幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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★ベルト・モリゾ嬢の瞳の輝きにうちのめされて 02月22日 (木)
オルセー美術館展へ。上野・東京都美術館

― もう、おとうさんとは絵を観に行くの、いやですからね。
― やっと時間をやりくりして行くことができたオルセー美術館展なのに、ヤルセ~ないことですね。どうしましたか。
― そんな低級なダジャレではだまされません。まず第一に、入場制限で、列に並んで待たされること1時間25分。小さな小夜は押し潰されそうで、息もできないくらい。おシッコをがまんするのだって、トイレも長い列で、たいへんだったのですから。
― うん、ちょっとまずかったかな。悪いことに、きょうはシルバー・デイになっていて、お年寄りはタダで入館できる日だったんだ。いっぱい来ていましたね、おじいちゃん・おばあちゃんたちが。
― おとうさんがちゃんとインターネットで調べておかないからいけないんじゃありませんか。
― ユルセ~ないですか。でも、こんなに混雑するとは思わなかった。これではこのあいだの東京マラソンのスタート前、都庁前の人ごみみたいで、ウルセ~美術館でしたね。おとうさんも、入場するまでに疲れちゃいました。
― 疲れた、どころではありませんよ。小夜は迷子になったかと思って、胸はドキドキ、あっちへ、こっちへと夢中で探しまわったのですからね。
― 泣いたみたいだね。ひげのおじいちゃんに連れられて、おとうさんを探しに戻ってきてくれました。どこの人ですか、あの人は。お礼もあまり言えなかったけれど。
― 知りませんよ。もう、おとうさんは会場を出てしまったのかと、そして、小夜はひとりでどうやっておうちに帰ればいいのだろうかと、そればっかりでした。おじいちゃんが、「いやいや、きっとまだ会場にいると思うから、戻ってみよう、いっしょに探してあげよう」と言ってくれたの。そうしたら、おとうさん、まだマネの「モリゾ」の前にいるじゃありませんか! まるで魂の抜けたおバカさんみたいな顔をして。
― ひどいなあ、魂の抜けたおバカさん、だなんて。
― ひどくなんかありませんよ。どれくらいの時間、おとうさんはあそこにいたと思っているのですか。20分、30分、いや、もっといたかもしれません。ほかの人は、押すな押すなの波のままに動いているのに、おとうさんだけ、ボーッとうしろのほうに立っているのですから。
― うそでしょう。そんなに長くはないと思うよ。
― あきれてしまいます。みなさんにはご迷惑ですし。

