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いえいえ、わたしが歌うわけではありませんので、ご休心を。
友人でありボランティア仲間でもあるジャズシンガー(大学准教授/社会学)と
その歌い手仲間が出演、さまざまな団体の協力を得て
大震災被災者に春の光を! と開催する運びとなりました。
収益金は全額、NHK横浜放送局を通じて大震災被災者に義捐金として届けられます。
5月14日(土) 午後2時30分~4時30分 (午後2時開場)
プラーザホール(横浜、東急田園都市線たまプラーザ駅隣接)
出演: とろりん、デボラ、クリス・ハート
ここ十余年、さまざまな地域活動を通じてコミュニティーづくりを
してきましたが、これもその活動の一環。
あの地震のあと数日して、体の不自由な独居老人を訪ね、
「どうでした、だいじょうぶでしたか」と声をかけると、
「ひどい、ひどい。長生きしてこんな惨状を目にするとは!」と
部屋の奥へ這って行き、戻ってくると、その手に1万円札が。
「気の毒な人に、せめてこれを…」と手渡され、
さっそく郵便局から日本赤十字社あて振り込みました。
その郵便局で会った近所の別の知り合いのご夫人は、巾着袋に
ジャラジャラとコインを。いくらあるかは知りませんが、
「孫のために少しずつためてきたけれど、これを被災地に」と。
だれかが言いましたけれど、わたしたちは非力だけれど無力ではない。
気の毒な人、困っている人をみれば、何かをしてさしあげたい。
やはり、だまっているわけにはいかない、という日本人の美質。
ささやかでもそうした人の善意を集め、その行き場への流れをつくりたい、
そんな発想からはじまった企画です。
NHK横浜放送局のあと押しもあって、真新しい立派な会場での催しに。
ラボのこのサイトにこんなお知らせをするのはふさわしくないのでは、と、
ぜんぜん考えてもいなかったのですが、賛同いただいた某テューターが
「いいのよ、いいのよ、来れないでも寄附を寄せてくれる人があるかもよ、
おカネ儲けをしようというのじゃないし、みんな気持ちはひとつよ…」
と背中を押してくださったので、甘えさせていただきました。
まさか、遠方から来ていただくわけにはいかないでしょうが、
ご都合のつく方は、ぜひお志をお寄せくださいますようお願いいたします。
入場料 一人(一口) 2,000円 とさせてもらっています。
左の「メール」の「メールを送る」からお知らせください。
もう少しくわしい案内資料をお送りいたします。
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大震災の波はさまざまな形でわたしたちの生活に浸潤してきている。
計画停電もそのひとつ。オイル不足もそのひとつ。
わたしにとっては、明日3月20日に予定していた音楽会、
トルン(ベトナム竹琴)とマリンバのコンサートが中止に。
すっかり準備してきたのに、ううっ、痛恨の極み。
ヒマラヤの雪に磨かれた、その澄みわたる音を吹き消されてしまったのは、
かえすがえすも残念。同じ日、日比谷公会堂で開催予定の
ラボ国際交流のつどいも中止とか。せっかくの結団式、
みなさんもさまざまな思いをお持ちのことでしょう。
わたしも、明日のコンサートのことをここでご紹介しようかと
思っていたのに。(「ヒマラヤのふえ」に関連して、このトルンについては
7年前2月29日、ここの日記に書いておりますので、
興味のある方は古い日記をたどってみてください。)
で、きょう3月19日は小学校の卒業式(卒業証書授与式)。
ここ7~8年、招かれて出席している卒業式と入学式。ですが、
今年ばかりはだいぶ様子が違いました。
はい、大震災のことを配慮しての異様な雰囲気のなかでの式典。
まず、来賓受付に顔を出せば、「靴は脱がずにそのままお入りください」
といわれて控室まで案内されました。来賓がそろったところで
校長から挨拶、つとめて簡素に式をおこなうと伝えられる。
在校生たちのあいだを縫って卒業式会場へ。
並べられたパイプ椅子に腰をおろす。まだ卒業生たちは入場していない。
彼らがすわるはずの椅子が整然と目の前に並ぶ。その下を見ると、まあ、
色とりどりの防災頭巾が畳んでおかれているではないか!
