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〔がの〕さんの閑粒子日記
〔がの〕さんの閑粒子日記 [全205件] 161件~170件 表示 << 前の10件 | 次の10件 >>
★古歌にうたわれた妙ちきりんな花 26 09月09日 (木)
さてさて、こんな花をご覧になったこと、ありますか?
萬葉植物をさぐっているうちにたまたま出会った花。
いったい、これ、花? 
…ちょっと妙ちきりんな花だとは思いませんか。

   道の辺の尾花がしたの思ひ草
     今さらになど物か思はむ (萬葉集巻十、2270)

manyo-omoigusa.jpg

1250年以上も前のわたしたちの祖先に「思ひ草」と呼ばれ、
いまでは一般的に「ナンバンギセル」と呼ばれています。
学名: Aeginetia Indica
これを探そうと思ったら、たいへんですよ。
川ばたのススキの原を血だらけになって掻き分け掻き分け、
マムシの出現にも驚くことなく、野鳥たちの卵を踏みつけぬよう、
よほどていねいにその根元のあたりをさぐらなければなりません。
わたしですか? 
これはですね、わが家に近い大学の、その構内の一角につくられた
「萬葉の小径」の、ひとむらのススキのかげに
ひっそりとひそんでいたものを見つけました。
うす紫色の可憐な花。たおやかな女性が、何があったのか、がっくりと
首うなだれているといった風情。
萬葉びとはそんなふうにこの花を見たにちがいありません。ロマンですねえ。
また、もっとのちになって、西欧からの即物的な思考になれた人びとは、
これを「ナンバンギセル」と呼びました。
南蛮わたりのキセル(マドロスパイプか?)に似ていると見たのでしょうか。
(ある感度するどいテューター。みにくいあひるの子が母親から
「この子は生まれてこなければよかったのに」といわれたときのがっくりした表情を想った、と。
物語を大事にするひとの発想はあざやかですね。スゴイ!)
一方、中国では野菰(やこ)といったとか。野のコモ。
このネーミング、なかなかイメージゆたかではありませんか。
えっ、高さですか? そうね、10センチに満たないかも。小さいです。
ハマウツボ科の花で、1年草。夏から初秋のころにこんなふうに咲きます。
けっしてハデではありません。ひとの目をさけるように、
陽光の射さぬところに遠慮がちに、恥じらうように咲いています。
ところで、写真で見ていただくように、この花には葉というものがありません。
光合成して自分で生きようとする努力を怠るやつ。つまり、
ほかの植物にちゃっかり寄生して生きる「パラサイト植物」というわけ。
萬葉集に詠われたことのある古い植物ながら、どうですか、
これ、なかなか現代的じゃないですか! フリーター花ってところ?
「あっち行け!」と、寄生されて迷惑がっているのはイネ科の植物。
ススキだったり、サトウキビだったり、ときにはミョウガだったり。

みなさんにはあまりお役に立ちそうもないことを書きましたが、ついでです、
おまけにこの季節に添えてもうひとつ。

   萩の花 尾花葛花瞿麦(なでしこ)の花
      女郎花(おみなへし)また藤袴朝顔の花――山上憶良
★一本のバラのために人は死ねるか 4 09月06日 (月)
「星の王子さま」でPlay with meさんがたいへん気になさっていたことに、王子さまの死に方がありましたね。王子さまの星が1年たってちょうど頭のうえにきたとき、ふしぎな方法によって、自分の星に帰っていきます。
「王子さまの足くびのそばには、黄色い光が、キラッと光っただけでした。……一本の木が倒れでもするように、しずかに倒れました。音ひとつ、しませんでした」

Rose024-a.jpg

小さい王子は毒蛇に足を噛ませて、死んで自分のからだを軽くして(霊となって)、棄ててきた自分の星に帰っていきました。ここらへんは、子どものための文芸を遠く超えたむずかしい哲理の働いているところでしょう。帰っていく星に待っているものといえば、一本のバラだけ。美しいけれど、トゲを持ち、わがままで、あまり親しみのもてないバラ。そこには、1年にわたる星めぐりの体験を語りあうべき友だちなんていません(ラボの国際交流帰国報告会のようなわけにはいきません)。そう、そこには神もいなければ天使もいません。このあたりがほかのメルヒェンと決定的にちがう救いのないところで、なんともいえぬ寂しさを読むものに残します。星の王子さまの永遠とは何だったのか。
それがこのユニークな実存主義作家サン・テックスの求めた固有の永遠というものだった、…神なき世界への存在の超越というものなのでしょう。存在の果てにはすべてを棄て何も残さないという思想。真空のように透徹した世界へのあこがれが冷たく冴えざえと光っている。

