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★所有ではなく、心澄みわたる生活を求めて(続・空白のつくりだす美しさ) 01月25日 (水)
アン・モロウ・リンドバーグ「日本紀行(北方への旅)」

――量ではなく質、速度ではなく静寂、騒がしさでなく沈黙、饒舌な言葉ではなく誠実な思考、多くの所有ではなく大きな美しさを求める生活を…。
 古い時代の日本の宗教家かひねくれたアウトサイダーが言いそうなことば。津波のような勢いで膨張するアメリカ資本主義社会の時代の潮流、所有に狂奔する人びとの群れを眼の前にして、空白のつくりだす美しさに心惹かれ、静かな一人の時、自分の中の澄みわたる心の泉にじっと目を注ぐ一女性の思想の原点がどこにあるか、聞けるものなら直接聞いてみたい衝動を覚えます。
 その原点がはっきりしました。わかりました、……わたし的には、ということですが。10代の後半のころ、一度は読んだことのある「北方への旅」。いや、読んだような記憶がわずかにあるという程度。著者のアン・モロウ・リンドバーグという人の名も覚えていません。どんな本だったか…? それが偶然、きょう、見つかりました。全文ではありませんが、「日本紀行」というタイトルで、ツンドク状態にあった本の一冊に載っていました。深沢正策という人の訳。ほら、ご存知でしょう、美智子妃殿下がIBBYで「子供時代の読書の思い出」と題して講演なさいましたが、そのとき、克明に覚えておられて紹介なさった一冊、日本少国民文庫「世界名作選」(山本有三・編)。その講演を機に新潮社から平成10年12月に復刊されましたが、その(二)に入っていました。
 いやいや、なんだかうれしく、さっそくむさぼり読みました。すぐに、アッ、ここだ! と感じました。文章もとっても、とってもきれいなんですよ。東洋への探検飛行で日本に着く前、千島列島を眼下にしているときの描写です。

winterair03
日没近い冬晴れの空を引き裂くヒコーキ雲(横浜にて)

――優美な島のいただきが、子供の食後のお菓子のように、霧のなかから頭を出し、その霧のなかに浮かんでいるのをわたしは見下ろしました。時々、雲のきれめから岩ばかりの海岸や「ホタルブクロ」の花に似た藍色の海が輝いては消えるのがのぞかれます。それは和やかにぼかされた、光のゆらめく、恐ろしいというよりも、むしろ美しさに打たれる、この世ならぬ夢の世界です。(深沢正策=訳)

 不安につつまれ、シベリア海岸に沿って南下しているとき、日本の根室から第一信が入ります。あたたかい歓迎のことばです。そのことばに「永遠の紳士よ!」と感激します。そして、濃霧に悩まされながら千島列島のケトイ島に決死の不時着水。二度とふたたび飛行はすまい、と思うほどの命がけの旋回降下でした。水に浮くようにつくられているシリウス号はごく小さく、北の海の逆巻く激浪に木の葉のようにもてあそばれます。それでも、根室から発進された船の水夫たちによって助けられ、エトロフ、クナシリと曳航され、根室に到着します。この水夫たち、それに農夫たちとの会話がおもしろいですねぇ。通じ合わないことばをどうにかして通じ合わせようとする双方の必死の努力。こうした接触をつうじて、アンは、飾り気なく慎み深い、慇懃な好意を見せる日本人を見、いたく感激します。何という礼儀正しさ!
 そのあたたかい好意につつまれて、作者は小さいときの記憶を解きほぐしていきます。ひとつは、父からもらった日本のおみやげ。それは、手ざわりやさしい和紙につつまれた箱で、紅白のこより(水引)がかかり、その結び目の下には赤い扇に似た紙の装飾物(のし、ですね)がついています。水引を解き、包み紙をていねいにあける。現われたのは、栗の皮みたいになめらかな、やわらかい木の箱。そっとそれをあけると、それまでに見たこともない、世にも見事な日本人形! 少女アンは、日本人はみんな芸術家にちがいないと思ったという。

