幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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〔がの〕さんの閑粒子日記
〔がの〕さんの閑粒子日記 [全205件] 21件~30件 表示 << 前の10件 | 次の10件 >>
✦原画“かいじゅうたち”、ハツラツ! 9 06月28日 (金)
世界じゅうの子どもたちに愛され、
途方もない夢をその胸に届けている名作絵本「かいじゅうたちのいるところ」。
モーリス・センダックの傑作絵本、ラボの仲間にも大人気ですね。
ところで、あの絵、みなさんはあのかいじゅうたち一人ひとり
(えっ、かいじゅうたちはどう数えるんでしょうか? 
一匹いっぴき、一頭いっとう、一体いったい…?)
をジッと、ジッと、ジッとご覧になりましたか? 
この際、あらためてもう一度見てみませんか、なんなら、拡大鏡をあてて…。
ね、どれもなかなか愛きょうあるすてきな表情をしているでしょう。
みごとに描きわけられてもいます。

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版権やら、出版権やら、あっちこっちとの交渉ごとに四苦八苦して制作した、
わたしにとってはとりわけ思い入れ強いライブラリー作品のひとつ。
ですが、いまにして思えば、この絵本の人気と魅力は十分わかっていても、
その絵について微細なところまで理解していたかどうかは、
われながら疑わしいような気がします。
同時刊行の「ふしぎな国のアリス」や、
これまた絵本中の絵本とされる「てぶくろ」にも目が離せない事情にあり、
とにかく、ラボでこれを刊行する! そのことに意識はいっぱいいっぱいだったですから。

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さて、このたび、ラボ職員OBの有志でつくる“Labo Evermate Club”のメンバーで、
年1回ずつ恒例の一泊二日の小旅行をいたしました。
16回目を数える今回のツアーは、万緑の信州中部の高原
――蓼科高原、白樺高原(白樺湖)、車山高原、霧ヶ峰、八島ケ原湿原と横断する旅。
そのスタート地点は諏訪湖畔。
うなぎやさんで腹ごしらえをしたあとすぐ飛びこんだのが、
センダックの原画を求めて、岡谷駅そばの「イルク童画館」。
諏訪市近くに住むわたしの大学時代の友人からは
センダックの作品展示について聞いていましたが、
最近の案内チラシには、武井武雄や荒井良二の案内はされていても、
センダックについては何もふれられていない。
常設展示されていると聞いたんだけどなあ、とあやふやな思いで、
まずは行ってみよう、と。
はいハイ、ありました。ホッ。
モーリス・センダックが亡くなったのが昨年の5月。1年とちょっとというわけ。
お弔いと感謝の気持ちをこめて、ていねいに見させてもらいました。


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「かいじゅうたちのいるところ」をはじめ、
そんなに出典数は多くありませんが、「まよなかのだいどころ」
「まどのむこうのそのまたむこう」など、一点一点を見ていくうち、
見なれているはずの絵なのに、エエッ、こんなだったっけ! 
みんないっしょに、ジェ、ジェ、ジェ、ジェ…! 
明度が違うんです、色彩の透明感がまるで違う、
一本一本の線がじつにクリアで、冴えたリズムをもっている、
作者のこころの響きがある。
迫真力という点では、わたしたちの見てきたものより数十倍か。
かいじゅうたちには怖さはなく、じつに愛らしい表情をしている。
みんないっしょで楽しくてたまらない、といった愛きょうたっぷりのかいじゅうたち。
な~んだ、これだから子どもたちはこの絵本が大好きだったんだ…。

