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〔がの〕さんの閑粒子日記
〔がの〕さんの閑粒子日記 [全205件] 11件~20件 表示 << 前の10件 | 次の10件 >>
笑っておさめよ 11月26日 (木)
久しぶりの狂言鑑賞。
「粟田口」「神鳴」「文山立」、
あいだに語りの「重衡」(しげひら)をはさんでの大蔵流狂言三番。
狂言はいろいろな機会にけっこう多く見てきたつもりですが、
「神鳴(かみなり)」も「文山立(ふみやまだち)」も、これが初めて。
やはり、おもしろかったです。

kyogen
「文山立」の一場面 シテ・山本則俊、アド・山本則秀


わたしの感じる狂言のおもしろさ、その特質、魅力については
この「ひろば@」でも何度か書いた記憶がありますが、
加えて、今回、日本固有のこの古典芸能はちっとも古くなく、
まさに「今」を語っていることに気づきましたので、
「文山立」にそって、その一点を。

登場するのは二人の山立。
和泉流のほうではこの曲を「文山賊」としているように、
山立とは、追剥(おいはぎ)、山賊のこと。
「やれやれ」といわれてアドは旅人を逃がしてやる。
ところがシテとしては、とっつかまえろ、といったはずだ、
見逃せとは言ってない、と。すれちがう言語遊戯ですかね。
仕事をし損じた二人の山賊は、こんな相棒といっしょにはやっていけない、と
口論になり、とっ組み合いのケンカになり、命をかけた果し合いになる。
さんざん争った末、揚げ句には、どっちも疲れてしばし休戦。
このさき、争ってどちらかが死ぬについては、
この事情を妻子に書き置きしておく必要がある、と合意、遺書を残すことに。
あれこれ書き留めているうち、あとに残す女房や子どものことが思い出され、
おいおい泣き出してしまう。
そして、互いにちょっと我慢すれば済むことだ、と、すべてを水に流し、
笑って和解し、連れ立って帰って行く、といった筋立て。
旅人を襲って平気で殺し、物を奪う悪行をなりわいとするあらくれものが
自分の命を惜しむというギャップのおかしさ、家族を思うやさしさ。

さて、現実のわたしたちの世界はどうなっているか。
宗教問題から、人種問題から、ハチの巣をつついたような混乱状態にある中近東やアフリカ諸国。
テロが空爆を呼び、空爆がテロを呼ぶ、報復の負の連鎖が繰り返される
過激集団ISと有志連合(日本を含む)のあいだの殺戮行為。
トルコとロシアのあいだもこじれている。
核や拉致の問題を抱える北朝鮮、露骨な海洋進出をはかる中国、
歴史問題のわだちからぬけない韓国と日本の関係、いや、
沖縄住民と現政権のあいだの基地移転問題をめぐる対立、……などなど。
混迷はつづき、深まるばかり、どこに解決の糸口があるのかわからない。

不和・対立・無理解・誤解を、最後にはおおらかに笑いのめして
互いに和解しあう、そんな狂言の世界。
笑いごとじゃすまないよ、とはわかっているけれど、ここは、
わたしたちは謙虚に、冷静に、いや、もっと質朴に
ひとのまことに立ち返って、そこに学ぶ道がありはしないか。
水、飲んでいますか? 07月09日 (木)
水、飲んでいますか?

shmane

「あったりめぇだろ、ばか。夏の水分補給はビールでよ」
……すみません。もちろん、言われるまでもなく、水、飲んでますよね。
で、1日にどれくらい飲んでいますか?
汗をかく夏には、とりわけ水分補給が欠かせません。
その点、水に恵まれた日本、あなたもわたしもいいところに生まれたものです。
世界じゅう、なかなかないですよ、こんなところは。
このごろでは、人びとの健康志向にのって、
さまざまなところでウォーターサーバーが置かれ、
清潔で安全な冷たい水を飲むことができますね、
病院や薬局の待合室、介護施設などでは常識。これ、いいですよね。
一般家庭でもこのごろは多く宅配で受け、置いているとか。

water

このたび、山梨・山中湖村でミネラル天然水をつくっている工場を見学、
併せて水についていろいろ勉強しました。
ここでは、富士山北麓の限られたところで採れる
ミネラル豊富な天然の恵み、バナジウム水を全国に供給しています。
血液を元気にするとして、いま世界が注目しているバナジウム水。
飲むだけで血糖値を下げ、コレステロール値を下げ、中性脂肪値を下げ、
体内の毒素を外に出す、として成人病予防、
それと、美容にとってもありがたい福音として。

