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★映像文化と“ことば”の明日は…? 小栗康平監督『埋もれ木』から 11月06日 (月)
 いま流行りのシネマコンプレックスに氾濫する、“カタカナ・タイトルの映画”を観ることは、わたしの場合、まずありません。何故か。その理由が、なんとなく自分ながらわかりました。11月3日、小栗康平監督による新しい映画『埋もれ木』(2005年製作)を観たことによります。
今回は、ことばと映像の可能性、その今日的問題といったことについて語ってみたい。

 それを語る前に、お尋ねしてみたいことがあります。皆さんの小さい子どもさんが、いつまでもテレビ・アニメを見ている、テレビ・ゲームで遊んでいるとして、「もう、やめなさい」「むこうへ行って勉強しなさい」「早く寝なさい」と促さねばならないことがあるとします。何故子どもがいつまでもテレビを見ていたり、テレビ・ゲームで遊んでいてはいけないのか、そのわけをきちんと語って聞かせたことがありますか。「うるさいから」でしょうか、「ご自分の見たいテレビ番組があるから」でしょうか、子どもさんの「目がわるくなる」からでしょうか、「学校の勉強がおろそかになる」からでしょうか、それとも、「番組の程度の低い通俗性に毒されるおそれあり」だからでしょうか。

 一方向だけから与えられるメッセージ、…考えなくていい、むしろ考えないでくれ、見てくれるだけで十分、として投げかけられる表現にさらされている子どもたちがどんな子に育つかは、およそ見当がつこうというもの。だって、子どもならぬ判断力あるはずのわたしたちにしたって、たとえば、世界のニュースがCNNからしか発せられないとしたら、恐ろしいことになりますよね。

 わたしたちの世代のものにとっては、映画といえば、特別なものでした。少なくとも、コンビニ感覚で手っ取り早く観るようなものではありませんでした。昭和30年代が映画の黄金時代だったとよく云われますが、何をもって黄金時代と云ったかといえば、一つには、ほんとうに多様な映画があったということではないでしょうか。多様な、メッセージ性のあるすぐれた映画。そう云ったときにフッと象徴的に想い起こされるのは、東欧のすごい映画の数かず。ポーランドの『灰とダイヤモンド』、ワルシャワ放棄を描いた『地下水道』。地上で生きられないおれたちだが、いやいや、まだ地下があるじゃないか、という極限状況下の生死を賭けた苦しい発想には胸をえぐられ、泣きましたね~。
 時代が変わり、その東欧映画がプツリと消えて久しい。いまはハリウッド映画ばかり。あとわずかに、甘っちょろいだけで何の発信力もない韓国映画。なるほどこれらは、スーッとわかる映画、考えることなく大衆にサッと伝わる映画です。まあ、このわかりやすさが今日的な娯楽のレベルというものなのでしょう(前首相の異常な人気は、ことばのわかりやすさだと指摘されていますね)。つまり、アメリカ文化のおびただしい横溢であり、商業性への露骨な傾斜でした。それは、映像と表現の単一化、一元化によるアメリカの世界戦略に飲み込まれていく図という以外の何ものでもありません。

 それ以上に、いまは映像の中心はテレビであって、子どもが映画を見る機会はあまりないのが実情のようです。さらには、テレビでもDVDでもなく、携帯のあの小さな液晶画面で映画を観ようとする時代。手っとり早く楽しめればそれがイチバンというわけで、どうも便利すぎますよね~。いきおい、映像のもつ意味、ワイドスクリーンで見てきたあの映像は、いまや極限的に小さく押し込まれていく傾向にあります。映像の影が薄められたときに浮上してくるのが、ことばと音ということになりましょうか。そのことばや音も通俗趣味に堕し、あやしい。微妙な情緒のあやは消え、やたらアップにした刺激的な映像と絶叫調のことばが掌のなかの小さな液晶画面で騒ぎまくる。おそろしく薄っぺらになっていくような気がする。薄っぺらですぐわかるというものにすぐ満足してしまう薄っぺらな知性。
 まわりには抱えきれぬほどに大きく広い世界がある、多様な世界がある、もうひとつのすぐれた映像文化がある(それを、今回、小栗の「埋もれ木」に見ました)ということを知らない今の若い世代が、どれほど貧しく脆弱な社会構造をつくっているかは、わたしが云うまでもありません。シネコンにかかる映画、といえば、たくさんあるようでいて、じつはちっとも多様でないことはおわかりのとおり。限られたヴァーチャルなところにいては、言語も感覚も育ちません。わかるだけのもの、伝わるだけのもの、商業的に成立するものだけのものに単一化していったら、わたしたちの感覚世界はどんどん痩せこけてしまいますね。