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ご承知のように、館内での撮影は禁止になっています。
しかし、わたしとしては、ハイそうですか、というわけにはいきませんよね。
なんだかんだと屁理屈を並べて女性学芸員の了解をとりつけました
(私的な観賞にとどめるとの条件つきで)。
ですから、ここでそれを紹介したい気持ちはヤマヤマですが、
やはりマナーとしてまずいと思い、遠慮させてもらいます
(たってのご希望とあらば、その条件のかぎりで個的にメール送信させてもらいますが)。
わたしの拙いカメラワークにも問題がありますし、
またここで縮小してしまうと印象がまるっきりちがってしまいますので。
それより、いかがでしょうか、
この夏にでも時間を割いてお出かけになり、直接その目でご覧になりませんか。
諏訪湖畔には美術館にかぎらず、たくさんの楽しみがありますし、温泉もいいですよ。


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✦「島唄」でエイサー 2 05月27日 (月)
ロックバンド“The Boom”の「島唄」は、
宮沢和史さんの名とともに、皆さんはよくご存知ですよね。
♬ でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来た… ♪
その「島唄」のウチナーグチ・ヴァージョンが校庭いっぱいに鳴り響いた。
3年生・4年生合同の壮大なエイサーのはじまり!

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5月25日(土)、S小学校の運動会、午前の部の中間ほどである。
小学校の運動会なら、このごろは「よさこいソーラン」が定番だが、
(この日も、午後の部の最後のシメは5年生・6年生がこれを見せてくれた)
エイサーの群舞を見せてもらったのは初めて。
どうでしょうか、紫色のハチマキをキリリッとしめた姿、
黄色い腰布をひるがえす姿、なかなかいいでしょ!
いたいけな少年少女が、軽々と右に左に、上に下に身を弾ませ
生き生きとした動きを見せてくれる…。
来賓席のわたしの隣りにすわっていた人が、じつは沖縄の出身、
伊江島というところとか。
「あ~あ、最後のキメのところは、ちょっと違うんだけどなあ」
と思わず声を発するなど、飛び出していきかねないほど、ノリノリ。
どこがどのように現地のスタイルと違うのか、
わたしにはわからないが、子どもたちの表現を十分に楽しませてもらった。
だって、こどもたち、すごくたのしそうじゃないですか。

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これは、もとは、わたしたち本州の田舎のところどころでもおこなわれている
遍歴念仏のようなものか。沖縄に古くから伝わる伝統行事のひとつで、
お盆のころ、先祖の霊を送迎するためのものだったらしい。
そういうものが、いまこうして横浜のある小学校で、都会っ子たちが。
この沖縄独特のリズムと旋律に、あるいは、
先の戦争で失われて多くの命へよせるレクイエムの思いに、
子どもたちは、何を感じてくれるのだろうか。
✦ひとは、その生を生き、なにを得、なにを喪うのか… 2 05月02日 (木)
ひとは、その生を生き、なにを得、なにを喪うのか…

…哲学者ならぬわたしごときが、鹿爪らしくそれをここで書くのは控えるとして、そんなことを思いながら、
数百におよぶ若い表現者たちの夢と遊んだ一日。第87回「国展」、六本木の国立新美術館にて。
とにかく、この種の公募展を観るには相当な覚悟が要る。
見尽くせぬほどの同床異夢の宇宙に無防備のまま放り出されるのだから。
テーマも見えなければ傾向というようなものも特にあるわけではない。
こちらがどう構えて鑑賞するか、それだけである。

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じつは、この「国展」に足を運んだのは初めて。奈良にお住まいのAテューターのご案内によるもので、
そのパーティの元会員だった山本大也(やまもと・だいや)さんが絵画の道でがんばっており、
新進気鋭の作家としての評価を高め、このたびみごとに「国展」に入選、展示されることになったとの報。
広島大学芸術学部(油絵専攻)を卒業、以後、広島市を中心に活動してきた26歳。

