幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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〔がの〕さんの閑粒子日記
〔がの〕さんの閑粒子日記 [全205件] 151件~160件 表示 << 前の10件 | 次の10件 >>
★ローマ法王の他界 6 04月04日 (月)
ローマ法王がなくなりました。4月2日(日本時間で3日早朝)のことでした。
この日はアンデルセン生誕200年目という日でもありました。
わたしはカトリック教徒でもなく、とくに宗教に関心があるわけでもありません。
こんなときの悼み方も知りません。
ただ、ときには西欧の宗教画、とりわけルネサンス期のイタリア絵画にいたく感動を覚えることがあるという、
ただそんな、その世界とのつながりでしかありません。
聖書名画のうち、信仰心のないわたしには、
多くの巨匠たちが描くピエタはどうにもその残酷さに馴染めないのですが、
物語性に満ちた旧約の聖書名画のほうがいいですね。
しばらくこのページのアタマに置いておいたマサッチョのフレスコ画(フィレンツェのサンタマリア・デル・カルミネ教会ブランカッチ礼拝堂)なんていいと思いますね。その「楽園追放」はミケランジェロがそのままそっくり模写して(エヴァが下を向いているのを除けば)ローマのシスティーナ礼拝堂の天上画(アダムとエヴァの原罪、および楽園追放)にしています。
ですから、そうした名画を前にして、自分の心を鎮め、冷静に見つめ直し、浄めるというのには遠いのですが。

暴力と武器を否定し、「空飛ぶ聖座」とも呼ばれて世界の尊崇を集めていた平和の使徒ヨハネ・パウロⅡ世の、
世界平和に捧げた四半世紀を、聖画を取り出し、その遺徳をしのぶ一端にしようと思うのみです。
…わが身の節度なき日々、無為徒食の日々の閑居生活を恥じつつ。
友人から提供された画像で、ふだんはヴァチカンの奥に秘められていて見ることのできない絵だそうです。
ミケランジェロの絶筆となったフレスコ画で、「聖パウロの回心」(上)と「聖パウロの磔刑」(下)です。

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vatican2
★天平の風、久遠の微笑 4 02月26日 ()
貧乏ヒマなしである。半ばやけくそで、きょうは上野へ行った。えっ? 花見! ちがいますよ、風は凍えるほどだし、花見にはまだ早いですよ。国立博物館平成館の「唐招提寺展」です。
1月には世田谷美術館の「吉野・熊野・高野の名宝」展(「紀伊山地の霊場と参詣道」世界遺産登録記念)で仏教美術と密教の世界にふれたり、平山郁夫の「平成の洛中洛外」図展で京都の寺社のたたずまいにふれたのにつづいてということで、どうも先があまりないということなのだろうか、やたらこういうものに心そそられる。あぶない、あぶない。
本来ならこういうものは、大都会の美術館や博物館で見るものではなく、それぞれの地に足をはこんで、その地の空気の流れと香りを全身に感じながらゆったりと鑑賞したいところだが、情けないことに、貧乏しているとそういう余裕がない。ま、仕方ないじゃないですか。
それに、今回は100年ぶりの唐招提寺金堂の大修理ということから、これまで寺外に持ち出すことなどなかった名宝を初めて、初めてですよ(!)、外で公開するという企画。なんといっても、1200年余にわたって日本の混迷の時代を見てきた古刹のご本尊。六塵の境によろよろつまずきながら生き、六根の罪を負って息たえだえに生きるこの小さな身にも、ひょっとしたらラッキーな光耀のおこぼれでも…、と、これまた卑しい魂胆を秘めて赴いたという次第。
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じつは、もうひとつある。ほぼ1年前である。このホームページでお騒がせしましたね、横浜美術館での「東山魁夷展」のこと。あのときたいそうな感動をもって見た大作、唐招提寺御影堂の障壁画「濤聲」をふたたび見られるという。
これについては、鑑真和上のまします御影堂を再現しようとのさまざまな工夫努力にもかかわらず、ぜんぜんダメなんですね。砂に寄せては返す波の音はちっとも聞こえてこない。松の葉末をわたる風の音にひびきはない、潮の香もなく、マリンブルーのその世界に溶け込むことはできず、なんだかロボットの手ざわりで遠く引き剥がされたような感覚しか残らない。どうしてなのか。…だって、押すな、押すな、なんですよ。「とまらずにお進みください」との係員の声がヒステリックに繰り返されるという状況。これだからイヤになるね。

