幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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✦人は、なぜそんなにも努力するのか… 14 04月03日 (火)
 4月1日、ようやく国立新美術館へ行く時間を得ました。第88回白日会展。友人ふたりの招きにあずかりまして。

 おびただしい数の絵画作品と彫刻作品。それも、絵画は、ほとんど100号を越す圧倒されるような大作ばかり。人物画、静物画、風景画、裸婦像、抽象画。フレッシュな息吹きに満ちた、感性ゆたかな力作ぞろいです。妥協を知らない若々しい表現欲がほとばしっています。何か月も、いや、もしかすると何年も何年もかけて、こころのかぎりをこめて丁寧に制作されたと思われる作品群を次つぎに見てまわるうち、自分にもわからない感懐に囚われていました。
 わたしは凡愚で不才もの。そんなすっかんぴんのわたしの愚昧さとはうらはらに、なぜ人は、表現することにこんなにも努力するのか、努力しないではいられないのか、と呼吸がとまりかねないほどに胸つまるものがありました。写真かと見まごうほどにリアリスティックな作品たち。そのあまり、その感動の大きさとは別に、シンプルな洗練された表現に出会うとホッとさせられている、弱い自分、泣きたいほど憐れな弱い自分を感じることにもなりました。

staircace2
asummerday
上・Staircase #2  下・夏の日


 地下鉄の出口か何かでしょうか、黒のグラデーションになって手前に一つひとつ闇が落ちてきて、そこに一脚の椅子がポツンと…(“Staircase#2”と題する京都の山本さんの作)。あるいは、打ちっぱなしのコンクリートに錆びた鉄骨がむき出しになっている(「夏の日」と題する茨城の古根さんの作)。おそらく、だれかに勧められ促されたわけではない、これをだれかに高く買ってもらおう、賞をとって有名になろう、みんなにわかってもらおう、などといった意識は制作中の作者には無かったと思われます。それぞれの制作意図ははかりかねますが、わけはわからないながら、なぜかこういう抽象性に今回は惹かれました。とてもご紹介しきれませんが、いくつかを(写真撮影の許可は得ております)。facebookのわたしのウォールに他のいくつかを紹介しておりますので、興味がありましたら…。

feeling
scinary
上・想い  下・蔵のある風景


 なお、みなさんにもぜひご覧いただきたいところですが、東京開催は4月2日までで、残念。あとは名古屋(愛知県美術館ギャラリー)で4月10日~15日、大阪(近鉄百貨店阿倍野店9階近鉄アート館)で5月19日~23日に開催されるそうです。

myoko
siciliano
siesta
上・妙高山  中・シチリアーノ  下・シエスタ

✦火おこし体験を子どもたちと 03月22日 (木)
小学3年生の火おこし体験

縄文人になったような、それでも何だかわくわくと楽しい気分の21日、22日でした。小学3年生2クラスのお友だちと火おこし体験の教育サポート。火って、キャンプファイアがそうであるように、ひとを興奮させてくれるものらしい。聖なる思いにも。

fire-a


火はそうやすやすとは起きない。つい夢中になり、手のひらにはマメが。ようやく種火ができ、麻布をほぐしたものにつつんでそれを七輪の木炭に移します。団扇でパタパタ、火吹き竹でフーフー。赤くなった炭の火でお餅を焼き、みんなでひとつずつ食べました。炭火で焼いたお餅は格別な香りがして、おいしいこと、おいしいこと!
 
思えば、このごろはすっかり火を焚くことがなくなりましたね。マッチも使うことがめったにありません。ふだんのわたしたちの生活では、ガスレンジにしてもストーブにしてもスイッチのワンタッチで点火OK、いえいえ、このごろではIHですっかり電化してしまっている家庭さえ多く、昨年の停電時にパニックになった記憶も新しい。
驚いたことに、お手伝いにきていた児童のお母さんの一人、お餅が焦げているのに裏返しすることすら知らない。聞けば、いつもなら電子レンジでチ~ン!ひとつ、うまくお餅を焼いているとのこと。七輪も、テレビドラマでしか見たことがなく、どう使うのかも知らないそうですね。いまどきパタパタ煽いで火をおこし、煙い思いをして涙目で調理するようなことはないわけで。

fire-b


なにやらひどく古めかしい、いまとなっては益ないことをやっているような気分にも。それでも、わたしから子どもたちに話したのは、ひょっとこ(火男)と火吹き竹の話、人類に火をもたらし、そのことでひどい拷問を受けることになったプロメテウスの話など。

