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いつのことだったか,このホームページのどこかで,国際交流のつどいで挨拶したテューターのことばがすばらしかったと書いたことがありました。あんなふうにクセなく無駄なく,聞く人の耳に気持ちよいひびきをもって話すことができたらいいだろうなあ,と思ったものでした。それとは別に,テューター活動をそれぞれの理由でやめられた方々と事務局を退職した方々とがいっしょに会し,食卓を囲んでいっときを過ごす集まりがあり,一人ずつ近況報告をする場面がありました。このようなときも,みなさん,ほんとうに話がじょうずなんですねぇ。じょうずというだけでなく,生き生きとしていて,聞いていて愉しくなる。なにが彼らをしてそうさせるのか,いつも羨ましくてならない。
社会の第一線にないわたしにも人前で話をすることがときどきある。さまざまなケースがあるが,ときには話を終えたあと,「ダビングして後日お届けします。ギャラなしですのでせめてものお礼です。記念にしてください」などといわれ,カセットテープをもらうことがある。
よせばいいのに,だれもいなくなったところで,それをカセットコンポにかけて聞いてみる。最初の数秒で,ウッヘー! ということになり即ストップをかけることになる。いやな声! へたな話! ヒエーッ!
…いいなあ。みなさんにはそんなことはないんでしょうねぇ。
ほんと,わたしには,自分の声をテープで聞くくらい気分の滅入ることはないほどで,金輪際,人の前で話すようなことはやめよう,とその都度思う。しかし,人とともに生きていると,そういうわけにもいかないのがこの世のさだめ。クセというほどのことはないのですが,生来わたしは声帯が弱く,ところどころで,ウウッ,という咳払いのような耳ざわりな声を発することを自分でも知っている。もちろん意識してそんな声を出しているわけではない。
自分のことはさておいて,ひとの話に妙なクセのあることを知って,へんにうれしくなったりする(わるいクセ)。「えー」「えー」と間をつくりながら落ち着いて話す人はめずらしくないとして,口早に「あの」「あの」を5分のうちに20回以上もいう人がいるし,「やっぱり」あるいは「やっぱし」を乱発する人もいる。注意していると,そういう人,少なくないですよ。おもしろいですねぇ,「やっぱり」「やっぱし」。どういう意味がそこにあるのかを探っても意味はないと思われる「やっぱり」あるいは「やっぱし」。でも,自信過剰の名調子で,いやに決めつけたいい方をする人よりは,こういう人の話のほうがこちらのほうにストンと入ってくることが多いから不思議だ。
あなた,ところであなたは,どんなクセをお持ちですか?
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今回は,童話論・児童文学論を中心に,いまはなかなか手に入れにくい貴重本を無料にておゆずりいたします。筑摩書房の校本宮澤賢治全集なども。テューターのみなさまに読んでいただきたいものばかりです。
左のページ一覧のうち,「譲ります」から入り,案内にしたがってお申込みください。先着順とさせていただきます。
※すみません,今回公開した図書は公開30分後にはほとんど捌けてしまいました。
活動のうえでお役に立ててくださることを願っています。
一歩遅かった! という方,申し訳ありません。
後日また,書棚を整理した上でお譲りできるものを公開いたします。
その際,どうぞよろしくお願いいたします。
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なんでこれがこんなふうな訳になるのよ,違うでしょ!?
…原文(英文)と訳文とのあいだの乖離に疑問を感じたり,ときには反発を覚えたり――,
あなたにはそんなことはありませんか?