(むかし「防空頭巾」とよんでいた、アレ)
改めてわたしたち来賓の椅子の下を見ると、白いヘルメットが。
そう言えば、いつもなら手荷物は控室に置いていたのに、
今回は「お持ちください」といわれていた。
スワッ、地震! というときにすぐ飛びだせるように、との配慮だ。
スリッパに履き替えないで靴のままというのも、そのため。
式場の飾りはいつになく簡素で、かなり抑えた雰囲気。
式の最初は、全員起立して一分間の黙祷。
震災で亡くなった御魂を想い、その安きを祈った。
卒業生全員に卒業証書が壇上で手渡される。そのあとにつづく
いろいろな人の祝辞も、その冒頭には、犠牲になった人びとへの
哀悼の意と被災者へのお見舞いのことばが述べられていた。
なかで心うたれたエピソードをひとつ。
未曾有の災厄に見舞われた3月11日、すぐ卒業の日を目前にした
6年生は、国会見学、そして上野の美術館、博物館、子ども国会図書館
等の教育文化施設を見学していた。
あの恐ろしい揺れに遭遇したのは、まさにそのときだったという。
その場にすわりこみ泣き出す子、わめく子もいたが、ケガもなく
いたってみんな冷静。結局その日は、交通手段の遮断により
帰宅できず、上野の文化施設を開放してもらって一泊することになった。
家への電話連絡もできない夜の不安はいかばかりだったか。
引率した先生の狂奔ぶりも想像に難くない。
すると、だれが手配したということもなく、
飲み物やおにぎりを持ってきてくれる人、
毛布寝具をたちまち調達してくれる人、あたたかいたいやき100個を
とどけてくれるおじさんもいた。
そして、バス会社と運転手さんの必死のはからいもあって、翌日には
全員無事に帰宅できたという。
危急のときに受けたたくさんの人びとの親切なもてなしを
この卒業生たちは生涯忘れることはないだろう、という報告。
困っている人を見たら、できる人が、できるとき、できる限りのことを
してあげる…。損得なく、自然に、無私のままに。
そういう善意の人の足を引っ張ることだけはあってはいけない。
信じていい。日本人にはそれができる。
破壊されても、ナッシングにされても、この混沌から始めるしかないことを
よく知っている人たち。
日本の創世神話が伝えているじゃないですか、
天地(あめつち)の生まれる前にあったのは「混沌」でした。
そう、もともとの混沌から一つずつ始めていかねばならないことを
十分に承知している、沈着で賢い人たちがいるから、だいじょうぶだ。
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2月22日、ニュージーランドを襲った大地震でクライストチャーチが
たいへんな惨状を呈している。
昨日2月27日の時点で死者147名、最終的には200名を超えるのではないかと
報じられている。日本人の被災者も多数。それぞれ有為な若い人たち、
その志の高さが、哀しさをいっそう増して気の毒である。
わたしの住む地域では、昨日27日、地域防災フェアを開催。
今年は3連合自治会が共催するという、あまり例のない大規模の防災訓練を
近在の町をあげて実施した。
開会式の直前、ひょっとしたわたしの思いつきで、急きょ、
地区社会福祉協議会の名でニュージーランド地震支援の募金活動をおこなった。
どれほどの募金が寄せられたかは、まだわからないが、
わたし自身が募金箱を抱えて会場をひとまわりしたかぎりでは
思いがけないほどの協力の志が寄せられたように思う。
それで、ふと頭をかすめたのは、今はどうなっているのか知らないが、
ラボはこのニュージーランドとも青少年交流をおこなっていたはず、
だれがその支援募金のことを言い出すのだろうか、
「ひろば@」を覗くかぎりでは、どこからもその声はあがっていないように思うが、
ということ。格別、被災者支援をするのが国際交流の目的ではないにせよ、
何のための国際交流か、その原点は、といったあたりを、忘れないうちに
もう一度、考えてもらいたいな、結団式(国際交流のつどい)を直前にしたこの機に。
この30年以内に70パーセントの確率で関東大震災クラスの東南海地震が起きる
と予報されていることはご承知のとおり。しかし、どうでしょうか、
だれもが例外なく、そのときはそのときさ、どんなことが起きようとも
自分だけは大丈夫さ、と思っている。
あなたもそう思ってはいませんか。
クライストチャーチの壊滅的な状況を目にしたら、
そして、あの有為な若ものたちの無念な死を想ったら、
そんなわけにはいかないことは瞭然でしょう。
運営側にあるわたし自身も、いくつかの体験コーナーをまわってみた。
携帯電話による安否確認。これはしっかり覚えておかないとまずい。
起震車では、マグニチュード7.9、関東大震災のときの揺れを再現した揺れを
体験しました。わずか2~3分にすぎないのに、
「終わった」と言われても腰が立たない、深酔いしたような感じで足許ふらふら、
吐き気こそしなかったが、気分最悪。揺れることが想定されての体験にも拘わらず
そんなザマですので、これがいきなりの揺れだったら、
もう、何もできない、家族のこと、ほかの人のことどころか
自分の身さえ守れない、と思われた。

何というタイミング! 旅客機とも握手ができそうな高さ
さて、限定20名、子どものみ、ということで、巨大なハシゴ車に乗る体験。
ビルなら12階くらいに相当するという三十数メートルの高さまで
するする~っと吊り上げられる。ひえ~っ、高い! わたしなら、一万円やる、
いや、五万円やるから乗ってみろ、といわれても、ダメ、ダメ、とんでもない、
と尻ごみするだろう高さ。(十万円といわれたら、ちょっと考えても…)
どんな子が応募して列に並ぶのかな、と見ていた。
親に促されて地べたに這いつくばって泣きじゃくり拒絶する子もいる。
率先してひとかたまりになってやってくる子たちも。ゲーム感覚か。
ケージに子ども二人、ヘルメットをかぶり、救命ロープもしっかりついているし、
それにベテラン消防署員がついているので安全なはずだが、
さて、結局どんな子がこの体験をしたかというと、20名のうち、
18名が女の子、男の子はたったの2名。なんだ、こりゃ!