日ごろからこまめに水を飲むことが大切と言われ、
そのことはだれもがよく知っています。
そもそも、肥満の人も痩せた人も、人のからだの60%は水分、
赤ちゃんの場合などは76%が水分でできているそうですね。
そうかぁ、わたしの45㎏近くは水なのかぁ。
まるで「水ぶくろ」というわけだ。
この水分を失うと大変なことになります。
5%失うと脱水症、熱中症になります。
10パーセント失ったら、筋肉が痙攣したり循環不全がおこります。
20%失ったら、The End、もう一巻の終わりですね。
さて、わたしたちがごくふつうに生活しているだけで、
1日に約2.5リットルの水分が失われています。ですから
この分をどうしても補う必要があります。
食事で摂る分などを除いて、
1.2リットルの飲み水を飲む習慣をつけないといけないようですよ。
ビールを飲んでいるからいいや、…いえいえ、あなた、
それ、だめ、とんでもない間違い。
アルコールやコーヒーなどカフェインを含む飲み物には利尿作用があり、
尿として多く排出していまいます。
ですから、むしろその分、余計に水分が必要です。
スポーツをしたあとにも多めの水分補給を。
理想的には1日に1,800ccの水を摂るようにしたい、と。

それにしても、水を買って飲むようになったのは、いつからでしたっけ?
わたしたちの子どものころには、そんなこと考えられませんでしたけどね。

shiretoko
北村西望、恒久平和への祈り 2 06月28日 ()
北村西望、恒久平和への祈り

銅像というとき、何を想い浮かべるでしょうか。
上野の西郷さん。…なるほど。だれもがよく知り、広く親しまれていますね。
長崎の平和祈念像は、どうでしょうか。

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毎年、8月9日の原爆犠牲者慰霊の祈念式典の折には
必ず目にする、あの青銅製の像。
日本にあってはもっともよく知られる像のひとつでしょう。
天に向けてグイッと伸ばした右手は原爆の非道な脅威をあらわし、
横に水平に広げた左手は恒久平和への切なる願いをあらわす、といいます。
軽く閉じられた目からは、原爆で犠牲になったたくさんの人びとに対する
冥福を祈る厳粛な思いが伝わってきます。
力強いですね。雄渾ですね。
これは、わが国の代表的な彫刻家・北村西望さんの作です。
亡くなって30年ほどになるでしょうか。
わたし自身は、残念ながら、じかにこの像を見たことはありません、
長崎に行った経験もありませんので。
ですが、この原型となった石膏像が、意外に卑近なところにあるんです。
ご存知でしたか。東京・武蔵野市の井之頭公園の、
井之頭文化園の彫刻館で見られます。
太宰治や山本有三らをめぐる文学散歩で会員たちを案内し、
帰りにいつも立ち寄ったところ。十数年も前のことですが。
とにかく、銀色に塗られたその像の大きさ、神秘さ、力感、
ド迫力に、総毛立つとはこのことでしょうか、
胸がつまり、呼吸が止まりそうになった経験があります。
長崎県の島原を生まれ故郷とする彫刻家が、
私財のすべてを投げ出してここにアトリエをつくり、
原爆犠牲者の鎮魂と世界の恒久平和への祈りを込め、
4年の歳月をかけて制作したのが、この像。
完成は72歳のときだったといいます。
この彫刻館には、この平和祈念像のほかにも250点ほどの作品が
展示されていますので、機会がありましたら、
ぜひ一度お運びになりませんか。

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じつは、その西望さんの作品を、まったく思いがけぬところで
目にしました。6月末、誕生日を記念しての小さな旅でのこと。
長野の中腹部の高原を横に裂いて走るビーナスライン、
これまで何度も通りながら見過ごしてきた蓼科湖のほとりの
「蓼科高原芸術の森彫刻公園」。深い緑を背に、前面には
初夏の光を反射させている湖をおく野外美術館。(無料ですよ)
西望さんの作品を中心に70点ほどが展示されています。
テーマは、長崎の平和祈念像につながっています。
そのうちのいくつかをご紹介しましょう。

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馬上に横すわりして喜びをいっぱいに見せる自由の女神、
それに天女や月の精。繊病質な美しさとはウラハラの
おおらかな健康さにあふれています。躍動的ですね。
奔放ともいえそうなほど、開放された自由を謳う女神たちに
人類のあまねき平和と自由への、万感の思いを託しての作。
その熱い祈りに、わたしはひととき、
高原にわたる清涼な風のなか、神聖な思いへ導かれました。

