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★愚かしくも美しい永遠の父親像―、子に与えつづけた老人の悲しい死 03月11日 ()
バルザック『ゴリオ爺さん』

  「結局、わしにわかったのは、自分がこの世で余計な人間だということでしたよ」
  「娘たちをかわいがりすぎた罪」がこの報いで、「あの子たちはわしの愛情にこっぴどい仕返しをしてくれた」
  「わしのことを恥ずかしいと思うようになっていたのじゃな。子どもを大事に育てたところで、結果はこれでしてな」

自分が老いて死の病にとりつかれたとき、周囲の世界はどんな表情で自分を見るのだろうか―。
すでにいまは亡いが、両親の恩に、自分はどれほど報いることができたろうか―。
みなさんも、ときにはそんなことを思うときはないだろうか。そんな思いをもってこれを読むものには、総毛たつほどに恐ろしい作品である。親不孝のほか、日ごろ、地域の高齢者福祉に幾分か携わっているわたしにとって、不思議なほどのリアリティをもって伝わり、腹の底のあたりからゾッと冷たいものが立ち上ってきた作品。みなさんのなかにも、老親介護の日々にあり、加齢とともに日ごとに衰えていく肉親のすがたを目にしている方も少なくないだろう。老いなんて考えたこともないかつての学生時代には、こんなふうには読めなかったバルザックの代表的な傑作。愛とは何か…、わたしたちにそれが問われている。

2327

粗末な貧乏下宿に一人息をひそめるようにして暮らす老人。かつては西洋素麺業者として巨万の富を築いたことのある、69歳の人物。1789年、バスティーユ牢獄襲撃事件に端を発するフランス革命の混乱に乗じて、穀物取引きで財をなしたという。加えて、地方の豪農のひとり娘を妻に迎え、事業も生活も順風満帆だった。が、幸福の日々はそう長くは続かない。妻は7年目に病死、ゴリオはふたりの娘とともにあとに残された。愛らしい美しい娘だった。
父親の豊かな財力をバックに、上の娘(ナジー)は伯爵夫人に、下の娘(フィフィーヌ)は男爵夫人におさまる。その上流貴族社会は、うわべの優雅さ、華やかさとはうらはらに、カネの力だけがモノをいうところ。そこに生きるものの生殺与奪の権利を握るのは、カネ。娘たちがその社交界の虚栄の渦に巻き込まれながら、その世界で、体面を保ちつつ、円満に、気随気ままに生きていくために、父親は、次つぎに残された財産を注ぎ込む。
  「父親なんてのは、幸せになるためにはいつまでも与えつづけねばならんのじゃ。いつまでも与えつづけることが、父親を父親たらしめるんでな」
低級な安下宿にある父親とは対照的に、娘たちが住んでいるのは、奢侈と虚栄、情欲とエゴイスティックなかけひきが支配する社会。幾重にもなる虚偽と欺瞞によって生ずる歪みは、次第しだいに人間を堕落させ、破滅の道へと導く。爛れた性愛の狂宴、持参金目当ての謀りでなされる形式的な夫婦生活、空虚な愛のかけひきで織り成す社会に、本当の愛などあるはずはない。華美な装いの裏には底深い闇の沼が渺々と広がっている。そんな闇にあたたかい灯火を見せるのが、ゴリオ爺さんの一途な愛、娘たちに注ぐ愚かしいまでの愛、真率で盲目的なその愛は、かえって輝かしく美しい。間違っているかもしれない、過ぎた愛かもしれない。しかし、そこに父性のキリストともいうべき崇高な愛を見ることができる。
男たちはおカネ目当てに女に近づき、出自の誇りを楯に、享楽への誘惑で女の心を蕩かすことにうつつを抜かす。ところが、いったん女を支えるべき親の財力に翳りが生じてきたと知ると、あとは、ただの疎ましい存在、邪魔なゴミのようにして棄てて他に走るか、さっさと外国などに逃げ出してしまう。そういういかがわしい社会に娘たちがいることを承知しながら、ゴリオ爺さんは、娘の夫には隠れるようにして、持つ限りのものを与えつづける。娘たちの奢侈をわが身の幸福、わが身の使命であり生き甲斐とする悲しい老人。その親バカぶりの愚かしさを超越して、ひたすら娘を思う純粋な感情には偉大な輝きがあり、胸をうつ。親ならではの無限の愛、無償の愛の尊さ。

2326

一方、そんな腐った社交界にあこがれ、それを利用して出世願望を果たそうとする貧乏学生がいる。ウージェーヌという南国生まれの法科学生。ゴリオ爺さんと同じ下宿屋に住んでいる。22歳の彼が美しい貴族夫人に恋を求めて、貧民の集まる不潔な下宿と、奢侈と傲慢不遜の牙城である上流貴族社会とのあいだを往き来しつつ、その眼で大河小説を紡ぎだしていく構成。ゾッとするほど冷たい物語だと先述したのは、老人の見せる無垢な愛と、虚栄心と功名心のからくりの社会とのあいだに埋めがたく横たわる距離の大きさのことである。
死の床に臥しながら老人がウージェーヌ青年に告白する。
  娘たちは「一度だって、わしの悲しみや、苦しみや、窮乏を察してくれたりしなかった。わしが死ぬことだって察してくれるものか。わしがどんなに愛しているかという秘密ですら、知りはしないのじゃ」

