにおはなしを味読してまいりました。スペースの都合もあり、あまり展開できなかったうらみもありますが、この子にがんばってもらいました。「5歳の子に、それはないよ…」というお声を意外なほど多くいただきましたが、失礼を承知で、そういう声には耳を貸さず…。もちろん、おっしゃられるとおりです。しかし、ここまで、5歳の子のインテリジェンスと理解を超える作品も、かまうことなくどんどん読ませてきました。ずいぶん乱暴な親でしたね。でも、じつは、その周辺に「絵本とはなにか」のカギが転がっているような気がしています。

たのしいこと、きれいなことの書かれた本、子どもがキャッキャとすぐ反応する本がいい本とは限らない。「あ、むずかしいのはダメよ」「泥くさく、品がない、なんか、いなかくさいのよね」「死のことが書かれていて陰気で気持ち悪いから」「戦争の悲惨さばかりが書かれていて気分よくないわ」「非道徳的で、こんなの真似されたら困るじゃない」「怖がって夜寝られないかもしれないから」そんな種類の本を読ますわけにはいかない、…というような本の選び方をして来なかったろうか。そんな配慮はすべてつまらない杞憂というもので、むしろそういう種類のものこそ選んで与えるくらいのほうがいいように思う。古くから伝わってきている昔ばなしを考えたらいい、グリム童話を考えたらいい、アンデルセン童話だって、そう。いま残っているすぐれたものほど残酷だったり、暗くシビアだったりしているじゃないですか。人間の生の根源を探るホンモノの作品は、どちらかというと、いつだってシビアで残酷です。グリムのはなしには残酷なものが多いというのが定評ですし、アンデルセン童話にいたっては、どれもきびしいですよ。昔ばなし、これには怖いはなし、きたないはなし、だらしない子・だめな子の出てくるはなし、エッチなはなし、なんでもござれです。つまり、お体裁でない、ほんとうの人間のすがたが書いてあるんです。甘い、やわらかい、口あたりのよい、免疫のないお菓子ばかりを、それもこどもが求めるよりも先におとなが先どりして与えることをやって来なかったか。そうやって育った子がどんなおとなになるかは知れたこと。ほんとうの闇を知らない子に、ときには闇の恐怖、自然の畏れを体験させてあげる、絵本の体験がそういうもののひとつであったらいいな、と思う。おとうさん・おかあさんに手をにぎってもらって入る闇ですから、怖いどころか楽しいはず。それに、子どもだって現実があり、うわべのきれいさだけで生きていくわけにはいかないんですよ。正しいこと・間違ったことも含めて、子どもには多様な世界にふれながら育っていってほしいと思う。

――書いたものがあるわけではなく、一部、そんなことを口から出まかせにしゃべったでしょうか。ラボの皆さんには珍しいことでも何でもありません。

小夜ちゃんトークも、この子がちゃんと理解できるか、怖がりはしないか、知識を広げることにはならないのではないか、…そういうことではないんですね。GAN(K)Oさんの肩にまっ黒な髪のおつむをおしつけておはなしを読んでもらう(去年までは、ひざのうえでしたが)。クックと笑ったり、涙を浮かべ声をふるわせて悲しがったり、ときどき美しい笑みを見せながらおとうさんの顔をきらきらした丸い目で見上げる。何をどれほど読んだかでもなく、これは「体験」の共有でして、安心して、信頼しきって親と子がおはなしを共有し共感しあう、その幸せな感覚こそが大事なのでしょう。それが、生涯忘れることなく残っていく親と子をつなぐ愛の体験なのじゃないか、ということ。

リー・バートンさんの生きざまについてとアメリカの時代精神、絵本「ちいさいおうち」の徹底分析、とりわけ見返しの3段の絵についての分析には、意外なほど皆さん驚いておられましたが、そのへんのことは、ラボの皆さんはすでによくご存知のはずですよね。すぐれた絵本を見ていると、ほんとうに表現の世界はゆたかだなあ、といつも思いますね。

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2-1★『屋根裏部屋の秘密』…松谷みよ子
歴史の真実を知る勇気――2005年06月10日

