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〔がの〕さんの閑粒子日記
〔がの〕さんの閑粒子日記 [全205件] 181件~190件 表示 << 前の10件 | 次の10件 >>
◎歯の治療と花粉症◎ 10 03月05日 (金)
年末以来,歯の治療がつづいている。
きょうもまた,麻酔を射たれてボーッとした意識のなかにいる。
歯の治療はどうしてこうも長くかかるのだろう。
気の小さいわたしなんぞは,歯科医院のあのキーーンという音,
消毒薬のあのにおいをかいだだけで,
ほんと,あーあ,生まれてこなけりゃよかった,と思ってしまう。
そして,きょう気づいたのだが,問題は花粉症である。
いまのところ,目がしょぼしょぼしだしたくらいで,症状はあまり出ていないが,
鼻がつまる,あるいは止めどなく洟が垂れるようになったら,どうするのだろう。
30年来におよぶわたしの花粉症は,ラボのまわりでは有名な伝説になっているほど,
笑いごとではすまされない,折り紙つきの重症もの。
プライド高い〈がの〉さんとしては,情けないことはなはだしい春なのである。
いいといわれることは片っぱしからやってみたが,改善はみられない。
歯の治療ちゅうにその悲惨な症状がでたら,もう,インフルエンザ・ウイルスに汚染された鶏といっしょに
地中深く埋めてしまってくれ,…と,そう思う。

3月21日の国際交流のつどいのご招待をいただいている。
ハレの集いにナンですが,困ったことに,例年,このころが最悪なのである。
昨年ばかりは初めて最後まで見せてもらったけれど,
それまでは,どうにか我慢してテーマ活動まで見て早々に失礼したり,
それもならず,会場までは行ったものの,
ほとんどそのまま日比谷から宙返りしてきたことも…。
いまのところ出席するつもりではいるものの,
さて,今年はどういうことになりますか。
とはいえ,この鬱陶しい悩み,ひとにはわかってもらえぬものらしい。
だから,どうもわたしもそうらしい…,なんてあたらしい仲間ができると
嬉しくてたまらない。あっ,あなたもお友だち?
…つまらぬ私事を,失礼しました!(2004.3.5.)

☆…画像1点削除
▼カタツムリの古伝承 5 03月03日 (水)
ワオーッ! bokobokoさん,目ざといですねぇ。さすが目のつけどころがちがう!(BBSのほうで書くべきなのでしょうが,広く全国のみなさんからの情報を募りたいと思いまして,多くの目にふれやすいコチラのほうで!)
じつはいま,ふーちゃんの書き込みにある,ベトナムの人が話してくれたアジアにおけることばの共通性に関連して,「古事記」にのっている古伝説を考えていたところでした。
下品だ,無礼だとしてスサノオが殺した大宜津比賣の,頭から蚕,耳から稲,耳から粟,鼻からあずき,陰(ほと)から麦,尻から大豆――が生じた,ということになっていますね。この神話伝説と韓語とのあいだに何か符合するようなものがあるような気がしていたものですから,bokobokoさんのいきなりのお話にビックリいたしました。
さて,お尋ねのスサノオとカタツムリの関係ですが,口惜しいながら,わたしには知るところがありません。昔は国文学をやってきたはずなのに,このへんのこと,すっかり忘れてしまっています。(それに,外聞をはばかるのですが,昔のラボ・テープ,すっかり処分してしまっておりまして…)
しかし,うつろな記憶ですが,ラボの「スサノオ」で採られているのは,梁塵秘抄に載っている今様のひとつで,直接「古事記」とは関係なかったような気がしますが。
これを機会に「古事記」の須佐之男のところを改めて読み直してみますね。
だれかそのへんのことについて書いているか……。あるいは和辻哲郎さん,唐木順三さん,谷川健一さんあたりがどこかでふれているかも知れません。気にとめておいて,わかることがありましたら,お知らせいたします――ということで勘弁していただけますでしょうか。
野村萬斎の狂言「蝸牛」がとりわけ絶品だ,といろいろなところでふれまわっていながら,蝸牛そのものについては何も知らない,というのは,ゴメン! なんとも恥ずかしいこと,無責任なこと。
全国のみなさんのうち,ご存知の方がおいででしたら,どうぞわたしにもお教えください。
みなさんからのカタツムリをめぐる古伝承の情報は,左の「つれづれ塾――その《2》」でアトランダムに紹介していきましょう。

