★水に流すこと、そしてまた、心の昇華と新しい蘇生と |
03月30日 (金) |
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〔ギリシア神話―トロイア戦争のなかの女〕
過去を水に流す。このことにおいて、日本人はとてもあっさりしているのでしょうか。制度がかわったら(トップの首がすげかわったら)、それまでのことは全部なしにしてしまう国民性なのでしょうか。それは、トップが間違いを犯さないときにはとても安心で簡単なことでしょうが、間違いを犯さないように監視する、ということがなく暴走したのが先の大戦だったのではないか、とも思えてくるのです。 (BBS関連、Dorothyさんによる)
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忘れる…、これは人間に天賦されたありがたい能力だとされています。ひとが心配ごとなく安寧に、自由に磊落に世を生きていこうとするときの、なかなか便利な武器かもしれませんね。
しかし、歴史には、忘れていいことと、決して忘れてはならない歴史とがあると思います。都合の悪いことはケロリと忘れる。ところが、ひとたび屈辱を浴びせられたほうは、あっさり水に流してくれるなんてことはありません。ひとが受けた苦痛や辱めは、20年経っても30年経っても忘れられるものではありません。学校で問題の「いじめ」や、日本軍が満州につくった七三一部隊、そこでおこなわれた正視に余る生体実験の数々を挙げるまでもなく、わたしにもいくつかその覚えがあります。執念深い、いやらしいよ、といわれようと、おそらく死ぬときまでその口惜しさを忘れることはないでしょうね。加齢のなかで呆けて記憶を喪うようなことがあっても、それだけは忘れずに残っているだろう口惜しさ。
少し遠まわしにして、ギリシア神話のほうから、そのことを語っていいでしょうか。
トロイア王国の王子ヘクトールに嫁したアンドロマケという女性。古代トロイア戦争の神話に登場する女性で、まず、父親と七人の兄弟をギリシア軍に殺され、母親もアルテミス女神の矢に射抜かれて死にます。さらに夫のヘクトールは宿敵のアキレウスとの一騎打ちで槍で仆されます。そのあとが眼も当てられぬ酷さ! 自分の死骸は父王プリアモスの手に渡し火葬させてほしい、と武士の情けでアキレウスに求めるが、復讐の鬼と化した敵はそれを一笑に伏し、その遺骸を軍馬にくくりつけて狂ったように疾走、土ぼこりのなか戦場をひきまわします。神をも恐れぬアキレウスの所業はのちに神罰を受けることになりますが。スカイア門の上からその惨劇を目撃していたアンドロマケは色を失い号涙し卒倒する。眼前にした夫の最悪の死に方。トロイアの命運は、オデュッセウスの奸計による「木馬」を待つまでもなく、事実上このときに尽きたといえるかもしれません。この戦争のなかで根絶やしにされて天涯孤独になった美しい王妃。望んだ自らの死は許されず、不幸はまだまだつづきます。王妃の座から女奴隷へと転落する運命へ。勝者のギリシアの戦利品として異国へ、東洋から西洋へ連れていかれ、苛酷な労役と、戦勝国の男たちに自由にもてあそばれ、宿敵の子を次つぎに産むハメに。屈辱と忍従の日々を「耐える女」に徹して蘇生の時期を待つ。迫害と辱めを受け、極限の生に耐えつつ、身を滅して屈し、従うことによってのちに生命の蘇りを果たすわけですが、これこそが「東洋の女の忍従」、西欧世界で生まれ育った人間にはない生き方と言えないでしょうか。
戦争に勝ったギリシア軍はトロイアにある限りの財宝と女たちを奪って分け合い、帰国します。王妃アンドロマケが分配されたのは、なんとまあ、ネオプトレモス。父と七人の兄弟、そして夫を殺した宿敵アキレウスの、その息子である男。この男がまたどうしようもなく惨いヤツ。トロイア落城のとき、ゼウスの祭壇に逃れた父王プリアモスを引きづり出し、情け容赦なく首を刎ねる。ギリシアに連れ帰ることになったアンドロマケ王妃につかつかと近づくと、王妃が胸に抱いていたヘクトールとのあいだの一粒だねのアステュアナクス、恐ろしさに震えるその幼子を母親の腕からもぎ取り、王城の矢狭間から投げ落とす。その可哀そうな死骸に衣をかけてやるいともも与えず、アンドロマケを船に追いたてギリシアへ連れ帰る。さらにネオプトレモスは、アンドロマケの義妹ポリュクセネー、美貌で清純なその乙女を、先に死んだ父アキレウスの鎮魂のための人身御供として、衣をはぎとり、ブスリッと刃の下で喉首を斬る。世に並びない可憐さをもつ乙女は血しぶきに濡れて死ぬ。戦争とはもともとそうした非情なものなのでしょうか、…この古代トロイア戦争の残虐ぶりも日本軍七三一部隊の非人道的な人体実験の数々も。