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「青」の世界にうずもれて 05月21日 (木)
「青」の世界にうずもれて

「青」といったら、あなたは何を想い浮かべるでしょうか。
海の青、空の青…。ノーベル物理学賞の受賞に導いた青色発光ダイオード。
悲しみと苦悩の色としてのピカソの青の時代。
そうなんです、絵画の表現において「青」がどれほど肝心なものだったか、
その魅力を浮世絵の名品を手がかりに探求する展覧会が
三島市の佐野美術館で開かれています。
ちょっとユニークな視点からのアプローチですね。
誰もがよく知る葛飾北斎の傑作「富嶽三十六景 神奈川沖裏」、
独特の波、揉まれる小舟、その向こうに富士山。印象的です。
40版、50版も刷りを重ねて出す、恐ろしいほどにダイナミックに生動する波の青さ。
一度見たら忘れられない形と「青」ですね。

hokusai

あれは、ベルリンブルーといって、ドイツで生まれた合成顔料によるものだそうです。
18世紀後半になって日本に入ってきて、
北斎と、それ以降の伊藤若冲とか平賀源内らによって生かされ、広がったといいます。
それ以前の青は、墨摺絵に始まり、鈴木春信の美人画などに見られる露草青、
写楽の役者絵に使われた藍でした。
これらはいずれも植物性の染料で、すぐに色が褪せたり、水に滲みやすかったりで
絵師泣かせ、なかなか使いにくかったようです。
その点、別名「ベロ」とも呼ばれるベルリンブルーは、鮮明な色を保つだけでなく、
その濃淡で遠近感、立体感を効果的に表現でき、
浮世絵の隆盛をもたらしたということらしい。
並べて見ても、北斎の「青」は絵をだんぜん際立たせていますね。


「青」を契機に色彩表現の足跡をたどったあとは、緑したたる箱根路へ。
そしてそこで出会ったのが、ふたたび「青」。
小涌谷の岡田美術館で目にした陶磁器、景徳鎮の名品たち。
じつに印象深い「青」で、この方面にはまったく疎いわたしでさえ、
目をそらすこともならない感動を覚えました。
ほかにもこの広い2階の展示室には中国の古代、清朝や
朝鮮の高麗、李朝の逸品もたくさん見られました。
この美術館を訪れるのは、多くの場合、これではなく、
最近奇跡的に発見されて話題の喜多川歌麿の「深川の雪」を見たいとする人たち。
この幻の大傑作のおかれた3階展示場の画面の前には珍しくたくさんの人だかりが。
料理茶屋に集う女性たちの雅やかな姿をとらえた歌麿の晩年の作。
これについて書きはじめると長くなるので…。

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さて、「青」を極めるといえば、これ、でしょう! 
箱根湿生花園では、「青いケシ展」を開催中。
神秘的な幻の花、青いケシ(ブルーポピー)1,000株を集めての圧倒的な展示。
もう、見事! というしかない「青」の美しさ。
気高い天上の妖精はヒマラヤの透き通った風に磨かれてひっそりと咲き、
どんなことばでもとどかない、美しい「青」を見せてくれます。
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青に始まって青に終わった小さな旅。
緑の濃淡の織り成す箱根の、英気みなぎる季節。
箱根山、大涌谷の噴火は、まるでよそごとのようで、
ただ色彩に酔い、季節に酔い、湯の香りに酔い…。
✦「トロッコ」と “人を想う”美しさ 11月20日 (木)
「人を想う」名人といわれる俳優・高倉健さんが、遠い冬の星になったと報じられたその翌日、
わたしは「トロッコ」というすばらしい映画に出会いました。

芥川龍之介の「トロッコ」という名品を覚えておいででしょうか。
小学校だったか中学校だったか、国語の教科書で読んでおられる方が多いでしょうか。
文庫本にしてわずか8ページの小品ながら、
なぜか印象に鮮明に刻まれている作品。
あれを下敷きにした映画といいます。大好きな芥川作品が
今日的な感覚でどんなふうに映像化されるのか、興味しんしんでした。