入選作は「四角いラクダ」と題する作品。白っぽい壁面にひょいと掛けられた(ラクダ皮の)バッグ。
ただそれだけ。特に見栄えするものでもない。高価なものにも見えない。
そして、むしろ展示スペースの片隅に置かれた小さな絵。
みなさん、どうお感じになりますか? でも、
周囲の圧倒されるような色彩の繚乱のなかで、そのシンプルさが際立ち、やけに存在感があるんですよね。
わたしはこんなのが好きですよ。欲や飾りはないが、しっかり捉えている。
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それに、絵画部企画展示コーナーにもう一点、「食物マンション」と題する作。
こちらは、全国7ブロックから推薦された40歳以下の有望な若手作家たちの作品を集めた一角。
中国・四国ブロックから5名が推薦されていて、そのうちの一人が山本大也さん。
鋲(くぎ)の一本一本にまでリアリティがあります。
いけないと知りつつも、つい指先で触ってしまいました。
なぜなのか、空っぽの木箱の棚、まっ黒な空間が多いことに、不安なものを感じたり…。
満たされているようで、じつはちっとも満たされていない精神風景。
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こちら、恥ずかしながら、それぞれの作品を的確に評価できるほどの素養は持ち合わせないので
申し訳ないですが、山本さんには、その夢をずうっと見失うことなく追いつづけてくれることを願うのみです。
〔2013.05.02〕≪関連記事、facebook≫
✦だれでも、はじめは子どもだった 3 02月20日 (水)
――心で見なくちゃ、ものごとはよく見えない。
――かんじんなことは、いつだって目に見えないんだ。
もう6~7年も前になるだろうか、中学校の教室の数か所で
そんなことを生徒たちに語ったことを憶えている。
ご存知、「星の王子さま」から借りたメッセージである。
この作品を素材にした読書トークの機会を何度か与えられた。
サン=テグジュペリの研究家でもないわたしが、
中学生を対象とする読書指導の場や地域の読書会で
これを語るのは、ちょっとばかしヘンテコだったろう。

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王子さまの小さな星B612 気ぐらいの高いバラ一輪も


わたしが大学生活を送った時代は、フランス実存主義文学が
もっとも盛んに読まれた時代で、サルトル、カミュ、カフカ、
ボーヴォワール、メルロ・ポンティ……、なかんづく
行動派実存主義の旗手としてのアンドレ・マルローや
サン=テグジュペリはずいぶんよく読んだ。
「南方郵便機」「夜間飛行」「人間の土地」「戦う操縦士」「城砦」…。
古書店で手に入るものはだいたい読んだように思う。
ところが「星の王子さま」に出会ったのは、それよりずっとずう~っとあと、
40歳代の半ば近くになってからだったかも知れない。
子どもの読み物としては難解だし、かといって、これはおとなの読み物?
しかし、言うに言えない高雅な香りのようなものがある。
以来、何度となくこれを読んでは、その都度、頭のなかをくしゃくしゃにした。
ほんとうのところ、多くのひとに語るほどには
この作品を理解しているわけではないのである。
ほんとうのものは、心で見なけりゃわからない――、
その暗喩のなかにわたし自身がいた。
もちろん、わたしは作者のサン=テグジュペリに会ったことはない、
飛行機を操縦した経験もない、不時着したアルジェリアの砂漠も知らない。
箱根にできたという「星の王子さまミュージアム」にさえ
行ったことがない。そんな客寄せの卑俗なものを見たら、
わたしのなかの「星の王子さま」のイメージが損なわれるような気さえして。

king
六つの星めぐりより、王様の星。虚栄心、権力欲、名誉欲のかたまり。

businessman
実業屋。金持ちになることのみに腐心し想像力を持たないおとな。

tentofu
点燈夫。忠実に仕事に打ち込むが、自分の発想力はない。


で、この2月中旬、機会があってその「星の王子さまミュージアム」に
行ってきたのである。別段、新しい発見があったわけではないが、
箱根特有のあの風の流れるなかでの、久々の王子との再会。
そう、おとなは、だれでも、はじめは子どもだった。
しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。
作品の冒頭にこう書かれているように、老いを忘れ、はじめの子どもになって
ひとときの再会を楽しんだ。
子どもの心でまわりを見ると、ヘンテコリンなおとなたちの猖獗が
目路いっぱいに広がる。
実力もないくせに威張り散らし権力を振り回すおとな。
お金儲けに翻弄され他のことは見えないおとな。
自分に対する褒めことばしか耳に入れようとしないおとな。
チクリ、チクリとわが身を刺す、「かんじんな」言葉を懐かしみながら、
ゆっくり、こころをしずめてものごとを見る、ものごとを考える、
つい忘れがちなそんなことを思い出したひととき。