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― でもね、お別れしようとすると、モリゾさん、おとうさんにボソッとつぶやくのよね、「行ってしまうのですか。もう少し、もう少しだけいっしょにいてくださいませんか」と。あの、涼しげな、いかにも賢そうな瞳にいっぱい涙を浮かべて。「いやいや、むこうで小夜が待っているので」と、おとうさんが言うと、「悲しいわ。ふたりの恋はこれで終わってしまっていいのですか。もう二度と逢うことなく、ここでこのままお別れしてしまって、ほんとにいいのですか」と。
― そんなこと、モリゾさんが言うわけ、ないじゃありませんか。おとうさん、おかしい。そのくせ、せっかく来たのに、ほかの絵の前はほとんど素通り。写真や陶器のコーナーなどは、ぜんぜん見もしませんでした。
― いやいや、そんなことはありません。ほら、先週木曜日にあった市民アカデミーでバルザックの「知られざる傑作」をめぐって、このフランスの文豪の美術論を口演したばかり。その影響をバッチリ受けていたので、おとうさんの絵の見方も違ってきたのよ。違う、というより、ずっとずっと深いものになったのよ。
― バルザックの美術論とマネの「すみれのブーケをつけたモリゾ」と、どんな関係があるのですか。
― 小夜ちゃんがそんなにツンツンすると、おはなししにくいなあ。
― はい。それでは、静かに拝聴いたします。
― 「知られざる傑作」は、岩波文庫でわずか50ページほどの短篇。メディチ家のおかかえ画家、肖像画家として売れっ子だったポルビュスや、古典主義絵画の巨匠プッサンが登場し、そこに謎の老画家フレンホーフェルという想像上の人物がからんで、芸術創造の窮極を探る、深いテーマの奥行きをもつおはなし。短篇ながら、じつは、これってヨーロッパの近代絵画に絶大な影響力を与えたものだったのです。たとえば、ピカソ
― はい、ピカソ。今回は一点も出ていませんでしたけれど。
― 「知られざる傑作」の書き出しはこうなっています、
「一六一二年も暮近く、十二月のある寒い日の午前、見たところひどくみすぼらしい身なりの若い男が、パリのグラン・ゾーギュスタン街の、ある家の門口の前を行きつ戻りつしていた」
と。駆け出しの画家、青年のプッサンが初めてポルビュス画伯のアトリエを訪ねる場面です。この、パリのセーヌ河に近いグラン・ゾーギュスタン街、といったら、何か思いあたりませんか。
― いいえ、知りません。パリには行ったことありませんし。
― ピカソが18年間ここに住み、アトリエを構えたところです。有名な「ゲルニカ」もここで描かれたそうです。ピカソのあの画期的なキュービズムも、このアトリエ、いえ、バルザックの「知られざる傑作」から生まれたといえるかもしれません。
― 「ゲルニカ」の絵は知っています。
― 画家はよく風景画を描きます。フレンホーフェルという謎の老画家、すなわちバルザックは、自然を模写しただけの絵は画家のものではない、そんなものには何の値打ちもなく、そんな自然を糊づけしたようなものではなく、「自然を表現したもの」、芸術の神の魂に映じた自然を詩人の心をもって描いたものでなければならない、と。とかく理解を超える絵、狂気の絵とされますが、ピカソは忠実に自分の詩心を動かすものを表現した画家です。
― わかりません。…ちょっとわかったような気もしますが、でも、わかりません。
― わかりませんか。では、モリゾさんのほうに両手を差し伸べてごらん。ね、手がモリゾさんの後ろまでまわるように思いませんか。そこです、いい絵か、つまらない絵か、それを分けるのは。
― はい、抱きしめられているような…、モリゾさんの心臓がドックン、ドックンと鳴っているのが伝わるわ。
― 小夜ちゃんはギュスターヴ・モローの「ガラテア」の前でクギづけでしたね。きれいな幻想を見せてくれる、神秘をたたえたすぐれた作品です。繊細ですね、女神の裸体の輝かしい美しさのほか、草花の一本一本までものすごく細かに描き込んでいますね。よく見ると、いろいろなところに隠し絵が埋め込まれていたりして。ところが、マネのモリゾ像はどうでしょう。
― 筆をサッと走らせただけのような。筆のあとが残っています。ずいぶん対照的ですね。
― たしかにラフな筆づかいです。にも拘わらず、そこには、空気や空や風の動きまで表現されています。人物が生きていて、呼吸をしています、心臓が動悸をきざんでいます、鈴のように清らかな声でおとうさんにささやきます、「よく逢いにきてくださいました」と。
― それはどうでしょうか。
― 髪がそよ風に波うち、そのもの静かな落ち着きと、秘められた情熱を、表情に呼び起こす血のぬくみが走っています。
― 色数も少なく、衣服も帽子も黒、首に巻いているネッカチーフも黒。胸元を飾るすみれのブーケも、それほど目立ちません。しかも、黒は深いですね。憂鬱なほど地味なはずなのに、印象はぜんぜん別で、逆光のなかで、その存在が生き生きと輝いているように思います。キリリとしていて、媚びのかけらも見られない表情のなかに、ふしぎな輝きがあります。
― マネ独特の深い黒です。ラフな筆運びで描かれています。輪郭もあいまいで、しっかりスケッチし、下絵をたくさんつくってから描き上げたという感じはありません。どうでしょうか、この絵には何かが欠けていると思いませんか。
― 何でしょう。もちろん、非現実、神秘の世界を描くモローのあの細密な作品と対比したら、欠けたところばかりですけれど。
― この作品には何かが欠けている。いや、何でもないものが欠けているのです。ところが、絵においては、この“何でもないもの”がすべてと言ってもいいんです。“何でもないもの”…、外観ではぜったいに捉えることのできないもの、ことばにもしにくい、形をもたないもの。そうですね、生彩のない幽霊ではない、小夜ちゃんもさっき感じとった、ほのあたたかい息吹き、雲のように漂う小さな“生命の花”とでもいうような…。描いてはいないけれど、対象を生き生きとさせるいちばん肝心なところは、魂のかぎりを尽くして描いた絵、といえるように思うのです。
― おとうさんは、すっかりバルザックの魔術の罠にはまったようですね。小夜も今度はそんな眼で絵を観るようにしようかと思います。おとうさん、また行こうね、美術展に。
― おっ! やっと、泣いたカラスが笑ってくれました。
― でも、今度行くときは、小夜の手を離してはいけませんよ。
― 今回見たオルセー美術館展。おとうさんが聞くかぎりでは、オルセーには、印象派絵画を中心に、もっともっとたくさんのすぐれた絵が所蔵されているはずなのよね。その点でちょっと物足りなかったな。でもまあ、恋してやまぬモリゾさんに逢えたことでよしとしますか。それに、こういう絵は、やはり、パリの風を感じながら見ないことには、本当じゃないな、ということかな。
― おとうさん探しでひどいめにあいましたけれど、おのひげのおじいちゃんがいっしょにいて、小夜を前に押し出してくれましたので、人混みでも絵はよく見られましたし、小夜に似ているといわれる女の子、ルノワールの「ジュリー・マネ」(ネコを抱く少女)もしっかり見られましたから、ま、いっか。小夜はあんなに丸顔で可愛くはありませんけどね。(2007.02.21)
〔「コント―小夜とともに46」より〕
★転記スミ ⇒ ページ一覧「小夜& GANOトーク=5」、「アート回廊=3」(部分)
Re:★ベルト・モリゾの瞳の輝きにうちのめされて(02月22日)
Hiromi~さん (2007年02月23日 20時34分)

