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◆NHKラジオ「名作を読み直す」、言い残したことなど〔その2〕 11月26日 (水)
小夜 ごめんなさい、小夜の不覚でした。
がの どうしましたか、何かまた毀しましたか。冷静そうですけど、じつは意外にそそっかしく、よくものをなくすし、よく器を割るからなあ、小夜ちゃんは。
小夜 そんなんじゃありませんよ。一生の不覚。
がの またまた、おおげさな…。さては、このあいだおとうさんが陶芸教室でつくったご自慢の花瓶、あれ、落としたんじゃないでしょうね、まさか。だいじにしてくださいよ。不朽の傑作かもしれないのですからね。
小夜 ちがうの。このあいだのラジオの放送、じつはむこうのお部屋で録音していたの。
がの あっ、録音はやめなさい、と言ったのに。ごめんですよ、あとになって自分の声を聞くくらい、いや~な気分になることないですから。
小夜 ええ、そうは言われていましたけれど、ひとによっていろいろご都合があるじゃないですか。「聞けなかったけれど、どうでしたか?」といわれたとき、それを聞いてもらえれば…、と思って、念のためのつもりで。事実、あのあとたくさんの人から言われたじゃないですか、「ごめん、聞きそこなった」と。
がの いいの、いいの。ごらんなさい、結局、言いたいことも言えないままプツンされちゃったじゃないですか。
小夜 おとうさんは何度もそれを言いますけれど、そんなことはありません、ちゃんとそれなりの時間は与えられ、けっこうたくさんお話ししていたじゃないですか。
がの そうかなあ。
小夜 午後4時からの放送と聞いていたので、それに合わせてカセットテープをセット。ところがそのテープは片面30分のものだったの。おとうさんの出演する4時35分すぎのものは、まるでペケでした。
がの そうでしたか。でも、べつにいいじゃないですか、もともと電波による放送なんて瞬間で流れて消えてしまうもの、虚しいもの。それに、生放送のなかで何を話したのか、おとうさんにはぜんぜん記憶がないのよね、とにかく、アレッ、という間に時間切れで。
小夜 前回、ここで冒頭部分を少し整理しました。おとうさんのタチの悪い腹の虫がおさまったかどうかは知りませんけれど、記憶の糸口は、幾分か、つかめたはず。小夜はラボのみなさんにお約束してしまいましたし、採り上げる作品はどんな基準で選んでいるのか、海外の作品にこだわって読む理由はなにか、そのあたりのことを改めてお話しくださいませんか。

togeikyoshitsu002

――みなさんで読み合う作品はどんな尺度で選んでいますか。
 一応、どんな作品を採り上げてほしいか、おりおりメンバーに希望をうかがいます。これまでは、こんなのが読みたいと、声をあげて具体的な作品をいう人の例はなく、わたしが半年ごとにプランを立て、それに沿いつつ、なお柔軟性をもたせながら進めてきました。基準のようなものは特になく、かといって、何でもいいというふうにもなりません。平坦な目で見て、ある星霜のなかで社会的評価の定まっている作品から、その時どきの話題性に富むと思われるもの、みんなで考え合ってみたいテーマをもつものをリストアップし、集会所の掲示板に公表いたします。
 あれこれ作品を考えているなかで、いろいろ意外に思われる発見があります。人口に膾炙され、さまざまな機会に耳にして知っているつもりでも、実際には読んだこともない作品だったり、本はずっと以前に買って持っていたけれど、読む機会もなく、いつか興味は失せて、書棚の隅にうずもれたままになっているような作品。どなたにもそんな本がたくさんありますね。
 この読書会を進める第一歩のとき、3クラスの中学生たち数十人といっしょに「星の王子さま」を読みました。これなど、世界じゅう、聖書についで多くの人が読んでいるとされていますし、知らない人はまずいませんが、事実は、きちんとこれを読んでいた人は、旧世代の人もふくめてごくごく少数でした。この有名な作品でさえ、です。それとなく生活していて、いろいろな機会に話題になることがありますので、みんな知っているつもり、読んだつもり、あるいはごく一部分を限定的に知っている、といった状態。
 別な例で、先ほどから出ているドーデの「風車小屋だより」に立ち戻って、このなかに「アルルの女」という短篇があります。ビゼーの作曲した名曲がすぐ思い浮かびますね。その名を聞いただけで、あの曲が頭のなかで華麗に鳴り出すほど、よく知られた曲。ですが、どうでしょうか、これはどんな物語につけられた曲なのか、どれほどの人が知っているでしょうか。(オペラ用の台本は別に書かれていますが)原作は文庫本にしてわずか6ページ足らず、アッという間に読み終えてしまいます。しかし、それだけのなかに展開する壮大な人間ドラマの山脈。気づいてみると、そこでは一行たりとも“アルルの女”、…かんじんカナメの人物の実像は描かれていません。にもかかわらず、読むものには、そのイメージがくっきりと目の前に見えてくる。その容姿や衣装、ことばづかいや声の調子までが。こういうのを名作というのではないでしょうか。抑制され、引き締まったその文章は、ほんと、魅力的です。一語のムダさえない文章のなかに、人間の、わかっていてもどうにもならない、若ものの抑えがたい心情、哀れなまでの憧れの思いが描写されています。そんなところはぜひしっかりと味読したいと思いますね。一読したら、ビゼーの曲もそれまでとは違うように聞こえるかも知れません。
 やはり、古今の名作とされているようなものには、汲み取っても汲み取っても尽きることのない滋味がありますよね。想像力によって書かれた作品ながら、そこには日々のこの現実以上にリアルな、ほんものの真実に出会う機会になります。