緊張したふうもない女の子、青ざめている男の子。
いざとなったら度胸がすわっているのは、女の子、ということになる、のかな?
因みに、今回のニュージーランドの地震で被災した日本人のリストを見ても、
ほとんどは女子。度胸と勇気、夢と希望と被災のことと関係があるのかどうかはわからないけれど。
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わが家から車で十分内外のところにある児童養護施設「N学園」。
1月10日、ここにも覆面レスラー、タイガーマスクが
たくさんの学用品を贈ってくれたそうです。
伊達直人と名乗る人物からの子どもたちへのプレゼント。
「タイガーマスク運動に共鳴して」とのメッセージが添えられていたとか。
年末年始にかけて全国的な広がりになっているらしい運動。
久々に聞く、こころにあったか~いものが湧く話ですね。いいね、これ。
「足長おじさん」の日本版かな。
(偽善だという人もいるけど、偽善でも何でもいいじゃないですか、
その善意が子どもたちに届きさえすれば)
その「N学園」とは、12月23日のクリスマス・パーティのこと、
京手鞠のプレゼントのことで、12月26日のこの日記欄で紹介したばかり。
きょう(いや、きのうか)、帰宅途中、親しくしている知人に出会い、
その男がいうには、「あれ、あんたなんだろ」とニヤニヤ。
ニュースで聞いて少しは知っていて、「うん、これ、いいじゃん」と
思ったことはありましたが、おれが! なんて考えたこともないので
しばしキョト~ン! 第一、わたしはそのタイガーマスクのマンガ、
見たことも読んだこともない。どうやら週刊マンガ雑誌の
人気主人公らしいが、あいにく「伊達直人」の名は
このたびのことで初めて知ったような体たらく。
無知とドンカンの悲しさ、風邪よけにしていたマスク、
これ「タイガーマスク」って名前だったかな? と本気で思う始末。
そう、残念ながら、伊達直人はわたしじゃありません、
はい、おあいにくさまながら、プロレスの興味もありませんし。
でも、あの施設にいる子どもたちの澄んだ目、純朴そうな顔を思うと、
せめてもう少しわたしに経済的な余裕があったらなあ、と
かえって心さびしい思いがして…。
年1回、クリスマス・パーティで出あう
施設の子どもたちへのプレゼントを周囲に呼びかけたところ、
さまざまな人からさまざまなものが寄せられました。
京手鞠やぬいぐるみ、ジャンボケーキだけではありません。
(大きな声では言えませんが、困るよ、こんなのは、というものまで)
そうなんですね、ひとはだれも、自分のできるかぎりで、
“いいこと”をしたくてしたくて、機会を待っているんですね。
だれかのひと声が、だれかのひと押しがあれば、
“いいこと”は、ふつうのことのように動きだす。
仮に大きなことはできなくっても。
タイガーマスク、それはあなたかも知れない。
善意の人たちによるタイガーマスク運動、ゆがめられず、自然な形で、
いつもどおりといった形で、どこでもおこなわれていくといいな、と
昨夜はこころ暖かくして眠れました。
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区内にある養護学校“N学園”のクリスマス・パーティ。
クリスマス・イヴをここの子どもたちとともに
歌ったりゲームで遊んだりして楽しむひととき。
これまでですと、サンタさんからのプレゼントは
玩具メーカーや航空会社など企業からもらいうける
景品や試供品のプラモデル、マスコットなどと、
それと地元の有名洋菓子店から提供されるケーキを
いただいてクリスマスを祝ってきました。
