★空白がつくりだす美しさを、日々の生き方に |
01月20日 (金) |
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リンドバーグ夫人「海からの贈物」
先日の林ライスさんの日記で“ダライラマのことば”(お許しを得て「ことばの旅路、その2」に再録)を見出し、こころにしびれるものを感じました。19項目の“ことば”が挙げられているなかで、「変化に寛大であれ、しかしながら自分の価値を失うなかれ」「一日の中で、一人ですごす時間を持ちなさい」「時には沈黙がいちばんの答えである、ということを忘れないこと」にピーンとくるものがありました。
それは、この前、わたしが日記で華道にふれて書いた、人間のシン(心、芯、あるいは信であり深であり針、真であるかも知れない)に関わり深いことであり、また、じつは昨日、もう一度この考え方に出会う機会を得ましたので、そのことを書かせてもらいます。
以前にもここで紹介させてもらったことがありますが、わたしは、地域文化振興活動の一環で「ふれあい読書会」というものを主宰、中学校を会場にしておこなっています。地域の中高年世代の方々と中学生年代の若ものとの、海外の文学作品の鑑賞を挟んでの交流になっており、もう6年目に入りました。参加者は毎回だいたい30~40名。中学生の参加が少ないのがちょっと問題なのですが。
昨日の活動では、リンドバーグ夫人の『海からの贈物』(吉田健一=訳、新潮文庫)をめぐって考えあい、語りあいました。「むずかしい。もう一度、ゆっくり読み直したい」「サッとは読めない。心にひっかかるところがいっぱいあり、傍線を引き引き、噛みしめ噛みしめ読む本ですね」というのがおおかたの感じ方でしたが、中高年世代にはスーッと入れる世界でした。二、三のテューターの方にも、この間お薦めしてきた一冊。頑張りすぎなくていいよ、それより、自身の中の“こころの泉”をもっと大事にしようよ、といった呼びかけを添えてご紹介してきました。
ご紹介するまでもなく、アン・モロウ・リンドバーグ(Ann Morrow Lindbergh 1906-2001)は、「翼よ、あれがパリの灯だ」の、あの史上初の単独大西洋無着陸横断飛行を成し遂げた米国の飛行家、北太平洋航路開拓の英雄チャールズ・リンドバーグの奥さんです。自身も飛行家で、1931年の北太平洋横断飛行の快挙を成し遂げたときには、副操縦士、通信士としてシリウス号に乗り、夫を助けています。昭和6年8月19日、夫妻を乗せたシリウス号が北海道・根室の弁天島の先に着水したときの日本じゅうの人びとの興奮は、いまも伝説のように語られていますよね。この体験は『北方への旅』で書かれていますが、1970年の大阪万博で展示されたこのシリウス号、なんと全長8.38m、翼幅13.07mという、今では考えられない、ちっぽけな飛行機。胴体は黒、翼は赤というおもちゃのようなこの飛行機によって切り拓かれた太平洋航路を、いまは一日何便かは知りませんが、何万、何十万という人が往き来しているし、夏にはたくさんのラボっ子も太平洋を越えてもうひとつの家族と交流を結んでいることを思えば、たいへんなエポックであったことがわかります。
しかし、この快挙の翌年(1932年)、とんでもない事件が起こります。有名なこの夫妻の長男、まだ2歳にもならない子どもがお金めあてに誘拐され、2か月後に死体で発見さるという悲劇。この事件をネタにアガサ・クリスティは「オリエント特急殺人事件」を書いていますね。その悲しみを癒すためにヨーロッパへ渡りますが、間もなく第二次世界大戦。もみくちゃにされてアメリカに引き戻されます。それでも終戦後はまたフランス、ドイツに赴いて戦争罹災民の救済活動に挺身したり、汚染のすすむ地球環境の調査などにあたります。
1955年(昭和30年)、リンドバーグ夫人51歳のときに出された『海からの贈物』には、上記のようなことは一切書かれていません。子育てを終えた一人のごくふつうの女性が、島で2週間をすごし、誠実に自身の心と対話、この間、われわれは何を得、何を失ってきたのかを問いつつ、海辺でひろった貝殻に託して、人生のいくつかのステージを感性ゆたかにあらわしたもの。
