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◆チェロの名曲たっぷり、ウイーンの香りにつつまれた春の午後 03月23日 (月)
 そう、パブロ・カザルス「鳥のうた」を聞くころには、もう、中から押し上げてくる声を抑えられず、ほとんど嗚咽していた。序奏のA-Eのトレモロで、もう滂沱(ぼうだ)の涙をぬぐういとまもなかった。

skocic014

 近くにある音楽事務所のはからいで、この22日(日)の午後、福祉施設のホールでチェロ・コンサートが開かれました。商業目的の演奏会なら、わたしはここでご紹介することはないのですが、交通費さえ払わないまったくのボランティア出演です。施設が日ごろお世話になっているボランティアの方がたや地域の人たちを招いての「感謝会」。年一度ずつ催してきました。これに出演を申し出てくれたのが、元ウインフィルハーモニー管弦楽団の奏者のアダルベルト・スコチッチさん。オーストリアのマンハイム生まれ、チェロ奏者の第一人者。たまたまの来日でした。むこうから転がりこんでくる僥倖って、あるもんですね。

 私事ながら、わたしは、あのおごそかな、もの静かにして流麗な、心の底までしみいるチェロの音が、どうしてなのか、好きでたまらないのです。いいですよね~、あれ。かつて、ラボの「セロ弾きのゴーシュ」と耳にしただけで、居ても立ってもいられず、当時来日していたミッシャ・マイスキーの演奏会場を2~3、追っかけハシゴをしたことがあります。その透明な美感の誘惑には逆らえ切れないものがありまして。この人こそ、ロストローヴィチの再来と言われるチェロ奏者の最高峰ですよね。いまもたくさんのCDを手放すことなく持っています。
 チェロをめぐっては、この「ひろば@」で、翻訳家・谷口由美子さん、絵本作家・伊勢英子さんのチェロのことをどこかでご紹介した記憶もあります。

 主催者側スタッフと演奏会の会場づくりをするなかで、前面に高さ30センチほどの演奏ステージをつくりました。木質がむき出しになってしまうため、ここにきれいな毛氈でも敷こうということになりました。まわりにはあふれんばかりの花を、と。ところが、演奏者側は、そんなことはまったく無用だといいます。音楽事務所が持ち込んだのは、約1.5メートル、厚さ1センチほどの、何の変哲もない木板。わたしの耳では聞き取れなかったのですが、日本にはない、ヨーロッパの木だとか。その敷き方にも、木目をどちらに向けるなど、それ相応の流儀があることを知りました。また、ステージの背後は、円形の大きな透明ガラス。演奏のときにはそこのカーテンは閉め、ホール全体を暗くして演奏者のところにスポットライトを当てよう、と下準備。しかし、これもNo! とのこと。カーテンの布地に音が微妙に吸収され、伴奏のピアノの音との調和も狂ってしまうから、と。もともとこのホール、丹下健三事務者が設計した、音響効果の点ではなかなか細かなところまで行き届いた会場なのです。

 そんなこんなの準備をしましたが、怪しい天候。予報では、この日は大雨、大風と報じられていました。まわりの木々の枝は折れそうなほど風にたわみ、うるさくもみ合っています。咲きかけたサクラも、どうしようかと迷っている様子。ウッヒッヒ…、これで来場者は減るだろう、とニンマリ。というのは、申込者は会場に収容できる数をはるかにオーバーしていて、もう、なるようにしかならないよ、と言っていた状態でしたから。結局は、そんなに足止めする人もなく、次から次へ、ありったけの椅子を追加しいしい、立ちんぼうの人も含めて、どうにか。中央通路をかき分けて出演者がステージまでたどりつくのにひと苦労を強いることにはなってしまいましたが。