ですが、ことしはちょっと違います。それらに加えて
子どもたちが、キャーッという歓声と、まん丸な目で迎えたのは
コレ! 絹糸のツヤ美しい「京手鞠」でした。
いえいえ、これ、わたしがつくったものではありません。
残念ながら、そりゃあ、ムリというもの。
地域の女性高齢者たちでつくる趣味の会、
手芸グループ「てまりの会」のみなさんからわたしがいただいたもの。
三十数個ありました。
いかがですか、ちょっとひとに差し上げてしまうのが
惜しくなってしまうような美しい伝統手工芸品。
あなたから欲しいといわれても、だめ、あげられません。
このほかにもブローチやら髪どめなども。
ぬくもりいっぱいの手づくりの品っていいですね。
あまり言いたくありませんが、いろいろな問題を抱えた子たち、
ふだんは下うつむきかげんにしているその子たちの顔が
パーッと輝いたのは、いうまでもありません。
※この写真はプライバシー保護のため、画質を落としました。
その代わり、地元の洋菓子店主が毎年この日のために
特別につくってプレゼントしてくれるジャンボケーキを
追加紹介させてもらいます。
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まずは、へたな口釈よりは、作品そのものを見てもらいましょうか。
100パーセントの自由を保証して表現された小学生たちの作品。
その途方もない発想力にクラクラと酔ってしまいます。
笑ってしまいます、「う~ん」と唸ってしまいます。
体育館いっぱいに集められた何百もの傑作を、
この限りあるスペースで、どんなふうにご紹介したらよいものか…。
絵画はあとにして、まずは立体ものから。
6年生たちによる「白の世界」より、液体粘土を使った表現
「雨漏りのする家」大雨になり、もう手では受けきれない雨のしずく
「雪だるまたちの集会」さて、ゆきだるまはどんな相談をするのでしょうか
5年生たちは針金でつくられる世界を

「アラベスク」と「貴族の休日」と題された作品。針金とカラーセロファンで
つくられています。どこが“アラベスク”? なんで“貴族の休日”?
悩まされますねぇ。
まあ、そんな細かいこと、いいじゃないですか!
3年生たちはプラスチック容器やペットボトルを使って
思いおもいの象形に挑んでいます。細かに見ていくと、
形をとらえる子どもの感性はユニークで、
おとなではぜったいに思いつかない発想のヤマヤマに出会います。
絵画作品。彫っては刷り、彫っては刷りを重ねて描いた4年生の作品。

ここ数年、地域の小学校の校内作品展にいささかの関わりをもち、
審査員というほどではありませんが、半分は遊びに近い「賞」選考に
あたっています。きょうも、校長、副校長、PTAの役員さんたちと。
じつは来週にはもうひとつの小学校でも同じ企画で。
それらの作品は、10日間ほどの校内展示を経て、
来年の春には、地域にある老人福祉施設のロビーに
展示されます。(先にこのブログでご紹介した能面の展示もここで)
そこは地域サロンのようなスペースになっていて
多くの人びとが出入りして作品を目にするほか、
施設に入所している高齢者の皆さんの大きな楽しみでもあり、
異世代間の交流の機会づくりにもなっています。
そういうプレミアムもあって、子どもたちの制作意識は
年々高いものになってきて、アッというような力作傑作が生まれています。
このごろは、児童たちだけでなく教職員たちもこぞって
「この機会にわたしたちも!」と作品を寄せ、片すみに展示するようになって…。
そのうち、わたしもやってみようかな、なんて気にも…。
“こわいこわいレナレストラン”というタイトルのついた作。
おばさんの経営するレストランらしいのですが、…うん?

