Re:Re:奥信濃の四季と「阿弥陀堂だより」(03月26日) [ 関連の日記 ]
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がのさん (2010年04月09日 10時27分)
みかんさん
【その1】
みかんさん、こんにちは。
熊本には春はどんな訪れかたをするのですか。サクラのあと、
まぶしいような若みどりがふつふつと萌えでているころでしょうか。
お住まいの合志とはどんなところか知りませんけれど、
志を合わせる……、すてきな名前ですね。そこにも光の春。花の春。
市民のみなさんが大事にする「志」とは、どんなものなのか、
こんど機会がありましたら教えてくださいませんか。
>庭にパソコンを持ち出して、我が家の四代目モルモット、ののちゃん
のお庭散策に付き合いながら、書いています。
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➥ なにやら、フェルメールかアルベール・アンカーの絵を見ているよ
うな情景。
題は「春の透き通った光のなかでパソコンをうつ女」。
庭を縁どる樹々が濃い陰影を落とし、光がまだらな点をつくって、
パソコンを前に半分まどろんでいる女性のまわりをひらひらと踊ってい
ます。
四十雀やルリカケスがしきりに恋唄をうたう、ウグイスの声も。優雅な
午後。
長いベールをなびかせて踊る光の妖精たちの、その足元に、
あらら、右にチチッ、左にチチチッ、と動く小動物。
すんなりと背の高い女性は、萌え出たばかりの若草を素足で踏んでいま
す。
その足のうえにも来て、午後のひとときをたわむれる小さなものたち。
ピィーィ、クイーッ…。
――ほらほら、あれはノスリかサシバの鳴き声ですよ、
そんなに遠くまで遊びに行ってはいけないと言ったでしょ、ののちゃ
ん、
ノスリの鋭い目にとまったら、もうにげられません。
――そんなに脅したってだめよ、春ですもの、ほら、からだが
ぴょんぴょん、自然に動いてしまうの、
それに、ここにはそんな怖い猛禽類はいませんよ〜、だ。
――も〜、落ち着いていてくれないから、がのさんに何を書くのか、
忘れちゃったじゃないの!
――あらら、それ、ほかのもののせいにしてしまうことでしょうか
ね〜。
【つづく】
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Re:Re:Re:「砂場遊び」からつくられるもの(04月06日) [ 関連の日記 ]
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ぼっくりさん (2010年04月08日 23時35分)
がのさんへ
がのさんのお返事、読むのが楽しみになる丁寧さ・・・ありがとうござ
います。
>おめでとうございます。心から。
>NNちゃんの制服すがた、見てみたいなあ〜。ほんと、見てみたい。
>デジカメで撮ったのがありましたら、ぜひ画像を送ってほしいな
>あ〜。
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⇒中学生になりました!お祝いの言葉、ありがとうございます。
5日はとても寒い日で、体育館での入学式はシバレました~。
ビデオもカメラも持参せず(バタバタと追われていたので頭が回ってお
らず忘れたというのが真相ですが)、おかげで一部始終をシッカリとこ
の目と耳で吸収する結果になりました。
制服のデジカメ写真、メールアドレスへ送ります!
>しかし、それは、もっと強い枝葉をつけるために、見えない力がそう
>働いたんですね。
>折れてしまったとき、その枝を、支え、励ましてくれる手なら、
>地域にいっぱいあります。子どもたちの輝きを愛するたくさんの手
>が。
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⇒鶴岡八幡宮の大イチョウ、びっくりしました。
去年だったか一昨年だったか、たまたま出かけて木の横でしばらく
立ち止まって眺めたことがあったのですが、まさか倒れてしまうと
は・・と。
がのさんのこのお話を聞けた中学生達は、心のどこかにがのさんの
言葉が残って、何かあった時には思い出してくれると良いですね。
がのさんの地域での活動を少しずつでも紹介して下さること、世の
中への関心度が高くなるきっかけになります。
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Re:Re:「砂場遊び」からつくられるもの(04月06日) [ 関連の日記 ]
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がのさん (2010年04月08日 10時18分)
ぼっくりさん
【その3】
>わが娘の中学入学式と、がのさんの文章が重なりました。生きていく
には困難だってあるに違いないですが、後ろから全力で子ども達を守ろ
うとする人達がたくさんいるのですよね。
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そうでしたか、NNちゃんは中学生! もう、中学生!
