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✦「能面のような顔」って…? 10月15日 (金)
まさかそんなことはないと思いますが、
もしあなたが「能面のような顔」とひとから言われたらどうでしょうか。
あまりいい気持ちはしないのがふつうではありませんか。
ツンとして親しげがなく、表情に乏しく、
蔑むように冷徹な目でひとを見る人…、
そんなネガティヴな印象。あるいは、
触れたらケガをしそうな、冷たく、ひとを寄せつけないような美しさもった人。
そんな印象もあるでしょうか。
でも、それって、どうでしょうか。

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 小面(こおもて)

この10月13日、わたしは大蔵流狂言を観る機会を得ました。
「雁盗人」「伯母ケ酒」「塗師(ぬし)」の三番。
お能ならともかく、狂言で面(おもて)をつけるのは、そう多くない。
しかし今回、「伯母ケ酒」では“武悪”の、
「塗師」では“蛙(かわず)”のおもてをみることになりました。
ここに書くのは4月初旬以来、久々になり、
せっかくでもあり、ちょっと長くなりますが、
一例を紹介させてもらいましょうか。

伯母ケ酒」。おかしさにほんとうに腹がよじれるほどの一番。
わたしは初めてこれを観ました。
シテ(甥)は、ちょっとお調子ものの、飲んだくれの若者。
アド(伯母)は、山ひとつむこうで酒を造っています。
この年は格別に良質の酒ができたとの噂を聞きこんだ甥が
酒造司の伯母を訪ねる。もちろんただ酒にあずかろうとの心算。
ところがこの伯母というひと、とんでもないシワン坊。
徹底したケチで、これまで一滴も甥に酒を振る舞ったことはない。
稀れなほどよくできた酒なら、宣伝して町で多いに売ってやろう、
については、わしに利き酒をさせろ、と迫る。
いくら執拗に迫られても、伯母のほうはいっこうに聞く耳を持たず、
つっけんどんに追い返す。
追い返された甥は、もう一度もどってきて、
このあたり、このごろ夕刻になると鬼が出る、
鬼が出てひとを食うという噂だから用心するように、
といって立ち去る。で、夕刻。はたして早速に鬼が出、
荒々しく女を脅かす。
鬼、すなわち甥が変装したものですね。
武悪のおもてをつけて現われ、さんざん伯母を脅しつけた末、
酒蔵に入って飲みに飲む。したたかに飲んだあと、
さすがに酔って、面をわきにずらしたままコロリと寝込んでしまう。
その大いびきを聞いて、こわごわ伯母がやって来て見ると……。

(なお、付言しますと、古い時代にあっては、酒を醸(かも)すのは
ある特別な婦人の仕事でした。柳田國男の「物語と語り物」
また「孝子泉の伝説」などによると、「醸す」は「噛む」を
語源にしているとか。今にいう「杜氏(とじ)」は、婦人の尊称である
「刀自」から出ているともいいます。)

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上の画像は、上記の「伯母ケ酒」で使用された「武悪」の面。
悪質さや凶暴さ、はげしい怒りを表象しながら、
どこか一本抜けたところも見える表情。
これらはいずれも、わたしの住むところのすぐ近くに工房をもつ
76歳の面打ち師の作品。
どうでしょうか、こんなのにいきなり会ったら
恐ろしさにゾッとして卒倒するかもしれませんね。

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 大癋見(おおべしみ)

さて、「能面のような顔」というとき、まさかこの「武悪」や
「大癋見(おおべしみ)」のような、迫力満点、恐ろしげな顔を
イメージしているとは思われません。
悪い夢に出てきて、うなされそうな面相。
ましてや「嘘吹(うそふき)」のような、ひょうきんな顔でもないでしょう。
女性のケースでしたら、やはり「小面(こおもて)」や「十六」が 
イメージされているのではないでしょうか。

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 「十六」

ご覧ください、端麗です、美しいです。まばゆいばかりの美しさ。
清艶とか冷艶と形容したらよいでしょうか。
ですが、角度を変えて見なおしてみると、
不運を嘆いているような、苦しさに泣いているような
せつない表情になりますね。
「十六」は、もと、須磨の浦で16歳の命を散らした平敦盛の面と
されていますが、角度によっては、あどけなささえ見えますね。
いちばん上に示した「小面」の“小”は、
可愛いという意味。華やぎとともに、年若い乙女のういういしさ、
はかなさが漂い、清純無垢な笑みものぞいています。