snail-b.jpg

で,じつは,一昨年の初夏のころでしたか,わたしの住んでいるこの地域の活動のひとつで,読み聞かせ活動をやっている,なかなか評判のよいグループがあり,そちらのほうから子どもたちのために何か書いてくれないかといわれて大急ぎで書いたのが,かたつむりを素材にした創作童話「でんでんむし,歌いなさい」です。
あまり上等なものでなく,恥ずかしいのですが,せっかくですのでこれを左の「ページ一覧」のうちの「つれづれ塾①――〔3〕」のほうに入れておきますので,どうぞご一読ください。
小さい命を愛しむという主題と併せて,この生きものの生態にも知るかぎりでふれています。
そして,最後まで読んでいただくとおわかりいただけると思いますが,
わたし自身のモチーフはそれとはちょっと別のところにあり,
アメリカの覇権主義の暴走でアフガニスタンやイラクが武力攻撃されようとしている,それをささやかながら批判するものでもありました。
どうぞご感想もお聞かせください。
★トルンの音色に酔う 11 02月29日 ()
先日,長崎のまっちゃんがヒマラヤの笛「バンスリ」について紹介してくれていましたね(2月22日)。
アジアの音っていいなあ,ヒマラヤの雪に磨かれたように澄んで,
胸の奥底まで染み入るなあ,
…と,じつは,きょうの午後,わたしは忝いほど幸せな音にふれました。
日ごろの無私なヴォランティア活動に感謝するとして
ある福祉施設が催してくれたパーティに招かれて出席。
160人ほどのその集まりでトルンの演奏に立ち会うことになったのです。
この素朴な楽器,たいがいご存知ないかと思います。
もちろん,わたしもはじめて耳にする音でした。

torun-j.jpg

写真で見ていただくように,竹でつくられた楽器。
もともとはベトナムの中部山岳地帯に住む少数民族のあいだで使われてきた伝統楽器で,
それをドレミファの西洋音階が出せるように改良したものだそうです。
竹といっても,わが国で見るものとはかなり違い,
節と節のあいだが長い,ベトナム固有の竹で,
それをよく乾燥させ,輪ゴムとわずかな凧糸だけで止めて組み立てたもの。
この日は,まずマリンバによる「さくら変奏曲」で陽春の雅を浴び,
「ウィリアム・テル序曲」や「アメリカン・パトロール」で
思いっきり軽快に弾んだあと,いろいろな人の挨拶をはさんで
つぎがこのトルンの演奏。
これが,いいッ! シンプルでいい! まじりけのない光に輝いている。
ひととき,世界じゅういっぱいにうすい虹色のベールがふんわりかかったような,
天頂はるかから水晶のように透明な光がササーッと注いできたような,
そんな錯覚と幻想に誘われる音。
わたしたちの血のふるさとがここにある,というような親しさに包まれる。
ベトナムの民俗的な曲を数曲,
そして「竹田の子守唄」のような日本の歌にも合うし,
ディズニーの「星に願いを」のような,むこうのムードミュージックにもぴったり。

torun-c.jpg

きれいな手刺繍のほどこされたベトナムの民族衣装「アオザイ」を着た若い演奏者,
お名前は小栗久美子さんといい,
マリンバ奏者として広く活躍しておられる一方,
東京外国語大学大学院の地域文化研究科博士前期課程に在学中のお嬢さん。
しょっちゅうベトナムとのあいだを行き来,
この珍しい楽器は,何度も何度も空港の検問にひっかかりながら
ようやく持ち込んだとのこと。
アジアは飢えながらも,じつは豊かなんだなあ,
アジアは乱れ,病んでいるけれど,一方,じつに調和がとれ,
こここそわたしの命の原郷なんだなあ,と心を満たされる午後だった。
香月泰男という画家 3 02月24日 (火)
ほんとうは,こういう絵を皆さんに薦めていいものかどうか,
わたしにはよくわかりません。
およそラボをやる皆さんのタシになるものではありませんし,
東山魁夷の絵のように,見て心地よいものでもありませんので。
ただ,軽率なことに,イラストを描いているhit氏をけしかける意味で
ちょっとばかし調子に乗り過ぎて書き込みをしてしまったものですから,
書くからにはもう少しはきちんと紹介しないとまずいかな,
とそんなふうに思いまして…。