こういう子どもたちに、工夫とサバイバル経験に満ちた野外キャンプの機会を与えてあげられたらなあ、と思いました。

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✦若い世代の、光みちた夢の雲に乗って 2 12月21日 (水)
高校進学面接試験(模擬)の面接員、初体験

年が明けると間もなく入試の季節。胸つぶれる思いでおられる人も多いことでしょう。
神奈川県では、来年度より公立高校の入試で、
学科試験のほか面接が課されるという(ほとんどの私立高校でも実施)。
今年度はまだ制度化されてはいないが、
実施に先んじておおかたの高校で今年度も面接試験をおこなう模様。
学力、知識だけでなく、マナーやコミュニケーション能力、
言語表現能力といったものが評価されるようになるらしく、
それは好ましいことといえるかも知れない。
ただ、この世代の子どもたちの多くは、そこが弱点と言われる傾向がある。

southerncross

そんなこともあって、まず少し慣れておいてもらおうと、この地域の中学校では、
きょう(12月20日)とあす、模擬面接をおこなう。
その面接員の一人として、きょうは、8人の生徒と面談、各15分程度ずつ、
さまざまなことをめぐってその夢や希望、考え方を語り合い、
ひとと向かい合って話す際のいささかのサジェスチョンを率直に伝えた。
わたしにとって初めて経験することなら、彼らにとっても初めて。
わたしには、生徒個々を上から目線で評価する資格も能力もないし、
もともとそういう考えはなく、ただ、おとなを煙たがり、
あまり話をしないとされるこの世代の子どもたち、しかし
次の時代を背負ってもらわねばならないこの子たちが、いま
こういう時代にどんなことを考えているのか、それを知る格好の機会と
ひそかに期待していた。
ちょっぴり緊張がなかったわけではないが、いやいや、みんなすばらしい生徒たち。
音楽家に、マンガ家に、科学者に、医者に、保母に、小学校教諭に、弁護士に…。
うらやましいような輝きとこころの弾みをもっている。
すでに十分に先生から教えられているのか、態度で問題のある子は一人もいなかったし、
おとなを前にしてちゃんとしゃべれない、という事前の評価とは裏腹に、
しっかりと表情ゆたかに表現してくれるではないか!
ことばづかいも悪くない。
「最近のニュースで気になることは…」などと問いを向けると、
きのうのきょうということもあって、
ほとんどの生徒が北朝鮮のキム・ジョンイル総書記死亡を挙げた。
このあとの北朝鮮はどうなると思うか、どうあってほしいか、の問いにも、
思いがけないほど明快にそれぞれの意見を言ってくれた。

分けて気になった点を挙げると、自分の短所の表現の仕方。
自分に意見が容れられないとすぐキレちゃう、なんてまるきりダメという言い方はまずく、
たとえば、夢中になると集中して他を忘れてしまうことがたまにはある、というように、
裏を返せば長所になるような表現をしないと、相手に与える印象はよくないかも知れない、
工夫してみてください、というように伝えるケースが多かった。

ともあれ、彼らのみずみずしい輝きを浴びて、久々に気持ちの晴れるひとときだった。
✦「気持ち」「気分」を、絵にどう表現する? 3 12月11日 ()
今年も小学生たちの作品展を見せてもらった。(12月10日)
このあと全校生徒の前でコメントしなければならず、気が重いのですが、
(その、重い気持ちを絵にすると、どうなるのかなあ)
いつもながら体育館の四つの壁面いっぱいに貼られた絵画作品と、
床におもしろい趣向でディスプレイされた立体ものは、
いずれもみずみずしい発想力と自由にあふれ、
観るものを圧倒してくれる、うならせてくれる、笑わせてくれる。
とても紹介できる数量ではないが、今回ちょっと気になったものをチョコっと。

12.10-a


形ある物体から離れた「気持ち」というもの、「気分」というものを
子どもたちならどう表現するのか、
自分のどんな気分を選び取って作品にするのか…、
そこには、うまい・へたはない。そんな点に興味を惹かれて
しばらくその作品群の前で足を止めた。
他を真似たようなものはひとつもない。飾りもないまったくの「個」そのままの作品。
その一部を。いずれも小学5年生の作品。(作者名は省略)
(高いところに展示されたものを撮っているため、画面がゆがんでいます。ご容赦を)