ざっと原作のストーリィを振り返りますと、主人公は8歳、
小田原と熱海のあいだをつなぐ軽便鉄道の敷設工事を日ごろ目にして、
土を積んで山を下るトロッコに惹かれ、
裾を翻してその運搬作業にあたる土工たちの袢天すがたに憧れます。
ある日、許されて土工たちのあいだに挟まってトロッコを押すことに。
ミカン畑のあいだを登りつめ、つぎに線路が下りになると、
台車に飛び乗って勢いよく滑り降ります。
その快感にすっかり夢中になっていましたが、やがて
ずいぶん遠くまで来てしまった、そろそろ引き返さねば、と気づきます。
行き着いた先で泊まりになる土工たちとは別に、
もと来た道を線路づたいにひとりきりで帰らなければならない仕儀に。
急がなければ日が暮れ、真っ暗になる。あの長い長い山の道。
「命さえ助かれば」の恐怖と不安のなか、
あえぎあえぎ、必死に駆けつづける少年。
疲れきってやっと帰りつき、母のふところに抱かれた瞬間、少年は
わっと、堰を切ったように泣き出す、といったストーリィでしたね。

torokko


さて、映画のほう。川口浩史という新進気鋭の監督・脚本、
平成21年にJ&Kエンタテイメントによって製作されたもの。
舞台は台湾。
わたしは台湾には疎く、知らないのですが、歌蓮という美しい名をもち、
日本の原風景を想わせる緑ゆたかな山林や田園に包まれたところ。
日本統治時代の名残りを止める長屋住宅も見られ、
老人たちには日本語を話す人びとも少なくありません。
その地へ、母親とふたりの男の子が、父の遺骨を抱いて帰ります。
亡くなった父は台湾の人、母・夕美子(尾野真千子)は日本人。
ともに東京で新聞記者をしていました。
父祖の地に足を踏み入れるのは、この日本人親子にとっては初めて。
台湾の風土に馴染むには、ぶつかることも多く、時間がかかりますが、
しだいにそこの家族と、地域の人びとやそこの子どもたちと
親しみあうようになります。
そのこころの風景が、美しい自然のなかでデリケートに描かれていきます。
台湾にはいまでもトロッコがあちこちで見られるとか。
幼い兄弟が、ハッと遠くまで来すぎたことに気づいてトロッコを棄て、
泣きながら、それでもいたわり合い励ましあいながら帰っていく、
そこの山林地帯の美しさは、険しくもまたじつに秀逸! 
家族の絆の尊さ、「人を想う」ことの美しさを、
川井郁子さんのヴァイオリンも加えて巧みに表現している名編でした。
✦だれに手向けよう、いちばんザクラ! 01月31日 (金)
西伊豆・戸田(へた)の宝福寺で思いがけず目にしたサクラ。
伊豆のサクラと言えば、他に先がけて咲く河津ざくらが
よく知られていますね。
この戸田ざくらは、例年、それよりも
半月ほど早く開花のときを迎えます。
この画像は1月28日に撮ったもの。

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サクラ サク! さて、このめでたい花をだれに手向けましょうか。
入学の決まったひと、このあと合格通知の届くのを待つひと、
その受験生とともにこの一年、胸を痛めてきたひとたちに……。


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✦人間賛歌、光の賛歌――印象派展 2 11月30日 ()
驚異と感動に満ちた美術展に出会いました。
八王子の東京富士美術館で開催中の「光の賛歌 印象派展」。

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ルノワールの名作「ブージヴァルのダンス」を
新聞の広告でご覧になった方が多いでしょうか。
わたしにとっては、はじめて訪れた、開館30周年を迎える美術館でした。
世界9か国、43の美術館の協力を得て、徹底的に集められた作品群。
最大規模の印象派展ではないでしょうか。
ルノワールやモネ、マネ、セザンヌはもちろんのこと、
シスレー、ピサロ、ターナー、コロー、ブータン、クールベ
といった19世紀作家たちの作品を、これほどたくさんまとめて
見ることができたのは、奇跡というに近い幸運でした。
エッ、ルノワールは、モネは、こんな作品も描いていたの!?
といった驚きと発見も。
日本では初公開というカミーユ・ピサロの「小川で足を洗う女」なんて、
おおォ、という驚きと、どきどきするような清麗さに、目を見張ります。
どれにも印象派画家たちの旺盛な生命力のほとばしりを見ることができ、
これはまさに、地球に生きていること、人間であることの誇りであり、
かけがえのない宝もの、光の賛歌であり、
ああ、人間に生まれてよかったとしみじみ思う人間の賛歌ですね。
もしあなたがフランスへ旅したことがおありなら、
パリとセーヌ河畔、パリ郊外のブージヴァル、アルジャントゥイュ、
またノルマンディ海岸といった風景を映す絵に、
懐かしい思い出を呼び覚まされることでしょうか。

