★「ふるやのもり」を読みなおす |
12月23日 (木) |
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なぜ以前のように書かないのか、と多くの方からご心配をいただいたり、お叱りを受けたり。申し訳ありません、わたしにもいろいろ事情がありまして…。
みなさんの活動にお役にたつ情報をそんなに持っているわけではりませんが、久しぶりです、いま取り組んでいるわたしの仕事の周辺から、ひとつ話題をひろってみましょう。日本昔ばなし「ふるやのもり」を読み返してみて。
みなさんはこのお話をどうお読みになるのでしょうか。ふつうにはふた通りの読み方があるように思います。ひとつは「笑い話」として。意味のわからないことばを悪い侵入者が勝手に取り違えて理解し、そのことで難をのがれることができたという、めでたいユーモラスな話。これと同じモチーフのものに「ネズミ経」がありますね。
もうひとつは「なぜ話」として。動物や植物の形や色、鳴き声の起源、由来を語るタイプの昔ばなし。「ふるやのもり」の場合でいえば、サルのしっぽがなぜ短いのか、その顔やお尻がなぜ赤いのか、その理由が語られています。たくさんありますよね、こうした例は。「瓜子姫」では、なぜソバの茎は赤いのかが、「蛇婿入り」や「食わず女房」では、人が五月の節句に菖蒲湯に入るのはなぜかが、「くらげ骨なし」では、くらげがなぜあんなにぐにゃぐにゃしているのかが語られていますね。
「ホトトギスと兄弟」で、その声を「弟恋し」と人間のことばにうつしていう“聞きなし”のことは別のところで書いたことがあります〔今月の花神―Octoberホトトギス〕。
さて、「ふるやのもり」はどちらでしょうか。両方かも知れませんが、みなさんにとっては、どちらのほうが印象的ですか。宮城県を中心に全国に広く分布する人気の昔ばなし。いやいや、国内だけではありません。朝鮮の民話には「干し柿はトラよりこわい」という話になっていますし、古代インドの説話集「パンチャタントラ」にも類話があるなど、アジアじゅうに見られる話。そして、どうやらこれはもともとはふたつだったものをひとつにつなげて語られるようになったとも思われます。
そういうことより、今回読み直すなかで気づいたことは、ちょっと違うのです。雨漏りのするこのお爺さんとお婆さんの家は、想像するに、南部曲がり家のような、馬を家の中で家族と同様にして飼っているような家でしょうか。葺きかえることができず、腐ってしまった萱葺き屋根の家。ほんとうに貧しい家ですよ。考えてみると、この老夫婦には子どもがいないようです。どうしたのでしょうか。不妊症だったのでしょうか。それとも、生まれたけれども、病気か何かで死んでしまったのでしょうか。つまり、どうやらこの家には若い働き手がいないことに気づきます。
みなさんは、五箇山や白川郷の屋根葺きの光景をテレビか何かでご覧になったことはありませんか。それこそ村じゅうの人が何十人も集まって屋根の葺き替え作業に当たります。屋根にのぼっての作業以前にも、萱を刈り集めたり、それを運んだりというたいへんな仕事もあります。そうした総がかりの作業をするために、村にはユイ(結) と呼ぶ相互扶助組織がつくられています。ある家の屋根の葺き替えがあると、ユイに入っている人は何をおいてもこぞって参加し、労働力を提供しあいます。ところがこのお爺さんお婆さんのところでは、ユイに加わるための若い働き手がいないので、村からは孤立した状態にあります。雨漏りがしようが、屋根が落ちて来ようが、だれも面倒をみるものはなく、もう屋根の朽ちていくのに任せておくほかないんですね(足腰が立たないからといって公的介護保険制度があるわけじゃなし、災害復旧支援に活躍する自衛隊なんてない時代ですからね)。そんな哀しい状態にあると考えられます。
そんな困窮状態にあるところに入りこんで、馬を食ってやろう、盗んでやろうという悪い了見をおこすオオカミと馬どろぼう。そいつらがどれほどひどい目にあっても、同情してやる余地はないですね。うん、ないない。
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Re:★「ふるやのもり」を読みなおす(12月23日)
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Play with meさん (2004年12月24日 10時16分)
やっと日記に戻られたので安心しました。
「ふるやのもり」の老夫婦の生活を主にこの物語は語られていると思っていま
した。今のように何事も業者がやってくれたり、介護保倹などもなく、相互扶
助が支えた昔の生活を「雨漏り」から読み取れます。
私たちの生活にまだ生きているのが、おめでたいことなら、「棟上」の時には
ご近所や親戚、知り合いが協力していました。でも、これは建築方法や生活ス
タイルが変わり、今では見かけなくなりました。
また、「同行」と言って、お葬式の時に支えあうお寺に所属したグループがあ
ります。十数軒から二十軒ほどが助け合います。
でもそれも最近ではセレモニーホールなどで行うことが多くなり、形骸化して
きていますが・・・
消防隊もその考えから地域を守っていますね。(消防署とは別)
後継ぎがなく、年老いた貧しい夫婦にとって、雨漏りほど辛いことはないと思
います。
生活には不必要でもつぶすとなればお金がかかる古い建物に悩んでいる身とし
ては切実に理解できます。
雨が降るたびに家は確実に壊れていっているのですもの。
「わらいばなし」と「なぜ話し」だけでなく、昔の村の構造や生活を語ってい
る物語ではないかとうけとっているのですが?