 別のときのことです。少女期に父にともなわれて日本に来たことがあるのでしょうか。どこかの美術館に入ったときの印象を思い出して書いています。その美術館で、一枝の桜を描いた墨絵の掛軸を見ます。さらさらとした清楚な桜と、画面の左隅に雨に濡れしょびれた小鳥、それに二、三の草花があるだけの絵。なんにもない絵。しかしそこに、空虚どころか、緊張し充実し横溢している空間を少女は見ます。この絵でもっとも大事なのは何も描いてない部分なのだ、と気づく。言語などをもってはとても歯の立たない偉大な沈黙が世界を領していることを、この少女はぴたりと感じとっているんですね。

 さらに別のときのこと。茶の湯の静思のひとときを体験しています。
 数本の竹、小さな松、古びたひとつの石燈籠があるだけで、咲いた花もない庭を通って茶室に向かう。そこにある一木一草は磨かれたような清浄さをもち、見事な配置を見せる。そこを敷石づたいに歩いていくと、一木一草なのに森林の奥にいるよう。敷石は“むいたばかりの梨のうるおいかげん”に濡れている。そしてつぎに、草葺き屋根の、簡素をきわめた小さな茶室に着く。異常に狭く低い入口。それはどんな階級に属する人もそこで「謙虚さ」を学び、慎ましさを体現するためのつくり。柱は木、壁は紙。人をとじこめる石やレンガは使われない。簡素な床の間に飾られているのは一点の書画の掛け物と一本の花。窓の外にある樹の影が障子に映ってさらりと動く。虫の声をこれほど美しく聞いたことはない。無駄を去った質素な美しさの極致にあって、純度高くすごす沈黙と静思の時間。

 リンドバーグ夫人の「空白のつくりだす美しさ」、シンプルライフ指向の原点は、日本人の古来の生活文化にあったんですね。それにしても、ウッヘー、じゃありませんか。ここまで日本を精細につかみ、理解しているとは! そんなに長く日本にいたわけではなさそうですし、生来の遺伝子によるのかな~。さてさて、海外交流にあたって、あなたは、あるいは、あなたが送り出そうとしているラボっ子たちは、どれほど日本のことを語れますか。どれほど日本を表現できますか。いや、それ以前に、どれほど日本のことを理解していますか。わたしは、もう、お手あげですが。
      転記スミ⇒物語寸景〔2-3〕
Re:★所有ではなく、心澄みわたる生活を求めて(続・空白のつくりだす美しさ)(01月25日)
林ライスさん (2006年01月28日 00時57分)

私が掲載した「ダライラマの言葉」(私もラボママから頂いたもの)を
きっかけに、がのさんのページにきました。
そして、アン・モロウ・リンドバークの話を読むことができました。

量ではなく質、速度ではなく静寂、騒がしさでなく沈黙、饒舌な言葉で
はなく誠実な思考、多くの所有ではなく大きな美しさを求める生活
を…。


明日父母の新年会です。
「このリンドバークの記事と」「ウエブスターのあしながおじさんの想
像力」の記事を父母会につかっていいですか?
Re:Re:★所有ではなく、心澄みわたる生活を求めて(続・空白のつくりだす美しさ)(01月25日)
がのさん (2006年01月28日 09時19分)

林ライスさん

>私が掲載した「ダライラマの言葉」(私もラボママから頂いたもの)
をきっかけに、アン・モロウ・リンドバークの話を読むことができまし
た。明日父母の新年会です。「このリンドバークの記事と」「ウエブス
ターのあしながおじさんの想像力」の記事を父母会につかっていいです
か?
----------------------------
父母会ですか。恥ずかしいですが、どこかお役に立つようでしたら、ど
うぞご遠慮なくお使いください。
そうですよね、このところ書いてきたリンドバーグ夫人の生きざま、そ
の考え方、その発信源をたどれば「ダライラマの言葉」。それは会員の
お母さまから寄せられたものということでしたから、これはわたしのほ
うからお母さまたちにお礼のことばを添えてお返しするのが礼儀かも知
れません。
どうぞ皆さまによろしくお伝えください。それに、もし差し支えなかっ
たら、そのお母さまたちがダライラマのことばとともにこういうことば
をどう受け止めてくださるのか、そのへんのご様子をお知らせいただけ
たらうれしいですが――なにしろ、八面六臂にこの現代社会を泳いでい
る皆さま、リンドバーグ夫人のいう世界とはずいぶん遠い距離があるよ
うに思えますのでねぇ。
奥座敷の「足ながおじさん…」のほうまでお読みくださり、ありがとう
ございます。
Re:★所有ではなく、心澄みわたる生活を求めて(続・空白のつくりだす美しさ)(01月25日)
林ライスさん (2006年01月29日 00時52分)