与える愛、一途な愛を引き裂くもの

父親と娘たちを隔てる懸崖の恐ろしい深さ。ああ、これこそが現実というものか。美しい魂を持っていると、この世に長くとどまっていることは許されないのだろうか。娘が手紙でおカネを無心してくるたび、身を削りつつどうにか工面をつけてきた。しかし、上の娘が舞踏会に着ていくラメ入りのドレスのために、今度こそ最後の最後、残るものは一切ないところまで、老人は底をはたいて投げ出す。一文なしになった老人。びた一文もなく痴呆状態で死の床にある老人。それでも老人の頭のなかには、シャンデリアの光かがやく舞踏会の中心で男たちに囲まれ、華麗にダンスを舞う娘のすがたしかない。
  「ああ! わしは病気なんかしておれん。娘たちはまだまだわしの助けが必要なんじゃ。あの子たちの財産は危殆(きたい)に瀕しておる。そして、何という亭主どもの餌食になっていることか!」
死装束の経帷子(きょうかたびら)を買うおカネさえなく、爺さんを知る下宿の仲間からは「死んだほうが幸せだ」という早すぎる追悼のことばを受けて、なおわずかな命の灯をともしつづける老人。すべてが遠くへ遠くへと離れていく感覚のなかで、それでも娘たちの最後の接吻を心待ちにしている。そら、そら、靴音だ、やっぱり駆けつけてきてくれたじゃないか、と、虚しい幻聴を何度も楽しむ。その娘たちは、それぞれに破局と沈倫の淵に溺れていて、父親の危急の知らせを受けながらも、一歩すら動こうとしない。一文なしの父親はもはや父親でも何でもないのだ。
何という懸崖の深さか。娘の幸せを信じ、娘に尽くすことに生涯を捧げてきた、愚かしくも崇高な魂。「姉妹のダイヤの向こうに横たわっているゴリオ爺さんの粗末なベッド」が、ふたりの貧しい青年、ウージェーヌと医学生ビアンションにはやけに目に映る。「舞踏会へ行くためなら、父親の死体でも踏みにじりかねない女」たちの生きざまに、ふたりの青年は上流社会に通う冷やかな風を今こそ感じる。出世を願って上流社会の浮ついた女たちを漁ってきたさすがのウージェーヌ青年も、目前の絶え絶えに衰弱した老人の顔を見つつ、
  「愛情とは、あるいは、快楽に対する感謝の念なのかもしれない。恥を知らない女であれ、崇高な女であれ、彼はこの女を、自分が持参金のように彼女に提供した官能の悦びのゆえに熱愛していたのである」
と知る。一方、老人は、娘たちが駆けつけて最後の接吻をしてくれるだろうとの期待をはかなく裏切られて絶望し、余命いくばくもないことを意識しつつ、自分が娘に傾けてきた愛のいかに虚妄であったかを、ようやくにして気づく。なんとも悲しい、遅すぎる認識である。
  「こっちが子どもに命を与えてやっても、子どもたちはこっちに死をくれてよこす。子どもたちを世間に出してやると、お返しに、こっちを世間から追い出す。たしかに、あの子たちは来るもんか! 十年前からそのことはわかっていたんじゃ。ときどき、そうじゃないかと疑ってみたのじゃが、本気でそう思う勇気がなかったのでな」
そうこぼしつつも、ひょっとしたら娘たちは来てくれるのではないか、との期待を完全に棄てたわけではない。来ない。まだ来ない。命の灯はあと数呼吸を残して消えようとしている。いよいよ絶望して、老人は喘ぎあえぎ青年に語る。
  「だが、何もない。金で何でも買えるんだ。自分の娘でも! ああ! わしの金はどこへ行ったのじゃ? わしが財宝を残してゆくのなら、娘たちはわしを手当てし、看病してくれたろうに」
  「わしは娘たちの前にひざまずいていた。見下げはてた子どもたちじゃ! 十年前からのわしに対する親不孝に、最後の上塗りをしおったのじゃ」
老人の絶望は深い。引き裂かれた思いのなかで、生きる気力も失せていく。わずかな望みも断たれたあとは、悲しい自虐のトゲだけが襲いかかる。
  「何もかもわしの罪でしてな。わしは、あの子たちがわしを踏みつけるようにする癖をつけてしまったのでしてな」
  「いまになって、わしの一生が見えてきた。わしはだまされているんだ! 娘たちはわしなんか愛してはいない、一度だって愛したことなんかないんだ」
  「わしは野良犬みたいに死んでいく」

2325

老人の亡骸は、医学生が病院から格安に手に入れてきた貧民用の棺に納められた。もっともつつましい三等の葬儀の費用は、貧しいふたりの青年が走りまわってどうにか工面したもの。上流社会で浮かれる娘とその夫たちは、文なしの野良犬の死には一顧だに払わない。わずかばかりの埋葬の費用負担にも耳を貸さず、使いの青年を面会謝絶でぴしゃりと追い払う。老人は、文字通りの野良犬同様の死を死に、人びとの記憶からすぐに消え去る。《エッセイ集「読書、このごろ」より》2007.03.11
★バルザック『ゴリオ爺さん』平岡篤頼=訳、新潮文庫
★転記スミ ⇒ ページ一覧「物語寸景(2-4)」
Re:★愚かしくも美しい永遠の父親像―、子に与えつづけた老人の悲しい死(03月11日)
林ライスさん (2007年03月13日 01時18分)

年齢を重ねなければわからないことってありますね。

先月息子が結婚しました。
さすがわが息子、あっぱれと思うくらい素敵なお嫁さんです。
それでも、異文化交流はいろんなことがあります。
「えっ?そうなの。。」という思い。
花婿の母親になって初めてわかる義母の思い。
「お義母さんごめんなさい。あの時私は若くて自分のことしか考えてい
なかった。」と
1年半前に亡くなった義母に謝っている私がいます。
義母が生きていたら、そんな話もできていたでしょうか。


こうやって順繰りなんですね。
Re:Re:★愚かしくも美しい永遠の父親像―、子に与えつづけた老人の悲しい死(03月11日)
がのさん (2007年03月13日 20時45分)

林ライスさん

【その1】
>年齢を重ねなければわからないことってありますね。先月息子が結婚
しました。さすがわが息子、あっぱれと思うくらい素敵なお嫁さんで
す。
     ----------------------------
 それは、それは、おめでとうございます! それにしては、おめでた
いはなしにはふさわしくないことを書いてしまいましたね。いっしょに
お住いですか? 若いお嫁さんとのあいだに異文化があり戸惑いがある
といっても、そこは、日ごろの活動のなかで、無垢な若々しい感性と向
き合っておられる林ライさんのこと、そのギャップをかえって楽しむだ
けのものを備えておいでですので、余裕もあることでしょうし、羨まし
いことです。


> 花婿の母親になって初めてわかる義母の思い。「お義母さんごめんな
さい。あの時私は若くて自分のことしか考えていなかった」と、1年半前
に亡くなった義母に謝っている私がいます。こうやって順繰りなんです
ね。

⇒ 順繰りであり、ほんと、愚かなことに、年齢を重ねないとわからな
いのかもしれませんね。この本も、大学生のころに一度は読んでいるは
ずですが、そのころは、ちっともおもしろいとも悲しいとも思いません
でした。くだくだとして(バルザックの文体)読みにくく、あるいはきち
んと最後まで読みきらないうちに放り出していたかもしれません。

