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✦「砂場遊び」からつくられるもの 04月06日 (火)
ひとはどこでつくられるか。
生きる力をどこで身につけるのか。
数日前、ある小学校の校長とそんな話題で雑談をした。
わたしがそのときに言ったのは、“遊育”ということ。
少し以前、青少年の健全育成をめぐる講演会で講師が話したことの受け売りで、
仲間との遊びのなかで、ひとはもっとも多くを学ぶ、というような…。
どんな遊びをしたか、だれと遊んだか、どれほど遊んだか、
それによってひとはおおかたつくられる、といった内容。
それほどめずらしい話ではないが、なぜかストーンと共感し合えた。

弱い立場にあるひとにやさしい人、
怒りっぽく、何ごとにも突っかからずにはいられない人、
友だちのいっぱいいる人、いない人(孤独がすきな人)、
いつもぎらぎらした意欲をみなぎらせる人、
周囲への気配りのできる人、できない人、
欲はなく淡白な人、
よく考える人、すぐ行動する人…。

さまざまな教育の機会を経て、ひとはそれぞれの個性と人格を獲得していく。
ひとの品格とは何か、
ひとをつくる教育の原点はどこにあるか。
大学で身につけた広い教養か、
大学院で集中的に学んだ専門的知識や研究か、
職場での労働を介して会得した技術か。
……わたしは、それではないような気がする。

kikumomo
キクモモザクラ

この4月5日、きらきら輝く目をむける小さい新入生を前に、その校長は、
入学のお祝いのあいさつのなか、そのへんをうまく語ってくれた。
砂場遊び」の話である。彼としては、子どもたちに向け、親たちに向け、
何ごとにも基礎が肝要、わが校では基礎を大事にした教育につとめる、
と言いたかったのかも知れない。
しかし、わたしはちょっと違うようにその話を理解した。

可愛い2歳、3歳の幼児、おかあさんといっしょに児童公園に。
そこには同じくらいの小さい友だちが何人か来ていて、
砂場で無心に遊んでいる。
わたしたちがふだんよく目にする光景だ。
しばらくすると、子ども同士の遊具の奪い合いがはじまり、
乱暴をする子、火がついたように泣く子、もらい泣きをする子、
知らんぷりしている子、呆気にとられたようにポカーンとしている子…、
さまざまである。
そこにおかあさんが割って入って、どうにかその場をおさめる。
ケガをさせるようでは困るが、
その介入はあまり早くないほうがいいようだ。なぜなら、
子どもは、そこでこそ、いちばん大事なものを学びとるからだ。
譲り合うこと、我慢すること、ルールを守ること、
協調すること、競い合うこと、
新しいことにチャレンジする勇気、勝つ喜びと負ける悔しさ、
ときにはまた
自己主張をしなければならないこと、自分を抑え他に譲る思いやり、
ものごとはなかなか思いどおりにならないこと、
親に頼らず自分で解決しなければならない場合もあること…、などを知る。
そう、この砂場遊びの体験のなかで、ひとの原質はおおかた形成される、
ひとの営みの基本原則、「プリンシプル」なる自身の基準律は、
ここで品格として身に備わっていく。
そう言って大きく間違ってはいないように思う。
もっとも多くことばを獲得していくのも、このときである。
(「砂場遊び」と言ったが、もちろん、ほかのことばに置き換えてもいい。
たとえば、「ラボの物語体験」などと)

ここ数年、地域の小学校、中学校の入学式、卒業式に立ち合ってきた。
国旗や市旗の掲揚されたステージを正面にして、新入生(卒業生)、
つぎに在校生、そのうしろにぎっしりと並ぶ礼装の保護者たち。
このごろは、ビデオカメラを構えるおとうさんたちの多さに、びっくりする。
しかし、気の毒ながら、その距離からは子どもの表情までは見えないはず。
その点、すぐわきの来賓席からは、彼ら一人ひとりの
初々しい胸の鼓動まで伝わる。
ちょっぴり緊張し、不安半分ながら、
新しい人生のステージへの挑戦に思いを馳せるキリリッとした顔。
どの子もきらきらとした、澄んだ、深い目を見せてくれる。
地域の役員をしているため、お役目でこの式典に出席しているわけではない
(当初は、何やら居ごこち悪く、仕方なく、の一面もあったが)。
なんだか、入学してくる子たち、卒業して巣立っていく子たちの気骨と
希望あふれる表情を見るのが、とっても好きなのである。


Re:Re:&#10022;「砂場遊び」からつくられるもの(04月06日)
がのさん (2010年04月07日 21時18分)

