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◆豪華客船が行く、コンテナ船が行く、大小の漁船が、ヨットが…。うみかぜの道に古代ロマンをもとめて。 05月22日 (金)
 横浜に住んでいる。そろそろ半世紀近くにもなろうか。
 よく知らない人は、横浜に住んでいるというだけで、日ごろ海を目の前にして暮らしていると
思いこんでいるようだが、それはない。
 港にはそんなに近くはないが、それでも、海への憧れには強いものがある。
 その渺々たる開放的な広がり、限るもののない自由への憧れであり、
そこはいつも、いちばん新しいものをまっ先に見せてくれるところのような気がするから。
 宇宙にいる若田光一氏の感覚にもこれに近いものがありはしないだろうか(レベルがぜんぜん違うか!)。
 ずいぶん、いい気なもんだ、って!? そうかも知れない。
 だが、若田氏以上に恵まれていると思うのは、海の青さを目路いっぱいにしているとき、
あらゆる「ねばならない」の桎梏から放下(ほか)された自由があること、
波にも似て、こころをゆする詩があること。

todai003
観音崎灯台のてっぺんから東京湾を一望する むこうは房総・富津岬

 地域で9年余にわたりやってきた読書会のメンバーを案内しての文学歴史散歩。
 じつのところ、この地を案内できるほどの知見はないが、とにかく、初夏の海、
目にしみるような青い海が見たい、と、三浦半島東端、観音崎方面へ5月20日に。
 今回の文学歴史散歩の趣旨や内容の概略については、わたしの別のブログ
(よかったら、トップページの「名作読書《どんぐり》PLAZA」、または
  http://kyonagus.i-ra.jp/
から入ってみてください)で紹介、わが国の黎明期、鎖国から開国への流れのなかの
横浜のすがたをしるした拙文を、さっそくたくさんの方に読んでもらっているが、
ここでは、おもむきを変えて、この地に伝わる古代ロマンをちょっとばかり。
(日本最初の洋式灯台たる美しい観音崎灯台、その他のことは、ここでは書かない)

 走水神社といえば弟橘媛の「走水の難」の神話伝説でよく知られるところ。
その悲話というか美しいロマンについてはあとでふれるとして、
万葉集の東歌にあるという防人の妻のうた、わたしの記憶にはなかったが、
旅だつ夫へのやさしいいたわりをこめてうたわれた歌碑が見られた。

sakimoro02

  草枕旅の丸寝の紐絶えば 吾が手とつけろこれの針持し

 いい歌じゃないですか。へたな注釈は必要ないでしょうが、一応、わたしなりに。
 草を枕に野宿を重ねて遠くへ旅だつあなた。寝るからとていって着替えるでもなく、着たまま寝るしかない旅。汚れても破れても、着るものといってこれしかない。この着物のひももいつまでもつことか。切れてしまったときには、めんどうでしょうが、自分の手でつけてくださいね、わたしはやってあげられませんので。この針をわたしだと思ってお持ちくださいね。
 まだ新婚の夫婦でしょうか。なんというやさしさ。こんな深い思いやりをみせてくれる嫁さんて、このごろいるでしょうかね。

 さて、ずっとずうっとのぼって行ったところにある碑が、古事記や日本書紀によって倭建命(やまとたけるのみこと)と弟橘媛(おとたちばなひめ)の“走水の難”の神話を伝えているもの。

