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★読書、ブリューゲル、そして芸術に命を削る人が放つメッセージ 06月02日 (金)
 軽い読み物(読み捨てしてもよいようなもの)ばかりでなく、じっくり読むものも準備します。(BBS/ドロシーさん 06.02)

 ⇒軽い読み物も精神の健康上からは必要なのかもしれません。アミューズメントとしては。たとえば、先月末に読んだ群ようこの「無印OL」シリーズもの。こういうのはケラケラわらいながらアッという間に読めますね。もう一度読むことは金輪際ないとしても。最近の話題では『ダヴィンチ・コード』があり、上・中・下巻をアッという間に読んじゃった、と得意げにいう人を何人か知っています。たぶん、ほんとうに面白いのだろうと思います。しかし、もともとわたしはブームには無関心、むしろヘソを曲げて逆らうほうでして、そういう読み方をする人を羨ましいと思ったことはないのですが(手もと不如意ということもあって)、こういうのを聞くと、いよいよ自分で読む気を失くすんですね。なんだ、そんな軽いものなのか、一回読んだらポイして惜しくない程度の本なんだ、そんな本しか読まないなんて、もったいないな、時間の無駄じゃないか、と。
 小林秀雄という文藝評論家のことはご存知ですよね。わたしはこの人の著した『本居宣長』をいまだに読み終わらずにいます。もう5年以上になるでしょうか。そんなに大部なものではないのですが、数ページ読んでは中断、また読みかけては中断、その繰り返しのテイタラク。この先、読み終わるかどうかも自信ありません。芭蕉の「おくのほそ道」、ダンテの「神曲」もそう。しかし、それでもいいんじゃないか、と自分では納得しています。
 『本居宣長』は小林が20年余を費やして書いた大著です。小林はこれを書くに際して、宣長が愛した『源氏物語』を十数年もかけて徹底的に読み込んでいるんですね。また、この人の『ドストエフスキー』論があります。ドストエフスキーの人間をつかむために、小林は聖書を隅から隅までなんべんも読んでいます。そんなふうに、一人の書き手が長い時間をかけ、知力をしぼり、自分の命を削って取り組んで著した作品を、サッと通りいっぺんに読んで、読みましたと、人前でいいかっこをしようという浅はかさだけは避けたいと思うのです。

 じつは、野間宏の『暗い絵』を読んだ高校生のころからずうーっと、ブリューゲルの絵が気になっていました。フランドルの農民画家ブリューゲルの描いたいくつかの絵。「バベルの塔」「いざりたち」「盲人の比喩」といった、一度見たら不快なその呪縛から逃がれられないような印象の深い絵があります。思い出していただけるでしょうか。
 たとえば「謝肉祭と四旬節の戦い」、たとえば「農民の結婚式」、また「農民の踊り」や「気狂いフリート」に描かれたおびただしい人物。およそ非知性的で、愚かしげで、動物性むきだしの男と女の群れ。猥雑で、野蛮で、粗野で、放埓で、あつかましく、貪欲で、獣的で…。「反逆天使の墜落」や「ネーデルランドの諺」も、美しく豊かに心慰められるようなものではなく、悪意に満ち、目もまともに当てられないひどさで迫ります、見るものの胸をガリリとかじる、とでもいうか。

bruegel01
「盲人の比喩」盲人が盲人たちを導く時代状況を描く

 このすぐれた芸術家はなんでこんな醜い、歴史の出来損ないのような、不愉快な人物像を描くことにこだわったのか、そこがどうしてもわたしにはわからずにいました。それが、先日、映画監督の今村昌平氏が亡くなり、あの人のつくったいくつかの映画を思い起こしたとき、なんとなくわかって、そのことを小論文したばかり。人間を「欲望」の視点から映像にしたユニークな映画監督。わたしが最後に見たこの人の映画は「うなぎ」だったでしょうか。わたしはこの監督のものはあまり好きでなく、せいぜい3~4本、そんなに見ているわけではないのですが、その俗悪な欲情の深さとは別に、人間のリアリティにはむんむんと臭いたちものを感じていました。わたしの好き嫌いとは無関係に、きれいごとでは済まされない、自分の金儲けのためには人道なんぞ知るかは、どんな恥ずかしいことでもする、という欲にまみれたこの社会をそっくり映し出す芸術のひとつ。

bruegel02
「戸外の婚礼の踊り」見栄も慎みも捨てて踊り狂う村人たちの群像

 人間の優美さも愛らしさも魅力もカケラほどもないが、全身全霊をむき出しにして踊りさわぐブリューゲルの村人たちのその存在感にも、それと共通する痛烈なリアリティがあります。彼らは、神様がヘマを冒してつくってしまった人間たちだけれど、考えてみれば、いまのこの世界、地球を20回も吹っ飛ばすほどの力をもった破壊兵器と核物質の前に、わたしたちは晒され、隷属し、そこから抜け出ることはできずにいます。人間が人間らしいやさしさと思いやりをもって生きていることに意味を見出せなくなった時代。わたしたちはこの高度に組織化、技術化が推し進められる歴史の進歩をどこまで信じていいのか、わからなくなっています。小才を利かせた汗を知らぬものが「勝ち組」として幅をきかせる社会。騙すやつより騙されるやつがばかとされる社会。まじめに努力をすれば必ず報いられる、夢を抱きつづければ必ずいつかは叶うという神話が、ウソっぱちだということが明らかになった時代。理性をいい良識をいい道徳をいうことの虚しさ、それを言ったら首吊りにされる恐怖のなかで、人びとは非知性の日常に生き、踊り狂うしかないという皮肉。ホンモノの表現者による、表面的なお体裁では済まされないとする現実認識がこちらの胸に突き刺さります。ブリューゲルやボッシュが、衆愚の猥雑さを描きながら感じていたにちがいない孤絶感と悲しみの深さを思いました。
★絵は、小学館「世界美術全集7 ブリューゲル」(昭和53年6月刊)による。
◎転記スミ⇒「アート回廊=1」/ブリューゲルと「パパラギ」、エンデ「モモ」と「パパラギ」⇒「物語寸景(2-3)
◎◎…画像1点削除
Re:★読書、ブリューゲル、そして芸術に命を削る人が放つメッセージ(06月02日)
さちこさんさん (2006年06月03日 22時50分)

またまたガツンとくる日記、ありがとうございました。
家事をしているときやお風呂に入っているとき、
しばらくがのさんの今日の日記が頭を駆け巡ることでしょう。。。

以前はここで私も自分の思ったことをお伝えしなければ・・・!
と四苦八苦して文章にしようと試みたのですが、
「すらすらと出てくるものほど、薄っぺらく、
 胡散臭くて信用できないものはないぞ。」
最近は一度立ち止まることが出来るようになりました。

ブリューゲルの絵、
ウィーンの美術史美術館で
どっぷり1時間ほど浸かったことがあります。
あっちにも、こっちにも、ブリューゲルの絵。。。
教科書で見た「バベルの塔」は何だかほんわかした感じだったのに、
実物を前にだんだんと気味が悪くなってきたことを覚えています。
しっかりとメッセージが詰まった本物の持つ凄み、
一日で何枚も見られるものではないと思いました。

温泉でいうところの「湯あたり」とはこういうものじゃないかと・・・
あれ、ちょっと話、違いますか・・・?
Re:Re:★読書、ブリューゲル、そして芸術に命を削る人が放つメッセージ(06月02日)
がのさん (2006年06月04日 00時13分)

さちこさんさん 【その1】

>ブリューゲルの絵、ウィーンの美術史美術館でどっぷり1時間ほど浸
かったことがあります。あっちにも、こっちにも、ブリューゲルの絵。

⇒そうですか、わたしはいつも画集で見るだけ。いくつもの画集を引っ
張りだして見ます。こういうものは、ほんとうは、現地で、現物を見な
いとだめなのでしょうね。ウィーンが主になるようですが、ブリューゲ
ルの絵はなかなか評価が高く、ヨーロッパ各地の美術館にあるようです
ね。パリやロンドンで見たという人がいますし、プラハ、ダルムシュタ
ット、ナポリ、アントヴェルペンで、ベルリン、ミュンヘンで見たとい
う人。あるいはブリュッセルで、マドリッドで、ブダペストで…、と。
それでは、さちこさんはウィーンで「雪中の狩人」「バベルの塔」、あ
るいはあのなんとも表現しにくいふしぎな絵「謝肉祭と四旬節の戦い」
「農民の踊り」「農民の結婚式」など、代表的な作品をあるまとまりで
ご覧になったということになりますね。あっちの美術館で一点、こっち
で一点、という見方では印象がまとまりませんが、できることなら、こ
ういうものは一定のマッスで見たいですね。しかも、その土地土地の風
を感じながら。さちこさんのナマの印象をもっと知りたいです。