well
ヘビに咬まれ、残してきた“バラ”のもと、自分の星へ帰る、この地球には何も残さず。
✦時の止まった美の空間 3 01月26日 ()
時の止まった美の空間

今晩(1月26日)から連続3回放送されるNHKドラマ「メイドイン・ジャパン」が始まる。
どういうシーンかは知らないが、熱海の「起雲閣」が撮影に使われているという。
その「起雲閣」へ1月24日に訪れたばかりなので、ちょっとご報告まで。


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ここは、避寒地として富豪たちが贅沢な別荘を建てたところ。
岩崎(三菱財閥)と住友の別荘とならんで「熱海三大別荘」のひとつとされる名邸。
岩崎も住友もいまは取り壊されたり非公開だったりしていて、残るはこれひとつ。
海運王と呼ばれた内田信也により大正8(1919)につくられ、
鉄道王であり茶人でもあった根津嘉一郎によってさらに整えられ、
ずうっとくだって昭和22(1947)年より実業家・衆院議員の桜井兵五郎によって旅館として開業した。
3人の富豪が残した歴史的・文化的遺産として、
平成12(2000)年からは市の有形文化財として熱海市が保存管理している。貴重な建物である。
高級旅館「起雲閣」の時代に、名だたる時代の文豪たちがこぞってここに投宿し
執筆したり文学討論の会場として利用したりしている。
「金色夜叉」の尾崎紅葉はいうまでもなく、坪内逍遥、山本有三、志賀直哉、谷崎潤一郎、
舟橋聖一、太宰治、武田泰淳、杉本苑子、池田満寿夫。
三島由紀夫は新婚旅行にここに来ている。
自然豊かな静けさ、気品と格調の高さ、大正ロマンの香りいっぱいの雰囲気…。
なるほど、ここならいい作品が書けるかも知れない。
どの部屋からも1千坪の池泉回遊式庭園の季節の彩りの美しさを堪能できる。


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和館〔麒麟・大鳳の間〕
床柱がない空間である。すばらしい書のほか、とりわけ目立つのは群青色の壁面。
海運王・内田信也は石川・金澤の出身で、この色は加賀百万石・前田家のシンボル・カラーという。
もとはラピスラズリで塗られていたそうだが、それはいまは高価で手に入らないので別の塗料による。
大正ガラスの窓からは微妙に屈折した柔らかな光が入り、
何とも形容しがたいゆかしい雰囲気がある。
本因坊戦がここで何度か繰り返されているほか、
この2階の「大鳳の間」は太宰治がことのほか愛用した部屋とか。


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洋館〔玉渓の間〕
おそらく「メイドイン・ジャパン」の撮影に使われたのはここではないかと想像するのだが、
中世英国のチューダー様式を採り入れた山荘風のつくり。
使われている木材のすべては、鉋(かんな)がけではなく手斧(ちょうな)で荒っぽく削られたもの。
暖炉は中世英国にあっては、日本でいう床の間のようなもの。
神の宿るところであり、特別に大事にされた。龍の頭のように見えるが、
これが火の神さまだという。窓は滑車で上下に開け閉めできる。

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あとは省略。
✦にらめっこしましょ! 01月17日 (木)
たくさんのダルマさんに会ってきました。
にらめっこしたけど、とても勝てる相手じゃないことは
そう、最初からわかっていましたけど。
渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで開催中の「白隠展」。
気になっていながらなかなか時間がとれず、きょう、やっと行けました。