 ラボの皆さんは日常の活動を通じて、子どもたちには多様な表現にふれてもらおうとさまざまな努力をしています。ところが、そういう観点もなく、さまざまな世界を見まわすことなく、自分のアタマで考えることもないまま、ヴァーチャルと現実との接点のない世界に子どもが深く深く埋没していったら、どうなるでしょう。ことばが貧しくなります。こころがやせていきます。人間がひとりよがりになっていきます。映像の場合は、ことばに文法があるようには規範がありませんから、共通する場でよい・悪いを互いに語り合い論じ合うことが起こりません。せいぜい感覚的な印象を語るのみです、よかった、気持ちわるかった(キモかった)、すごかった、カッコよかった・悪かった…、という程度。それだけ。借りものばかりで自分のことばを持たない栄養不良の個性、そこではコミュニケーションが成り立つはずもありません。これって、受験科目偏重の、必修科目の未履修問題とは……無関係でしょうかね~。
 どうでしょうか、このごろの子どもたち一般を見て、表現の貧しさについて、お感じにはなりませんか。友だち同士でさえ語り合えないから、自閉的な存在を生み、命の尊さなんて知るはずもなく、痛さの感覚さえないから平気でひとを傷つける。ひとのこころを傷つけることばを得意げに発する。人間の孤独の闇は深まるばかり。さあ、どうしましょうか。

 書きはじめたら、また長々しいものになってしまいました。小栗康平監督による『埋もれ木』については、皆さんの反応をみて、気がむいたら来週にでも書いてみます。

★…小栗康平「埋もれ木」その1 転記スミ ⇒「つれづれ塾《6》
★★…画像3点削除 12.09


       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
☆…画像は、12月に記念行事がおこなわれるという横浜・みなとみらい21地区の景観の一部。上がパシフィコ横浜。式典のほか、日本近代化の先導を果たした横浜の初冬の風をどうぞ感じて帰ってください。
 そのこととはまったく別に、わたしは、11月5日、桜木町駅をはさんでこことは逆の山がわ、そこに日本の文明開化の歴史を求めて歩いてきました。新橋―横浜に鉄道が開通したときの横浜が桜木町のことだとは、地元の人さえあまり知らないし、鉄道だけでなく、日本の夜に灯りをもたらしたガス、また水道の事業など、ここからはじまっているものがいろいろ。何よりも、日本の鎖国を解いた日米修好通商条約に決定的な役割を果たし桜田門外で倒された井伊直弼大老や、開明派で横浜開港を提唱しつづけ、最後には攘夷派浪士に暗殺された佐久間象山、また福沢諭吉らのゆかりの地、また有島武郎「或る女」有吉佐和子「ふるあめりかに袖はぬらさじ」、俳人・中村汀女らの文学作品の舞台をたずね、そのあとついでに「みなとみらい21」へもふらりちょっとだけ…。
Re:★映像文化と“ことば”の明日は…? 小栗康平監督『埋もれ木』から(11月06日)
dorothyさん (2006年11月07日 22時41分)

「埋もれ木」、伺いたいです。

さて、うちの子の一週間のテレビ視聴時間は基本的に1時間半です。
金曜日の「ドラえもん」と土曜日の「世界ふしぎ発見!」だけです。
それ以外の時間でテレビを観る、ということはあまりありませんし、
観たがりもしません。テレビゲームもありません。

ごくたまに、パソコンの中にあるゲームをしますが、
それも3人で1時間もしません。それよりも、本を読んだり
外で遊ぶほうがよほど楽しいのです。

買ってきたDVDを家族で視聴することはあります。
また、散髪(子供の髪は夫が切ります。たまに私のも切ります)
のときに、おとなしくさせるときにも、DVDを観ます。

テレビ番組は、一方的な通達であるばかりでなく、特に
民放番組は、ものを売るためのツールです。また、
テレビに依存すると、家族共通の会話・コミュニケーション
を必要としなくなります。