いっしょにこれを読んだ女子中学生たちには、理解に及ばないむずかしい内容だったろうし、いままさにギンギラの輝きのなかで全力を傾けて活動するテューターの皆さんにも、ここで言われていることをお伝えするのはまだ早すぎるのかも知れません(ラボという企業の営業妨害にもなるかな?)。ですが、どれほど多くを抱えて駆け回っていても、大事なシンを欠いていたら人間的な魅力はありませんよ、と、知性にすぐれた皆さんに、澄みきった“内的な泉”がコンコンと湧き出る生き方を、不遜ながら提唱してみたいのです。そのためには、上に挙げたダライラマのことばとともに、リンドバーグ夫人のことばを胸に刻んでおいてみたい。この本に見られるいくつかのことばを拾ってみます。
――回転している車の軸が不動であるように、精神と肉体の活動のうち、不動である
魂の静寂を得るようにしなければならない。
――簡易な生活は、大きな精神上の自由と平和を与えてくれる。
――不必要なものを捨てる。どれだけ多くのもので、ではなく、
どれだけ少ないものでやっていけるか、ということにこころがける。
――無数の役割にちぎられたままにせず、少しでも自分の内部に注意を向ける時間を持ち、
自分の精神に糧を与えよう。
――所有欲は、美しいものを理解することと両立することはない。
ものは少なければ少ないほど美しく見える。
――周りに空間があって初めて、ものが美しく見える。一本の木は空を背景にして、
一つの音はその前後の沈黙によって。
――人生に対する感覚を鈍らせないために、なるべく質素に生活すること。
体と知性と精神の生活に平衡を保つこと。
――中年は、第二の開花、第二の成長、第二の青春。野心、物質的な蓄積、自我を捨て、
競争のために着けていた甲冑を脱ぎ捨てて、ほんとうの自由が許されるとき。
輝きあるすてきなことばがまだまだあるのですが、このへんで。今でこそ「シンプルライフ」が流行語のようにして語られ、わたし自身は、良寛さん、道元禅師といったあたりの本から親しく馴染んできた思想。驚かされるのは、これが刊行された1955年ごろといえば、アメリカも日本も、大量生産・大量消費、物質万能のバブル好景気の時代(汗して働くことの嫌いな「勝ち組」たちによる小才を利かせたセコい欺瞞、美しさと心のない偽造・捏造横行のこのごろの日本・世界のきのう・きょうとよく似ている)、“行け行け、どんどん”の時期に、世紀の英雄の奥さんが世界の片隅の小さな島で、ひとり静かに、冷静にこういうことを書いていること。虚栄心を捨て、偽善を捨て、自尊心というものに悩まされることのない自由な生き方にほんとうの美しさを見た一女性のたたずまいに、深い感動を覚えます。
※写真は、昨年9月に開催された「新制作展」(東京都美術館)に出展された小野かおるさんの作品。
◎…転記スミ⇒物語寸景〔2-3〕
◎◎…画像1点削除
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Re:★空白がつくりだす美しさを、日々の生き方に(01月20日)
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Play with meさん (2006年01月20日 17時12分)
さっそくに!と言いながらまだよんでいませんが、この日記から澄み切
った生き方が見えてきそうです。
総会もおわり、ちょうど、静かにする時間ができました。
この時ですよね。ぐた~~としててはいけませんね。
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Re:★空白がつくりだす美しさを、日々の生き方に(01月20日)
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ちこらんたんさん (2006年01月20日 21時14分)
がのさん
ドロシーさん
私が「海からの贈物」を読んで、一年以上経っても覚えているのは「女
というものは常に与える性という役割を背負わされている。与えるため
には、満たされていなければならない」という(ような)くだりです。
これを読んだ時、胸のつかえが取れた気がして、以後堂々と自分が楽し
いと思うことをしています。(しすぎ?)
> 浪花花街糸屋のむすめ
姉は十八 いもとは十五
諸国大名 弓矢で殺し
ハマの怪人 ことばで殺す
糸屋のむすめは 眼で殺す
これ、元歌があるのですか?