とはいえ、廬舎那佛(るしゃなぶつ)、高さ3メートル余のこの坐像(国宝)の、なんとももの静かな天平の笑みには、六根の罪に穢れるわが身も大きな愛で赦され、浄められる思いがする。鑑真和上の見えない目は、すぐ目のまえの利得しか見ようとしないわれら衆生の頑愚に「欲をすてなされ」と語りかけるかに、こころ澄んで崇高である。なんでこの中国の高僧は六度にわたる命がけの来朝を試みたのだろうか。日本という国は仏教にとってなんだったのだろうか。
廬舎那佛を中心に、帝釈天像、梵天像、それに四天王像と配してつくりなす天平の造形空間はこころの平和の祈りに満ちみちていた。それに、ご本尊を守護する四天王の持国天や増長天、あるいは多聞天や広目天にせよ、その後の時代に見るような恐ろしげな憤怒の表情はあまりなかったような気がする。乱れのない統一的な宇宙が悠久に見えた。3月6日まで。(好評につき2月28日の月曜も開館するとか)

この企画につづいて、3月8日から(4月17日まで)は奈良・中宮寺の菩薩半伽像が飛鳥の風をはこんで東京・上野にやってくるという。斑鳩の郷で微妙なアルカイックスマイルを見せるあの菩薩像です。和辻哲郎さんの『古寺巡礼』で日本美術の最高傑作と称えられた、有名な仏像ですよね。あの静かな、あまりにも静かな瞑想を想うだけで、「まずいな、こんな生きざまをしてちゃ」と、煩悩多きいまの自分のあり方を考えさせられる美しい造形に、また出会える、…かな?
★ETV特集「宮本亜門ブロードウェイに挑戦」 10 02月01日 (火)
ラボでつちかわれた能力が社会のさまざまなところでたわわな実りを見せる、…そんな姿にふれるのはうれしいことです。1年前(1月16日)、NHKの特別番組、キーロフ・オペラ「戦争と平和」の制作を担当した小林恭子(やすこ)さんのことをご紹介いたしました。福山市の河野パーティに所属していたもとラボっ子で、NHKの音楽ディレクターとして主には伝統芸能番組を担当しております。その彼女からこのたび以下のような案内が届いておりますので、ふたたびご紹介させていただきます。
来たる2月5日(土)午後10時~11時30分、NHK教育テレビのETV特集「宮本亜門、ブロードウェイに挑む」という番組制作を担当し、つい先日、東京でのインタビューも終わっていまは最終段階にあるとのこと。昨年12月、東洋人の演出家としては初めてブロードウェイ進出を果たした宮本さんの活動を紹介するものだそうです。
1時間半にわたる長時間番組ですが、もしお時間が許すようでしたら、ぜひご覧くださり、そのうえでご意見ご感想をいただけたら幸いとのこと。
ご意見ご感想のあて先は、わたしのほうでも結構ですが、彼女に直接お送りいただく場合は、
 kobayashi.y-fi@nhk.or.jp
までお願いいたします。どうぞ激励のひとことを。なお、小林さんは昨年結婚なさり、姓は森村に変わったのですが、お仕事のほうはこれまでどおり小林恭子でやっていくそうです。よろしくお願いいたします。
springair
★イソップ動物寓話の秘密 Part:2 3 01月15日 ()
忘れてしまいそうなので、いまのうちに書きとめておきましょう。イソップのことでしたね。