大型家電店などに行くと、子供たちはテレビに見入ります。
これは、テレビが点いている状態がものめずらしいからです。
まるで昭和30年代の子供のようです。

外食をするときなどは、子供たちは読みたい本を選んで
持参します。待ち時間や、食後大人が食べ終わるまでの
間、三人とも、ずっと本を読み続けます。
Re:Re:★映像文化と“ことば”の明日は…? 小栗康平監督『埋もれ木』から(11月06日)
がのさん (2006年11月08日 10時48分)

dorothyさん

【その1】
>「埋もれ木」、伺いたいです。

⇒ はい、来週にでも。この映画、おもしろいか、といわれれば、う~
~~ん。じゃあ、つまらないのか、といわれれば、う~~~~~ん、と
しかいいようのない映画。奇をてらうこともない、観る人に何ひとつサ
ーヴィスしてくれない作品。監督のこころの羅針盤がどう働いているの
か、ちょっとわからず、戸惑います。わたしと同郷、大学も同じ、世代
もほぼ同じなんですけど、う~~ん、どう云ったらいいのか、わからな
い。ただ、死に物狂いで表現の可能性にぶちあたっているな、というこ
とはよくわかる作品。ムダなものを一つずつ消していって、初めから終
わりまで飾りも強調もなく、そのまま。こういうのはどうでしょうか、
と遠慮がちに問われているような。
 したがいまして、それをどう書いていいのか、どうまとめればいいの
か、よくわからないのですが、じつは、もう書きあげてあります。映像
論をやるのはわたしの柄ではないのですけれど、こういう、わけのわか
らないものを見せられると、やけに書いてみたくなってしまうというへ
んな性癖があるようで。
 ただ、自分のなかでまとまらないまま書きだすと、どんどん長たらし
くなってしまいまして、こういうところで読んでもらうにはおのずと限
度がありますので、かなりカットしなければなりません。そのための時
間をちょっとください。みなさんにもその間いろいろ考えておいていた
だかねばなりませんし。

 それよりは、横浜案内についての私信が殺到してしまっている状態。
腕章をつけ、旗をかかげ、さあ、列になって! 割り込みはいけません
よ、と、案内してまわらねばならないかな、という状態。ラボのイヴェ
ントよりは横浜めぐりのほうに関心をお持ちの方が多いのかな。
 …それは冗談ですが、記念式典の会場となるところは、いつでした
か、dorothyさんのご家族が宿泊したホテル、インターコンチネンタル・
ホテルのパシフィコ横浜じゃありませんか。足に痛みが発して車椅子で
鎌倉をまわったという、あのときの家族旅行。せっかくながら、横浜も
あまり楽しんでいただけなかった旅でしたね。今回はどうなさいます
か。参加なさいますか。
【つづく】
Re:Re:★映像文化と“ことば”の明日は…? 小栗康平監督『埋もれ木』から(11月06日)
がのさん (2006年11月08日 10時50分)

dorothyさん

【その2】
> うちの子の一週間のテレビ視聴時間は基本的に1時間半です。金曜日
の「ドラえもん」と土曜日の「世界ふしぎ発見!」だけです。テレビゲ
ームもありません。

⇒ りんごちゃんとこの三姉弟は、申し分のないいい子たち。むしろ、
そんなに行儀のよいいい子していないで、もっとイタズラをしておかあ
さんを怒らせなさい、困らせてあげなさい、たまには怒らせてあげない
と寂しがるかもよ、脳も衰えちゃうかもよ、…と教えてあげなくちゃ、
と思っているんですよ。
 一つひとつをごまかしなく、一方向からの情報に惑わされず、落ち着
いて、しっかり自分のなかで噛みしめ、消化してとらえる、そんなりん
ごちゃんて、すごいね。お嫁にほしいよ、そんな子。…ダメっていわれ
るにきまってるけど。
Re:★映像文化と“ことば”の明日は…? 小栗康平監督『埋もれ木』から(11月06日)
Hiromi~さん (2006年11月10日 21時02分)

 生活ホットモーニング見ましたよ!あの二人夫婦だったんだなんて。

今子ども広場ファイナルに向けて動員やら、企画やらなんだか忙しいで
す。コンサートも無料の送迎バスが北関東では出すことが決まり幸い7
00名以上の参加があるようです。いまさらコンサートでもないように
思いますが・・・・・。