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白隠という禅僧は生涯に1万点あまりの書画を残しています。
そのうち達磨禅師を画題にした作が300点あまり。
よほどこの宗祖が気にいり、傾倒していたのでしょうか。
ツラガマエが自身に似ていた、という伝説もあるようです。
眼光するどいですが、やぶにらみだったり、反っ歯だったりして
どうもあまりイケメンじゃないようでして…。
ほとんどはタテ2メートルを超す大作で、度肝を抜く迫力があります。
ぶっ太い線にその気魄がみなぎっています。
達磨の絵に限らず、その他のたくさんの書画が見られました。
釈迦、仏陀、観音、地蔵、また維摩居士、大燈国師などの始祖、先師や、
布袋、お多福、大黒天、恵比寿、鐘旭、弁財天、福禄寿、寿老人
など民間信仰で親しまれている神々。そして
富士大名行列、すたすた坊主、びゃっこらさ、毛鎗奴立小便など
ユーモアと皮肉、またきつい権力批判のたっぷり込められた民衆画。
パロディ性が強く、マンガチックと言ったら叱られるでしょうか。
いろいろ楽しめました。

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これら白隠の書画の世界にふれて思うことのひとつは、
むずかしいことをむずかしいことばで表現することの拙さ。
むずかしい教説や難解な宗教的な哲理を、だれにも、
子どもにも、教養のないひとにも、すぐわかる、しっかりわかる、
笑いながら、楽しみながら体得できるようなメッセージにして
届けられる、そんな表現力が大事なんだ、ということ。
それがほんとうのひとの「ちから」なのでしょう。
生類すべて、「生きて伝える」よう生まれついているのですから。
たいしたことでもないのに、大げさに、もったいぶって、飾りたて、
しかつめらしく気取って、勢いのままに書く、そんな人がたまにいます。
わたしもその一人かも知れません。自信のなさを露呈するものですね。
現職にあった、いちばん当初のころ、自我自尊よろしく
書きたいように書きまくっていました。で、
いまは亡きたいそう優れた上司に、こう諌められました、
――きみなあ、きみの文章は熱すぎるよ。熱くって息が詰まるよ。
今後は「火」偏の字を使うの、ぜったい禁止だ。
炎、灼、焔、煙、燃、焼、燼、煽…。なるほど、確かに激しい、熱い。
若気のいたり、生意気で怖いもの知らず、反抗心旺盛なわたしは、
――そうですか、それならこれからは「光」偏でいきますのでよろしく。
光、輝、耀…(ほかにはあまり思い当たらない)
大笑いに終わりましたが、その後は自分を抑えて書くように、
それなりに意識するようになりました。大事な教えだったのですね。
こちらの感情を相手におしつけないで、平明に、自分を抑えて、
子どもにもよくわかるやさしいことばで書く、
それができたらホンモノなんでしょうね。

(付)白隠のほかの作品を「facebook〔がの〕」で紹介しています。
✦湧き水の清冽さ、若々しさで 01月06日 ()
友人のお母さんを八王子のご自宅にうかがい見舞ったとき、
ぜひ持っていってくれ、と云って渡されたちぎり絵。
20点ほどあります。
88歳、米寿を迎えた病気療養中のご婦人T.G.さん。
若いころから俳句はぼちぼちやっておられましたが、
俳句をちぎり絵とコラボして表現するようになったのは、
70歳の半ばすぎから。

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いかがでしょうか、この衰えを知らぬ新鮮な感覚。
木守り柿のような枯淡さと孤独のなか、
この若竹のようなみずみずしい、勁い感性をもっておられます。
いえ、俳人ではありません。画家でも書家でもありません。
ご主人をまだ若いころに喪って、3人の子どもをかかえて
さまざまなご苦労を舐め尽くしてこられた方。
いまはベッドに臥す身で無理ですが、1年ほど前までは、ボランティアで
老人介護施設の入所者さんたちにちぎり絵と書を教えておられました。
ちぎり絵や書もさることながら、慎ましい、清麗なその生き方、
自律的なその生き方が、施設で老いのときを養う人びとの多くに
鮮やかな印象と生きる喜び、表現する喜びをもたらしました。
「老いてもうだめ」「すぎてしまったこと」「生きるのに疲れた」なんて、
この人の前ではうかつに口にできませんよ。