教科書で見た「バベルの塔」は何だかほんわかした感じだったのに、実物
を前にだんだんと気味が悪くなってきたことを覚えています。
⇒さちこさんはウィーンでふたつの「バベルの塔」をご覧になったこと
でしょうか。ひとつは建設中の塔、もうひとつは、ほぼ完成した塔で、
雲をまとってそびえたつ塔。特に前者では幾千幾万という労働者がアリ
のように取り付いて仕事をしている様子が驚くべき精密さで描かれてい
ます。建築物の建造工程のすべてがあらわされているような描きかた。
海辺近くのごく平穏なところに天を突いて突如出現する巨大な建物は、
人間の傲慢(ヒュブリス)をあらわすもの。そう、「しっかりとメッセー
ジが詰まった本物の持つ凄み、一日で何枚も見られるものではない」で
すね。こういう絵は、ゆっくりと足をとめ、余裕をもって見たいもの。
【つづく】
Re:Re:★読書、ブリューゲル、そして芸術に命を削る人が放つメッセージ(06月02日)
がのさん (2006年06月04日 00時15分)

さちこさんさん 【その2】

温泉でいうところの「湯あたり」とはこういうものじゃないかと・・・あ
れ、ちょっと話、違いますか・・・?
⇒“湯あたり”ですか!? う~ん、その感じ、わかるような、わからな
いような…。
明日から3日ほど、伊豆の温泉で古い友だちと遊んできます。せいぜい
“湯あたり”しないように気をつけて…。
Re:★読書、ブリューゲル、そして芸術に命を削る人が放つメッセージ(06月02日)
Hiromi~さん (2006年06月06日 21時56分)

ご無沙汰しております。

トップページのお花はなんという名前ですか??

うえのお花も始めてみました。いつも素敵なお花にしばらく見とれてい
ます。夫がのぞいて、この花どうしたの???キンランてすごいんだ
よ!!HPのことはちっとも解っていませんが(笑)上尾でそんなことがあ
ったんですか??なんかいつも工事をしているところがあります。
・・・・
 軽い本ばかり最近読んでいます。ケルトの本は少し読んで又違うもの
にいってなんていいかげんです。

 荒又さんて方テレビCMで偶然見ました。通販のCMです。まだよんでい
ません。

 これから少し「ピッピ」シリーズ他を読むことになりました。北
関のライブラリー研究会がようやくスタートし、以前から取り上げてい
た、リンド グレーンの作品を継続してライブラリーとして、自分たち
の欲しいものを作ってもらおうということで、ボランティアの研究会で
す。
 私は、過去の経験など話しているうちに、いつの間にかメンバーに入
ることに。
 かってライブラリー委員をしていたころの経験が少しでも役に立てた
らとでしゃばりました。
・・・・
 上野の森もご無沙汰です。その節はおせわになりました。
今回の新刊の絵を一部見たテューターが、これって、えいちゃんが描き
そうな感じですねって!!うれしかったです。

 造形大を卒業したOBは、店舗デザイナーとして働き始めました。小野
先生にお目にかかれたことは本当に幸せでした。

 いろいろととりとめもないことばかりですが、またメールをいたしま
す。新刊後日談など・・・。
 
Re:Re:★読書、ブリューゲル、そして芸術に命を削る人が放つメッセージ(06月02日)
がのさん (2006年06月07日 22時02分)

Hiromi~さん 【その1】 

>トップページのお花はなんという名前ですか??

⇒さあ、わたしも知らないんですよ。さわやかな花ですね。
葉が針のように細いのが特徴でしょうか。このごろ、ときどき目にしま
す。ご存知の方がおいでてしたら、お教えください。

上のお花も初めて見ました。上尾でそんなことがあったんですか?
なんかいつも工事をしているところがあります。

⇒一週間ほど前の新聞にも、そのことが出ていましたよ。
経済性優先の社会、その中で、動植物に限らず、大事にしなければなら
ないものが次つぎに喪われていきます。残念なことです。

軽い本ばかり最近読んでいます。ケルトの本は少し読んで又違うものに
いって、なんていいかげんです。

⇒多岐にわたる仕事をお持ちですと、なかなか集中できませんね。わた
しの場合も加齢現象でしょうか、長い時間の集中ができなくなりまし
た。そんなときは無理をせず、タイムキーパーを30分、40分にセット、
ブザーの鳴ったところで目を休めるようにしています。そして、その集
中時間だけはほかのことは一切しない、お茶も飲まない、トイレにも行
かない、というスタイルをつくっています。
ケルト研究は、ぜひHiromi~さんが先導的に自主研究を進めてくださる
こと、期待しています。

北関東のライブラリー研究会がようやくスタートし、自分たちの欲しい
ものを作ってもらおうということで、ボランティアの研究会です。私
は、過去の経験など話しているうちに、いつの間にかメンバーに入るこ
とに。かつてライブラリー委員をしていたころの経験が少しでも役に立
てたらと。

⇒ラボ・ライブリーを制作するにはいろいろな制約と限界があります。
あまりそのことは意識せず、もっと広い、もっと深い観点からものがた
りの本質的なところを捉えるセンスを養う機会にしていただきたいと願
っています。自分たちの提案する作品が受け入れられればよし、受け入
れないとして落胆するという図は、あまりいいことではありませんの
で。【つづく】
Re:Re:★読書、ブリューゲル、そして芸術に命を削る人が放つメッセージ(06月02日)
がのさん (2006年06月07日 22時16分)

Hiromi~さん 【その2】

>上野の森もご無沙汰です。その節はおせわになりました。今回の新刊
の絵を一部見たテューターが、これって、えいちゃんが描きそうな感じ
ですねって! うれしかったです。

⇒上野の森には、プラド美術館展など、いい企画が来ていますね。それ
から、ラボのみなさんにぜひお薦めしたいのは、7月15日から来年1月
28日まで、国際子ども図書館(国立博物館のとなり)の“本のミュージア
ム”で開かれる展示会「北欧からのおくりもの――子どもの本のあゆ
み」展。さまざまな講演会も組まれているようです。ケルトの妖精説話
にふれたものもあるかも知れませんので、ご注目いただきたいと思いま
す。

(このあとのことについては、ここには出しにくいので、のちほどメール
でわたしのホンネの意見をお送りいたします。絵については、言うなれ
ば、わたしが先にバルラハの彫刻やブリューゲルを紹介したのが、まさ
にその回答です。もっとも、こういう歴史的にもすぐれた超一流の表現
者と並べて考えるには、最初から無理があるでしょうが。)
Re:★読書、ブリューゲル、そして芸術に命を削る人が放つメッセージ(06月02日)
ちこらんたんさん (2006年06月08日 10時02分)

おひさしぶりでございます。
さちこさんに同じく、がのさんの日記はいつも拝読しておりますが、軽
~く感想を書いてしまってはいけないのではないかと。
まあ、あれだけお馬鹿な川柳(私が、ですよ)書いておいて
それもないか。

・・・ですが、また考えをまとめてから来ることにします。
絵を見て「湯あたり」した経験もないので。
軽い・重いどころか、最近は本自体全然読めないのが悩みです。
こんなとこ(失礼!)来てないで読め!って感じですね。
積ん読が溜まっています。
Re:Re:★読書、ブリューゲル、そして芸術に命を削る人が放つメッセージ(06月02日)
がのさん (2006年06月09日 00時08分)

ちこらんたんさん

>軽い・重いどころか、最近は本自体全然読めないのが悩みです。こん
なとこ(失礼!)来てないで読め!って感じですね。積ん読が溜まってい
ます。

⇒ま、人間は本を読まないでも生きていけますので、大げさに自責する
ほどのことではないと思います。とくに多事を抱えておいでのテュータ
ーさんには、読書の時間を割くことはたいへんな努力を要することなの
かも知れません。読んでいる、といって、何も養うことのない無価値な
ものばかり読んでいる人もおりますし。
 そうはいいながら、子どもたちの前に立つ立場にある親やテューター
のような人には、“話しじょうず”であってほしいと期待しますね。
“話しじょうず”は“聞きじょうず”とよくいいますよね。安っぽい知
識をふりまわし、ものを決めつけ、知ったかぶりしてしゃべくりまくる
のは最低で、反面、ほんとうによく知った人は、まくしたてるようにし
ゃべることはぜったいにせず、ゆったり余裕をもって人の話を聞いてい
るものます。
 テューターには、この「余裕」が大事な要件のように感じています。
その「余裕」をつくるのが、人の素養であって、ゆたかな素養は、やは
り、読書を通じて獲得していくものなのではないでしょうか。講演会に
行って学者なんぞのはなしを聞くのが好きという、教養主義の人もいま
す。ちこたんもどうやらその一人と思われます。いっときだけの高揚感
に酔うことはあっても、所詮はこちらには関係のない、あちらさんのご
都合だけの牽強付会、少し時間が経てば、入っていった口と同じ出口か
ら帰ってきただけ、ということがわかってきます。どうするか。やは
り、すぐれたホンモノの本と向かい合って、自分の問題意識にきっちり
ひきつけながら、一語一語、丁寧に読んで自分の素養にすることではな
いでしょうか。たくさん読むことにはあまり意味はありません。質のい
い一冊を舐めるようにして読む、…そんな時間を生み出す努力を。
Re:Re:Re:★読書、ブリューゲル、そして芸術に命を削る人が放つメッセージ(06月02日)
ちこらんたんさん (2006年06月09日 15時26分)