昨日は中途半端なコメントですみませんでした。

「量ではなく質、速度ではなく静寂、騒がしさでなく沈黙、饒舌な言葉
ではなく誠実な思考、多くの所有ではなく大きな美しさを求める生活
を…。」
の後に、
「私も歳のせいか、こういう言葉に共感を感じるようになりました。」
と書いたつもりが、睡魔に襲われて、消えていました。すみません。

年齢に関係なくいつまでのアクティブにチャレンジ精神を忘れずにいた
いと思っていましたが、最近の私は、「欲を捨て全てを受け入れる。運
命には逆らえない。バランスが大切。健康管理が大切。」という老成し
た精神になってしまっています。

だからでしょう。自分がこどもだった頃の価値感が無性に懐かしく、こ
のリンドバークのお話は引き込まれて読んでしまいました。

父母会では新年会ということもあって、子育てについてお母様方から
次々と話が出て、ほとんど時間を割いてしまいました。幼児のお母様か
らは、さすが若い世代だというお話が多く、せっかくのリンドバークの
お話はほとんどできなくて残念でした。これは若いお母さん達には伝わ
りにくい感覚かもしれません。国際交流前のお母さんには通じるかもし
れません。また、次の機会の使わせてください。「想像力」については
子育てに直結しているので、がのさんのサイトのことばを配って頑張っ
てしっかり話しましたが。
Re:Re:★所有ではなく、心澄みわたる生活を求めて(続・空白のつくりだす美しさ)(01月25日)
がのさん (2006年01月29日 10時49分)

林ライスさん 【その1】

>量ではなく質、速度ではなく静寂、騒がしさでなく沈黙、饒舌な言葉で
はなく誠実な思考、多くの所有ではなく大きな美しさを求める生活
を…。私も歳のせいか、こういう言葉に共感を覚えるようになりまし
た。
★…それは年齢のせい、老成のせい、ということではないようですよ(そ
れもないじゃないようですが)。なんだか、人生に疲れたひとがいうこと
ば、のように思いそうですけれど、トシをとってもますますギラギラな
欲を奮うひとも少なくありませんし、これは、その人、その人の感性に
よるように思いますね。あるいは、素養かも知れませんし、育った環境
によるかも知れません。事実、わたしのやっている読書会でこうした考
え方にもっとも的確に反応したのは、高齢のひとではなく、30代半ば
の、二人の子どもをもつ女性でした。
 リンドバーグ夫人のこの思想の原点が日本人の生活様式にあることを
云いました。たぶんこの視点には間違いがないと思います。ところで、
この人の日本体験はそんなに長かったわけでも濃密だったわけでもない
ですよね。時代のヒーローを囲んで沸騰するような騒がしさ、落ち着き
のない歓迎のるつぼのただ中にあってゆっくり各地を見てまわったわけ
ではないと思いますが、そんななかで日本文化のしめやかさ、静かさ、
美しさ、ムダのない簡素さにある豊かさを、ピピピッと感じ取れるの
は、やはり非凡なんでしょう。さもわかったふうにおべんちゃらで日本
びいきをいう外国のひとはいっぱいいますが、この受容の確かさはラフ
カディオ・ハーンに比肩できると言えないでしょうか。ただの社交辞令
のことばではないですね、「日本紀行」で書いていることは。
【つづく】
Re:Re:★所有ではなく、心澄みわたる生活を求めて(続・空白のつくりだす美しさ)(01月25日)
がのさん (2006年01月29日 11時08分)

林ライスさん 【その2】

 ハヤシライス(!)…大学の学生食堂でよく食べた貧しいメニュー、し
かしなんとも親しく懐かしい食事へ思いが飛ぶ一方、失礼ながら、わた
しは林ライスさんについては、その年齢も出自もバックボーンも日常的
な活動の様子についても存知あげませんが、もっともセンシィティヴだ
った少女期の価値観、感じ方に還ったとき、そこでぴったりとこの思想
が肌に添うようになじむのを感じる、…そのへんはなんとなくよくわか
るように思いますね。余計な打算は知らず、その心はまっすぐで、水晶
のように無垢で純粋でしたもの。読書のほんとうの喜びは、知識の蓄積
や開発ではなく、自身の幸せだった黄金期に還るときのすがすがしさ、
懐かしさ、充実感にあるのかも知れません。
 ひとはトシを重ねるとともに子ども帰りをするといわれますね。わた
しなんぞはその部類かも知れません。45センチくらい(!)子どものほう
へ帰ったおかげで、彼女のこういうことばが胸板に心地よくひびいてく
れるのでしょう。いまは本がとてもおもしろいです。これは、喜んでい
る場合ではなく、悲しい深刻なことなんでしょうかね。
Re:★所有ではなく、心澄みわたる生活を求めて(続・空白のつくりだす美しさ)(01月25日)
まじょまじょさん (2006年02月24日 12時26分)