ひろば@でゆっくりしていたいけど、
明日~明後日は総会なので、早々に退散せねば。
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Re:Re:★空白がつくりだす美しさを、日々の生き方に(01月20日)
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がのさん (2006年01月21日 10時11分)
Play with meさん
>総会もおわり、ちょうど、静かにする時間ができました。
この時ですよね。ぐた~~としててはいけませんね。
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いえいえ、グターッとする時間があっても、いいじゃないですか。
グターッとした時間のなかで、自分の心の泉に湧き立つものが
水晶のように澄んでくる…。その静かな感覚をたのしむゆとりを
持てるとしたら、たいへん幸せなことなのではないでしょうか。
平素は組織の重い責務を身にからめてあくせく走っておられる日々。
たくさんの子どもたちの顔が眼の前にそそり立って見えている
ことでもありましょう。ご家族のこともありましょうし、
生活している地域での社会的な役割もあることでしょう。
車の輻(や/スポーク)のようにして、存在の中心から義務や仕事
や趣味などが四方八方に広がっています。とりわけ有能なPWMさん
のような方には、まわりのいろいろな方面から声がかかります。
たまたまそれに応える力をもっておられますので、ついつい
あっちから吹く風、こっちから吹く風に反応してしまうことが
多くなります。それが人間の幅ということなのでしょうが、
そんなときこそ、シンが大事だ、曇りのない眼で自分を見つめる
ことが必要ではないか、ということなのでしょう。
ですから、すべてから解放されて自分だけの時間、自分の魂に
静寂を与える時間を、たとえわずかでも持ち、
虚飾を捨てたシンプルな世界を心にいっぱい広げることをしたい、
リンドバーグ夫人はそんなことが大事ではないかと語っている
ように思います。
なかなか簡単なことではありませんけどね、この現実にあっては。
ただ、その有能な能力に溺れないだけの慎ましさは持っていたい
ものですが。
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Re:★空白がつくりだす美しさを、日々の生き方に(01月20日)
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サンサンさん (2006年01月21日 15時51分)
前の日記もそうでしたが、
今回も、日記を読んでいて、ほっとしました。
心がやすらぐようなことばの数々。
ありがとうございました。
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Re:Re:★空白がつくりだす美しさを、日々の生き方に(01月20日)
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がのさん (2006年01月22日 12時21分)
ちこらんたんさん 【その1】
私が「海からの贈物」を読んで、一年以上経っても覚えているのは「女
というものは常に与える性という役割を背負わされている。与えるため
には、満たされていなければならない」という(ような)くだりです。
これを読んだ時、胸のつかえが取れた気がして、以後堂々と自分が楽し
いと思うことをしています。(しすぎ?)
----------------------------
★…そうそう、しすぎですよ。そんなに自分の都合ばかりに合わせて本
を読んだら、だめでしょう。そこのところをわたし流に抄出すると、
「与えるのが女の役目であるならば、……女は満たされることが必要
である。……どうすればよいか。一人になること。……一年の或る部
分、また毎週および毎日の一部を一人で過ごすべきである、……自分と
いうものの本質を再び見出すために」ということになりましょうかね。
女は飢えを満たされねばならない、というのですが、こうも言ってい
ますよ。「飢えているけれど、何に飢えているのか自分でもわからない
から、その空白をいつも手に届くところにある、いろいろ気を紛らせて
くれる手段、しなくてもいい仕事や押し付けられた義務や社交上の瑣事
で埋めようとしている」と。自分の本質、心の泉がどこか、それがわか
らないと、そういうほうへ逃げることになりますね。どうですか、思い
当たることがあるでしょう。
こちら、思いがけない大雪。物置から5年ぶりにほこりまみれのスノ
ーブーツをひっぱり出して朝飯のあと雪かき。大汗かいてもどってきた
ところ。ちょっと調子に乗りすぎたかなあ、腰がイテ~、腕がイテ~
ッ。
支部総会ですって? そ~かい、そ~かい、そんならちょうどいい、
鬼の居らぬ間にキビシ~く悪口放題だ。【つづく】
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Re:Re:★空白がつくりだす美しさを、日々の生き方に(01月20日)
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がのさん (2006年01月22日 12時23分)
ちこらんたんさん 【その2】
だいたい、幼い子どもさんをちゃっかり実家のお母さんに押しつけ
て、ときには子どもの口にはチョークをくわえさせて黙らせ、自分はミ
ュージカルだ、ヨンさまだ、スナップだ、キムタクだ、がのさまだ(とは
言ってないか!)、といってうつつをぬかして騒いでいてもOKなのだ、ち
ょっとは気になってはいたけど、あ~、これで胸のつかえがとれた!