がのさん

あいかわらず辛口でいらっしゃいますね。
私はそれほど講演会好きでもないですが、ただ最近、前より「人」が好
きになったかなって思っています。
文学少女の頃は、人と話すのが苦手だったものですから。。。
今は、(壇上の人というわけでなく単に)人の話を聞くのが好きです。
「本を読む」「人と話す」どちらも大切だと思っています。
ただ、最近本を読もうとすると、とっちらかっている家の中が気になっ
て、落ちついて読めないんです。
これが独身時代と違うところ。
挙句、整理整頓・掃除の本まで溜まってしまいました・・・
Re:Re:Re:Re:★読書、ブリューゲル、そして芸術に命を削る人が放つメッセージ(06月02日)
がのさん (2006年06月09日 23時58分)

ちこらんたんさん 【その1】

>あいかわらず辛口でいらっしゃいますね。

⇒辛いですか? そんなことはないでしょう。いつもほかの人から、ち
こたんには特別に甘すぎる、何か魂胆でもあるのか、と嫌味をいわれて
いるほど。辛かったとすれば、それはちこたんに可能性を見、大きな期
待をかけているということ。聡明な女性で、叩かれたらいよいよ頑張れ
ると信じられている人、ということ、(…かな?)

>今は、人の話を聞くのが好きです。「本を読む」「人と話す」どちらも
大切だと思っています。

⇒わたしはね、この年のはじめに自分の中で決めたことがあるんです。
1000冊の本を読むこと、それを読み終えたら、もうナンマイダ~で、思
い残すことはないから、安らかに死なせてくれ、と周囲にお願いする、
と。そんなつもりになってくると、いい本を選んで読もうとつとめま
す。くだらないものは数に入れないで、とにかく人類史のなかの宝とさ
れているような古今の名作、読まずに死んでしまったら悔やまれる、死
んでも死にきれないような世界の名著、読んでいるようなつもりになっ
ているけど、ほんとうはぜんぜん理解していなかった、というような
本。半年近くを経た今日までにカウントされる本が約70冊。まだまだ目
標には遠いのですが、困ったことが生じてしまいました。ここにきて、
視力が減退し、長時間にわたる読書ができなくなってしまったこと。い
よいよ目標は遠くになった感じで、ピンチです。焦りを覚えています。
【つづく】
Re:Re:Re:Re:★読書、ブリューゲル、そして芸術に命を削る人が放つメッセージ(06月02日)
がのさん (2006年06月10日 00時00分)

ちこらんたんさん 【その2】

「人と話す」=「人の話を聞く」、…大事なことですね。楽しいことです
ね。ですが、それがただの教養趣味であるかないか、八方美人のお体裁
の社交術にとどまるものかどうか、ただの時間の浪費であるかないか、
それを分けるのは、主体に芯があるかどうか、ではないでしょうか(それ
がないのは、ただの薄っぺらなお調子もの、といわれても仕様がない)。
そのことは、リンドバーグ夫人の「海からのおくりもの」にふれながら
すでに書きました。芯をもつことによってくっきり見えてくるホンモノ
の世界というものがあるように思います。自分なりの思想も価値基準も
ないまま、あれもいい、これもいいと、何でも受け入れるためには、人
間が神からさずかっている知的キャパシティは、あまりに狭く、脆弱す
ぎます。それが人間の弱さ。何でも受け入れているつもりが、じつは何
ひとつ自分の中に残っていない、ということもよくあるわけでして…。
ハハッ、ここでもチトきびしすぎることを言いましたかね。そう、期待
しているから。
 かくいうわたしも、情けないながら、いつわり多い六塵の世に漂う迷
悟の子、そんなご立派なことがいえるほどの人間ではないことも承知し
ております。ただ、たとえば、こういうところでも、ひとの語るどんな
ことばにも無意味なことばはない、として、全身を耳にして受けとめ、
できるだけ丁寧にお返ししよう、とはつとめておるのですけれど。とき
には辛口になることがあるとすれば、期待が大きいということであり、
あるいは、目だけでなくわたしの耳にも衰えが出てきたためかも知れま
せん。
Re:Re:Re:Re:Re:★読書、ブリューゲル、そして芸術に命を削る人が放つメッセージ(06月02日)
ちこらんたんさん (2006年06月11日 08時54分)

がのさん【その1】

>辛いですか? そんなことはないでしょう。いつもほかの人から、ち
こたんには特別に甘すぎる、何か魂胆でもあるのか、と嫌味をいわれて
いるほど。辛かったとすれば、それはちこたんに可能性を見、大きな期
待をかけているということ。聡明な女性で、叩かれたらいよいよ頑張れ
ると信じられている人、ということ、(…かな?)

ふふ♪そうですか。
では、愛の鞭ということで、潔く受けてたちましょう☆

>わたしはね、この年のはじめに自分の中で決めたことがあるんです。
1000冊の本を読むこと、それを読み終えたら、もうナンマイダ~で、思
い残すことはないから、安らかに死なせてくれ、と周囲にお願いする、
と。そんなつもりになってくると、いい本を選んで読もうとつとめま
す。くだらないものは数に入れないで、とにかく人類史のなかの宝とさ
れているような古今の名作、読まずに死んでしまったら悔やまれる、死
んでも死にきれないような世界の名著、読んでいるようなつもりになっ
ているけど、ほんとうはぜんぜん理解していなかった、というような
本。半年近くを経た今日までにカウントされる本が約70冊。まだまだ目
標には遠いのですが、困ったことが生じてしまいました。ここにきて、
視力が減退し、長時間にわたる読書ができなくなってしまったこと。い
よいよ目標は遠くになった感じで、ピンチです。焦りを覚えています。
【つづく】

分かります。私でも焦ります。
本屋は軽めの本が並んでいることが多いのでそうでもないけれど、図書
館に行くと、自分のまだ読んでない本がこんなにある!とくらっとしま
す。

半年で70冊、それでもご立派だと思いますが、1000冊読むには何
年もかかりますね。
長生きしてください!
Re:Re:Re:Re:Re:★読書、ブリューゲル、そして芸術に命を削る人が放つメッセージ(06月02日)
ちこらんたんさん (2006年06月11日 09時22分)

がのさん 【その2】

>「人と話す」=「人の話を聞く」、…大事なことですね。楽しいことで
すね。ですが、それがただの教養趣味であるかないか、八方美人のお体
裁の社交術にとどまるものかどうか、ただの時間の浪費であるかない
か、それを分けるのは、主体に芯があるかどうか、ではないでしょうか(

本を読むのって、内なる対話ですよね。
それをしていない人とは、確かに話していてもつまらない。
(私は最近たぶんまだ過去の遺産-昔読んだ本の経験-で話しています
が、枯渇しないよう、もっと読んでいかなくてはと思っています。)
仕事上とか子どものことなどで、広くいろんな人と話さなくてはならな
いこともありますが、興味深い話でないと、やはり長くは聞けないで
す。

>そのことは、リンドバーグ夫人の「海からのおくりもの」にふれなが
らすでに書きました。芯をもつことによってくっきり見えてくるホンモ
ノの世界というものがあるように思います。自分なりの思想も価値基準
もないまま、あれもいい、これもいいと、何でも受け入れるためには、
人間が神からさずかっている知的キャパシティは、あまりに狭く、脆弱
すぎます。それが人間の弱さ。何でも受け入れているつもりが、じつは
何ひとつ自分の中に残っていない、ということもよくあるわけでし
て…。
ハハッ、ここでもチトきびしすぎることを言いましたかね。そう、期待
しているから。

いえ、よく分かります。
自分なりの思想や価値基準は持っているつもりですが、受け入れたいこ
とが多すぎて、自分のキャパシティを超えてしまうと感じる時があるこ
とも事実です。
時間のある独身のうちにもっと貪欲に求めていて、今整理されていたら
もっと楽だろうになと。
でも、私はまだいろいろ迷ってもいいんじゃないかと思っています。
未熟者の私が、価値をしぼって深めていくのは、まだこれから。

>ときには辛口になることがあるとすれば、期待が大きいということで
あり、あるいは、目だけでなくわたしの耳にも衰えが出てきたためかも
知れません。

何をおっしゃいます!
諌めてくださる方はなかなかいないもの。貴重です。
(目の前の小さなことでは未だによく母に叱られますけど・・・)
Re:Re:Re:Re:Re:Re:★読書、ブリューゲル、そして芸術に命を削る人が放つメッセージ(06月02日)
がのさん (2006年06月11日 21時39分)

ちこらんたんさん

>自分なりの思想や価値基準は持っているつもりですが、受け入れたい
ことが多すぎて、自分のキャパシティを超えてしまうと感じる時がある
ことも事実です。時間のある独身のうちにもっと貪欲に求めていて、今
整理されていたらもっと楽だろうになと。
でも、私はまだいろいろ迷ってもいいんじゃないかと思っています。未
熟者の私が、価値をしぼって深めていくのは、まだこれから。