〔To: Play with me さん〕
 日本が中国や韓国・北朝鮮ほかのアジア近隣諸国から歴史認識の違いということではげしい批判を浴びており、とりわけ中国各地でははげしい反日デモがおこりましたね。小夜にはその「歴史」とは何のことを指しているのか、それがよくわかりませんでしたので、日本人に足りない歴史認識とは何なのか、と訊いてみました。そのためにはこれを、と読んでくださったおはなしがあります。ちょっとむずかしく、こわいのですが、できたらそのことを書いてくださいとお願いしてみます。それは、松谷みよ子さんの『屋根裏部屋の秘密』という本です。『ふたりのイーダ』でヒロシマの原爆のことを書いておいでの同じ作家がとらえた日本の「歴史」の暗渠。とてもこわいです。ラボの
みなさんにはあまり関心のない部分かも知れないのですが…。小夜にはいまはあまりよくわからないでも仕方ないですけれど、心にとどめておいていつかしっかり考えてみてください、とのことでした。おとうさんは、小夜がまだ小さいからといって、甘い、食べやすいものばかりは与えない、苦いものも硬いものも、ふつうのひとと同じように与えるのだ、何でも食べることが大事なのだ、といいます。(2005.6.9)
       ☆          ☆          ☆
小夜/イーダちゃんのゆう子ちゃんは、もう「さよなら、あんころもち、またきなこ」なんて云いませんね。
がの/『ふたりのイーダ』ですね。幼稚園に行っているころのゆう子ちゃんは、おしゃまで、元気いっぱいで、勝ち気でしたが、ここでは中学生ですからね、気にいらないからといって「イーっだ!」なんて云いませんよ。
小夜/小学生だった直樹くんは大学生。ゆう子ちゃんにはとってもやさしいお兄ちゃまでしたけれど、今回の『屋根裏部屋の秘密』では、以前にも増して思慮深い、たよりになるお兄ちゃまになっています。夜中、黒姫までおんぼろ車を走らせてすぐにとんできてくれましたね。
がの/そうそう、おはなしのおもな舞台は、「花姫山」の山荘となっていますけれど、これは明らかに黒姫山のことです。「山桑」という地名が出てきたり、滝(ないの滝)や湖(野尻湖)のことも書かれています。黒姫山の南面といいますから、きっとラボランドくろひめに近いところかも知れませんよ。
小夜/わー、黒姫ですね。去年の夏の終わりころ、おかあさんといっしょにファミリーキャンプに参加しました。高原の風を受けてのハイキング、野尻湖では遊覧船に乗りましたし、木の下でみんなでつくって食べたバーベキュー、どれもみんな楽しかったです。