というんじゃねぇ。
さちこさんに本をお貸しするのもいいけど、むしろ、ご自分の手元に
置いて寝ても醒めても手離さず持っていて、いつも読み直すようにした
ほうがいいかもよ、この本。
ま、一人になること、一人の時間を持て、というわけですが、現実の
社会はなかなかそういうことを許してはくれませんよね、子育てを終え
た人ならともかく、まだ子育てのまっさいちゅうにあるちこたんのよう
な人は、特に。ダライラマの「あなたの家庭にある愛に満ちた空間こそ
が人生の基礎なのです」ということばもありますし、こうした不安定な
蜘蛛の巣にひっかかって、さて、逃げるか喰われるか、ひっかかったま
まじたばたと小さな光を慎ましやかに求めるか、まあまあのところでバ
ランスをとっているのが人生なんでしょうかねぇ。
おっ、頼まれもしないのに人生相談になっちゃった。迷い多き人生
よ! がんばってください。
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Re:Re:Re:★空白がつくりだす美しさを、日々の生き方に(01月20日)
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ちこらんたんさん (2006年01月23日 00時41分)
がのさん
あ~、そ~かい。
いない間に悪口言われてますねぇ、やっぱり。
今日は眠いので、反撃はまた後日!
「総会。そ~かい」っていうジョークは、私も子どもに言いましてね
ぇ。。。面白くないって言われました。。。
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Re:Re:★空白がつくりだす美しさを、日々の生き方に(01月20日)
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がのさん (2006年01月23日 20時45分)
サンサンさん 【その1】
>前の日記もそうでしたが、今回も、日記を読んでいて、ほっとしまし
た。心がやすらぐようなことばの数々。ありがとうございました。
⇒心のやすらぎにしていただけたなんて、望外のよろこびです。
そうですね、たくさんのスポークを抱え、時間をちぎり、ちぎり駆け回
っておいでのサンサンさんにこそ、手向けるべきことばなのかも知れま
せん。
でも、どうでしょうか、「どれだけ多くのもので、ではなく、どれだ
け少ないものでやっていけるか、そう心がけよう」「内的な平静、曇り
のない眼があって、はじめてひとは創造的になれる」といわれるとき、
そのことばは魅力的で、意味もよくわかるけれど、そのままツルリと飲
み込むにはノドのところにゴロゴロひっかかるものがあり、で、どうし
ろっていうのさ、ということになりませんか。
ものは少なければ少ないほど美しく見える…。たしかに眼の前に宝石
をぱらりと無造作に並べられるよりも、ひとつだけていねいに見せられ
るほうが、その価値の輝きを感じます。パーティ活動にあって、ひしめ
くほどたくさんの子どもの中から、一人の子の輝きと本質をしっかり見
きわめることはむずかしい、…ということにはならないでしょうか。わ
たしにもかつての経験があります。ラボの国際交流で北米へ、オースト
ラリアへ子どもたちを引率します。メンバーが30人、40人くらいなら一
人ひとりの名前も個人的な情報もかなりの程度までつかめ、語りかけに
こと欠くようなことはありません。ですが、それ以上、80人、100人など
となると、もうその情報をつかもうとする努力さえ最初から諦めてしま
います。自分の能力を越えていて、無理です。一人ひとりが見えないま
ま、関係が浅いままひとつの交流活動は終わり、まあ、無事でよかっ
た、というだけの、キョトン! とした気分、ほんとうにこれでよかっ
たのかなあ、という気分でひとつの仕事を終わります。
さらに、テューターの日常を想定してみると、ラボ・ルームにはたく
さんの豪華な絵本がズラリ、音声教材と最新式の音響機器がある、各種
遊具や工作セットがあり、パソコンがあり携帯電話があり、その他、便
利な機器が部屋をぎっしり飾っています。書棚にはありとあらゆる資料
がぎっしりと。不足するものは何もない。【つづく】
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Re:Re:★空白がつくりだす美しさを、日々の生き方に(01月20日)
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がのさん (2006年01月23日 21時01分)
サンサンさん 【その2】
たとえば、そういうモノがまったくなかったら、テューターは子ども
たちとどう向かい合うのでしょう。ラボにも、実際、初期にはそれに近
い時代がありました。そんなときには、テューターはもっともっと創造
的だったように思うのです。子どもとの距離ももっとずっと近かったよ
うな。自分の体と心のなかにあるもの、確実にあるものを自分のことば
で語りかけたように思うのです、インターネットでバババッとかき集め
たような情報でなく。モノに恵まれてくるのと正確に比例して、人間は
だれしも、創造することを怠るようになってきました。家事において、
調理において、昔は、貧しかろうと裕福であろうと、女はどんなときに
