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〔がの〕さんの閑粒子日記
〔がの〕さんの閑粒子日記 [全205件] 131件~140件 表示 << 前の10件 | 次の10件 >>
★安寿姫は、死んだのちどうした…? 16 10月20日 (木)
「安寿と厨子王」と芭蕉の「おくのほそ道」
   荒海や 佐渡に横たふ 天の河
 知らないもののない松尾芭蕉の名句である。ちょっと時期をはずしたかも知れないが、この句がじつは「安寿と厨子王」の物語に深いつながりがある……、と云ったら、びっくりしませんか。久しくここでのおはなし日誌は、ゆえあってお休みしておりましたが、今回はそのことをご紹介してみたいと思います。
 俳聖・芭蕉は46歳の春、「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。…」と風雲の思いに衝き動かされて「おくのほそ道」の旅に発ちます。「風雲の思い」と書いてしまいましたが、当時は、ふっと思いついて、行きあたりばったりにできるような旅ではありませんで、さまざまな思惑と綿密な計画があったことはいうまでもありません。とりわけこの年、元禄2(1689)年は、芭蕉が生涯の師とあおぐ西行法師の歿後500年にあたります。師が歩いた陸奥(みちのく)の道を自分も自分の足でたどってみたいとする西行供養の巡礼行脚の旅であったことがうかがわれます。またそれは同時に、源氏一族の悲劇、頼朝に追われて陸奥に逃がれ、そこで果てていった義経主従を供養する旅でもありました。(このことについては、その一部、佐藤継信・忠信をめぐるエピソードを掲示板10/16のほうですでにご紹介しました。また別に同じものを「物語寸景2-2」の「義経記と平知盛」の末尾に整理しましたのでご参照ください)

 さて、芭蕉とその弟子の曾良の旅は、日光を経、白河の関をすぎていよいよ陸奥に。仙台、松島、平泉などをめぐったあとは日本海側へ向かいます。出羽三山を過ぎ、能因法師や西行のゆかり深い象潟(きさがた)へ出て、「象潟や 雨に西施が ねぶの花」と詠んで、日本海側の愁いをたたえた、悩んでうつむいているかの風情、うらむような風光をとらえています。ここがこの旅の最北端であり、ここから最終コースへ向かい、日本海に沿って南へ西へ…。
 旧暦の七月六日、新潟を舟で出て荒川を渡り、今町に到着します。現在の直江津・上越市ですね。このあたりまでは、怖いような濃い青さをたたえて咆え立てる日本海の海原を隔てて、佐渡島が見えていた……はず。「荒海や…」の句は、この地に着いた翌日に催された俳席でつくられたもの。ところが、芭蕉にずうっと随行していた曾良があらわしている「曾良旅日記」によると、その日は一日じゅうはげしい雨が降りつづいたとあり、天の河など見える状態にはなかったことが知れます。おまけに、たいへんな暑さと湿気のため、かなり重い病気に陥り、不快に悩まされていたようです。持病の疝気と痔核が出たようですね。そんなときに書いたのがこの句。
 今わたしの手元にあるテキスト、久富哲雄博士の『おくのほそ道』(講談社)によると、「眼前の荒海は、佐渡と本土とを隔てて、佐渡の流人たちは故郷の妻子を恋いこがれても逢うすべもない。今宵、牽牛・織女の二星が相会うという天の河を仰ぎながら、彼らはさぞ望郷の念にかられていることだろう、と述べて、親しい人びとと離れて佐渡をながめる越後路までやってきたわが身の旅愁を詠じたもの」と解説している。佐渡の流人たちの望郷の思いと結びつけたそういう鑑賞の仕方もあるでしょうが、いまひとつしっくり来ない。どうしても、これが実景を詠んだものではないことがひっかかる。

 疲れはピークにあり、体調不良のこのとき、芭蕉のこころにはっきりとイメージを結んでいたのは、佐渡の流人のことではなかったろう。そうではなく、この地で広く語られていた「安寿と厨子王」の秘話であったろうと想像するほうが自然だ。
 このおはなしについては、ラボのみなさんには改めて説明するまでもないことながら、念のため「説経節」からその概略をたどっておくと、奥州54郡の太守をつとめていた岩城判官正氏は、帝の勘気にふれて筑紫の国に流されます。その子どもの安寿姫と厨子王丸は、悲運の父を慕って、母と乳母(姥竹)とともに奥州から京へ向かいます。しかし、途中の直江津で人買いの山岡太夫にだまされ、母と子は別々の舟に乗せられます。だまされたとわかり、姥竹は悲しみのあまり荒れ狂う海に身を投げます。母は佐渡島へつれていかれ、両の目を泣きつぶしてしまい、鳥追いをしながら悲嘆の日々に耐えている。一方、安寿と厨子王は山椒大夫のもとに売りとばされ、奴隷のよう、畜生のようにこき使われる日々。厨子王はのちには仏の導きを得て立身出世を果たし、丹後の国守に任ぜられますが、それに先だち、安寿は、弟を山椒太夫の桎梏の地獄から逃がれさすため沼に身を投げて死に、追っ手の足を一時止めさせます。
 安寿姫のその貴い心根と勇気、健気さ、清い自己犠牲の精神をしのんで、直江津のまわりでは多くの伝説が生まれました。人買いの地というマイナスイメージを払拭したいとの土地の人びとの思いもあったでしょうか。なかでも、安寿姫は入水していのち果てたのち、銀色の竜に化身して空高く舞いのぼり、星になったと語られるものがよく知られています。
 ほんとうは雨にたたられて銀河などは見えなかったけれど、芭蕉は安寿姫の化身たる竜の銀色のうろこで飾られた星空をこころいっぱいに描いてあの名句をつくったのだ、といっても、あながち間違いではないように思うのですがどうでしょうか。
 荒波を隔ててはるかな佐渡島へ渡る天の河の雄大な夜の川の流れと、安寿のどこまでも澄みわたるこころの風景と…。また、銀河の描き出す円弧なす流れは、佐渡にいる盲目の母のもとへ厨子王をいざなうために安寿が架けた橋である、というロマンあふれる説話もあり、芭蕉はこうした土地の人が語る安寿と厨子王の物語に思いを寄せてこの句をつくった。わたしはそう信じているのですが。

 上越市には今も銀河をまつる習俗が残ってさかんにおこなわれており、荒川(関川)の川べりに短冊をつけた笹を数百本立てて七夕を祝ったり、それにつづき、七日後におこなわれる盂蘭盆会は、身についた穢れを洗い落とす禊(みそぎ)の行事として、ふたつの古くからの習わしをむすんで人びとは町をあげて大事に受け継いでいる。

 ☆…画像1点削除
★「キノコの町」でどう生きる? 13 10月03日 (月)
エコライフと薬物汚染、そしていぬいとみこさんの描く未来世界と…

EM菌。自然にあるものをまた自然にかえす触媒ということでしょうか。さとみさんが書いておられ、わたしはそれをはじめて知りました。ひとつの可能性なのかも知れません。EMとは何の略称なのかも知らないのですが。
また、ちらとこのひろば@を見回しますと、合成洗剤を使わないお洗濯の方法が紹介されたり、ドロシーさんのところでは農薬を使わない有機農法による稲作について語られるなど、エコライフへの意識の昂まりが感じられます。