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✦ひとの顔のシワに刻まれた生の尊厳 12月07日 (金)
日展(第44回)を観て来た。12月6日、国立新美術館にて。
このような公募展の常として、おびただしい数の作品と出会うことになる。
ちゃんと観ようと思ったら、疲れてしまい、酔うどころか痲痺しそうにさえなる。
わたしの体力衰退にもよるが、
ああ、もう、どうでもいいや、という気分に。
みなさんはいかがでしょうか、そんなことありませんか。
さて、そんなときのための、わたしなりの秘策があります、
……なんてほどの大仰なことではないのですが。
今回、入選してここに展示された作品の総数は3,143点とか。
日本画、洋画、美術工芸、彫刻、書の五部門にわたる美の競演。
ひとはふつう、美術家ならずとも、ありったけの愛情をこめて
美しいものを美しく描く。可愛いものを可愛いらしく描く、
それぞれの手法や素材はちがっても。
当然ながら今回も、目が眩みそうなほどそういう作品がそろった。
が、わたしの足はそういう作品の前はサッと過ぎて、
わたしなりのテーマを求めて動きます。今回のテーマ、というか
ポイントにしたのは、若いこれからを嘱望される画家たちが
人間の老いをどう描くか、という一点。
戦争もあったろう、地震、津波、水害の破壊にも耐えてきたろう、
近親の死の哀しみに何度も出会ってきたろう。
幾多の苦難を乗り越えてこの日まで頑張って働き、ごまかしなく生きてきた
人間のシワ、いやいや、生がもつそれぞれの尊厳を
若い感性がどう捉え、どう表現してくれるか、という一点。
ただ、それはわたしのごく恣意的な興味、ごく手前勝手な嗜好にすぎず、
そういう作品はきわめて少ない。当たり前ですね。
この場はやはり、湧き立つような美の祝祭のただなかにあり、
シワのもつ尊厳なんて、振り向きもされない。
目立つことなく、もちろん「特選」とか「奨励賞」とかの金札が
貼られようはずもない。
ま、でもいいじゃないですか、生きることの尊さを「美しさ」と比べても
ラチないこと。そう、稀れとはいえ、老いたもののシワを
愛情こめて描き、造形した感性も、まんざら無かったわけじゃないし…。
それに、今回老いのさまを描いた作家たちはそんなつもりで表現したわけではない、
わたしのようなものがいることを意識して描いたわけではない、かもしれないし。
主催者の許可を得ておりますので、何点かご紹介いたします。
大きく表現されているものを小さな画像にしてしまっているので、
その迫真力も雄勁さも消えてしまっていますが。


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✦「竹取物語」異聞 富士山の仙女だったかぐや姫 11月30日 (金)
「竹取物語」異聞

秘湯をめぐる気まぐれ旅。この季節の雄渾なる富士のすがたを見たい、という思いもあった。
新幹線で新富士へ。改札口を出ると目の前にすぐ、かぐや姫の絵が大きなパネルになっています。
それはこれまでにも知っていたが、それ以上には思いが動かなかった。
それよりも、富士市の富士川を隔てて見る富士、さらに北上して
富士宮市あたりから見る富士の圧倒的な美しさへの憧れのほうが強くって…。

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新富士駅構内にて

日本最古の物語「竹取物語」のルーツはここだ、という地はほかにもいくつかありますが、
もしかすると意外な出会いがここで得られるかも知れない、どうせ急ぐ旅ではないし、
と駅でもらった観光案内マップをたよりに車でまわってみることに。催しもの案内では、
富士市立博物館で「富士市にまつわる物語絵」という企画展が開催されているともいう。
これはちょっとあやしいぞ、という嗅覚を生かして動きを開始。
まずは、比奈の「竹採公園」へ。この地に伝わる独特の物語にふれることができました。