も創造的だったのではないかと思うのです。子どもにおはなしを聞かせ
るといっても、ろくろく絵本もないですから、自分が父祖から聞いた
話、純粋に自分の心に深く残っている質の高い話を、口で語るしかあり
ませんでした。口承文藝のゆたかな流れはそこから生まれました。
そういう時代といまの何でもモノのそろった時代、どちらがよいかと
いう問いはナンセンスでしょう。もうわたしたちは後戻りすることはで
きないで、ここから歩くしかないのですから。
ですが、少なくとも、モノのない時空に生きた人びとのほうがいまの
わたしたちよりずっと創造的であった、創造的でないとやっていけなか
ったということは、その時代を生きた祖父母を持つわたしたちの記憶に
はまだ残っています。消えかかりつつありますが。一方、手のなかに入
ってしまう小さな携帯電話は、まるで魔法のツールで、これまでは考え
も及ばなかったようなこともチョチョチョッと指先だけの操作で簡単に
できちゃうといいます。そんなことで株をやり、汗をみることなく瞬時
にして巨万の富を築く人もいるとか。働く実感なんてなくていい時代に
なりつつあるようです。モノに囲まれ、便利さに溺れていると、ときに
は大もうけできることもあるかもしれないですが、その一方、確実に人
間の知性は退化していきます。自分で考えることをしなくなっていきま
す。人間の能力が、新しいツールをどれほどじょうずに操られるかによ
って測られる時代って、いい時代なのだろうか。
わたしたちはどこでバランスをとるべきなのでしょうかねぇ。
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Re:Re:Re:★空白がつくりだす美しさを、日々の生き方に(01月20日)
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ちこらんたんさん (2006年01月24日 11時35分)
がのさん
反撃(言い訳?)にやってきました。
たしかに、今の状態で、一人でずっと海に・・・というのはできないんです
よね。
だから、もしかすると自分の本質や心の泉を分かっていないのかもしれ
ない。
でもね、今求めても手に入らないものが何かは分かっているつもりなの
で、なるべくそれを考えないようにしてるんです。
突き詰めてしまうと、多くのものを捨てなくてはならないから。。。
捨てていいものもあると思うけど、絶対に捨ててはいけないものもあ
る。
だから、束の間でも母に子どもをあずけて出かけるってのは、勝手に思
えるかもしれないけど、私にとってすごく大事な時間なんです。
まあ、束の間以上あずけてるかもしれないけど・・・チョークは加えさせて
ません(ーー;)・・・あしからず。
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Re:Re:Re:Re:★空白がつくりだす美しさを、日々の生き方に(01月20日)
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がのさん (2006年01月25日 09時54分)
ちこらんたんさん
束の間でも母に子どもをあずけて出かけるってのは、勝手に思えるかも
しれないけど、私にとってすごく大事な時間なんです。まあ、束の間以
上あずけてるかもしれないけど・・・
⇒長い長~い“束の間”、煩悩多きちこたんにはもうしばらく蜘蛛の巣
にひっかかっていてもらうことにして、わたしのほうがひっかかってい
た問題は、きょうたまたま、きれいさっぱり解決いたしました。ヘッ
ヘ、気分爽快なので、そのことを書きます。だけど、書きだすと長くな
りそうだな~。どうしようかな~。
リンドバーグ夫人については、オモテのほうで少しばかり紹介しまし
たが、それ以外のことはあまり話題になることはありません。アメリ
カ・ニュージャージー州のウルグルウッドというところに生まれている
ようです。父は弁護士、母エリザベスは詩人であり教育家。アンが学ん
だスミス大学の学長をつとめたりしています。やはり、ハイソに育った
人なんですね。父がメキシコ大使になった年(1927)のクリスマス休暇
に、リチャード・リンドバーグに出会います。彼は大西洋横断飛行の成
功した直後の、まさに時代の寵児でした。ホリエモンなんて比じゃない
よ。その出会いはすぐに恋愛へ、そして翌々年(1929)、アンに23歳のと
き結婚。で、今度は若い夫婦で北太平洋航路開拓に挑戦していくんです
ね。日本にも来ます。
で、いちばん知りたかったのは、そうした彼女の経歴のどこで、古い
時代の日本人がいいそうな、「空白のつくりだす美しさ」を見つけたの
か、シンプルライフ指向の原点はどこか、ということ。だって、ほら、
アメリカ人といえば、ごく一般的には、派手な原色好み、ジャズに象徴
されるように騒々しくにぎやかなのが好き、ラフで、大きいこと、早い
こと、強いことがいいことだ、とする思考スタイルの印象があるじゃな
いですか。それとは対極にある彼女の美意識、価値観は、ただごとでは
ないように思えるんですよね。
アッ、原点はここだったのか! というものを見つけました、…けれ
ど、くどくなりますので、それに、みなさんにはそれほど興味はないで
しょうし、コーナーを改めて影のほうでゆっくり書くことにいたしま
す。