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農薬によって奇形児が生まれたというニュースは、さすがにこのごろ聞かなくなりました。それでも、野菜や果物をつくっている農家の人、とくに高齢の人のなかに、手の指先が血行を損なって黒ずみ、奇妙に曲がっているのを多く見かけます。農薬のせいだそうです。野菜にしても果物にしても、最近では稲作でさえ農薬漬けです。おびただしい量の除草剤が撒かれます。このごろようやくアスベストによる健康被害が問題になり、対策が考えられるようになっていますが、人間の健康を損ねるのはアスベストだけではありません。
いまわたしたちが食べているもの、飲んでいるものには、ほとんど例外なく、防腐剤、抗酸化剤、添加物、着色料が入っています。これを気にかけていたら生きていけないような状態にあります。大量生産されていくその作業現場を見たらいいでしょう。そういうものがぼんぼん放り込まれています。それがからだにいいはずがありません。もののなかった時代に育ってきたわたしたちはともかく、小さいころからこうしたものばかりをからだに蓄積しつつ育っていくいまのコンビニ世代の人、これからの人たちに、こうしたものがどんな作用を及ぼしていくのか、怖いのであまり深く突っ込んでは予測する気になれません。
いぬい・とみこさんの短篇童話「キノコの町」が思い起こされます。地上をくまなくネズミ色の菌がおおい、クラゲのようなキノコがはびこって、人は絶え、鳥もけものもいなくなって、水の底の大ナマズと地中深くにすむモグラだけが機嫌よくはしゃいで跋扈する町に。
核によってか、こうした重宝な食料によってか、どちらが早く、人間を壊し、地球を死滅させるのでしょうか。
愛・地球博。100年後、200年後の本当の地球があそこで見えましたか。押すな押すなでつめかけた2,200万の人びとは、あの野心と欲望のうずまく人工空間で、どんな夢に誘われ、地球のどんな未来を見せられたのでしょうか。モリゾウたちの帰っていく森はどこにあるのでしょうか。低迷ぎみの中部地域の経済活性化にはなったようですが、いまさえ楽しけりゃいい、つかの間でも幸せな夢がここにある、という無邪気な気分にわたしはなれないものですから、みなさんがいい気持ちでいるところをあえてまぜっ返して…。切り枝に咲く花、いっときだけの華やぎを見せて、たちまち萎えていく花。そういうものってだめなんじゃないかと。
★それでも、川はさらさら、さらさらと… 5 09月18日 ()
「川とノリオ」いぬいとみこ

小夜/詩のようにきれい。「早春。あったかいかあちゃんのはんてんの中で、ノリオは川のにおいをかいだ。……ほっぺたの上のなみだのあとに、川風がすうすうと冷たかった」
がの/「川っぷちのわかいヤナギには、銀いろの芽がもう大きかった」。抒情的な散文詩というか、歌のようというか。そう、そのまま童謡にして歌いたくなるような、やさしい、ひびきのいい文章ですね。
小夜/ノリオちゃんは赤ちゃん。おかあさんの背中におんぶしてもらっているんですね。おかあさんは川で洗いものをしています。いなかののどやかな風景です。

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がの/でも、すぐつぎの場面に移りますよ。「ススキの穂が川っぷちの旗をふった。ふさふさゆれる三角旗を」。
小夜/ススキの穂といいますから、秋の深まったころ。
がの/これがどういうことか、小夜ちゃん、わかりますか。
小夜/川は秋になるとたくさん、たくさんのススキの穂でふちどられる、と。
がの/いいえ。ススキの銀色の波に見送られながら、おとうさんが出征していくんですよ。映画やテレビで見たことがあるでしょう、駅頭などでたくさんの人の「バンザーイ」「バンザーイ!」の声に見送られ、ちぎれるほど振られる旗のなか、兵隊さんが戦地へ赴いていくシーンを。
小夜/ノリオちゃんのおとうさんは「バンザーイ」の声ではなく、銀いろのススキの波のそよぎに送られて戦争に行ったのですね。うわ~っ、さびしい。
がの/おかあさんと、おかあさんにだっこされたノリオに見送られて。「ぬれたかあちゃんの黒目にうつって、赤トンボがすいすい飛んでいった」…。う~ん、さびしいねぇ。
小夜/そのあと、ノリオちゃんは2歳になります。つぎつぎにオイタをしますが、そのたびにおかあさんの手で小さなおしりをペンペンされます。
がの/川とすっかり仲良しになって、ノリオは一日じゅう川とあそびます。金色の光につつまれた、健康な、幼い神さまですね。無垢なこころですくすく育っていきます。
小夜/でも、川で無心にあそぶその幼い神さまの頭のうえ、青い空にB29が飛びかうようになります。そして、遠くでキラッと光るものをノリオちゃんは見ました。
がの/8月6日。その日、汽車で広島へ出かけたおかあさんは、暗くなっても帰ってきませんでした。
小夜/運がわるいんですねぇ、選りに選ってその日に行くなんて。じいちゃんが広島へ探しに行きますが、熱風に溶かされてしまったのか、なにひとつ跡を残さずに…。
がの/秋になります。川のふちのしげみで、昼間からコオロギがリリリリリ…、と鳴いています。「ススキがまた、銀いろの旗をふり、とうちゃんが戦地から帰ってきた」。ススキに見送られ、またススキに迎えられて、おとうさんは帰ってきました。
小夜/ウウーッ。小さな箱に入って。
がの/川は、その日も、さらさら、さらさら、いつもの歌をうたっていました。
小夜/15~16ページしかない短いおはなしですが、たくさんのことが語られているんですね。ノリオちゃんのいたいけなすがたと、描かれてはいませんが、そのまわりでおきているたいへんなこととの対比があまりにもあざやかなので、すごく印象に残ります。哀しいですけれど、その一方、まっ白なススキの穂につつまれて風をあびているようにさわやかな気分です。
がの/この本には、ほかにも8篇の作品が入っています。小夜ちゃんは、ほかにはどのおはなしがよかったですか。
小夜/そうですね、最後の「回転木馬と枯れ木の山と…」。これは東京大空襲がバックになっていますが、ほら、長谷川集平さんの、ピカソが描く絵のような挿し絵が、おはなしの幻想性とぴったりしていて、いいなあ、と思いました。
がの/なんだか、この作家は淡々と書いておられますが、どれもすごいおはなしです。「トビウオのぼうやは病気です」は、ビキニ環礁でおこなわれたアメリカの水爆実験(1954年3月1日)のことが背景になっています。元気なトビウオのぼうやは、白い粉の降ってくる海のうえをスイーッ、スイーッと飛んであそんでいますよ。もう、夢中です。でも、そのあと、マグロやフカ、そのほかいろいろなお魚が、毎日毎日、潮に乗って海面を流れていきます。そしてトビウオのぼうやは、サンゴの林のかげで病気で寝たままになります。
小夜/放射能を浴びたのですね。
がの/この実験がおこなわれたとき、死の灰を浴びたのはトビウオのぼうややお魚たちだけではありません。日本のマグロ漁船の船員さん23人も、お仕事をしながらその灰を受けてしまいました。久保山さんという人は半年後に亡くなっているんです。
小夜/戦争はもう終わったのに、そんな形でまだつづいているのですね。
がの/「キノコの町」も、愉快そうに書かれていますが、ほんとうはおそろしいことを暗示しているのですよ。水の底にすむ大ナマズや土の下深くにいるモグラたちはご機嫌ですが、地上には人間も鳥もケモノたちもいなくなって、それまで人間が暮らしていた世界はネズミ色のキノコだけがびっしり生えた町に変わってしまっているのですから。核戦争の恐怖です。
小夜/「休火山」というおはなしも、小夜は好きですよ。ほら、宮澤賢治の「ペンネンネンネンネネムの伝記」や「グスコーブドリの伝記」のような味わいがありますでしょ。火山のことが出てきたりしますし。短いおはなしながら、どれもとてもイメージの大きい、メッセージのはっきりしたおはなしですね。やさしい、詩のようなひびきあることばもすてきです。