イソップ、またはアイソーポス。その生涯についてはあまりはっきりしたことはわからないみたいです。ヘロドトスの『歴史』やアリストテレスの『弁論術』という古い文献のなかにわずかに登場するだけで、それによって推定すると、紀元前6世紀に生きたギリシア人とされています。紀元前6世紀のはじめのころ、ギリシアの東の端、トラキアで生まれたと。その説とは別に、小アジアのフリジア島が生地だとする人もいるようです。どちらも、貧しい羊飼いの家に生まれたとなっていて、黒人で、どうも顔はひどく醜く、そのうえどもりで、人とまともに向かい合って話をするなんてことはできなかったとか。そんなコンプレックスのかたまりのような男が、そののちエーゲ海の東の端にあるサモス島に渡り、奴隷として働いていた。ひどい扱いを受けたようですが、さまざまな苦難に耐え、ひたむきに努力をした。2番目に雇ってくれたご主人がわりかしわかった人で、イソップの天賦の才を見込んで奴隷の身から解放してくれた。自由の身になったイソップは、いつそんな能力を養っていたのか、大変身をして、アテネ、コリントなどギリシア各地を寓話を語りながら渡り歩きます。
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中世ヨーロッパでは吟遊詩人という旅芸人がいて各地を遍歴していたことはご存知のとおり。その前身のような存在と考えていいのでしょうか。イソップは、どもりでまともに口のきけない奴隷から、寓話をつくって渡り歩く語り屋になったんですね。学校制度もととのっていない時代でした。子弟の教育は親がすべて負っていました。しかし、親の教育力には限界があります。だいたい教育という概念もなければ意識もありませんでした。そんな時代ですから、子どもの情操教育は語り屋が大きく担っていたんですね。語り屋であり教訓屋だったんです。このとき語られていたものをいまのわたしたちも享受しているというわけ。
それにしても、2500年以上も前に生きていた人。幾世代、いや、幾百世代、数えきれないほどの世代を貫いて、あの、ごく簡潔で、わかりやすい、しかしたいへん印象的な寓話をいっぱい、いっぱい語り、子どもたちを笑わせ、子どもたちの想像力を掻き立て、そのモラルを養い、生活の知恵をさずけてきたことを想うと、びっくりですよね。どうでしょうか、わたしたち自身、知らず識らずのうちに精神形成、モラル形成にこの寓話のおかげをこうむっているんじゃないでしょうか。その意味では、ひょっとすると、キリスト教、イスラム教、仏教、あるいは儒教や道教、そういったものよりもずっと深く人間のこころに根をはっているのかも知れません。違いますでしょうか。
道徳を説き、処世術を伝えて、古代ギリシアの青少年教育にあずかり、図りしれない真理を伝えてきたイソップ。イソップの寓話にはたくさんの動物たちが登場します。しかしこれは動物記ではありませんよね。ときには、動物に託して人間の性質や行動を痛烈に批判し風刺し否定する社会批判の要素を強く含みます。なんでそんなまわりくどいことを…。イソップの生きた時代は、ホメロスの時代よりは500年ほどこちらですが、まさにきびしい僭主政治のおこなわれていた時代です。正論をストレートに言えるような状況にはありませんでした。ほんとうに云いたいことを、人間でなく動物の性質を借りて婉曲に語るしかない時代。いやな時代ですねぇ。そんななか、イソップは語り屋として次第に認められ、人気を博していきます。となると、時の権力は黙っていません。体制に反するようなことをあちこちで吹き込まれてはたいへんですから。イソップもちょっと調子に乗りすぎたかも知れません。最期は、紀元前550年代、「神都」とされ、「大地のヘソ(オンファロス)」と呼ばれたデルフィで、あらぬ罪を着せられ、処刑されています。
ですから、イソップがありときりぎりす(アリとセミ)に託して伝えたかった本当のことは、なんだったのでしょうか。ありの勤勉さに学べ、浮かれて遊んでばかりいたら将来はないよ、と語っているだけではないような気がしませんか。イソップの真意は、わたしたちがいまの感覚でとらえるメッセージとはまたぜんぜん違うものだったかも知れませんよ。

