★わが島國の自然が生み出した至純な造形 |
04月20日 (水) |
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つづきです。Play with me さんの書き込みに刺激され、先ほど、
和辻哲郎著『古寺巡禮』の中宮寺の部分を読み直してみました。
この本は昭和22年3月に岩波書店から出ている本で、
1972年4月に読了したとわたしの鉛筆の字で手書きされています。
33年前、う~っ。わたしがラボに入るより以前のことで、
どんなつもりでこれを読んだのか、いまはぜんぜん思い出せません。
特別に古美術に興味があったわけでもなかった。たぶん、
気まぐれに、いい加減に読んだに違いありません。
内容ももちろん完璧に忘れています。
生活に追われ、仕事に追われている時代だったはずですから。
いい本だったという記憶だけ。そういえば『イタリア古寺巡禮』も、
外国の宗教絵画のいろいろなことについて教えてくれる本だった。
高校受験のころに読んだものもあるはずですが、いまは思い出せません。
比較的最近(4~5年前)読んだこの人のものでは、『風土』『日本精神史研究』があります。
ラボのみなさんはあまり和辻哲郎のものを読むことはないのかもしれませんが、
風土と人間の精神的風景を文化論として追究した哲人。
ほんとうの知識人、教養人とはこういう人のことをいうんでしょうね。
どれも深く、教えられます。高められます。
で、読みなおしてみると、わたしが目にした印象と和辻氏の書いていることに、
ふしぎなほど符合するところがあって、うれしくなりました。
「あれっ、涙か! と迂闊にも錯覚してしまった」と書きましたが、和辻氏は
「あのうつとりと閉じた眼に、しみじみと優しい愛の涙が、実際に光つてゐるやうに見え」
たと書いています。「わが聖女」といいながら、
「この聖女は、およそ人間の、或は神の、『母』ではない。そのうひうひしさはあくまでも『處女』のものである。
がまた、その複雑な表情は、人間をしらない『處女』のものとも思へない。
と云って『女』ではなほさらない。ヴィナスはいかに浄化されてもこの聖女にはなれない」
と、男でもなれけば女でもない、中性的でさえもない、もっと超越したような…という
わたしの混乱した印象に近いものをこの人も感じていたような気がします。
そういえば、中宮寺が尼寺であったことをわたしは失念していたかも知れない。
「あの悲しく貴い半跏の觀音像は、かく見れば、われわれの文化の出發点である。
古事記の歌もこの像よりさほど古くはない」
「これらの最初の文化現象を生み出すに至った母胎は、我國のやさしい自然であらう。
愛らしい、親しみ易い、優雅な、そのくせいづこに自然とも同じく底知れぬ神秘を持つたわが島國の自然は、
人體の姿に現はせばあの觀音となるほかない。
自然に酔ふ甘美なこころもちは日本文化を貫通して流れる著しい特徴である」
和辻氏がはるかな巡礼の最後に訪れて見たのがこの中宮寺であり、あの菩薩像であった。
姫路出身というすぐれた古美術研究者の、「文化」の本質を見つめる、確かな
鋭くすばらしいまなざしを感じますね。
いろいろな書籍を処分してきていますが、まだ和辻さんのもので『桂離宮』(昭和22年版)、
『鎖國』(昭和30年版)、『日本古代文化』(昭和17年版)、『イタリア古寺巡禮』(昭和28年版)が残っていることを
確かめたので、少し余裕のできたところで読みなおしてみたいと思っています。
いずれも、たばこのけむりをたっぷりあびた、こげ茶色、醤油色した本。
たばこをやめて20年になるが。
中でも『日本古代文化』はぜったいに名著だと思う。なかなか手にはいらないと思いますが。
『風土』『日本精神史研究』は岩波文庫でいまも出ているはず。
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Re:★わが島國の自然が生み出した至純な造形(04月20日)
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Play with meさん (2005年04月21日 00時41分)
書き込んだのですけど「もしや??」と思って検索してみて、
「よかった!!」間違っていませんでした。
思い込みが激しいものですから、よく間違ったりするものですから、心
配でした。「姫路市仁豊野で生まれ、・・・」と出てきて、安心でし
た。そして、鎌倉に墓地があるとも。
叔母が「和辻さん」といってホームドクターでお世話になっていたの
で、親しい気分だったことを思い出しました。
関西においでのときはぜひ姫路にお立ち寄りくださいね。
文学館は姫路城の西にあります。
写真代わりましたね。余分なこと言ってしまいました。
ごめんなさい!!