「…しかしてわれ永遠に立つ、汝等こゝに入るもの一切の望みを棄てよ」(ダンテ「神曲」地獄篇より)

すべての欲を棄てて永遠にはいるという潔い孤独。Neant! (Nothing!)
王子のこの絶対的な孤独と比較するものがあるとすれば、アンデルセンの「人魚姫」だろうか。愛する王子のために泡となって海にきえていく美しい人魚姫のすがたが印象あざやかに髣髴する。そしてまた、「幸福の王子」とツバメのあいだの無償の愛、澄みわたる自己犠牲の愛も。

【「人魚姫」関連】物語寸景〈2〉「人魚姫と赤い蝋燭と人魚」marmaid-a.jpg
★「星の王子さま」もうひとつの秘密 3 08月18日 (水)
 掲示板に書き込まれたPlay with me さんの「すみきった想像力」のことばに導かれて、また『星の王子さま』の世界に久しぶりに立ちもどってきました。「たいせつなことは目に見えない」という主旋律によって展開される深遠な哲理と寓意のこめられた文学的宇宙。ここにはたくさんのナゾが秘められ、興味は尽きません。ほんとうに、子どものしなやかな感性、自由な心を持ちつづけているひとなら、おもしろくてならない文学作品といえるのではないでしょうか。

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 読むたびにそこに埋めこまれた秘密が見えてきます。事実、あらゆる作品は、それが書かれた時代・政治状況、または作家の生き方とその内面、それらと無関係であることはできません。とりわけこの童話が書かれたころは言論統制のきびしい時代でした。1940年6月にパリはドイツ軍に占領されています。その傀儡としてペタン元帥によるヴィシー政権が樹立し、フランス北部はドイツ軍に、南部はヴィシー政府が管轄、出版物にはたいへんきびしい検閲がはいり、言論界は暗い「沈黙の時代」にありました。バーネットの『小公女』でさえ禁書になったくらいです。ですから、悲しいほどに美しいこの名作も、祖国を離れたアメリカのニューヨークで書かれ、「たいせつなことは目にみえない」というように、「いちばんかんじんなところは下に深く埋めて隠し」、カモフラージュして書いているわけですね。
 これまでに掘り出した秘密については、地域の市民講座や読書会などで話し、小論にまとめもしました(左の「ページ一覧」のうち「物語寸景〈2〉」の「サン=テグジュペリ・星の王子さま」参照。今回、Play with meさんに読んでいただいたのはそこで紹介している小論文のことです)。バラの秘密についても別刷にしました。
 で、今回、サン=テグジュペリが『星の王子さま』を通してもっともかんじんな主張をいうのに、どうしてキツネの口に託したのかということです。キツネといえば、日本の民話や昔話だけでなく、世界のおおよそあらゆるところで、信用のできない、ズル賢い嫌われものです。崇高な哲理を語るにはふさわしくないマイナスイメージのキャラクターです。そのキツネにたいせつなことを星の王子さまに教える役割を負わせている。あまり信用ならぬそんなものに! なぜか。
 ここに絶望的な人間不信にある作者のすがたが見えはしないだろうか。諷刺的にえがかれている六つの星で出会うわけのわからぬ、しかしドキッとさせられるほどリアルなおとなたち。それに象徴される人物たちにホトホトうんざりしている作者の顔が見えます。
「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」といい、王子に、一本のバラの花のもとに帰ることを説き、自分の星に帰ることを決意させます。また、キツネはこうもいいます。
「人間ってやつぁ、いまじゃ、もう、なにもわかるひまがないんだ。あきんどの店で、できあいの品物を買ってるんだがね。友だちを売りものにしているあきんどなんて、ありゃしないんだから、人間のやつ、いまじゃ、友だちなんかもってやしないんだ」
 ほんとうに自分のアタマで考えることをせず、規格品ばかりのなかで生きているわたしたちのいまの生活、それぞれが利己的で、人間関係がうすく、ほんとうの友だちをもつことのすくないいまのようすを語っているようでもありますが、それとは別に、これがこの作家が生きていた時代の状況であったということですね。
 王子が毒蛇にわざと足を噛ませて、死という形で自分の星に帰っていったように、サン=テグジュペリも、この作品を書きあげたあとすぐ、危険を承知で無理やり長距離偵察部隊に復帰し、コルシカの基地から飛び立って、そのまま帰らぬひとになりました。もう覚悟を決めていたんですね。それくらいこの人の絶望は深かったということでしょうか。
★8月6日、わたしの場合、あなたの場合 12 08月06日 (金)
シャーシャーというクマゼミの声が鼓膜を蔽い、天地を領する8月6日。
日本の夏はまさにピークである。
この日、広島のうえに原爆が投下された。59年前のことである。
この日をみなさんはどうお過ごしですか。
わたしの場合をすこしご紹介しつつ、
亡くなった多くの御霊にまことを捧げたく思います。