いかがでしょうか?
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Re:★「ふるやのもり」を読みなおす(12月23日)
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スミティさん (2004年12月24日 17時35分)
復帰、おめでとうございます。
うーん、こう来られましたか・・・
わがパーティでは子どもたちと、狼、馬泥棒、おじいさんおばあさんの
心理戦と捉え、おじいさんとおばあさんはひとりと一匹がいることに気
づいてて、からかってる、出て行かれたあとに大笑いをしている2人をイ
メージしました。面白かったですよ。
若い人手がない老夫婦というより、したたかな老夫婦!!!
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Re:Re:★「ふるやのもり」を読みなおす(12月23日)
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がのさん (2004年12月24日 22時05分)
Play with meさん
>「わらいばなし」と「なぜ話し」だけでなく、昔の村の構造や生活を
語っている物語ではないかとうけとっているのですが?
----------------------------
いいとか、わるいとか、そういうことではなく、昔の山村の暮らしを見
事に伝えていてくれるお話ですよね。これまでにはあまり考えたことが
ありませんでしたが、その時代の、東北の貧しい暮らしの一面が見えて
きました。ご指摘のとおり、わたしたちの生活様式はいろいろなところ
で大きく変わりました。旧世代のわたしなどは戸惑うことばかりです。
わたしの家自体は貧乏ながら何百年という歴史のある旧家、宗教は真言
宗ということになっていて、葬儀などはまったく旧の仕来りでおこなっ
てきました。が、先月、姉のご亭主が他界。危篤というときから初七日
までの弔いをひととおりつきあわされましたが、もう、ぜんぜん葬式の
スタイルが違います。すべては葬儀社が段取りよく整え、つつがなく進
め、親族はただ弔問客の挨拶をうければいいというもの。その会場のメ
モリアルホールですが、これはまた西洋のお城みたいに立派です。お通
夜番で泊まらされるわけですが、そこはまるで高級ホテル。冷蔵庫には
いろいろなものが置いてある、ふんわりソファに大型画面のテレビ、な
んというんですか、からだをマッサージしてくれる椅子、風呂はすっか
り自動のジェット噴射式の大型バス。終夜にわたりエアコンが作動して
います。ひとのありし日をしのび、その死を悼むという気分にはちょっ
となれないんですね。いまはあれが当たり前なのでしょうが、なんでも
お金で快適さが買える世の中。しかし「ふるやのもり」のお爺さんお婆
さんには、ユイに入る手段もなければ、貧しいためお金で快適な暮らし
を買うなんてこともできなかったんですね。介護もお金を出しさえすれ
ばいくらでも相応の手厚いケアが買えます。いい時代といえるのでしょ
うかね、そういうのは。
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Re:Re:★「ふるやのもり」を読みなおす≪1≫
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がのさん (2004年12月24日 23時00分)
スミティさん
>若い人手がない老夫婦というより、したたかな老夫婦!!!