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Re:Re:★わが島國の自然が生み出した至純な造形(04月20日)
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がのさん (2005年04月21日 09時52分)
Play with meさん
>検索してみて、「姫路市仁豊野で生まれ」と出てきて、安心でし
た。そして、鎌倉に墓地があるとも。叔母が「和辻さん」といってホー
ムドクターでお世話になっていたので、親しい気分だったことを思い出
しました。
⇒代々の村医だったそうですね。周囲にたいへん信用のある医家の次男
坊だったとか。これまでそういうことをぜんぜん考えることなく読んで
(昔のことですが)きました。夏目漱石門下の一人で、一部には尊王思想
に偏っているとの批判を受けてきたようですが、そのあたりのことはわ
たしは知りませんでした。海外のことを知り、その眼で日本をよく見た
人、と。「古寺巡禮」の影響はたいへん大きく、その後あまたの文人た
ちが大和古寺めぐりの本を書いておりますが、そのハシリになった本で
すね。60年安保闘争のあった年に亡くなったことだけを覚えておりま
す。鎌倉の尼寺・東慶寺にあるお墓は、参堂をまっすぐずうっと登って
いって、イワタバコが咲いている石垣のほぼ左がわのあたり、こじんま
りとした質素なたたずまいを見せております。
写真代わりましたね。余分なこと言ってしまいました。ごめんなさい!
⇒とんでもありません。わたしの不見識でした。写真を差し替えました
が、前のものを見てくださった20~30人(ほどでしょうか)の方は、ちょ
っとトクをしたと思っていただけると…。盗撮はいけません。でも、わ
たしは、スカートの下の盗撮には興味ありませんので(笑)。
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Re:Re:Re:★わが島國の自然が生み出した至純な造形(04月20日)
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Play with meさん (2005年04月21日 11時17分)
がのさん
⇒代々の村医だったそうですね。周囲にたいへん信用のある医家の次男
坊だったとか。
★ そうだったんですか?
本当にミーハーに有名な方を知っている!って感じでした。
ありがとうございます。
これまでそういうことをぜんぜん考えることなく読んで
(昔のことですが)きました。夏目漱石門下の一人で、一部には尊王思想
に偏っているとの批判を受けてきたようですが、そのあたりのことはわ
たしは知りませんでした。海外のことを知り、その眼で日本をよく見た
人、と。「古寺巡禮」の影響はたいへん大きく、その後あまたの文人た
ちが大和古寺めぐりの本を書いておりますが、そのハシリになった本で
すね。60年安保闘争のあった年に亡くなったことだけを覚えておりま
す。鎌倉の尼寺・東慶寺にあるお墓は、参堂をまっすぐずうっと登って
いって、イワタバコが咲いている石垣のほぼ左がわのあたり、こじんま
りとした質素なたたずまいを見せております。
★ いつかたずねたいですね。
写真代わりましたね。余分なこと言ってしまいました。ごめんなさい!
⇒とんでもありません。わたしの不見識でした。写真を差し替えました
が、前のものを見てくださった20~30人(ほどでしょうか)の方は、ちょ
っとトクをしたと思っていただけると…。盗撮はいけません。でも、わ
たしは、スカートの下の盗撮には興味ありませんので(笑)。
★ 論外ですよね(#^.^#)
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