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★物を乞う存在としての人間を、孤高の精神で表現する、エルンスト・バルラハ 05月20日 ()
 五月の上野公園は新緑にうずまっていました。雨つづきのあとの、つかの間の青空。磨ぎだしたように澄んで、匂いやさしい空気に、小鳥たちがその命を歌っています。風までそれにあわせて歌っているような…。

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 ――人出の少なくなったころを見はからい、ゆっくりと上野へ行ってみようかナ、と思っています。芸大美術館のバルラッハ展。近くの国立西洋美術館ではロダンとその恋人カリエールの作品が来ているそうですが、今回見るなら、そちらではなく、断然、エルンスト・バルラッハでしょう。
 日本ではほとんど知られることのないドイツ表現派の彫刻家(1870~1938)。わたしは、ドイツへ行ってきた知人が持ち帰ったバルラッハ美術館の図録を見せてもらい、初めてこの人を知りました。すべて初めて見る作品でしたが、なんだか、震えるような感動をもって見たような記憶があります。ですから、そんなに詳しく知っているわけではありませんが。
 乞食がいます、魔女がいます、娼婦らしい貧しい女がいます、農夫が、羊飼いが、祈りを捧げている人が、疲れた兵士が、占星術師が…。いわば、社会の底辺で生きている人ばかりを表現している木彫りの彫刻です。それを見ると、孤独で、内面的な生活に徹して生きた人だろうと想像されました。良寛さんや西行にも似て…。そこには、なにやら底知れぬ深さの宗教的なものがあって、卑しいものがカケラほどにもない。ムダなものを徹底的に取り除いて単純化した線と面は、人間の尊さを湛えて凛としています。その、シンプルでアルカイックな表現の中には、日本のすぐれた仏像彫刻にも通ずるものがあるように思いました。(To: ドロシーさん/05.05)

 ……とBBSで書いて、そのままになっていましたが、会期の終わりも迫ったきょう(5月20日)、時間をとって足を運び、宗教的な、とでもいうか、予期していた以上の、ある種の深い感動をもって見てきました。まず、ご紹介に先だって、訂正しなければなりません。わたしはこれまで「バルラッハ」と呼んできましたが、今回の特別展示に際しては「バルラハ」としていること、代表作としてご紹介した“Der Asket”を、わたしは「禁欲者」と勝手に訳しましたが、ここでは「苦行者」としていること。これは、もっと大きなものかと思っていましたが、高さ60センチ前後のものでした。赤っぽい胡桃材でざっくりと彫られています。能面を見ているような、さまざまなことを寡黙ながら語っている表情がドキリと胸を撃つ作品。小さいながらふしぎな存在感を有する、凛冽たる意思の輝きを見せる作品でした。

 180点が展示されているうち、眼目の木彫は12点、彫刻が57点、あとは素描と版画でした。全作品を通じて感じるのは、たいへん誠実に、人間とは何か、人間存在の根源とは何か、を問いつづけ、貧窮のなか、目に見えないものへの恐れと闘ったひとりの孤独な芸術家、といったところでしょうか。「生」と「死」の感情を極限的にシンプルな形で、シンプルながら最高度に繊細に、かつ重厚に造形化する人。作品「苦行者」が端的にその人間性と傾向を表現しているように思いました。表現される労働者や市場に働く女たち、農夫・農婦、難民…。彼らを縛っているのは貧困と飢え、そして戦争です。この作家の観念には、すべての人間は「物乞い」ないしは「問題をかかえた存在」、そして万斛(ばんこく)の無念を抱えたまま死ぬべき存在、とするものがあるように思います。

 展示のなかでとりわけわたしのこころにひっかかったのも、多くの像が祈るがごとく膝まづいていること(「苦行者」もそのひとつ)と、さまざまな「物乞い」のリアルな表現でした。「盲目の物乞い」(陶器製)は、長いボロのコートをまとった痩せた男が身を反らせてすわり、足のあいだに施しを受ける皿を突き出しています。手ばかりやたらと長い存在。「皿をもったロシアの物乞い女」(陶器)は、「く」の字を上からぎゅっと押し潰したような恰好をして、掌をうえにむけ、左手をにゅっと伸ばしています。「ベールをかぶった物乞い女」(プロンズ)は、深ぶかとベールで頭部をおおった女が、痩せてスジが浮いて見える両手を膝のまえに揃えて突き出しています。顔は見えるはずがないのに、それでも女の醜い顔が見えているように錯覚させられる作品。
 現代の「物乞い」たるわたしたち人間存在、いま何を未来に求めてその手を突き出しているのか。マネーか、愉楽か、名利か。それとも争いのない平和な世界か、せめてわが身の安寧か。何が幸福なのか、何がいちばん神に近いあり方なのか…。

 フィレンツェの修業時代(40代)には東洋的な精神性の根源をを探ろうとしている。「読書する僧侶」という木彫では、僧侶に苦行と諦念、克己、そして人間の限界というものを追究するすがたを見ることができる。人間の苦悩と諦念は、「物乞い」からつづくこの作家の生涯のテーマだったのだろうか。それはまた、多くの血が流された第一次世界大戦、つづいて、何もかも不確かな怒涛にもてあそばれたナチスの時代をストイックに生きた芸術家に負わされた宿業だったのだろうか。

 わたしはこれまで知りませんでしたが、付言いたしますと、バルラハはこうした造形芸術だけでなく、戯曲や散文でもすぐれた仕事をやっているそうです。才能ゆたかな人だったんですね。とりわけ劇作家としては、ドイツでは、ブレヒトに次いでもっとも多くその作品が上演されているとか。「哀れないとこ」とか「青いボル」…、ご存知でしたか。

 ★「エルンスト・バルラハ」展、東京藝術大学大学美術館(上野公園)、5月28日(日)まで。
 ☆転記スミ⇒アート回廊=1
 ☆写真2点を削除させてもらいました。(8.19)
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