がのさん
がのさんのページに来るとなんだか心おだやかになります。きっと毎日
走っているからでしょうね。ですから、もう
「量ではなく質、速度ではなく静寂、騒がしさでなく沈黙、饒舌な言葉
ではなく誠実な思考、多くの所有ではなく大きな美しさを求める生活
を…。」
・・・をのっけから読み込んでしまうと、否応なしに対極にある自分が
浮き彫りになってしまい、急速にトーンダウン!
バタンと倒れる前に、なんとか「心澄みわたる生活」を心がけたい
、との思いにかられます。(なんとか・・なんて言ってるうちはまだま
だだめですねェ~)
 三菜子さんのHPに先ほど行ってお礼を書き込みしてきました。
昨年末に読ませていただきながら、その圧倒的な文章力と論理的な説得
力にどうお返事したらよいのか、受けた感動を私の未熟な言語力で、ど
うやって表現できるだろうか、と考え込んでしまいました。
素晴らしいですよね。ラボの教育の確かさ、本物の力。これ以上の説得
力があるでしょうか。もとよりご本人の相当のご努力、そしてそのよう
な教育環境を作り出してこられたお母様である奥村テユーターのお力。ラ
ボを続けるとこんなにも豊かで魅力あふれる女性に成長するのだという
証。夢の実現に向かって果敢にチャレンジされていく姿も同じ女性とし
て誇りに思います。
がのさん、素晴らしい論文をご紹介下さいまして、ありがとうございま
した。私も自分で見つけた課題に真摯に取り組んでいこうと思っていま
す。
あ~そうするとまた、心澄みわたる生活が遠くに・・・
自転車操業の日々はまだまだ続きそう!
Re:Re:★所有ではなく、心澄みわたる生活を求めて(続・空白のつくりだす美しさ)(01月25日)
がのさん (2006年02月27日 13時59分)

まじょまじょさん 【その1】

>がのさんのページに来るとなんだか心おだやかになります。きっと毎日
走っているからでしょうね。
☆…そうですか。ありがとうございます。櫛風沐雨のすさまじさで八面
六臂の活躍をなさっておいでのまじょまじょさん。しかし、いつも、す
ごいな! と思うのは、「忙しい」ということばを決して口にしないこ
と。そして、地理環境に恵まれていることもあるのでしょうか、気分転
換も驚くほどじょうずです。あれっ、いない! と思うと、スキーに行
っているとか温泉に行っているとか…。
 わたしは「忙しい」ということばがどうも好きではありません。
「忙」の“りっしんべん”は「こころ」とか「感情」を表わすとこばで
すよね。感情の「情」がまずそうですし、美しい何か感動的なものを見
て痛「快」になったり、うっとり「恍」「惚」となったり、また「憎」
んで「憤」ったあとにはわが身の愚かしさを知って「怯」え、「悔」い
を「悟」ったり、つまらないことを自「慢」して「悦」に入ったり、ふ
るさとを想って「懐」かしむときも…。
 つまり、忙しいとは「こころを亡くす」こと、まさにズバリそれです
よね。忙しくて気がまわらず、ひとに配慮を欠いた不行き届きから不愉
快な思いをさせることもあります。とりわけ、子どもの教育に携わるよ
うな人には、一人ひとりの子どもへ傾けるこころを亡くしたら、それは
もう、致命的で、やめてもらったほうがいいでしょう。
 じつは、ここしばらくこの「ひろば@」から遠く雲がくれしておりまし
た。この25日、結婚披露宴でして。えっ、違いますよ、わたしじゃな
く、息子の、です。じたばた、どたばたと東奔西走、不慣れなことと不
注意で気づかなかったことから、多用ななか足を運んでくれた多数の人
たちに不行き届きな失礼がたくさんあったに違いありません。落ち着い
て、冷静に、とはああした場ではなかなかいきませんでした。やはり、
気を働かせねばならない人の数が多すぎるんでしょうね、わたしの才覚
程度では。それでも、はい、おかげさまで、レインボーブリッジの百万
ドルの夜景をバックいっぱいにしながら、わたしやわたしの家族には過
ぎたほどの、音楽と色と映像に満ちた、華やぎとさわやかさにあふれた
すばらしい宴でした。…すみません、余計なことでしたね。
【つづく】
Re:Re:★所有ではなく、心澄みわたる生活を求めて(続・空白のつくりだす美しさ)(01月25日)
がのさん (2006年02月27日 14時04分)