tokyost-a.jpg

いま東京ステーションギャラリーで開催中(3月28日まで/月曜休館)の
香月泰男(かづき・やすお)展。歿後30年を記念する回顧展で,
「〈私の〉シベリア,〈私の〉地球」というサブタイトルがついている。
山口県の日本海に面する小さな町,三隅町の出身。
東京美術学校(現・東京藝術大学)卒業,
梅原龍三郎に師事して油彩画を描きながら,美術教師として勤めていたとき
召集の命令を受け,満州へ赴きハイラルで軍隊生活を送る。
2年弱にして敗戦。敗戦にともない虜囚として
シベリアの収容所(ラーゲリ)に送られる。3か所のラーゲリへ次つぎと。
零下30~35℃,ものみな凍結してしまう極寒の世界で
2年にわたる飢餓と強制労働の日々を送る。
「兵にとって戦争とは,郷愁との戦いでもある」として帰国の日を夢み,
1947年,ようやくあこがれの舞鶴の土に立つ。
生家に帰って再び絵に取り組むが,
頭に結ばれるイメージは,あのシベリアの日々のことばかり。
月も太陽も,少しも明るくない。そして,どんなときも
あの恐ろしい極寒の地で骨と皮になって果てていった幾万もの
戦友たちの叫喚が耳から離れない。
どこにいても,シベリアの凍土に眠る戦友たちの亡霊が出たり消えたり…。
香月の画業はその戦友たちの鎮魂のためにささげられた27年だったといえる。
自分で焼いた炭を刃物で削り,油をまぜて顔料にして描く独特の世界。
それは,描く道具といって何もない索漠たる収容所生活で,
シラカバの皮を燃やしてつくった炭だけが唯一の絵の具だった,
その記憶から生まれた手法という。
だから,その世界は色彩に乏しく,荒涼としてうそ寒い。
ぞくぞくするほど,そのこころの闇は深い。
そうした画面が,古い駅舎のむきだしになったレンガ,
ところによっては崩れてきそうなレンガと漆喰の壁面と一体をなして
ふしぎな力をもって迫る。
作品はこのシベリア・シリーズばかりではないが,
どうしてもこの印象が圧倒的だ。
家族や友人に宛てた軍事郵便ハガキに描かれたスケッチにも味がある。
萩焼の絵づけもユニークで奥深い。
いずれにせよ,胸つぶれる暗い情念をずうっと,
ずうーっと抱えつづけて生きた一人の画家の生涯は,
なぜ人は表現しないでいられないのか,――それを考えさせてくれる。
(2004.2.24)
★純粋な感動を良質な物語で 2 02月19日 (木)
 ゴールズワージーJohn Galsworthyといっても,あまり知る人はいないかも知れない。美智子妃が卒論のテーマにした「フォーサイト家の物語」を書いた作家といったら,あっ,そうか,と思い出される方も。
 地域活動としてやっている「ふれあい読書会」は,きょう,この英国の作家の「りんごの木」(岩波文庫,新潮文庫)をテクストにしておこなった。
 きのうが小学生,きょうは中高生と地域の旧世代の人びと,…と,さまざまな層とのふれあいの日々である。
 率直にいって,それほどすぐれた作品とは云いにくい。目もあやな物語ではない。魅力といえば,イギリス南西部の半島,ケルトの民が多く住むウェールズ地方の,精霊がただようような澄んだ空気,牧歌的なリリシズムで覆われた,田園的,詩的雰囲気と,朝露とも云うべき愛のはかなさ,素朴なヒューマニズムといったところか。そう,デヴォンシャーの荒野地帯(ムーア)の素朴な美しさの描写はチェーホフのものを思わせるし,絶対とされたもの(愛)がアッという間に崩れ去るそのはかなさは,チクリと胸に来る。
 うつくしい村娘ミーガンの清らかな,しかし一途なはげしい愛,それとイギリス上流階級に巣くう旧弊な西欧的知性との相剋があざやかにつづられた物語。自然も人のこころも水彩画のように,いや,水晶のように透明である。
 エピローグで,老いた農夫が杖にすがり,パイプのタバコをくゆらしながら,道端の芝塚……18歳の農場の娘ミーガンが永い眠りをねむる小さなお墓……のいわれを静かに語る場面をわたしが声にして読むうち,あっちで,こっちで,嗚咽がおこる。はなをすする音も…。14~15歳の女の子たち,60代,70代のご婦人たちがハンカチで涙を拭く。
 まったく予期しないことだった。いつものように,作品の鑑賞に先だってわたしのほうから30~40分ほど話をする。今回は,作家とその時代のこととともに,神話のなかの「りんご」の話をした。ギリシア神話のさまざまなところに登場するりんご。美の妍を競う女神たちの審判にあたり,羊飼いの少年パリスが使ったのがりんごだった。それに,ヘスペリデスの楽園の話。ゼウスの妻のヘラが,結婚の記念に他の女神たちから贈られたりんごの木の苗を遠い西方の島に植え,ヘスペリデスと呼ばれる三人の歌姫に番をさせます。その美しい三姉妹のニンフ(妖精)を援けるのが,百のアタマを持つ龍ということになっていますね。
 ゴールズワージー描く「りんごの木」は,まさにこの神話が透かし絵になっていると思われる。たとえば,この百のアタマの龍は,霊のようにしてときどき現われる「ジプシーのお化け」である。つまり,如何に望んでもついに行き着くことのできないところとしての「りんごの木」の園であり,だれがどれほど手を伸ばしても届かない「りんごの木」の実,運命を引き裂く不思議な木というわけである。
 作品を読み解くカギとなるこの神話をわたしが知ったのは,1987~88年のころ,ギリシアの英雄伝説と神話(SK21「プロメテウスノ火」)の制作へむけて100冊以上におよぶ関係図書を読みあさっていたときのことである。そのころ読んだものがこんな形で活かされるというのを知るのは,望外の喜びである。