togeikyoshitsu001

――海外の作品にこだわる理由は、何かありますか?
 理由はありませんし、こだわってもいません。これまでの76回を振り返っても、山本有三の「米百俵」や松谷みよ子さんのの「龍の子太郎」、小川未明の「赤い蝋燭と人魚」、最近では梨木香歩さんの「西の魔女が死んだ」も。
 「米百俵」は小泉・元総理がご都合主義的に引き合いに出した作品で一時話題になりましたが、そういうことでなく、ドーデの「月曜通信」のうちの「最後の授業」に関連して、ことばこそ文化の精粋であり、母国語を守ることがどれほどたいせつなことかを話題にしました。そのおり、わが国にも同様の母国語が失われそうな危機がありました。GHQによって日本語から漢字・平仮名・片仮名が奪われローマ字表記に統一されようとしたとき、貴族院議員だった山本有三が頑迷にがんばって日本語を守った、そのすばらしい気骨と「米百俵」で書かれた長岡藩士の小林虎三郎の気骨、今このときの空腹を満たすより、10年後、50年後の長岡を考えて若ものの教育に百俵の米を投ずべきとする堅い信念、枕元に反対派の刀が林立するなか、命を張って学校をつくることにこだわったその根性にふれようと、読んでみました。それのみならず、その時期、文学散歩で三鷹から吉祥寺のあたりを歩きました。太宰治の心中事件で知られる玉川浄水のほとりに瀟洒な西洋館の山本有三記念館があり、多くのメンバーといっしょにそこを訪ねていることにもよります。
 小川未明の「赤い蝋燭と人魚」は、同時にアンデルセンの「人魚姫」を抱き合わせて読み、人魚の描き方ひとつをめぐって、日本人と西洋人の感性の相違、あるいは同じ感じ方といった点を探りあいました。

 たしかに、それ以外は海外の作品でしたね。わたし自身はもともと、大学では国文学を専攻したほどで、そちらの専門というわけではありませんが、この地域には、わたしたちのこの読書会のほかに、もうひとつグループがあります。むしろそちらのほうが参加者も多く活動歴も長いのですが、そちらは日本の作品のみをずうっと読んでいます。趣味で読書をする程度の人たちがほとんどですから、どうしたって、日本の作品のほうが近づきやすい、親しみがある、ということでしょうね。しかし、それでおさまらないのがこの地域の特徴なのかも知れません。
 ご承知のように、横浜はわが国が海外との交易をはじめる最初の窓口となった地。生糸貿易を中心に閉ざされていた国を開き、国の富を築いていった歴史があります。まあ、それを持ち出すまでもなく、身辺どちらを向いても、海外をよく知る人、豊富な国際交流経験を持つ人、国際的視野を持つ、開けた感覚の持ち主に恵まれています。新しがりやのものずきなのでしょうか。つい最近の話題では、介護福祉士をめざすインドネシアの若ものをイのいちばんに迎え入れたのがこの近くの福祉施設です。施設で受け入れる、ということでなく、地域の全体で迎え入れようとの気運のなかで。ODAを通じて赤道直下のアフリカ諸国を駆けまわり、農業指導にあたっている人がいます。イギリスとのあいだの航空路を長年行き来していた人を中心に、荒れて人が近寄らなかった公園をバラいっぱいのイングリッシュ・カーデンのスタイルに生まれ変わらせた人たちも。
 ですから、このあたりの人には海外文学も、意識としてそんなに遠くはなく、パンとコーヒーがいつの間にか日本人の朝食の定番になっているように、ごくふつうのことで、むしろそれがないと何か欠けているようにさえ思える感覚があるようです。
 わたしたちは読書を、何かのために、と考えたことはありません。それでも、たとえば仕事でイギリスへ行ってしばらくあちらで生活することになった、というような場合、むこうで出会う人びととのあいだで、シェークスピアの作品を話題に語り合う、モームヒルトンマンスフィールドの作品、ゴールズワージーテニスンの詩を話題に近づき合えたらすばらしく、どうでしょうか、ビジネスを超えた良質な人間関係が築けるように思いますね。
 ある開発途上国に仕事で行った人が、会で読んだツイアビの「パパラギ」を話題にして、現地の村じゅうの人たちとおおいにもりあがったとも聞きました。功利性を求めるわけではないにせよ、良質な読書を通じて、ある種の柔軟なセンスが知らぬ間に培われていくように思います。