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竹採公園の前庭・入口
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キンメイモウソウチク叢林

比奈の篭畑で竹篭をつくっていたおじいさんとおばあさんのもとで美しく育ったかぐや姫。
その評判を聞いた国司は何度も何度もチャレンジしてついに姫をゲット、
数年は幸せにともに暮らしていました。
あるとき、富士山にかかる月をあおぎながら姫は泣き泣き国司に告げます、富士山に帰りたい、と。
月世界ではなく富士山に帰りたいという。もちろん国司は許すわけがありません。
それでも姫の決意は固く、文と不老不死の薬の入った箱を残して富士山に去ってしまいます。
結末はこうです。哀しみのなかの国司は、姫のあとを追って富士山の頂上に登ります。
そこには大池があり、池に面して壮麗な宮殿がありました。そこで再会した姫のすがたは、
もはや人間ではなく、この世のものならぬ天女だった、と。
国司はそれを見てどうしたか。姫の残していった箱を抱えて池に入水して死んだ、と伝えています。

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国司の庭
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竹採塚

さらに興味深いのは、この地こそが赫夜姫(かくやひめ)誕生の聖地だと断定しているのが、
臨済宗中興の祖と仰がれる白隠禅師だという。
その著作の「荊叢毒菜」という書の中の「無量寿禅寺草創記」という部分で、
その「竹採物語」について詳しく触れていて、それが動かぬ根拠とか。
この公園の一角には白隠禅師の墓、卵型の無縫塔が見られました。
いかにも神授に恵まれそうなキンメイモウソウチクに囲まれ、
翁の亡くなった跡とされる「竹採塚」や、
姫が振り返り振り返り去って行ったとされる「みかえり坂」、
また「国司の庭」などなどが案内されています。


月から来て月に帰っていったかぐや姫と違って、
じつは富士山の仙女だった、とするこの地の説話。
地図を見れば、この物語に因んだ地名がいくつも残っていて、ちょっぴり古代ロマンの旅の気分に。
それに「見返り坂」はここからかなり離れたところにもあり、
道がよくわからなかったので行くのを断念し、つぎに立ち寄ったのが博物館。
「富士市にまつわる物語」との企画で、
「竹取物語」「伊勢物語」「平家物語」「曽我物語」を描いた作品がたくさん展示され、
浮世絵を通じて郷土を改めて知ろう、というもの。
「竹取物語」については5点ほど。歌川広重のものもありましたが、
ここでは尾形月耕の画「浮世十二ケ月 竹取物語六月」をご紹介します。
museum

尾形月耕画「浮世十二ケ月 竹取物語六月」
✦酒は食べるもの…?<狂言鑑賞> 3 10月18日 (木)
一年ぶりに狂言を観てきた。
「素袍落(すほうおとし)」「棒縛(ぼうしばり)」「福の神」の、大蔵流狂言三番。
さきごろ人間国宝とされた山本東次郎さんがこのうち二番に出演、
その重厚な、いや軽妙な演技で堪能させてくれた。
「棒縛」は、あまりにも有名で説明の余地はなく、
わたしも少なくとも4回は観ている。
しかし、「素袍落」は初めてで、伊勢参宮がテーマ。
詳しくは触れないが、意図してか偶然か、三番とも
お酒にまつわる庶民的な悲喜劇、いや、愚かしげな心理劇。
じつにしたたかに、楽しげにお酒を飲むものだ。
アルコールがさっぱりダメなわたしではあるが、
心底から笑えた午後のひとときだった。
今回初めて知ったこと。能狂言の発した室町時代には
大盃で酒を飲むとき、「酒を食(た)ぶ」という云い方をしていたようだ。
身分高いひとはやはり御酒(おみき)を「飲む」とも云っているようだが、
お酒をちびり、ちびりでなく、大盃で浴びるように飲むのは
やはり「食べる」のほうがふさわしいかもしれない。
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