"wild things"がどうして「かいじゅうたち」になるのよ,
辞書をどう引いたってもそんな意味はないじゃないの! などと。
この活動に携わっているかぎり,みなさんがたえずぶつかる問題ではないでしょうか。
世界の名作文芸を素材にしているとはいえ,これは文学教育ではなく
大きくは「語学教育」の部類に入る活動ですから,
ここはどなたにも悩ましいところではないでしょうか。
きょう,昼食をとりながらNHKテレビの連続ドラマを観た。
ときには観ることもあるドラマである。
その冒頭,主人公の〝天花〟ちゃんが仕事に失敗し,失恋もしたらしく,
夜おそく帰ってくる。その傷心の娘を父親が迎え,
花月夜のなか,(あまり,らしくないが)詩を吟ずる。
溺愛する娘の憂愁をいたわろうとする父親の,不器用だがまっすぐな気持ちを
この詩篇に託して…。その一部は,
ハナニアラシノ タトヘモアルゾ
〝サヨナラ〟ダケガ 人生ダ
というもの。なにかの拍子にひょいと口から飛び出すこともあることば。
これまでこれは井伏鱒二のオリジナルな詩とばかり思ってきた。
この前後はどんな文章だったかな,と,さきほど本棚をかきまわし,
ようやく探し出して,改めて見てみると,
于武陵(うぶりょう)という中国の詩人の漢詩を訳したものとわかった。
その部分はこうなっている。
花発多風雨
人生足別離
これをどう読み下すのか,さまざまな考え方があろうかと思うが,
さて,これを和訳するとして,ふつう「花に嵐の譬えもあるぞ…」となるだろうか。
「サヨナラだけが人生だ」となるだろうか。
わたしにはとてもそんなふうに書く勇気はない,……というか,
そういう発想がどこから湧き出すのか及びもつかない。しかし,
井伏鱒二のこの訳文は原文をはるかに超えて,
わたしの胸にストンと嵌まってしまうのはなぜか。
(漢詩については無知というに近いですが,もとの漢詩は
じつはそれほどすぐれた作ではないのかも知れない)
もう,文句ない心地よさで胸におさまってしまうから,どうしようもない。
なぜだろう。それがすぐれた文学の特性というものなのか。
魂の事実,魂のありどころを簡素なことばでピタリ言いあてている。
そこには無用な飾りも衒気もない。
井伏という一人の人間の,生きるたたずまいとしかいいようのない
ところから生み出されたことばなのかも知れない。
それはもう,全的に受け取るしかないのではないか。
☆
井伏鱒二といえば,「山椒魚」を知らない人はいないでしょう。
あの,一種剽げたような,しかし,やりきれない存在の寂しさ悲しさをたたえた世界と
この詩はどこかで一脈通じているようにも思えてくる。
ほかにも「岬の風景」「へんろう宿」など,いい作品があり,
わたしはこの古風な,読み方によっては狷介ともされるこの人の作品が
ふしぎに大好きなのである。日本短篇小説中の白眉にも数えている。
どれも,今出来の商売くさい流行小説とはまったく違う。
違いすぎるほど違うので,ぜったいにベストセラーなどになることはない,地味な作。
しかしそれらは,ほんとうのホンモノにふれたときの安心感と悦びを与えてくれる。
☆
井伏鱒二のこの訳文を見て,「ちょっとそれ,誤訳なんじゃないですか」,
…なんて文句をいう気には,わたしはなれない。あなたはどうですか?
この人がその存在をかけて生み出した固有の世界を,ただただ愉しませてもらうだけで十分だ。
けれど,どうでしょうか,ラボの活動のなかでこの種の問題に突きあたったとき,
現実,あなたはどう対処していくのでしょうか。
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たとえば「かしの木ホテル」,たとえば「ポアンホワン家」,たとえば「ワフ家」――。一歩退(ひ)いて考えてみれば,これ,たかが樫の木のこと,たかが雲のこと,たかが犬のことにすぎません。作家という人はそういうものになんとゆたかなイメージを添えてくれる存在か!