さよちゃん大変な目にあいましたね。オルセーの混雑ユルセーなんて、
がの父さんは相変わらずですね。でもがの父さんが動けなくなるほどひ
きつけられる絵すごいですね。
おばさんもオルセーへはフランスで2回行きましたがどの絵もすごく好き
ですよ。
 フランスでは美術館の中で絵を模写している人がいますよ。日本だと
出来ませんよね。混雑しているといっても中は広いのでそうでもありま
せんでした。日本へ有名美術展が来るとすごい行列になりますよね。

 夏休みTakuちゃんとフランス国立近代美術館というところへ行きまし
た。行列でしたが係りの人が回っていて小さい子を連れている人やお年
よりは先へ連れてていって中に入れてくれましたよ。ですからあまり待
たないで入れました。すごくいいなとおもいました。

 おばさんもオルセー行ってみようかな!!!
Re:Re:★ベルト・モリゾの瞳の輝きにうちのめされて(02月22日)
がのさん (2007年02月23日 23時18分)

Hiromi~さん

【その1】
この展覧会には、もっと早く行きたかったのですが、
いろいろと都合がありまして、今ごろになってしまいました。
やっと行けると思いましたら、どうやら、最悪の日!
ほんとうにたいへんな混雑でした。美術館へはわりあいよく行きます
が、
これほどの混雑には、このごろ出会いませんでしたね。
こらえ性のないおとうさんは、ふだんですと、10分も待たされたらすぐ
「や~めた!」と、宙返りしてしまうのですが、今回ばかりは
よほどモリゾさんにお逢いしたかったのでしょう、
めずらしく辛抱していました。こんなことはめったにないのですよ。
立ちんぼの美術鑑賞はおとうさんくらいの年齢になりますと
なかなか疲れるようでして、このごろですと、
何でもかんでも、隅から隅まで、という見方をしませんね。
ポイントになるお気に入りの作品を徹底的に観る、といスタイル。
自然にそうなってきたようです。
その点では、なかなかよい嗅覚 を持っているのかもしれません。
hiromi~せんせいは、この5月にはまたパリにおいでになる予定でした
ね。
ほんとうに羨ましい。おとうさんなんか、歯噛みして口惜しがっていま
す。
やはり、日本画なら湿度のある自然ゆたかなこの日本で、
西洋画なら西洋の乾いた空気の通う、石の文化広がるところで見たいも
の。
それでこそホンモノですよね。
パリの美術館めぐり、いつか小夜もやってみたいです。
まるで嘲笑でもするかのようにして、おとうさんの周辺の人たちが
西洋絵画の情報をちょくちょくもたらします。行けないことを承知して
いて。
貧乏というのは可哀相なものですね。
【つづく】
Re:Re:★ベルト・モリゾの瞳の輝きにうちのめされて(02月22日)
がのさん (2007年02月24日 09時13分)

Hiromi~さん

【その2】
美術展のおはなしではありませんが、きょうのおとうさんは、
横浜・関内ホールでの、障害者、主として知的障害者・精神障害者を
地域でどう迎えるか、といったことをめぐるシンポジウムに
参加してきました。よほど神経が疲れたのか、
今はちょっとボーッとしています。実際、
「共生」の課題は軽くない。地域の仲間として
どこまで障害者と関わるか。中途半端はダメ。
よほどの覚悟が必要だ。共生とは、障害をもつ人と
分け隔てなく共に生きることであり、
共に生きて、倒れるまで共に生きつづけることだ、と。
実際、ストレスの多い社会です、いつ自分が障害を負う身になるか、
それだってわからない。自分が障害者になったときとき、
障害をもつ自分を今の地域社会はどんなふうに
迎えてくれるのだろうか、どんな支え方をしてくれるのか、と。
その発想は提案者自身を苦しくするようです。

社会へ広く眼をめぐらせようとすると、難題ばかりですね。
それも、ひとりのがんばりではどうにもならないことばかり。
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