⇒ドイツで道に迷ったアン(ポンタン)女王。迷ったことで、つかんだも
のの大きさがいまになってよくわかってきたということじゃないでしょ
うか。迷うことで求めるものが意識化され、一歩ずつ前へ進めるんじゃ
ないですか。そう、自分なりの信念や価値基準、そんなむずかしげなこ
とを言わないでも、自分の人間としてのシン、主体の実感が持てていな
いときには、人間は迷うことはなく、どうでもよいこととして流れてい
きます、すべてが他人事として。
まだまだ未熟者として、それならどうあるべきか、と考えるから、迷う
んですよね。考えるからいつまでたっても人間は迷妄の闇のなかにい
る。そういう存在としての人間。
 おかあさんにときどき叱られるから、カチリとアタマにきたり、もや
もやすることはあっても、少しは料理はじょうずになったろうし(う
ん?)、部屋の掃除、片づけごとにも、多少、気がまわるようになった
(だろう)し、三十路なかばの女らしい落ち着きも出てきた、というわけ
ですね。
うん? これはあまり関係ないかな。
Re:★読書、ブリューゲル、そして芸術に命を削る人が放つメッセージ(06月02日)
さちこさんさん (2006年06月13日 23時08分)

恥ずかしながらブリューゲルを鑑賞するためではなく、
画家ムハの愛国心を追いかけるべくして行ったチェコ旅行の帰り、
トランジットの都合でウィーンに寄り、
時間があったので美術史美術館を訪れたのです。
数多く並ぶ作品を前にしてはじめて、
ハプスブルグ家がブリューゲルコレクションで有名であることを知りま
した。
訪れた季節が冬で外が暗かったせいもあるでしょうが、
「こわい!」「重い!」「教科書と違う!」「なんで?!」
小さい子どものような感想で申し訳ありません。
でも、これが当時の正直な生の印象でした。
立っているのが辛く、ベンチに座ってずっと眺めていました。
ただ、その他にもたくさん見たはずの絵の印象は残っておらず、
ブリューゲルだけがずっと頭の中に残っていました。

>実物とホンモノ

そういった意味では、私は実物はこの目で見ましたが、
ホンモノに出会ったのは日本に戻ってきてからだと思います。
画集を眺めたり、
ブリューゲルやハプスブルグ家について調べ、
学生時代の中世ヨーロッパ経済史の教科書を引っ張り出し
農民の生活について調べ・・・。

かの地を訪れたのはかれこれ10年以上前になります。
その時ページを繰った本は全て、嫁入り道具と一緒に持って来ました。
これからもどんどん「ホンモノ」に近くなっていくのだと思います。
Re:Re:★読書、ブリューゲル、そして芸術に命を削る人が放つメッセージ(06月02日)
がのさん (2006年06月14日 22時35分)

さちこさんさん 【その1】

>数多く並ぶ作品を前にしてはじめて、ハプスブルグ家がブリューゲル
コレクションで有名であることを知りました。訪れた季節が冬で外が暗
かったせいもあるでしょうが、「こわい!」「重い!」「教科書と違
う!」「なんで?!」小さい子どものような感想で申し訳ありません。で
も、これが当時の正直な生の印象でした。

⇒ありがとうございます。旅先での美術鑑賞となれば、どうしてもでき
るだけたくさんの作品を観る、というのが行動様式で、一点、二点をじ
っくり観る、というふうにはなかなかならないのがふつう。わたしはヘ
ソ曲がりなものですから、気になるものがあるとそればかりをいつまで
も観ているほうで、あとになって、こんなのもあったはずじゃないか、
といわれて、そうだったかな、といった調子で、ボーッとしているとい
われます。そのくせ、図録は重いのでほとんど買わない。買っておけば
よかった、と後悔することもしばしば。ブリューゲルの絵なんかです
と、放っておけば半日くらい一つの作品の前から動かないことがあるか
も知れません。混雑していれば別ですが。「怖い」「暗い」「気味がわ
るい」、にもかかわらず、なぜか残像があざやかなままで消えない、と
いう印象は正直なものでしょう。なぜ印象深いのでしょうか。一口でい
えば、すぐれた絵だからです。魂のこもった作品だからです。リアリテ
ィがあるからです。
「アート回廊=1」で、二点の「バベルの塔」を並べてみました。建設中
のもののほうは、部分の細密部分も。複写がじょうずにいっておらず、
見にくいかもしれませんが…。ラボの絵本でバベルの塔がどう表現され
ているか、わたしは知らないのですが、ヒュブリス(人間の傲慢さ)とい
うことがライブラリーとしてどういうふうにテーマ化されているか、今
度見てみたいと思っています。

ちょっと話をずらすことになりますが、明日(6月15日)、月1回のふれ
あい読書会で、ツイアビの「パパラギ」について、地域の中学生と旧世
代の人たちを対象に話をすることになっています。サモアのある小さい
島の酋長ツイアビがヨーロッパ旅行で目にした文明社会を先入観に邪魔
されることのない、曇りない目で見て、それを帰島後にポリネシアの同
朋たちに語ったものをまとめたもの。【つづく】
Re:Re:★読書、ブリューゲル、そして芸術に命を削る人が放つメッセージ(06月02日)
がのさん (2006年06月14日 22時42分)

さちこさんさん 【その2】

 彼の澄んだ目から見ると、わたしたち文明社会に生きるものたち=“パ
パラギ”は、みんな病気と映っているようですね。「カネ」という病気
に取りつかれ、「物」という病気にとりつかれ、「時間」の病気に取り
つかれ、「考える」という病気に取りつかれているといいますパパラギ
(白人、ヨーロッパ人、文明人)は、自分の自由を捨ててたえず「モノ」
をつくり、「モノ」を見張り、「モノ」に見張られて生活し、「モノ」
を手にいれようとする欲のために、争い、互いに攻撃しあい、残酷なこ
ころで罪を犯す。その「モノ」をたくさん持つことが人間の名誉であ
り、ありあまるほどのモノがないと暮らしていけない今の文明社会。最
近のニュースが如実にそれを語っていますね。「儲けるものが勝ち」と
して欲をつっ張らせて走ったホリエモン、村上ファンド、それに日本の
金融政策をにぎる日銀総裁のお粗末な私利私欲。

私有財産という概念を持たぬ人から見たわたしたちの生活の病理が次つ
ぎに語られていくわけですが、考えてみると、ブリューゲルの澄んだ目
がとらえて描き出している世界も、「欲」に踊る醜い病人たちの群像、
この穢れた現実であることがわかります。だからわたしたちのこころの
どこかに突き刺さって抜けない印象を止めるのだと思います。
 「パパラギ」をめぐる小論の一部を、このあと、ひろば@で紹介するか
どうかは、考えておきます。たぶん差し控えることになるでしょう。お
カネを最高の神として信じ、モノにうずもれて暮らすこの社会に対する
強烈な皮肉を言わねばならないからです。それを言うのは現実的でない
というこの捩れたへんてこな現実。【つづく】
Re:Re:★読書、ブリューゲル、そして芸術に命を削る人が放つメッセージ(06月02日)
がのさん (2006年06月14日 22時46分)

さちこさんさん 【その3】

 「本当の暮らしは太陽の下にある」とする南海の酋長。帰りたくても
帰ることのできないふるさと、あと戻りのできない文明のなかに青白い
顔をして生きているわたしたちに、ツイアビはわたしたちの失ったもの
の大きさを語ります。それは今となっては実現不可能な夢かも知れませ
ん。しかし、ウソのかけらもない真実です。「森の生活」を書いたウォ
ールデンのような人もいます。文明の側にあって文明が失ったものを誠
実に描いて惜しむ人。同じく文明の側にぬくぬくといて、おカネほしさ
に日本の自然の美しさとそれを守ることの大事さをもっともらしく語っ
て媚びるどっかの人もいます。ツイアビの立っている場所と位相は、そ
ういう人とはぜんぜん違うんです。機会がありましたら、さちこさん
も、もう一度「パパラギ」読んでみませんか。これも“嫁入り道具”の
ひとつにするにふさわしいホンモノのひとつだと思いますので。
 長くなってしまいました。ごめんなさい。
Re:★読書、ブリューゲル、そして芸術に命を削る人が放つメッセージ(06月02日)
dorothyさん (2006年06月15日 05時23分)

読書を単なる気晴らし、と捉えると軽い読み物に
ばかり手が出てしまいます。が、先人たちの知恵や
哲学・思想を学び自分が生きる道しるべとするならば、
やはりそれなりのものを読みたくなるのだ、と
改めて思いました。

最近、「温故知新」という言葉が何とはなしに
思い起こされることがあります。古きを温める
ためには、まず、古いことを知識として
知らなければならない。

目の前のさまざまなことにしか思い至らない
日々を送っています。深い読み物にじっくり
向き合う読書時間をなんとか
捻出したいと思っています。
Re:Re:★読書、ブリューゲル、そして芸術に命を削る人が放つメッセージ(06月02日)
がのさん (2006年06月16日 22時24分)