ネーミングって,意想外に大事だ,ひとの心理に微妙に,いや,圧倒的に作用する,ということを,華鬘(けまん)草をめぐって掲示板のほうで縷々書きながら感じた次第。いかがですか,「華鬘草」「二輪草」という字づらからそれなりのイメージがアタマのなかに結ばれてきませんか。わたしたちの感覚にぴったり添うネーミングに出会うと,なんだかうれしくなります。
出雲のジャッキーさんがちょっと前に書いておられた「御衣黄」(ぎょいこう)からは,そのじつ一度もそのサクラは見たことはなくても,若みどり色のしぶい衣裳をまとう清麗な,たおやかな王朝時代の貴婦人,たとえば源氏物語の夕顔,葵の上,桐壺,若紫,末摘花…,あるいはわたしの特別ご贔屓の式子(しょくし)内親王や赤染衛門,また,紫式部や清少納言,はたまた男たらしの和泉式部といった女性たちの,淑やかにしてゆかしい行住坐臥が想い浮かんでくるじゃないですか。(事実はぜんぜん見当ちがいという場合もあるかもしれませんが,少なくともそんなふうにひとに想像させ,楽しませてくれますよね)
ラボランドくろひめがそのすてきなネーミングにあふれています。ぐるんぱ城,たろう丸,ヒマラヤ,トンチン,バイカル…。あれが「西なん番」「北なん号」の建物なんて名だったら,つまらないですよね。そうそう,この「ひろば」でも,なかなかすてきなハンドルネームが飛び交っていますね。実例を挙げると差し障りがありそうなので控えますが,単細胞なわたしなんぞは,そのハンドルネームによって,この人にはまじめに,しかしこちらの人の場合にはまじめにはなれない,ちょっとからかった調子で…,と勝手に決めてしまって書き込んでいるフシがあります。なんせ,ほとんどは会ったことのない相手,どうやらうら若き知性派女性。「日記」に書かれた内容にもよるが,どちらかというとネーミングが発するイメージで決めてしまい,数かずの失礼を侵している。ときどき総攻撃をくらうこともあるが,そこは半ボケの老人を装ってスッとぼけ,まあ,大目に見てもらっている(つもりになっている)。失礼な! ということがありましたら,そこは「自己責任」,ご自身でつけたハンドルネームのせいとどうかご承知願いたい。
ところで,わたしの「がのさん」という名,どうも響きも字づらも美しくない。あるところでは「鬼にがのぼう」などとおっそろしげに呼んでいるようですが,天狗じゃないので飛んで行って「コノヤロー!」と「金棒」を振り上げて追いかけるわけにもいかず,狭い暗渠にこもって蟄居するのみ。ただ,おおかたは正体不明のとぼけたおやじとしてくださっているようで,それはそれでいいんじゃないでしょうか。
このことのオマケに,わたしの関わる地域活動から。さきおととしのこと,わたしの住んでいる団地の樹々に名札をつけようと提案し,自治会で呼びかけて子どもから高齢者までのたくさんの住民が参加して名札づくり,名札掛けをおこないました。この公団住宅,古いけれど緑に恵まれたなかなかいいところです。とりわけ団地のまん中を貫く道はみごとなケヤキ並木になっていて,四季ごとのたのしみをたくさん提供してくれています。ネームプレートはタテ15センチ,ヨコ6センチほどのもの。かなり大きい。当初のねらいは,子どもたちに樹々の名前を知ってもらうことからまず樹々に親しんでもらおう,樹々に親しみながら環境を守ることの大事さを日々の生活のなかで自然のうちに知ってもらおうというもの。シラカシ,アラカシ,ヤマモモ,マテバシイ,マキなどの常緑樹を中心に,ケヤキ,カナメモチ,イチイ,ネズミモチ,サンゴジュ,ピラカンサ,ヒサカキ,ハクウンボク,モクレン,コブシ,キンモクセイ,ヒイラギ,ハゼノキ,ニシキギ,エゴノキ,ハナミズキ,ユズリハ,ツバキ,カツラ,アキニレ,モッコク,ハリエンジュ,ライラック…,などなど40~50種ほどもあったでしょうか,2日がかりでいっぱい名札がつけられました。一本一本の木に名前がつくと,それぞれの個性的な表情も見えてきて,それまではただボーッと朝に夕に通りすぎていた道もぜんぜん違うものに見えてきたものでした。
一角に幼児を遊ばせるのに格好なはずの児童公園があります。砂場があり簡単な遊具が置いてあるだけの殺風景なところで,それまではそこで遊ぶ子どもの姿を見たことがありませんでした。こんなときもラボってありがたいですよね。「かしの木ホテル」がピーンと脳髄をかすめ,そこを「クスノキひろば」と名づけ,かわいい看板を立てました。クスノキの大木が3本並んでいる公園なんです。そのすみのほうに看板をつけた以外には何も手を加えていないのに,それ以来,「〝クスノキひろば〟で会いましょう」「〝クスノキひろば〟で待ってます」が人びとの合い言葉のようになり,昼間の時間はいつでも誰かが来ている,会話に満ちた公園になっています。
親がつけてくれた自身の名前ですから,「名を汚す」ようなことはつつしみたい。ことに臨んで「名に背く」ような恥は晒さぬこと。「名を揚げ」「名を馳せる」ためといって実力以上の無理をせぬこと。「名は体をあらわす」もの,したがって「名こそおしむべし」。
教訓を垂れるつもりじゃないですが,ね,ネーミングって大事だと思いません…?