がの/『ふたりのイーダ』では、ヒロシマに落とされた原爆のことが背景になっていました。今回読んだ『屋根裏部屋の秘密』では、おとうさんの生まれる少し前にあった戦争のことを背景に作者は語っています。とっても、とってもおそろしいおはなしでしたね。
小夜/こわかったですよ。こんなにこわい思いをしたのは初めてです。夜、床について目をつむるでしょ、すると悪魔のような顔が次つぎに浮かんできて小夜を脅かすので、ずうっとうなされているほどでした。
がの/でも、「歴史」についてちゃんと知りたい、と云ったのは小夜ちゃん自身でしたからね。
小夜/だって、歴史認識がちがう、と云って、中国のひと、韓国・北朝鮮のひと、ほかのアジアの国のひとたちが口をそろえて日本のことを怒っているじゃないですか。
がの/中国のいろいろなところで反日デモと日本製品の不買運動がおき、ひどい破壊行為がなされました。
小夜/日本のひととは歴史認識がちがうので仲よくできない、というのですけれど、小夜にはその「歴史」というのが何のことなのか、ぜんぜんわかりませんでしたので。
がの/そうなのよね、日本の人びとにとっての戦争の歴史とは、ヒロシマとナガサキの原子爆弾のことか、沖縄戦のこと、東京大空襲のこと、あるいは特攻隊のことなど、ある程度限られていて、もっともっとあったはずの、戦争が刻んだむごい事実、個々の不幸な事実については封印されてきたというに近いですから。
小夜/小夜たちは、いまこうして、ゆたかなモノに囲まれた、平和な時代に生きていますが、まだそんなに昔でないとき、そう、まだ60年、70年しかたっていないとき、世界に何があったのか、わたしたちの先祖たちが戦争のなかでどんなことをしてきたのか、このご本でその一端を見ることになりました。
がの/そうです、ナチズムによってユダヤの民を大量殺戮したアウシュビッツのことはよく世界に知られていますけれど、この日本にも同じような殺人工場があったのです、日本のアウシュビッツが厳然としてあったのです。この作品は、平和の時代をのうのうと享受しているわたしたちに、その傷口を見せてくれているのです。
小夜/赤沼英一という老人が病気で亡くなります。エリコさんのじじちゃまです。エリコさんにとっては、とってもやさしい、すてきな、理想的な方でした。このエリコさんが、ゆう子ちゃんと直樹くんのはとこにあたる子で、ゆう子ちゃんと同じ中学生でした。仲のよい同士でした。
がの/エリコさんは、おとうさんもおかあさんもなく、生まれたときから体質が弱く、いつもゼンソクに悩まされていました。
小夜/病気がちの孫むすめのために、お金持ちのじじちゃまは黒姫山のふもとに瀟洒な別荘を建ててやり、エリコさんは夏に冬にその山荘にやって来て健康を養っていました。
がの/で、そのすてきなじじちゃまですが、ある大きな製薬会社の重役をずうっとつとめてきた人でした。血液製剤を開発した功績によって名をあげ、会社に莫大な富をもたらし、自身も途方もない財をなした人でした。
小夜/そのじじちゃまが亡くなるとき、孫のエリコさんにナゾのようなことばを残します。山荘の屋根裏部屋においてあるダンボール箱ひとつの書類について、その処分をまかす、というのです。鍵がかかったまま、だれも開けたことのない屋根裏部屋。エリコさんはゆう子ちゃんやみすずさんに手つだってもらいながらやっとその屋根裏部屋を開け、ダンボール箱をみつけますが、それがとつぜん、魔法のように消えてしまいます。
がの/その不可解な喪失事件を解明すべく、ゆう子ちゃんが活躍、お兄ちゃまの直樹くんを呼びつけていっしょにナゾを追求していくのでしたね。直樹くんの推理は冴えています。
小夜/こわい、こわい秘密のベールがこの兄妹によって一枚ずつ剥ぎとられていきます。小夜はほんとうにドキドキしました。シャオ・リュウというナゾの少女が亡霊のように出てきますし。
がの/わたしたちのおじいちゃん、ひいおじいちゃんたちの世代の人たちが、先ごろの戦争のなかで何をしてきたか、その醜い断面が赤裸々にあばかれていくおはなしの流れは、まるで推理小説のようでしたね。
小夜/それは、信じていいことなのかどうか、小夜は混乱して、ほとんど宙空に浮いたような気分でした。
がの/旧満州のハルピン、そのピンファンというところに七三一部隊がおかれていました。これが細菌戦のための秘密研究所だったのですね。中国人や白系ロシア人の捕虜たちがここでむごたらしい人体実験に供されたというのです。
小夜/ひどいですよ、捕虜になったその人たちは、名もない「丸太」と呼ばれ、何人、何名と数えられることもなく、「何本」といって数えられたというのですから、もう…。戦争とはもともとそういう非人間的なものなのでしょうが。
がの/その「丸太」を生きたまま解剖する、細菌感染の被験体として使う、高圧電流にかけてその反応を観察する、洗濯機の脱水槽のような機械、大きな遠心分離機に生きながらかけて、ガラガラと高速回転させ血を集めて、その血を抜いて採取し調べる、というようなことも。ね、悪魔も鬼も思いつかないような残虐なことを日本の兵隊さんがやっていたことを記録した書類だったのね、それは。
小夜/どれほどの高熱に人間は耐えられるものかの熱湯実験、どこまでの空腹と飢渇に人間は耐えられるものかの飢餓実験、どれほどの低温まで人間は耐えられるのかの凍傷実験なども、くり返し、くり返しおこなわれていたようですね。“女丸太”にはことばでいえないような辱めも。
がの/その部隊の軍医として中心になって生体解剖実験をおこなってきた人物こそ、赤沼のじじちゃまだったことがわかります。復員してきて、戦場でやってきた非道なことにはきれいに口をぬぐい、その実験で得たさまざまなデータをもとにして、人間の生命保持に欠かすことのできない血液製剤をつくり、人類を救う貴重な発明者として名をなし出世をとげ、豪邸に住んで何不自由のないゆたかな生涯をおくり、その暗部だけを後世のものに押し付けて、さっさとあの世へ逝ってしまった老人。
小夜/秘密を守ろうとして、会社はその書類がほかのだれかの目にふれないうちに処分してしまおうとします。ずるいわ。それは直樹お兄さんの機転によってできませんでしたけれど、さて、次の世代は、押し付けられたその重い責任をどう負っていけばよいのでしょうか。
がの/そこですね、アジアの人びととほんとうに仲よくやっていけるかどうかのカギは。日本人があまり触れたくない歴史的事実ですが、それはそれで終わったわけではなく、七三一部隊が残した細菌をめぐる生体実験のデータは、たとえばヴェトナム戦争のときにアメリカ軍が利用して、枯れ葉剤というおそろしい毒薬をつくりました。それによってヴェトナムに多くの奇形児が生まれたのは、世界が知る事実です。小夜ちゃんには、こうしたことはいまはむずかしくてよくわからないかも知れません。でも、これから小夜ちゃんたちがしっかり考えてくれなければならない問題です。
小夜/うーん、それはたいへんな宿題ですよ。
がの/そうですよ。そしていま『屋根裏部屋の秘密』を通じて小夜ちゃんが知ったのは、戦争のなかの、あるひとつの事実でしかありません。わたしたちはきちんと知らなければならないことをもっともっと抱えています。そして、逆に、捕虜になった多くの日本人も同様な死をとげているという歴史も忘れることはできません。
小夜/はい、香月泰男さんの絵で、寒さと強制労働のなかシベリアで亡くなった人たちの亡霊を見ました。シラカバの木を焼いた燃えさしで描いたという暗い絵は、ショックでした。
がの/加害者であると同時に被害者でもあり、そこでは「何人」ではなく「何本」と数えられる存在として戦場に立った兵士たち。戦争には勝ちと負けがあるだけで、破壊に破壊を重ねて勝ち負けを争うもの。そこには人道的なルールなんてありません。日本は先の戦争を戦って負けました。負けて数えきれない悲劇を生みました。そのことからわたしたちはたくさんのことを学び、ぜったいにそんなつまらないことをくり返さない知恵を持たなければなりませんね。
小夜/ほかの人から受けたこころの傷や侮辱は50年や60年で消えるものではないと聞きます。
がの/そうそう。ですから、日本軍が外国で犯してきた非道なおこないについても、まずは、残さず知り反省する必要があります。いちばん人間が賢くなれるのは、そうした間違いを正確に認識することからですし、おとなりの国と本当に仲よしになるためにも、その認識を共有できるかどうかがポイントです。隠されていることをそのまま眠らせ、知らないままにしておいてはいけないと思います。自分の国の恥ずかしいマイナス面を知ろうとする人は、事実、そんなにはいないでしょう。残念ながら、それはだれにも、あまり愉快なことではありませんのでね。
小夜/愉快でないからといって目をふさぎ、うわべだけの空っぽの交流をいくらくり返しても、ほんとうに近づいたことにはならないのですね。さあ、どこから踏み出しましょうか…。