 まあ横浜の新しいたたずまいが見られること、パシヒコ横浜に泊まる
ことなど楽しみです。地区からは祝賀会も役に付いている私とTテュータ
ーのみです。皆さんシンポジウムにはでるようですが・・・。

 私たちは早々ホテル予約しました。そしたらそこがメイン会場とはラ
ッキーです。でも一寸高いかな^^)
 娘のところへ泊まってもいいのですが、宮崎台からもけっこうかかる
らしく、気の合うMテューター(貯金下ろすからいいわって笑わせてくれ
ました)3人で泊まる事にしました。

 がのサンの写真を拝見して楽しみがふえました。

 でもこれがどれだけ社会へ向けて発信になりますか???

 支部のスペースもこれから具体化です。内容はほぼ決まりましたが。

 映画「埋もれ木」のことかいてくださいね。古い映画はほとんど知り
ません。

 子どものテレビのこと、娘たちはいつも土曜の「8時だよ全員集合」し
か見せてもらえなかった!後はNHKのアニメ「ハイジ」「フランダースの
犬」などのみで子どもは8時には寝る!というのが決まりでしたね。今
でも何かあるとそのことを言い出します。長い間の恨みかな(^0^)
 今の子どもたちはどうでしょう??けっこう親と遅い番組まで見てい
るようですね。

 我が家でもスポーツ番組はよく見ます。昨日のバレーなんか大声で声
援しちゃいました。それにしてもトルコの選手はみなきれいでした(
いえプレーもすごかったですよ)

 横浜へいってもがのサンにお目にかかる時間はとれるでしょうか。
祝賀会などいらっしゃいますか???
Re:Re:★映像文化と“ことば”の明日は…? 小栗康平監督『埋もれ木』から(11月06日)
がのさん (2006年11月11日 10時00分)

Hiromi~さん

> 今「子ども広場ファイナル」に向けて、動員やら企画やらなんだか
忙しいです。コンサートもいまさらコンサートでもないように思います
が。 まあ横浜の新しいたたずまいが見られること、パシフィコ横浜に
泊まることなど楽しみです。でもこれがどれだけ社会へ向けての発信に
なりますか?

⇒ ええ~ッ! 社会へ向けての発信という発想でつくられた企画なの
でしょうか。案内資料をもらってざっと見るところ、その印象はまった
くなく、よっぽどおカネがあまって困っているのかな、という感じ(その
わりには、安くない参加費・入場料をばっちり徴収するようですが)。公
開シンポジウムのタイトルに「英語教育は人間教育」――これに魅力を
感じて足を運ぶ一般の人、しかも入場料を払って来てくれる奇特な人が
どれほどいるんでしょうかねぇ。テューターさんへの義理で参加してく
れるラボっ子の父母がいたら、ちょっとお気の毒にも思えますし。ラボ
にはすっかり疎くなっていてよくわかりませんけれど、だれのためのも
のなのかなあ、というのが素朴な印象でしたが。

> 映画「埋もれ木」のことかいてくださいね。古い映画はほとんど知り
ません。

⇒これは古い映画ではありません。小栗康平監督のもっとも新しい作品
です。ただし、そのうちここで発表するかもしれませんが、これは神話
のなかに浸っているような感じで、『古事記』に見る叙事詩的冗漫に近
い、という私見を述べることになると思います。たぶんこんなことをい
う人はほかにいないとは思いますが、古くて新しいというか、新しくて
古い、というか…。へんてこな、しかし、なんだか感性にからんでくる
作品なんですね。

> 横浜へいっても、がのサンにお目にかかる時間はとれるでしょうか。
祝賀会などいらっしゃいますか?