☆…画像1点削除
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閑話休題。
このところ事故が多発,社会問題になり,刑事事件にもなっている回転式ドア。
あなたも,ひょっとして,あぶない思いをしたこと,あるんじゃないですか。
わたしもちょっと前,横浜ランドマークタワー入口の回転式ドアでヤバイ思いをした。
いい感じじゃないね,アレ。
別段あんなところでノンビリしようとは思わないけれど,
せわしないんだよ,後ろからシッシッと追われているようで。
で,あの回転式ドア,だれが発明したか,知ってます?
日本人の頭脳が開発したといううわさもあるけど,
ちがうよ,ちがう。
「ドン・キホーテ」を書いたスペインの大作家,セルバンテス卿さ。
だって,ほら,「一方の扉が閉まれば,もう一方の扉が開く」と云ってるじゃないですか。
きっとアレだよ,アレ。
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昨日は調べごとがあってほぼ一日,図書館にいた。いろいろ手を尽くしてみるが,探すものはなく,ふたつの図書館をハシゴすることになった。結局,目的は果たせず,もういいや,と放りだしたところで,ふと,谷川雁詩集を書架から引っ張り出すことになった。もう見ることはないだろうと,わたしのものは数年前に廃棄してしまった詩集。ぺらぺらとページをめくるうち,ハッと思いついたことがある。
カタツムリのことである。
何の関係があるのさ,と思われることでしょうが,このところ,古事記,カタツムリ,梁塵秘抄,スサノオ,日本神話,谷川雁…と,このページを賑わせてきたことにわたしのなかではつながっている。すなわち,この詩人の詩にカタツムリや貝,蛭,ナメクジといった生き物のイメージが意外なほど多く現われているということに思い至ったというわけ。(谷川さんのことはここでは書かないと云ったのだが…。それにこういう詩の鑑賞の仕方を彼は嫌うはずだが,ちょっとだけ…)
幸福はむしろ藁の上にある/大通りで二月の蝸牛を知っている者はいない… (「首都の勘定書き」より)
祖国につづく塩水をせき/木浦のなみだという歌をうたい/そのかみ王妃の耳に似た貝を埋め… (「丸太の天国」より)
おれたちの故郷のどぶ河の/水底にもだえる赤い蛭よ/おしだまっている小さな巻貝よ… (「故郷」より)
何もかも淡い音を出している夜だ/かたつむりのはっている土壁に体をこすりつけ… (「請願」より)
まっ青な貸借対照表で埋まった世界の城に/貝殻むしみたいにびっしりうごめく/平和 平和… (「破産の月に」)
かれの否定する霊魂のごとき町の/かたつむりに負われた夜… (「たうん・あにま」より)
これくらいにしましょうか。
日本の神話を語るについて梁塵秘抄の今様から「舞へ舞へ 蝸牛/舞はぬものならば…」を引っ張ってくる詩想の原点に,こうした生理的感覚があったとするのはちょっと穿ちすぎでしょうかねぇ。そしてこの詩人の,このとらえどころない,ぐにゃぐにゃした感触をもつものへの生理的指向が何を意味しているのか,女性ならすぐピーンとくるのではないでしょうか。
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(「スサノオとカタツムリ」をめぐるさとみさんの書き込みに応え,本来なら掲示板のほうで書くべきなのですが,1000字をオーバーするとアトカタなく消えてしまうようなので,こちらにて。掲示板のほうと合わせてお読みいただければ幸いです)
おー,「古事記」を読破されている!