暗転しつづける彼女の生。明日の希望のすべてを踏みにじられたあと、なお苦界に生きるために、この誇り高い貞淑な王妃はどうしたか。奴隷にされ、妾にされ、屈辱の極みを味わされるが、逃れようもない生と知って、憎むべき男ネオプトレモスの子を三人も産む。男を憎むがゆえにその子を生む。なかなかわたしなどには理解できない心情だが。また、のち、ネオプトレモスがデルフィで客死したあとには、王国を継いだヘレノスの妾とされ、その男とのあいだにも一子をもうける。三人の異なる男とのあいだに五人の男子を産み、そしてついには王座を取り返す強靭な生命力を見せます。
つまり、この子どもたちによって新王国建設という運命の逆転を果たすんですね、アンドロマケは。ネオプトレモスとのあいだの長子モロッソスがエペイロス王国を、その末子のペルガモスは「東洋」の地、トロイアにほど近いところにペルガモンという新王国を。ペルガモンは標高300メートルの景勝の地にある美しい町です。アンドロマケは最晩年の身をここで落ち着け、一日として忘れたことのない「東洋の地」で心の昇華と新しい人間として蘇生します。
運命に逆らわないこの生き方は母性の原型といえないでしょうか。ある意味で、恐いですね。男はすぐに武器をもって相手に復讐しようとカッカといきり立つ。それにひきかえ、見せ掛けとは異なる女の内奥にひそむ深き思い。絶望することなく、ひたすら忍従することによって主権を奪い返したこの東洋の女がつくりだすドラマは、こぜわしく自己主張する女のそれよりも、はるかに濃密なものがあるように思えて、わたしは感動を覚えるのですが。
ものごとには、水に流せることと流せないことがある。きのう観た映画「午後の遺言状」(新藤兼人監督)でときどき登場する丸い石…音羽信子の演じる別荘管理人であり老農婦が最後にポーンと川に投げすてていくダチョウの卵ほどの石の意味と関連して書きたいこともありますが、長くなりましたので、きょうはこのへんにて。
☆…転記スミ ⇒ ページ一覧「物語寸景=5」ギリシア神話―トロイア戦争のなかの女
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Re:★水に流すこと、そしてまた、心の昇華と新しい蘇生と(03月30日)
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ケイコちゃんさん (2007年05月11日 00時42分)
ギリシャにご一緒したばーばじゅこんさんからひろば@の私書箱へメッセー
ジを頂きました。がのさんからのご紹介だったそうで有り難うございました。
そこで、近頃は、ひろばの方は開けもせず、書き込みもせず、訪問もせずの
状態だったのですが、お久しぶりに訪問致しました。
相変わらず綺麗な花々にうっとりし、癒されます!
ギリシャの道ばたの石のすきまからシクラメンの花が咲いていたことを、教え
て下さった事も想いだしながら、どの写真にも見入ってしまいました。
水に流すといえば、私も何かで、読んだことがあります。
昔から日本人は美しい山々に囲まれ、そこから流れ出した川で人々は水の恩恵
を受けて生活し、汚いものを流しても、そのころの水流はすべてを綺麗に浄化
する自然のちからを持っていたこと。又美しい滝もたくさんあり、人々は滝の
水で自分を打たせ、精神と肉体を鍛え、己の悪を祓いだす『禊』としていたこ
と--などなど---「水に流す」文化は奥深く日本人に入り込んでいたのだとい
うのです。
政治家など、どんなに悪いことをしても、一寸だけ引きこもって、すぐ又
「禊が済んだ」とばかりにすぐ「水に流す」風潮は本当に最低です。
ギリシャ神話の中の女のひとの生き方、いろいろと凄まじかったり、哀しか
ったり、又、興味新たに心動かされました。
しかし、どこの国でも総じて女は強く、逞しく、優しく、美しいのでしょう
か。 ひとくくりに言ってしまうと何の深みも無くなってしまいますけど。
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Re:Re:★水に流すこと、そしてまた、心の昇華と新しい蘇生と(03月30日)
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がのさん (2007年05月11日 10時36分)
ケイコちゃんさん
【その1】
>ギリシアにご一緒したばーばじゅこんさんからメッセージを頂きまし
た。ギリシアの道ばたの石のすきまからシクラメンの花が咲いていたこ
とを教えてくださったことも想いだしながら、花々の写真に見入ってし
まいました。
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東京・世田谷にお住まいのKさん、いっしょに1988年のギリシア神話研