sanesashi

  さねさし相武(さがむ)の小野に燃ゆる火の
     火中(ほなか)に立ちて問ひしきみはも


 わが国はまず西から平定され、倭建命はつづいて東征を進める。遠い大和時代のことである。ここ相模の国からつぎに上総(千葉県)に渡って、そのまま東北地方の夷の鎮圧に向かおうとする一行。ところが、はげしい台風に遭い、何日たっても海は荒れ、出す船はことごとく沈没する。さまざまな試みも無駄に帰し、いよいよ思案が尽きたとき、妃の弟橘媛は、「妾、御子に易(かわ)りて海の中に入らむ。御子は遣はさえし政を遂げい覆奏したまふべし」とのことばを残して、わが身を海の底深く沈め、海神の怒りをしずめる。この犠牲により海は鏡のように凪ぎ、倭建命は無事に上総の国に渡ることができた。
 そもそも「走水」の名は、この海域の潮の流れが異常に速いことからつけられたとされる。
 弟橘媛が入水する間際に夫の倭建命に向かって詠んだのが上記のうた。挽歌というか、いやこれは、こよなく美しい恋歌と言えようか。東征はまことにきびしいもので、受難がつづく。この走水の地に来る前、相武(日本書紀では駿河となっている)では、土豪のだましうちで火攻めにあう。「相武の小野に燃ゆる火」とは、そのことを指している。まさに焼き殺されそうなときにあってなお、わたしが無事かどうかを心配してくださったあなた。「火中に立ちて問ひしきみはも」。そんなあなたのためなら、この命など何ほどのものですか! 愛の絆の深さ、強さ。愛の絶唱、ここにきわまる、というもの。

 この高い志を不朽ならしめようと、1910(明治43)年、神社の奥、斜面をのぼりつめたところに記念碑がたてられた。竹田宮昌子内親王のみごとな筆を得て。この碑の除幕式に参列したとされる錚々たる人の名が並ぶ。東郷平八郎、伊藤祐亨、井上良馨、乃木希典…などなど、明治の元勲や日露戦争の英雄たちの名。そしてこの記念碑の裏面には、東郷平八郎の草案によるとされる碑文が刻まれている。いわく、「その負烈忠誠まことに女子亀鑑たるのみならず、亦男子の模範たるべし」(部分)。
 これぞ女子たるもののカガミ。男もこれを模範とせよ、と。さあ、新しい時代の前線に立って生きる女性たるテューターのみなさんは、これをどう読むでしょうか。この弟橘媛や、防人の妻・椋椅部弟女(くらはしべのおとめ)に日本女性の美しい租形をみる、なんて言ったら、あっちからも、こっちからも、「がのさん、ふるいね~」と集中砲火のブーイングが聞こえてきそうな…。そんな心情もわからないじゃないですが、ここに良質な日本人のこころ、歴史に磨かれた日本人の原像の一端をみることが、できませんでしょうか。

 なお、走水神社のはじまりは、倭建命がここに至ってなお上総に渡れず何日も難儀していたとき、村人がみことから「冠」をたまわった。それを石櫃(いしびつ)に納め、そのうえに社殿を建てて倭建命を祀ったことによる、とされる。

hashirimizu004

 上の写真は、この記念碑のわきから房総方面をのぞむもの。右に小さな岬が見えるが、東征の一行はここから上総にわたったとされる。「御所ケ埼」とも「旗山岬」とも呼ばれてそのいわれをとどめる。またここに、入水して果てた弟橘媛の櫛が7日後に流れ着き、村人はここに御陵をつくって櫛を納めた、という伝えもある。
Re:◆うみかぜの道に古代ロマンをもとめて。(05月22日)
dorothyさん (2009年06月25日 10時48分)

「燃ゆる火の 火中に」は学習院
院歌の冒頭です。作詞は安倍能成。

この碑の除幕式に、学習院にゆかりの
乃木大将も参列したとは、感慨深い
ものがあります。

「燃え盛る火の中で、私の身を案じて
 くださった、あなた。あなたのために
 今度は私が幣になりましょう。」

正史ではない古事記に記されている
さまざまな故事。
がのさんの今回の記事、しっかりと
心に刻んで受け止めました。
Re:Re:◆うみかぜの道に古代ロマンをもとめて。(05月22日)
がのさん (2009年06月25日 23時45分)

dorothyさん

【その1】

>「燃ゆる火の 火中に」は学習院院歌の冒頭です。作詞は安倍能成。
この碑の除幕式に、学習院にゆかりの乃木大将も参列したとは、感慨深
いものがあります。
     ----------------------------

dorothyさん、お久しぶりです。
すっかり日本古典文学の土壺にはまっておいでのようですね。
それもけっこう。なかなかほかの人には真似できないことですので、が
んばってください。

さて、横須賀といったら、ふつう、どんなことを思いうかべるでしょう
か。“軍港の町”…、わたしもこれまではそうでした。米海軍第七艦隊
の基地があり、それに隣接して海上自衛隊基地が置かれ、また防衛大学
校の広大なキャンパスでは幹部自衛官を目ざす若ものたちの、やたら元
気な声が聞こえるところ。米潜水艦の核持ち込みの疑惑でときどき騒ぎ
になる、微妙な課題を抱える町。