おめでとうございます。心から。
NNちゃんの制服すがた、見てみたいなあ〜。ほんと、見てみたい。
デジカメで撮ったのがありましたら、ぜひ画像を送ってほしいなあ〜。
そうすると、RTくんはこんど何年生になりましたか?
この地域の、こんど中学生になる大勢の子たちに向けて
先日、ある話をしました。
ご存知、鎌倉の鶴岡八幡宮の大イチョウが強風で倒れました。
えっ、あの大木が!? と、びっくりしましたね。
でも、そのあと、たくさんの若芽が吹き出たと伝えられ、
ホッとしました。
ひとだって、同じ。いつまでもそのままということはない。
何かのとき、ポッキリ折れるときだってある。しかし、それは、
もっと強い枝葉をつけるために、見えない力がそう働いたんですね。
折れてしまったとき、その枝を、支え、励ましてくれる手なら、
地域にいっぱいあります。子どもたちの輝きを愛するたくさんの手が。
花はかならず枯れる。何のために。
そう、つぎの季節にもっともっとあざやかな花を咲かせるために。
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Re:Re:✦「砂場遊び」からつくられるもの(04月06日) [ 関連の日記 ]
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がのさん (2010年04月07日 21時29分)
ぼっくりさん
【その2】
>「砂場遊び」のお話、今の私は素通りできない気持ちで
子ども達が育って行く姿、私がこの春体験している色々と実に重なって
いたからでしょうか…
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前記の伝で言うと、「砂場遊び」、
これが一つの子どもの原風景でしょうか。
きっとぼっくりさんにも覚えがあるでしょう、
そこで展開する、いつわりのない子どもたち、とりどりのこころ模様。
もっとも、わたしのようなのが、傍からそれをじっと見ていたら、
あやしい、と気味わるがられるでしょうが、
いつまで見ていても飽きないほど、どの子の仕種にも
ほほえましく楽しいものがあるに違いありませんね。
「一瞬の貴重なきらめき」を見せてくれる、生身の子どもたち。
テューターとは、瞬間瞬間のそのきらめきを的確に受けとめられる人た
ち、
…であってほしいと思っています。その点、ぼっくりさんは、保証つき
ですけれど。
「遊育」については、ぼっくりさんには、以前ここで書いたものを読ん
でもらっていましたね。
何か悪いことをしてやろうと、ありったけの知恵をしぼったこと、
イタズラしてやろう、ウソをついてやろうと、夜も寝ずに考えた、
あの少年時代の遠い日々。
あの日々からどれほど成熟できたのか、
その実感に乏しいわが身の哀しさ、あ〜あ!
【つづく】
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Re:Re:✦「砂場遊び」からつくられるもの(04月06日) [ 関連の日記 ]
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がのさん (2010年04月07日 21時18分)
ぼっくりさん
【その1】
>“春の信濃路”を描いた絵、ピタと目を奪われてしまいました。ひと
めであの風景の中に吸い込まれてしまう様な…。実際にはどのくらいの
大きさの絵なのでしょう。
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日展系の白日会、はじめてこの展覧会を観ました。
地下鉄の駅でいうと、日比谷より三つ四つ手前の乃木坂で下車、国立新
美術館へ。
この日、日比谷公会堂ではラボの大集会があり、
ご招待を受けてはいましたが、それよりずっとずっと以前からのお約束
で、こちらへ。
同時開催のルノワール展には長蛇の列。これにも心惹かれましたが、
せっかくのご招待、ゆっくりとこちらの絵画部門、彫刻部門を見てまわ
りました。
人物画が多く、全体的な印象としては、すばらしい絵美人にたくさん会
った、
というもの。
風景画で印象深いものはあまりなく、そんななか、たまたまレンズにお
さめたのが、これ。
「日記」に添える画像にしようなどとは、思ってもみませんでした。
でも、いいでしょ、あたたかくて、山野の香りがいっぱいしていて。
日本の原風景に近いイメージを、やさしい感覚でとらえています。
棚田、そして夕陽、影なす山波…。わたしたちはなぜ
そういう風光に安らかな郷愁を覚えるのでしょうね。
もちろん、映画でみた奥信州の風景とそれとは、だいぶ違います。
ぼっくりさんが春のキャンプで見た奥信州の風景ともぜんぜん違うでし
ょうが、
母のふところに帰ったような、なつかしく、甘い感傷を覚えませんか。
そうですね、サイズは左右が250センチくらいだったでしょうか。
その風景のなかにすっぽり浸りきる、というには、