ぼっくりさん

【その1】
>“春の信濃路”を描いた絵、ピタと目を奪われてしまいました。ひと
めであの風景の中に吸い込まれてしまう様な…。実際にはどのくらいの
大きさの絵なのでしょう。
     ----------------------------

日展系の白日会、はじめてこの展覧会を観ました。
地下鉄の駅でいうと、日比谷より三つ四つ手前の乃木坂で下車、国立新
美術館へ。
この日、日比谷公会堂ではラボの大集会があり、
ご招待を受けてはいましたが、それよりずっとずっと以前からのお約束
で、こちらへ。
同時開催のルノワール展には長蛇の列。これにも心惹かれましたが、
せっかくのご招待、ゆっくりとこちらの絵画部門、彫刻部門を見てまわ
りました。
人物画が多く、全体的な印象としては、すばらしい絵美人にたくさん会
った、
というもの。
風景画で印象深いものはあまりなく、そんななか、たまたまレンズにお
さめたのが、これ。
「日記」に添える画像にしようなどとは、思ってもみませんでした。
でも、いいでしょ、あたたかくて、山野の香りがいっぱいしていて。
日本の原風景に近いイメージを、やさしい感覚でとらえています。
棚田、そして夕陽、影なす山波…。わたしたちはなぜ
そういう風光に安らかな郷愁を覚えるのでしょうね。
もちろん、映画でみた奥信州の風景とそれとは、だいぶ違います。
ぼっくりさんが春のキャンプで見た奥信州の風景ともぜんぜん違うでし
ょうが、
母のふところに帰ったような、なつかしく、甘い感傷を覚えませんか。
そうですね、サイズは左右が250センチくらいだったでしょうか。
その風景のなかにすっぽり浸りきる、というには、
なんせ展覧会場は無機的で無粋ですので、残念ながら、なかなか…。

【つづく】
Re:Re:&#10022;「砂場遊び」からつくられるもの(04月06日)
がのさん (2010年04月07日 21時29分)

ぼっくりさん

【その2】

>「砂場遊び」のお話、今の私は素通りできない気持ちで
子ども達が育って行く姿、私がこの春体験している色々と実に重なって
いたからでしょうか…
     ----------------------------

前記の伝で言うと、「砂場遊び」、
これが一つの子どもの原風景でしょうか。
きっとぼっくりさんにも覚えがあるでしょう、
そこで展開する、いつわりのない子どもたち、とりどりのこころ模様。
もっとも、わたしのようなのが、傍からそれをじっと見ていたら、
あやしい、と気味わるがられるでしょうが、
いつまで見ていても飽きないほど、どの子の仕種にも
ほほえましく楽しいものがあるに違いありませんね。
「一瞬の貴重なきらめき」を見せてくれる、生身の子どもたち。
テューターとは、瞬間瞬間のそのきらめきを的確に受けとめられる人た
ち、
…であってほしいと思っています。その点、ぼっくりさんは、保証つき
ですけれど。
「遊育」については、ぼっくりさんには、以前ここで書いたものを読ん
でもらっていましたね。
何か悪いことをしてやろうと、ありったけの知恵をしぼったこと、
イタズラしてやろう、ウソをついてやろうと、夜も寝ずに考えた、
あの少年時代の遠い日々。
あの日々からどれほど成熟できたのか、
その実感に乏しいわが身の哀しさ、あ〜あ!

【つづく】
Re:Re:「砂場遊び」からつくられるもの(04月06日)
がのさん (2010年04月08日 10時18分)

ぼっくりさん

【その3】

>わが娘の中学入学式と、がのさんの文章が重なりました。生きていく
には困難だってあるに違いないですが、後ろから全力で子ども達を守ろ
うとする人達がたくさんいるのですよね。

     ----------------------------

そうでしたか、NNちゃんは中学生! もう、中学生! 
おめでとうございます。心から。
NNちゃんの制服すがた、見てみたいなあ〜。ほんと、見てみたい。
デジカメで撮ったのがありましたら、ぜひ画像を送ってほしいなあ〜。
そうすると、RTくんはこんど何年生になりましたか?