 新しい芥川賞受賞作の悪口はすでにさんざん書いた。これ以上批判するのも愚かなこと。「未来なんて見えない」でテキトーにその刹那,刹那を下等な虫のようにして生きる19歳のルイという少女と,純情無垢でひとを疑うこともしらない18歳の少女ミーガンと。並べて比べるまでもない。もう,口にするにも値いしない軽さを見せる異星人。「古い」といわれてもいい。世代をいくつもまたいで胸をうつ良質な文学作品は,視線を下げてそんなところに目をむけないでも,大きく目を開けばいくらでもあるということ。不況をかこつ出版社の卑しい陰謀と用紙の浪費による環境破壊には巻き込まれまいぞ。
福祉をラボ感覚で体感 5 02月18日 (水)
久しぶりにたくさんの子どもたちの弾け飛ぶ笑顔に出会った。
夫婦二人だけの生活に埋もれている今,この明るさは何よりの慰めだ。
小学校の特別授業は4年生の体験学習。
ヴォランティアについていっしょに考え,
身をもって体験してもらうというもので,
今年に入ってこの活動に関わること2校目。
ここ数年,毎年やってきている。
しかし,きょうは,児童たちだけでなく,
PTAの呼びかけで,地域のおかあさんたちが生徒の数に倍するほど参加,
意想外に大仕掛けな講習会となった。こんなのは初めてだ。
ヴォランティアについて少し話したあと,車椅子,アイマスク,手話,点字
の4グループに分かれる。
点字,手話については,その方面のヴォランティア・グループにお任せし,
わたしのほうは,車椅子とアイマスクのほうを掛け持ちで指導。
他の多くのヴォランティア仲間の協力を得ながら,午前中いっぱい,
子どもたちとそれぞれの体験を分かち合うひとときを楽しんだ。