〔追記―松谷文学の三つのタイプ〕

松谷さんはたいへん多才な人で、その作品は大きくは三つのタイプがあるように思います。ひとつは、「龍の子太郎」「まえがみ太郎」「ちびっこ太郎」「おしになった娘」などの民話を再創造したもの、ふたつめには、ここで日記や掲示板でご紹介してきた『ふたりのイーダ』『死の国からのバトン』『屋根裏部屋の秘密』『あの世からの火』などの告発もの、そして三つめがやさしい母性を注いだ作品。名古屋のさちこさんが挙げてくださったモモちゃんシリーズがありますし、「貝になった子ども」といった傑作、そしてHiromi~先生が挙げてくださった「いないいないばあ」や、「おふろでちゃぷちゃぷ」、小夜がいちばん好きな「いいおかお」などのファースト・ブック(赤ちゃん絵本)。身近なものたちへのプレゼントとして書いた作品のようでして、ほんとうにとってもとっても暖かいですね。小夜はこのタイプの作品が大好きです。

きょうは「死の国からのバトン」を読み終えました。“直樹とゆう子の物語”シリーズのひとつです。飢饉による村の困苦難儀を救おうとして江戸に出て直訴、その結果、首をはねられたて不業の死をとげた15歳の直七というコドモセンゾに導かれ、小6の直樹くんが、雪深い山形の奥にある村の、死者の霊の集まる阿陀野の山に入り、公害の元凶を探るというもの。これも、怖いほどすごい作品です。AF2という防腐剤。これのはいったお豆腐を食べた若い姉妹の狂い死に、その近くで獲れた魚を食べたネコが奇妙なおどりをはじめ、そして狂い死にしていきます。死んでからも水路を見まわる直右衛門(じきえもん)じいのこと、鳥追い、百万遍の供養といった村に伝わる習俗のこと、などなど。
山のばばさというふしぎな存在が直樹に語ります、「ただ愚かしゅうてまちごうたということなら、それはまだ許されるのや。人間の賢さが、こざかしさとなってあらわれたとき、そのおごりたかぶる心、おそれを知らぬ心が、おそろしい結末を生むのや」
この作品でも、目を逸らせてはいけないテーマをまっすぐわたしたちの前に突き出しています。中国や朝鮮、アジアの人びとが日本にむけていう「歴史認識」にかかわる部分とともに、若い世代と大事に対話しつつ読みたい作品ですね。(To: Hiromi~さん 2005.7.7)
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