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★大正モダニズムと「蛇にピアス」 |
02月13日 (金) |
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都心に出てひと仕事を終え,さて帰るといって,まずまっすぐ帰ることはめったにない(もちろん,お酒をひっかけるというわけでもない)。
きのうのこと,書店に立ち寄り,「文芸春秋」3月特別号と木田元さんの「一日一文」(岩波書店刊)を買う。衝動買いというに近い。
それにつけても,桜の開花を思わせるような好天。渋谷に着いたら,どういうわけか,ふと大正ロマンティシズムのイメージがアタマの底のあたりから湧き出し,そうなると足の向く方角はほぼ決まっている。逆方向である。
地下鉄根津駅に出,弥生坂を登って弥生美術館・竹久夢二美術館へ。今年になって展示は高畠華宵(かしょう)の作品に替わっているはず。
しかし,大正ロマンはいいが,その前に,ぶ~~ったまげてしまった! 根津へ向かう地下鉄の中でさっき買ったばかりの「文芸春秋」をペラペラとめくり,このほど芥川賞を受けた「蛇にピアス」(金原ひとみ作)に目を向けた。まだ4分の1も読んでいないので安直な批評や感想は控えねばならないが,なんとまあ,大正ロマンに癒しを求めようという疲れた精神にとっては,あまりにも異質な,宇宙的距離さえ感じるほど超異質な世界。
どうでしょうか,舌を割いて,そこにピアスをつけるための穴をパチリとあける…,鼻のわき,唇のわき,いや,性器にも。あるいはまた,若い肌にスミ(刺青)入れと,わたしなんぞには考え及ばぬ未成年男女の奔放にして〝不健全〟な姿が生々しく綴られていく。こういう世界,みなさん,気持ちいいですか? そして,まるで蠅か下等の虫のようにやたらにセックスするガキんちょども。都会の片隅に生きる若者の,あまりにも軽い存在。そこでは,生きることがちっとも貴いものに思えない。アメリカの文化人類学者のルース・ベネディクトがいう日本固有の文化としての「恥」も,江戸の伝統文化の粋たる「いき」も,まるであったもンじゃない。この先,どうストーリィは展開するのか知らないが,書くことを通じて作者(あるいはこれを受賞作に選んだ人たち)は,現代の不透明を生きる人びとに何を伝えたいのか,どんなメッセージを汲み取れというのか。
高校生年代の子で,Gパンをだらしなくずり落とし,ケツを半分出して歩いているバカをよく見かけることあるでしょう。そんなときは,モノサシでも持っていたらそこをピシッと叩いてやりたくなる。倒錯した若者のイキぶり。ついていけない。その無作法を若者「文化」と云ってわかったようなことを云う似非「文化人」がいたりするから,いよいよわからなくなる。わたしたちはいま「文化」の意味もわからなくなってしまった文化の貧しい社会にいるということだけが確かな感覚で意識される。文化のいちばん育っていない部分を皮肉と逆説でそう云っているのかと思えば,まんざらそうでもないという文化意識の粗悪さ。
(やれやれ,大正ロマンに行きつくまでに,まだ長ながしくなりそうなので,このあとは左のページ一覧のうちの「徒然塾」のほうにて…)
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Re:★大正モダニズムと「蛇にピアス」(02月13日)
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円戸津 高志さん (2004年02月13日 22時24分)
>大正ロマンに癒しを求めようという疲れた精神にとっては,あまりにも異質
な,宇宙的距離さえ感じるほど超異質な世界。<
何時の時代もエネルギー落とした年寄りは、現実の今のエネルギーの流れにつ
いていけないことが、恨みになったり、過度な批判に成ったり致します、我々
の年代からも中庸の選択をしながら、遠すぎず、近すぎず届くメッセージを送
るようにしてまいりましょう。
21日大佛次郎賞記念講演会に横浜へ行き、山本義隆さんの話を聞きに行きま
す、物理の世界から欧米文化を、老母の世話から介護の話を、そして駿台予備
校で一緒に過ごす予備校生を如何語るか楽しみです。
先日、新古書店で100円買った「死の棘」島尾敏雄著ゆっくり読んでいます
が、がの様が手にされた木田元著「詩歌遍歴」そして紀田純一郎著「翼のある
言葉」そして「菜根談」はぱらぱら捲り元気をもらいます、何時の時代も聡明
な人は居たのですね、あの広報のM氏は「何時の時代も金持ちもいたし、貧乏
人も居た」とカッパして見せましたが、お元気でしょうか。
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