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左上から右へ、そして下へ「ぽかぽかしたいい気持ち」「無茶苦茶な気分」「モヤモヤマンになった気分」「怒り爆発」「モヤモヤ大爆発」「涙の海にひたって」「やさしさの裏に怒りを秘めて」「ボヤボヤした気分」「雲の上にいるような気持ち」
✦だれもが通る道、だれもが行く道 9 11月12日 ()
今年も、年賀状に先がけて、親しい人を喪った人からの欠礼ハガキが次つぎに届く季節に。
ここのノートにこんなことを書くのは、はなはだ場違いのように思いますが、
わたし自身が抱える切実な問題として、ちょっとここに書きとどめておきたいと思います。
なかには多忙なテューター活動をする傍ら、親の介護にも追われている方がおいでかもしれませんね。
そんなひとの慰めに……なるかどうかは、ちょっとわかりませんが。

在宅介護のさまざまな問題を40分ほどの劇にし、
きょう、わたしにとってかかわりの深い介護老人保健施設のホールで公演。
高齢化のド真ん中にいる地域の中高年者200名弱を集め、
質疑と解説を含めて2時間の感動のひとときを分かちあいました。
家族として、また近くに住む隣人として、老いて介護を必要とする人をどう支えていったらよいか…。
他人ごとではない卑近な問題です。
いずれは自分もひとさまのお世話にならなければならない存在でもありますし。

劇の出来としては、……このすぐ近くに劇団四季の芸術センターがあり、
日々きびしい練習が繰り返されていますが、
まさかそこの俳優さんたちに張り合うつもりはないにしても、
配役をこなす施設の職員さんたち、なかなかのがんばりです。
演じるほうが真剣なら、見るほうも息をこらすようにして真剣なまなざしを向けています。

tsurifuneso
ツリフネソウ


で、そのことはともかく、わたしは知らなかったのですが、
最後に、ホールが暗転し、静かな歌が流れます。スクリーンには歌詞が映し出されました。
まいりました。
手紙―親愛なる子供たちへ」という、はじめて聞く歌。
樋口了一という若い男の子が歌っています〔You Tube にあるかも知れないので、あとで検索してみます〕。
けっこう有名らしいですが、わたしはこの方面はさっぱりでして。

…私が同じ話を何度も何度も繰り返すからといって、もう聞いたよと、遮らないでください。
だって、ほら、あなたにせがまれて何度も何度も絵本を読んでやったじゃないですか。
…私が下着を濡らしてしまっても、臭いからと、いやな顔をせず、
あなたを追いまわして何度も何度もおむつを替えた日のことを思い出してほしい。
…足が弱って立ち上がれなくなったとき、あなたがやっと立ち上がって歩きはじめたとき、
あなたを支えてあげた私の手のことを思い出してください。
…私のこんな姿を見て、哀しむのはやめなさい。自分が無力だなんて思わなくていい。
…あなたの人生のはじまりに私がしっかり付き添ったように、
私の人生の最後のときに、少しだけでいいから、付き添っていてほしい…。

もっともっとありましたが、おおまかそんなような内容だったと思います。
スクリーンを見上げるみんなの目から、あ、あ、ポロポロと涙がこぼれ落ちる。
あちらから、こちらから、低い嗚咽と深く息を吸い込む人の声が…。

