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「小生,八十歳になったら賀状は一切欠礼したいとかねがね思いながら,それが一昨年だったことに今気づき,あわててこれを書いている始末」と添え書きされた一通の年賀状。ラボのある大先輩からのものである。来年からはこの人からの年賀状はもうないだろう。
それでなくても,めったにペンなどとらぬ人。相手から先に年賀状をもらったから已む無く自分も出す,というような人ではない。それが,どういうおつもりか,ここ7~8年,欠かさずわたしには年賀状をくれていた。一時期,わたしの上司だったこともあるこの人に比すれば,わたしなんぞは,どこから見ても取るに足らぬヒヨッコ。そうは云っても,歯が痛む,口腔が乾く,視力は低下する,耳の奥で絶えずジンジン鳴るものがある,肩や首筋が凝る。元気なつもりでも,来るものは確実に来ていて,時にふれ衰残の思いに萎えるこのごろ。この先輩,当時は近づきがたいほど烈しいものをもった人だった。口にこそしたことはなかったが,わたしも抱えるこの種の痛苦にあらがいつつ生きてきたに違いない。ああ,八十余歳。退職したのちお目にかかる機会があると,以前の彼からは信じられない寡黙さで,わたしに云うともなく云うのは,角立ったハデな行動をしようと思うな,痕跡を止めず,無為にして成ったがごとく,そっと仕事をする…,その美しさがわからなければホンモノじゃないな,というもの。うわーっ,人間のつとめとは,そんなに遠くまで行くことなのか!
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あけましておめでとうございます。
皆々様の健康を念じ上げ,ますますのご精進を期待いたします。
私事に及びまして恐縮ですが,この好天に恵まれた元日,わたしは金太郎伝説のゆかりをもつ南足柄の,大雄山最乗寺という曹洞宗の古刹へ家族とともに初詣に行って参りました。東名高速の下りこそスムーズに流れていましたが,どこもかしこも混雑,疲れるだけなのでやめればいいのに,いつのころからか,初詣はここに行く習わしになっています(昨年,一昨年は休み)。わが家門の宗派でもないし,お参りしたからといって多少なりとも運が向いたということもないし,相変わらずの貧乏クジばかり,ジャンケンさえめったに勝てない,車は駐車違反でよくレッカーされる,というツキから見放された男なのですが,この時期になると,あの,暗く空を蔽いつくす老杉の森が恋しくなるというか…。愚かなことには,このあと1か月半ほどするとこの山林あたりから漂い来るスギ花粉の黄魔にさんざんいためつけられる怨みも,なぜかこのときばかりは忘れているというメデタさ。さて,そんなにまでして行って何を拝んできたか…。それについては「ウの眼」の2のほうでお伝えすることにして,まずは皆様のパーティ活動の次なる飛躍を心よりお祈り申し上げます。
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おそらくこれが最後であろうと思われるアメリカからのクリスマスカードがきょう届く。長く活動をなさってきた方ならたいていご存知の,カンザス州のGlenn Bussetさんとその奥さんRosemaryさんからのもの。Bussetさんはすでに米寿を越していますが,その年齢には見えない矍鑠たる動きをしております。今回もお元気そうな様子の2枚の写真が添えられていました。この人のカードがなぜこんなに遅くなったのかを,わたしは知っている。きわめてクセのある字を書く人で,わたしこそもうかなり馴れたが,封筒のオモテに手書きされた宛名を判読するのに郵便局ではだいぶ骨を折ったようで,局員による書いたり消したりしたエンピツのあとがくっきり残り,あちこち漂流していたことがうかがわれる。しかも郵便番号がいまの7ケタになる前のもの。変更になったことはずっと以前から伝えてあるんだけどなぁ。
そして彼の手紙文はいつのときも長い。今回もB5判の用紙に4枚ぎっしり書かれていた。このごろはワープロでタイピングされたものなので読むのに困難なく助かるが,ちょっと以前まではそのクセ字によるハンドライティング。よく赤ボールペンを使っておられた。せっかく一所懸命書いてくれているのにどうしても読めない個所があったりして,申し訳ない思いをしたこともしばしば。1982年の交流計画でお世話になって以来,22年越しのおつきあいである。わたしとの手紙やe-mailの交換は,元気かい――元気でね,といったものではなく,今回のものでいえば,米軍のイラク占領の問題をめぐって書いたわたしの批判的意見にきっちり応えるもの。ラボの国際交流のなかでは宗教問題や政治問題にふれるのはご法度とされていますが,22年の星霜はそういうお体裁や配慮をモノともしない形に溶かし込んでくれています。わたしのプアな英文ですから,間違いだらけというだけでなく,あたりさわりなく書くなんて術は知らないため,どうしてもラディカルになり,誤解を招いて怒らせるようなことも多いはずだが,いつの場合もたいへん誠実に,知ったかぶりは決してせず,迷いは迷いとして書いて応えてくれる。アメリカで,ほかにこんな人に出会っていない。