なんせ展覧会場は無機的で無粋ですので、残念ながら、なかなか…。
【つづく】
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Re:Re:Re:がのさん ありがとう
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がのさん (2010年03月30日 21時03分)
iga chanさん
>人の縁は不思議ですね。今度生を受けるとしたら、やっぱり人間です
かねえ…
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➥どんなに悩み多くても、やはり人間がいいでしょうかねえ。
ここはラボの物語をかりて考えるとして、
あるテューターが以前言ったのは、生まれかわるとしたら
“アリギリス”になりたい、ですって。
あらゆるしがらみにとらわれず、陽気に飛び跳ねていたいし、
いや、そればかりでも困るし…、というところ。
まあ、若いiga chan のこと、時間はたっぷりありますので、
あわてず、じっくり考えてみてください、
人間以外だったら、どんな生きものがいいか。
>阿弥陀堂~観てみたくなりました。
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➥ぜひ、DVDを探して、わたしの見逃してしまった最後のところまで
しっかり見てください。それは、かならず上質なひとときを
iga chan に与えてくれるはずですので。
それに、舞台は、いわばiga chan の足元近く。
谷中村六川というところ、これは架空の地名なのか、
実際にあるところなのか、機会があったら探索してみてもらえません
か。
オープンセットの釈迦堂がそのままそこに残されているといいますか
ら、
飯山市のはずれの、どこかにあるはずですので。
それに、佐久市にお住まいということですので、ご存知かどうか、
“小午田”といったでしょうか、そこのなんとかというお寺さんに
ラボの、いや、わたしが公私にわたってお世話になった山室静先生が
永眠なさっておいでのはず。
いつか、いつか…、と思いつつ、いまもってお参りに行けずにいます。
もしおわかりでしたら、こんど、お花の一本でも
あげてもらえると心やすまるのですが。
せっかくですので、また「ことわざクイズ」。これ、ケッサクだと思い
ません?
おすけべよばわりよしてれ
(ヒント:「終」という漢字が使われる)
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Re:Re:がのさん ありがとう
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iga chanさん (2010年03月30日 09時28分)
がのさん、考えてみると確かにそうですね。ずっと勘違いしていまし
た。別の生を受けた時に また何かのつながりがあるのかもしれませ
ん。あるいは、前の生で何かの縁があったのかもしれませんね。人の縁
は不思議ですね。今度生を受けるとしたら やっぱり人間ですかねえ…
阿弥陀堂~観てみたくなりました。
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Re:Re:奥信濃の四季と「阿弥陀堂だより」(03月26日) [ 関連の日記 ]
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がのさん (2010年03月27日 17時37分)
ばーばーじゅこんさん
【その2】
あの阿弥陀堂は、この映画のためにつくられたオープンセットなんだそ
うですね。
映画にたくさんの村びとたちがエキストラで出ていますが、
ロケに使ったそのセットは今もそのまま残されていて、
村びとたちはその前を通るとき、かならず頭を下げ、手を合わせるんだ
とか。
棚田など、周辺の美しい風景もあって、以来、観光客もひっきりなしに
訪れ、
この御堂は観光のスポットになっているといううわさ。
改めて手許の地図帳を開いてみましたが、わたしの地図帳では
谷中村六川というところは見つけられませんでした。
もしおわかりでしたら、お教えください。
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Re:Re:奥信濃の四季と「阿弥陀堂だより」(03月26日) [ 関連の日記 ]
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がのさん (2010年03月27日 17時35分)
ばーばーじゅこんさん
【その1】
あのSさんが……。そうでしたか。
ばーばーじゅこんさんとは、ラボの輪を超えてずう〜とごいっしょでし
たので、
さぞかし寂しい思いをなさっておいでのことでしょう。
お察し申し上げます。
残念ですね。Sさんの御霊には、こころよりご冥福を!