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Re:Re:Re:★空白がつくりだす美しさを、日々の生き方に(01月20日)
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サンサンさん (2006年01月25日 14時08分)
がのさん
はるか昔、学生時代に、社会学の先生が、私たちは日進月歩の社会の中
で、数々の便利な物に囲まれて生活していき、さらにいろんな物が発明
されていくでしょう。
でも、果たして人はそれで幸せになるのでしょうかという課題で話し合
いをする機械があったことを思い出すことがあります。
あのとき、若かったので、なぜその先生はそんなことを課題にするのだ
ろうか。
なぜ、文明の利器を利用することが不幸せにつながるのか。
そんなことはあり得ないのではないかと思いながら話し合いをしていた
ことを思い出します。
また、自分が高校生の頃、その当時青学の神学部で学問していた兄が、
今は常識と思っていることが非常識になることがこれからたくさんある
と思うよということを言っていたことも思い出しました。
さらに、パルバースさんの”Dreamtime”を思い出します。
私たちは、あらゆる便利なものに囲まれていて、果たして幸せなのだろ
うか。
すべての文明の利器を持たなかったとしたら、自分の力で生きていける
のであろうか。
そんなたくましさを自分たちは持てるのか。
子どもたちにそんなたくましい精神力と知恵を授けられるのであろう
か。
がのさんの問いかけから、いろいろ考えていく必要性を感じました。
子どもたちとのつながりは。。。
シンプルに生きているつもりでもまわりに物がありすぎるなぁと思った
り。
でも、基本的にがのさんの日記を読んでほっとしている部分がありま
す。
やっぱり、ありがとうです。
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Re:Re:Re:Re:★空白がつくりだす美しさを、日々の生き方に(01月20日)
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がのさん (2006年01月25日 22時30分)
サンサンさん
私たちは、あらゆる便利なものに囲まれていて、果たして幸せなのだろ
うか。すべての文明の利器を持たなかったとしたら、自分の力で生きて
いけるのであろうか。そんなたくましさを自分たちは持てるのか。子ど
もたちにそんなたくましい精神力と知恵を授けられるのであろうか。
がのさんの問いかけから、いろいろ考えていく必要性を感じました。
⇒ありがとうございます。ほんと、何を捨てることがシンプルライフな
のか、どこまで捨てればほんとうの美しさが見えてくるのか…。つまず
き、迷いつつも、ちこらんたんさんのように、なるべく考えないように
する、という方法もあるかも知れません。捨て去って自分だけ満足でき
ればいい、というものでもないようですし。清貧な生き方については退
職以来ずいぶん学んできたつもりですが、生来人品卑しいわたしはなか
なか欲と俗気が捨てきれず、ぜんぜんだめですね。
下のちこらんたんへの返信で、リンドバーグ夫人の思想の原点につい
ての追究を、あまり人の目のとどかない隅っこのほうでひっそりと、自
分の記憶整理のためにまとめておこうと云い、わたしのつまらないこだ
わりを皆さんに押し付けることは控えようと思っていたのですが、サン
サンさんのこの書き込みを見て、いやいや、これも少しはみなさんの活
動と生き方のタシにならないでもないかな、とおこがましくも思いた
ち、オモテ(日記)のほうで書くことにいたします。つまり、それは日本
人が歴史のなかで培ってきた伝統的な思想に行き着くようなんですね。
秘密は彼女のもう一冊の名著のなかにありました。また、だらだらとし
た長文になりましたが(800字のつもりで書きはじめたのですが)、一度お
目とおしいただけましたら幸いです。
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Re:★空白がつくりだす美しさを、日々の生き方に(01月20日)
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さちこさんさん (2006年01月26日 13時36分)
がのさんへ
総会が終わり知恵熱を出して寝込んでおります。。。
風邪だからと堂々と寝込んでいられるのをいいことに、
ちこさんから総会でお借りした「海からの贈り物」を読破。
私自身が「30代」「女」「主婦」ということもあり、
深くうなずける言葉の数々。
風邪が治ったら、ちょっと本屋さん行って買ってきます。
落合恵子さんのも。原書の方も。
これは「買って読む」本ですね。
本が開ききっちゃうまで精読する本だと思いました。
著者はスミスカレッジ出身なんですね。
現代より少し昔、上流階級で才能ある女性たちの悩みは、
慣習や伝統に縛られて今よりもっと深いものだったのでしょうね。
ジュリアロバーツ主演の映画「モナリザ・スマイル」、
スミスカレッジが舞台モデルだそうです。
精読してから、また感想をHPにUPしようと思います。
素晴らしい本をご紹介していただいてありがとうございました!