この地域の、こんど中学生になる大勢の子たちに向けて
先日、ある話をしました。
ご存知、鎌倉の鶴岡八幡宮の大イチョウが強風で倒れました。
えっ、あの大木が!? と、びっくりしましたね。
でも、そのあと、たくさんの若芽が吹き出たと伝えられ、
ホッとしました。
ひとだって、同じ。いつまでもそのままということはない。
何かのとき、ポッキリ折れるときだってある。しかし、それは、
もっと強い枝葉をつけるために、見えない力がそう働いたんですね。
折れてしまったとき、その枝を、支え、励ましてくれる手なら、
地域にいっぱいあります。子どもたちの輝きを愛するたくさんの手が。
花はかならず枯れる。何のために。
そう、つぎの季節にもっともっとあざやかな花を咲かせるために。
Re:Re:Re:「砂場遊び」からつくられるもの(04月06日)
ぼっくりさん (2010年04月08日 23時35分)

がのさんへ

がのさんのお返事、読むのが楽しみになる丁寧さ・・・ありがとうござ
います。

>おめでとうございます。心から。
>NNちゃんの制服すがた、見てみたいなあ〜。ほんと、見てみたい。
>デジカメで撮ったのがありましたら、ぜひ画像を送ってほしいな
>あ〜。
-----------------------------------
⇒中学生になりました!お祝いの言葉、ありがとうございます。
5日はとても寒い日で、体育館での入学式はシバレました~。
ビデオもカメラも持参せず(バタバタと追われていたので頭が回ってお
らず忘れたというのが真相ですが)、おかげで一部始終をシッカリとこ
の目と耳で吸収する結果になりました。
制服のデジカメ写真、メールアドレスへ送ります!


>しかし、それは、もっと強い枝葉をつけるために、見えない力がそう
>働いたんですね。
>折れてしまったとき、その枝を、支え、励ましてくれる手なら、
>地域にいっぱいあります。子どもたちの輝きを愛するたくさんの手
>が。
----------------------------------
⇒鶴岡八幡宮の大イチョウ、びっくりしました。
去年だったか一昨年だったか、たまたま出かけて木の横でしばらく
立ち止まって眺めたことがあったのですが、まさか倒れてしまうと
は・・と。
がのさんのこのお話を聞けた中学生達は、心のどこかにがのさんの
言葉が残って、何かあった時には思い出してくれると良いですね。
がのさんの地域での活動を少しずつでも紹介して下さること、世の
中への関心度が高くなるきっかけになります。
Re:Re:Re:Re:「砂場遊び」からつくられるもの(04月06日)
がのさん (2010年04月09日 16時23分)

ぼっくりさん

>中学生になりました! お祝いの言葉、ありがとうございます。5日
はとても寒い日で、体育館での入学式はシバレました~。制服のデジカ
メ写真、メールアドレスへ送ります!
     -----------------------------------

 そうでしたね、咲いたサクラも可哀そうなくらい、この季節とは思え
ない寒さ。
ましてや体育館の寒さは格別です。
(じつは、わたしのそばにはストーブがあって、ポッカポカ。
ほかの来賓の方々は、歯が合わないほど震えていましたけれど)
NNちゃん、の制服すがた、ういういしいなかにもビシッと決まって
すてきですね〜。そうかぁ、ホントに中学生なんだ〜。
いつの間に! とびっくりさせられる時の流れの疾さ。
こちらの白髪もふえるはずです。
頭に手をやれば、やややっ、ずいぶん髪が薄くなってきたような…。
きょうもお弁当をもって元気に門をくぐって行ったことでしょう。
中学校では、部活はどんなことをやるんでしょうねぇ。
音楽かな、スポーツかな…。
将来の目標は、山崎直子さんにつづく女性宇宙飛行士だったりして。
アメリカへの交流の旅は来年の予定とか。
楽しみが尽きませんね。
鎌倉の大イチョウの話は、ちょっと出来過ぎかも知れませんが、
折れるたびに堅い節をつくり、新しくよみがえってより強くなる、
そんな子であってほしいもの、
そんな子を支えるしっかりした存在でありたいものですね、
近すぎることなく、遠すぎることもなく。
Re:&#10022;「砂場遊び」からつくられるもの(04月06日)
dorothyさん (2010年06月07日 04時44分)

最近、すっかりご無沙汰しております。
お孫さん、かわいいですね。

砂遊びでも、最近は「消毒」「消毒」の
連呼のようです。
「うちの子は、すぐに物を口に入れるから」
「猫のフンなどが混じっていたらきたない」
などなど・・・

子どもがいない時間帯は、ブルーシートで
厳重に管理する幼稚園も多くなり、また、
公園での砂遊びはあまりさせない親が増えた、
とか。

子どもがものを口に入れるなら、親が近くに
いて、細かく様子を見ていればいい。離れた
ところで親同士がしゃべっているから、どろ
団子をかじってしまうだけ。
猫のフンについても、同様。