もうひとつ知っておかねばならないのは、約400篇の寓話のすべてがイソップの語ったものではないということ。その後に別の人がつくったものもつぎつぎに吸収しつつだんだん形成されていったものなんですね。紀元前4世紀ごろからぼちぼち集成してみようかとの気運がおこり、紀元後1世紀にローマのファエドロスという人が体系化し、その後、ギリシアやローマではほそぼそと語り継がれていたようですが、一挙にこれが世界に広まったのは、印刷技術の起こった15世紀に入ってからでした。英・独・仏の訳本が出てからですね。日本に最初に紹介されたのは1593(文禄2) 年といいます。天草のイエズス会から出たローマ字本『イソポのハブラス』(天草本伊曾保物語)が最初 で、収録数は70篇。これは子どものためのものではなく、もともとは、渡来してくる宣教師たちに日本語を学ばせるための教化本でした。そのあと、明治にはいり、渡辺温、西村真次、福沢諭吉、上田萬年、巌谷小波らが訳して出し、さらに大正・昭和になって、平塚武二、浜田広介、坪田譲治、川端康成、また菊池寛、新島出らによって広く普及されました。
ラボの「ありときりぎりす」が上記のどれを下敷きにしてつくられているかは、みなさんが研究してみてください。わたしたちはイソップのこの遺産をどう引き継いでいったらいいのでしょうかねぇ。そのことも考えてみてください。
★イソップ動物寓話の秘密 Part:1 10 01月14日 (金)
「ありときりぎりす」についての何か制作秘話を紹介してくれと、トップページに掲げた画像を見てくれた数名の方からの声が届いています。ただ、あいにく「ありときりぎりす」の制作にはわたしはタッチしておりませんし、秘話などは何も持ち合わせておりません。加えて、この物語はよほどテーマ活動向きなのでしょうか、どこのパーティでも取り組んでいて、もうしゃぶり尽くされていて、わたしが紹介するようなことはあまりないように思いますね。原話は「ありときりぎりす」でなく「セミとアリ」となっていることも、みなさんよくご存知のはずですし。
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さて、それなら何をご紹介しようか、と考えてイソップ物語について思い返してみると、いやいや、このたった一冊の寓話集、約400のおはなしが地球上の人類に及ぼしてきた影響力の大きさに思いあたります。なんせ、これが最初に形をなしたのが紀元前4世紀ですよ。そしてこの21世紀の今日に至っているわけでしょ。25世紀もの長きにわたって親しまれ、人間の精神形成にかかわってきたという点で、これに比肩するものはないですよね。たとえば「ありときりぎりす」のおはなしから、人びとは何を考え、どんなことを学んだでしょうか。ラボのテーマ活動ではまさにそこを衝いて取り組んできました。ふつうには、遊興的・享楽的生活におぼれてはいけない、働くことを中心に人間はもっと堅実に、地道に、人と人とが協調しあいながら生きるべきだ、といったことでしょうか。
もっと端的には、きわめてよく人口に膾炙されている「うさぎとかめ」のおはなし。あのおはなしから、どんなことを考えましたか。「北風と太陽」や「金の斧・銀の斧」からは…? だって、日本人で「うさぎとかめ」のかけくらべのおはなしを知らないという人はどれくらいいるでしょうか。「もしもしかめよ、かめさんよ、世界のうちでおまえほど…」あのうさぎさんとかめさんです。ここから人びとは、どんなときも油断をしてはいけない、高慢はいけない、才能におぼれるのはよくない、ということを学んだかも知れないし、こつこつと地道に積み上げた努力は生まれついての才能にまさる、と知って頑張る力にしたかも知れないし、自分の実力をよく知り、他と自分を比較したりすべきじゃない、なんてったってgoing my wayよ、と、そんな人生の教訓を会得した人もいるかも知れません。
「オオカミ少年」のおはなしだってそうじゃないですか。ほんの退屈まぎれに少年は「オオカミだ、オオカミが来たぞ!」と叫んで村人たちを驚かして喜んでいる。このテの愉快犯、いまもよくいるじゃないですか。でも、そんなイタズラがくり返されるうち、ほんとうのオオカミが襲ってきたとき、だれも駆けつけてはくれず、哀れ、少年はオオカミの牙にかかって死んでしまう。このおはなしから、ウソはいけない、軽はずみは身を滅ぼすと考えた人も多いことでしょう。「キツネとぶどう」「羊の皮をかぶったオオカミ」「ネズミの嫁入り」といったおはなしも、おもしろいですよねぇ。これらのおはなしも、知らないという人はほとんどいないんじゃないでしょうか。

あっと、時間切れ。本題はこれからなのですが、つづきは後日。
★そんなに悪いヤツ? オオカミって… 14 12月29日 (水)
「ふるやのもり」に登場するオオカミ。雨漏りのする屋根を朽ちていくままにせざるを得ないほどに困窮しているお爺さんとお婆さんが、唯一の宝、愛しい子どものように大事にしている馬を、奪い取り、食ってやろうとするのですから、その魂胆や憎し、とんでもないワルですよね。しかし、お話を追っていくと、どうもそれほどのワルではなさそうな気がしてくる。どこか間が抜けていて、おっちょこちょいで、可愛いじゃないですか (…可愛くない、ですって!? そんな~ )。そう、可愛いですよね。

あの牙、見るものを凍りつかせるようなあの目。ラチョフによりロシアの絵本に描かれるオオカミを思い浮かべる方もおいででしょうか。だいたい、日本でも外国でも、昔ばなしの世界では、オオカミといえば凶暴で獰猛なもの、残虐で情け容赦のない、ズルくて、食いしんぼうで、ロクなもんじゃない、タチの悪い害獣の代表のようにして敵視されてきました。でも、日本の古代人はそうは考えてきませんでした。その名は「大神」から来ているとの説もあるくらいで、害獣どころか、田畑を荒らしまわるイノシシやシカを捕食してくれる農耕の民の守護神でもありました。そんなにワルじゃないんですよ。
『日本書紀』には「かしこき神にしてあらわざを好む」 (このかぎりでは、スサノオの存在に似ていませんか、乱暴なところのある…) と書かれていますし、『万葉集』には「大口の真神」なんて、ありがたそうな表現が見られます。
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東京・神宮外苑の冬ざれの銀杏並木
だれかすぐ「冬ソナ」みたい、というでしょ。きらいだからね、わたしゃ、あのドラマ。