※いぬいとみこ「川とノリオ」理論社名作の愛蔵版 絵=長谷川集平
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★日本の「美しい心」に託された小人の家族 6 09月04日 ()
――「木かげの家の小人たち」いぬい・とみこ

「木かげの家の小人たち」を読みました。これも一気に読んでしまう内容でしたよ。小人の家族そしてロビンとアイリスという子どものこびとが成長していく様子。戦争を乗り越えていく様子。この家族を一生懸命守ったゆりの努力。やさしい哲兄さんが終戦の1週間前に19歳の若さでなくなること。小夜ちゃんとおしゃべりしたくて待っていました。
【Play with meさん 2005.8.23】

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PWMせんせい、長いおはなしなので、「あとで」と思っていたのですが、待ちきれずに小夜もさっそく読んでしまいました。とっても、と~ても感動的なおはなしでしたね。読んでよかったなあ、と思いました。
戦争のあった時代、東京の森山さんのおうちをさまざまな暗い影がおおいはじめます。おとうさんは「非国民」、国をあやまる自由主義者として警察に連れていかれたり、ゆりちゃんのすぐ上のお兄ちゃんが急に戦争かぶれになったり…。日本人の「美しい心」を信じてイギリスの教育者がこの森山家の人びとに小人の夫妻、バルボーとファーレンを託して帰国して行きます。ほかのだれにも秘密です。身長14センチほどの小人。このアッシュ家に間もなくアリスとロビンという子どもが生まれます。本の小部屋の片隅に住む4人の小人家族を支えるのはやさしい森山家の人たち。小さな空色のコップに注ぐだミルクを毎日欠かさず提供します。これを唯一の糧にして生きる小人たち。その役目はずっとずっと引き継がれて、最後は小学校3年生のゆりの役目になります。しかし、戦争は、理不尽なことを押しつけたり、人間のやさしい心を奪うこともあり、親と子がいっしょに暮らすというささやかな幸福さえ奪うことがあります。
爆撃がはげしくなり、東京での暮らしは危険になって、ゆりちゃんは家族から離れ、ひとり信州に疎開することになります、小人一家をともなって。そうそう、そこが黒姫です。当時は黒姫ではなく小林一茶の句で耳にする「柏原」と呼ばれていました。野尻湖のそばの農家での疎開生活。ラボの皆さんの耳には聞きなれた野尻湖、弁天島、黒姫山、妙高山、飯綱山、古間駅、…なんて名前がよく出てきますね。やせっぽちで体の弱いゆりちゃんは、まわりから「非国民の子」と呼ばれて冷たい目にさらされながら勤労奉仕につとめ、草刈りをしたり山から薪運びをしたり、さまざまな努力を重ねて小人たちにミルクを与えつづけます。牛乳なんてぜいたくで、そんなものがあれば国のために戦っている兵隊さんに与えられるべきとされています。水のように薄められた牛乳ならまだしも、やがてそれが粉ミルクになることもあります、ヤギのお乳になることも。それさえも入手が困難になり、ほんの一滴しか供することができないときもある。そんななかでゆりちゃんは病気で倒れてしまいます。空いろのコップに入れるミルクがなくなると、ひとことも告げずに出ていってしまう小人の家族。小人たちだって生きるのに必死です。
小人たちに提供するミルクに戦争というものを投影させてその惨さを語るこの作家の描写力の確かさに、小夜はすごさを感じました。それに、ロビンやアイリスと仲良しのハトの弥平。世の中で起きていることを鳥の目で捉えて小人の子どもたちに知らせます。ふしぎな予知能力をもち、つむじ風とともに現われては消えるアマノジャキという小人の仲間のような存在もおもしろいですね。

※…戦争のことをみんなで考える「8月」は終わりましたし、戦争のおはなしはもう書かないと云っていたのに、また書いてしまいました。だって~、いいおはなしは、いいおはなしだし……。
★戦後60年、残すべきものと残してはいけないもの 14 08月23日 (火)
早乙女勝元『パパ、ママ、バイバイ』

小夜/だ~れもいませんねぇ。すずかけの木の下のベンチです。う~ん、いい風。
がの/蝉の鳴き声だけ。あとは、ときどき木の葉を裏返してわたる風の音。緑がみずみずしく輝いているし、小さいけれどなかなかいい児童公園です。むこうに小山が見えますね、あれが前方後円墳、古い古い時代のお墓です。このへんには、ほかにも竪穴式住居跡など、弥生時代をしのばせるものがたくさん見られます。
小夜/このあたりなのですね、『パパ、ママ、バイバイ』に書かれているところは。アメリカの戦闘用の飛行機が墜落して、3歳のユーくんは事故から12時間後に、1歳のヤスくんはその3時間後に亡くなりました。おかあさんも、ふたりが亡くなっていることを知らされないまま、あとを追って亡くなりました。
がの/そう。それらしい痕跡はどこにも残っていませんけれど、当時このへん一帯は黒い煙と強烈な臭いに満ちた火の海だったそうですよ。
小夜/このきれいな木たちも、その後に植えられたものなのですね。

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この悲惨な事故を人びとの記憶にとどめようと、1988年1月、
横浜・港の見える丘公園フランス山に設置された「愛の母子像」


