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★天に帰れなかったオオジシギとヒバリ◇「チピヤクカムイ」の世界 09月12日 (火)
小夜――『はらっぱのおはなし』(松居スーザン、あかね書房)のことを千葉のばーばーじゅこんさんがご紹介していました。コオロギ、クモ、アゲハチョウ、テントウムシ、アリ、カミキリなど、夏の野の生きものたちと、北海道の自然がきれいに語られていて、すてきでしたね。
がの――こちらが夏のおはなしなら、スーザンさんは『冬のおはなし』(ポプラ社)も書いていて、キツネやウサギ、タヌキ、オコジョなど、冬の森に生きるものたちが、北海道の雪と氷と風のなかでそれぞれのゆかいなおはなしを語ってくれています。ほんとうにゆたかな生きものたちの世界です。
小夜――オオハクチョウのおはなし、すてきでした。『チピヤクカムイ』で描かれる北海道の世界も、スケールがおお~きく、その自然はきれい。いい香りをのせた透き通った風が大地いっぱいを撫でていくよう。オオジシギがカムイのいいつけをつい忘れてしまったのも、わかるような気がするわ。
がの――小夜ちゃんも、お使いに行ったのになかなか帰ってこなかったじゃないですか。本屋さんに入って、立ち読みをはじめたらもうやめられず、おかあさんにいわれたことなんて、すっかり忘れちゃって。