小夜 ほら、おとうさん、おしゃべりしすぎですよ。ドーデのムダのなさ、抑えのきいた文章を言って、まだその舌が渇かないうちに、これですからねぇ。まだ言いたいことがありますか。小夜はもう眠いです。
がの ありますよ、もちろん。放送前の打ち合わせでは、「名作をもう一度読み直す、その意味は?」とか、「読書の活動を長くつづけていくコツのようなものは?」とか、「声に出して読む、その意味は?」なども話したはずなんですけれど。
小夜 またにしてく……クークークー…(寝息)
Re:◆NHKラジオ「名作を読み直す」、言い残したことなど〔その2〕(11月26日)
dorothyさん (2008年11月28日 09時29分)

青海波の絵、拝見しました。
何度もこちらに伺って、拝見しました。
そのつど、何か書こうとしては、時間に
追われて更新せずに退散、あるいは
ログインもせずにはいったので
足跡すら残していませんでした。

ところで、名作を読むことについて。

なぜラボライブラリーにまだ星の王子様や
アルルの女が入らないのでしょう。
私はずっと、ディケンズものとあしながおじさんは
入れるべきだ、と叫んでいます。

ディケンズは、英国文化を語るとき
避けて通れないもののように感じています。
また、あしながおじさんは、それ自体は
シンデレラストーリー的ですが、その年代
(実は10代あるいはもっと幼少時)に
常識として読んでおくべき作品が
上手に紹介されているのです。

たとえば、青い鳥を読んだ事がなくて
恥ずかしい思いをしたから、夜は
自室でそういった本をむさぼるように読む、
とか、大学時代にはシェークスピアの舞台を
見に行く、などなど。

また、この作品の後編にあたる
「続あしながおじさん」では、遺伝や
アルコール中毒の被害についての本を
ジュディの親友のサリーの目を通して
紹介しています。

ぜひ、ラボライブラリーに入れてもらいたいと
叫んでいるのですが、なかなか届かない
ようです。または、私の視点が悪いのか・・・。

ということで、今回のがのさんの日記、とても
とても興味深く読みました。
感想ではなく、私の意見になってしまって
ごめんなさい。
Re:Re:◆NHKラジオ「名作を読み直す」、言い残したことなど〔その2〕(11月26日)
がのさん (2008年11月28日 15時32分)

dorothyさん

【その1】
>青海波の絵、拝見しました。

     ----------------------------

 絵で見るように、光源氏は白菊を頭にかざしています。一方の頭中将
がかざしているのはまっ赤なモミジですね。白菊とモミジ、ここにはど
んな意味がこめられているのか、ご存知でしたらお教えください。


>> ところで、名作を読むことについて。なぜラボライブラリーにまだ星
の王子様やアルルの女が入らないのでしょう。私はずっと、ディケンズ
ものとあしながおじさんは入れるべきだ、と叫んでいます。ディケンズ
は、英国文化を語るとき避けて通れないもののように感じています。