ドロシーさん 【その1】

>読書を単なる気晴らし、と捉えると軽い読み物にばかり手が出てしま
います。が、先人たちの知恵や哲学・思想を学び自分が生きる道しるべ
とするならば、やはりそれなりのものを読みたくなるのだ、と改めて思
いました。

⇒古くから安定した評価をもつ作品には、たいてい、たしかに人類史に
残るにふさわしい、すばらしいメッセージがあります。とりわけ古典文
学とされるような東西の文学には、これを見ずに死んでしまっては何の
人生か、と思われる、真に迫る哲理が含まれています。その精髄を汲み
取るほどにこちらに素養がないので、いつも口惜しい思いをしているの
が現実。そして、わたしの場合にかぎっては、若いドロシーさんたちと
は違って、ちょっと急がねばならない事情があります。したがって、本
を読むときは、極力、流行に押し流されることなく、無駄のない、評価
の定まったいい本を選んで読むようにしております。…とはいいなが
ら、恥ずかしながら正直なところを告白いたしますと、わたしも聖人な
らぬ身、俗塵にまみれて生きる迷いの子です。みなさんには言えないよ
うな、つまらぬ気晴らしの読みものを楽しむことだってあります。い
や、むしろそのほうが多いかも知れません。そんなにごりっぱな読書人
というわけではありません。ただ、チビのころから、いささかの活字中
毒にかかってきた、というだけで、もともと、ひとの模範になるには不
節操にすぎる存在です。
 ですから、先の長いドロシーさんがその読書スタイルをこの際変更す
る必要があるかどうか、疑問です。いまは、いろいろ多方面のものを幅
広く読む、ということでいいのではないでしょうか。そうはいっても、
週刊誌的な知識は当然だめです。さらにいえば、新書版程度の“便利
な”“手ごろな”知識をもってものごとを理解したと思いこむのも危険
です。新しい知識と情報をやたらたくさん掴もうというのではなく、や
はり、ご自身のシン(芯、真、信、神)に添って誠実にいい本を読むとい
うことでしょうかね。
【つづく】
Re:Re:★読書、ブリューゲル、そして芸術に命を削る人が放つメッセージ(06月02日)
がのさん (2006年06月17日 09時48分)

ドロシーさん 【その2】

深い読み物にじっくり向き合う読書時間をなんとか捻出したいと思って
います。

⇒「パパラギ」の時間をめぐってドロシーさんのBBSに書き込みをさ
せてもらいましたが、「忙しい、忙しい」と、投げられた石のように人
生を走りまわっているだけでは、読書をしたり美術を楽しんだりする時
間はとれません。ここはファンタジーではありませなので、モモが「ハ
イどうぞ」と時間を持ってきてくれることもありません。ドロシーさん
は十分におわかりになっているはずですが、そんなゆとりをつくろうと
本気でおもえば、ちゃんとゆとりは生み出せるものです。そして、わた
しはすでにどこかで書いたように思いますが、テューターや親が子ども
をまえにするときには、そんなに押し付けがましくしゃべらないでい
い、ゆたかな素養に裏づけられた「ゆとり」をもってゆったりと向かい
合うことがとっても大事だと思います。その素養をつくるのがいい読書
というわけですね。先人のことば、他者のいうことばを自分の素養とし
て積み上げるセンスも身につけねばなりませんけど。またそれは、読書
だけでなく、ひとによっては、映画だったり、インターネットだった
り、カルチャーセンターの講義だったりするのかも知れません。それで
も、どれが…、といわれれば、やはり読書がいちばんではないでしょう
か。
◆…“時間”をめぐるエンデ「モモ」とツイアビ「パパラギ」の話題を
「物語寸景(2-3)」に転記・整理しました。
Re:Re:Re:★読書、ブリューゲル、そして芸術に命を削る人が放つメッセージ(06月02日)
dorothyさん (2006年06月17日 20時48分)

がのさん

実際のところ、私は週刊誌は全く見ません。女性の多くが
興味を持つ、といわれているワイドショーも嫌いです。
テレビは「世界不思議発見」を見るのとスポーツ観戦を
たまにするくらいで(あと「ためしてガッテン」も時々)
ニュースソースは新聞です。私もかなり重症の活字中毒です。

ディケンズや枕草子を楽しむ一方で、ハリー・ポッターの
最新刊を必死で読んでしまいます。使い捨てのように
扱われる新書版のものはあまり読みませんが、古典と
ベストセラーはほとんどいつも読んでいるようです。

ところで、パパラギは、蔵書にあり、随分以前
読んだのですが、今回、思いを新たに読みました。
非常に読みやすいので、何度も何度も、身近において
繰り返し読みます。内容の深さに気づかず通り過ぎて
いた自分が非常に恥ずかしいです。
Re:Re:Re:★読書、ブリューゲル、そして芸術に命を削る人が放つメッセージ(06月02日)
さちこさんさん (2006年06月17日 22時51分)

がのさんへ

いつも私のつたない文章にしっかりとお返事してくださって、
ありがとうございます。

>「パパラギ」
いろんなところで文章は引用されていますね。
心に残るものが多いのですが、まだ本自体は読んでいません。
がのさんからお勧めいただいたのがご縁ですね、読んでみます。

先日、中国へ戦争に行った方の本を手にとる機会がありました。
書かれている内容にすくみ、囚われて、抜け出すことができません。
以前、こちらに書き込みさせていただいた
アウシュビッツのことと重なります。
同じ人間同士が、そうではなかったという事実。
中国で起こったように、女の私が扱われたら、我が子が殺されたら。
夜、そう考えていたら、
隣で寝ている長男、長女の手を強く、強く握り締めていました。
私は、この弱さから、なかなか抜け出ることができません。
きっと、救いの答えは与えられないものなのでしょう。
だから、宗教が生まれるのでしょう。
でも、その宗教のせいで争いが起きることもありますね。。。

もう一度、松谷さんの本を読み返すことにします。
Re:Re:Re:Re:★読書、ブリューゲル、そして芸術に命を削る人が放つメッセージ(06月02日)
がのさん (2006年06月18日 00時19分)

ドロシーさん 【その1】

>ニュースソースは新聞です。私もかなり重症の活字中毒です。

⇒はっはっは…、活字中毒。やっばりご同様に病気ですか。南海のあの
酋長にかかったら、ケチョンケチョンになじられることになるのでしょ
うね。ふたりそろって絞首刑! 徹底的にやっつけられる痛快さ!
 新聞、これをどう言っていましたっけ…。「束になった紙」でした
ね。青白い顔をしたパパラギは、朝ごとにそこにアタマをつっこんで、
馬がものを食べるような異常な情熱をもって新しい情報、いいことも悪
いこともひっくるめてその情報を腹いっぱい食べるのを習わしにしてい
る。しかし、その新聞なるものの正体は、人びとのアタマ、みんなの考
えをひとつにしようとするもの、征服しようとするものである、と。も
う、かなわんですね、こんなふうにわたしたちのまやかしの生活をズバ
リ見抜かれてしまうと。ドロシーさんのお好きな映画についても、メッ
タ切りでしたね。あれは「似せ絵」にすぎない、きれいな娘が首を絞め
られ殺されようとしているのに、パパラギはじっと静かにすわって見て
いるだけ、そういうシーンを見ても、感覚がおかしいのか、怒りも恐怖
も嫌悪感も感じないらしく、そのようにまやかしの暮らしのなかに彼ら
はいる、というわけ。う~ん。

 >ところで、「パパラギ」は蔵書にあり、随分以前読んだのですが、今
回、思いを新たに読みました。非常に読みやすいので、何度も何度も、
身近において繰り返し読みます。内容の深さに気づかず通り過ぎていた
自分が非常に恥ずかしいです。

⇒1980年代によく読まれた本で、わたしも20余年ぶりに読みました。バ
ブル景気の一方で、エーッ、こんなことでいいのかなあ、動きが速すぎ
はしないか、と人びとが疑問に思いはじめたころ。ちょっと今の情況に
似ていますね。わたしもご同様に、鼻先で嘲笑しながらこれを読んでい
たように思います。それが、その後、良寛さん、西行禅師あたりの生き
方にふれ、欲を捨てた清貧さに一筋の道を見たあと、ということもあっ
てか、ごく自然に共感でき、すごくよくわかるように思えるんですね。
口先でエコロジーをいい、大衆に媚びて自然保護を言っているものたち
のインチキさも見えてきます。【つづく】
Re:Re:Re:Re:★読書、ブリューゲル、そして芸術に命を削る人が放つメッセージ(06月02日)
がのさん (2006年06月18日 00時33分)

ドロシーさん 【その2】

 ブリューゲルから離れて「パパラギ」に来てしまいました。そういえ
ば、きょう(6月17日)、知人に招かれて油彩画のグループ展を見てきま
した。そのついでにアルフォンス・ミュシャ展ものぞいてきました。装
飾過多のアールヌーヴォーの世界は、どうもわたしの感覚には合わない
のですが、ま、そうは言わず、ときにはこんなのもよかろうかと、サ
ラ・ベルナールの華麗なすがたを楽しませてもらいました。