埼玉県の秩父の三峰山に登ったひとはおいでになりませんか。あそこにある三峰神社、イザナキ・イザナミを祀っている、古くて由緒ただしい神社ですが、あそこに行くと、いくつものオオカミの像が見られます。ここには「大口真神」という大きな札がかかるなどしてオオカミを尊び、「ヤマイヌ」とか「オイヌサマ」などと呼んで、山の神の使いとして大事にされています。ほんと、ここでオオカミといったら、害獣どころが霊獣なんです。特に奥宮の入口の左右からそこの霊威を守るかのようにして向かい合っている石のオオカミ像などは、脚はがっしりと太いし(あれで速く走れるかしら?)、その雰囲気は猛々しいほどのド迫力です。

山の神の使いであるそんな霊獣が徹底的に悪もの呼ばわりされるようになったのは、なぜでしょうか。いつからでしょうか。はい、事実、ひとを襲ってガリガリと食べたとの、むごたらしい事実から嫌われ、明治にはいるとじき、大規模なオオカミ狩りが全国でおこなわれ、明治中期のころにはニホンオオカミはこの列島から姿を消したことになっています。とは云え、今もって、ときどき、「いやいや、まだ生息している、この目で見た」といった声がひそかにささやかれているのは、みなさんもよくご存知のとおり。

いっぺんにイメージの変換がなされたのは、ペローやグリム兄弟の童話が日本に入ってきたときでした。「赤ずきん」のオオカミのむごさは子どものこころに衝撃的で、以来、オオカミといえばあのオオカミという観念が築かれてしまいました。いたいけな少女を襲うオオカミ。いまもみなさんの後ろにいるかも知れませんよ。「3びきのこぶた」のオオカミはどうですか。「オオカミと7ひきのこやぎ」のオオカミはどうですか。いずれも、最後にはやっつけられる存在ですが、恐怖を誘う存在で、あまり愛敬はありませんよね。

それじゃちょっと不当な扱いじゃないか、あの動物はそんなにアコギじゃないよ、と少しばかりオオカミさんの肩を持ちまして書いたものがありますので、ご披露します。「狼のまゆ毛」で、柳田国男の採取した昔ばなし「人擬」(ひともどき)からの再話です。かなりの創作も入っていますが。4~5年前にわたしの住む地域の小学生たちに語り聞かせをするというので、知人である語り手の依頼をうけて書いたものです。左の「ノート一覧」のうち、「つれづれ塾①」でお読みください。
★「ふるやのもり」を読みなおす 16 12月23日 (木)
なぜ以前のように書かないのか、と多くの方からご心配をいただいたり、お叱りを受けたり。申し訳ありません、わたしにもいろいろ事情がありまして…。
みなさんの活動にお役にたつ情報をそんなに持っているわけではりませんが、久しぶりです、いま取り組んでいるわたしの仕事の周辺から、ひとつ話題をひろってみましょう。日本昔ばなし「ふるやのもり」を読み返してみて。

みなさんはこのお話をどうお読みになるのでしょうか。ふつうにはふた通りの読み方があるように思います。ひとつは「笑い話」として。意味のわからないことばを悪い侵入者が勝手に取り違えて理解し、そのことで難をのがれることができたという、めでたいユーモラスな話。これと同じモチーフのものに「ネズミ経」がありますね。
もうひとつは「なぜ話」として。動物や植物の形や色、鳴き声の起源、由来を語るタイプの昔ばなし。「ふるやのもり」の場合でいえば、サルのしっぽがなぜ短いのか、その顔やお尻がなぜ赤いのか、その理由が語られています。たくさんありますよね、こうした例は。「瓜子姫」では、なぜソバの茎は赤いのかが、「蛇婿入り」や「食わず女房」では、人が五月の節句に菖蒲湯に入るのはなぜかが、「くらげ骨なし」では、くらげがなぜあんなにぐにゃぐにゃしているのかが語られていますね。
「ホトトギスと兄弟」で、その声を「弟恋し」と人間のことばにうつしていう“聞きなし”のことは別のところで書いたことがあります〔今月の花神―Octoberホトトギス〕。
さて、「ふるやのもり」はどちらでしょうか。両方かも知れませんが、みなさんにとっては、どちらのほうが印象的ですか。宮城県を中心に全国に広く分布する人気の昔ばなし。いやいや、国内だけではありません。朝鮮の民話には「干し柿はトラよりこわい」という話になっていますし、古代インドの説話集「パンチャタントラ」にも類話があるなど、アジアじゅうに見られる話。そして、どうやらこれはもともとはふたつだったものをひとつにつなげて語られるようになったとも思われます。