 恥をさらすようですが、わたしのことを書かせてもらいます。わたし
の田舎の家は、名門とはいえないまでも、それなりの旧家でした。時代
に取り残されてぼろぼろに没落した旧家。わたしはそこの4人兄弟の末
っ子でした。終戦のあと、ものは欠乏し、食うにもこと欠く窮乏の時
代。父親は若いころから病気がちで、まだまだこれからというときに亡
くなりました。家におカネなんてありません。姉も兄も学校は高校どま
り。わたしだけが東京の私立大学へ行くについては相当の無理がありま
した。母親が、さまざまに苦労したうえに、舅や姑に隠れて実家やあち
こちの親戚へ行き、恥じをしのんでしばしばおカネを無心していたこと
はうすうすわかっていました。【つづく】
Re:Re:★愚かしくも美しい永遠の父親像―、子に与えつづけた老人の悲しい死(03月11日)
がのさん (2007年03月13日 20時50分)

林ライスさん

【その2】
 そんなときにもわたしは、学生運動だ、文学だ、といって親の苦労も
知らぬげにうつつをぬかしていました。手紙を書くといったら、その内
容は、おカネがない、送ってほしい、ということばかり。ゴリオ爺さん
の娘、ナジー(アナスタジー・レストー伯爵夫人)やフィフィーヌ(デルフ
ィーヌ・ニュシンゲン男爵夫人) の浮かれた享楽ぶりとそんなに変わら
ない生き方といえないでしょうか。つまらぬ遊びに使ったわけではない
にせよ、親の苦労なんてあまり考えもせず、買いたい本があれば買っ
た。見たい映画や芝居があれば見た。美術館にも通った。友だちとの飲
み食いも欠かさなかった。まるでいいとこの坊ちゃんのように。

 ほんとうに愚かなことに、今ごろになって苦労した親の思い、親の恩
がわかるんですね。いつか痛いシッペ返しがあるぞ、とひそかに恐れて
いました。

 そんなわたしにも、ひとり息子がおります。およそ生産性、経済性に
つながらないことばかりやっている文系のおやじに逆らって、彼は勉強
といえばガンとして数学しかやらないような子でした。(英語や社会や国
語のほうもやっておけば、もっといい大学に行けたのに!) 遠い縁戚に
あたる或る著名な数学者の影響も大きいのですが。大学は公立でした
し、在学時、数学を教える塾のアルバイトで得る収入はわたしがラボで
得る収入よりだいぶ多いということもあって、入学時に払ったおカネの
ほかはわたしが出してやることはほとんどありませんでした。ゼミの実
験が深夜に及ぶこともあって必要になった通学用のセダンも、自分で買
いました。就職とともに家を出たその息子が30歳をすぎ、一昨年の11
月、ハワイで結婚式をあげました。その費用の一切は息子がもち、わた
したち夫婦はまるまるお客さまで、ここ横浜から成田までの往復リムジ
ンバスの費用とハワイのみやげ代だけ。その点では、ある限りのものを
底まではたいて子どもに与えたゴリオ爺さんとはずいぶんちがいます
ね。退職後は、収入も少なく不安定なことだし、もう海外へ出ることは
ないと思っていたわたしには、思いがけないプレゼントでした。併せ
て、気づかいやさしい娘を得た喜びは、何もしてやれないでいる無力な
わたしには過ぎたるもので、わが身の不甲斐なさにシクシクと胸を痛め
る日々です。
【つづく】
Re:Re:★愚かしくも美しい永遠の父親像―、子に与えつづけた老人の悲しい死(03月11日)
がのさん (2007年03月13日 20時52分)

林ライスさん

【その3】

 年を重ねるなかで見えてくるものがたくさんあるということ。ものの
ほんとうの価値がどこにあるかが見えてくるということ。やっとそれが
わかってきたとき、過去の不実のシッペ返しとして、ゴリオ爺さんのよ
うに無一文で、だれからも見捨てられて死んでいくのかなあ、それもい
いかなあ、という感慨。
 よい子どもさんに恵まれた林ライスさんにはそんな惨めなことは、あ
りようはずがないのでしょうが。
 つまらぬことを書きすぎたようですね。
Re:★愚かしくも美しい永遠の父親像―、子に与えつづけた老人の悲しい死(03月11日) ・
ばーばーじゅこんさん (2007年03月14日 15時58分)

 83歳でなくなった母が「その年にならないとわからないことがいっ
ぱいあるよ」とよくいっていました。現在それを痛感しています。
 若い頃は 心配かけずに やってるから大丈夫 と両親のことなど気
にせずにおりましたが、この年になって親元から遠く離れていたのは、
親不孝だったかな?きっと、淋しい思いばかりさせていたのでは?と後
悔しております。
 一方、近くにいる姑は今年の6月で101歳、頭のしっかりしている
姑の介護で、主人はかなりまいっているようです。その姑は息子である
主人は自分の手足と考えているようですが、嫁は他人らしくいまだに自
分の弱みはみせたくないようです。明治の女の意地を感じます。
 人間の生き方の幸不幸は最後まで本人にもわからないのではないでし
ょうか?

バルザック「ゴリオ爺さん」読んでおりませんが、主人の本棚にありま
した。私はバルザックは全然読んでいないことに 始めて気がつきまし
た。どうしてなんでしょうね?
Re:★愚かしくも美しい永遠の父親像―、子に与えつづけた老人の悲しい死(03月11日)
dorothyさん (2007年03月14日 16時26分)

中学生のときに読んだものの、今日
これを読むまでは忘却の彼方にありました。
確か、「ひたすら暗い、希望のない小説だな」
という読了感をもった記憶があります。

最後の最後で(もし間に合わないにしても)
娘が来るのではないか、そうでないと救われ
ないじゃないか、と。

救われない、だからこそ悲劇なのですね。
今、年老いた母のことを思います。
そう、若いころはまさか自分が老眼で
字を読むのがつらくなる、だの、足を
よたつかせながら家の中を歩く、だの
想像だにしていませんでした。

もういちど、深くじっくりと読みたいと思います。

それにしても、合間合間の挿絵の美しいこと。
それゆえに悲劇の深さも感じました。
Re:Re:★愚かしくも美しい永遠の父親像―、子に与えつづけた老人の悲しい死(03月11日)
がのさん (2007年03月14日 22時22分)