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それにしても,児童たちの習得力の速さには,いつもながら驚かされる。
車椅子でいえば,ターンも坂道での対応も,段差のあるところでの操作も
スポーツ感覚というか,怖さを知らないというか,
いちいち解説するまでもなく,アッという間に体得してしまう。
問題は,むしろ,おかあさんたちのほうだったりする。
アイマスクでは,目に色の濃いゴーグルをつけて見えにくくし,
視界を狭めるだけでなく,
耳には耳栓をして音を聞きにくくし,
手には二重の手袋をつけて手の触感を鈍らせ,
手首にも足首にも錘(おもり)をつけて,起伏あるところを杖をもって歩行,
老齢者の感覚を体感してもらう。
子どもは,深刻にならず,快活にこれをやってくれるので救われる。
            ☆
それにつけても,子どもへの近づき方,子どもとの関係の取り方――,
だれも誉めてはくれないが,まあまあスムーズにいっているように思う。
父兄や先生が見ているからといって,特別,緊張するようなこともない。
ふだんはあまり意識することはないが,
これがラボ活動のなかで培ってきたものなんだな,と思うことがある。
エッ,なんでこんなことをわたしが…,ですか?
これでもわたしは
厚生省認定のホームヘルパー2級の資格を持っているんですよ。
これ,ホント。親不孝をした罪滅ぼしに,この資格を取得して,
地域の体の不自由な高齢者や身障者のお手伝いをときどきしています。
体力が衰退し,介護が必要と思われたら,いかがですか,
もしよかったら,あなたも声をかけてくださいよ!
★大正モダニズムと「蛇にピアス」 1 02月13日 (金)
都心に出てひと仕事を終え,さて帰るといって,まずまっすぐ帰ることはめったにない(もちろん,お酒をひっかけるというわけでもない)。
きのうのこと,書店に立ち寄り,「文芸春秋」3月特別号と木田元さんの「一日一文」(岩波書店刊)を買う。衝動買いというに近い。
それにつけても,桜の開花を思わせるような好天。渋谷に着いたら,どういうわけか,ふと大正ロマンティシズムのイメージがアタマの底のあたりから湧き出し,そうなると足の向く方角はほぼ決まっている。逆方向である。
地下鉄根津駅に出,弥生坂を登って弥生美術館・竹久夢二美術館へ。今年になって展示は高畠華宵(かしょう)の作品に替わっているはず。
しかし,大正ロマンはいいが,その前に,ぶ~~ったまげてしまった! 根津へ向かう地下鉄の中でさっき買ったばかりの「文芸春秋」をペラペラとめくり,このほど芥川賞を受けた「蛇にピアス」(金原ひとみ作)に目を向けた。まだ4分の1も読んでいないので安直な批評や感想は控えねばならないが,なんとまあ,大正ロマンに癒しを求めようという疲れた精神にとっては,あまりにも異質な,宇宙的距離さえ感じるほど超異質な世界。
どうでしょうか,舌を割いて,そこにピアスをつけるための穴をパチリとあける…,鼻のわき,唇のわき,いや,性器にも。あるいはまた,若い肌にスミ(刺青)入れと,わたしなんぞには考え及ばぬ未成年男女の奔放にして〝不健全〟な姿が生々しく綴られていく。こういう世界,みなさん,気持ちいいですか? そして,まるで蠅か下等の虫のようにやたらにセックスするガキんちょども。都会の片隅に生きる若者の,あまりにも軽い存在。そこでは,生きることがちっとも貴いものに思えない。アメリカの文化人類学者のルース・ベネディクトがいう日本固有の文化としての「恥」も,江戸の伝統文化の粋たる「いき」も,まるであったもンじゃない。この先,どうストーリィは展開するのか知らないが,書くことを通じて作者(あるいはこれを受賞作に選んだ人たち)は,現代の不透明を生きる人びとに何を伝えたいのか,どんなメッセージを汲み取れというのか。
高校生年代の子で,Gパンをだらしなくずり落とし,ケツを半分出して歩いているバカをよく見かけることあるでしょう。そんなときは,モノサシでも持っていたらそこをピシッと叩いてやりたくなる。倒錯した若者のイキぶり。ついていけない。その無作法を若者「文化」と云ってわかったようなことを云う似非「文化人」がいたりするから,いよいよわからなくなる。わたしたちはいま「文化」の意味もわからなくなってしまった文化の貧しい社会にいるということだけが確かな感覚で意識される。文化のいちばん育っていない部分を皮肉と逆説でそう云っているのかと思えば,まんざらそうでもないという文化意識の粗悪さ。
(やれやれ,大正ロマンに行きつくまでに,まだ長ながしくなりそうなので,このあとは左のページ一覧のうちの「徒然塾」のほうにて…)
★司修展,銀座で 5 02月10日 (火)
画家の司修さんより個展の案内が届いておりますので,
お知らせいたします。銀座方面へお出かけの折りがありましたら,
どうぞお立ち寄りくださいますよう,ご案内申し上げます。
今回は,河出書房新社からこのほど刊行された『月に憑かれたピエロ』の
表紙絵と挿し絵の原画を展示する企画だそうです。
2月16日(月)~28日(土)午前11時~午後7時(日曜・祭日は休廊)
東邦アートにて(銀座8丁目,銀座オリエントビル2階)
 銀座中央通り,東京三菱銀行のとなり,資生堂・博品館のハス向かい)
       www.tohoart.com
司修さんは,申し上げるまでもなく,わが国現代モダーンアートの旗手で
ラボの絵本制作の考え方に共鳴いただき,"TOM TIT TOT"以来,
宮沢賢治作品のラボ・ライブラリーまで,さまざま形で
制作にご協力いただいた方です。(2004.2.10)
 