> 北林谷栄さんのお婆さんの姿、雪で覆われた村と山の木々、現世か
らつながっているあの世への道のような映像、感動的でした。
[阿弥陀堂」にはでかけたいと思ったのですが、映画のあと出かける方
が多いとか聞きましたので、でかけずにおりました。
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➥北林さん、見事でしたね。俳優として演じているというよりは、
何十年もの星霜、あの御堂でのつつましい暮らしをしてきた人、
それ以外には思えないほどの自然さであり、存在感でしたね。
ぜんぜんそれらしくはないですが、
その名演がこの作品のハイライトではないでしょうか。
人それぞれの生き方、それぞれの老い方、それぞれの死に方を
村のすみからずう〜っと長いこと見つめてきた阿弥陀堂。
しみじみと深いです。
恵まれた自然のなかで、背伸びせず、頑張り過ぎず、
人のもつ原寸大の力でつつましく生きている人びとの、あたたかさ、誠
実さ。
都会生活にぼろぼろに敗れ、疲れはてた夫婦が、そのあたたかさのなか
で
自分を取り戻していくすがたも感動的です。
老人ばかりが住む村落。
老人福祉施設やコミュニティハウスのようなものが
があるわけでもありません。それでも、
当たり前のように互いに支えあい、助けあう村びとたち。
開発され、発展することもない山ふところの村にあって、
樋口可南子さん(美智子)は、神々しいまでのノーブルさ、
美しさを見せてくれる存在。結末のほうで、
43歳にしておなかに新しい命をさずかるのですが、
かつて流産し、子どもに選ばれることのできなかった自分
の不明を責めてこころを病んでいた彼女。
その彼女に新しい命が! 泣かせますね。
この映画を、ばーばーじゅこんさん、ご覧になっていらっしゃるんです
ね。
うれしいです。いい映画ですので、たくさんの人に観ていただきたいと
ころ。
平成14年の製作、そんなに古くなく、
DVDで出ているようですので、ぜひ見ていただきたいもの。
【つづく】
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Re:がのさん ありがとう
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がのさん (2010年03月27日 10時41分)
iga chanさん
>旅にでていたので留守でした。袖すりあうも多少の縁~人との
ふれあい よかったです。
➥そうでしたか。おとうさんの恢復、何よりでした。よかったですね。
すばらしい袖のすりあいがありましたか。でも、「多少」となると、
ちょっと意味が違うのよね。ニュアンスとしてはわからないでもないで
すが、
常識的には「多生」としてほしいところ。
この世に生まれたもの同士、決して偶然に出会ったわけではなく、
どこかでつながっている、といった意味。
このweb site で交信するもの同士、顔も素性もしらないが、
ラボでつながっている、いや、探れば、もっと違う形で
つながっているのかも知れない、…ですしね。
ただ、俗には「他生の縁」としてしまうことも多いですね。
こちらは、ほんとは、どちらかというと、仏教用語でして、
「今生」に対する「他生」で、人間、いずれの日にかは
死なねばならない身。さて、死んだあと、
もうひとつの世で何に生まれかわるか。
そんな使い方をすることば。
さて、iga chan 、あなたでしたら何に生まれ変わりたいですか?
人間以外だったら、何に?
(因みに、袖振り合うも…、としてしまう例もよくありますね)
問題の答え
白? わかりませんでした・・・
➥「紺屋の白袴」、聞いたこと、あるでしょ、こんなことわざ。
わたしのことをこう言う人がいますよ。ラボを早々に辞めたあと、
地域の文化活動、福祉活動、ボランティア活動など、
ずっぷりと地域にはまって走りまわり、自分のことなど
考えているヒマがありません。何のトクにもならず、他人のために
あくせく働く、そんな人のことを、半分は揶揄していうことば。
わたしは、ちょっと困難な私的事情があって、今期をもって
だいたいの公的委員を降りねばならないのですが。
しばらくこのブログのDiaryの書き込みを怠ってきました。
信州にお住まいのiga cjan のことをそんなに意識したわけではありませ
んが、(それもありますが)
このたび、思いがけず、映画で見た奥信濃の風光の美しさに感動、
久しぶりに書いてみました。これは「紺屋の白袴」というよりは、
自己満足でしかありませんけれど。
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