あまりに清潔を声高にさけぶのも、けんかを
させないように親が口出しするのも、タイミングが
大切だとしみじみ思う今日この頃・・・
Re:Re;「砂場遊び」からつくられるもの(04月06日)
がのさん (2010年06月07日 21時34分)

dorothyさん

孫の瑞希のことを書きはじめると、キリがありませんので、
たいがいにいたしますが、
この土曜・日曜には法事のため、車で片道2時間、
川越のほうへ行っていました。機嫌よく車のベビーシートに乗っていた
ようですし、
読経のあいだはよく寝ていてくれて助かった、との
息子の嫁の話。つい先ごろから離乳食をはじめた模様。
まだよく食べてくれないそうですが。

砂場あそびの最新事情を教えていただきました。
なるほど。よく知りませんでしたが、このごろの育児はそういうことに
なっているのですか。
この団地にあった児童公園の砂場が、いつの間にか取り壊されていまし
た。
もしかすると、そういうことだったのでしょうかね。
砂場だけでなく、ブランコも取り外されていて、
これはどういうことなのか、と不審に思っていました。
ブランコから落ちた子がいた、子どもの遊ぶ声がうるさい、など
耐性のないちょっとしたトラブルがあると、苦情に添ってすぐ
市や区が乗り出して手を突っ込み、ことなかれ主義の責任のがれで、
Nothing にしてしまう。学校もこの流儀ですよね。
住民や親の苦情や抗議には、有無もなく、
前後もなく、すぐ対応する。それが誠実さ、親切さだと思っている。
選挙に際しての候補者のような調子よさで。
おとなの都合や過度のお節介で、子どもの居場所が次々に奪われてい
く。
免疫力のない、衛生的でひ弱な子をつくり出したい、というなら別です
が。
こんなことでいいはずがない。さて、どうするか…。
わたしのとこで1年半ほど前に立ち上げたボランティア組織が
あっという間に60人を超す大きな組織に育ってきました。
ここと行政との協働事業として、子どもたちの遊びの空間を守ってい
く、
そんな課題が生まれてきそうですね。

いうまでもないことですが、「砂場遊び」とはことばのレトリックであ
って、
幼児のころに経験させたい、幼児自身に体験させたいことですよね。
親やまわりの者が先まわりしてそれを奪ってしまっては、何にもならな
い、
ということ。
Re:Re:「砂場遊び」からつくられるもの(04月06日)
がのさん (2010年06月11日 15時11分)

dorothyさん

うすっぺらなファッションには流されない、という頑固さがあって、
相当な時代おくれ、相当な世間知らずであることを、
わたしなりに承知しているつもり。
「砂場あそび」が、そんなになっているのかと、その最新情報を
dorothy さんに教えられ、びっくりしたばかり。
それが、まあ、何という奇偶か、きのう・きょうの新聞で
時の話題になっていると知り、いよいよ仰天させられた。
きょうの朝日新聞は「天声人語」でそれを採りあげている。
子どもの遊びのインドア化が進んでいることはおよそ知ってはいた。
それにしても、砂場を室内につくり、
イヌ・ネコの侵入をシャットアウトしているところが、
どうやらこのごろの流行りらしい。
はるばるオーストラリアから白砂を持ってきて、
それを加熱処理、徹底的に抗菌加工して室内につくられる砂場。
ひえ〜っ、そこまでしないと子どもを砂場で遊ばせられないのか!
そりゃあ、砂にうんちが黒々とあったら、
だれだって「ゲッ!」だろう。気分いいものではない。
愛犬(猫)家のマナー違反に腹も立とう。
だからといって、子どもを無菌空間だけで育てることなんて、どだい無
理。
そんな免疫力のない子にあまり将来は期待できないというもの。

テューターのみなさんなら、
五味太郎さんの傑作絵本「みんなうんち」をご存知ですよね。
生きとせ生けるもの、生類あまねく食べることと排泄することが
どれほど大事か、楽しく教えてくれる子どものための科学絵本。
砂場にころがっていたうんちを、不潔だからと、
遠ざけるだけでいいのか。
幼い子どもに、うんちにさわってみろ、臭いをかいでみろ、
とまでは言えないにしても、
そのような話をしてやれる親でありたいものじゃないですか。
食べることと排泄することは、ひとつながりの大事なことだ、と。

このところ、ああ、憐れなるかな、
わたしはすっかり主夫をさせられているが、
朝のゴミ出しのたび、生きているということは
ゴミや不要なものを出すこと、それなしには生きていけない、と
つらつら思うこのごろである。
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