修の旅に行ったメンバーの一人ですが、彼女がこの4月末にラボ35周年
記念のつどいをおこないました。お祝いに行くことはできませんでした
が、お祝いの一文を寄せることになり、そのラボ・ライブラリーの旅に
ふれて書き、それを機に、ギリシア神話と英雄伝説のことを改めてあれ
これ考えました。いかにもそこに人性のすべて、その喜びも悲しみも、
嫉妬も怨恨も、悪も善も、すべてが描かれていることを知ることになり
ました。
アテネ、エレウシスをはじめ、コリントス、ミケーネ、アルゴスな
ど、ペロポネソス半島各所の遺跡をめぐる強行日程の旅でしたが、ずい
ぶん多くを見聞し深夜に至るまで勉強しあいましたね。すばらしい経験
でした。その後、ドン・キホーテのスペインほか、何度かラボ・ライブ
ラリーの旅がおこなわれたようですが、あの研修の旅がハシリでした。
あの日々、ぶどう酒色のエーゲの海は見られませんでしたけれど、神々
や英雄たちが生きいきと活躍した海の深い青さはいまだに眼の底に残っ
ています。そして、早暁のクレタ島イラクリオンの港でケイコさんがホ
ロリと見せた涙も、忘れることができません。
【つづく】
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Re:Re:★水に流すこと、そしてまた、心の昇華と新しい蘇生と(03月30日)
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がのさん (2007年05月11日 10時38分)
ケイコちゃんさん
【その2】
> 水に流すといえば、私も何かで読んだことがあります。昔から日本
人は美しい山々に囲まれ、そこから流れ出した川で人びとは水の恩恵を
受けて生活し、汚いものを流しても、そのころの水流はすべてを綺麗に
浄化する自然のちからを持っていたこと。また、美しい滝もたくさんあ
り、人びとは滝の水で自分を打たせ、精神と肉体を鍛え、己れの悪を祓
いだす『禊』としていたことなどなど、「水に流す」文化は奥深く日本
人に入り込んでいたのだというのです。
政治家などが、悪いことをして「水に流す」風潮は本当に最低です
が。
ギリシア神話の中の女のひとの生き方、いろいろと凄まじかったり、
哀しかったり、また、興味新たに心動かされました。しかし、どこの国
でも総じて女は強く、逞しく、優しく、美しいのでしょうか。
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はは~、なるほど、じょうずに水に流すのは、もともと日本人の伝統
的な文化なんですか。身と心の穢れを水や火で清めて、生涯、身ぎれい
でありたい、との尊い思いは、たしかに古来よりありましたね。それに
しては、このごろはどうも、ベネディクト女史が日本を評していう
「恥」の文化が底から損なわれ、幼稚で薄っぺらで直情的な、恥知ら
ずの文化が目立つように思いますね。わたしなんぞはなかなかそういう
時代にはついていけませんが。
戦乱のなか、引き裂かれた人生に従って「耐える女」に徹したアンド
ロマケー。このアンドロマケーが日本の歴史のなかにもいたことを、NHK
の大河ドラマ「風林火山」で知るところとなりました。いえいえ、この
先の展開は知らないのですが、山本勘助が由布姫に説く生き方がそれで
はないかと。甲斐・武田との戦いに敗れた諏訪一族で唯一生き残った由
布姫(禰々の子、赤子の虎王丸もいますが)。根だやしにされることを避
け、生きて一族再興の大望を遂げるためには、ここは恨みを捨て孤独に
も耐えて心の昇華をはかり、自分を殺して武田晴信の側室にくだって、
男の子をなすこと、その子に次の世を託すという、ほんとうの強さ。え
え、ドラマはどうなっていくのかは知りませんが、そこまでは由布姫と
アンドロマケーの生きかたには近いものがあるように思うのですが。
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Re:★水に流すこと、そしてまた、心の昇華と新しい蘇生と(03月30日)
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ばーばーじゅこんさん (2007年05月12日 23時33分)
ケイコちゃんさんからメッセージを頂きました。がのさんのおかげで
す。お元気そうで、ケイコちゃんさんもラボを続けていらっしゃる
ので安心致しました。
ギリシャは本当に大変な旅でしたが、今になってみると大変だっただ
けに、本当に参加して忘れられない思い出の残った旅です。
田名部先生のご講義時間は日中遺跡を歩き回っていた疲れとワインの酔
いとで半分夢見心地で伺っていたような気がしております。
スニヨン岬で健気に咲いていた野生のシクラメンの写真もあったはずで