ばーばーじゅこんさん

【その1】
> 83歳で亡くなった母が「その年にならないとわからないことがいっ
ぱいあるよ」とよくいっていました。現在それを痛感しています。…親
不孝だったかな? きっと、淋しい思いばかりさせていたのでは? 
と。
 一方、近くにいる姑は今年の6月で101歳、頭のしっかりしている姑の
介護で、主人はかなりまいっているようです。その姑は…嫁は他人らし
く、いまだに自分の弱みはみせたくないようです。明治の女の意地を感
じます。人間の生き方の幸不幸は最後まで本人にもわからないのではな
いでしょうか?
     ----------------------------
 101歳で、頭はしっかりしている! すごいですねぇ。日本の窮乏の時
代と飽食の時代、戦乱の時代と平和ボケの時代、…激動の時代をモミク
チャにされながら生きてきた明治女の底力ですね。でも、その底力をつ
くったのは、有能なやさしい息子さん、つまりばーばーじゅこんさんの
ご主人“オジサン”の存在だったのではないでしょうか。親は愛する子
どものためならどんなことでもできる、何でも与えることができる、…
ゴリオ爺さんが父性のキリスト(こんなことを勝手に言ったら、信者の方
には叱られるでしょうか)なら、お姑さんは母性の女神様かもしれませ
ん。
 そうですね、何が幸福か、それは「みんなちがって、みんないい」の
かもしれません。ばーばーじゅこんさんにはその幸せが、わたしにはそ
の幸せが。いや、わたしの場合は、幸せって何かもよくわかりません
し、幸せを求めるという意識はぜんぜんないんですけれど。ただ、争っ
てモノやカネを求めようという欲だけはぜったいに持たない、物欲の集
団的な狂気からは遠く距離をおいて、恬淡にしている…、そういう居心
地のよさを、あえて言うなら「幸せ」というのかな、と思うことがあり
ます。
 つい先日、福岡の林ライスさんのところに立ち寄り、ハチドリの寓話
にそって、自分にできることをやる、たとえ小さなことでも自分にでき
ることを誠実にやる、というわけで、兼好法師の「徒然草」からの一文
を贈ったところですが、ここでも「徒然草」から引いておきましょう。
第百四十段です。

 朝夕なくて叶はざらん物こそあらめ、その外は何も持たでぞあらまほ
しき。

【つづく】
Re:Re:★愚かしくも美しい永遠の父親像―、子に与えつづけた老人の悲しい死(03月11日)
がのさん (2007年03月14日 22時33分)

ばーばーじゅこんさん

【その2】
 実際、息子がひとりおりますが、わたしから譲り渡すべき何ものもな
いわけで、その言い訳と言われても仕方ないのですが、「身死して財(た
から)残る事は智者のせざる処なり」と、言ってくれています。ダメおや
じにとって都合よすぎますかねぇ。

> バルザック「ゴリオ爺さん」読んでおりませんが、主人の本棚にあ
りました。私はバルザックは全然読んでいないことに初めて気がつきま
した。どうしてなんでしょうね?
     ----------------------------
 いやいや、ばーばーじゅこんさんにかぎらず、いまどき、まずめった
に読まれることはないでしょうね。かく言うわたしも、この「ゴリオ爺
さん」や、先回ご紹介した短篇集「知られざる傑作、ほか」以外には、
「谷間の百合」「従妹ベット」くらいしか読んでいないと思います。全
巻そろってはいないながら全集は持っているのですが、二十数年前に買
ったままです。比較的よく読書をするはずのテューターのみなさんで
も、ほとんど読んではいないでしょう(dorothyさんが読んでおられるよ
うですが)。とりわけこの作家の文章は、なんとなく陰気で、とっつきに
くく、話がなかなか前へ進んでいきません。読み終わるころになって初
めて、それがなかなか見事な構成で編まれていることに気づくという次
第。ですが、滋味深いですよ。重厚な大河小説を読み終わったあとに特
有の、なんとも言えぬ高揚感と充実の感動があります。

 わたしがこの「ひろば@」で書くものは、よく「難しすぎる」と非難さ
れ、「恥ずかしいから」といって、ウラ通信のほうでメッセージをもらう
ことがしばしば。難しいでしょうか。或る意味でそうかもしれません。
失礼ですが、ものがたりをやっておられるといいながら、絵本や児童も
ののといった、鞍部の低い山(程度が低いという意味ではなく)ばかりを
歩いている人もおいでで、ときには、人間の本質の問題に迫るもっと高
い峻険な山を死ぬ気で越す努力もしてもらわねば、ほんものじゃあな
い、と、偉そうながら言わねばならないかもしれません。
【つづく】
Re:Re:★愚かしくも美しい永遠の父親像―、子に与えつづけた老人の悲しい死(03月11日)
がのさん (2007年03月14日 22時37分)

ばーばーじゅこんさん

【その3】

自身の感性を幼児化させることが必ずしも子どもの目線に立つことでは
ないのは、いうまでもありませんね。自身を絶えず高めつつなお子ども
たちとともに高めあう。
 目先きのことばかりに囚われている人には、それができないで、もっ
ともイージーに英語を教え込むことに走る。ひとりで得意になって語句
を説明し意味を解釈する英語の先生です。「先生はいろんなことをよく
知ってるなあ」と子どもがいい、それを聞いてホッと自己満足するよう
では、教育をあずかるものとしてはサイテー!
 意味を一方向から教えても何にもならなりません。急がず、じっくり
考え味わう時間をかけて、子ども本人の自発的な働きによってわかって
くる、自分からわかるのを待つ。…真の理解が成り立つのはそこ、こと
ばの美しさと深さがわかるのはそこで、それが教育の大原則のはず。

あれれ、いけない、いけない、また話が逸れてきました。ご無礼しまし
た。
Re:Re:★愚かしくも美しい永遠の父親像―、子に与えつづけた老人の悲しい死(03月11日)
がのさん (2007年03月14日 22時45分)

dorothyさん

ありがとうございます。こういうものをきちんと読んでいただけたこと
だけで、感謝です。
え~と、いろいろ書きたいのですが、明日は「レクトロ」や「クレー
ン」を中心にライナー・チムニクのことを地域の皆さんの前でしゃべる
ことになっており、その準備をしなければなりません。明日にでもゆっ
くり書かせてもらいます。
Re:Re:Re:★愚かしくも美しい永遠の父親像―、子に与えつづけた老人の悲しい死(03月11日) ・
ばーばーじゅこんさん (2007年03月15日 21時26分)

がのさん
全く 同感です。
 幼児化といえば、町並みも、服装も、眼につくところ、耳にするもの
すべてが、がっくりすることが多すぎます。今のファッションといえ
ば、それまでですが、政治からして変ですので、仕方のないことなので
しょうか?腹のたつことばかりなのは、私が年を重ねたせい?
 