 わたしの住むこの地域では、足掛け6年にわたってわたしの主宰して
きたこの読書会の影響はわりあい大きく、先々回のリンドバーグ夫人の
「海からの贈り物」につづいて、いま、この「パパラギ」が中高年世代
のあいだでちょっとしたブームになっているんですよ。ただ、本がなか
なか手に入らないとか。立風書房が倒産したあと、学研が版権を引き取
っているようですが…。広い人たちにゆっくり読んでいただきたい1冊
です。
Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:★読書、ブリューゲル、そして芸術に命を削る人が放つメッセージ(06月02日)
ちこらんたんさん (2006年06月18日 10時20分)

がのさん

>ドイツで道に迷ったアン(ポンタン)女王。迷ったことで、つかんだも
のの大きさがいまになってよくわかってきたということじゃないでしょ
うか。迷うことで求めるものが意識化され、一歩ずつ前へ進めるんじゃ
ないですか。そう、自分なりの信念や価値基準、そんなむずかしげなこ
とを言わないでも、自分の人間としてのシン、主体の実感が持てていな
いときには、人間は迷うことはなく、どうでもよいこととして流れてい
きます、すべてが他人事として。
まだまだ未熟者として、それならどうあるべきか、と考えるから、迷う
んですよね。考えるからいつまでたっても人間は迷妄の闇のなかにい
る。そういう存在としての人間。
 おかあさんにときどき叱られるから、カチリとアタマにきたり、もや
もやすることはあっても、少しは料理はじょうずになったろうし(う
ん?)、部屋の掃除、片づけごとにも、多少、気がまわるようになった
(だろう)し、三十路なかばの女らしい落ち着きも出てきた、というわけ
ですね。
うん? これはあまり関係ないかな。

アンポンタン王女、気にいりました。これから使わせていただきます。
落ち着きなど・・・まだとてもとても出てませんが(子どもの頃のほうが変
に落ち着いていたので・・)、迷い迷いつつ、進んでいきます☆
Re:Re:Re:Re:★読書、ブリューゲル、そして芸術に命を削る人が放つメッセージ(06月02日)
がのさん (2006年06月18日 21時48分)

さちこさんさん 【その1】

>「パパラギ」、いろんなところで文章は引用されていますね。心に残
るものが多いのですが、まだ本自体は読んでいません。お勧めいただい
たのがご縁ですね、読んでみます。

⇒ええ、ぜひ読んでみてください。ひとに話さねばならないというのが
最初の動機でしたが、わたしにとっても貴重な再発見でした。「そんな
こと言われても、現実はね~」という思いを残しながら、やはり、ズバ
リと真実を言い当てていて、そう言われれば身に覚えがあるものですか
ら、ムッとしつつも、いささか後ろめたく、ここは黙すしかなく、「も
う、かなわんわ~」とがっくり頭を垂れる仕儀に。これくらいポカポカ
やっつけられると、却って爽快で、反論したり言い訳したりする気にも
なれません。
この感覚はブリューゲルの絵を見て感じるものと、どこかよく似ている
ように思うんですよね。醜く、欲望丸出しで、不快で、粗野で、非知性
的で…。でも、その飾りのない質朴さのなかに、生命を賭して人間の真
実を希求するこころだけが持つ眩しい輝き、強力な磁力のようなものが
ありますね。きのう見たミュシャの絵、ベル・エポックに咲いた、その
アールヌーヴォーの華の魅惑とはウラハラにある真実で、その磁力にい
だかれて赤ん坊のように弄ばれる気分も、そんなに悪いものじゃない。
また、あまり好きじゃないといいながらミュシャを見て、自分の精神を
新鮮に刺激することも、また時には必要なんじゃないでしょうか。
【つづく】
Re:Re:Re:Re:★読書、ブリューゲル、そして芸術に命を削る人が放つメッセージ(06月02日)
がのさん (2006年06月18日 21時52分)

さちこさんさん 【その2】

>先日、中国へ戦争に行った方の本を手にとる機会がありました。書かれ
ている内容にすくみ、囚われて、抜け出すことができません。中国で起
こったように、女の私が扱われたら、我が子が殺されたら。夜、そう考
えていたら、隣で寝ている長男、長女の手を強く、強く握り締めていま
した。もう一度、松谷さんの本を読み返すことにします。

⇒この梅雨が明ければ、夏。お盆には死んでいった人たちの霊が帰って
きますし、ひとつ前の時代で起こった戦争について、日本人ぜんたいで
考えねばならない季節になりますね。とりわけ、わたしたちの受けた教
育のなかで、スーッと通り過ぎてきた、あるいは遮蔽されてきた「歴
史」について、アジアに生きる一員としては謙虚に学ばなければならな
いでしょう。
 その点、子どもたちといっしょに読む本としては、旧満州の陸軍七三
一部隊がおこなっていた生体実験のことにふれた松谷みよ子さんの「屋
根裏部屋の秘密」や、ヒロシマを描いた「ふたりのイーダ」、あるいは
「私のアンネ=フランク」などは、いいですね~。いぬい・とみこさんの
「川とノリオ」「光の消えた日」ほか、高田敏子さんの「ガラスのうさ
ぎ」、リヒターの「あのころはフリードリヒがいた」、ドーデ「最後の
授業」なども。昨年夏、みなさんに協力いただきながら挙げたその種の
よみものを「つれづれ塾―その1」で紹介しておりますので、ご参照く
ださい。
Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:★読書、ブリューゲル、そして芸術に命を削る人が放つメッセージ(06月02日)
がのさん (2006年06月19日 09時27分)

ちこらんたんさん

>三十路なかばの女らしい落ち着きも出てきた、というわけですね。
>>>アンポンタン王女、落ち着きなど、まだとてもとても出てませんが
(子どもの頃のほうが変に落ち着いていたので)、迷い迷いつつ、進んで
いきます。

⇒だれが言ったか、人間にはふたつのタイプがある、そうじゃないです
か。一つはイヌ族系人間、もう一つはネコ族系人間。アンポンちこタン
王女といえば、“落ち着き”とはあまり縁のなさそうな、あっちへこっ
ちへ忙しくタタタター~ッと、迷いもなく無鉄砲に、いつもつっ走って
いるチンコロ姐や(!)、元気はつらつたるイヌ科女性のイメージ!? ま
だ化粧を知らぬ青春まっ盛りの高校生のころといえば、腹巻きほどに短
いミニ・スカートをはいて、キャピキャピ町を歩いている、かわいい女
の子……ちがいましたか? うん、会ったこともないし、想像するのは
こっちの自由だから。テューターさんと言えば、だいたいイヌ科のタイ
プかな。行動的で。エッ、わたし? わたしはネコ族系よ~。いつもグ
ータラ、ぐ~たら。面倒なことは大嫌いで。でも、怖いよ。言っておく
けど、わたしに逆らうと、化けて出るからね。
Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:★読書、ブリューゲル、そして芸術に命を削る人が放つメッセージ(06月02日)
ちこらんたんさん (2006年06月19日 15時06分)

(化け)がのネコさんへ

そういえば昔は「ネコ」派だったなぁ。
大学生の時、ホームステイしたカナダの家がたしか犬を3匹飼ってて、
すごく人懐っこくてかわいかったので、それ以来「イヌ」派になってし
まいました。
それで人間的に変わったのかどうかは分かりませんが。

私、10代の頃は地味でしたよ。(今でも派手ではないけど。)
友達がいないわけじゃないけど、真面目だったから、授業さぼってどこ
かに行ったりはしませんでした。
でも勉強とか読書以上に楽しいことをあまり知らなかっただけかもしれ
ませんね。
チンコロ姐や(!)ではありませんが、今のほうが高校生っぽいかなぁ。
やりたいことがどんどん湧いてきて、困ってます。

>うん、会ったこともないし、想像するのは
こっちの自由だから。テューターさんと言えば、だいたいイヌ科のタイ
プかな。行動的で。エッ、わたし? わたしはネコ族系よ~。いつもグ
ータラ、ぐ~たら。面倒なことは大嫌いで。でも、怖いよ。言っておく
けど、わたしに逆らうと、化けて出るからね。

素敵に想像されていることを期待します。
私もぐ~たらなんですけどね。
自分にとって楽しいことだけ、やけに活発なだけです。

あんぽんちこたん王女より
Re:Re:Re:Re:Re:★読書、ブリューゲル、そして芸術に命を削る人が放つメッセージ(06月02日)
dorothyさん (2006年06月29日 05時31分)

がのさん
>わたしの住むこの地域では、足掛け6年にわたってわたしの主宰して
きたこの読書会の影響はわりあい大きく、先々回のリンドバーグ夫人の
「海からの贈り物」につづいて、いま、この「パパラギ」が中高年世代
のあいだでちょっとしたブームになっているんですよ。ただ、本がなか
なか手に入らないとか。立風書房が倒産したあと、学研が版権を引き取
っているようですが…。広い人たちにゆっくり読んでいただきたい1冊
です。