がの/小夜ちゃんもおとうさんも、この夏は、過去にあった戦争のことをたくさんお勉強しました。
小夜/ヒロシマのこと、ナガサキのこと、沖縄のこと。
がの/ナチスのアウシュヴィッツ強制収容所やテレジン強制収容所のこと、歴史認識の違いのことから、盧溝橋事件のこと、満州の七三一細菌研究秘密部隊のこと、南京大虐殺のことなど、日本軍が中国や韓国・北朝鮮でおこなってきた残虐な蛮行の数かずを見てきました。小夜ちゃんもがんばりましたね。
小夜/はい、戦争というものの宿命なのでしょうが、人間が人間であることを忘れて差別をし惨いおこないに走るすがたにふれて、なんだか血が凍って何度も泣いてしまいました。アンネ=フランクさん、なんであんな目にあわなければならないのでしょうか。ハーケン・クロイツ(黒い鉤十字)の恐怖、ナチス・ドイツが虐殺したユダヤ人が600万人。途方もない数です。
がの/そういいますけど、日本の15年戦争、あの帝国主義的植民地政策による侵略戦争で犠牲にしたアジアの国ぐにの人びとの数は2000万人以上ですよ。
小夜/死屍累々の歴史のうえに今があるのですね。
がの/でも、それはもう昔のことで忘れてもいい過去というわけではありません。あの戦争は、ここ横浜で起きた事件のような形で、いまもつづいているのです。しかも、遠い外国なんかでなく、小夜ちゃんのおうちのすぐ近くで。
小夜/はい、車で10分とはかかりませんでしたね。
がの/おとうさんがいまのおうちに越してきた年の数年前にあった事件です。厚木の米軍基地を飛び立ったファントム・ジェット戦闘機がこのあたりに墜落、電柱やおうちをなぎ倒し、アスファルト道路をえぐるようにして、めりこんだまま突っ走り、大爆発を起こしました。なにしろマッハ2.4という最大限の速度で重さ26トンの物体が飛んできたというわけですからね。
小夜/おとうさん、怖いわ!
がの/ドラムカンに65本分のジェット燃料を積んでいましたから、たちまちキノコ形のまっ黒の煙が立ち、つづいて真っ赤な炎が町を包み、雷のようなゴオーッとすさまじい音がしたそうですよ。
小夜/裕一郎くん、康弘くんの幼い兄弟が亡くなったのはそのときですね。どうしてそんな事故が起きたのでしょうか。
がの/どうしてそれが起きたか? それがわからないことが問題なのです。
小夜/あら、どういうことですか。
がの/戦闘機が墜落すると間もなく、海上自衛隊のヘリコプターが救難にかけつけました。そのすばやさ、タイミングのよさったらありません。みんなその手ぎわよさに驚いたそうです。
小夜/いけませんか、早いのはすばらしいことじゃないですか。
がの/だってね、このあたりは火の海、人びとは火まみれ、血みどろになっているときですよ、空にはふんわりふわりとパラシュートがふたつ浮いていました。墜落する飛行機から脱出したアメリカの兵士のものですね。軍用機は、危険とわかったらボタンひとつで脱出できるようになっているんです。自衛隊のヘリは、ふたりの米兵が着陸すると同時に機内に収容して、ブルンブルンとプロペラを回して飛び去っていったというのね。
小夜/負傷している人がたくさんいるのに、そういう人を救助するのではなく、アメリカの兵隊さんを、ですね。
がの/どこもケガをしていない米兵をまず連れていきました。
小夜/どうして! まっさきにケガをしている人を病院に運ばなければならないじゃないですか。それをやっていれば、ユーくんもヤスくんもきっと助かっていたわ。
がの/すぐつづいてアメリカ軍のヘリが到着しました。その人たちがやって来て、まずやったことは、墜落現場から人びとを「どいて、どいて」と排除することでした。
小夜/人は倒れ、家は燃えている、まるで地獄の絵を見ているようなときに。
がの/いろいろと秘密にしておかなければならないことがあったのでしょう。ですから、警察が駆けつけて事故の調査をしようとしても、もう証拠になるようなものは何もないんです。事故の原因と思われる不備のあったエンジンも、その他の部品も、すっかり米軍基地に運び去ってしまったあとでした。基地の中までは警察も入れません。
小夜/パラシュートで降りてきたふたりに事情を聞けばいいのに。
がの/そこはぬかりありません。調査の申請をしているあいだに、ふたりはとっくにアメリカに送還されていました。もう手がとどきません。真相は永久に闇の中というわけです。
小夜/へんですね、ここは日本の国なのに。
がの/こういうのはそんなに珍しいことではなく、去年、同じような事件が沖縄で起きています。アメリカの軍用大型ヘリコプターが那覇市の沖縄国際大学の校舎に衝突したけれど、日本側の調査は拒まれました。これも真相はついにわかりませんね。
小夜/いちばんくやしいのは、日本を守るべき自衛隊のヘリが、なんで瀕死の状態にある日本人のユーくんやヤスくんを助けなかったのかということ。
がの/そうね。それと、おとうさんがいまも疑問に思っているのは、なんでそんなにタイミングよくヘリは事故現場に到着できたのか、ということ。ファントム機に乗っていた兵士から、どうも調子が悪い、墜落しそうだ、どうしよう、というような無線による交信がされていたに違いありません。事故のおこるかなり前からですよ。その連絡を受けてヘリはさっそく発進する態勢に入っていた。そんなゆとりがまだあるなかで、さっさと事故機を乗り捨て、自分ばかりはゆうゆうとパラシュートによる空からの降下を楽しんでいる。そんなゆとりがあるなら、どうしてぎりぎりまでがんばって、町なかを避けてひと気のないところまで機体をもっていこうとしなかったのか、という疑問。
小夜/ずるいわ。自分さえ助かればいいというのでしょうか。
がの/この米軍機墜落事故で幼い子どもふたりをふくむ9人が重軽傷を負いました。
小夜/「パパ、ママ、バイバイ」ということばを残して、病院のベッドで全身を包帯に包まれ、3歳と1歳の男の子はその後間もなく亡くなりました。
がの/3軒の家が丸焼けになり、半分ほど焼けた家が3軒。そのほか、窓ガラスを割られた家、屋根ガワラをこわされた家、車をめちゃめちゃにされた家も。
小夜/ユーくんたちのおかあさんもたいへんでしたね。
がの/おかあさんは全身の約8割の皮膚が焼かれてしまいました。ふつう、人間のからだは半分の皮膚が失われれば生きていられないといわれます。皮膚って、とっても大事なのよ。いたずらをしたとき、つねるためにあるんじゃありませんよ。
小夜/まさかぁ。リンゴの皮をむいてそのままにしておくと、水分がぬけ、黒くなり、すぐ腐ってしまいますね。
がの/人間のからだの60パーセントを占める大事な水分を保ってくれるばかりでなく、内臓を保護したり、外からバイキンが侵入してくるのを防ぐ役目もあります。さあ、このおかあさんは、ほかの人から少しずつ皮膚をもらって移植手術をすることになります。肩ぐるましたら見えるかな、むこうに白い大きな建物があるでしょ、あの大学病院で手術を受けましたよ。
小夜/たくさんの人が皮膚を提供してくれると申し出てくれたそうですね。
がの/ユーくんのおとうさんがいっしょうけんめい新聞などを通じて呼びかけたのね。名刺くらいの大きさの皮膚を腿の部分からとって、それを使ってもらうのですが、1000人以上だそうですよ、「わたしの皮膚を使ってください」と申し出た人は。
小夜/よかった~。勇気のある人たち、善意の人たちなんですねぇ。小夜だったら、ちょっとこわくて…。
がの/おかあさんもがんばりました。バイキンからからだを守るためには、毎日薬浴療法を受けることになります。消毒液や菌を焼く硝酸銀の入ったおふろです。これは痛いらしいですよ。それに、皮膚の移植手術には麻酔は使えません。
小夜/麻酔なしの手術ですか。ま~、たいへん。
がの/麻酔で患者さんが眠ってしまうと、皮膚も活力を失い、眠ってしまうんですって。
小夜/でも、大手術ですよ。それも、何回も何回も。
がの/8時間をかけて1000針を縫うという大手術です。それを1週間に1回ずつ。
小夜/このおかあさんには、ユーくんとヤスくんが亡くなったことは知らせてないんでしたね。
がの/小さいふたりが必死にがんばっているんだ、おかあさんもがんばらねば、ってね。そのがんばりとみんなからの励ましで、おかあさんは日に日によくなっていきました。
小夜/よかった~。もう二度とこんなことはいやですね。
がの/たくさんの人から皮膚を提供していただいて、60回以上もの皮膚移植手術がおこなわれました。手術は成功したように見えましたが、この絵本『パパ、ママ、バイバイ』が出版されて1年、事故からの日から数えて4年足らずで、悲しいことにそのおかあさんは亡くなりました。
小夜/やはり、亡くなっちゃうのですね。くやしいわ、小夜は、なんだかとってもくやしいです。どうして自衛隊のヘリコプターはまっ先にケガをした人から助けなかったのか。だって、高い空から見たら、そこがどんなひどい状態か、いちばんよくわかっていたはずじゃありませんか。
がの/60年前に戦争は終わったのですが、こんな形でわたしたちのまわりに残っています。残しておかなければならないものもありますが、残しておいてはいけないものもまだまだたくさんあるんですね。それを見きわめるためには、歴史をきちんとみなければなりません。ドイツもたいへんな間違いを犯しました。ドイツが降伏して40周年になる日、当時の西ドイツの大統領ヴァイツゼッカーは、反省をこめてこんなふうな演説しています、…「過去に目を閉ざす者は、結局のところ現在に対しても盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすい」と。