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Re:Re:★空白がつくりだす美しさを、日々の生き方に(01月20日)
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がのさん (2006年01月26日 23時48分)
さちこさんさん
風邪だからと堂々と寝込んで、ちこさんから総会でお借りした「海から
の贈り物」を読破。私自身が「30代」「女」「主婦」ということもあ
り、深くうなずける言葉の数々。
⇒総会があったのですね。40周年とのこと、またさまざまな課題が投げ
かけられたことでしょう。いかがですか、今年の信条として掲げた「無
理をしない!」に添ってその課題を達成できそうですか。
ね、ね、ねっ、でしょう! さちこさんのその生活信条にぴったりで
しょう、さちこさんのために書いた本みたいでしょう。……むだを削ぎ
落とした簡易なところに美しさとこころの潤いを見出す……虚栄心を去
り、自尊心というものから解放された、水晶のように澄んだ自由の感覚
のなかで、自分の底の心の泉から湧き出す純良なものにジッと目をむけ
る…、そういうひとときの喜びをわたしたちは忘れているのかも知れま
せんね。
これは「買って読む」本ですね。本が開ききっちゃうまで精読する本だ
と思いました。
⇒読書会のメンバーの方も口ぐちにおっしゃっていましたよ、傍線を引
き引き、ゆっくり噛みしめながら、繰り返し読んでみたい、と。
そういう本をもてるというのは、幸せですよね。
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Re:Re:Re:★空白がつくりだす美しさを、日々の生き方に(01月20日)
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さちこさんさん (2006年01月27日 22時27分)
がのさんへ
>モナリザ・スマイルのモデル舞台
スミスカレッジではありませんでした。
お詫びして訂正申し上げます。
>40周年とのこと、またさまざまな課題が投げかけられたことでしょう。
>いかがですか、今年の信条として掲げた「無理をしない!」に添って
>その課題を達成できそうですか。
う、う~~~ん。。。どうなんでしょ~~~???
きらきらと輝くテューターの諸先輩から刺激を受け、
体が自然に動くのを待つと言ったかんじでしょうか・・・。
先輩テューターの偉大さ、自分の力量不足を痛感する今日この頃です。
>むだを削ぎ落とした簡易なところに美しさとこころの潤いを見出す、
>虚栄心を去り、自尊心というものから解放された、
>水晶のように澄んだ自由の感覚のなかで、
>自分の底の心の泉から湧き出す純良なものにジッと目をむける…、
>そういうひとときの喜びを
>わたしたちは忘れているのかも知れませんね。
ざわざわしている世の中に流されず、
かといって頑固に自分の思っていることを通しすぎもせず、
大切なものを大切な人と分かち合いたいですね。
どうすればそれができるか、ラボでも家庭でも暗中模索の最中です。
がのさんの論文、
もし部数に余裕がありましたら是非いただきたいです。
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Re:Re:Re:Re:Re:★空白がつくりだす美しさを、日々の生き方に(01月20日)
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ちこらんたんさん (2006年01月29日 12時39分)
がのさん
そうですね~。煩悩多き私、まだしばらく蜘蛛の巣にひっかかっていそ
うです。
問題解決にはまだ何年もかかりそうですから。
がのさんは今ちょっとすっきりしてるんですね。いいなぁ。
リンドバーグ夫人の背景の話、林ライスさんとのやりとりも含め、興味
深く読ませていただきました。
それを踏まえてまた読み直してみたいですね。
さちこさん同様、何度も読み返すかな。
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Re:★空白がつくりだす美しさを、日々の生き方に(01月20日)
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サンサンさん (2006年02月01日 08時51分)
「海からの贈物」
アマゾンから取り寄せて、昨日届きました。
これから読みたいと思っています。
ワクワク。
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Re:Re:★空白がつくりだす美しさを、日々の生き方に(01月20日)
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がのさん (2006年02月01日 11時03分)
サンサンさん 【その1】
>「海からの贈物」アマゾンから取り寄せて、昨日届きました。これか
ら読みたいと思っています。
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あ、サンサンさん、これを読んでくださいますか。