じつは、ごく密かなわたしだけの期待がありました。
わたしのこの「ひろば@」の「アート回廊=2」で
ちょっとご紹介したことのあるマネの「モリゾの肖像」の
モデルになった、コローやマネに師事した美人画家ベルト・モリゾ自身の
作品も来ている、と聞き及んでいて、こころ躍るものがありました。
明るい色彩にあふれたその3点も、この機会に堪能でき、
晩秋の八王子でのひとときは、幸せでした。


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東京富士美術館1月5日まで。その後、福岡市博物館(1月15日~)、
京都文化博物館(3月11日~)にて。
✦若田・宇宙飛行士と手漉き和紙の里でパッタリ! 2 11月21日 (木)
国際宇宙ステーション(ISS)で船長をつとめる若田光一さん。
ラボのみなさんには目の離せない関心のマトですね。
いまはソユーズ宇宙船からISSに移り、本格的なミッションに取り組んでいるはず。
この11月19日の報道によれば、日本実験棟から超小型衛星3基を
彼のお得意のロボットアームを駆使して宇宙空間に放出する作業に
成功したという。順調のようですね。

anakatomi

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さて、わたしの紅葉狩りと富士川・切り絵の森美術館を訪ねる小さな旅。
中央道の双葉JCTから中部横断道へ。増保IC(市川大門町)で降りて
R52(富士川街道―身延みち)を富士川に沿って南下、
身延町に入ってすぐ、「なかとみ和紙の里」に着く。
西澤和紙の名で有名な、
書道家にはその質の高さで垂涎のマトになっている手漉き和紙。
武田信玄の時代から400年余にわたり、この地の地場産業として
えんえんと続いてきたもので、現在も5軒の工房がその技を継承している。
そこの「なかとみ現代工芸美術館」で、さまざまな作品と
紙漉き体験もできるというので、ふらり立ち寄ってみた。
展示場への通路わきでふと目に留まったのが、この4点の書。
西澤和紙にしたためた宇宙からのメッセージ、というわけ。
いかがでしょうか。じょうずかどうかの判断は、どうぞみなさんの目で。
「夢」「思いやり」「探求心」…。彼らしいメッセージじゃないですか。
2009年10月23日という署名があり、
「国際宇宙ステーション「きぼう」の中で書いた書(実物)」との説明も。


つまらないことに拘るようで恐縮ですが、わたしはじつは
これにはちょっと疑問が…。2009年の彼の3度目の宇宙飛行は
2009年3月から7月にかけての4か月半、
日本人宇宙飛行士としては初めての長期宇宙滞在でしたが、
7月には無事地球に帰還しているわけで、
10月23日には「きぼう」には留まっていなかったはず。
でも、それはともかく、
「書」というひとつをとってさえ、いろいろな想像が湧きますね。
墨を硯でどうやって磨ったのだろうか(墨汁かな?)、
宙に浮いている水滴状の墨をどんなふうに捉えるのか、
用紙をどうやって、どこでおさえつけたのか、
墨と毛筆とは、重力のない宇宙空間でも馴染むのだろうか…などなど。

cnakatomi
なかとみ現代工芸美術館(山梨県南巨摩郡身延町西嶋)
✦上質な笑いで芸術の秋を 10月23日 (水)
午前の日本の古典芸能をめぐる講演会につづき、
午後からは、大蔵流狂言三番と語りを観た。
年一回、この季節におこなわれる狂言鑑賞会。
磨かれた芸、上質な笑い、様式を踏まえた古典的な、
カチッとしたことばのリズムに酔う、このひと日を楽しみにしている。
きょうの演目は、あまり演じられることのないものばかり。
狂言「音曲聟」(おんぎょくむこ)、「鱸庖丁」(すずきぼうちょう)、「呼声」(よびごえ)、
それに語りの「忠度」(ただのり)。
狂言の楽しみのひとつに、室町期以来の伝統的な日本の習俗にふれることがある。
最初の「音曲聟」は、「鶏聟」などでおなじみのバカ聟ばなし。
ここでは、三歩前に出て三歩引き下がる、など何事につけて「三」という数字が出てくる。
よくわからないが“三はりさし”とかも。
婚儀における「三三九度」の盃など、この「三」の様式に則るものか。
それなりに深い意味があろうかと知れる。で、“聟入り”とは、
いまの感覚でいうそれとは異なり、結婚後、聟さんが初めて嫁の実家を訪れ、
舅に挨拶する儀式。当時は嫁入りの儀式以上に重要な意味をもつものだったようだ。
この曲にあっても、舅が聟さんに会うのはこれが初めて、と語られている。
それには厳粛な細かい作法があったようだが、純朴で世間知のない若い聟は、
相当いい加減な教え手の、たちのわるいからかいに疑うことも知らず乗せられて、
途方もない振る舞いに及ぶ。しかし
狂言のおかしさであり、何とも言えぬあたたかさは、ここにある。
舅のほうも、世間知らずながら実直な聟どのに恥をかかせまいと、
その突拍子もない振る舞いに調子を合わせる(「相舞い」という。「曖昧」でもあろうか)。
そこですよね、狂言に特有の、ゆたかな、上質な笑いを生む根源は。