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※『パパ ママ バイバイ』早乙女勝元  詩=門倉詇(さとし) 絵=鈴木琢磨 日本図書センター2001年2月刊 (初版1979年)
★すぐとなりで、不幸な幼児虐待 19 08月19日 (金)
 1日おくれてきのうの新聞を開いてみて、びーっくり! このところ、狂気の悪鬼となった日本兵が中国・南京で犯した大量虐殺と婦女子に対する恥ずかしい蛮行の例を幾つも幾つも読んだり見たりした時期ということもあって、神経が過敏になっていたかもしれないが、朝日新聞朝刊の社会面には、選挙に関する記事、イスラエルのガザ地区撤退の記事などのかげに、4本並んで幼児虐待の記事が出ていた。それを目で追ううち、この猛暑にもかかわらず、後頭部から背筋にそって、ゾーッとつめたいものが走り、からだのシンのところに異常な慄えを覚えたものだ。

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ヒメサユリ/尾瀬沼・長蔵小屋前にて


 一つは、東京・世田谷の病院のニュース。脳性まひの9歳の女の子の体内から画びょうが出てきたというもの。本人が誤飲した可能性はまったくないという。手術により画びょうは除かれたようだが、一体、だれの悪意によるものなのか。二つめは、埼玉県春日部市の事件。9歳の女の子が自宅の庭のゴミを捨てるところに首のところまで埋められていたというもの。義理の父親による犯行で、女の子の顔や背中にはなぐられたり蹴られたりしたあとがあったという。
 三つめ。こちらは長野県飯田市でおきた事件。1歳になる女の子が、やはり父親の暴行を受けて顔に傷を負ったほか、頭蓋内損傷にいたるまで器物でなぐられた形跡があるという。もう一つは、群馬県勢多郡での事件。生後1か月という女の赤ちゃんが父親に顔をなぐられ、からだを蹴られるなどの虐待を受けて、重度のケガを負ったというもの。
 あ~あ、日本人はどうしちゃったというのだろう。泣きやまないからといって生後1か月の、何一つ防御の手だてを持たぬ子を力任せに殴る、蹴る…。戦場での戦闘員同士の戦いなら、戦争のもつ哀しい宿命で、感情を動かすことなしに殺戮することもあると、苦しい理解もできないではないが、そこは戦場でも格闘のリンクでもない。たとえ戦場であってさえ、感情というものを持たない人間はいないだろうに、理性も感情さえもない鬼。いや、鬼や悪魔だってそれくらいの感情はあろうというもの。だとすれば、そこには生きた人間は存在しなかったということにほかならない。ほんとうに、人間の常識はどこへ行ってしまったのだろうか。
 この4件の記事で、最初の事件はまだ調査中ということで除外するとして、他の虐待は父親がひきおこしている。37歳、43歳、44歳の父親。ちょうど働きざかりの世代である。さまざまな事情を抱えつつ生きているにちがいないが、それぞれ、どんな環境で生まれ育ち、どんな教育を受けてきたのだろうか、その根底にある荒廃した精神風土ぶりを想わずにはいられない。いちがいには云えないとしても、およそバブル期に青春時代をすごした世代。人間としてもっとも基本的なものを知ることなく、ふわふわと大人になった人たちなのだろうか。
 中国と日本のあいだにある根の深い対立と不和に見るように、なぐった側はその事実をケロリと忘れることはあっても、なぐられた側の痛みはいつまでも消えることはない。虐待を受けたこの幼児たちがやがて大きく成長したとき、その家族はどんな家庭を営むことになっていくのか、想うだに怖い。
 わたしたちのもうひとつ前の世代がおこした戦争にいま思いを馳せ、その歴史を正しく認識しようとつとめているとき、過ぎ去った歴史ではなく、いま、わたしたちのすぐ隣りで起こっていることで、どうしましょう、あ~あ、ここにも目を向けねばならないとは!
★あのとき、戦争があった 11 08月12日 (金)
図書館へ行くのは1か月ぶりになるだろうか。
夏休みは入館者が多いことから、行くのを見合わせる気分があり、
つい足が遠のいてしまいます。冷房もきいていて気持ちいいはずなのですが。
児童書コーナーの入口のところに、季節ごと、時期ごとに
この図書館の司書さんが推薦する児童書が特別展示されています。
きょうは「せんそうをわすれないで」と書かれたボードの下に、
いくつかの推薦図書が展示書棚に出ていました。
8月は6日がヒロシマ、9日がナガサキに原爆が投下された日、
15日が終戦記念日にあたるということから、世界の平和をみんなで考えよう、
60年前にあった戦争の意味をあらためて問い直そう、との意図によるもの。