ああ、わたしはどんな旅だちをすることになるのだろうか。
✦狂言がいまのわたしたちに語りかけるもの 3 10月11日 (火)
「ようこそござれた!」いつもの歓迎のことばを浴びて、狂言鑑賞会。
きょうは、「墨塗(すみぬり)」「空腕(そらうで)」「悪坊(あくぼう)」の三番。
あいだに語りと小舞の「春日龍神」と「景清」も挟んでの大蔵流狂言。
地域の小学校6年生70余名の特別見学会の仲介とお世話役としても。
三番目の「悪坊」となると、ちょっと疲れたことと、
前日来の鼻炎(花粉症)の症状と、それを抑えるために服んだ薬のため、
目の前がぼお~~っとして、睡魔との闘いになってしまった。
それ以外はこころの底から笑わせてもらった。
このところ、病む妻を介護しつつ明け暮れる日々。笑いどころか
会話もろくろくできない、われながら情けないうつの状態。
その情けない状態からいささかなりと解放されるこのひとときを
どれほど楽しみにしていたことか。
やはり、日本の伝統芸はすばらしい。
文化として根づくまでいかないうちにあぶくのように消えていくものが多いなか、
ここには流されることのない文化、日本の原形があることを感じる。
素朴な笑いの味わいだけでなく、ことばが洗練されている。
動きに無駄がない。語らずとも、背中で、わずかな肩の上げおろしで
見事に感情を表現する、削ぎに削いだ、他に例のない舞台表現。
鍛練に鍛練を重ねて生まれたシンプルな表現とことばの原質。
それは、文字によらぬ、口伝え、音によって体に沁みいり、
心身と一体となり、それを代々受け継いできたもの。
確かさがある。
演ずるものと観るものとの、一期一会のつながりが尊い。

すでにラボの世代は替わったが、かつてわたしたちの時代に
大事にしていた理念がある。ラボは教えるところではない、
さまざま機会を得て学び、学んだものをみんなで分け合うところだ、と。
この伝統芸とラボに一脈通じるところがある、とみるのは夜郎自大だろうか。

murasakishikibe

今回、もうひとつ狂言にふれて思ったことは、どの一番をとっても
なんというか、人間てなかなかいいもんだなあ、と言っているように思われること。
他愛ないヘマやドタバタの失敗談でも、それを責め立てたり糾弾したりしないおおらかさ。
そこでは、大声たてて責任追及してなじったり、
補償や賠償を求めて目くじらを立てたりしない。
必要以上に掘り下げない、一種のいい加減さ、おおらかさ。
ぎすぎすした訴訟社会とは別な、こころやすまる空間が広びろとひろがっている。
✦キジムナーを追え! 09月09日 (金)
「歴史的な快挙」と讃えられた、女子サッカー“なでしこジャパン”の活躍。
頭に「キ」がつきそうなサッカー・ファンのLabo Evermate Club メンバーのI氏が
試合ごとにその実況中継と試合分析をこまごまとメールで送ってきてくれている。
わたしたち日本人のこころを久々にパア~~ッと明るくしてくれる「歴史的な」ニュース。
だが、「歴史的」というこの同じことばなのに、
このごろはこれが否定的ニュアンスで語られることが多いような気がする。
「歴史的な」円高。「歴史的な」凶悪犯罪。あるいは「記録的な」猛暑、
「観測史上最悪の」豪雨、「未曾有の」災害、「想定外の」巨大津波、
東アフリカでは「過去最悪の」干ばつ、
そして「取り返しのつかない」福島の原発事故……。

nadashiko002r

誇張のすぎた表現はあまり好きでなく、自身、文章を書くときには
できるだけ抑えめに、とこころがけているつもり。
しかし、このところたてつづけに襲いかかる自然災害の現実に身をさらしては
そんな空とぼけたことも言っていられないようだ。
8月半ば、わずかな猶予を得て東北の大震災被災地に2泊3日のボランティア活動。
津波に押し流された気仙沼の荒涼たる風景には、ただ、ことばを喪うのみ。
人びとからすべてを奪っていったあの地震と津波。
信じられないようなその風景のなかで、これは破壊なのか、それとも
ゼロからやり直せという、見えない力による創造の意思なのか、と
ウウ~ッとうなり、茫然と立ちつくすひととき。
新潟・福島に深刻な被害をもたらした豪雨の記憶もまだ新しいのに、
先週には、四国・紀伊半島を荒らしまくった台風12号による「記録的な」豪雨。
今年は、とりわけ3月11日を中心に、自然が牙をむき、
ずう~っと毎日、世界じゅうが自然災害になぶられているかのよう。
地球が怒っている、人間の慢心を天がたしなめている、
思い上がりはげしい人間を神がいよいよ見放した、
わが身の利得ばかりに走る人間へのいましめだ、…