suzuran005

小夜――このところ、いくつか、北海道開拓のおはなしを読んでいたら、すっかりこころをうばわれてしまいました。その自然の美しさだけでなく、入植してきた人びとのまっすぐな意思とご苦労、とりわけ、きびしい自然との戦いには、読んでいてからだ全体が熱くなるような…。
がの――きれいだ、かわいい、といわれて愛されるスズランの花。北海道の象徴のようにして語られる花ですが、あの植物を駆除するのが、森林を切り拓くこととともにだいじな開拓の仕事の第一歩で、スズラン駆除こそが開拓の歴史だった、なんてはじめて知りましたよ。
小夜――スズランには毒があり、牛や馬や山羊や羊がこれを食べると中毒をおこし、とても困ることになったようでしたね。
がの――北海道の開拓は、まず川に沿っておこなわれました。ですから、洪水との戦いでもありました。いまも川に縁の深い地名がたくさん残っています。
小夜――○○ナイの「ナイ」は川のことですってね。
がの――稚内、静内、岩内、神恵内、歌志内…。函館の近く、松前半島には木古内、知内。みんなアイヌのことばのなごりをとどめる地名です。ばーばーじゅこんさんの生まれ故郷の小樽も、ずっと昔は「小樽内」といったそうですよ。「ナイ」に近い「ナエ」となると、小さな川、谷川のこと。
小夜――「ペンケ」「パンケ」もひびきのおもしろいことば。ペンケは川上のこと、パンケは川下のこと。
がの――ほかには、○○別という地名を北海道でよく聞きませんか。よくわかりませんが、これも川と関係があるような気がしますね。
小夜――登別、江別、芦別、紋別、士別…。うーん、なるほど。
がの――日本地図を見てみようか。ここが知床半島でしょ。オホーツク海に面する海岸に沿ってずうっと北、宗谷岬までたどってみると、薫別、女満別、津別、湧別、紋別、浜頓別、鬼志別。さらにそこから日本海側に沿って南下してくると、すぐに遠別、初山別、と。細かに見ていけば、道内各所にもっともっとありそう。そのほかには、小夜ちゃん、どんなアイヌのことばをおぼえましたか。
小夜――「カムイ」はカミ(神)に似ているわ。道のことは「ル」ですけど、これも「ロ(路)」に似ている。留辺蘂(るべしべ)とは、もとは「ル・ペシュペ」で、超えていく道、つまり「峠」のことだったそうですね。メノコといえば娘さんのこと。内地の人のことはシャモと云ったのね。夏はサク、冬はマタ。夏には花たちがいっせいにサク、冬にはマタきびしい吹雪が来る、ということかしら。
がの――はっはっは…。それはどうかな。
小夜――それに、ちょっと気にいったひびきをもつことばは「チャランケ」。「キツネのチャランケ」というおはなしがありましたね。
がの――そういう名前のキツネのことかと思いましたよ。そうじゃなくって、談判すること、交渉して許しを乞うことですってね。そうそう、ラボのおはなしの『チピヤクカムイ』にもチャランケの場面がありましたね。
小夜――カムイのいいつけで、オオジシギは六つの空を通り抜けて下界に行きます。人間がいまどうしているか見て来て報告しなさい、とのいいつけでした。ですけど、小夜と同じおばかさんのオオジシギは、下界があまりにも美しく、木の実はあまりにもおいしいので、もう、夢中になってしまい、カムイのいいつけなんてすっかり忘れてしまいます。
がの――アイヌの神はきびしいね。小夜ちゃんを叱ったおかあさんほどには甘くないよ。やっと気づいて帰ってきたオオジシギを棒でたたいて下界へ突き落とします。いくら言い訳をし、チャランケをしようと、カムイは一度の失敗さえ許してくれません。それを安易に許すほどには北の国の暮らしは甘くない、ということでしょうね。オオジシギは、吹雪のつづくきびしい北海道の冬を死にそうになりながら耐えなければなりませんでした。
小夜――かなしいですね。福寿草の咲く春になり、翼に力がよみがえってきても、ついに許されることはありません。故郷恋しさにオオジシギはヒューッと天近くまでのぼりますが、ついに天に入れられることなく、またスーーッと急降下。これをいつまでもいつまでもくり返して、それで生涯を終えるんですから。
がの――ひとからものをたのまれたり約束したら、どんなことがあってもそれを守らなければならない、自分の欲望におぼれてはいけない、ということを語るおはなしでした。
小夜――どうしてなのか、アイヌのおはなしには、このチャランケがときどき出てくるように思いませんか。
がの――おとうさんは白老(しらおい)とか二風谷(にぶたに)・平取(びらとり)とか、いまも残るいくつかのアイヌ部落をずうっと以前に訪ねたことがあります。平取の長老から聞いたおはなしが『チピヤクカムイ』によく似ているんですね。
小夜――わあ、アイヌの古老から直接おはなしを聞いたのですか。ね、そのおはなし、して。
がの――細かな部分は忘れてしまいましたが、こんなおはなしでした。オオジシギではなく、ヒバリが主人公。ヒバリは青空の広がるよい日には一日じゅう高い空で鳴きつづけていますね。あれは、空のカムイに「帰してください」「わたしが悪うございました」「これからはぜったい約束は守りますから」とチャランケし、謝っているんですって。ヒバリって、もともとは、空のカムイに仕える召使いだったの。ある日、空のカムイはヒバリに「神のなわしろのイチゴがどれほど熟れて色づいたか、行って見て来い」と命じられます。ヒバリは得意になってピューッと地上に舞い降りました。まあ、なんという気持ちのいい風。それに、たわわに実ったイチゴはつやつやとし、まっ赤に熟れています。一つついばんでみました。なんという甘さ! なんという香り! もう一つ、もう一つ、と食べ、もうやめられなくなってしまいました。ハッと気づいて、あわてて空のうえへ帰ろうとしました。しかし、いいつけに逆らった召使いに怒った空のカムイは、空への道をピシャリと閉ざし、がんとして入れてくれません。いくら泣いてお詫びしチャランケしても、カムイは聞き入れてくれません。ですから、いまもヒバリはあんなふうにチャランケをして鳴きつづけているんですって。
小夜――『チピヤクカムイ』とよく似ているわ。どちらが原型なんでしょうか。オオジシギもヒバリも、北海道の大地に、人のすむ地上にすばらしい楽園を見たのですね。浦島太郎やリップ・ヴァン・ウィンクルは、はるかな異界に桃源郷を見ましたけれど。

what012
転記スミ ⇒ 「小夜& GANOトーク=4」
Re:★天に帰れなかったオオジシギとヒバリ◇チピヤクカムイの世界(09月12日)
dorothyさん (2006年09月13日 05時38分)

心癒される写真を拝見したくて参上しました。
すずらん。いつみても清楚ですね。
北海道の風景のイメージで、お話の内容の
深さを北海道の涼やかな風が柔らかく
していますね。