----------------------------
スミティさんには敢えてきついことをいいましょうかね。えらそうぶる
つもりはないのですけれど。
これまでに「ふるやのもり」の発表はずいぶん多く見てきたように思い
ます。これは取り組みやすいのでしょうかね。いずれもスミティさんの
おっしゃるような“たのしい”発表でした。このお話で子どもたちがい
ちばん生きいきとするのはおよそ決まっています。馬どろぼうが馬だと
思ってオオカミにしがみついていっしょにめくらめっぽう駆け回るとこ
ろと、洞窟(木のうろ、または空井戸)にはまった馬どろぼうがサルのし
っぽにつかまって上と下で引っ張り合いをするところです。そうじゃあ
りませんか。まあ、子どもがそれで喜ぶのだからそれでいいじゃない
か、ともいえますが、ライブラリーをやせる(!)思いでつくったものの
ひとりとしては、ちょっと不満なんですね。それだけで「テーマ」活動
と言えるのでしょうか。教育者がよく、子どもに対するときは子どもの
目線で、といいますが、それはなにもおとなの幼児化を推奨することば
ではありません。おとなはどこかでおとなの目をもっていないと、教育
になっていきません。ラボは「教育」するところではないといわれれ
ば、それまでですけれど。要は、一回ごとに新しいものを探りだしてほ
しいんですよね。わたしはわたしの一つの読み方にこだわり、それをみ
なさんに押し付けるつもりはありませんし…。【つづく】
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Re:Re:★「ふるやのもり」を読みなおす《2》
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がのさん (2004年12月24日 23時02分)
スミティさん【承前】
それに、もうひとつ。ここではもうそんなに書くスペースがありません
のでスミティさんの宿題にしたいのですが、日本の昔ばなしでは、どう
してなのか、老夫婦にこどもがないんですね。これ、どうしてなのか、
考えてくださいませんか。子のない爺さん婆さんに異常誕生の子どもが
さずかり、その子が異能を発揮して悪をやっつけたり富を築いたりしま
す。「ふるやのもり」の爺さん婆さんに子がないのは見ましたが、「か
ぐや姫」の場合も「舌切り雀」や「桃太郎」「瓜子姫」の場合も、老夫
婦には子どもがありません。また、横着ものでろくろく風呂にも入らな
い爺さん婆さんがいて、あるとき、体の垢をかきあつめて人形をつく
る。その人形が命をもって大めしを食らい、やがて大男になって金棒ひ
とつをもって力くらべの旅に出、魔物を退治し、長者の美しい娘を嫁さ
んにするという「ちからたろう」という話もあります。ほかにもたくさ
んありますね、この種の話。どうして子どもがいないのか、そのわけ
は?
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Re:★「ふるやのもり」を読みなおす(12月23日)
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ちこらんたんさん (2004年12月26日 00時48分)
メリー・クリスマス☆
ちょっと遅いですか?
更新お待ちしておりました。
ふむふむと頷く内容でございました。
またマメに更新してくださいませ。
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Re:Re:Re:★「ふるやのもり」を読みなおす《2》
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スミティさん (2004年12月26日 23時36分)
またまた難しいことを・・
物語に子どもと取り組むとき、単に面白い(ふるやのもりであれば引っ張
るところ、追いかけるところ、確かに子供たちは好きですが、単に面白
ければいいとは全然思っていなくって、テーマ活動って、そのときその
ときの子どもの「今」が如実にでるわけで、そこにどう寄り添うか、だと
思っています。だからこその面白さ。
なぜ昔話のおじいさんとおばあさんには子どもがないのか、そういえば
考えたことなかったです。初めて昔話を読んだ子供の頃、この事実をど
う感じたんだろう。子供たちは、どう受け止めるのかしら。
なぜだろう。共同体の中で力のない人が、例えばききみみずきんのゴン
ザ、さめどん、が主人公によくなるというのはどこかで読んだ気がしま
すが。
マージナルマンかしら。
おたすけーーーです。なぜ??
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Re:★「ふるやのもり」を読みなおす(12月23日)
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Play with meさん (2004年12月27日 02時09分)
昨日、近くの家でたくさんの大人や子どもたちが出入りしているのを見かけた
ので、とっさに、ご不幸?と思ったのですがどうも様子が違う。
よく見るとなんだか大きなかまどのようなものが見える。
あ~そうだ!!