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すでにこの展示棚から借り出されてしまったものもあったはず。
この間、このサイトでしばらく「歴史認識」をテーマに話題にしてきたり、
山口のスミティさんのパーティでも夏の課題図書にして取り組んでおいでの
松谷みよ子さんの作品、「ふたりのイーダ」「屋根裏部屋の秘密」ほか、
「あの世からの火」「まちんと」や、高田敏子さんの「ガラスのうさぎ」も
ありました。それ以外にも、なるほど、というものや、これまでに
知らなかったものも多数見られましたので、そのうちからいくつかを
ご紹介させていただきます。
 「ある日、村は戦場だった」山崎佳代子(創美社)
 「彼の手は語りつぐ Pink and Say」パトリシア・ポラッコ(あすなろ書房)
 「八月十五日、ぼくはナイフをすてた――戦争の中のぼくの中学時代」
 「野火」大岡昇平
 「死んでもブレストを」早乙女勝元(日本図書センター)
 「(絵画記録)テレジン強制収容所――アウシュヴィッツに消えた子どもたち」(ほるぷ出版)
 「(母と子でみる)南京からの手紙――日本は中国でなにをしたか」早乙女勝元編(草の根出版会)
 「(母と子でみる)ターニャの詩」早乙女勝元編(草の根出版会)
 「ぼくの町は戦場だった」BBC編、山中恒訳
 「ビルマ はるかな空へ」幅房子(理論社)
 「木かげの家の小人たち」 いぬいとみこ(福音館書店)

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  ワタスゲ、尾瀬沼

もう、幾重にもこのサイトで書いてきたことではありますが、
中国や韓国・北朝鮮をはじめ、アジアの近隣諸国から“歴史認識”をめぐって
きびしく批判され、ぎしぎしとした関係が生じているいまこそ、
わたしたちは、謙虚に、虚心坦懐にその歴史を学ばねばならないように思います。
そこを“ちゃんと見る”ところからしか新しい友好関係は生まれてこないし、
次へのステップを踏み出せないように思われますので。
戦争のことをよく知らないまま生きてきたわたしたち。
知ろうとしなければ空っぽのままメデタク通りすぎていきます。
耳を澄まして聴こうとしなければ聞こえてこないのが歴史です。
しなやかな想像力なしには見えてこないのが歴史です。
かつて国と国のあいだにあった争いの歴史、互いに傷つけあった事実、
とりわけ、隠されがちな負の歴史を、どうやって乗りこえていくかは、
わたしたちのこれからの最大のテーマかも知れません。
上記の作品のほか、このテーマに添うすぐれた読み物を
みなさんはもっともっとたくさんご存知のことと思います。
どうぞご紹介のうえ、いっしょに考えてみませんか。
★文豪の伯耆大山、ラボっ子のだいせん 6 07月26日 (火)
 ラボのキャンプ地を文学がどう描いているか、…ということで、昨年は黒姫の野尻湖(芙蓉湖)を中勘助の「島守」でご紹介しました(「つれづれ塾―その2の〔3〕)。その意味では、このところ書いている松谷みよ子さんの『屋根裏部屋の秘密』の舞台、花姫山の山荘は、ばっちり黒姫のことでしたね。
 いい機会ですので、大山(だいせん)が舞台になっている志賀直哉の『暗夜行路』に、ちょっとふれてみましょう。もちろん、キャンプのおこなわれるところと作品の舞台がぴったり一致しているはずがありませんし、時代も違うし、自然環境もおおきく変わっていることでしょうが、楽しいキャンプにもうひとつの陰影をつけるとして…。

 20代の後半、わたしはある出版社から転職してラボにはいりました。その出版社が出している月刊誌に、署名入りで「日本名作の旅」を2年間連載執筆し、自身で編集もしておりました。児童文学創作者協会会員という肩書きも付されていました。ほうぼうへ取材してまわる機会ともなり、ほんとうに楽しい仕事でした。大学を出てまだ間もない若僧に、大出版社がよくぞこんな企画を任せてくれたものだと、いまにして怖い思いがいたします。
 その第一回は井上靖の『氷壁』でした。この5月末、昔のなかまたちと安曇野や穂高、奥飛騨、上高地のあたりを旅してまいりましたが、上高地や穂高、三十余年ぶりにふたたびそこに立つことができ、感慨ひとしおでした。ほかに、田宮虎彦『足摺岬』、堀辰雄『風立ちぬ』(軽井沢)、夏目漱石『草枕』(熊本・小天温泉)、三島由紀夫『潮騒』(神島)、石川啄木『一握の砂/悲しき玩具』(岩手・渋民村、函館)、林芙美子『放浪記』(尾道)、などなど。室生犀星『性に眼覚める頃』(金沢)、中原中也『汚れっちまった悲しみに』(山口)、芥川龍之介『羅生門』(京都)、太宰治『津軽』、高村光太郎『智恵子抄』(阿多多羅山・裏磐梯)も忘れがたいです。

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 そしてこのシリーズの第10回めが志賀直哉の『暗夜行路』でした。どうしてだか、このときは実際には取材に行っておりませんが、なんといっても“小説の神様”と呼ばれることのある大作家の唯一の長編小説、近代日本文学の最高峰とされるこの傑作の魅力とその舞台を、たいへん力をこめて書いた記憶だけがあざやかに残っています。
 愛に飢えた不義の子の時任(ときとう)謙作は、人と人とを結ぶ醜い関係に疲れ果て、すっかり嫌気がさして、濁り多い日常を捨ててプイッと旅に出ます。一応、精神修養と健康回復を目的とする旅で、向かったのが伯耆大山でした。ここは天台宗の霊場になっていて、当時は、求めれば寺に泊めてもらうことができたようですね。主人公は城の崎と鳥取にそれぞれ1泊したあと、大山の中腹にある蓮浄院への6里の山道をえっちらおっちら登ります。ええ、観光バスなんてありませんからね。そして、寺の離れの、書院造りの一室を借りて、大山の自然だけが相手の静かな生活をはじめます。

   ――戸外は灰色をした深い霧で、前の大きな杉の木が薄墨色にぼんりと
   わずかにその輪郭を示していた。流れ込む霧が匂った。肌には冷え冷え
   気持ちよかった。雨と思ったのは濃い霧が萱屋根に滴となって伝い落ちる
   音だった。(『暗夜行路』後編第四部十五章より) 

   ――人はほとんど来ず、代わりに小鳥、蜻蛉、蜂、蟻、蜥蜴(とかげ)などが
   たくさんそこに遊んでいる。ときどき、山鳩の啼声が近くの立木の中から
   聴こえて来た。(『暗夜行路』後編第四部十七章より)

   ――静かな夜で、夜鳥の声も聴こえなかった。そして下には薄い靄がかかり、
   村々の灯もまったく見えず、見えるものといえば星と、その下に何か大きな
   動物の背のような感じのするこの山の姿が薄く仰がれるだけで、彼は今、自
   分が一歩、永遠に通ずる路に踏み出したというようなことを考えていた。
   (『暗夜行路』後編第四部十九章より)


 その生活に一日ごとに馴染むうち、いまわしい記憶は薄らぎ、傷心はだんだん癒されていきます。いくぶんか健康がもどったある日、もう一人のひとと大山登攀に挑みます。深夜に出発して頂上でご来仰を拝もうという計画。ですが、主人公は途中ではげしい下痢をおこし、ついには大腸カタルに陥って危篤状態になります。その報を受けて妻の直子がかけつけます。直子の篤い介護にふれ、妻のおかしたあやまちを大乗的なさとりのなかで主人公はゆるしていく、という内容。
 「この作品は、前後十六年間を費やして完成した志賀直哉の唯一の長編小説である。構成力が強く、奥行きも深い。母あやのあやまちからの出生、子どもの病死、妻のあやまちと、主人公時任謙作には、どこまでも暗い運命の鎖がからまりつく。長い長い“暗夜行路”の日々である。これらの苦悶を克服し、完全調和の境地に到達するまでのこころの遍歴を描いた作品で、内村鑑三の門下にあった作者のキリスト教的倫理観が投影されている」…云々と、恥ずかしながら若い勢いのままに書き込んでいます。
 時任謙作がその孤独と鬱屈と妄想を焼き捨てた山を、いまラボっ子たちはどう遊ぶのだろうか…。そこで、なんとまあ「寿限無」ですか…!?