 老人問題でもう一つ。母が施設に入っていたころ、もう10年以上ま
えですが、入居している方々より、「歌はすきだけれど、どうして童謡
ばかり歌わせられるのかわからない。それに、名前があるのに、おじい
ちゃん、おばあちゃんはないと思う」などとよく耳にしました。高齢の
方とのコミュニケートは外国語より難しい。10人いらっしゃれば10
人の方が通ってきた道があり、プライドがありますもの、私は可愛いお
ばあちゃんにはなれそうにもありません。目指すは意地悪ばあさん!!
お花の綺麗なページに書くことではなかったですね。

>ばーばーじゅこんさん
【その3】

自身の感性を幼児化させることが必ずしも子どもの目線に立つことでは
ないのは、いうまでもありませんね。自身を絶えず高めつつなお子ども
たちとともに高めあう。
 目先きのことばかりに囚われている人には、それができないで、もっ
ともイージーに英語を教え込むことに走る。ひとりで得意になって語句
を説明し意味を解釈する英語の先生です。「先生はいろんなことをよく
知ってるなあ」と子どもがいい、それを聞いてホッと自己満足するよう
では、教育をあずかるものとしてはサイテー!
 意味を一方向から教えても何にもならなりません。急がず、じっくり
考え味わう時間をかけて、子ども本人の自発的な働きによってわかって
くる、自分からわかるのを待つ。…真の理解が成り立つのはそこ、こと
ばの美しさと深さがわかるのはそこで、それが教育の大原則のはず。

あれれ、いけない、いけない、また話が逸れてきました。ご無礼しまし
た。
----------------------------
Re:Re:★愚かしくも美しい永遠の父親像―、子に与えつづけた老人の悲しい死(03月11日)
がのさん (2007年03月15日 23時48分)

dorothyさん

【その1】
> 中学生のときに読んだものの、今日これを読むまでは忘却の彼方に
ありました。確か、「ひたすら暗い、希望のない小説だな」という読了
感をもった記憶があります。
最後の最後で(もし間に合わないにしても)娘が来るのではないか、そ
うでないと救われないじゃないか、と。
     ----------------------------
 ほんと、希望がないというか、救いがないというか、児童文学の世界
などではぜったいありえないストーリィ展開ですね。いささかも甘さや
妥協がない、読者にこびるようなところは微塵もない。最後には、娘た
ちが来てくれる、涙を見せてくれる、老人の痩せ衰えた生気ない額にキ
スをしてくれる、それがなきゃあ、老人が哀れすぎるよ。……そんなこ
ちらの読みも完全に裏切られる救いのなさ。それは、手加減のない殴り
合いで完膚なきまでにやっつけられたあとの、120パーセントの痛快さと
いうようなものでしょうか。さんざんにやっつけられて、かえってさっ
ぱりとした心地。これこそが読書の醍醐味なのかもしれません。

 それにしても、中学生のときですか、これを読んだのは。いくら
dorothyさんがすぐれた感性を持ち、柔軟な理解力と想像力をもっていて
も、中学生でこの作品を十分に読み解くには限界があるでしょうね。た
とえば、第一、トルストイの「戦争と平和」などである程度までかじっ
たとしても、まだまだヨーロッパの貴族社会、社交界というもののすが
たは、その年齢では背丈(経験量)が足りず見えてこないでしょうし。
【つづく】
Re:Re:★愚かしくも美しい永遠の父親像―、子に与えつづけた老人の悲しい死(03月11日)
がのさん (2007年03月16日 00時01分)

dorothyさん

【その2】
> 今、年老いた母のことを思います。そう、若いころはまさか自分が老
眼で字を読むのがつらくなるだの、足をよたつかせながら家の中を歩く
だの、想像だにしていませんでした。
     ----------------------------
 わが身の老いを考えるのは、つらいことです。dorothy さんなどはま
だまだその実感には遠いでしょうが、それでも、50代、60代は矢のごと
き速さでやってきます。からだのあちこちがガタピシいってきます。そ
のガタピシと軋む音を心地よいバックグラウンド・ミュージックにし
て、欲をかかず、自分の持っているものをじょうずに他に譲りわたしつ
つ、どこかで多少なりとも人さまの役に立つようつとめ、5世代あと、
6世代あとの人びとの幸福な生き方を想像して今日をつつましく生き
る、自分の気持ちにウソをつかずに生きる…、そんなところでいいんじ
ゃないでしょうか。ひとのご機嫌ばっかりとっている生き方、何でも声
高にしゃべりあげて主張し、批判がましいことをいちいち小賢しくいう
のは、上等とはいえない。人と争って勝ち、金ピカメッキの勲章をもら
うつもりはないし、死んだあと記念碑を建ててもらってもしょうがな
い。

 そんなふうに書いてきて思いつくのは、渋沢栄一の孫、渋沢敬三が民
俗学の徒、宮本常一氏に語ったことば、

 「大事なことは、主流にならぬことだ。傍流で、よく情況をみていく
ことだ。舞台で主役をつとめていると、多くのものを見落としてしま
う。その見落とされたもののなかにこそ大切なものがある」

 滋味にあふれた、いいことばだとはお思いになりませんか。先のバル
ザック「知られざる傑作」にふれたところでも書いたことですが、“何
でもないもの”が大切であって、絵においてはそれがすべてだ、と。
“旅する巨人”宮本常一氏については、郷里を同じにするスミティさん
(山口県)がいつか研究報告してくれるのではないかと期待しています。
Re:Re:Re:Re:★愚かしくも美しい永遠の父親像―、子に与えつづけた老人の悲しい死(03月11日)
がのさん (2007年03月16日 12時44分)