kyogen

鱸庖丁」では、甥の口から出まかせの言訳を見抜いている伯父が、
巧妙な口調子で逆に甥を言いくるめ、追い返すという話。ここでは、
魚(海のものなら鯛、川のものなら鯉)をさばく作法が語られる。
これなどは、南房総の千倉にある高家神社の、平安朝初期からの
伝統的な神事「庖丁式」が想起されて興味深い。「刺身」とは言わず
「打ち身」というのは、まな板にバチッと庖丁を打ち付けるからか。
(写真参照:左手の菜箸で魚を抑え、右手の庖丁で上からスパッと切る)

呼声」は抜参物のひとつ。 もうこのへんでだらだら書くのをやめますが、
内容は、至極、単純明快な曲。無断でどこぞへ雲隠れした太郎冠者を、
今は帰って来ていると知る主人と次郎冠者が、呼び出して責めようとする。
太郎冠者は居留守を使って逃れようとするが、ここで登場するのが
平家節、小唄節、踊り節といった、室町時代後期に庶民のあいだで流行っていた歌謡。
さすがの太郎冠者も、もうじっとしてはいられず、浮かれ出し、
ついに主人の前に飛び出して踊りまくる。もう、会場は大笑いとなる。

こんな芸術の秋はいかがでしょうか。
✦再会、文豪・芥川の鋭い感性  2 10月09日 (水)
芥川龍之介といったら、あなたはどんな作品を想い浮かべますか?
「羅生門」「藪の中」「地獄篇」といったあたりでしょうか。
それとも「鼻」「河童」「歯車」「侏儒の言葉」のような短篇作品でしょうか。
わたしのラボ現役時代、ライブラリー制作をあずかっていたころ、
さまざまな組織事情があり具体的に提起こそいたしませんでしたが、
いつもこころの底にあったのは、「蜘蛛の糸」や「蜜柑」というすぐれた好編でした。
「蜘蛛の糸」は、だれもがよくご存知の、人間のエゴイズムを
鋭くえぐりだした傑作。十年ほど前になるでしょうか、
鎌倉の光明寺へ行ったとき、ははぁ、このハス池がモデルだな
(芥川はこのごく近くに1年あまり住んでいたことがある)
と、一人合点したものでした。「地獄変」もここが舞台に違いない、と。
「蜜柑」のほうは、人間愛の話というか、貧しさのなかでひとり奉公に出る、
あまり見てくれのよくない姉娘と、その3人の弟たちとのあたたかい関係性。
その娘が車窓から身を乗り出して、ぱらりと弟たちにみかんを投げます。
陽のなかで鮮やかな色を輝かせて飛んでいく5~6個のみかん。
姉弟のきずなのあたたかさをその一発で表現した芥川の文学的感性に
感動を覚えたものでした。
イメージも動きもはっきりしている、これはテーマ活動にぴったりだ、
子どもたちに表現させてみたい、と。でも、…ね。
そのほか、田端の旧居跡、横浜・本牧の三渓園にも、
芥川の作品のおもかげがとどまっていますよね。

akutagawa

と、わが家近くのT学園のミュージアムで開催中(10月19日まで)の
「芥川龍之介」展をのぞいてきました。ここに展示されているものの過半は
神奈川近代文学館のもので、すでにわたしは数度見ているのですが、
なんか、これまでにない懐かしさと親しさを覚えました。
一般にも公開されていますが、もともとはこの学園の中学部、高等部の
生徒たちのために企画されたものと思われます。
高校生一グループといっしょの見学だったが、彼らには関心が薄いのか、
それとも“お勉強”という義務意識によるものなのか、
サッと見てすぎるだけでした。
いまの十代の子どもたちは、どんなふうにこの文豪の作品に、
その生き方に、出会うのだろうか。
繊細すぎる神経をもった彼の苦悩と、十数年にすぎないその作家人生とに。
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