読書会で、こういった質の高いもの、考えさせられるものを
紹介される、というのは本当に素晴らしいですね。
「パパラギ」が蔵書にあった幸せを、この一文でまたかみ締めて
います。

そうそう、「パパラギ」を読んだあと、隅々まで
読む夫の姿を件の酋長さんがご覧になったらどうするかな、
と想像して笑ったのを覚えています。ま、私も人のことを
笑える立場ではないようですが・・・。

太陽の恵みにも雨の恵みにも日々感謝して過ごしたい、
と願っています。
Re:Re:Re:Re:Re:Re:★読書、ブリューゲル、そして芸術に命を削る人が放つメッセージ(06月02日)
がのさん (2006年06月30日 22時16分)

ドロシーさん

>そうそう、「パパラギ」を読んだあと、隅々まで読む夫の姿を、件の
酋長さんがご覧になったらどうするかな、と想像して笑ったのを覚えて
います。ま、私も人のことを笑える立場ではないようですが。太陽の恵
みにも雨の恵みにも日々感謝して過ごしたい、と願っています。

⇒小夜です。あのね、きょう、おとうさんはある雑誌をみて、ご機嫌な
なめで、プンプン怒っているの。ドロシーさんも目になさることがある
でしょ、「地球にやさしい○○○」とか、「環境を考えた▽▽▽」とい
った広告文。こんなことを言う広告主に「パパラギ」を読ませてやりた
い、この本をまるめて口の奥まで突っ込んでやりたい、と。そもそも、
この地球という星は、やさしさを求めているのだろうか、どんなやさし
さを欲しているのだろうか、だれが地球のほんとうの声を聞いたという
のか、と。ほんとうは、だれも地球のことなんか本気では考えちゃいな
いんだ、自分の都合、自分の儲けのことしか考えちゃいないんだ、地球
にやさしいとはどういうことか、ちっともわかっちゃいないんだ、と。

「富士山に登るひとが残していったゴミを一所懸命に拾い集めているひ
とがいます。美しい環境を守りたいというひとたちの気高いこころ、純
粋な願いだと思うわ」
と小夜が言いますと、
「中にはそんな貴いこころのひともないじゃないでしょうが、多くは、
たくさんの観光客を富士山に迎えたい、たくさんのお客に来てもらって
そこにおカネを落としていってもらいたい、という欲望がほんとうの動
機で、自然保護を言えばウケがいいという卑しいコンタンが見えみえ
だ」
と、口をとがらせます。
ほんとうのところ、いま地球はわたしたちに何を訴えようとしているの
でしょうね。南海の酋長さんがいう、物質への欲望を捨て、太陽ととも
に生きるという生き方にもう一度立ちもどることは、できなくなってい
る物質社会の大食漢恐竜のわたしたち。
Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:★読書、ブリューゲル、そして芸術に命を削る人が放つメッセージ(06月02日)
dorothyさん (2006年07月02日 21時18分)

がのさん
小夜ちゃん

(小夜ちゃん、とお呼びしてよろしいでしょうか・・・?)

先日、新聞で「火星移住計画」なる記事を読みました。
移動中、そして移住後も、完全リサイクルな世界を
構想している、と誇らしげでした。

火星に移住するのに完全リサイクル可能な社会が
作れるなら、この地球でも今すぐ取り掛かれる
はずだ、と。地球を破壊しているのは人間だけだ、
との思いを強く感じています。ほかの動植物たちは、
自然界に存在するものだけを頼りに生きています。
服を着たり冷暖房で住環境に手を加えて生きている
のは人類だけです。

火星移住に完全リサイクル型社会が実現可能なら
それを今すぐ地球規模で行わなければならない、
そういう思いを強くしています。
ただ、そうだからといって、今すぐすべての人造
人工機器を捨てて、すべての人間が屋外で寝起きが
できるのか?自然環境の中で完全自然分娩で出産
できるのか?と問うと、返事に困ってしまう自分が
そこにいます。
改めて、パパラギで書かれていることの深さを
考えてしまいます。
Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:★読書、ツイアビ「パパラギ」
がのさん (2006年07月03日 11時00分)

ドロシーさん 【その1】

>小夜ちゃん。先日、新聞で「火星移住計画」なる記事を読みました。
移動中、そして移住後も、完全リサイクルな世界を構想している、と誇
らしげでした。火星に移住するのに完全リサイクル可能な社会が作れる
なら、この地球でも今すぐ取り掛かれるはずだ、と。地球を破壊してい
るのは人間だけだ、との思いを強く感じています。

⇒ワーッ、火星への移住計画ですか! 壮大なロマンですね。それに、
この季節、お天気さえよければ、シリウスのむこうに火星、土星、水星
がほぼ並んで見えます。がのパパが山へ行きたがっているのは、そのた
めみたいですけど、いまはお天気がね~。
 さて、ほかの星への移住が可能だとして、ドロシーさんはすぐ移住希
望メンバーに「ハーイ」と手を挙げますか? 小夜はどうしようかな
ぁ。地球はゴミの問題以前に、そんなに遠くない将来、核でこなごなに
ふっ飛んでしまうでしょうけれど、火星に逃れるにしても、月に移るに
しても、いっぱい、いっぱいおカネがかかりそうですし、幼稚園はまだ
ないでしょうし、お友だちも…。ご本もたくさんあるのかな~。小夜は
もうちょっとあとでいいわ。

 はい、ドロシーさんのおっしゃるのは、そういうことじゃなかったで
したね。46億年も生きてきた大長老の「地球」じいさんが、50万年前に
ひょっこり現われた火を使う生きものにいまどんなやさしさを欲してい
るのか、どうして欲しいのか、謙虚に、本気になって、その声に耳を澄
まさないといけないだろうと、小夜も思います。一国の指導者が、国内
の深刻な問題を放り出して、あまり歓迎されてもいないアメリカへ修学
旅行に行き、メンフィスのグレースランドでいい気になって“Love Me
Tender”なんてふざけた歌をうたっている場合じゃありませんよ、まっ
たく。
 一人ひとりがそれぞれの流儀で自分の快適な生活ばかりを追及するな
かで、毀してきてしまった大事なものに、謙虚に思いを馳せること。ほ
んとに、この火を使う“モノモノ恐竜”は、オレのだ、オレのだ! と
所有権を争いながら、イナゴの群れのように何でもかんでも食いつぶし
てきました。食いつぶして何もなくなったから、あとはRecycle, Reuse
を、と。今となってはそれも大事なことなのでしょうが、どうも本末転
倒のような気がします。【つづく】
Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:★読書、ツイアビ「パパラギ」
がのさん (2006年07月03日 11時02分)

ドロシーさん 【その2】

 さあ、どうしたらいいんでしょうかね。だって、ドロシーさん、お車
なしできょう一日を過ごせましたか。パソコンなしでお仕事ができまし
たか。ケータイなんぞはなくてもやっていけるでしょうが、冷蔵庫、テ
レビなしの生活は…。水道がなかったら…。エアコンは自然の風で、と
いっても、空気のきれいなドロシーさんのところならそれもできるでし
ょうが、東京やこの横浜、大阪、名古屋といった大都会にいたら、夏も
冬もすごせません。
 そうですよね、太陽の下、木の下かげで、完全自然分娩で赤ちゃんを
産むなんて、考えられないこと。プロメテウスのおはなしじゃないです
が、火を使い、速さと便利さを求めてさまざまな道具をつくり強くなっ
たはずの人類、しかし、ほんとうは、弱く、みじめなほど脆く、ますま
す力ないものになっているのかもしれません。ごまかしのない、強い生
き方をとりもどすために、「パパラギ」はたくさんのことをわたしたち
に語ってくれているように思いますね。その語るところは、愚かな大衆
のウケをねらい、ほんとうは自分の名利のためにそれをいうたぐいの似
非環境論者のものとはぜんぜん違います。
 けれど、ここまで毀れてしまったらどうしようもないじゃないか、と
突き放して言うこともできますが、ツイアビ酋長の語ることと、物質万
能、私的所有優先の現代社会とのギャップのおかしさをケタケタ無邪気
に嗤っている低能ぶりの「おしあわせ」だけでは、地球と人類の消滅を
早めるだけだ、ということだけははっきりしていますね。
Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:★読書、ツイアビ「パパラギ」
dorothyさん (2006年07月06日 08時29分)

がのさん

私のサイトにも触れておきましたが、
りんごに、「でんでんむし」の話を読ませております。
そのため、こちらのつれづれ塾①の中の
項をプリントアウトさせていただきました。

がのさん
小夜ちゃん

さて、地球はこれからどちらのほうに進んで
いくのでしょう。これは、太陽の周りを回る
公転のことではありませんよ。

すべての文明の利器を捨ててしまうのが一番
環境に地球に優しい、という結論は見えますが、
そのために、これだけ弱体化している人体が
どれだけそれに耐えられるのか?特に生まれた
ばかりの赤ん坊。また、完全自然分娩の結果
出産後に生き残れる母体はどれだけあるのか、
などなど。