ばーばーじゅこんさん

【その1】
> 老人問題でもう一つ。母が施設に入っていたころ、もう10年以上ま
えですが、入居している方々より、「歌はすきだけれど、どうして童謡
ばかり歌わせられるのかわからない。それに、名前があるのに、おじい
ちゃん、おばあちゃんはないと思う」などとよく耳にしました。高齢の
方とのコミュニケートは外国語より難しい。10人いらっしゃれば10人の
方が通ってきた道があり、プライドがありますもの、私は可愛いおばあ
ちゃんにはなれそうにもありません。目指すは意地悪ばあさん!! 
     ----------------------------
 老人福祉施設は、わたしの関わっているかぎりでは、人びとの善意と
無私な思いがウズのように集まってつくられている世界で、とっても好
きです。先週日曜日の「感謝会」のことは、写真とともに私信メールで
ちょっとご紹介しましたね。すばらしい音に憩いつつ、ひとつの施設が
200名余のヴォランティアによって支えられていることを目のあたりにす
るひとときでした。
 わたし自身の小さな努力を通じて、いまふたつの老人福祉施設に音楽
大学の学生さんに週に1回ずつヴォランティアで来てもらっています。
フルート、ピアノ、ヴァイオリンを入所者たちに聞いてもらうこともあ
りますが、いっしょに歌を唄うこともあれば、トライアングル、タンバ
リンといった楽器をご老人たちに持ってもらって、いっしょに演奏をし
ます。年に1回、その成果を、こちらもわたしの関わっている地区社会
福祉協議会の催す「ふれあいフェスタ」で発表、発表のための晴れ着を
着るという目標がたいそうな励みになっています。でも、取り上げる曲
は、どうしてもなつかしい歌、だれでもよく知っているおだやかな曲に
なります。童謡ばっかり、というふうに考える人もあるでしょうが、少
なくとも今風のわけのわからない、やかましいだけの、ジャンジャカ、
ジャンジャカは、ないですね。
【つづく】
Re:Re:Re:Re:★愚かしくも美しい永遠の父親像―、子に与えつづけた老人の悲しい死(03月11日)
がのさん (2007年03月16日 12時46分)

ばーばーじゅこんさん

【その2】

 最近、わたしのお声がかりで動きだしたのが、麻雀のヴォランティ
ア。痴呆防止にいいとよくいわれますよね、麻雀が。入所者たちととも
に楽しんでもらうという一方で、意外な効用をこれに発見しました。月
に3回、7~8名のメンバーで施設に訪問してもらうのですが、教える
立場にある彼らの多くは、自身も高齢で、伴侶を失って一人暮らし、ふ
だんは“とじこもり”の生活をしています。そういう人たちをコミュニ
ティの場にひっぱりだして多くの地域の仲間とふれあってもらう、たい
へんよい機会になりました。
  福祉施設の運営には、いまだにさまざまな問題があります。職員や
ヴォランティアが、ご老人を幼児あつかいしがちなのも、その一つかも
知れません。やさしい気持ちが昂じてそういうことになることもありま
す。中でもむずかしいのは、ばーばーじゅこんさんのおかあさんのよう
な、高い教養を身につけ、高い教育を受け、それまでの人生でうれしい
こと・悲しいこと、さまざまなよい経験をしてこられた人への対し方で
す。その広い素養とプライドには、さまざまな配慮と努力にもかかわら
ず、経験の少ない職員などにはとてもついていけません。そんなときに
望まれるのが、世代を近くする人たちによるヴォランティア。ことばに
しないでも時代の体験を共有する人同士ということになるでしょうか。

 ええ、わたしでしたら、わがままな“いじわるばあさん”、OKです
よ。たしかに、中にはキリキリと腹の立つ人もいます。プライバシーの
問題がありますので、詳しくはお伝えできませんけれど、きのう口演し
てきたばかりですが、ライナー・チムニクの「レクトロ物語」のなか
に、怒りんぽの老人が出てくる話があります。
【つづく】
Re:Re:Re:Re:★愚かしくも美しい永遠の父親像―、子に与えつづけた老人の悲しい死(03月11日)
がのさん (2007年03月16日 12時49分)

ばーばーじゅこんさん

【その3】
 お人よしの夢を見るのが好きなレクトロはここでは小包の配達員で
す。そのガミガミ老人は、楽しみにしている小包が来なくなって、腹を
立てて恐ろしい形相でレクトロに当たり散らします。仕方なく、レクト
ロは自分の給与をはたいて、送り主をいつわって小包を届けます。その
うち、こんどはその怒りんぼの老人、いつもありきたりなものばかり送
ってきやがって、とまたレクトロに噛みつきます。はなしのオチとして
は、死亡して受け取り手のなくなったアフリカからの届けもの、ラクダ
をアパートにもっていってあげる、というもの。まあ、めったにはこん
な人はいませんがね。
 一昨日も、つかまってしまって、花のこと、サクラのことをめぐって
1時間半、ひとりの在宅の老夫人と話すことになってしまいました。
わたしの関わっているかぎりでは、「おじいちゃん」「おばあちゃん」
という呼び方はしておりません。それぞれに固有の生き方をしてきた個
人ですからね。自分の肉親のように呼んで親しむのも、ときには“あ
り”かも知れませんが、やはりそこは他人、必要な距離は保つほうがい
いと、わたしも思いますけどね。

 いま、テューターのみなさんに関係のあるニュースが電話で飛び込ん
できました。あとで私信メールを送ります。
Re:★愚かしくも美しい永遠の父親像―、子に与えつづけた老人の悲しい死(03月11日)
Play with meさん (2007年05月17日 00時03分)

お久しぶりです。
大役を終え、蔵の解体に心身ともにくたびれて、ぽっかりと空虚な気持
ちをもてあましておりました。
「ゴリオ爺さん」のまだ上しか読んでいませんが、はじめはなんと読み
にくい物語だろう・・・と思いながら遅々としていましたが、だんだん
引き込まれています。
「悲しき父性愛」に似た愛情を自分の中にも見つけておろかな親を思い
知っています。
最近、息子が「パラサイトを止めようと思う」と1人暮らしをはじめま
した。それは自立で喜ばしいことなのですが、母親としての気持ちが納
得しません。
ゴリオさんの娘達と反対に親の思いを断ち切ってさらりとでていったこ
とへ寂しさもひとしおです。
ゴリオさんのようにまでは子ども達に尽くせないでしょうが・・・
ゴリオさんが「自分は三人分生きている」と言う気持ちはわかります。
子ども達の成長を通して私も三人分生きている思いでしたから。
ゴリオさんのようにならないように子どもに教えられたような気もしま
す。下をよんで上流社会に憧れた青年達の変化も楽しみにします。

がのさんの書き込みもじっくり読ませていただきました。
本当に私も両親の苦労も知らず、お嬢様方と同じ生きかたをして、蝶の
様に飛び回っていたことを思い返します。
そして両親にすまない思いをしています。
ゴリオさんの娘達とあまり違わないのでは??と反省です。
この物語を読む機会を頂いたことに感謝です。
Re:Re:★愚かしくも美しい永遠の父親像―、子に与えつづけた老人の悲しい死(03月11日)
がのさん (2007年05月17日 12時04分)