桃源郷、私はいつもこの言葉に惹かれます。
高校時代、漢文の時間で習ったこの物語。
戦乱をさけ、諍いから逃れられる桃源郷は
存在するのでしょうか。もし、存在するなら
私は今のこのささくれだった世界から桃源郷に
移りたい。
Re:Re:★天に帰れなかったオオジシギとヒバリ◇チピヤクカムイの世界(09月12日)
がのさん (2006年09月13日 16時13分)

dorothyさん

【その1】
>桃源郷、私はいつもこの言葉に惹かれます。高校時代、漢文の時間で
習ったこの物語。戦乱をさけ、諍いから逃れられる桃源郷は存在するの
でしょうか。もし、存在するなら、私は今のこのささくれだった世界か
ら桃源郷に移りたい。
----------------------------
中国の故事にいう「桃源郷」とは、どんなところなんでしょうか。
『チピヤクカムイ』からは飛躍しますが、オオジシギの急上昇・急降下
の展開もあることだし、話が大きく逸れるのも、この際、ま、いいか。
その伝説の地が実際にある、ということ、ご存知でしたか。
地図を開いてください。中国・湖南(フーナン)省、洞庭湖の西に常徳(チ
ャントー)という小さな町があります。その西南のあたり、沅江(ユワン
川)沿いの小集落がそれですって。ふつうの地図には載っていませんね。
でも、ホントかなあ。
古典の話の通じるdorothy さんですので、ついでに書いてしまいます
が、
これは晋の詩人、陶淵明が「桃花源記」という作品のなかで書いている
美しい別天地のことでしたね。一人の漁夫が道に迷います。探して探し
て迷いこんだのが深い桃の林。そこできたないナリをした老人に出会い
ます。この人は、秦の戦乱につくづくイヤケがさして戦場から逃亡、こ
こに隠れ住むようになった人の子孫。何代にもわたり、その後の社会が
どうなったのか、時代がどう動いたのか、そんなことは知ることもな
く、知ろうともせず、ただひっそりと平穏に、欲も名利も捨てて、人蹟
未踏のこの仙境でこころゆたかな生をいとなんでいた、とか。
中国では、この桃、なかなか評判よろしいようですね。ラボのみなさん
は『西遊記』でよくご存知のはず。わたしにも、日ごろ大事にしている
故事があります。ちょっと恥ずかしいですが、この際、ご披露しましょ
う。『史記』に見られることばです。
  「桃李不言下自成蹊」
読み下してみますと、「トウリものいわざれどもシタおのずからミチを
なす」となりますでしょうか。東京・武蔵野市にある成蹊大学はこの故
事にならってつけられた名だそうです。【つづく】
Re:Re:★天に帰れなかったオオジシギとヒバリ◇チピヤクカムイの世界(09月12日)
がのさん (2006年09月14日 12時19分)

dorothyさん

【その2】
桃もスモモも、花は美しく、実を食べればうまい。なにもカネやタイコ
で人を集め、声高に自己主張をするまでもなく、いいものには黙ってい
ても人が集まってくるもの。その木の下には、知らないうちによく踏み
ならされた立派な道がつくられるものだ、という。
人徳のある人のところには、知らず識らずのうちに人が慕い寄ってく
る、と。
いいテーマ活動をしているテューターさんのところには、ムダの多い宣
伝をしないでも、人が人を呼び、自然のうちに会員は集まってくる、…
そういうことになる、かな?
これは、司馬遷が李広(リコウ)という名将のことを書いたところに出て
きます。
漢の文帝・景帝・武帝、この三代にわたって仕えた武人で、えらく訥弁
で、ふだんはもの云わず何を考えているかわからず、よく誤解を招くこ
とがあったそうです。しかし、部下への思いやりが深く、行軍中、飢え
ても渇いても、自分は最後にしてまず部下に与えたという徳望の人柄。
とうぜん、部下は一人の例外なく、この人物をシンから愛し、信用して
いたそうです。そんな上司って、いまどきの会社にいないね。