他人事のように「天罰だ」と言い放つ傲岸不遜な人間さえいて、
さまざまに言われる。あらゆる科学と先端技術を超えて
自然は自然の意思とそのルールをもっているようだ。
快適さ、便利さをやみくもに求めて、共生のつつしみを忘れ
ひとはその自然の摂理に逆らいすぎたのかもしれない。
謙虚さを忘れていたのかも知れない。
人間の抑えを知らぬ慾心に対する、自然のしっぺ返し、反逆を想うとき、
ふっとあたまのあたりをよぎるのは「鮫どんとキジムナー」のものがたり。

わたしが制作にかかわったこのラボ・ライブラリーについては、
鑑賞のポイントなど、この際、何も触れずにおきます。
書棚(なんてものではなく、ただ隙間なく押し込んでおいただけ)を整理するなかで、
沖縄の民話・神話等の関係図書資料がごっそり出てきた。
「鮫どんとキジムナー」再話にあたって勉強し参考にしたもの。
そのうちの一部をみなさんに提供したいと思います。無料です。
沖縄・那覇とその周辺のすべての古書店を、時間の許す範囲であさりにあさって
(それでも、なかなか無かったものでした)集めた図書資料や、
那覇市内在住の作家さん、画家さんたちを訪ねて、頭をさげて貰いうけた図書も。
中にはかなり装丁のいたんだものもありますが、
ぜひこれらをみなさんの活動に役立ててもらいたいと願っています。
ご希望のかたは、この画面左の「ページ一覧」の「本、譲ります」から
入ってください。先着順ということにさせていただきますので、よろしく。

nadashiko009
✦深夜の訪問者 08月31日 (水)
あしたがあるから、もう寝なきゃあ、と椅子から立ち上がった。
部屋にこもった空気を入れ替えようと、窓のカーテンを開けた。
そのとき何かバタバタと飛び込んでくるものがあった。
ヘタな飛び方である。アブラゼミかな? 
このごろのセミ族は深夜になっても鳴いて、ひとさまの睡眠を邪魔する。
ふといやつだ、羽をむしってつまみ出してやろうか…。
天井にぶつかったあとコツンと落ちたのがパソコンのキーボードの上。
ついさっき電源を切ったばかりである。

006

おやおや、カブトムシじゃないか。しばらく見ていると、
キーボードの上を右に左にゴソゴソ、ゴソゴソ。

―― おいおい、どういうつもりかね。
(もしかして、と思い、パソコンの電源を入れなおす)
―― これ、ちょっと拝借してもいいかな。
―― わたしのほうの今夜の仕事はもう終わった。かまわないよ。でも、
そこでフンなんかしないでくれよな。
―― ふん、フンとは! 無礼なことを。甲虫族のプライドちゅうものも知らんで。
―― そりゃあ、悪かった、悪かった。
―― カノジョにメールをしとこうかと思ってな。
―― カノジョ、って?
―― あいつは見かけによらず頑固なんだ。自分がまちがっていても、けっして「ゴメンナサイ」と言わない。
―― そんな女って、いるいる。
―― 思い込みがはげしくって、一度こうと思ったら、違うよ、勘違いだよ、と
いくら言っても受け容れない。被害妄想だよ、あいつ。
一度や二度の浮気をしたからって、がたがた言うな、つ~の。
いつまでも、いつまでもそれをネにもってなぁ。
―― よくある夫婦げんかだな。
―― 一度か二度じゃねえか。浮気は五度か六度。
―― はっは。コリないやつだなあ。それじゃあ、なかなかノーサイドちゅうわけにはいくめえよ。
―― 言うにこと欠いて、あんたはトシなんだから、たいがいにしろ、とぬかしやがる。
だってそうだろう、果敢ないイノチだ、燃えるときに燃やさないでどうする。
―― なんだよ、カノジョの愚痴かよ。でも、とびきりの美人(美虫)というわけか。
―― そうさな、まあ、十人(十虫)並みってとこかな。知り合ったころは、もっとずっとシャンで、
色つやよく、気品つ~ものもあったのに、このごろじゃあ、よく飲み、よく食う、よく寝る。
見られたもんじゃない、典型的なメタボだね。口のききかたも乱暴だし。
―― トシをとったということかな。トシをとった女はだいたいそんなもんだよ。
―― いやいや、せめて子育てじょうずなら救いがあろうというもの。それがてんでダメ、
一匹もましな子を産んで育てたことがないときている。不良さ、グレてる、どいつもこいつも。
―― いいとこなし、ってとこだな。よせよせ、そんなの。
もちっとましな女なら、いくらでもいそうじゃないか。
―― あんたなんぞにそんなこといわれたくないけどな。
―― なんだよ、おまえ、さてはカミさんに追い出されてきたな。
―― ちがうよ、おれのほうからおん出てきてやった、金輪際、帰ってやるもんか、ってな。
…そう言っておん出てきてやったけど、ちょっと、なあ…。
―― わかったよ。星の王子さまも、その星に置き棄ててきたバラ、
きれいというだけでケン高くわがままな恋人のことが忘れられず、
なんだかんだ言っても最後にはそこにもどっていったもんね。
―― そんなはなし、おれは知らないけど、
どっかで脳梗塞でもおこしてぶっ倒れてるんじゃないかと、
あいつがおれのこと心配していたら可哀そうだから、
せめて無事にここにいるというだけでもメールで知らせておこうかな、と。
―― どうぞお好きなように。でもな、このごろ世間じゃ「節電」「節電」とうるさいから、
たいがいにしてくれよな。おれは寝るけど、そこの窓は開けたままにしておく。
送信を終えたら、そこから出ていってくれ。
カノジョのところへ帰るか、ぜんぜん別なところへつっこまるか、
そのことには、おれ、関与するつもりはないからね。ま、がんばれや。
―― お、ありがと。あんたもいい夢みて寝ろや。
✦かくも美しい、尊ぶべきこころ、たくましいこころ 1 07月04日 (月)
東日本大震災から間もなく4か月。その傷跡は深く、同時代人としてその復興にいささかなりの手を差し伸べたいと願いつつ、さしたることもできないまま、チャンスは数回あったのに、未だに被災現地に行けないでいる。