“What are little boys made of?” というナーサリー・ライムがよく知られているが,ほんと,ラボはこういうスゴイ人でできていると,世に広く誇りたい衝動に駆られますね。
(国文学を専攻したわたしでさえ,恥ずかしながら,6~7割程度しか読めていない。部分的には何度も読んではいますが)。
高橋鐵のその本をわたしは知りませんが,なるほど,「古事記」には彼の好みそうなSexualなイメージがあふれていますからね,およそ彼がどんな書き方をしているかは想像できます。で,それはおもしろく,わかりやすいことでしょう。「成り成りて成り合はざる處一處在り」「成り成りて成り餘れる處一處在り」なんて表現には彼はすぐ飛びつくはず。事実,そのつぎには「成り餘れる處を,汝が成り合はざる處に刺し塞ぎて…」と,「古事記」はそういうエッチなところのある書ではありますが,感傷的すぎると批判されるかも知れないにしても,わたしはもっと敬虔な思いをもってこれを読みたいほうですね。神秘なもの,美しいもの,誇りに満ちたものをそこに見ているほうが好きです。何ごとにつけイチャモンをつけるほうですが,本質的には保守的なのかな,わたしは。
「故(かれ)二柱の神,天の浮橋に立たして,其の沼矛(ぬぼこ)を指し下ろして畫(か)きたまへば,盬,許袁呂許袁呂(こをろこをろ)に畫き鳴らして,引き上げたる時に,その矛の末(さき)より垂落(しただ)る盬,累積(つも)りて島と成る。是,於能碁呂島(おのころじま)なり」
くらげのようにふわふわ漂っていたところに,雲がわき,野が生まれ,そこに泥や砂ができていき,やがて男神と女神が誕生する。この男女の神,伊邪那岐・伊邪那美に天界の神たちが国づくりを命じ,天の沼矛というものを下される。天界と地上をつなぐ橋でしょうか,天の浮橋のうえに立ってこの男女の神が仲良く矛をかきまわす。かきまわす矛の先端から雫がしたたり落ち,それが宝石のようにきらきら光って凝り固まる,ひょっとすると虹のような輝きに包まれていたかも知れない……。
美しいイメージですよね。わたしたちの国はこんなにも清い,イラク周辺に見るような野卑な争いで汚すことがあってはぜったいいけない国なんだと,時代おくれの偏屈おとこはそう思うわけです。葦の芽のような人間たちが神々の末から分かれて次つぎにふえていく。それがわたしたちの祖先だという。なるほど,文学的ではあるけれど,危機にあっても追従に終始し腰のさだまった態度をとれないこの国の指導者たちは,葦のようにあっちにそよぎ,こっちにそよぎ,そより,そよりと,…関係ないかな,これ。
「尾張学堂」かぁ。なつかしいなぁ。武蔵学堂,なにわ学堂というのもかつてありましたねぇ。もう少し下の世代には「ラボ土曜講座」なんかもあったし。いまは無理なんでしょうかねぇ。
そんなに読んでいるわけではないので,これを読めとお薦めするわけにはいきませんが,「古事記」に関しては,やはり本居宣長の「古事記伝」は欠かせないでしょうし,わたしは西郷信綱の「古事記注釈」がいちばん好きでしたね。
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きのうのうす寒い雨のあと,きょうはもったいないほどの好天。
小学校の入学式は爛漫のサクラのもと,さわやかにとりおこなわれた。
来賓控え室の校長室に飛び込んだのは指定された時間ぎりぎり。
校門周辺とその近くのサクラの木のまわりには,
記念写真を撮ろうという人が黒ぐろと群れ,
(なかには,シャッターをおしてくれという知人もいて)
押し分け押し分け進まねばならなかったからである。
卒業式にはこのところ欠かさず出ているのに,
入学式は,どうしてなのか,初めて。
(あっ,そうか,花粉症でいつもほかの人に代わってもらっていたんだっけ)
地域の役員としてこうして招かれることがつづいているが,
自分のひとり息子のときには,入学式・卒業式とも
一度も出ていないことを思い,ちと胸が痛む。
しかし,ピカピカの1年生。いいねぇ。かわいいねぇ。
年々,児童数が減っていると聞くが,今年度はいつになく多いという。
それなりのオシャレをし,ふだんにはない緊張ものぞかせる小さなお顔たち。
抱きしめて頬づりしたいような初々しさ。ほんとにかわいい。
椅子に着くが,こんなときどんな態度をしていればいいのかわからない
といった戸惑いの表情ものぞく。
まだ高すぎる椅子に足をぶらぶらさせる子,
不安げにときどきうしろのおかあさんのほうを振りかえる子,
いや,おしゃまにとりすまして正面に目をすえる子も。
各方面からの挨拶がつづく。
こんなとき,凍りついた緊張をいっぺんにほぐす魔法のことばがある。
それをわたしはラボのキャンプなどで体得した。
ぱっと一瞬にして彼らに美しい笑顔を取り戻させる「あのひとこと」
式の厳粛さを求める人には顰蹙を買うが,かまやしない。
――えっ,何かって? それは教えられない,わたしだけの秘密。
みなさんもその魔法のことばを必ず一つや二つ持っているはずですよ。
1年先輩になる2年生が,新しく入ってきた小学校の仲間に贈ることばは,
全員で歌のプレゼント。ジェスチュアつきの「世界でひとつだけの花」。
は~~ッ! わたしもこの歌は二度か三度は耳にしたことがあるけれど,
新しい時代の波はこんなふうに子どもたちのまわりに寄せているのか
という驚き。うん,そんなに悪い歌じゃない。
しかし,どうも,ほかのみなさんにはちっとも驚きではないようなのだ。
キムタクやシンゴがうたっている歌だって。みなさんもご存知?