sankichi-a.jpg

わたし自身には戦争の現実的な実感はまったくないというに近い。
いま社会の底辺にあって、機会あるごとに非戦の声をあげてきたつもりだが、
そんな声を嘲笑うかのように核の脅威は少しも減じることなく、
いよいよ人類の未来を見えないものにしている。
核をなくし、世界のどこからも憎しみと暴力をなくすためには
わたしたち一人ひとりの力はあまりにも小さい。
それでも、せめてこの8月には、世界の平和を祈らないではいられない。
8月6日。この日、わたしがこの10年余にわたってしてきたことを
はなはだ恥ずかしながらお示しし、それをもってせめてもの慰霊とし
またわずかに非戦の思いを自分のなかで確かめたく思います。
この日の朝、忘れることなく口で誦ずる幾篇かの詩があります。
まずは、原民喜の「永遠(とわ)のみどり」。

  ヒロシマのデルタに/若葉うづまけ/死と焔(ほのお)の記憶に/
  よき祈りよ こもれ/とはのみどりを/とはのみどりを/
  ヒロシマのデルタに/青葉したたれ

つづいては、「原民喜全集」(芳賀書房刊、全2巻)第一巻を引っ張りだし、
「水ヲ下サイ」「燃エガラ」「焼ケタ樹木ハ」などを自己流で朗読する。
40歳のときに被爆、そのことを詩と小説とエッセイにたくさん書き残して
46歳のとき、東京の吉祥寺・西荻窪間の鉄路に身を横たえ自殺した人。
原民喜の詩のあとは、おなじ原爆詩人の峠三吉の「原爆詩集」からの数篇。
特にその序「ちちをかえせ ははをかえせ」を誦ずることになる。

  ちちをかえせ ははをかえせ/としよりをかえせ/こどもをかえせ/
  わたしをかえせ わたしにつながる/にんげんをかえせ/
  にんげんの にんげんの世のあるかぎり/
  くずれぬ平和を/平和をかえせ

広島の平和記念館の北側、原爆慰霊碑を見通せるところにこの詩碑がある。
昨年の平和祈念式典の、秋葉市長の「平和宣言」につづく
子どもたちによる「平和のちかい」で小学生の男の子が、
青空のように澄みわたる声でこの詩を朗読、大泣きさせられた記憶も新しい。
さらにこの詩集から「仮繃帯所にて」「としとったお母さん」「ちいさい子」
「墓標」「その日はいつか」など、手当たりしだいに読んでいく。
そしてまた、こんなとき決して忘れることのできない詩がある。
与謝野晶子の「君死にたまふこと勿れ」である。

  あゝをとうとよ、君を泣く、/君死にたまふことなかれ/
  末に生まれし君なれば/親のなさけはまさりしも/
  親は刃(やいば)をにぎらせて/人を殺せとおしへしや/
  人を殺して死ねよとて/二十四までをそだてしや。/(以下略)