中国のことばかり書いてしまいましたが、日本にあっても桃は古くから
大事にされてきましたよ。古事記は、この実が悪霊を退散させる霊果と
していますし、日本五大昔話の一つ「桃太郎」にその霊力が語られてい
るのはよく知られたこと。三月のひな祭りは「桃の節句」と呼びならわ
されて今に至っています。「桃弧」というのは、桃の木で作った弓で、
災厄を払う宗教の具としてこれを土俗的に使っているところがありま
す。
「桃尻」といったら、ちょっとドキッ! としませんか。これ、性卑し
きわたしなんぞがすぐ想像するイメージとはぜんぜん違うんですね。
『徒然草』にちゃんと出ています。ほら、桃のおしりといったら、まる
っこくてかわいいじゃないですか。撫でてみたくなっちゃう。しかし、
これ、まるっこいので、すわりが悪い。馬に乗る武士で、鞍におしりが
すっぽりおさまらない、なんだかモゾモゾして安定しないでいる人のこ
とを、侮蔑の意をこめてそう呼んだとか。映画やテレビの時代劇などで
は、そういうカッコわるい武士は登場しませんがね。
Re:Re:Re:★天に帰れなかったオオジシギとヒバリ◇チピヤクカムイの世界(09月12日)
dorothyさん (2006年09月16日 07時26分)

がのさん

「桃李不言下自成蹊」

はい、知っていました。ですが、これが成蹊大学の
由来とまでは知りませんでした。驚きです。

「桃」というのが不思議な霊力を持つものである、
というのは中国の昔から言われていることらしいです。

これは、私が大学生時代、母校に教育実習に行った
際、一度だけこの陶淵明の「桃下源記」を扱った
授業をしたときに、生徒から桃について質問
されたのです。

今の日本では、桜が狂おしいほど愛でられるので、
自分としては、漁師が川を遡るときに両岸に咲いている
花は桜しかイメージできない、というのです。

確かに私も知らず知らず、両岸を埋め尽くし
やがて川の行方すら見えなくさせるほどに
生い茂った、花をつけた樹は、桜をイメージ
していました。

ですが、その桜はソメイヨシノ。江戸時代に
染井墓地の近くの植木職人が交配した木が
陶淵明の時代にあるはずもありません。

よく調べると、桃の霊力を信奉し、その力を
平和への願いが桃にはこめられるのだ、という
ことを知りました。
Re:Re:Re:Re:★天に帰れなかったオオジシギとヒバリ◇チピヤクカムイの世界(09月12日)
がのさん (2006年09月16日 13時29分)

dorothyさん

【その1】
>「桃李不言下自成蹊」 「桃」というのが不思議な霊力を持つもので
ある、というのは中国の昔から言われていることらしいです。よく調べ
ると、桃の霊力を信奉し、その力を平和への願いが桃にはこめられるの
だ、ということを知りました。

⇒こういうネット環境にあって、中国の古典、日本の古典について、は
なしが通じるというのは、ぐっと奥まで屋敷が開けるようで、なんだか
うれしいです。こんな日常のなかでそれを語り合う機会なんて、まずな
いですので。わたしもつい、いい気になりすぎているかも知れません
が、ま、お許しください。そうそう、dorothyさんをまた口惜しがらせる
ことになりますが、10月初め、今年も狂言を鑑賞することになりまし
た。なんとまあ、今回演じられる曲は「柿山伏」。加えて「水掛婿」
「東西迷(どちはぐれ)」。たのしみにしています。
しかしまあ、早や秋。萩の花がこぼれる季節でもあり、古事記まで言っ
て、萬葉集をいわないのは片手落ちというもの。

   萩の花 尾花 葛花 なでしこの花
     女郎花(おみなへし)また藤袴 朝貌(あさがほ)の花  
                          山上憶良

 朝貌(あさがほ)とは桔梗のこと。高校のころ暗記させられませんでし
たか。秋の七草が詠みこまれた有名な歌。萬葉集4千5百余首の3分の
1に植物が詠み込まれているうち、秋のハギがもっとも多いことはよく
知られていますね。そのつぎに多いのは梅、松、橘。わたしに由縁ある
スゲも50首あります。サクラはそれより少なく40首。さて、モモやスモ
モは…? あります、あります。数は少ないですが、まずよく知られて
いるのは、