wintercosmos1.jpg

そういうことより、今回読み直すなかで気づいたことは、ちょっと違うのです。雨漏りのするこのお爺さんとお婆さんの家は、想像するに、南部曲がり家のような、馬を家の中で家族と同様にして飼っているような家でしょうか。葺きかえることができず、腐ってしまった萱葺き屋根の家。ほんとうに貧しい家ですよ。考えてみると、この老夫婦には子どもがいないようです。どうしたのでしょうか。不妊症だったのでしょうか。それとも、生まれたけれども、病気か何かで死んでしまったのでしょうか。つまり、どうやらこの家には若い働き手がいないことに気づきます。
みなさんは、五箇山や白川郷の屋根葺きの光景をテレビか何かでご覧になったことはありませんか。それこそ村じゅうの人が何十人も集まって屋根の葺き替え作業に当たります。屋根にのぼっての作業以前にも、萱を刈り集めたり、それを運んだりというたいへんな仕事もあります。そうした総がかりの作業をするために、村にはユイ(結) と呼ぶ相互扶助組織がつくられています。ある家の屋根の葺き替えがあると、ユイに入っている人は何をおいてもこぞって参加し、労働力を提供しあいます。ところがこのお爺さんお婆さんのところでは、ユイに加わるための若い働き手がいないので、村からは孤立した状態にあります。雨漏りがしようが、屋根が落ちて来ようが、だれも面倒をみるものはなく、もう屋根の朽ちていくのに任せておくほかないんですね(足腰が立たないからといって公的介護保険制度があるわけじゃなし、災害復旧支援に活躍する自衛隊なんてない時代ですからね)。そんな哀しい状態にあると考えられます。
そんな困窮状態にあるところに入りこんで、馬を食ってやろう、盗んでやろうという悪い了見をおこすオオカミと馬どろぼう。そいつらがどれほどひどい目にあっても、同情してやる余地はないですね。うん、ないない。
★ふたつの顔を持つ神、スサノオ 1 11月12日 (金)
《掲示板でおさまらないため、こちらに移して》

ちこらんたんさんへ。

「素が飲み屋」ですって! もともとは飲みすけ…。まあ、とんでもないことを!
その神聖なる寝所のことをそんなふうに云って、バチが当たっても知らん(酒乱)からね。
それに、わたしが恥ずかしいほど下戸だということ、ご存知ありませんでしたっけ?
ひょっとして、ちこちゃんご自身のこと?  こわい、こわい。

chrysanth-g.jpg

テューター研修で『スサノオ』に取り組んでこられ、いよい発表ですって。
もうバッチリですか。ちこちゃんはなんの役をやるのですか。
きっと新鮮ないい言語体験をなさったことと推察いたします。
スサノオをめぐる神話で、わたし個人にとってもっとも興味のあるのは、
出雲神話では英雄神とされながら、高天原神話では乱暴な悪神として語られていること。
ラボのテキストのほうでは善神として積まれたいくつかの功績の部分が
多く語られていましたね。それに対してわたしはここで、主として悪神の部分を
強調しすぎたかも知れません。だって、最近の自然災害に嫌気がさしていた時でしたから。
スサノオは、へんに甘ったれた子どもっぽいところがあり、イタズラ好きで、
どこか人間的な情味があって憎めず、その悪神の部分が、どうしてなのか、
好きなんですね。ヘソ曲がりかなぁ。
そもそも、なんでそんなに「ワル」なのか。
建速須佐之男命。その名前からして「ワル」ですよね。
「スサ」とは「進む」「荒(すさ)む」につながるスサで、ただイノシシのように前へ前へ
突き進み勝ち進んで、荒々しく振る舞う神といった意味じゃないでしょうか。
前についている「タケ」「ハヤ」は、ともに神威のすさまじさを称える語。
ほんと、なんでそんなに悪い役がこの神にふられたのでしょうかね。
イザナキ(伊邪那岐神)が黄泉の国から帰って禊(みそぎ)をすませて
心身ともに清浄潔白にしたところで、左の目を洗って天照大御神を、
右の目を洗って月讀命を生みます。日神・月神と、ともに光り輝くよき存在。
それにひきかえ、スサノオは鼻を洗っているときに生まれたとされています。
もともとは、「フーン!」とう勢いをこめた鼻息から生まれた荒神。
いかにも荒らぶる神、暴風雨の神のイメージじゃないですか。
それに、気づいてみると、イザナキは目と鼻から神をつくっていますが、
ほかのところ、たとえば口とか耳からは何も生んでいない。
それにはこんな一説があります。
イザナキは黄泉の国まで恋しい妻を追って行ったが、そこで見たのは
変わりはてた醜い妻のすがただった。その穢れをとらえた器官が目と鼻。
目で醜いものを見、鼻でその耐え難い腐臭をかいだ。
しかし、そのうちでも、目の穢れのほうはまだまだ薄いけれど、
鼻でかいだあの臭いは深く、容易なことでは消すことができない。
そこから悪神が生じたという。
これ、わかるような、わからないような…。
おもしろいですけど、ちょっと苦しい説ですよね。
★「わだつみ…」と隼人舞いをめぐり 16 10月23日 ()
何をそんなに怒っているのか、誰に対する怒りか、「シオミツタマ」はこれでもか、これでもかと台風を招き、列島に最高度の悪意を向けて、各地を水びたしにしている。「シオフルタマ」はどうしたのか、気力をなくしてあまり働いてくれない。もう台風はたくさんなのに。
秋の研修で日本の神話に取り組んでいる方々からの声が伝わってきます。愉しみつつも、どうしてももうひとつ届かないというもどかしさをもらす声も伝わってくる研修活動。日本の神話のあたりのことは、求められても、自身、それほど精しいわけではないのですが、わたしたち日本人の心の原郷にふれようとするその志に共鳴し、思いつくままの断想をご紹介いたします。
「わだつみのいろこのみや」について。