あ~あ,時代おくれ。まあ,そういわれても,いいけどね。
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春の野に すみれ摘みにと来しわれぞ
野をなつかしみ 一夜寝にける ――山部赤人
すみれが好きだと書いてくださったサンサンさん,
古人にならって聲でお届けできるといいのでしょうが,
ここを使わせてもらって野のすみれ花をこんな歌でお贈りします。
トップページの写真は,ご存知,オダマキですね。
ミヤマオダマキ(深山苧環)と呼ぶ種類だそうですよ。
キンポウゲ科の多年草で,このほかにたくさんの種類があるようですね。
ふつうには5月の花とされているのですが,暖冬ということなのか,
一足早い季節ながら,わが家近くで見つけました。
ほんと,この世の清さをひとつに集めたような奇跡の色。
もう少し光線が強いと発色も一段ときれいなはずなのですが,
このところスッキリせず,春が足踏みしているようで…。
花ことばは,なんと「勝つ」。
つつましげに下を向いて咲く花には,
ちょっと似合わないように思うのですけれど,どうでしょうか。
オダマキは古歌のなかでは「もぢずり」(捩摺り)という名で詠われていて,
みちのくの しのぶもぢずり たれゆゑに
乱れむと思ふ われならなくに
という古今集の有名な恋歌が見られますね。
それに,わたしはこのホームページのBBS,2月25日のところで
萩原朔太郎の詩「夜汽車」(または「みちゆき」)のことを書きました。
……しののめちかき汽車の窓より外をながむれば
ところもしらぬ山里に
さも白く咲きてゐたるをだまきの花 (「純情小曲集」より)
この鮮烈なイメージとともにこの花はわたしの中に咲いています。
わたしは花や草についてそんなに詳しいわけではありませんが,
このところ,さまざまな雑事のなかで揉みくしゃの状態にあり,
このホームページを振り返るいとまもあまりありませんでした。
ところが,ふと目にしたのが岐阜のちゃこさんが書いておられる
土筆のこと。すばらしい文章ですね。最初に挙げた歌
「野をなつかしみ ひとよ寝」たくなる思いへ誘ってくれるような…。
そんなわけで,わたしもふらりと草花のことを書かせてもらいました。
わたしにとっての草花は萬葉集とともに親しむというもの。
わが家近くにある大学のキャンパスには
萬葉学者たちによってつくられた「萬葉の小径」があります。
ここでは萬葉集にあらわれた160種ほどの花や草木のうち
150種を集めて植栽しています。
かつての一時期,わたしもヴォランティアで
その手入れのお手伝いをしたことがありました。
だれもがこころやすく中に入って見ることができ,
千数百年前の日本を生きた萬葉びとの思いと生活をしのびつつ
四季それぞれに萬葉秀歌と植物に親しむことができます。
最近行っておりませんが,この季節,よもぎ,せり,れんぎょう,
サクラ,シュンランなどなど,春の息吹きに燃えていることでしょう。
せっかくですから,ここでいくつかの歌を。
もののふの八十をとめらが汲みまがふ
寺井のうへのかたかごの花 ――大伴家持
石(いわ)はしる垂水(たるみ)のうへのさ蕨の
萌え出ずる春になりにけるかも ――志貴皇子
道の辺の尾花がしたの思草
いまさらになど物が思はむ ――山上憶良
夏の野の茂みに咲ける姫百合の
知らえぬ恋は苦しきものぞ ――坂上郎女
「かたかごの花」はカタクリの花(ユリ科)のこと,
「思草」とはナンバンギセル(ウリ科)のこと。
いかがでしたか,ふだんは英語の世界にいることの多いみなさん,この機にちょっぴり日本の清麗なことば,萬葉びとのこころの風光にふれていただくことができましたら幸いですが。
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本郷での仕事を終える。気分スッキリ,天気は上々,
花粉の黄魔もいまのところまだここまで来ていない,