発想の奔放さ、インパクトという点では、男の子かなあ。
「血のふる暗黒恐竜」と「流星“火の玉号”ですって。
解説不能。ワッハッハ、と笑うしかないですね。
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おそらくみなさんはほとんどご存知ないかも知れませんが、
香西 久(かさい・ひさし)氏、この10月14日、他界されました。
ラボ・ライブラリー『ふしぎの国のアリス』(GTシリーズ19/1994年刊)ほか何篇かの
録音演出をやっていただいた方です。
世はあげてテレビへの流れのなか、ラジオ・ドラマにこだわりつづけた高名な放送演出家で、
元NHKラジオのディレクターとして広く活躍、数々の賞を受けていますが、
とりわけ1980年代の人気長寿番組「ラジオ名作劇場」で多くのイメージゆたかなラジオ・ドラマを
生みだし、知る人ぞ知る巨匠格の実力派。
手元に写真がないのですが、もし「制作資料集Ⅶ」をお持ちでしたら、
111ページに吹込み者といっしょの姿がわずかに見られますので、
見ていただければ幸いです。
独特の白髪で、おだやかな中にも声優さんたちに投げかける声には
きびしくも的確なものがあり、
個性的な声優さんたち個々の特性やくせをみごとに生かす技量に、
舌を巻くことの連続でした。
わたしなど、その後のライブラリー制作活動にそのスタイルから
どれほど大きなものを学ばせてもらったか…。
不義理すること十余年になります。忘れがたい恩人の一人です。
ご冥福を、こころより。
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まさかそんなことはないと思いますが、
もしあなたが「能面のような顔」とひとから言われたらどうでしょうか。
あまりいい気持ちはしないのがふつうではありませんか。
ツンとして親しげがなく、表情に乏しく、
蔑むように冷徹な目でひとを見る人…、
そんなネガティヴな印象。あるいは、
触れたらケガをしそうな、冷たく、ひとを寄せつけないような美しさもった人。
そんな印象もあるでしょうか。
でも、それって、どうでしょうか。
小面(こおもて)
この10月13日、わたしは大蔵流狂言を観る機会を得ました。
「雁盗人」「伯母ケ酒」「塗師(ぬし)」の三番。
お能ならともかく、狂言で面(おもて)をつけるのは、そう多くない。
しかし今回、「伯母ケ酒」では“武悪”の、
「塗師」では“蛙(かわず)”のおもてをみることになりました。
ここに書くのは4月初旬以来、久々になり、
せっかくでもあり、ちょっと長くなりますが、
一例を紹介させてもらいましょうか。
「伯母ケ酒」。おかしさにほんとうに腹がよじれるほどの一番。
わたしは初めてこれを観ました。
シテ(甥)は、ちょっとお調子ものの、飲んだくれの若者。
アド(伯母)は、山ひとつむこうで酒を造っています。
この年は格別に良質の酒ができたとの噂を聞きこんだ甥が
酒造司の伯母を訪ねる。もちろんただ酒にあずかろうとの心算。
ところがこの伯母というひと、とんでもないシワン坊。
徹底したケチで、これまで一滴も甥に酒を振る舞ったことはない。
稀れなほどよくできた酒なら、宣伝して町で多いに売ってやろう、
については、わしに利き酒をさせろ、と迫る。
いくら執拗に迫られても、伯母のほうはいっこうに聞く耳を持たず、
つっけんどんに追い返す。
追い返された甥は、もう一度もどってきて、
このあたり、このごろ夕刻になると鬼が出る、
鬼が出てひとを食うという噂だから用心するように、
といって立ち去る。で、夕刻。はたして早速に鬼が出、
荒々しく女を脅かす。
鬼、すなわち甥が変装したものですね。
武悪のおもてをつけて現われ、さんざん伯母を脅しつけた末、
酒蔵に入って飲みに飲む。したたかに飲んだあと、
さすがに酔って、面をわきにずらしたままコロリと寝込んでしまう。
その大いびきを聞いて、こわごわ伯母がやって来て見ると……。
(なお、付言しますと、古い時代にあっては、酒を醸(かも)すのは
ある特別な婦人の仕事でした。柳田國男の「物語と語り物」
また「孝子泉の伝説」などによると、「醸す」は「噛む」を
語源にしているとか。今にいう「杜氏(とじ)」は、婦人の尊称である
「刀自」から出ているともいいます。)
上の画像は、上記の「伯母ケ酒」で使用された「武悪」の面。
悪質さや凶暴さ、はげしい怒りを表象しながら、
どこか一本抜けたところも見える表情。
これらはいずれも、わたしの住むところのすぐ近くに工房をもつ
76歳の面打ち師の作品。
どうでしょうか、こんなのにいきなり会ったら
恐ろしさにゾッとして卒倒するかもしれませんね。
大癋見(おおべしみ)