⇒ ロイヤルパークの宴会場には、結婚式に招かれて2度行っていて珍
しくもないし、退社して10年、もうわたしなんぞの出る幕じゃないでし
ょう。土曜・日曜はわたしのほうの仕事もありますし。それに、悪いけ
ど、会費15,000円があったら、「小人閑居して不善をなす」で横着をし
ておりますものですから、箱根かどこかの温泉のほうがいいかな、と。

上記、詳しくは私信メールで送ります。
Re:★映像文化と“ことば”の明日は…? 小栗康平監督『埋もれ木』から(11月06日)
がのさん (2006年11月14日 18時09分)

ひまわりで~す。
ご無沙汰してま~~す。 ひょっとしてメールアドレス変わってますぅ?
 さっき出したら、跳ね返ってきてしまいました…
ラボのHPに新しい文章を載せました。私にとってはちょっと久々の感動
だったので、(巷にはどこにでもあることなんですが……)、もし、お
時間あらば、読んでやってください。 ひまわり
Re:Re:★映像文化と“ことば”の明日は…? 小栗康平監督『埋もれ木』から(11月06日)
がのさん (2006年11月14日 18時16分)

がのさん

>ひまわりさんへ

ご無沙汰してま~~す。 ひょっとしてメールアドレス変わってますぅ?
 さっき出したら、跳ね返ってきてしまいました…
ラボのHPに新しい文章を載せました。私にとってはちょっと久々の感動
だったので、(巷にはどこにでもあることなんですが……)、もし、お
時間あらば、読んでやってください。 ひまわり

⇒遅くなって、ごめん。
きのう、きょうと鬼の霍乱をおこしていたものですから。
持病の気管支炎、アレルギーに風邪がくわわって、
ボーッとオシアワセにひっくり返っていました。呼吸困難を来たし、
ああ、これでひまわりさんにも再び会うことなく、
一巻の終わりかと思ったのですが、
どうにか三途の川から這い上がってきました。
いまだモーローとしたアタマではありますが、
いま、あたらしい書き込みを読ませてもらいあました。
ドイツの幼児たちが第二、第三言語の習得をしていくすがた。
そこに全的にかかわるものにしか感じることのできない喜びなんでしょ
う。
目ン玉がコロリと飛び出して、あわてて拾ってハメこみ、
ホロリと涙するすがたが思い浮かびます。
早期教育についての考え方、そうそう、それですね、
待つことがどれほど大事か、
それと、こどもにとっては、よき教育的パートナー
(指導者とは呼びたくない)に出会うことの「運」のある・なしが…。

ライン川のうえを渡る風が身を切るような季節になろうとしています。
おからだを大切にがんばってください。
Re:Re:Re:★映像文化と“ことば”の明日は…? 小栗康平監督『埋もれ木』から(11月06日)
dorothyさん (2006年11月23日 17時47分)

がのさん
>りんごちゃんとこの三姉弟は、申し分のないいい子たち。むしろ、
そんなに行儀のよいいい子していないで、もっとイタズラをしておかあ
さんを怒らせなさい、困らせてあげなさい、たまには怒らせてあげない
と寂しがるかもよ、脳も衰えちゃうかもよ、…と教えてあげなくちゃ、
と思っているんですよ。

怒らせることも多々ありますが、笑わせてくれることをそれの
数倍、やらかしてくれます。テレビを見ない分、会話にあふれて
います。最近、私の仕事が忙しくて、子供となかなか関われない
ので、所構わず、チャンスを見つけては、お膝に乗せて抱っこ
しています。身長150cmのりんごがおとなしく私に抱っこ
されている姿は、他の親御さんが見て驚かれています。また、
昨日はふざけて私がりんごにおぶさり、りんごも一生懸命私を
おぶって歩いてくれました。かなり重量のある私を10mくらい
は歩いて運んでくれたでしょうか・・・。

>一つひとつをごまかしなく、一方向からの情報に惑わされず、落ち着
いて、しっかり自分のなかで噛みしめ、消化してとらえる、そんなりん
ごちゃんて、すごいね。お嫁にほしいよ、そんな子。…ダメっていわれ
るにきまってるけど。

ダメ、なんて言いません。りんごには申し分なくとも、姑として
「私」が漏れなく付いてきますよ。

さて、12月3日は、実はテレビ取材の予定です。りんごたち
うちのラボっ子がしめ縄作りに挑戦するのです。詳細がわかれば
私のサイトで日記の中でお知らせします(全国放送のはずです)。