海幸彦・山幸彦の話(わだつみのいろこのみや)は、兄弟の争いとして書かれていますが、これは、太古の時代、九州にふたつの大きな勢力があって、その争いを語ったものと思われます。争いの舞台は西九州。潮の干満ということでは有明海がよく知られていますが、あの九州の西あたりは、潮の干満に大きな差があるところ。海の王からもらった珠で意地の悪いイカンタレの兄貴を水攻めしたり助けたりする逸話は、潮の干満のイメージに重なりますね。火遠理(ホオリ、山幸彦)と火照命(ホデリ、海幸彦)の兄弟喧嘩で、弟のホオリが九州北部、兄のホデリが九州南部の薩摩・大隈あたりを支配していた勢力とみられます。この南部の勢力は血気盛んな人たちでしょっちゅう反乱を起こして、国をまとめようとする朝廷を悩ませていたのですが、8世紀に入るころには制圧され、完全に朝廷に帰順しています。この物語はそのへんのことを語っているようですね。原文では、

――攻めむとするときは潮盈(みつ)珠を出して溺らし、それ愁ひ請(まを)せば潮乾珠を出して救ひ、かくしてたしなめたまふ時に稽首(の)みまをさく(おじぎをして言うには)、「僕(あ)は今よりゆくさき、汝が命(みこと)の夜昼の守護人となりてぞ仕え奉らむ」とまをさき。故(かれ)、今に至るまで、その溺れし時の態(わざ)絶えず仕え奉るなり」

潮が満ちてきて、足のところについたら、こんなふうにせよ、膝まできたときには、こんなふうに、股まできたら、腰まできたら、腋のところまできたら、いや首まできたら…と、海幸彦が水に溺れかかったときの恰好をするのですから、そんなにカッコいい踊りとは思われないのですが、これはすなわち、兄弟喧嘩に負けた南の勢力の隼人が、反抗をやめて中央勢力に帰順し、その証しとして宮廷の大嘗会の節会などのたびに隼人舞いを奏するようになったいわれを語るものと思われます。というよりは、隼人のあいだに伝承されてきたその話を古事記の編著者がここに織りこんだものとみていいのではないか、と。そのとき以来、隼人が宮中に出て隼人舞いを演じるようになるわけですが、それを継承していく人たちにこの舞楽のいわれと意味と筋を語り伝えるためのものだったかも知れません。
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※「わたつみのいろこのみや」をめぐっては、ページ一覧のうち「物語寸景《3》」でもご紹介しておりますのでご参照ください。
★笑いの生理、狂言のおかしさ 7 10月13日 (水)
能や狂言のおもしろさ、って何でしょうか。
むずかしいですね。
それを細かくくずして分析し、解説的に語っても、ちっともおもしろくない、というか、
わたしには興味がもてないですが、あえてひとつ挙げるとすれば、
ひょい、ひょいと思いがけない調子で飛び出してくる美しいことばにふれる、
そんな喜びではないでしょうか。狂言の演じられる会場でまず聞く
「ようこそ、ござったれ!」
こんな声をかけられるだけで、来てよかったと思ってしまう。
つい先ごろ、スミティさんが野村家三代による「うつぼざる」を観たと
このひろば@で報告してくれていることを知り、
背中を押されるような思いで、きょう、山本東次郎一門の
大蔵流狂言を観てきました。「節分」と「泣尼」と「秀句傘」の三曲。
「節分」は観たことがあるという方がおいでかもしれませんが、
いずれもめったに観ることのない珍しい曲ですね。