面(おもて)は、例外を除いては、特定の表情を持ちません。
削りに削って、極限までシンプルにしてあります。
媚びも衒いも見栄も、卑下も猜疑心も迷妄も虚飾も、
およそ人間に本来不要な一切を削ぎ落とした顔。
人間存在の素形をここに見ることができます。
シンプルで特定の表情を持たないからこそ、そう、
演技により無限に多様な感情表現が可能になるんですね。
演技者がシテまたアドの個性と特性を表現するとき、
基本としては、顔の角度にブレがあってはならない、
ひとつの角度を決めたら、最初から最後までその角度を保ちつづける
ことが基本の「き」といいます。それ、考えたらきついですよね、
視野は狭くてよく見えないし、
へたをすれば能舞台から転げ落ちる可能性だってある。
また、面打ち師の仕事のじょうず・へたを分けるのは
微妙な角度の変化でどれほど多様な、それぞれちがった
感情表現を生み出せるか、その技量によるといいます。
腕の見せどころがそこで、そう簡単なことではありませんね。

上に掲げた「十六」のふたつの面を見比べてください。
上唇の紅が見えているかいないか、目の瞳が黒く丸くみえているかいないか、
それだけでこちらに訴えかけてくるものはまったく違ってくることがわかります。
傾きひとつで無限の表情を生みだす面(おもて)。
嘆くとき、ある決意をあらわすようなときには、うつむきます。
これを専門的には「曇る」といい、
喜びの感情をあらわすようなときには、逆にやや仰向けにします。
これを「照らす」といい、おもてを微妙に上下させるだけで
表情を変化させ、情をあらわす芸が、わが国固有の演劇の
能であり狂言であり、能面の無限表現のいわれなんでしょうね。

ですから、「能面のような顔」と、もしあなたが言われたら、
それはあなたの魅力を的確に捉えた最高の褒めことばと
信じていい、はい、自信をもつべしです。
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Re:&#10022;「能面のような顔」って…?(10月15日)
がのさん (2010年10月19日 19時51分)

よかおごじょ

「がのさんの庭…」お散歩させていただきました。
優しい風が吹いていました。
能面は本当に豊かな表情がありますね。
余計なものをすっかり削ぎ落としてそこにある。
十代の頃の私の理想としていた大人のありようでした。
翻って今。心も身体もすっかり肥満体質となり、反省しきりです。
Re:&#10022;「能面のような顔」って…?(10月15日)
がのさん (2010年10月22日 13時15分)

はらっぱさん

能面の神秘、能面の奥の深さと、美しさ、迫力……、
まさに神秘ですね。
昔は恐ろしい、おどろおどろしいものというイメージでしたが、
今回そのイメージが180度変わりました。
今後は「能面のような顔」と言われたら、喜ばしく思うようにします
(笑)
Re:Re:「能面のような顔」って…?(10月15日)
がのさん (2010年11月23日 11時41分)

よかおごじょさん

能面は本当に豊かな表情がありますね。
余計なものをすっかり削ぎ落としてそこにある。
十代の頃の私の理想としていた大人のありようでした。
翻って今。心も身体もすっかり肥満体質となり、反省しきりです。
     ----------------------------

よかおごじょさんの、生き生きとした目の輝き、
キリリとしたその動きを知る人で、
肥満体質などと思う人は一人もいないでしょう。
他者へのこころづかいの細やかさに、いつもハッと教えられます。
とりわけ、機敏なその動きに、羨ましい思い尽きません。
むしろ、わたしのことでしょうね、
肥満体質というか、朽ち葉というか、
能面の無限のゆたかさとは裏腹に
加齢とともに喪われゆくものに抗することもできず…。
笑うこと、感動すること、欲すること少なく、
表情が失われていくのを実感する日々。
ただ、喪われゆくものとは別に、自分という存在から無駄なものを
削ぎ取っていく、若き日の夢想も欲も削ぎ落した果てに自分に何が残る
か、
それが美しいもの、小さくとも確かなものであってくれることを願うの
みです。
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