気分によってはこれらのほか、茨木のり子、大塚楠緒子、新川和恵といった
女流詩人の詩も。なかでも茨木のり子の「わたしが一番きれいだったとき」の、
無垢なこころを乱暴に駈け抜けていった戦争のすがたは胸にこたえる。
わが身の非力を羞じつつ、詩人の純な思いをこころに満たしつつ、
非戦の思いを新たにし、魂かぎり核廃絶、戦争のない世界への願いを祈る。
そんな8月6日。
★芙蓉湖(野尻湖)の風をしのび 8 08月01日 ()
「これは芙蓉の花の形をしているという湖のそのひとつの花びらのなかにある住む人もない小島である。この山国の湖には夏がすぎてからはほとんど日として嵐の吹かぬことがない。そうしてすこしの遮るものもない島はそのうえに鬱蒼と生い茂った大木、それらの根に培うべく湖のなかに蟠(わだかま)ったこの島さえがよくも根こぎにされないと思うほど無惨に風にもまれる。ただ思うさま吹きつくした南風が北にかわる境めに崖を駈けおりて水を汲んでくるほどのあいだそれまでの騒がしさにひきかえて落葉松のしんを噛む蠧(きくいむし)の音もきこえるばかり静かな無風の状態がつづく」

芙蓉の花の形をした湖、野尻湖のことである。住む人もない小島、これが弁天島である。この夏も多くのラボのなかまが遊覧船で野尻湖の湖水の青さを目にし、涼しい風に髪をくしけずられ、弁天島に降りてひとときをすごしたことだろう。うえにかかげた文章は中勘助の随筆「島守」の冒頭部分。野尻湖をこれほど美しく描写した文章をわたしはほかに知らない。中勘助といえば『銀の匙』を知らない人はいないだろう。28歳のときに書いた作品だが、この作品を書く前後2回にわたって人間ぎらいのこの作家は野尻湖の弁天島にこもって独りだけで暮らす。27~28歳のときということになろうか。あの名作はここで生まれたといっていい。「島守」は最初に島ごもりした、夏の終わりから秋にかけての約1か月にわたる日記のスタイルになっている。もちろん、いまのような観光船もモーターボートもない時代のことである。善良朴直な「本陣」とあだ名される男が時折り食べ物などを運んできてくれるだけという孤独な日々。苦しい自罰のニュアンスもたしかにあり、このストイックな生活の背景には許されぬ恋があったと指摘する人もいる。ロマンですねぇ。

「後ろの森の杉の枯葉をひろう。ひとつずつ拾って左手にためる。涙がでる。かけすぐらいの鳥がゲーゲーと争っている」

「きょうは曇。飯綱にも黒姫にも炭焼の煙がたつ。煙が裾曳くのは山颪(やまおろし)であろう」

「朝。散りしいた木の葉にまじって翅(はね)の生えたいたやの種子が落ちていた。山やまがありったけの風を吹きつくしたかのように今朝は静かである。樫鳥や、木つつきや、島じゅうを木づたい鳴きかわす鳥のなかでひよどりの声がことによく谺(こだま)にひびく。なに鳥か大杉の梢で玉の梭(ひ)を投げるように鳴く。湖水にうつる雲の影はしずかに動き、雑魚の群れは吹きかわった新鮮の気を吸うように滑らかな水面に泡をたてる」

引用したい個所はきりがない。野尻湖、弁天島を知るひとなら、たいがいびっくりなさることだろう。ほんとうはもっと早くご紹介するとよかったのかも知れませんが、いろいろこちらの事情がありまして…。この随筆を読んでみたいという方は、全集本のほか、岩波文庫の『犬 他一篇』(中勘助作)が手ごろでしょうか。短いものです。一読をお薦めいたします。
★かぐやひめ、そして試される男と女 6 07月09日 (金)
(掲示板のまじょまじょさんの書き込みを承けて)
『なよたけのかぐやひめ』では、なみいる貴公子たちが命を賭けた試練に立ち合わされました。しかし、難題をぶつけられるのは男たちだけでなく、女の場合もあります。