そんな体たらくのなか、6月末、伊豆に旅した。何度かここで紹介させてもらったことのあるラボ職員OB・OGでつくるLabo Evermate Club の年1回のツアーである。昨年だけはわたしの個的な事情があってついに継続は途切れてしまったが、ここ15年にわたって続けてきた小旅行。親しい仲間同士の自由闊達な、言いかえれば、車を駆ってのその場その場の気まぐれな旅。一昨年の例は、伊勢のJUNKOさんがご紹介してくれましたが、渥美半島から鳥羽、伊勢、伊賀上野などをぐるぐるめぐった。JUNKOさんとそのご父兄、松阪市の浜口Tにはひとかたならぬお世話になった。

izukoganezaki


さまざまな旅の愉しみはもちろんだが、醍醐味は何ものにも捉われぬおしゃべり。だれにも遠慮はない。ラボ退職後のそれぞれの生き方に、都度、こころ震える感動をもらうことになる、…泣かず飛ばずの私の場合は別にして。そのおしゃべりの一端を。

H氏。64歳になる。介護福祉方面の仕事のあと、最近、市の国際交流課に週2日程度、非常勤で出ている。畑を耕し、つい最近では玉ねぎ1千本を植えた(播いた?)とか。
4月27日から5月8日の12日間、ベトナムのキャンプに参加。フィッシャーヴィレッジ〔F.V〕の支援が目的。F.Vとは、ハノイ市内を流れるホン河(紅河ともいわれる)沿岸にドラム缶を浮かべ、その上に掘っ立て小屋を建てて住んでいる人たちの集落。地方から仕事を求めて都会に出てきたが、失敗。田舎に帰ろうにも、何もかも売り払って出てきているので帰るに帰れない。その子どもたちは学校に行けない。そんな彼らにどんな支援の手を差し伸べたらよいのか。F.Vの女性たちを集め、その自立を促すため、アクリルたわしの編み方の講習を。わずかな収入だが、まずはそのお金で薬を買ったり病院に行って治療を受けられるように。アクリル毛糸は日本から持ち込んだ。また、井戸に浄水器を設置した。F.Vには3本の井戸がある。ユニセフの寄付による。この井戸に、ドラム缶大のプラスチック製の樽に、砂やジャリ、炭を何層にも入れて浄水器にし、それをとりつけた。12月にはもう一度行くという。