 チャールズ・ディケンズ。12月になりますが、クリスマスの声が聞こ
えてくると、かならず思い出すのが「クリスマス・キャロル」。数かず
のクリスマス物語のうちで、これ以上のものはないと思われ、その季節
になるたび、ラボの子どもたちがこのテーマ活動をやっているすがたを
イメージいたします。
 dorothy さんはディケンズのどの作品がラボ・ライブラリーに欲しい
と思われますか。「オリバー・ツイスト」もいい、「二都物語」もい
い、「大いなる遺産」は? イギリスの文化を語るとき、ヴィクトリア
王朝時代は欠かせないと思いますが、この人はその時代を代表する作家
ですのでね。
 わたしたちの読書会でも「クリスマス・キャロル」を2003年1月に読
み合いました。評判のよくない守銭奴の老人スクルージがクリスマス・
イブにクリスマスの精霊たちの訪れのなかで、エゴイスティックな欲を
捨て、生き方を変えていく……。ね、このものがたり、子どもたちにプ
レゼントしたいですよね。
 「オリバー・ツイスト」も、ぜひ子どもたちに読ませたい。この作品
は、悪人どものオン・パレード。盗賊あり悪徳商人あり小ずるい小役人
あり…。孤児オリバーはそんな誘いにもきわどいところで汚染されるこ
となく、純粋なこころを貫いて、最後には幸福をつかむ。汚染されたあ
ぶない環境という意味では、いまのこの時代のほうが数段すごいか知れ
ません。無差別殺人あり、親殺し子殺しあり、オレオレ詐欺、振り込め
詐欺、還付金詐欺、性犯罪、路上犯罪…、なんでもござれ、ですので。
いまの格差社会と当時のイギリスの階級制度の問題にも通じるところが
ありますし。
【つづく】
Re:Re:◆NHKラジオ「名作を読み直す」、言い残したことなど〔その2〕(11月26日)
がのさん (2008年11月28日 15時39分)

dorothyさん

【その2】

 ほんと、安全で適当に甘いものだけでなく、ときにはメッセージ力の
あるこういう作品を子どもの前に置いておくのがおとなの役割なのです
がね。青木奈緒さんが放送のなかで紹介してくれていましたが、「これ
を読め」というのではなく、祖母の幸田文さんはダア~ッと全集を置い
ておいてくれ、ただそれを良し悪しなく片っぱしから読んだ、と。
 人畜無害で衛生的なものをいくらたくさん子どもに与えても、こころ
の強い子にはならないことは自明。そんな教育的視点が、いまのラボの
組織の周辺にありますかどうか。親が、指導する立場にあるもの自身
が、幼児化してしまって、難所は避け、真実のところはダサイとして目
を向けず、低い鞍部ばかりを選んで越えていこうとする。

 「あしながおじさん」も読んでもらいたい。ほんと、これなども、十
代のうちに読まないとソンだ、とさえ思いますね。

 >> ぜひ、ラボ・ライブラリーに入れてもらいたいと叫んでいるのです
が、なかなか届かないようです。または、私の視点が悪いのか。という
ことで、今回のがのさんの日記、とてもとても興味深く読みました。

 ありがとうございます。いい作品ならどれでもラボ・ライブラリーに
なる、というものでないことは、dorothy さんにもご理解いただけるか
と思います。たとえば、「クリスマス・キャロル」がライブラリーにい
いとして、dorothy さんと数時間、いや、二日でも三日でもその魅力や
問題点を、子どもたちのおこなうテーマ活動の生き生きとした表現をイ
メージしつつ制作担当者と語り合う余裕なんて、あるでしょうか。あの
長い物語を、だれが、どう抄訳するのか、その力はあるのか、など。

 ここのところは微妙で、差し障りの生ずる向きもありますので、あと
でメールを通じて率直なわたしの思いをお伝えしたいと思います。
Re:Re:Re:◆NHKラジオ「名作を読み直す」、言い残したことなど〔その2〕(11月26日)
dorothyさん (2008年12月03日 10時53分)

がのさん
>絵で見るように、光源氏は白菊を頭にかざしています。一方の頭中将
がかざしているのはまっ赤なモミジですね。白菊とモミジ、ここにはど
んな意味がこめられているのか、ご存知でしたらお教えください。

菊は、奈良時代に中国から伝来し、平安初期までは
菊は皇帝の色である黄色をもって最高とされて
いました。

が、9世紀のころから、白い菊がめでられるように
なりました。これは、枯れる直前に紫にかわる、
という、「うつろい」の美を日本人が愛したから
ではないか、と思われます。
同様に、紅葉も、緑から赤に「うつろう」という
意味で日本人の美意識にかなっています。

ですから、二人の美男子が「うつろう」美を
簪(かざし)て、舞ったのではないでしょうか。

なお、源氏の白菊は、後に紫になることを
暗示しています。紫→紫雲→稀代の名帝の出現。
第一巻で、インドの人相見・中国の人相見・日本の
人相見それぞれが、「天皇にはならないが、臣下では
収まらない」というわけのわからない暗示を示します。