1割の不便を我慢しよう、というのでは本当は
甘いと思いますが、現実的にそれが限界では?と
思いもします。1割、文明の利器から離れなるべく
プラスティックなどの人工製品は使わないようにして、
その状態になれたら、また、そこから1割使用を
減らす、などなど。

理想論を口にするのはたやすいですが、それを
継続して実行することの難しさもありますね。
わが身から、少しずつやっていこうと思っています。
Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:★読書、ツイアビ「パパラギ」
がのさん (2006年07月06日 11時05分)

ドロシーさん【その1】

>りんごに、「でんでんむし」の話を読ませております。そのため、こ
ちらのつれづれ塾①の中の項〔創作童話「でんでんむし、歌いなさ
い」〕をプリントアウトさせていただきました。

⇒ありがとうございます。それを意識してご紹介したわけではありませ
んが、たまたま、昨日の未明から夕方にかけて、北朝鮮が7発のミサイ
ルを発射しました。世界をあざむくこの暴挙に各国はどう対処するの
か、時代はそこをするどく問われていますね。きびしい制裁を求める意
見、中には、イラクをなんの証拠もないまま爆撃したくらいじゃない
か、ここまで事実がはっきりしているのに攻撃しないのは理屈に合わな
い、やっつけろ、徹底的につぶせ、という意見まで。理屈のつうじない
相手なのだからいくら話し合っても意味がない、とも。たしかに、こん
な事態のなかではでんでんむし精神=ガンジーの無抵抗主義は、力ないの
かなあ、と思ってしまいそうになりますが、ものごとが本質的に変わる
ときというのはゆるやかな「でんでんむしの歩み」のようなものではな
いか、ポキッと折れるように歴史が変わることはごく稀れなのではない
か、と思いたいです。それにしても、日本がかつてのように軍隊をもっ
ていたら、もうとっくに戦争の火ぶたは切られていたはずだ、そこまで
つっ走らずにいるのは、戦争に負けた日本人の節度と「憲法九条」のお
かげかなあ、とホッとさせられます。

「でんでんむし」のおはなし、不出来な童話ですが、りんごちゃんに読
んでもらえてうれしいです。ガンジーって、ね、すごいでしょ!
【つづく】
Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:★読書、ツイアビ「パパラギ」
がのさん (2006年07月06日 15時33分)

ドロシーさん 【その2】

>さて、地球はこれからどちらのほうに進んでいくのでしょう。これは、
太陽の周りを回る公転のことではありませんよ。

⇒わたしたちは、「京都議定書」なんていわれないでも、個的なところで
日々いじましいほどの努力をしています。ゴミの分別、クールビズ、室
内冷房の設定温度を28℃に、スーパーやコンビニではビニールぶくろを
もらうのをやめよう、風呂敷の活用を、とか。かつてこのひろば@ではEM
菌が話題になりましたね。ところが、外に目をむければ、そうした小さ
な努力をものわらいにするように、ミサイルはぼんぼん飛ぶし、核開発
は進むし、自爆テロは止まないし(そのたび、車や建物が焼けるあのおび
ただしい煙!)、原発建設はどんどん進むし、緑が消えて巨大ビルがニョ
キニョキ、それを建てるの、壊すの…と空気を汚染する。地球環境はも
のすごい勢いで損なわれています。(税金はどんどん重くなるし、老人い
じめはエスカレートするばかりだし…)どこでわたしたちは生きていけば
いいのか、何が幸せなのか。やはり、火星に移住するしかないというこ
とにも(おカネもちは行けるかもしれませんが)。人間の英知は、人間の
滅亡への道、それも超高速の夢のハイウェイへ人びとを乗せて導いてい
るような…。
酋長、助けてくれ~!
Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:★読書、ツイアビ「パパラギ」
dorothyさん (2006年07月10日 18時51分)

がのさん

暴力・暴挙に力で対抗していたのでは、
永久に紛争の種は消えません。かといって
暴力・暴挙を野放しに許せるはずもありません。

国の主導者や宗教的にトップに立っている
人たちが、「世界中の子供たちが笑っている」
姿、民族や宗教の隔たりをこえて、
子供が未来永劫笑っていられる世界を築こう、
そう考えていてくれたら、案外簡単なこと
ではないか?と思っています。

我が家もかなりリサイクルは徹底していて、
燃えるゴミは1回につきほとんどスーパーのゴミ袋
1つ(庭の草などが出たときは別ですが)で
済ませています。それにしても、プラスティックの
リサイクル資源ごみの多いこと!なるべく
そういったものは使わないようにしていますが、
それでも、一週間で45Lのゴミ袋が一杯に
なってしまいます。(極力ペットボトルの
飲み物も買いません)

買い物には必ず買い物カゴと保冷袋を持参して
います。また、パソコンの仕事をする事務所が
自宅内にあり、その部屋にはエアコンがありますが、
住居部にはエアコンすらありません。事務所でも、
ラボで賑やかなとき以外はエアコンを使わず、
ドアと窓を開放しています。

ほかの人がやらないから、自分だけががんばっても
しょうがない、などと思わず、私一人でも省エネ
省資源に努めれば、ゴミの量が60億分の一、少なく
なる、千里の道も一歩から始まる、の思いです。
愛国心でなく、愛地球心です。

そういえば、愛媛のジョイナーテューターが
「私の地球になにするねん!」と思いながら
近所のゴミを拾って回っている、という話を
以前、ご本人からうかがったことがあります。

・・なんだかとりとめもなくてすみません。
りんごはでんでんむしの話が大好きです。
Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:★読書、ツイアビ「パパラギ」、ガンジーとかたつむり
がのさん (2006年07月11日 10時02分)

ドロシーさん 【その1】

>暴力・暴挙に力で対抗していたのでは、永久に紛争の種は消えませ
ん。かといって、暴力・暴挙を野放しに許せるはずもありません。
⇒北朝鮮につづいて、世界の不安、非難の声など歯牙にもかけず、イン
ドでもミサイル発射実験。国内でも不安が高まり、米イージス艦が横須
賀に入港しても、入港反対の声はピタリ止んでしまう。かたやW杯サッカ
ーの浮かれはてた祭り。世界の明日はわたしには見えません。
ガンジーがこれを見たら何というのでしょうか。かたつむりのゆるやか
な歩みと、命を賭した“塩の行進”。これ、もう時代おくれですか、核
の時代には通用しない思想ですか、ガンジーさん。ツイアビ「パパラ
ギ」で語られる、太陽のもとで差別も競い合いも、私的所有の争いもな
い(竹島だ、尖閣諸島だ、北方領土だ、との領有権争いも)世界の暮らし
が偲ばれます。どれ一つとっても、だれかがどうにかしてくれる、とい
う問題ではないのですが。

我が家もかなりリサイクルは徹底しています。それにしても、プラステ
ィックのリサイクル資源ごみの多いこと!

⇒市からのお達しにより分別収集を徹底するようになって気づくのは、
それですね。ほんとうに「プラ」の多いこと! 石油製品にどれほどわ
たしたちの暮らしが依存しているか、知らず識らずのうちどれほど地球
の汚染に加担しているかが、これで知れました。

住居部にはエアコンすらありません。事務所でも、ラボで賑やかなとき
以外はエアコンを使わず、ドアと窓を開放しています。

⇒でも、それはその地にいるからそうしていられるのかもしれません
よ。恵まれたことです。窓をあけて風を入れるなんてとんでもないとこ
ろもあるわけでして。わたしの使っている部屋は、クーラーが故障して
すでに数年、横着なので修理もしません。扇風機は、あるにはあるので
すが、この部屋、紙類でうずもれていますので、扇風機の風を起こした
ら、もう、めちゃくちゃになりますので、ひたすら汗をしぼる夏になり
ます。どうにも耐えられなくなると、別の部屋でアタマを冷やす、とい
った次第。ですから、夏は、勉強も仕事も抛りだして、できるだけ山
へ、野生の世界へ、と。
【つづく】
Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:★読書、ツイアビ「パパラギ」、ガンジーとかたつむり
がのさん (2006年07月11日 10時06分)

ドロシーさん 【その2】

>私一人でも省エネ省資源に努めれば、ゴミの量が60億分の1少なくな
る、千里の道も一歩から始まる、の思いです。愛国心でなく、愛地球心
です。愛媛のジョイナーテューターが「私の地球になにするねん!」と
思いながら近所のゴミを拾って回っている、という話を。

⇒虚しくっても、一人ひとりがそうしたいじましい努力をするしかない
のでしょうね。こんな星、どうなってもいい、というわけにもいきませ
んし。

りんごは「でんでんむし、歌いなさい」の話が大好きです。

⇒ありがとう。ガンジーのおはなし、図書館から本を借りていろいろ読
んでくれたんだって?  ね、すごい人でしょう。一つひとつをいいかげ
んにしないでしっかり考えるりんごちゃんが、おじさんは大好き。どん
なことでも、ごまかしちゃダメだよね。「ゆっくりでいい」という意
味、わかってくれましたね。
ところで、こんなお願いをしていいかなあ。あの「でんでんむし」のお
はなしに りんごちゅんの絵をつけてみてもらえないかなあ。だめ…?
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