さて、「能面のような顔」というとき、まさかこの「武悪」や
「大癋見(おおべしみ)」のような、迫力満点、恐ろしげな顔を
イメージしているとは思われません。
悪い夢に出てきて、うなされそうな面相。
ましてや「嘘吹(うそふき)」のような、ひょうきんな顔でもないでしょう。
女性のケースでしたら、やはり「小面(こおもて)」や「十六」が
イメージされているのではないでしょうか。
「十六」
ご覧ください、端麗です、美しいです。まばゆいばかりの美しさ。
清艶とか冷艶と形容したらよいでしょうか。
ですが、角度を変えて見なおしてみると、
不運を嘆いているような、苦しさに泣いているような
せつない表情になりますね。
「十六」は、もと、須磨の浦で16歳の命を散らした平敦盛の面と
されていますが、角度によっては、あどけなささえ見えますね。
いちばん上に示した「小面」の“小”は、
可愛いという意味。華やぎとともに、年若い乙女のういういしさ、
はかなさが漂い、清純無垢な笑みものぞいています。
面(おもて)は、例外を除いては、特定の表情を持ちません。
削りに削って、極限までシンプルにしてあります。
媚びも衒いも見栄も、卑下も猜疑心も迷妄も虚飾も、
およそ人間に本来不要な一切を削ぎ落とした顔。
人間存在の素形をここに見ることができます。
シンプルで特定の表情を持たないからこそ、そう、
演技により無限に多様な感情表現が可能になるんですね。
演技者がシテまたアドの個性と特性を表現するとき、
基本としては、顔の角度にブレがあってはならない、
ひとつの角度を決めたら、最初から最後までその角度を保ちつづける
ことが基本の「き」といいます。それ、考えたらきついですよね、
視野は狭くてよく見えないし、
へたをすれば能舞台から転げ落ちる可能性だってある。
また、面打ち師の仕事のじょうず・へたを分けるのは
微妙な角度の変化でどれほど多様な、それぞれちがった
感情表現を生み出せるか、その技量によるといいます。
腕の見せどころがそこで、そう簡単なことではありませんね。
上に掲げた「十六」のふたつの面を見比べてください。
上唇の紅が見えているかいないか、目の瞳が黒く丸くみえているかいないか、
それだけでこちらに訴えかけてくるものはまったく違ってくることがわかります。
傾きひとつで無限の表情を生みだす面(おもて)。
嘆くとき、ある決意をあらわすようなときには、うつむきます。
これを専門的には「曇る」といい、
喜びの感情をあらわすようなときには、逆にやや仰向けにします。
これを「照らす」といい、おもてを微妙に上下させるだけで
表情を変化させ、情をあらわす芸が、わが国固有の演劇の
能であり狂言であり、能面の無限表現のいわれなんでしょうね。
ですから、「能面のような顔」と、もしあなたが言われたら、
それはあなたの魅力を的確に捉えた最高の褒めことばと
信じていい、はい、自信をもつべしです。
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ひとはどこでつくられるか。
生きる力をどこで身につけるのか。
数日前、ある小学校の校長とそんな話題で雑談をした。
わたしがそのときに言ったのは、“遊育”ということ。
少し以前、青少年の健全育成をめぐる講演会で講師が話したことの受け売りで、
仲間との遊びのなかで、ひとはもっとも多くを学ぶ、というような…。
どんな遊びをしたか、だれと遊んだか、どれほど遊んだか、
それによってひとはおおかたつくられる、といった内容。
それほどめずらしい話ではないが、なぜかストーンと共感し合えた。
弱い立場にあるひとにやさしい人、
怒りっぽく、何ごとにも突っかからずにはいられない人、
友だちのいっぱいいる人、いない人(孤独がすきな人)、
いつもぎらぎらした意欲をみなぎらせる人、
周囲への気配りのできる人、できない人、
欲はなく淡白な人、
よく考える人、すぐ行動する人…。
さまざまな教育の機会を経て、ひとはそれぞれの個性と人格を獲得していく。
ひとの品格とは何か、
ひとをつくる教育の原点はどこにあるか。
大学で身につけた広い教養か、
大学院で集中的に学んだ専門的知識や研究か、
職場での労働を介して会得した技術か。
……わたしは、それではないような気がする。
キクモモザクラ
この4月5日、きらきら輝く目をむける小さい新入生を前に、その校長は、
入学のお祝いのあいさつのなか、そのへんをうまく語ってくれた。
「砂場遊び」の話である。彼としては、子どもたちに向け、親たちに向け、
何ごとにも基礎が肝要、わが校では基礎を大事にした教育につとめる、
と言いたかったのかも知れない。
しかし、わたしはちょっと違うようにその話を理解した。