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きのう(7月8日)、地域の福祉グループが主催する映画会で100人ほどの高齢者に『華岡青洲の妻』を見てもらいました。この映画会は、ベテラン映画監督の河崎義祐氏のおこなう出前映画ヴォランティアによるもので、第一回の『東京物語』(小津安二郎監督)を皮きりに今回で21回目を数える地域の恒例行事。若い日をしのぶなつかしい映画を年に2回程度ずつ上映してきました。『華岡青洲の妻』の原作は有吉佐和子、これは増村保造の監督による同名の映画で、新藤兼人が脚本を書いています。そうそう、音楽は林光さん。映画そのものは、わたしのように原作を4、5回も読んでいるものには、その厚みを大きく損なうもので、ちょっと耐えられない気分もあるのですが、この監督のものらしく、しっとりとして落ち着きがあり、シンプルで、無駄を極限的に削り取った映像で見せてくれました。白黒映画特有の映像処理はさすが。
物語は、ご存知と思いますが、武家育ちの娘、加恵さん(映画では若尾文子。若くみずみずしいですよ)が望まれて名門の医家に嫁入りします。婿さんのいないままの祝言をあげて。この家には、美しく淑やかで、気が利いていて才覚もあり、近在のだれからも仰ぎ見られている姑の於継さん(高峰秀子)がいます。ほどなく蘭方医学を修めた婿どの、雲平=青洲(市川雷蔵)が帰ってきます。青洲をあいだにはさんでそこから展開される嫁と姑の凄絶な葛藤。ふたつの愛のかたち。名ある封建的な家門における女の身の置きどころ。…その確執には息づまるものがあります。理想的な女とされる姑の前で、加恵さんはいちいち試されます。跡取の子を生めない女の僻みもあります。いくら健気につとめても、努力すればするほど事態はマイナスにばかり働きます。それに加えて、外科手術に道を拓く決め手としての麻酔薬の開発に打ち込む男の悲壮な戦い。その戦いにも母と嫁が争って参入します。麻酔薬の人体実験の揚句、加恵さんは健康をそこない視力を失って闇のなかで生きることになります。一人娘もころりと死んでしまいます。一人の男の夢に全身を捧げて生きる母そして嫁。そういう女の生きざまを今の若い世代はどういうのでしょうか。ばかみたい…、と。
でも、男であれ女であれ、人間というのはいつもいつも試されている存在なのかもしれません。わたしのような、無用なしがらみを断って生きるフリーターでさえも。ましてや、テューターのみなさん。いつでも、どこにいても注目され、試されている存在といえないでしょうか。それによって強く育てられるという点もあるのでしょうが。
★世界の美術、宮沢賢治関係図書等、ゆずります! 1 06月27日 ()
今回は、世界の美術関係、宮沢賢治関係の図書を中心に、ラボ・パーティに関わる方がたに無料にてお譲りいたします(送料はご負担ください)。活動にお役立てくださいますよう、期待いたします。★印が今回新規放出分(まだ残っている分)です。
なお、お申し込みが重複することがありますが、基本的にはお申し込み順とさせていただきます。発送には多少の時間がかかることがあります。ご承知おきください。【済み】とあるものについては無効です。
お申し込みは、左欄の「ページ一覧」のうち「譲ります」から入り、ご案内にしたがってお申し込みくださいますようお願いいたします。

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イワタバコ/鎌倉・東慶寺にて

◆ありがとうございました。アッという間にご注文をいただきました。ほとんど発送も終えました。せっかくですが、あとはほとんど残っておりません。次回の放出はいつか、のお問い合わせをいただいておりますが、とくに予定はありません。気が向いたら…、というところです。ラボの活動に役立つであろうと思われる図書資料に限ってここで紹介していますが、それ以外で興味のあるものがございましたらお問い合わせください。
★ヒマラヤの青い空を映す幻の花 17 06月18日 (金)
アジアのものがたり「ヒマラヤのふえ」(SK-24)を聴いておいでですか。
ほら、耳を澄ますと、
高い峰々を越えてわたってくる透明な音が聞えてきませんか。
そのヒマラヤの秘境に咲く幻の花、神秘の花をご紹介しましょう。