――となれば,また気ままな街歩き。
この本郷にいてパッとアタマの中をかすめるのは,樋口一葉のこと。
菊坂下の伊勢屋質店。一葉日記にたびたび登場するその店の土蔵跡が
都の文化財として残っているとは以前から耳にしていたが,
迂闊にもこれまで見過ごしてきた。
なにしろ,このごろわたしは,その一葉日記は古今を通じて
日本最高の日記文学じゃないかと信じているのである。
母たきさん,妹くにさんとともに食うや食わずの極貧に耐えていた菊坂生活。
此月も伊せ屋がもとにはしらねば事足らず,
小袖四つ,羽織二つ,一つ風呂敷につゝみて,
母君と持ちゆかんとす
といった文がいとも流麗な筆づかいでしるされている
(のを,以前,台東区立一葉記念館で見たことがある)。
蔵のうちに春かくれゆくころもがへ
という句がみられるかと思えば,
我こそはだるま大師になりにけり とぶらはんにもあしなしにして
という歌も。足なし(お金=アシ)の達磨大師に自身をなぞらえ,
この期におよんでなおユーモアに包んで生きざまを見せる心の強さ,
わたしはそこに惹かれる。
いまはさまざまな商店のつらなる,なんの変哲もない道だが,
一葉が行ったり来たり歩いた道。露伴,鴎外,漱石が歩いた坂道。
一葉を慕ってあつまった文学界同人の平田禿木,馬場孤蝶,戸川秋骨,
あるいは島崎藤村,上田敏,川上眉山が通った道。
この菊坂については,これらの作家たちの作品の随所に見られるほか,
田宮虎彦の忘れがたい珠玉の青春小説「菊坂」があるし,
明暦の大火,いわゆる振袖火事の火元とされる本妙寺の跡,
女子美術大学の前身の学校跡もある。
…と,パッタリ,宮澤賢治の旧居跡に出くわした。
まったくアタマになかった発見だった。
宮澤賢治についてなら,いまや皆さんのほうがはるかに詳しいはずですね。
記憶をたどれば,たしか,賢治が宗教の問題で父親とのソリが合わず,
大正10年の真冬のころ花巻の家を飛び出した。
で,その寄宿先は,…そう,本郷だったはず。
ここだったのか~!
といっても,今はデーンと立派な5階建てのビルになっていて,
その脇の狭い石段にチンマリと記念碑が置かれているだけ。
しかし賢治はここで途方もない奇跡を起こしたのである。
(一葉の「奇跡の十四か月」が有名だが,
賢治の場合もこれを「奇跡」と呼んでいいのではないでしょうか)
昼間は謄写版刷りの筆耕や校正のしごと,
昼の休みには街頭に出て日蓮宗の布教活動,
そして,夜間やちょっとした空き時間のなかで童話や詩を書いた。
1日平均300枚も書きまくったというから,どうしようもなくスゴイ!
でも,ここでのその暮らしは惜しくも8か月足らずで終わる。
真冬に来て真夏の8月,妹トシの病状が悪化,危篤の報が入り,
急きょ花巻に帰ることになる。
帰るそのトランクの中にはぎっしりと原稿が詰まっていたというわけ。
「注文の多い料理店」「どんぐりと山猫」「かしわばやしの夜」…
こうした賢治の代表作はここで書かれたんですね。
……あめゆじゅとてちてけんじゃ~…
深い信頼で結ばれていた兄と妹が永遠に引き離されるときは
「永訣の朝」の絶唱で語られていますね。
皆さんにはあまり関心のないことかも知れませんが,
この日記の最後に,一葉が24歳の処女のまま終焉のときを迎えた地,
丸山福山町。――広い白山通りに面し,
その先には後楽園遊園地の観覧車が見える,
紳士服コナカの巨大なビルの前にひっそりと建つ文学碑です。
岡田八千代,平塚らいてう,幸田文,野田宇太郎らの肝いりで
昭和27年に建てられたもの。
みごとな雅俗折衷文。揮毫は平塚らいてうのもの。
その筆づかいのなかに一葉のさわやかな息づかいの感じられる刻文である。
そういえば,昨年の初夏のころ,一葉の父祖の地,山梨・塩山の慈雲寺に建つ
りっぱな記念碑も見たなァ。「一葉の道」というのもそこにあったなァ。
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