Play with meさん

【その1】
>大役を終え、蔵の解体に心身ともにくたびれて、ぽっかりと空虚な気
持ちをもてあましておりました。
     ----------------------------
 蔵の解体ですか! それはまたすごいですね。座敷ぼっこは出てきま
せんでしたか。
 ほんとうに、支部代表という大役、ご苦労さまでございました。大支
部をまとめていく力はだれにもあるというわけではなく、キャリアがあ
り、バランス感覚があり、指導力を備え、だれからも信頼され、まわり
に細やかに眼のとどくひとに、ということになって、そうなると、Play
with me さんなどは逃れるわけにはいきませんでしたでしょうね。で
も、解放されてご自分の世界に戻られた! その意味はまた別な重みを
もつものかもしれません。人間は苦労し、ぶつかり、戦い、傷つくこと
で、また大きなものを体得するようですので。

 Play with me さんがめでたく解放されたのとはウラハラに、わたしの
ほうは、いよいよたいへんなことになってきました。これまでも、高齢
者福祉、地域福祉、地域文化活動を中心にいろいろなことをやってきま
したが、この4月からは940戸をかかえる町の自治会長もやることになっ
たり、地域支えあいネットという区を基盤とする組織で6月2日からむ
こう半年にわたっておこなうボランティア講習会の運営責任をあずかっ
たり、そうかと思えば、独立法人「医療福祉機構」のひとつとして立ち
上げた、着物のリメイクを主とする手づくり工房の運営にも携わる、と
いったアンバイ。
 この5月、6月の土曜、日曜はとりわけ悲惨な状態にあり、一日に3
~4の組織の総会や研修、顔合わせに駆け回るという状態。これまでに
は思ってもいなかったところから連日次つぎにお呼びがかかります。12
自治会をまとめる連合自治会の事務局長という仕事もたいへんですし、
地区社会福祉協議会のほうも。ずうっとやってきたボランティアはやめ
られないし、さて、どういうことになるのか、自分でもわからないあり
さまです。
【つづく】
Re:Re:★愚かしくも美しい永遠の父親像―、子に与えつづけた老人の悲しい死(03月11日)
がのさん (2007年05月17日 12時07分)

Play with meさん

【その2】
 ひとついいことは、地域のいろいろなことをやってきたことで、人的
ネットワークを広くもっているため、一つひとつの課題を広い視野から
多角的に対応できること。ゴミの問題にせよ、駐車場の問題にせよ、防
犯防災の問題にせよ、育児支援にせよ、世代間交流にせよ、日常的なさ
まざまな課題を、自治会が、管理組合が、区の環境整備課が、と互いに
責任を押し付けあうのではなく、そろっていっしょに取り組めるという
こと。それができないと地域活動になっていかないし、実績をあげるこ
とは期待できませんので。…ま、こんなことをいうものですから、小学
校から、中学校から、保育園から、警察から、消防署から、体育協会か
ら…次つぎにタダ働きの仕事が乗っかってくるのでしょうが。
 このひろば@に、のんびり好き勝手なことを書いている時間は、ここし
ばらく、ほとんどないかもしれません。きょうは、たまたま、読書会の
メンバーを案内して文学散歩をする日でしたが、雨のため中止、ちょっ
と時間ができましたので、PCに向かっていますが。
 すみません、余計なことを書きました。でも、地域の課題は、ラボの
抱える課題とはずいぶんちがうものですね。ラボが「社会へ」というと
きの甘さ、どこまで認識しているか…。
【つづく】
Re:Re:★愚かしくも美しい永遠の父親像―、子に与えつづけた老人の悲しい死(03月11日)
がのさん (2007年05月17日 12時22分)

Play with meさん

【その3】
 「ゴリオ爺さん」のまだ「上」しか読んでいませんが、はじめはなん
と読みにくい物語だろう、と思いながら遅々としていましたが、だんだ
ん引き込まれています。「悲しき父性愛」に似た愛情を自分の中にも見
つけておろかな親を思い知っています。
     ----------------------------
 そうですね、この文豪の作品は、なかなか始まっていかない、という
感じですね。三分の二くらいまで読み進んできて、ようやくそのテーマ
が見えてくる、という感じ、最後にきてそれがすばらしい構成力による
ものだ、と気づくことが多いです。とにかく、ここまできましたので、
少しずつでも、あわてず読み通してみてください。大作、傑作を読んだ
あとの充実感、高揚感には、言うに言えない喜びがありますよね。

 >最近、息子が「パラサイトを止めようと思う」と1人暮らしをはじめ
ました。それは自立で喜ばしいことなのですが、母親としての気持ちが
納得しません。寂しさもひとしおです。ゴリオ爺さんが「自分は三人分
生きている」と言う気持ちはわかります。子ども達の成長を通して私も
三人分生きている思いでしたから。ゴリオさんのようにならないように
子どもに教えられたような気もします。

 ⇒自立の気骨を見せてくれたPlay with me さんの息子さんにエール
を送り、肩をたたいてやりたいです。そんな決意に対して不安がる親が
きっと多いでしょうが、子どもに傾ける軽はずみな熱心さ、保護欲は、
子どもの成長には逆効果です。娘たちに寄せる“ゴリオ爺さん”の過剰
な愛の悲劇が、それをよく語ってくれています。よくぞこんなことを書
いてくれましたね、バルザックという人は。
 いま、「はしか」の流行で閉鎖される大学がたくさんありますね。さ
まざまな原因があるでしょうが、この世代は、無菌の衛生的な環境のな
かで保護されすぎて育ってきたために、免疫力がないことが大きいよう
に思います。クモの巣ひとつ張っていない家で育てられた子どもはちっ
ちゃなクモを見てさえも失神するほど恐れるといわれます。
【つづく】
Re:Re:★愚かしくも美しい永遠の父親像―、子に与えつづけた老人の悲しい死(03月11日)
がのさん (2007年05月17日 14時07分)