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★哀しい母性の見たものは…松谷みよ子「貝になった子ども」 6 07月25日 (月)
小夜/去年亡くなったいなかのばばちゃま、このお盆にはほんとうに帰っていらっしゃったでしょうか。いつも小夜のこと、かわいがってくださったのに、「さようなら」も「ありがとう」もいっていませんでした。
がの/小夜ちゃんのお誕生日が7月14日。お盆でもありますよね。今年はお誕生日のお祝いをばばちゃまからいただけませんでしたけれど、なんだか深いつながりがありそう。小夜ちゃんは幼稚園の行事の都合もあって、いなかに行けませんでしたが、代わりにおとうさんがばばちゃまの大好きだったお花をいっぱい飾ってさしあげました。「小夜ちゃん、ありがとう」と、盆棚のお灯明のむこうでばばちゃまはニコニコなさって、喜んでお帰りになりました。
小夜/どこへお帰りになったのですか。
がの/そ、それは、……精霊たちの世界です。来年また来てくださると思います。
小夜/小夜がおとうさんにお願いしてお供えしたのはほおずきでした。お盆さまには赤い実のついたものをお供えするのが習わしなのだと、おかあさんがおっしゃっていました。
がの/ちょうちんのように、その赤い実が足元を照らしてくれ、お帰りの道を間違えないで行けるようにね。

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小夜/おとうさん、ばばちゃまのおいでになった精霊の世界って、どこにあるのですか。そこで毎日なにをなさっていらっしゃるのですか。それに、子どものまま亡くなったら、白い貝になるというじゃありませんか。
がの/しみじみとこころに残るおはなしでしたね、松谷みよ子さんの「貝になった子ども」という作品。
小夜/短いおはなしなのに、いつまでもこころのなかに残り、すずのように鳴っています。
がの/哀しいけれど、とっても、とってもあたたかいおはなし。
小夜/ある夏、五つになる弥一という男の子が亡くなりました。
がの/弥一ちゃんが死んだなんて、おゆうさんはぜったいに信じません。信じたくなかったのです。
小夜/おゆうさんは、哀しさのあまり気がへんになってしまったのですね。
がの/近所のひとにいきあっても挨拶をしない、…ボーッとしていてまるでデクノボウのようになって…。
小夜/気質のとても明るい、ハキハキとものをいい、テキパキとものごとをするひとだったというのにね、弥一ちゃんが死ぬ以前までは。
がの/あれっ、弥一ちゃんは死んだとは書いてありませんよ。
小夜/そうでした。カゴに入れたトマトやナスを持ったまま、ふーっといなくなってしまったのでしたね。
がの/ある女の子が、川にそう街道を歩いていく弥一ちゃんを見たのを最後に、行方不明になってしまいました。
小夜/おゆうさんが釜の下でぺらぺら燃える火を見つめているとき、ふしぎな幻を見ました。
がの/青い光のなかを、あたまにカゴをかづいた3~4人の子どもが、白い街道をずんずん駆けていきます。
小夜/おゆうさんは、自分でもわからないまま、誘われるようにしてそのあとを追います。追っても追っても追いつけません。
がの/海を見下ろす高い崖のうえまできました。北の海は吸い込まれるような濃い青さをたたえていました。
小夜/そこに石のお地蔵さまがあったのですね。お地蔵さまのれんげ台のうえにはスズメの親子がいました。
がの/その3羽のスズメがふしぎなはなしをしていました。生まれて間もない、まだ何もしらない赤ちゃんや、こころがまっさらで汚れていない子は、死んだあとまた生まれてくるまでのあいだ、白い貝になって海の底にいる、というのね。
小夜/海の底の白い貝。そういえば、生命の始原は海の生物からとよくいわれますよね。小夜は弥一ちゃんと同じ5歳。こころもよごれていません。小夜も白い貝になるのでしょうか。
がの/よしてくださいよ、小夜ちゃんが死んで貝になったら、おかあさんはほんとうに気が狂ってしまいますよ。おとうさんだって。
小夜/おゆうさんは海を見ました。ゆらゆらしている海草の根もとにいくつかの白い貝がしずかに眠っているのを目にしました。
がの/おゆうさんは思わず「弥一!」と叫びました。すると、白い貝の一つがチカリと光ったといいます。
小夜/きっとそれが弥一ちゃんだったのですね。それにしても、生まれたばかりの赤ちゃん、けがれのない子どもって、神さまにも近い超能力を備えているのでしょうか。ほら、『ピーター・パンとウェンディ』を読みなおしたじゃないですか。ラボのおはなしには出てこない、たくさん、たくさんのおもしろいことがありましたね。
がの/あ、そのおはなしは、いつかまた別のときにしましょう。フックはただの乱暴なゴロツキではなく、もと貴族の出身で、高い教養を身につけていたとか…。
小夜/妖精が何から生まれるのか、小夜ははじめて知りました。この世に最初に生まれてきた赤ちゃんがはじめて笑ったとき、その笑いが千、二千のかけらに割れて、それがぴょんぴょん飛んでいく。それが妖精のはじまりですって。
がの/も~、小夜ちゃんのおしゃべりはキリがないんですから。そのおはなしはまたいつか、ね。
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※理論社名作の愛蔵版『貝になった子ども』松谷みよ子=作、金井塚道栄=絵 1951年発表 第一回日本児童文学者協会新人賞受賞作 全国学校図書館協議会選定
★母性キラリ!幼年童話「モモちゃん」シリーズ(松谷みよ子) 10 07月10日 ()
いずれかの機会に松谷みよ子さんの創作民話「龍の子太郎」のもつ魅力と母性の美しさについて書こうと思ってきました。
それが、どういう流れか、「ふたりのイーダ」「屋根裏部屋の秘密」「あの世からの火」「死の国からのバトン」といった、
「歴史認識」にふれた告発の文学をここまでご紹介してきました(あまり突っ込むと「偏向」との批判もあろうかとの配慮から、
深く踏み込むことはしませんでしたが)。そんななかで、たまたま、さちこさんから、5歳の小夜ちゃんへ向け、
同じ作家のモモちゃんシリーズを読むことを薦められました。BBSで書こうとしましたが、どうやらあちらは
すぐ文字数制限にひっかかってしまって愉快でありませんので、以下、こちらで。6巻シリーズのうち
「ちいさいモモちゃん」と「モモちゃんとアカネちゃん」の2巻のみですが…。