お正月も近づき、子どもたちもおやすみ。今日は日曜日。
連想ゲームのようにつながり、「おもちつき!!」
そうなんです。日頃同じ家に住まない家族たちが集まってお持ちつきの様子。
家の中で餅つき機でするのでなく、もち米を蒸し、杵でみんながかわりばんこ
にたくさん搗くのだろうな~。と懐かしく眺めました。
子供のない老夫婦にはこんな楽しみもないのでしょうね。
遅まきながら2人の子どもに恵まれて、改めてしあわせを感じます。
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Re:Re:Re:Re:★「ふるやのもり」を読みなおす《2》
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がのさん (2004年12月27日 10時39分)
スミティさん
>共同体の中で力のない人が、例えばききみみずきんのゴンザ、さめど
ん、が主人公によくなるというのはどこかで読んだ気がしますが。
マージナルマンかしら。
----------------------------
はは~、そういうのも多いですね。逆転満塁ホームランの印象深さ。鮫
どんもごんざもそうですが、もうひとつの例から。以前、長野・松本市
へ行ったことがあります。町からはずれた新村という集落があり、そこ
に、これはまあ、立派な銅像がたっています。keikoさんがこのへんのこ
とに詳しいですからご存知かも知れません。この像、「ものぐさ太郎」
ですって。ほかにもね、みごとな桜の古木があり、それが「ものぐさ太
郎の腰掛桜」。ご存知ですよね、『お伽草子』にあらわれているこのお
はなし。あの途方もない横着もの、無精ものが、のちに大変身して京で
大成功をおさめるという立身出世ばなし。その男の出身地がここで、そ
の怠けものが村の偉人として顕彰され、秋には村をあげての大きな祭り
を例年催しているそうです。だめだ、だめだ、といわれていた子が、の
ちに「エッ!」というような幸運をつかみ、ひとの羨むような暮らしを
している…。そんな例はわたしたちの周辺にもよくありますよね。人
生、まんざな捨てたものじゃないよ、どんな運がめぐってくるか知れた
ものじゃないよ、という子どもへのメッセージだったのでしょうか。逆
に、神童だ、天才だといわれた子が、平凡なつまらない暮らし、いや、
貧乏ったらしい惨めな暮らしをしていたり…(わたしのこと?)。まあ、
いいか。それも人生。
で、なんですか、「マージナルマン」て。マジナことばですか? 知り
ませんでした。いつか教えてください。スミティさんにおしつけた宿題
〔子のない老夫婦にさずかる異能の子〕、思いついたばかりでわたしに
もわかっていません。図書館がよいをしてもっとたくさん読んでみま
す。
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Re:Re:★「ふるやのもり」を読みなおす(12月23日)
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がのさん (2004年12月27日 11時18分)
Play with meさん
>「おもちつき!!」そうなんです。日頃同じ家に住まない家族たちが
集まってお持ちつきの様子。子供のない老夫婦にはこんな楽しみもない
のでしょうね。遅まきながら2人の子どもに恵まれて、改めてしあわせを
感じます。
----------------------------
ありがとうございます。ハロウィーンもクリスマスもお正月もお誕生日
も、子どもがいてこその楽しみ。こういうところで「わたしごと」にふ
れるのはあまり好みませんが、このひろば@での賑わいとは別に、わたし
のクリスマスなんて、何もありゃしない、つまらないものです。ケーキ
を食べるわけでもなし。おきまりの文面のクリスマス・メッセージのカ
ードとメールが届くくらいのもの。その点、みなさんはたくさん、たく
さんの子持ちですから、たいへんだ、わずらわしい…なんてこぼしなが
らも、愉しさはつきませんね。幸せなことです、テューターさんて。
わたしのところは夫婦ふたりだけの暮らし。それがこのところ、家内の
片手がギブスに固められて動かず、家事がなかなかできません。そのぶ
んの負担がそっくりこちらに寄せられるわけで、もう、たいへん。器用
な人ならそれも楽しむのでしょうが、わたしの主夫業はからきしダメな
んです。息子が一人おりますが、外に出ていて、こんなときにも一度も
帰ってきません。来てもたいした役には立たないことはわかっていま
す。こんなとき、人間はずいぶん勝手なことを考えるもので、女の子が
いてくれたらなぁ、ということ。あーあ、情けないことです。
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Re:★「ふるやのもり」を読みなおす(12月23日)