横浜港開港150周年記念とは別に、わたしたちは自分たちの町“よこは
ま”をもう少し確かなところまで知ろう、ということで文学歴史散歩を
重ねてきました。そしてついに今回、ペリーの黒船に行き着いたという
次第。
本来なら観音崎から浦賀に出て終わりにしてしまってはまずく、もっと
半島の先端、久里浜まで出て「ペリー記念館」を見学する予定でした
が、中高年者を引率しての文学散歩、残念、体力的に限界でした。そこ
はペリー提督の上陸を記念してつくられた施設で、さまざまな資料と
伊藤博文の筆による碑文が見られるはずでした。7月11日(土)に「ペリー
祭」が久里浜全域でおこなわれるから「また来いよ」と言ってくれる人
もいましたが、今のところその予定はありません。
【つづく】
Re:Re:◆うみかぜの道に古代ロマンをもとめて。(05月22日)
がのさん (2009年06月25日 23時50分)

dorothyさん

【その2】

それにしても、ここで古代日本人のこころの祖形を見ようとは思っても
いませんでした。万葉人のこころがここに息吹いていようなどとは、想
像できませんでした。ましてや、学習院の院歌が弟橘媛の悲歌(恋歌)と
つながっていようとは!

先週の日曜、月曜にかけて渥美半島⇒鳥羽・伊勢⇒伊賀上野のあたりを
仲間と旅行いたしました。(三重のJUNKOさんがちょっとご紹介してくだ
さいましたね)
神世の時代をいまにとどめる伊勢についてはいうまでもありませんが、
日本じゅうどこへ行ってもそれぞれの歴史と文化が息づいていることを
改めて知るのが旅でもあるようです。
たとえば、これまでまったく知りませんでしたが、渥美半島の先端にあ
る田原市というところ。「名も知らぬ 遠き島より…」椰子の実がつい
た恋路ケ浜、伊良湖岬が観光スポットということになりますが、ここに
も万葉歌碑が見られます。哀しい歌で

  うつせみの命を惜しみ浪にぬれ伊良湖の島の玉藻刈り食(を)す

という歌。万葉集巻一に見られるもので、改めて万葉集の解説をみる
と、天武朝時代の皇族であった麻続王(おみのおおきみ)がここに島流し
にされたときに詠んだものとのこと。灯台のうしろの斜面に建てられて
いた歌碑。

それと、思いがけぬことを知りましたが、この田原というところは、
「蛮社の獄」で知られる渡辺崋山の生まれたところ。画家として、学者
として、有能な政治家として名をなした人物。藩の家老職にあったと
き、時代はまさに天保の飢饉のまっ最中で、ばたばた人が死んでいった
時代です。しかし「報民蔵」というものをつくってこの土地から一人も
餓死者を出さなかった名家老として歴史的に有名。
その一方、時代の流れを見て、高野長英とともに鎖国を解くべしとして
幕政を真っ向から批判、そのかどでこの田原に幽閉されます(蛮社の
獄)。藩にまで災いが及ぶことを恐れてこの地で自刃して果てるという、
時代が招いた哀しい結末。魁(さきがけ)をなすものの宿命か。
【つづく】
Re:Re:◆うみかぜの道に古代ロマンをもとめて。(05月22日)
がのさん (2009年06月25日 23時54分)

dorothyさん

【その3】

どこまで行っても、歩けばかならず歴史にぶつかる日本。歩いてそれを
一つひとつ知りたい、自分のアイデンティティをさぐりたいけれど、伊
能忠敬でもない、宮本常一でもない、凡愚なわたしの足ではとても歩き
きれない日本。
夏明けに連続5週にわたり、川崎市麻生区で柳田國男をめぐって講座を開
きます。地元に住まう“みっちゃん”(市川さん)たちとともに。この講
座のねらいも、わたしたち自身の足元をもっとしっかり見つめ、自分が
何者なのかを求める旅になるはずと期待しています。
dorothyさんがなさっておいでの講座も、ただの教養趣味ではなく、そう
いうところにつながるものなのでしょうね。
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