まじょまじょさん 【その2】

 >三菜子さんのHPに先ほど行ってお礼を書き込みしてきました。昨年末
に読ませていただきながら、その圧倒的な文章力と論理的な説得力にど
うお返事したらよいのか、受けた感動を私の未熟な言語力で、どうやっ
て表現できるだろうか、と考え込んでしまいました。素晴らしいですよ
ね。
☆…重ねてご丁寧な感想をお寄せくださり、ありがとうございました。
ご当人、親知らずを抜いたあとの痛みに呻き、もだえながらも、たいへ
ん、たいへん喜んでおります。ドイツへ帰る彼女のすばらしいみやげに
なりました。寄せていただきましたたくさんの感想から、自身も子ども
の教育者の一人でもあるわけで、いろいろ考え直す機会となり、ありが
たかったと申し、喜んでおります。
 彼女の小論を読んで、最初はごく数名のテューターにかぎってご紹介
いたしました。もちろん、ご本人の了解のもとに。それが大きな反響を
得るにいたり、予想もしない広がりになりました。ご当人いわく、「ま
な板のうえの三菜子です、さあ、煮るなり焼くなり、お好きなよう
に…」と“大”の字になり、わたしとしては「ほらほら、女なら身だし
なみが大事。あまりみっともない恰好をするな」と云っているところ。
これは、ただにみなさんに情報を提供したつもりはなく、皆さんご自身
が抱えている問題の意識化と客観化の必要性を思ってのこと。ラボの教
育活動に携わっているもののアイデンティティの獲得とでもいいましょ
うか。ラボはたのしいけれど、たのしいだけでいいのかな、と、ひとつ
咽喉元にひっかかるものを感じたり、事実に合わないのに自分よがりに
無理やりつなぎ合わせたような牽強付会と、こころ浅い「身内完結型」
の陥穽にはまっていたりたりしているような…。錯綜する現代社会に生
きている子どもたちを、身内だけで真摯に見ているにとどまっては、ど
こにも行けません。井のなかの蛙です。そこから脱却する発想と視点が
ほしいわけで、そんなわたしの思いをはるかに越えて、皆さんご自身が
何よりもそれを感じでおられ、それを強く求めていたのだな、と知る機
会となりました。
【つづく】
Re:Re:★所有ではなく、心澄みわたる生活を求めて(続・空白のつくりだす美しさ)(01月25日)
がのさん (2006年02月27日 14時11分)

まじょまじょさん 【その3】

 びっくりするような変わったことをここで書いているわけではありま
せん。とっぴな提案や注文をしているわけでもなく、ラボの本源的な部
分を自身の経験に即してきちんと書いてくれているように思います。な
かなかこれが、書けそうで書けないんですよね。よくわかります。自身
の抱えている研究テーマとのおつきあいのなかで見えてきたことが多い
のだと思います。“まな板のうえ”に横にされているつもりのようです
ので、どうぞおじょうずにこの一文を皆さんの教育の現場で生かしてく
ださいと、願っております。

>あ~、そうするとまた、心澄みわたる生活が遠くに…。自転車操業の
日々はまだまだ続きそう!
☆…だいじょうぶですよ、もともと妖精のように自在で、澄んで透きと
おっているひと。たいへんさもたいへんに見せないさわやかさで、これ
からも地域のさまざまな活動に積極的にもかかわり、もうひとつ大事な
ものをラボの活動にもたらしてくださいますことを! ほんとうは、ちょ
っとハードかな、もう少しゆっくりしてくれるといいのに、と心配して
おりますが。
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