☆
可愛い2歳、3歳の幼児、おかあさんといっしょに児童公園に。
そこには同じくらいの小さい友だちが何人か来ていて、
砂場で無心に遊んでいる。
わたしたちがふだんよく目にする光景だ。
しばらくすると、子ども同士の遊具の奪い合いがはじまり、
乱暴をする子、火がついたように泣く子、もらい泣きをする子、
知らんぷりしている子、呆気にとられたようにポカーンとしている子…、
さまざまである。
そこにおかあさんが割って入って、どうにかその場をおさめる。
ケガをさせるようでは困るが、
その介入はあまり早くないほうがいいようだ。なぜなら、
子どもは、そこでこそ、いちばん大事なものを学びとるからだ。
譲り合うこと、我慢すること、ルールを守ること、
協調すること、競い合うこと、
新しいことにチャレンジする勇気、勝つ喜びと負ける悔しさ、
ときにはまた
自己主張をしなければならないこと、自分を抑え他に譲る思いやり、
ものごとはなかなか思いどおりにならないこと、
親に頼らず自分で解決しなければならない場合もあること…、などを知る。
そう、この砂場遊びの体験のなかで、ひとの原質はおおかた形成される、
ひとの営みの基本原則、「プリンシプル」なる自身の基準律は、
ここで品格として身に備わっていく。
そう言って大きく間違ってはいないように思う。
もっとも多くことばを獲得していくのも、このときである。
(「砂場遊び」と言ったが、もちろん、ほかのことばに置き換えてもいい。
たとえば、「ラボの物語体験」などと)
☆
ここ数年、地域の小学校、中学校の入学式、卒業式に立ち合ってきた。
国旗や市旗の掲揚されたステージを正面にして、新入生(卒業生)、
つぎに在校生、そのうしろにぎっしりと並ぶ礼装の保護者たち。
このごろは、ビデオカメラを構えるおとうさんたちの多さに、びっくりする。
しかし、気の毒ながら、その距離からは子どもの表情までは見えないはず。
その点、すぐわきの来賓席からは、彼ら一人ひとりの
初々しい胸の鼓動まで伝わる。
ちょっぴり緊張し、不安半分ながら、
新しい人生のステージへの挑戦に思いを馳せるキリリッとした顔。
どの子もきらきらとした、澄んだ、深い目を見せてくれる。
地域の役員をしているため、お役目でこの式典に出席しているわけではない
(当初は、何やら居ごこち悪く、仕方なく、の一面もあったが)。
なんだか、入学してくる子たち、卒業して巣立っていく子たちの気骨と
希望あふれる表情を見るのが、とっても好きなのである。
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ラボランドでのスプリングキャンプの季節ですね。
久しくラボランドに、いや、奥信州に足を向けておりませんが、
思いがけず、奥信濃の美しい四季の風光を、
目とこころいっぱいに見て楽しむ機会を得ました。
年3回、65歳以上の方を対象におこなっている映画鑑賞会。
ボランティアの出前映画でして、
今回は「阿弥陀堂だより」。質の高い映像芸術でした。
原作は南木佳士、芥川賞作家ですね。(わたしは原作を読んでおりませんが)
監督・脚本は小泉尭史(たかし)。黒澤明の一番弟子といわれる映画監督。
(もっとも、“一番弟子”と称される人はほかにも何人かいますが)
下級武士の志を描いた前作の「雨あがる」と合わせて
小泉二部作とされる、さわやかな感動作。
舞台は谷中村の六川という小さな村落。飯山市のはずれのはずれ、
千曲川の源流に近いあたりらしい。
ラボランドから見たら、野尻湖のむこう、さらにむこうの斑尾山を越えた
あたりか。実際にその名のままの土地かどうかは、わたしは知りません。
山々に挟まれて小さな棚田が重なる里。とにかく、美しく、
これぞ日本の原風景と思わせてくれます。
本文とは関係ありませんが、去る3月22日、国立新美術館で
「白日会展」を鑑賞。そのときの一点、春の信濃路を描いた作。
許可を得て撮影させてもらいました。
鳥の歌、渓流の瀬音につつまれて、平和です。
詩そのもののなかにいるような、おだやかな気持ちにさせられます。
山ふところのこの郷に、都会生活でいためつけられた40歳代の夫婦が帰ってきます。
夫の孝夫は、この地の出身の、売れない、新人賞を受賞して以来、
鳴かず飛ばずの、世に見捨てられた作家(寺尾聡)。
妻の美智子(樋口可南子)は、一流病院のエリート医師でしたが、
過酷な勤務のなかで心と体を病む身。
その病後をゆっくり癒すためにここに移り住んできました。
美智子は、無医村のこの村落の診療医として迎えられ、
少しずつ地域医療に力を尽くします。
孝夫も、美智子とともに、故郷の人の飾り気ないあたたかさと美しい自然にとけこみ、