あるいは、古今集の
秋をおきて時こそありけれ菊の花 うつろふからに色のまされば
(古今・秋下―279)

これを本歌取りした場面が散見できますが、
このシーンでも、取り入れられています。
この歌、紫式部がとても気に入っていた
ように感じます。
Re:Re:Re:Re:◆NHKラジオ「名作を読み直す」、言い残したことなど〔その2〕(11月26日)
がのさん (2008年12月03日 23時09分)

dorothyさん

【その1】
うつろひ…。そうかぁ、うつろひ、ね。
いままで、わたしは、それともちがうことを考えてきたのですが、
それはまずこの際、措いておくとして、
う~ん、なるほど、“うつろひ”ですか。
「花のいろはうつりにけりな いたずらに…」。

このところ、早起きしているんです。早起きして、
歩いて7~8分ほどの公園に行き、
6時半からのラジオ体操をしています (とは言いにくく、
せいぜい週に1回か2回程度)。ここで、雨の日も風の日も、
土曜日曜もなく、みなさん、やっているんですね。
だいたい20~30人で。
この地域は市町村別にみて全国で平均寿命がもっとも高い
(男の場合)ところとなっています。
その長寿の秘密を探るうち、ひとつに、
みんなの健康意識の高さがありました。
ラジオ体操がその象徴のようなもの、ということで、
一度、取材に。
見れば、いろいろなところでよく顔を合わせる人たち。
ちょっと様子を見に、のつもりが、
ミイラとりになってしまったという次第で、
以来、わたしが行かないと、何だかんだとうるさいことに…。
しかし、このところ、朝の冷気にはきついものがありますよね。
それに、この11月30日(日)には、市の福祉大会があり、
新しい地域の支えあいのスタイルをさぐる、といったことで
大聴衆を前に講演。
そのための準備もあるし、風邪をひいてノドをやられてはたいへん、
ということもあって、1週間ほどのサボリを。
この公園にはここのシンボルのように立っている2本の
メタセコイアの巨木があります。
1週間ぶりに見たそのメタセコイアがきのうの朝
(今朝は寝坊しておサボリ)は緑の色を失って、
完全な金茶色に変わっていました。あっという間の変化。
季節の“うつろひ”を感じ、気づいてみれば、師走、
星霜の流れの速さを感じつつ、
またこの季節にして奇跡のように咲く皇帝ダリア(帝王ダリアとも
木立ダリアとも)の薄ピンクの花を愛でつつ、朝の散歩をしたばかり。
自然がつくる“うつろひ”と、わが身におこる老いへの“うつろひ”
と。

菊の花などに“うつろひ”を見る古人の繊細な感性に驚かされ、
ロマンを覚えます。

【つづく】
Re:Re:Re:Re:◆NHKラジオ「名作を読み直す」、言い残したことなど〔その2〕(11月26日)
がのさん (2008年12月03日 23時11分)

dorothyさん

【その2】

花は、何のかけひきもなく、さっと咲いて、さっと散っていく、
その潔さがよい、と古来より言われてきました。
自分の美しさも知らぬげに、つつましく、ただ咲き、
ほろほろと散っていく、それがよい、と。
ところが、それは、菊とか紫陽花とか向日葵などの
大輪の花のこととは思えませんね。
いっとき命のかぎりカアーッと燃えて咲き、果てにしのちは、
ちょっといただけない姿、惨めなほどに汚く凋落するのが、
かの大輪の花。

まさにそこには、
光源氏が齢とともに光を失っていく姿を予兆させるもの、
満月にも似て欠けるところなかったものに、ついに生じた醜い破綻、
…でもあったのか? 一方、頭中将のかざしたモミジの
あざやかな紅色。
散る前、命果てる直前に生きとせ生きるものが見せる一瞬の輝き、
最後の輝きのシンボル、…なんてみるのは、うがちすぎでしょうかね。
あ~あ、世は無常だなあ…。悲しきことのみ多かりき。
明かりが見えないなあ…。
Re:Re:Re:Re:Re:◆NHKラジオ「名作を読み直す」、言い残したことなど〔その2〕(11月26日)
dorothyさん (2008年12月11日 04時54分)