狂言の笑いはじつにシンプルです。アホらしいくらい単純で
荒唐無稽なすじの運びのなかに、
人間のだれもがもっているむごさ、ズルさ、愚かしさ、妬みといったものをとらえ
みごとに表現して見せてくれる。ですから、説明や解説は不要で、
笑いの型を分析し分類するようなことは学者先生や研究家にお任せすればよく、
わたしたちは、その作為のない自然な笑いの世界へ
自分をチャラチャラ飾る見栄や気取りの装身具をすっぽり棄てて
はだかのまま飛び込んで、好きなだけ楽しめばいいということになるでしょう。
ほんとうにおもしろいです、狂言は。理屈なくおもしろい。強いていうなら、
シンプルな笑いにこめて、人間の根元的、本質的なものへの真摯な問いかけが
そこにあることをピタリつかむことができれば、狂言はわかったといえるのかも知れません。
きょうの演目すべてについて述べるゆとりはありませんので、一例を。

『節分』に登場する鬼は、たしかにおそろしげな形相をしていますが、
これが今どきどこにも見られないくらい純情、醇朴です。
腹を空かして立ち寄ったある家では、ご主人が出雲大社におしごもりに行っていて、
若い嫁さんひとりが家を守っています。これがたいそうな美人ときています。
遠い異境、蓬莱の国からやってきたという鬼が、なんとまあ、この人妻にほれてしまう。
あの手この手で「伽」(とぎ)をしようと口説くが、
つめたく、「腹立ちや、腹立ちや」「出てうせい、出てうせい」と追い出される。
(「伽」の意味はおわかりですか。お伽噺の「伽」であり、夜伽の「伽」ですね)
そして、この世のものでないはずの鬼が、室町小唄(当時のはやり唄で、
恋をする若者がほれた女性に向けて歌ううた)を6曲もうたう。相当しつこい。
しょうもない唄である。ひとつだけ。

 しめじめと降る雨も、西が晴るればやむものを。
   なにとてか我が戀の、晴れやる方のなきやらん。

嫁さんもだんだんその気になったか、あるいは妙な欲が出たか、知恵をはたらかせて
ついに鬼をたぶらかし、その宝である「隠れ簔」「隠れ笠」「打ち出の小槌」を
そっくり奪いとり、ついに無一物にして鬼を退散させてしまう。
かわいそうな鬼。観るものは鬼のまぬけぶりを笑うわけだが、
それにしても、その必死さがなんともかわいげな鬼である。

『泣尼』についても、う~ん、スペースがないけれど、ちょっとだけご紹介したいなあ。
ヘタの長談義をするとされる法師が、めずらしく法話を頼まれる。
感動して泣きながら聞いてくれる聴衆のサクラとして、尼を抱きこむ。
老いた尼さんで、話のはしばしで泣いてくれればお布施の半分をやろうとの約束。
ヘタの長談義がはじまると間もなく、尼のからだが右に揺れ左に揺れだし、
感動してむせび泣くどころか、居眠りがはじまる。
そしてついには、コトッと倒れてそのままほんとうに寝てしまう。
法話を長々と語る僧と、それにはまったく関心のない尼のあいだにかよう空気が
絶妙な味なのである。みなさんに見てもらいたいくらい、おもしろかったですよ。
            ☆
狂言についてスミティさんの掲示板に書き込んだものの一部をここに
再録して紹介させていただきますが、次期ライブラリーは「笑い」を
テーマにつくられると耳にするなかで、みなさんにはほんとうに純良な笑いを
数多く体験していただきたく思っていますので――。
そしてその宝はみなさんのすぐ足元にあることに気づいてほしいと願っています。
「日本人の最もプリミティブにして最も洗練された笑い、
日本人の生理的感覚に合った笑いが狂言にあります。…狂言でも古典落語でも、
自分の自然な生理感覚にそって笑う、その経験をくり返し積むことが
大切だと思います。そこにしか本当の笑いはない、というか…。」
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