少しずつ自分たちの生き方を取り戻していきます。
特に刺激的な展開があるわけでなく、静かな時の流れのまま、
ストーリーは淡々と進められていきます。
セリフがきわめて少ない映画。控えめな音楽が、またしんみりとこころにひびく。
不平をいちいち口にすることなく、人のもつ等身大の力で生きている人びと。
そういう人の生死を、やさしく、そしてまたきびしく描きだす人間ドラマですね。
ここには、地上デジタルテレビやBSなんて、ない、
パソコンやインターネットとも無縁。
コンビニもなければ、車もめったに通らない、山奥の過疎の村。
これといって刺激的なものはないけれど、澄みきった光線に満ち、
しっとりとした情緒で描き出されるこうした世界。
灯篭流し、火祭り、神楽、剣舞といった、
この土地固有の習俗もカメラにおさめて織り込み、
ドキュメンタリーの味も加えて描かれるこんな映像世界が、好きです。
途方もない興行成績をあげて話題になっている3D映画「アバター」
のようなのもありますが、わたしとしては、どうもそういうのは…。
村にひとつ、死者の霊をまつる阿弥陀堂があります。
ワラ葺きの小さな、ごく粗末なお堂。便所さえない。
雨風のとき、雪のときはどうなんだろう、と心配されるような…。
良寛さんの五合庵をもっともっと粗末にした小屋を想像してみてください。
ここの堂守をつとめるのが96歳の老婆(北林谷栄)おうめさん。
「そこらにある粗末なものばかりを採って食べてきたから、ここまで
長生きできたんさね。貧乏というのはありがたいもの」と、
歯のない口で明るく語る、素朴な、欲を知らない、
贅沢というものを知らない一人の老人の生き方。
感謝のこころにあふれ、哲学的でさえある、自然に沿ったその生き方を、
日本アカデミー賞の助演女優賞などを獲った北林さんの名演技で堪能する。
いちばん大事なのは、阿弥陀さまをお守りすることで、
欲をかき、贅沢をして、いいものを食っていたら長生きできない、
というこの老婆の土着的な信仰。
ズキッ! ちょっと耳が痛いですね。
村の広報紙の片隅に「阿弥陀堂だより」という小さな連載コラムがあります。
これがすばらしい。朗読する寺尾聡の朴訥な口調に、つい、涙がぽろり。
おうめさんのことばを口述筆記してその記事にまとめているのが、
早百合と呼ぶ村の若い独身女性(小西真奈美)。この女性、甲状腺の病気のあと、
声が出せない。難病に抗して健気におうめさんの生きざまを取材しつづける。
早百合のほうからは、筆談で意思を通わせるのみだが、
ふたりのあいだには、あたたかく通いあう絆がある。
しかし、残酷にも、早百合の腫瘍は他に転移して、いよいよ生死の淵をさまよう事態に。
町の病院に移しての大手術。命の保証はゼロに近いもの。
ですが、美智子の献身的な治療で、どうにか村に帰ってくることができた早百合。
「ありがとう、おうめさん」。あっ、わずかだが、声も出るではないか!
老婆おうめさんの喜ぶまいことか!
朝に晩に、いやヒマあるごとに阿弥陀さまにお祈りしていたおかげと、
老婆は娘を抱きしめて離そうとしない。
孝夫の中学校のときの恩師(田村高広)は、胃がんを抱えている。
日々、古風な坐り机の前で欣然と書をして静かに時をすごしている。
「天上大風」、良寛さんの澄明なこころに少しでも近づこうと、
その四字を繰り返し、繰り返し…。
孝夫と美智子はときどきこの家に立ち寄るが、そばにいるだけで
ほとんどことばをかけることもない。
血圧計などの診療用具さえ持たずに、ただじっと見ているだけの美智子。
いのちの尊さに浸る厳粛な時間である。
医師の診察など頑として受けない、気韻に満ちた老人のすがた。
がんで死期が迫っていても、病気でない人がいる。その一方、
ちょっとの風邪でも、重い病気になってしまう人もいる。
問題は、こころを病んでいるかどうかであって、
重篤な疾患にかかっていても、こころを病んでいない人は、病人ではない、と。
そして、上品な老妻(香川京子)を残して、あちらへ旅だつ、おだやかに…。
「先に行くよ」「はい、わたしもそんなにお待たせさせませんからね」
いっしょに農道を帰りながら、美智子が孝夫に言う、
「先生はご自分で呼吸を止められましたね」
残念ながら、あと10分か15分を残して、
わたしの仕事の都合があって飛び出さねばならず、
最後までは見られませんでした。
したがいまして、制作者の意図したところが、
ほんとうはどこにあったのか、しかとはわかりません。
でも、しみじみといい映画にふれた思いに浸ることができたひとときでした。
★転記スミ ➥ページ一覧の「つれづれ塾」その《3》映画2
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