Play with meさん

【その4】
 J.J.ルソーが「エミール」のなかでこんなことを言っていたと思いま
す、「貧乏人は教育を必要としない。なぜなら、貧乏人は金持ちと違っ
て、自分自身の力で人間になるのだから」と。教育の機会均等の問題で
はありません。子どもが自分で自分を強くする努力、自分の意志をおこ
なう者の戦いを、親だからと邪魔することがあってはなりませんよね。
おカネとヒマのある親が親切ごかしに陥りがちなワナです。だれもが自
由と幸福を求めて生きているわけですが、苦痛を味わうことのもっとも
少ない人がもっとも幸福な人、とはかならずしも言えません。
 子どもの自立へ向けての教育を考えるとき、やはりルソーの思想がパ
ッと思い浮かびます。先日、朝日新聞の「天声人語」にも引用されてい
ましたが、「世界でいちばん有能な先生によってよりも、分別ある平凡
な父親によってこそ、子どもはりっぱに教育される」といいます。親が
先まわりして手出しをしたり、その価値観を押し付けたりしてはいけま
せん。子どもの若い熱意は本能を補って自分を強く磨いていくはず。そ
こは信じていい。なぜなら、ここまで手塩にかけて育ててきた子なのだ
から。ある程度の年齢にきたら、子どもは適当な距離をおいて見守るし
かないのではないですか。


 >本当に私も両親の苦労も知らず、お嬢様方と同じ生きかたをして、蝶
の様に飛び回っていたことを思い返します。そして両親にすまない思い
をしています。
    ----------------------------
 だれにもそんな慙愧の思いがありますよね。感謝し、謝りたいときに
は、もうこの世の人でなくなっている。そんな愚かさをヤドカリのよう
に背負ってきょうも生きていく、山頭火の句ではありませんが、「どう
しようもない人間」でごめんなさい、ですよね。

 また長々しいものになってしまいました。失礼いたしました。
Re:Re:Re:★愚かしくも美しい永遠の父親像―、子に与えつづけた老人の悲しい死(03月11日)
Play with meさん (2007年05月17日 20時19分)

がのさん
でも、解放されてご自分の世界に戻られた! その意味はまた別な重み
もつものかもしれません。人間は苦労し、ぶつかり、戦い、傷つくこと
で、また大きなものを体得するようですので。
  
    ありがとうございます。そんなに言っていただいて恐縮と同時
    に癒されます。ともに協力し、苦労を共にした人たちでもそん
    なにりかいしていただくかどうか?・・・
    自分の世界をしっかりと確立していきますね。

 Play with me さんがめでたく解放されたのとはウラハラに、わたしの
ほうは、いよいよたいへんなことになってきました。これまでも、高齢
者福祉、地域福祉、地域文化活動を中心にいろいろなことをやってきま
したが、この4月からは940戸をかかえる町の自治会長もやることになっ
たり、地域支えあいネットという区を基盤とする組織で6月2日からむ
こう半年にわたっておこなうボランティア講習会の運営責任をあずかっ
たり、そうかと思えば、独立法人「医療福祉機構」のひとつとして立ち
上げた、着物のリメイクを主とする手づくり工房の運営にも携わる、と
いったアンバイ。

    ご苦労様です。ラボのように同じ方向を向いている人たちでも
    大変なのですから自治会となれば本当に多種多様な課題、問 
    題を解決しなければならないので、GANOさんのような穏や
    かな思慮深い方に回ってくるのは当然なのでしょう。
    お体に気をつけてお役に向かってください。
    ラボの問題など子どもの悩みのようなものでしょうね。
    ご苦労様です。
Re:★愚かしくも美しい永遠の父親像―、子に与えつづけた老人の悲しい死(03月11日)
Play with meさん (2007年06月01日 23時31分)

こんばんは!!
ゴリオ爺さんの下を読み終わりました。
哀れな父性愛の結末に心を痛めると同時に田舎から出てきた青年ラステ
ィニャックの生き方にも興味を持って読みました。
はじめは学問も同時に修めようと思ったけれど結局はパリの社交界に落
ち込んでいく様、しかしゴリオ爺さんの最後を走り回って、お金を工面
して見取ったことに青年の純粋を見て安心しました。
でも最後は社交界に戻り、立身出世を夢見るのですね。
純粋な生き方を選んでいればどうなったか・・・とあとがきにもありま
したが、どんな物語が展開したのでしょうね。
読んでいて、アレッと思うことは本当に実在した人の事かな?と思うこ
ともありました。
人物再登場の手法なんですね。
ラスティニャックの将来での成功と老いの時も知りたくなりました。
「ニューシンゲーヌ商会」「骨董室」も読みたいと思いました。
Re:Re:★愚かしくも美しい永遠の父親像―、子に与えつづけた老人の悲しい死(03月11日)
がのさん (2007年06月03日 14時42分)

Play with meさん

>『ゴリオ爺さん』の「下」を読み終わりました。哀れな父性愛の結末
に心を痛めると同時に田舎から出てきた青年ラスティニャックの生き方
にも興味を持って読みました。はじめは学問も同時に修めようと思った
けれど結局はパリの社交界に落ち込んでいく様、しかしゴリオ爺さんの
最後を走り回って、お金を工面して見取ったことに青年の純粋を見て安
心しました。でも最後は社交界に戻り、立身出世を夢見るのですね。
     ----------------------------
 若者の一途な野心、そして老人の娘たちへの偏愛。客観的に見ると愚
かしいようですが、それは、悲しいまでに人性の真実を描いている作品
でしたね。日々の雑事に追われていると、「いまさら…」との思いもあ
り、ずしりとしたこういう大作には立ち向かおうとの気持ちもおこりに
くく、せいぜい鞍部の低い手軽なものを読んですましがちですが、Play
with me さん、さすがです、すごいです、よかった、よかった。

 あまり人が近づかない日本古典を読み通したあとにも、それに似た充
実を覚えるこのごろ。わたしには、つもりはあってもなかなか読書の進
まない本がいくつかあります。たとえばダンテの『神曲』やゲーテの
『ファウスト』。読みとおせないでいるのに言うのはおかしいですが、
こういう人類の宝とすべき作品を知らずに死んでしまったら、人生って
何なのさ! と大きな忘れものをしたように思ってしまうような気がし
ます。
 ペッカペカの、うすっぺらな知識を広げるだけの作品は、もういい。
中原中也のいう「静かな部屋」「郊外の道」でゆっくり自分の心の呟き
を聴きたいと、そんな気持ちになったときに読む作品としては、バルザ
ックの作品などはうってつけかも知れませんね。

 そういいながら、まあまあ、どうしようない世塵のうずに引きづりま
わされるわたしの日々。読書が進まないのが悩みです。ほんと、思って
もみなかったほど、たいへんなことになってしまいました。お役御免の
日まで、このいらいらを抱えてすごすことになるのでしょうか。
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