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サンサンさん (2004年12月27日 11時55分)
「ふるやのもり」、4年前にパーティの中高大生のグループの一つがク
リスマス発表会へ向けて取り組みましたよ。
今は社会人となって子たちが大学生の頃に、訳やナレーターを決めず
に、テーマ活動をやりながら思いついたことをやっていくという感じ
で、毎回目一杯楽しみながらやっていました。
みんなで生田緑地の古い家々を見に行ったり、馬を家で飼っていたりす
るのを不思議に感じたり、家の造りをいろいろ感じたりしながらタイム
スリップしたりして、楽しかったことを思い出します。
あの頃のあの子のこと、この子のこと、いろいろ懐かしいです。
このお話し、思い出させて下さってありがとうございました。
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Re:Re:Re:Re:Re:★「ふるやのもり」を読みなおす《2》
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ちこらんたんさん (2004年12月27日 15時48分)
がのさん
スミティさん
サンサンさん
Play With Meさん
若輩者の横レスですが・・・
名古屋に、メルヘンの研究をしていらっしゃる精神科のお医者様がいら
っしゃいます。
その方を以前地区の講演会にお招きしたのですが、たしかその時こうお
っしゃっていました。
父親・母親が若いと、親子関係が生々しすぎる、と。
おじいさんは、少し離れた目で見ることができる「オールドワイズマ
ン」(老賢者)だそうです。
ご著書にはこのように書いてあります。
「お父さんは規範性に従うように子どもを教え導き、秩序を維持しよう
とするのに対して、おじいさんは規範性が揺らいだ時に新たな道を指し
示して、子どもたちを進ませます。」
「おじいさん」には3通りあって(①隣の爺タイプ、②父親代理タイプ、
③人生の案内役タイプ)、桃太郎のおじいさんは単なる②の代理タイプ
と考えられますが、
だだ、桃太郎が倒す「鬼」は父性の象徴でもあるので、その比較として
おじいさんが登場したのかもしれません。
それに日本では年の功を尊ぶ風習があったので、西洋よりもお年寄りが
登場することが多いようです。
おばあさんにもいろいろ役割があるそうですよ。
あ、でも「ふるやのもり」については、
どうして二人で暮らしているのかは分かりませんが、
やっぱり馬が子ども代わりなんでしょうかね。
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Re:★「ふるやのもり」を読みなおす(12月23日)
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すずももさん (2004年12月27日 17時13分)
23日の発表会の翌日にタイトルに惹かれて読ませていただき、やっと書き
込みをさせていただく暇が出来ました。23日の発表のひとつが中高大生Gによ
る「ふるやのもり」でしたから。
わがパーティの発表はどろぼうもおおかみも暖かいまなざしを注がれた存在
として表現され、わたしはそれでよかったと思ってます。私のラボっ子へのテ
ーマのひとつではありますが他者へ暖かいまなざしを注げる子にしたいという
ことがあります。勿論物語によってはきちんとシビアにとらえることもテーマ
活動でやって欲しいことではあります。
ラボっ子が英語はとてもリズミカルなのに比べて日本語が言いにくいと感想
を言ってました。でも昔話に大学生などが触れられるのもラボならではです
ね。
昔の家の造りなど10代のラボっ子とわかちあうのは大変でもありました。
家の中に馬がいるとなると現代風に寝そべる室内犬に対してのような動きをす
る高校生にあきれ、涙を流して笑ってしまいましたが無知とは恐ろしいもので
す。それと本だの写真だのビジュアルな資料が少なかったのです。図書館で建
築関係の棚から探してくると庶民の家は少ないですね。勿論ありましたが、庄
屋や豪農が中心でした。日本の庶民の暮らし方を記録に留めておくのが大事と
痛感しました。つい馬鹿にしがちですが当たり前な、とるに足らないと思える
ことも写真など様々な手段で残しておきたいと思いました。
とりあえずじいさんとばあさんのゆったりとした空間もなんとか表現できたの
は収穫でした。
お邪魔しました。
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Re:★「ふるやのもり」を読みなおす①(12月23日)