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「ヒマラヤの青いケシ」または「チベットの青いケシ」と呼ばれます。
メコノプシス・ホリドゥラ Meconopusis Horridula
ケシ科メコノプシス属の花で宿根草。
限りなく透明なブルー。さわやかな、幻想的なブルーでしょう。
その神々しさはヒマラヤ登山家たちの夢の花とされています。
葉にも茎にも細かな毛が密生しています。
多くはエベレストの5700メートル附近で見られ、
中国の雲南省から四川省にかけての大雪山山脈が主産地。
ふつう、北緯50度以北の地で栽培される花。
日本には1960年代に入ってきました。
北海道を除く地域での栽培はむずかしいとされていますが、
写真のこの青いケシはわたしの住む横浜で見たもの。
じつは北海道上川郡美瑛町で栽培していた100輪を空輸してきたもので、
NHKの番組「おしゃれ工房」でおなじみの柳川昌子さんの
「ホワイトガーデン」(横浜市青葉区)に展示されているというわけ。
ここには、おし花ギャラリーがあり、おし花教室が開設されています。
ハーブの香りにつつまれ、さまざまな花たちの微笑みをあびつつ、
ゆったりとお茶とケーキを愉しみ、はるかなヒマラヤの空を想うひととき。
…えっ、ケシを栽培するのはいけないんじゃないかって?
ええ、麻薬に結びつくため禁じられています。
ですが、これは麻薬とはぜんぜん関係ありません。
「メコノプシス」属とはラテン語で「ケシに似る」という意味。
ケシ属となると問題なのですね。
★芥川「利己心のない愛」とは… 6 06月06日 ()
神奈川近代文学館で開催されている(きょうまで)「芥川龍之介展」に行ってきました。横浜・港の見える丘公園のローズガーデンを埋めるとりどりの色のバラたち。そのあいだを縫う小径のむこう,霧笛橋(大佛次郎の名作「霧笛」に因んでつけられた名)をわたったところにある瀟洒な建物がその文学館。ベイブリッジもこの日の青空のなかにくっきりと浮かんで見えました。

RoseGarden-f.jpg

理知的な名文家として敬愛するこの作家。初めて目にするさまざまな資料や遺品にふれ,予期した以上に満たされてすごすことのできた文学体験のひとときでした。
この展覧会を見たあと,ふと思いついたことがあります。ずうっと以前から気になっていたことばで,みなさんもお読みのことと思いますが,「侏儒の言葉」という作品に出てくる一文です。

「子供に対する母親の愛は最も利己心のない愛である。が,利己心のない愛は必ずしも子供の養育に最も適したものではない。この愛の子供に与える影響は――少なくとも影響の大半は,暴君にするか,弱者にするかである」

さあ,みなさんはこれをどうお読みになりますでしょうか。
今回の企画「芥川龍之介展」には,その前に「21世紀の預言者」というフレーズがつけられています。芥川はわたしたちに何を預言しているのでしょうか。上のことばこそ,その預言のひとつではなかったか,…そんなふうに思いつつ帰ってきたものです。
わが子へ傾ける利己心のない愛。無私な愛。この子のためなら自分の命を擲ってもかまわない,…幼い子を見て多くの母親はそう思うに違いありません。少子化傾向にあるこの時期,わが子への偏愛はいよいよ強まってきていると見ていいかも知れません。しかし,その愛は時には,子どもを暴君にしたり弱者にしたりする…。芥川はそういう。事実,ほかのひとのことばを聞けない幼い暴君や,心の弱さから考えられないような凶行に走る子どものすがたを,このごろよく見聞きする。
テューターという在り方は,その点,そのきわどさから幾分か免れているように思えるのですが,どうでしょうか。わが子だけに目を向けているわけにいかないのがラボのパーティ活動。で,いきおい,一定の距離を置きながらたくさんの友だちのあいだにいるわが子を見守ることになります。自由を100パーセント保証するその空間でつくられるその微妙な距離感がすぐれた個性の養育を,わが子に,そのまわりにいるラボっ子に施しているように思えます。テューターという人たちは,そういう健康な活動にあずかっていることを思う。
同じ「侏儒の言葉」にこんな一文もあります。