ひと一倍忙しいひとですが、どうやら今年から組織運営の第一線から
解放される由。少しは肩が軽くなり、落ち着けるかも知れませんね。
どうぞ、ゆっくり、無理をなさらず、よく噛み噛みしてお読みくださる
こと、願っております。サンサンさんの場合、影響力が大きいですか
ら、リンドバーグ夫人のあの思考風土をしっかり体してくださった場
合、それが香り高い風になって周囲に広がることが期待されます。
この「海からの贈物」、あるいは「日本紀行」、またその前に書かせ
てもらった華道をめぐる話を通じて、自分のなかのシンを見つめよう、
心の奥に湧く泉の清さを愛そうじゃないか、どんなことも一つひとつご
まかしなく…、というようなことを、わが身もわきまえず無遠慮に言っ
てきたように思います。それがどうでしょう、いまわたしたちの周囲で
起こっていることに照らすと、ドンピシャ! でしょう、…とわたしは
思うのですが。だって、このところ聞こえるニュースは、「ごまかし」
ばっかり、「たばかり」ばっかりじゃないですか。安易な効率のみを追
った私利私欲に発するごまかし。
マンション、ホテル建設の耐震強度をめぐる一連の偽装と責任のなす
りつけ合い、
ライブドアの小市民の小さな夢をあざむくセンセーショナルな欺瞞、
防衛施設庁の、天下りにからむ根深い談合、
米国産牛肉の輸入で発覚した、あちらとこちらの不誠実なたばかり、
ビジネスホテルでは、確認許可のおりたあと、それっ、待ってまし
た、とばかりの違法承知の改造工事、
まだまだ広がる老人を狙った振り込め詐欺、などなど。
卑近には、E-Mailを開けるとたんにドッと入ってくる、恥知らずの迷
惑メールの数かず。【つづく】
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Re:Re:★空白がつくりだす美しさを、日々の生き方に(01月20日)
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がのさん (2006年02月01日 11時05分)
サンサンさん 【その2】
ひとの生き方に規矩(特別な尺度)はありませんので、わたしごときが
とやかくいうことではないのかも知れませんが、自分のシンを見つめる
ことが、恥も外聞もない、私利私欲の方向へその人を引っ張ったとすれ
ば、それは安っぽい知恵が生んだウソっぱちで、そこにこそ心の偽装が
あると言わねばならないでしょう。
深いこころの底から湧き出す水晶のような輝きをもつ泉、その清さ尊
さ無垢さを信じたいものです。
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Re:Re:Re:★空白がつくりだす美しさを、日々の生き方に(01月20日)
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サンサンさん (2006年02月01日 14時02分)
がのさん
ちょっとだけ読み始めています。
もう、最初のところを読んだだけでも心が静かになっていく感じがしま
す。
無理をしていない、自分の魂の声を聞きながら生きている方なんだなぁ
と感じました。
がのさん、ありがとです。
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Re:Re:Re:Re:★空白がつくりだす美しさを、日々の生き方に(01月20日)
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がのさん (2006年02月02日 00時30分)
サンサンさん
読み始めています。もう、最初のところを読んだだけでも心が静かにな
っていく感じがします。無理をしていない、自分の魂の声を聞きながら
生きている方なんだなぁと感じました。
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ありがとうございます。どうぞ、焦らず、ナナメ読みにせず、ゆっく
りお読みください。わたしのこの町でも、過日の読書会を機にちょっと
したリンドバーグ夫人ブームになっているのですよ。デパートに入って
いる大型書店が派手なPOPを掲げたり…。
それにつけても、テューターの方がたにはぜひ読んでいただきたい一
冊ですね。子どもの純朴さ、真率さを愛するテューターに投げかけてい
るメッセージのようにも読めるからです。もし子どものまっすぐな心を
スポイルするものがあれば、全身をもって立ちはだかり、それを守りぬ
かねばなりません。幼いこころに託すべき大事なものを届けつづけ、純
朴さ、真率さをより強く逞しく育てあげるのがテューターの立場でしょ
う。そのためには、こちら側のこころの奥に湧き立つ透きとおった泉を
片時たりと涸らすことがあってはなりませんですよね。たえず自分のこ
ころの底をのぞいているのが肝要だというのは、その謂いですね。もち
ろんそんな人はいないと思いますが、一行二行の英語が言えた、言えな
かったに一喜一憂しているのは教育じゃありません。子どもからしなや
かな想像力をひきだすことのできる金色の奇跡の糸の先端が、このへん
に出ているような…。
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