   春の苑 くれなゐにほふ桃の花 
     下照る道に 出で立つおとめ  大伴家持

カビによる劣化で問題になっている明日香村の高松塚古墳、そこに描か
れていた明日香美人が想い浮かびます。うん、美人にモモがよく似合
う、…ような。また、

   わが園の李(すもも)の花か庭に散る
     はだれのいまだ残りたるかな   読み人知らず

というのも。【つづく】
Re:Re:Re:Re:★天に帰れなかったオオジシギとヒバリ◇チピヤクカムイの世界(09月12日)
がのさん (2006年09月16日 13時32分)

dorothyさん

【その2】
ところで、悠仁親王お誕生のめでたさに沸くわが国ですが、そのオシル
シが「高野槇」だとか。「槇」を詠ったものを萬葉集に探してみまし
た。ありましたよ。

    時雨の雨 間なくし降れば
       真木の葉も争ひかねて色づきにけり  読み人知らず

槇=真木については「日本書紀」の歌謡にこんなのがあります。これがな
かなかいい。

  真木拆(さ)く 桧の板戸を 押し開き 我入り坐(ま)し 
  後取りて 端取りて 頭辺(まくら)取り 端取りて 
  妹が手を 我に纏(ま)かしめ 我が手をば 妹に纏かしめ
  真木葛 手抱き交はり ししくろき 熟睡寝(うまい)し時に 
  庭つ鳥 鶏は鳴く……(略)

 歌垣のなかでオペラのようにして歌われたものでしょうか。ちょっと
刺激が強すぎるかしれませんが、幸せに満ちた恋の夜の歌。あまりつっ
こんで解説すると、問題になりそうですので…。

 萬葉集はその時代の日本の風土と自然につちかわれた人間のこころを
実感のままに技巧なくストレートにあらわしていますが、素朴で、余裕
があってゆたか、自由で平和ですねぇ。歌には見えないだけかもしれま
せんが(歴史的事実とは別に)、この世界には、親殺し・子殺しもない
し、酔っ払いによる車の轢き逃げもないし、拉致も核兵器もテロもあり
ません。平和って、美しいです。戦争のできる美しい国をめざすとい
う、どっかの国の次期宰相もいるようで、困ったものですが。

 「桃李」…。「チピヤクカムイ」に、なんでモモ・スモモなんでした
っけ。そうか、「桃源郷」。さて、北海道にはモモ・スモモはあったで
しょうかね。先日引っ張り出して小夜ちゃんに読んでやった松居スーザ
ンさんの『冬ものがたり』、冬がおわって、つららの先からしずくの玉
がポツン、ポツン。そして、春風の精がさまざまな花のあいだをスイー
ッ、スイーッと飛びまわりますが、このオシャレな衣裳持ちの妖精、モ
モ・スモモの花のドレスももっていたかなあ。もっていなかったよう
な…。
Re:Re:Re:Re:Re:★天に帰れなかったオオジシギとヒバリ◇チピヤクカムイの世界(09月12日)
dorothyさん (2006年09月18日 04時44分)

がのさん

私は推薦で入った大学に、入学前レポートという宿題を
出され、毎日高校の図書館に通っては万葉集の植物に
ついて取り組んだことがありました。
あのころは、万葉集総索引なるものがあるのも知らず、
一首一首を調べては、植物の多い順に書き込んでいきま
した。ほとんど出来上がったときに、索引の存在をしり、
自分の無知を恥じたものでした。

そんなわけで、万葉集の中で萩の花が一番多く
詠まれていることは、実体験として理解できます。

また、大学一年のときに毎週十首ずつ万葉集を
暗記していく授業があり、(そのほとんどは
忘却の彼方ですが)

  春の苑 くれなゐにほふ桃の花 
     下照る道に 出で立つおとめ  大伴家持

これは、とても心に残っています。
実際に、友人と鎌倉に散策にいった折、丁度
桃の花が咲いていて、その下に立っていた
友人の顔が桃色にそまり、とても雅でした。
このときの風景は今でもこの家持の歌とともに
印象深く残っています。

相聞歌、というと万葉集第二巻
石川郎女と大友宿禰のやりとり、
  みやびをと われはきけるを やどかさず
    われをかへせり おそのみやびを

  みやびをに われはありけり やどかさず
    かへししわれそ みやびをにはある

(結構遊び人って聞いてたのに、いざとなったら
私と共寝もせずに私を帰しちゃったでしょ。案外
晩熟なのね・・・

いやいや、誰とでも共寝するわけじゃない、ちゃんと
相手を選んでいるんだよ。君なんかと共寝するのは
私のプレイボーイとしてのプライドが許さなかった
んだよ。本当の遊び人とは、そういうものさ。)