がのさん

青海波のこと、ありがとうございました。
内容は、私のBBSに書きました。

昨日は、また、源氏物語の講座でした。
青海波の衣装について、細かく説明するつもり
だったのに、プロジェクタを忘れて、公民館に
お借りする始末。

昨日付けの日記にその内容はUPしております。
次回の講座のヒントになりました。
ありがとうございます。
Re:Re:Re:Re:Re:Re:◆NHKラジオ「名作を読み直す」、言い残したことなど〔その2〕(11月26日)
がのさん (2008年12月11日 20時43分)

dorothyさん

【その1】
 >青海波のこと、ありがとうございました。昨日は、また、源氏物語
の講座でした。青海波の衣装について、細かく説明するつもりだったの
に、プロジェクタを忘れて、公民館にお借りする始末。次回の講座のヒ
ントになりました。

     ----------------------------

 満月のように欠けるところなきモテもて男、望めばそのとおりになる
驕慢な美貌の貴公子が、時の流れの果てに、完膚なきまでに凋落し、う
ちのめされるすがたに、モテない男の次元の低いやっかみとは知りつ
つ、そんなもんさね、人生無常というものよ、と意地悪く納得し、胸に
落とすわが身のさもしさ。

 ですが、遠い世界のフィクションとはわかっていながら、どうも、そ
こにはやるせないものが滓のように残り、こころに悲しみが染み出して
くる。あ~あ、老いとともに喪っていくものの数の多さよ。人生の晩秋
を迎えたわが身に重なるものがあるからか。
 そんな気分のとき、朧月夜の内侍とのところを、もう一度読んでみた
くなる。中年になった光源氏。いや、今でいうなら中年をすぎ、わたし
と同じころか。光おとろえた彼の人生最後の花火のようにして打ち上げ
られた再燃の恋。その相手は、こともあろうに、自身の政敵である右大
臣の娘、しかも自身の兄にあたる朱雀院が格別に愛している寵妃ときて
いる。
 この姫君、入内する以前から源氏と通じていたようだ。どうも、自制
力なく、情にもろいというか男好きというか、いい男と見ればすぐ靡い
てしまうタイプの女性。プレイボーイにとっては都合よろしい女。こん
な恋がうまくつづくはずもなく、背徳に沈湎して、そのうしろめたさと
罪の意識を共有するだけに終わる恋。
【つづく】
Re:Re:Re:Re:Re:Re:◆NHKラジオ「名作を読み直す」、言い残したことなど〔その2〕(11月26日)
がのさん (2008年12月11日 20時44分)

dorothyさん

【その2】

 でもさ、よかったじゃないか、それもすばらしいロマンじゃないか。
輝きはないけれど、その年齢にしてまだドキドキさせられる、うらやま
しいような愛。朧月夜さん、忘れがたいすてきな日々をありがとう。だ
ってさ、葵の上、六条御息所、藤壺の宮、夕顔、そして紫の上にも先だ
たれてしまうんだよ、源氏は。つぎには空蝉もこの朧月夜も世を捨てて
仏門に入る。源氏独りがポツンと取り残される。これ、グルンパのさび
しさどころじゃないよ。父親を裏切った自分が今度は若い妻の裏切りに
あう。何がおもしろくて生きているんじゃい、わたしは…!

 情熱と歓楽にふけるひとときもあれば、悲哀と喪失感にひしがれ号泣
するときもある。人生の春夏秋冬の「うつろひ」。それは貴賎を問わな
い。良くも悪くもそれが人の一生というものか。
Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:◆NHKラジオ「名作を読み直す」、言い残したことなど〔その2〕(11月26日)
dorothyさん (2008年12月12日 05時08分)

がのさん

源氏物語では、二人(以上)の男にまみえた女性は
出家しており、一人の男性とだけしか関係しなかった
女性は、出家していません。

紫の上は、あれだけ出家させてくれ、と懇願しても
聞き入れてもらえませんでした。もちろん、源氏に
経済的にもたれているために、自分で勝手に出家
できない、という事情もあります。逆に女三宮などは
さっさと出家。これは、天皇の財産をもらえるから。

ではありますが、紫の上は、二夫にまみえていません。
物語の分類上も、紫の上を出家させるわけには行かなかった
と思います。

二股ちゃんは、朧月夜のほかにも、夕顔、浮舟が出てきます
が、他の二人と違い、朧月夜は二股の恋愛を自分で選んで
いるように感じます。性的にルーズで蠱惑的な朧月夜。

名前もいいですよね。あの唱歌「おぼろ月夜」の二番のように
普通、霞むのは視覚だけなのに、「かわずの鳴く音もかねの音も、
さながらかすめるおぼろ月夜」。まさにそのような雰囲気を
感じます。
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