skocic012
演奏中の画像がほしいところですが、ご承知のとおり、
残念、演奏中の撮影は厳禁ですので。
逆光で写真も撮りにくいし…。

 さて、チェロの演奏。ハイドンの「メヌエット」、ショパンの「華麗なるポロネーズ」につづき、フォーレの「シシリアン」と「パピヨン」。昔むかしのことですが、ある時期、わたしもちょっとばかしフルートをやっていたことがあります。そのころのオハコの一つが「シシリアン」で、苦労して練習した記憶もあり、このあたりになると、わたしの胸の奥に湧いてくる思いには熱いものがありました。「パピヨン」(ちょうちょ)の技巧的なパッセージもいい。さらに、ポッパーの「セレナード」「ハンガリアン・ラプソディー」、ドボルザークの「ロンド」ときて、すでに約1時間、予定の曲目は終わります。大きな拍手と歓声に呼び戻されて弾いたアンコール曲は、サンサーンスの「白鳥」、カザルスの「鳥」、そしてもう一曲。
 目を閉じてカザルスの「鳥のうた」を聞くうち、知らず識らずのうちに頬を流れおちる滂沱の涙をどうすることもできませんでした。(ええ、花粉症の鼻汁ではありませんよ。)最後の曲が何だったか、覚えがないほどの感激のなかに。

 すべての演奏が終わったあとは立食パーティで、ふだんは食べられないようなすばらしいごちそうが並びました。ですが、さすがの食いしん坊のわたしも、この日ばかりは口のなかの味がわからず、促されて何か食べようにも、カニも寿司も、エビちりもローストビーフも、そばもフランス料理の各種名品も、ノドに通っていきませんでした。ひとと演奏のことを話せば、また涙。とりわけ「鳥」への思いには深いものがありまして、どうしようもありません。
 すばらしい春の午後をウイーンの香りにまみれて楽しみました。

〔注記〕ご存知のことと思いますが、パブロ・カザルスについて。20世紀最大のチェリストであり、平和活動家。スペインのフランコ将軍率いるファッシズム政権に対して音楽創造活動を通じて抵抗。追われて命からがら亡命したのちも、その精神をいささかも曲げることなく、音楽を抱えて世界平和のために行動、その美しい詩ごころと深い精神性を世界の人びとにとどけつづけた。81歳のときに20歳の美しいお嬢さんと結婚したことや、95歳のとき、1971年の「国連デー」の記念コンサートに「鳥のうた」を弾き、peace, peace と鳴く鳥の美しい声を世界に発信したり、故ケネディ大統領の招きを受けてホワイトハウスでこの「鳥のうた」を演奏したことなどが伝説のようにして語られている。日本にも来て、日比谷公会堂で演奏している。97歳で召されるまで、人を愛し、音楽を愛し、芸術を愛し、なかんづく平和を愛した人。
Re:◆チェロの名曲たっぷり、ウイーンの香りにつつまれた春の午後(03月23日)
さちこさんさん (2009年03月24日 10時30分)

とびきり上等で豊かな一日のお裾分け、
ご紹介くださりありがとうございました。

お花の写真もとっても素敵。
はる、ハル、春!!

ホ~ッと一息つかせていただきました。
Re:Re:◆チェロの名曲たっぷり、ウイーンの香りにつつまれた春の午後(03月23日)
がのさん (2009年03月25日 14時07分)

さちこさんさん

>とびきり上等で豊かな一日のお裾分け、お花の写真もとっても素敵。
ホ~ッと一息つかせていただきました。

     ----------------------------

 そうですね、とびきり上質なとき、至福のとき、天賦のときに恵まれ
たひとときでしたね。
 もう、生きるに疲れた年齢に近づいているし、もっとゆったりとした
自分の時間を持つ必要があるとはわかりつつも、日々、多事に追われ、
シッタバッタと自分を棄てて落ち着きなく過ごすことが多いなか、ポッ
と、たまにはこんなプレゼントがあってもいいですよね。…と言いなが
ら、片足はやはり地域の人びとに格別の悦びの時をプレゼントする側に
あるのですけれど。
 絵画もいい、音楽もすばらしい。とりわけホンモノはこころにさわや
かに落ちてくる。新鮮な感動で存在をつつみ、癒してくれます…、母の
ようなやさしさで。
 そして、もうひとつ言えるのは、自分のこころにブレなくテーマに向
かいあい、まっすぐ夢中になって取り組んでいるからこそ、そのふとし
た瞬間の透き間に与えられる美しい賜物がゆたかな輝きをもって自分に
近づいてくるのかも知れません。何であれ、からだが動くというのはあ
りがたいことで、たぶん、ボーッとヒマをもてあまして時間をすごして
いたら、その輝きは見えないのかも知れません。
 身にあまるほどのものを抱え、苦しみつつも、それをひとつずつ推し
進める動きのなかにこそ、自分のこころにあるものが確かめられるとい
うこと。たとえわずかな手応えしかなくても、その確かさをつくづく感
じ、いとおしむこのごろです。