前回の横浜は、暖かな時期だったので、堪能できました。
今回は、いずれにしても、寒くて腰と足に余裕もないので
(あと、財布)、見送ったのです。

----------------------------
Re:Re:Re:Re:★映像文化と“ことば”の明日は…? 小栗康平監督『埋もれ木』から(11月06日)
がのさん (2006年11月24日 10時35分)

dorothyさん

>怒らせることも多々ありますが、笑わせてくれることをそれの数倍、
やらかしてくれます。テレビを見ない分、会話にあふれています。最
近、私の仕事が忙しくて、子供となかなか関われないので、所構わず、
チャンスを見つけては、お膝に乗せて抱っこしています。身長150cmのり
んごがおとなしく私に抱っこされている姿は、他の親御さんが見て驚か
れています。
     ----------------------------
 いいですねぇ、元気なたくさんの子どものいる家族の風景というの
は。通っていく空気の流れがちがうというか。
 わたしなんぞは、ここ2週間近く、体調を崩してほとんどの時間を寝
込んですごしていたものですから、あまり口をきくこともなく、歯のあ
いだにコケやキノコが生えそうです。呼吸器系のほうですので、声を出
すのもつらかったのですが。ここの空気は濁って淀み、起きて本を読む
気力もなく、書くのも億劫で。さびしいものですね、気の利かぬ古女房
とふたりきりの日々というのは。
 そうか、りんごちゃん、もう150cmあるのか。いいなあ。もうすこしす
るとお嫁さんになれるかな。

     ----------------------------
> ダメ、なんて言いません。りんごには申し訳なくとも、姑として
「私」が漏れなく付いてきますよ。

⇒あれっ、おおきなコブつきですか! そうなると、ちょっと考えなお
さないといけないかな。ほら、わたしゃ、なまけもので、会社で働くの
がきらいなものですから、コブのぶんまでは稼げないと思うんだな。
Re:Re:Re:Re:Re:★映像文化と“ことば”の明日は…? 小栗康平監督『埋もれ木』から(11月06日)
dorothyさん (2006年11月30日 23時16分)

がのさん

>わたしなんぞは、ここ2週間近く、体調を崩してほとんどの時間を寝
込んですごしていたものですから、あまり口をきくこともなく、歯のあ
いだにコケやキノコが生えそうです。呼吸器系のほうですので、声を出
すのもつらかったのですが。ここの空気は濁って淀み、起きて本を読む
気力もなく、書くのも億劫で。さびしいものですね、気の利かぬ古女房
とふたりきりの日々というのは。

あらら・・・。お大事にしてください。
古女房のほうが、気を遣わず、案外かゆいところに手が届く
式に心地よい状態ではないですか?

>そうか、りんごちゃん、もう150cmあるのか。いいなあ。もうすこしす
るとお嫁さんになれるかな。

雨後の筍です。成長痛で、足が痛いといっています。
うち中で一番背が低いのが、身長162cmの私、
という日も近い・・・?!

⇒あれっ、おおきなコブつきですか! そうなると、ちょっと考えなお
さないといけないかな。ほら、わたしゃ、なまけもので、会社で働くの
がきらいなものですから、コブのぶんまでは稼げないと思うんだな。

・・・りんごとがのさんがもし、もしも、結婚したら、
おや?私ががのさんの義母・姑?あ、それだけは
勘弁してください。がのさんに「お母さん」なんて
呼ばれたら、はだしで逃げます。
----------------------------
Re:Re:Re:Re:Re:Re:★映像文化と“ことば”の明日は…? 小栗康平監督『埋もれ木』から(11月06日)
がのさん (2006年12月01日 10時35分)

dorothyさん

>おや? 私ががのさんの義母・姑? あ、それだけは勘弁してくださ
い。がのさんに「お母さん」なんて呼ばれたら、はだしで逃げます。
     ----------------------------
 ま、そりゃそうですね。春の若芽のようなみずみずしい存在と、突然
泥土からあらわれた古代の埋もれ木。そんな取り合わせは不自然でしょ
うし、第一、足の調子のあまりよろしくないdorothyさんを、サザエさん
みたいに裸足で駈けさせちゃ、そりゃあ不人情というもの。閻魔さまの
前に連れ出される人非人というもの。それとも、包丁をかざしての安達
が原の鬼婆の韋駄天走り、ちょっと見ものでもあるでしょうか。
 あ~あ、どこまでバカなんだろうね、わたしは。体調不良のなか、ア
タマのほうまで崩れてきたようで。熱はないように思うのですが。
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