「われわれはいったいなんのために幼い子供を愛するのか? その理由の一半は,少なくとも幼い子供にだけは欺かれる心配のないためである」

こんな感覚,あります。幼児期をすぎると今度はすぐ生意気なことを言い出し,親を批判したり無視したり,もう憎らしくてたまらない,自分のやりたいこともやれなく,足まといだ,目障りだと思うこともありますけれど。
さまざまな苦悩を抱えて悲しい自裁をして果てたひとですが,この芥川という作家,無類の子煩悩であったことでも知られます。芥川比呂志(俳優・演出家),芥川也寸志(音楽家・作曲家)。それぞれのすばらしい個性がその膝元から育っていますね。
★能「蝉丸」のシテを舞う人 5 05月30日 ()
 ご案内にあずかり,きょうは午後より東京・水道橋の宝生能楽堂で「蝉丸」を観せてもらいました。シテの逆髪(さかがみ)を舞うのが東京支部のFテューター。まずは,写真をご覧ください。

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 お能や狂言,みなさんはよくご覧になりますか。六百数十年前から日本に伝わる代表的な伝統芸能。残念ながら,いまは広く親しまれているとはいえないようですが,これが日本の生活文化の全般,固有の美意識の原型であり,その精粋であることはどなたも知るところです。どうして,いつから,わたくしたちの実感からこれが離れてしまったのでしょう。
 わたしとしたところで,お能といわれてアタマに浮かぶことといえば,はなはだ情けない,恥ずかしいことばかり。地謡の人たちが黒の紋付を着てピンと背筋を伸ばして正座,1時間あまりもそこに身じろぎもせずじっと耐えている姿。わたしだったら5分ももたないだろうな,といつも思います。また,能装束。絢爛たるものだなあ,高いんだろうなあ,と。これをFさんに云おうものなら「なんという不見識!」と張り倒されること必定。
 それでも,じつは,Fさんのそそのかしもあって,わたしはこれまでけっこうたくさんお能は観てきているんです。30~40曲くらいは。薪能も入れるともっとかな。おもしろいのか,と訊かれれば,「う,うう…~ん」。何か観てタメになったか,と訊かれれば,「う,うう…~ん」。お能は何度観ても,「わかった」という感じがないのです。じゃあ,何の感動もないのか,と訊かれれば,これも「う,うう…~ん」。その方面の評論家でもない身,観たお能について,よいのか,それともダメなのか,そんなことはわからない。せいぜい,声の通りがよかったかどうか,立ったすがたがシャキッと気持ちよいかどうか,そんなところ。まこと,感想を求められると,どう云ったらいいのか困惑し,すっかり自分で滅入ってしまうのです。
 そんなテイタラクながら,能楽堂の一角にすわり,いよいよはじまり。まず笛がピィーッと鋭く鳴る。大鼓(おおかわ)がカチーンと鳴る。とたんに世界がクルッと変わります。特別な時間が流れだします。咳ひとつするさえはばかられる,ピリリとした空気がみなぎります。瞬間,宇宙的な静寂のなかにあり,自分の存在がフワッ~と軽くなります。譬えていうなら,タンポポの綿毛になって,そこに流れる風のまま,ふーわり,ふーわり漂っているというような…。
 その気分は格別で,「格別」としかいいようのない心地よさなんですね。
 きょうはいきなり30℃を越す暑さ。この日は観能を楽しんだほか,たくさんのテューターの皆さんとのなつかしい再会のひとときでもありました。
 さて,本題の「蝉丸」についてですが,わたしがこの曲を観るのは初めてでした。Fさんの舞いにふれるのも何年ぶりになりますか。世阿弥の作とされる現在能のひとつ。「平家物語」や「三国伝記」に見られる説話がもとになっていると考えられます。世阿弥を経て,つぎには近松門左衛門の近世演劇「蝉丸」へと影響は及んでいっていますね。かつては不敬の曲として上演を禁じられたものの代表といわれてきました。たしかにこれはちょっと陰湿なところがあるんです。
このあとは,「ノート一覧」のうちの「古典芸能」その〈1〉に移して,写真とともにもうすこしお話しさせていただきます。
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