クリスマスカードのことでもうひとつ。わたしにとって最初のアメリカ・ホームステイとなった1979年のアーカンソー州のことが忘れられない。ラボとの交流が切り開かれた年で,むこうの意気込みにはタジタジとするものがあり,さまざまな体験をさせてもらったが,いやいや,その親切な気づかいはわかるのだが,あの独特の南部なまりの英語がはじめの1週間はさっぱりわからない。わぁ,おれってこんなに英語ができなかったのか,と愕然とさせられたが,それでも,何を見ても何をしても身体いっぱいにおもしろがり,つぎつぎに失敗を繰り返し,わからないことがあればいちいち質問したものだから,多くの人がめずらしがり,親しく近づいてくれた。
で,その年末,12月に入るとすぐ,毎日毎日,数通ずつのクリスマスカードが郵便受に入っている。わたしもムキになって返事を書くわけですが,カードを買い足すのに毎日文房具やさん通い。はじめてのことで,びっくり。連日徹夜になり,ついに返信が100通を越してしまったものだ。安月給とりにはカード代と郵送料の負担はバカにならない。さすがにその翌年には3分の1に減ってしまいましたが,それでも今もって欠かさずアーカンソー便りを寄せてくれる人が4名。ついでに云うと,この年,アーカンソー州知事ビル・クリントン氏に2度会っているはずだが,あまり記憶にない。当時はのちに米大統領になるなんて思ってもみず,いなかの町の,元気だけが取得の,大柄だがまだ貫禄のない町長さんといった感じで握手を受けたような気がする。帰国してすぐの9月,このクリントン知事は台湾に行ったあと来日,関西の企業(SANYO電機)をアーカンソー州に誘致するため大阪に立ち寄っていることを,いっしょに旅をした子どもから伝え聞いた覚えがある。
そんなこともあったが,四半世紀の時を隔てると,さすがに関係は日々に疎くなり,とうとう今年のカードは10通を割り8通だけになってしまった。寂しいようだが,ま,こんなものじゃないでしょうかね。
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外出して帰る。ブルルル……。凍てつく夜空の,南,ほぼ視線の先にシリウスが冴えざえと見える。いや,カペラが,デネブが,カストルが,ほら,冬の大三角形がみごとに描き出されている。
ようやく年賀状を書き終える。毎年,リストに加える人,消す人がいて,ほぼ同じ枚数を書いてきた。今回は,ずいぶんセーブしたつもりでも150枚。賀状ぎれになった12人については,申し訳ないが,インターネットの無料カードサービスを使わせてもらった。
それにしても,職場を離れて7年,8年ともなると,新しい出会いが少なくなったことを痛感させられる。この社会から地縁というものが絶ち切られ,いまは「職(社)縁社会」で人と人とが構成されているというのが実感。職場を除くと,人と人との関係性はきわめて薄く,1千世帯といわれるこのマンモス団地にあって,日常的にことばを交わし合える人を数えあげると,わずか数人しかいないというのがふつうという実情。「となりは何をする人ぞ」,20年もここに住んでいてである。それでもわたしなどは,幸か不幸か,地域福祉活動にひきずりまわされていることもあって周囲に知る人は多いほうだが,そうは云っても同じ階段で出会ってどこの人か知らないときさえある。子どもをめぐる各地のイヤな犯罪も,地縁的な結びつき方が自然な形でできていたら,これほどに蔓延しないで食い止められようものを。老人福祉のさまざまな課題もかなりの部分,円満解決するのだが。
このホームページをきのう立ち上げ,きょうも少し中身を入れてみようと思ったのだが,いやはや,お手あげ,なかなかうまくいかない。とりわけ画像をどうページに取り込めばいいのか,いまのところわからない。みなさんに紹介したい写真をいっぱい(?)もっているんだけどなあ。ヘマをやらかしながらスキルアップするしかないのでしょうが,とにかくわからないことばかり。お願いです,ご存知の方はどうぞお教えください。
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本日12月26日,ラボでは納会でした。たまたまそこに来合わせて,わたしなんぞが仲間入りしていいものかどうか,よくわからないながら,この「ラボひろば」に登録してもらいました。現在,傘張り浪人の身,孤貧のなかで自由に身を遊ばせているだけで,それほどラボの関係者に役にたつ情報をもっているとは思いませんが,ひとつは,地域活動のなかで中学生から旧世代をつないでの読書会活動ふたつを主宰するなど,海外の文芸作品をめぐり広い世代の感性をふれあわせながら読み合っていて,そのへんからちょっとした作品理解のヒントを提供できるかも知れません。ヒマにまかせてかなりの量の作品を読んでおりますので,それらのなかから気に入ったことば,この時代に輝きをもって伝わることばを拾ってご紹介していきましょう。いささか時代遅れの生きものですが。
そんなこともありますが,生来のあそび好き,山歩きや町歩きで出会う自然の秘密や人のこころの美しい姿をお伝えできればいいな,と。年齢とともに衰微への傾斜を転げ落ちつつあるこの感性を刺激してくださるみなさんのみずみずしい反応を期待しております。まずはよろしく!
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