す。
13日 支部の一日広場で松本 輝夫氏がライブラリー講話をなさる
予定です。タイトルが何故か「ギリシャ神話ーSK21より」です。
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Re:Re:★水に流すこと、そしてまた、心の昇華と新しい蘇生と(03月30日)
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がのさん (2007年05月13日 22時21分)
ばーばーじゅこんさん
【その1】
> ケイコさんからメッセージを頂きました。ギリシアは本当に大変な
旅でしたが、今になってみると大変だっただけに、本当に参加して忘れ
られない思い出の残った旅です。田名部先生のご講義時間は日中遺跡を
歩き回っていた疲れとワインの酔いとで半分夢見心地で伺っていたよう
な気がしております。スニヨン岬で健気に咲いていた野生のシクラメン
の写真もあったはずです。
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ばーばーじゅこんさんからそのときの写真をいただいた後、自分の撮
ったものを見直してみたいと思っていました。ところが、よほど押入れ
の奥に突っ込んでしまったのか、出てきません。バタバタした日々のな
かで、情けなや、そのことも忘れていました。
その当時は、わたしにかぎらず、みなさんもよく勉強しましたね。研
修の旅では、ギリシアの甘いワインに酔っているヒマもありませんでし
た。たぶん、ギリシア神話とギリシアの英雄伝説に関する本や資料を、
わたしの場合で200冊は読んでいたと思います。読めばいい、というもの
ではないかも知れませんが、みんな若かったのでしょう(写真で見るばー
ばーじゅこんさんの若々しいこと! わたしのなんとスマートなこと!
メタボとはおよそ関係ない姿!)、テーマの深さ、テーマの壮大さを前
にして、異常にエネルギーを燃やしたことが思い出されます。で、研修
の旅のころはアタマのなかには混沌としたイメージが重なり、ごった煮
状態でした。が、こうしてまた読み直してみると、なんだか不思議なく
らいスーーッと一つひとつの物語のテーマがクリアに見えてきます。凡
愚なわたしなどには、そこまでに、空白をはさんで20年の時間がかかる
ということですね。
タベルナといわれても食事はそこで食べる(居酒屋兼食堂)ギリシアの
旅。数かずの遺跡めぐり。オデオンをおでんやと聞き違える人はまさか
いませんでしたが、それは奏楽堂のことでしたね。円形劇場はテアトロ
ン。パンパンと手をたたくと、初冬の乾燥した空気のなか、よくひびき
ました。広場はアゴラ。体育練習場はパライストラ。馬蹄形をした競技
場はスタディオン、市場のことはストア(回廊のこともストアと言ったよ
うな…)。これなどはいまもわたしたちの生活のなかでふだん使われてい
ますね。
【つづく】
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Re:Re:★水に流すこと、そしてまた、心の昇華と新しい蘇生と(03月30日)
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がのさん (2007年05月13日 22時26分)
ばーばーじゅこんさん
【その2】
いろいろなことが思い出されますが、田名部昭氏とその後お逢いする
なかで聞いて驚いたことの一つをご紹介しますが、作家・曽野綾子さん
の旅行のスタイルについてです。曽野さんがギリシアやトルコへ行くと
きはだいたい彼がいっしょのようですけれど、それにかぎらず、曽野さ
んの海外への取材旅行には、いつのときも何人かの出版社の随員がいま
す。そういう人は気を利かせたつもりですぐに彼女の荷物をもってあげ
ようとするのですが、彼女は、自分の荷物はぜったいにひとに持たせな
いそうですね。自分のことは自分でする、自分で持てないような荷物は
持たない、自分は女だから、とぃった甘えはいっさいない、あの人らし
いストイックさ。そこは徹底しているそうです。旅じょうず、というよ
りは、旅とはそういうものだ、とテンから考えておいでのようだ、と。
わたしたちはとかく業者のサービスや男子、高学年の子にと、依存しが
ちですが、学びたいところ。
でも、旅の途中はともかく、このごろは空港から自宅へは宅急便を使
うことが多いようですね。彼女はこのごろはどうしているのかなあ、
と、曽野さんご自身が聞いたら「バカね」と一笑に伏されそうな、そん
な余計なことを思ったりします。
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