 さわやかな花の恵みを親しい人とともに愛ずる、それも、かけがえの
ない至福のときです。
 子どもたちの無垢な笑顔も、どれほどひとを幸せにしてくれるか。そ
うお思いになりませんか、さちこさんも。
Re:◆チェロの名曲たっぷり、ウイーンの香りにつつまれた春の午後(03月23日)
dorothyさん (2009年03月27日 14時07分)

いわきの海岸ぞいには、「パブロ」というレストランが
あります。

その中に掲げてある絵はピカソ、静かにかかってる
音楽は、カザルスのもの。
田舎の観光地のレストランとは思えないところです。

私は、結婚して間もない頃、夫とバッハの
無伴奏チェロを聞きに行ったことがあります。
片道1時間以上を車で。都会なら1時間以上
かけての移動も珍しくはないけれど、まだ
不慣れな時期、車で1時間以上はちょっと
大変でした。それでも、聞きたくて、音楽ホールに
行ったのですが、本当によかった。

チェロの深くて包み込むような音色は
まるで母親の羊水の中のよう。穏やかに
ゆられながら、安心だよ、温かだよと
語りかけられている心地がしました。

私も、音楽を聞いて滂沱の涙を流します。
私が流したことのある涙とがのさんのそれとが
同じかどうかはわかりませんが、語られている
状況から、想像して私も心が温かくなりました。
Re:Re:◆チェロの名曲たっぷり、ウイーンの香りにつつまれた春の午後(03月23日)
がのさん (2009年03月28日 23時22分)

dorothyさん

【その1】
>私は、結婚して間もない頃、夫とバッハの無伴奏チェロを聞きに行っ
たことがあります。片道1時間以上を車で。聞きたくて、音楽ホールに
行ったのですが、本当によかった。
チェロの深くて包み込むような音色はまるで母親の羊水の中のよう。穏
やかにゆられながら、安心だよ、温かだよと語りかけられている心地が
しました。

     ----------------------------

 羊水のなかにいるようなやさしさ。なるほど。ええ、いろいろな例え
方があるでしょうが、あの音は魅力的でしびれまいよねぇ。「騒ぎまわ
る蜂の羽音のようだ」と言った毒舌家(バーナード・ショー)もいます
が、そういう人には「どうぞご勝手に!」と、ちょっと鼻の先でフン
ッ! でいいと思いますが、とにかく、からだじゅうの細胞が生き生き
と動きだすような、戦慄に近いものを覚えます。
 音楽の方面には明るくないのであまり言うこともないのですが、バッ
ハの「無伴奏チェロ組曲」と聞いては、ちょっと黙してはいられない思
いがあります。わたしもこの全6曲のCDを、捨てもせず人にあげもせ
ず、持っています。カザルスのものです。
 カザルスは12歳のときにこの曲と出会ったといわれますね。大天才が
震えるような感動とともに、命をかけるに足る巨大なものと出会った瞬
間。以来12年間、片時もおろそかにせず、この曲との戦いです。美の真
髄を求めて徹底的に曲を研究し練習を重ね、そして、25歳のとき、バッ
ハが死んで以来はじめて、その全曲演奏が彼によっておこなわれまし
た。伝説のようにいまに語られているエピソードですね。
 180年ものあいだ眠ったままでいたその曲が、カザルスによって蘇った
瞬間。20世紀のはじめのころです。以来、この曲はチェロ奏楽の聖典と
なっています。はい、どうしようもなくすばらしい曲です。魂の底まで
ひびく曲です。これをプレーヤーにかけると、バックグラウンド・ミュ
ージックにはならず、仕事の手は止まり、頭のなかにほかのもの一切が
進入しなくなります。
【つづく】
Re:Re:◆チェロの名曲たっぷり、ウイーンの香りにつつまれた春の午後(03月23日)
がのさん (2009年03月28日 23時38分)

dorothyさん

【その2】

>私も、音楽を聞いて滂沱の涙を流します。私が流したことのある涙と
がのさんのそれとが同じかどうかはわかりませんが、語られている状況
から、想像して私も心が温かくなりました。