またその前、この8月には、フィリピンに行く。みなさんの多くが記録映画「神の子たち」God’s Children をご覧になっておいででしょう。スカベンジャー。ゴミ溜めの中に生き、ゴミを唯一の収入源にして生きている人びと。不潔と見るか、たくましいと見るか。飢えても病んでも、その貧しさに耐えるほかない彼らの日々。でも、子どもらの瞳はあんなにも清く深く澄んで、きららかに輝いている。なぜ…? 希望とは、夢とは、そんなにも人を強くするものか! そんな映画でしたね。腐臭のひどさ。雨が降っても風が吹いてもたいへんなところ。その彼らと生活をともにするというH氏。
前回のツアーで聞いたのは、国内でのさまざまな活動。たとえば、このほど世界自然遺産に登録された小笠原諸島。固有種が生息する貴重な島だが、25時間の船旅の酔いに耐え、外来種のトカゲの捕獲やアカギの伐採のボランティアに参加、また白神山地のブナ林保全の活動にも力を注いでいる。

自分の世界をどんどん突き破って挑戦するそのたくましさ、健康さ。世界の忘れられた存在、困窮の極にある人たちに、わが身を投げだしてぶつかる強い意思。それにひきかえ、震災の被災現地にも行けずにいるわたしの意思薄弱さ、ひ弱さが恥ずかしい。

H氏のことだけでも書き尽くせないものがあるが、もうひとつ、このボランティア活動に関連してH氏のことばを紹介したい。前述のF.Vのキャンプの期間中、一泊だけホームステイを体験した。いっしょにボランティアに当たった現地スタッフの一人の家庭。食後のなごみのなか、H氏、持参したフルートで「ふるさと」や「大きな古時計」を吹く。そのあとで「そのフルートはいくらくらいするものなのか」と問われ、ついいい気になって十数万円したその値段を言ってしまった。貨幣価値が違うとはいえ、その十数万円あればここの8人家族が1年間ゆうゆうと生活できる土地がら。「一生の不覚」とH氏は悔やむ。そういう高い目線でボランティアをしているつもりはなかったが、いや、どこかこころの底にそれがあったに違いない、と目のまわりを濡らし言葉をゆらす。その償いのつもりでもう一度ベトナムへ行くという。

A氏。2年前にその後の職場からもリタイア。原発推進をはかる市と対峙し、先頭に立って反対運動をしている、…だけでなく、「源氏物語」を原文で読んでいる。岩波の日本古典文学全集「源氏物語」全6巻のうち3巻まではすでに読んだ。その読み方がおもしろい。家にあっては、解説までを丁寧に読み、古語辞典とにらめっこしつつ読み、早朝のウォーキングの際には一冊を持参して家を出、神社の境内などで声を出して読むのを日課にしているという。「源氏…」が終わったら「平家物語」「枕草子」も、と。テレビの英語講座も欠かさず聴いているというから、このA氏もすごい。

どちらもお金のことには迂遠だが、理由はともかく、自分を飛び越え突き破って命を投げ出して行動するものがいて、かたや、自分の内面にあるもの、魂の奥底にあるものを輝かす清雅さにあそぶものがいる。おっきいなあ。それぞれの老いというには遠い、見事な(還暦を過ぎた)青春である。この二氏に限らず、言い訳の要らない、自分に正直な生き方をする仲間たち、時代から、また自分から、背を向けて逃げることをしない仲間たちに、シンから憧れる。
✦完売御礼! 04月18日 (月)
ジャズ & ポップスのチャリティーコンサート。
チケットの刷りあがりを待って4月10日から販売開始。
そして昨17日、すでに完売とのことで、ストップがかかりました。
横浜の片隅で開催するささやかなコンサートですので、
がんばって呼びかけても、満席にするのはなかなかむずかしいかな、
と思っていましたが、1週間で売り切れ。
歌のたのしみはともかく、震災被災者へ寄せる思い、
復興を期待する人びとの思いの強さに驚かされました。
ご協力いただきました皆さま、ありがとうございました。
当日、直接会場へ、とお思いだった方もおいででしょうが、
すでにスタッフとその家族が掛ける椅子もない状態だそうで、
申し訳ありませんが、ご遠慮いただきたく、お願いいたします。
これを終えてすぐ、被災現地に入って調査、ボランティアをしたあと、
もう一度チャリティーコンサートの機会を企画しておりますので、
その際には、またよろしくお願いいたします。

kibanakatakuri


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