これ、好きですね。
Re:Re:Re:Re:Re:Re:★チピヤクカムイの世界/萬葉の恋
がのさん (2006年09月18日 21時32分)

dorothyさん 【その1】

相聞歌、というと万葉集第二巻、石川郎女と大伴宿禰のやりとり、

  みやびをと われはきけるを やどかさず
    われをかへせり おそのみやびを

  みやびをに われはありけり やどかさず
    かへししわれそ みやびをにはある

(結構遊び人って聞いてたのに、いざとなったら、私と共寝もせずに私
を帰しちゃったでしょ。案外晩熟なのね。……) これ、好きですね。

⇒ へ~ェ、そうなんだぁ! 武門の名家大伴家の跡取り息子、父ゆず
りの詩歌の血を引く若き貴公子、大伴宿祢家持は、一時期のヨンさまみ
たいなものだったでしょうか、もう、どうしようもなく、もてて、もて
て、この美貌の若者に熱烈な恋ごころを寄せる女性はおびただしく、石
川サンもその一人で、萬葉集は彼に寄せる恋の歌にあふれています。
 こんなこと、ここで書いていていいでしょうかねぇ。

 萬葉集ということになりますと、わたしには、「苦い」というか、
「痛い」というか、悔やんでも悔やみきれない深い因縁があります。ラ
ボを早期に退職、ラボ・ライブラリー制作の縛めから解放されて最初に
やったのが、それ以前から少しずつやっていた萬葉集、主として東歌、
防人の歌の鑑賞でして、ひとからゆずり受けたセコハンのノート型パソ
コンに、思いつくところからどんどん打ち込む作業を、きわめて快調に
やっておりました。萬葉学者のだれにも書けないことを自分ならやれる
のではないか、とそんなバカな奢りさえもって。全体の構成はあとで考
えてまとめればいい、ということで、寝る間も惜しんで書いていまし
た。
 そのうち、東歌や防人の歌から逸れて、萬葉ですので、どうしても相
聞歌に行きつき、大伴宿祢家持と彼を取り巻く女性たちの歌、とりわけ
笠女郎(かさのいらつめ)の恋のこころの微妙な推移を夢中になって書い
ているとき、パソコンがプツリッ! あれっ! という間に全部消えて
しまいました。【つづく】
Re:Re:Re:Re:Re:Re:★チピヤクカムイの世界/萬葉の恋
がのさん (2006年09月18日 21時36分)

dorothyさん 【その2】

汗ぐっしょりになっていろいろ操作してみてもどうにもなりません。数
日はそればっかり。パソコンに詳しい友人の何人にも復活を期してトラ
イしてもらいましたが、もう、パアでした。いろいろいじりまわしたの
が却っていけない、なんていわれたりして。ばかですよねぇ、バックア
ップをとっておけばよかったのに、まずは書き進めること、書きためる
こと、すでに書いた部分を思い出しては修正加筆を繰り返す作業でもあ
りましたので、あとでいいや、という油断があったんですね。
400字の原稿用紙にして220~230枚くらいだったはず。マッキントッシュ
のアップルでしたよ。だいたいあのパソコンはむこうのものですから、
日本語のほうはかなりいい加減な部分があり、内容からして古語による
表現を避けるのは難しく、文字変換には苦労したんですよね。損害賠償
を請求するわけにもいかず、安い中古パソコンを使ったのを悔いたり、
バックアップさえとっておけば、とわが身の迂闊を悔いたりしてもすべ
てはあとの祭り、もう、最後にはそのパソコンを頭のうえ高くにかか
げ、力いっぱいコンクリートの地面にたたきつけましたよ。
 以来、そのショックから立ち直れず、萬葉集のことはすっぱりと忘れ
ることにしました。関係の図書資料のすべても文庫活動をしている知人
にもらってもらい、ようやく萬葉集の縛めからも解放されたというわ
け。マッキントッシュなんて見たらツバをかけたくなるような心境。よ
うやく心癒えて、4~5年前から近くの大学に本部を置く「萬葉花の
会」というところでちょっと楽しんでいます。これも、ある不純な動機
からなのですが(K.Mという清純派女優さんがいっしょにやっていると
聞いて、うん、それいいかも…、と軽薄にも)。【つづく】
Re:Re:Re:Re:Re:Re:★チピヤクカムイの世界/萬葉の恋
がのさん (2006年09月18日 21時39分)