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がのさん (2004年12月27日 22時02分)
みなさん、ありがとうございます。
私事に及びまして恐縮ですが、わたしがこのネットに加えていただくよ
うになってちょうど1年ということになりました。つい先刻気づきまし
た。何分にもわがまま・気まぐれでして、ご迷惑・失礼の分にはどうぞ
お許しくださいますようお願い申し上げます。
☆
ラボの現場から離れて9年余、忘れてしまったことばかりです。その後
の雑文を書く仕事のなかでみなさんとは違う角度から物語を見つめる機
会に恵まれました。ですから、わたしがここで書くものは観念的なもの
にならざるを得ません。第一、ラボのテキストはほとんど手元にないの
ですから。それにつけても、すずももさん、ちこらんたんさん、サンサ
ンさん、スミティさん、Play with me さんほか、ウラで書いてくださっ
ているみなさんも、さすがですね~、テーマ活動ということになると、
とっておきの抽斗をもっておられる。輝きの思いをもって振り返ること
のできる抽斗。最高級の嫁入りダンス。苦しい課題を背負って取り組ん
だテーマにはとりわけ懐かしい愛着を持っておられる。これこそ宝物で
すね。わたしもじつは、この19日に久々にテーマ活動の発表を見せてい
ただきました。サンサンさんのところの記念発表会なのですが、物語と
は、よい受け取り手がいて初めてなりたつもの、ラボの物語は子どもた
ちの生きた息吹きがこめられて初めて命をもつもの、ということを改め
て実感し、感動いたしました。「ジュリアス・シーザー」などはじつに
きちんと「テーマ」を踏んでおられました。ああいうのを目にすると思
わず鳥肌が立つのは、ラボの活動に23年触れてきたからでしょうか。
【つづく】
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Re:★「ふるやのもり」を読みなおす②(12月23日)
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がのさん (2004年12月27日 22時04分)
【承前】
すずももさんのところの、室内犬のように寝そべる馬、には笑ってしま
いますが、楽しいですね~。そこを見逃さずに「テーマ」にしていくの
がテューターさんのセンスなんでしょうか。オオカミにも馬どろぼうに
もやさしい目をそそぐ(わたしのような単純な薄情ものは、バカめ、いい
きみだ、としか思わないのですが)、すずももさんらしいですね、やさし
いです。そこをヒントにちょっと書きたいことをいま思いつきました。
この「ふるやのもり」のオオカミは、「赤ずきん」に登場する無慈悲な
ヤツではなく、相当とぼけた、間のぬけた、かわいいところのあるオオ
カミですよね。ただ、ごめんなさい、ちょっと時間をください。年賀状
と海外への新春メッセージを書かないことには…。
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Re:★「ふるやのもり」を読みなおす(12月23日)
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さとみさん (2004年12月28日 23時02分)
今、インド洋沖の大地震による、大津波の被害をテレビで見ていると、日本と
海でつながっている国々での出来事。とても、他人事とは思えないですよね。
ところで、先日、インドの児童文学に関する展示を見に行った際、日本の昔話
だと思われているいくつかは、実は、インド昔話であることを発見。
インドの伝承文学の中でも、いくつかに分類され、この「ふるやのもり」は、
パンチャタントラ(智慧の宝石箱)という集に収められています。
他にも、よく知られる「ねずみの嫁入り」、「くらげのほねなし」、「さるのいき
ぎも」、「つきとうさぎ」、等など、文明の道を辿り、日本に伝わったインドの
昔話は、その後、あたかも日本昔話となって、伝わっているのですよね。
インド昔話ととらえると、またまた背景のイメージが変わってくるのですよ
ね。高温多湿のインドですから、雨に悩むところは同じだとして、家屋の様
子、森の雰囲気もインドのジャングルに、、、インド版「ふるやのもり」を想
像しても広がりますよね。まあ、田島さんの絵本は、どこをどうみても、日本
昔話としての挿絵ですが。ラボのライブラリーの音楽も、日本の古楽器が多彩
に活躍してますよね。
ところで、老夫婦に子どもがいない、という設定は、どの国の昔話にもあり、
今より子どもの生存率も低く、子ども=繁栄 の証として描かれている辺り
は、共通なのでしょうね。
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