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小夜/夏のお休みに入ったら読みます、とさちこさんにお約束しましたが、待ちきれませんでした。
がの/松谷さんの本はこれまでにずいぶんたくさん読んできたつもりでしたが、図書館の書棚には、まだ読んでいないのがもっともっとありましたね。
小夜/「ふたりのイーダ」ほか、このところ読んできた長いおはなしは、小夜にはわからないことが多かったですが、それは、絵本の「まちんと」や「おいでおいで」で書いておられたこととも通じ合う、とっても重いものを突きつけてくるものでした。
がの/そう、「まちんと」も「おいでおいで」も、「ふたりのイーダ」などとならんで戦争児童文学の傑作のひとつです。戦争がどれほど悲惨なもので、どれほど人びとを苦しめたか、それがどれほどムダで愚かしいことかをきびしく告発しています。
小夜/それにくらべると、モモちゃんのおはなしは、なんという明るさ、健康さでしょう。パー~~ッと広がる、光いっぱいの花野にいきなり飛び込んできたような、解放感と喜びにあふれたおはなしの世界で、なんだか、同じ作家が書いた作品とは信じられないくらい。
がの/ほんとうですね。自分のおなかをいためて赤ちゃんを産み、その子をいつくしみ深く育てた母性がなければぜったいに書けないような幼年童話。その喜びと苦しみの体験を共有するひとにとっては、共感をもってよく理解できるでしょうし、たまらない魅力なのではないでしょうか。
小夜/さちこさんの共感もよくわかりますね。小夜のおかあさんもあんなふうだったでしょうか。
がの/そりゃあそうですよ。どんなに小夜ちゃんと出会えたことを喜んだか。ところで、パパさんのことがあまりおはなしに出てきませんね。どうも、影が薄い。おかあさんが赤ちゃんに注ぐ視線のあたたかさにくらべると、おとうさんのは弱いのかなあ。そんなことはないと思うのですが、どうしても、ふだんはおつとめにでていますからね。どんなお仕事をしているおとうさんなのかもわかりません。
小夜/幼稚園のお友だちに明音(あかね)ちゃんがいるでしょ。
がの/はい、お目めのおおきい、ちょっとやせっぽちの…。インテリア・ショップの子でしたね。
小夜/モモちゃんの妹がアカネちゃん。いっしょのお名前ですから、ドキドキしました。でも、けっきょくは、ふたりともとっても可愛いということのほか、あまり関係はありませんでしたね。
がの/まだ少し読んだだけですし、あまりおしゃべりが長くなると、読んでくださる方の迷惑になりますから、きょうは「ちいさいモモちゃん」に限るとして、小夜ちゃんはどこがおもしろかったですか。
小夜/…う~~ん、どこをとってもおもしろいですが、そんなふうにいわれて思いつくのは、およめさんごっこのおはなしでしょうか。モモちゃんの3つのときのおはなし。
がの/そうそう、ママさんのタンスの引き出しから白いレースの布を出して、モモちゃんはかわいいおよめさんになりました。でも、それはママさんが大事にしていた布でしたよ。
小夜/モモちゃんは、もっと小さいころ、黒ネコのプーのおよめさんになろうと考えました。でも3つのおねえちゃまになるころ、それはやめました。それに、プーには白ネコのジャムちゃんというおよめさん候補がいましたし。ですから、つぎに、パパのおよめさんになることにしました。
がの/はは~、そこはだれかさんと同じなんですね。
小夜/だって、小夜はいまだっておとうさんのおよめさんになると決めていますもん。
がの/おかあさんはどうおっしゃっていますか。
小夜/「ふん、ばかネ」といって笑うだけです。ですから、おとうさんもおかあさんも、小夜も小百合ちゃんも、みんないっしょ仲よくけっこんするのがいちばんいいと、小夜は思います。
がの/モモちゃんにコウちゃんみたいなお友だちができたように、小夜ちゃんにもそのうちきっといいお友だちができますよ。
小夜/モモちゃんはパパのおよめさんになるのもやめました。それは、パパがときどき「こらッ!」といって怒るからですって。

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ねじばな。古称:もじずり(捩摺)。百人一首で有名なな川原左大臣の歌がある。
陸奥(みちのく)のしのぶもぢずり誰ゆへに
乱れそめにき我ならなくに


がの/およめさんは白いウェディングドレスを着ます。モモちゃんもプーとのおよめさんごっこではすてきなドレスを着ましたね。おむこさんは黒いタキシード。プーはもともとまっ黒ですから、OKです。
小夜/ママさんのタンスから白いレースの布を引っ張り出したモモちゃん。それをあたまからかぶって、もう、得意満面です。お部屋じゅう、廊下も階段も、あっちへ、こっちへ行ったり来たり…。
がの/おむこさんのプーは、およめさんの長いドレスにからまって、ころころ、ばたばた。レースにぐるぐる巻きになってでんぐり返しになったり、動けなくなったり。そして、さあ、たいへん! ママさんがお使いから帰ってきましたよ。
小夜/こわい! しかられる! モモちゃんはおじょうずにうらの原っぱに逃げだしました。
がの/レースにからまって身動きのできないプーは、さっそくママにつかまって、おしりペンペンペンでした。
小夜/原っぱにきたモモちゃんは、そこでおばあさんに出会います。知らないおばあさんかと思ったら、入れ歯をパチンといれると、いつも会っている焼きいも屋さんのおばあさんでした。
がの/ノリがとれちゃって歯がぽこんととれたというのね。
小夜/モモちゃんは、「それならお目めのノリはだいじょうぶなの?」とききます。お目めのノリはしっかりついているんですって。
がの/おもしろいですね、モモちゃんは心配になってすぐおうちに帰ります。おうちではママさんがプンプンです。もう、いたずらの犯人には知らんぷり。
小夜/ママの口のなかをのぞきこんで見ました。ママの歯はしっかりノリでついていて、引っ張っても取れません。おかしくなって、とうとうママも笑いだしてしまいました。
がの/ママがおばあさんになるまでは、歯のノリはとれないと聞いて、その晩、モモちゃんは神さまにお祈りします。
小夜/ママがおばあさんになりませんように、ってね。
がの/こんなかわいいモモちゃんのお尻をペンペンペンするひとはいませんよね。さあ、おかしいおはなしはきりがありません。長いおしゃべりはご迷惑になりますよ。
小夜/でも、そのつぎの水ぼうそうのおはなしもケッサクですよ。モモちゃんのからだじゅうにぶつぶつができました。かゆいかゆいです。ママにお医者さんへ連れていっていただき、泣かずにがまんして注射をしてもらい、ベタベタとからだにオック(おくすり)を塗ってもらっておうちに帰ってきました。
がの/おうちの流しのおけのなかにはキュウリが。モモちゃんはキュウリにたくさんのぽっちん、ぽっちんのイボシボを見つけました。
小夜/キュウリをみんなお縁側にもちだすと、一つひとつにお注射をし、軟膏をぬりつけました。「オックつけてあげますから、泣いてはいけませんよ、おにいちゃんでしょ」とことばをかけながら。
がの/モモちゃん先生は大得意でちっくん、ちっくんと水ぼうそうにかかったキュウリにお注射。でも、ほらほら、どうするのモモちゃん、ママが帰ってきましたよ。
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