dorothyさん 【その3】

 つまらないことを書きました。まだ忘れずにわたしのなかに残ってい
る、笠女郎の熱烈な恋の思いをつづる歌のいくつかを。声に出して読ん
でみると、ほんと、日本語って、美しいなあ、と思うし、恋をした経験
のある人なら、しみじみとして、なんかやるせない思いにつつまれま
す、…でしょうかね。どうですか、dorothyさんは、経験からして…。

 夕さればもの思ひまさる見し人の言問ふすがた面影にして

 彼女の歌は萬葉集に二十九首とられています。そのすべてが大伴家持
に贈った恋の歌。特に巻四の二十四首を見ると、まさに恋愛歌集のさま
になっていますね。

 わが形見 見つつ偲ばせ あらたまの 年の緒長く われも思はむ 

 形見とは何だと思いますか? これは恋の一夜のあと、たがいの下着
を取り交わし、次に会うまでそれを肌身につけておくという当時の習慣
があって、その下着というわけ。ちょっと、ねぇ。

 わが思ひを 人に知るれや 玉櫛笥(たまくしげ) 
             開き明けつと 夢にし見ゆる

 もう、どんどん書いて送りますが、それに対する家持の返歌は二首の
み。彼女のはげしさに色男のほうはちょっともてあましぎみ。その歌が
次第に変化していきます。最後には、あきらめと自嘲に満ちたこんな
歌。甲斐のない恋に身を焼き尽くし、もうやけくそ、という感じですか
ね。

 相思はぬ 人を思うふは 大寺の 餓鬼の後(しりへ)に 
                      額づくごとし

 哀しく燃えるこころを伝える実感のこもったいい歌ばかりですが、所
詮、笠女郎は人妻でもあったらしいし、美貌の貴公子、大伴家持のほう
は、星の数ほどの女性との恋の遍歴を経て、結局は初恋の女性、大伴坂
上大嬢(さかのうえのおおいらつめ)との恋に戻っていく。歌の背後にせ
つないドラマが見えてきます。長くなりました。
Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:★チピヤクカムイの世界/萬葉の恋
dorothyさん (2006年09月19日 09時20分)

がのさん

マッキントッシュ、お悔やみ申しあげます。
バックアップは、壊れてはじめてその必要性を
実感するのです。確かに。

>まだ忘れずにわたしのなかに残っている、笠女郎の熱烈な恋の思いを
つづる歌のいくつかを。声に出して読んでみると、ほんと、日本語っ
て、美しいなあ、と思うし、恋をした経験のある人なら、しみじみとし
て、なんかやるせない思いにつつまれます、…でしょうかね。どうです
か、dorothyさんは、経験からして…。

 夕さればもの思ひまさる見し人の言問ふすがた面影にして

 わが形見 見つつ偲ばせ あらたまの 年の緒長く われも思はむ 

 わが思ひを 人に知るれや 玉櫛笥(たまくしげ) 
             開き明けつと 夢にし見ゆる

 相思はぬ 人を思うふは 大寺の 餓鬼の後(しりへ)に 
                      額づくごとし


一度は相思相愛となった(と思った)貴公子に自分が
捨てられていく。「餓鬼の後に 額づくごとし」とは
俊寛の足摺のさまを思い起こさせます。

万葉集ではないけれど、恋の歌ですきなのは古今集
読み人知らず

  さつきまつ 花橘の 香をかげば
    昔の人の 袖の香ぞする

遠い昔の結局は添い遂げられなかった愛しい人の想い出を
香りとともに思い出すのが好きです。

笠郎女のなりふりかまわぬ姿は、シャンソン「ラ ヴィ サンバ」
の最後「行かないで」と叫ぶ姿と重なります。
越路吹雪さんが歌い嘆きそして叫ぶ姿が郎女の相聞歌の
心の動きと重なっていきます。

ありゃりゃ・・・。万葉集からマッキントッシュ、
古今集にシャンソン。幅広ですね。
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