東山魁夷展[ひとすじの道] 5 02月04日 (水)
横浜美術館で開催されている東山魁夷展[ひとすじの道]を見,
たったいま帰ったところ。
疲れもあるが,あの,蕪雑なものを一切省いた青い色調の透明な世界,
美しい自然をわたる蕭寥たる凛烈の風にあてられては,
いましばらくはだれとも口をききたくない,
ほかのことは何も考えたくない……
そんな感動と興奮のなかにいる。
 きょうが前期の最終日,一日おいて明後日からの後期には
作品ががらり入れ替わることを知ったのはつい昨夜のこと。
お目当ての絵がきょうを限りに外されるとあっては,
多少体調が悪くても行かずばなるまい。
開通して間もない「みなとみらい線」の混雑も,
この際,がまん,がまん,だ。
ただ,作品展示場の混雑だけはかなわん,と比較的早く出たつもりだが,
思いを同じくする人も多いようで,どこへ行っても列,列,列…。
それでも,せっかくなので短気を起こさず引き返すことをしなかったのは,
われながら,エライ! 
おかげでいいものを観た,ほんとうのホンモノに触れた思い,
幸せな幸せな気分に満たされている。
……といってひとりバカみたいに感動していても仕様がありませんので,
夕食をし,ひと風呂あびるなどしてクールダウンしたあと,
別にページをつくって――左の「徒然塾」の〔1〕からお入りください――,
すこしだけご紹介させてもらいます。
 東山魁夷の作品をこれほど徹底的に蒐集して開く企画は
これまでになかったこと。とりわけ,唐招提寺の障壁画を
横浜で見られるなんて,ありがたくって,もったいなくって,
鑑真さんにはまこと申し訳なく,バチが当たりはせぬかと恐ろしいほど。
絵画の好きな方にはぜったいお薦めです。
 2月6日からの後期展示をまた改めて見に行けるかどうかわからない。
たぶん行けないだろう。
どなたかご覧になったら,ご報告くださいませんでしょうか。
2月24日まで。木曜が休館。土曜・日曜は混雑が予想される。(2004.2.4)
洗い出された木地に見る単純さの美 3 02月02日 (月)
久々の雨。遠くに見える木むれがうす菫色にけむっている。
四十雀もきょうは来て鳴かない。
ブルーな気分。しかし,
冬もまた,なかなか美しいと思う。
すべての余計な飾りを剥ぎ取って,
いまは万物万象の木地が洗い出されるとき。
それは,他の季節,枝々の末をみずみずしく賑わす命の色,
無常な虚飾の装いを潔く棄て,
もっとも単純な真実と美のシンを見せてすっくと立つ。
(人がもっともその木地=生地をあらわすのはどんなときか。)
こんな日にBGMで流す音楽は何だろう。
陽光をいっぱい浴びた干し草の香りのするグルックじゃないな。
やはり,ショパンのノクターンの魅惑か,
いや,ブラームスのセンチメンタリズムか。
モーツァルトの気分でもないし。
ヴァイオリン曲よりはチェロの音がいちばんしっくりくるか…。
これが年齢というものなのか,風邪の症状がなかなか退いてくれない。
ぜんそくでも起こりそうな,ざわざわした胸の気配。
薬のため半ばまどろんだ意識のまま本を開くが,
まぶたは自然とふさがってくる。
一方,ホームページを開けば,このネットから弾けとぶ快活な声,声,声…。
その若やいだ生の躍動,知性の光耀も,
きょうばかりは,なにやら気疎く感じられる鬱陶しさとけだるさ。
これはまた,ここ30年余にわたり悩まされてきた恐怖の予兆へつながる。
あの,スギ花粉の黄禍の恐怖である。
風邪の症状を引きずりながら,その最悪の季節へ流れこむのが例年のパターン。
黄魔の訪れもあと1週間か2週間か…。あ~あ,やだやだ。
――それより,ゴメン! こんなものを読ませてしまって…。
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