     ----------------------------

 「滂沱の涙」とは、ちとオーヴァーな表現でしたかね。音楽とは離れ
て、カザルスのあまりにもストイックな生き様とスッとわたしのなかで
結びついてしまうものですから、ついホロリと。音楽家として、芸術家
として偉大な存在であったという点だけでしたら、いくらでもそういう
人はいますが、チェロというひとつの楽器を通して、世界平和をあくな
く希求し、人間のゆるぎない「信」とは何かを求めて、無限の可能性を
引き出した人、とでもいいましょうか、今回、dorothyさんの書き込みを
読ませてもらったあと、少し調べてみました。
 ホワイトハウスでの演奏についてなのですが、ちょっと疑問に思うと
ころがありまして。じつは三度そこで演奏しているんですね。第一回は
1898年、マッキンレー大統領(第25代)の前で。次が6年後の1904年、ル
ーズベルト大統領(第26代)の前で。で、先に書きましたケネディ大統領
(第34代)の前でおこなった非公開の演奏は、半世紀ものブランクをおい
た1961年のことでした。その間、アメリカでの演奏活動はやっておりま
せん。いや、アメリカのみならず、亡命の救済にあたってくれたフラン
スでも、イギリスでもやっておりません。ピレネー山脈の、ある山村に
ひっそりと引きこもり、音楽界から引退してしまいます。スペインに民
主主義政権が生まれるまで、楽壇には立たない、と。
 なぜそんなにまで頑なに?

 図らずもここにまたカザルスの真骨頂を見ることになりました。祖国
スペインのフランコ独裁政権を容認する国では、ぜったいにチェロとい
う楽器をもたない、という、人間としての信念と誇りですね。ですが、
祖国を捨てたとはいえ、祖国を忘れたことはなく、事実、名曲「鳥のう
た」はカタロニアの民謡を編曲したもので、カザルスの泣きたいような
望郷の思いのこもった曲であることは間違いありません。
【つづく】
 
Re:Re:◆チェロの名曲たっぷり、ウイーンの香りにつつまれた春の午後(03月23日)
がのさん (2009年03月28日 23時39分)

dorothyさん

【その3】

 ところが、一転、どうしてケネディの招聘に応じて、まぶしいほどの
シャンデリアの下でチェロを抱えることになったのか。ケネディもフラ
ンコ政権を否認したわけではありません。理由は、ご本人もどこかで述
べているようですが、危機に立つ世界の情勢を十分に認識したことと、
ヒューマニズムを掲げる大国の指導者としてのケネディを信頼したこと
によるらしい。

 たしかにそのあたりの歴史を思い起こしてみると、わたしにもまだ記
憶に新しいですが、スエズ動乱があった、ハンガリー暴動があった、泥
沼に入ったベトナム戦争があった、朝鮮半島の争乱があった、米ソ間の
冷戦と核実験の競争があった。そのままでは人間が損なわれ、地球が滅
亡への歩みを速めることが見える時期でした。人間の自由と尊厳を至上
のモラルとする共和主義者のカザルスは、そろそろ高齢期にもきてい
て、ケネディという新しい息吹きをもつ世代に期待、…というよりは、
この人物を信用してみたかったのではないでしょうか。

 今回調べたところによると、ピアノのホルショフスキー、ヴァイオリ
ンのシュナイダーとともにそのときホワイトハウスで演奏したのは、メ
ンデルスゾーンの「ピアノ三重奏曲第一番」、クープランの「チェロと
ピアノのための小品」、シューマンの「アダージョとアレグロ変イ長
調」、そして「鳥のうたSong of the Birds」だそうです。とりわけ「鳥
のうた」にカザルスの思いが深くこもっていたことは想像されるところ
ですね。
Re:Re:Re:◆チェロの名曲たっぷり、ウイーンの香りにつつまれた春の午後(03月23日)
dorothyさん (2009年03月30日 10時21分)

がのさん

ケネディ大統領の前での演奏、ということに
ついては、私も、無知ながら、少し
首をかしげたものでした。
今回のがのさんの書き込みで、うなずくことが
できました。
視野が、わが民族から世界に向けられての
演奏だったのでしょうか。

疲れた寒い朝、朝食をとりながら
バッハのチェロを聴くのは心が清められる
思いです。
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