✦狂言がいまのわたしたちに語りかけるもの |
10月11日 (火) |
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「ようこそござれた!」いつもの歓迎のことばを浴びて、狂言鑑賞会。
きょうは、「墨塗(すみぬり)」「空腕(そらうで)」「悪坊(あくぼう)」の三番。
あいだに語りと小舞の「春日龍神」と「景清」も挟んでの大蔵流狂言。
地域の小学校6年生70余名の特別見学会の仲介とお世話役としても。
三番目の「悪坊」となると、ちょっと疲れたことと、
前日来の鼻炎(花粉症)の症状と、それを抑えるために服んだ薬のため、
目の前がぼお~~っとして、睡魔との闘いになってしまった。
それ以外はこころの底から笑わせてもらった。
このところ、病む妻を介護しつつ明け暮れる日々。笑いどころか
会話もろくろくできない、われながら情けないうつの状態。
その情けない状態からいささかなりと解放されるこのひとときを
どれほど楽しみにしていたことか。
やはり、日本の伝統芸はすばらしい。
文化として根づくまでいかないうちにあぶくのように消えていくものが多いなか、
ここには流されることのない文化、日本の原形があることを感じる。
素朴な笑いの味わいだけでなく、ことばが洗練されている。
動きに無駄がない。語らずとも、背中で、わずかな肩の上げおろしで
見事に感情を表現する、削ぎに削いだ、他に例のない舞台表現。
鍛練に鍛練を重ねて生まれたシンプルな表現とことばの原質。
それは、文字によらぬ、口伝え、音によって体に沁みいり、
心身と一体となり、それを代々受け継いできたもの。
確かさがある。
演ずるものと観るものとの、一期一会のつながりが尊い。
すでにラボの世代は替わったが、かつてわたしたちの時代に
大事にしていた理念がある。ラボは教えるところではない、
さまざま機会を得て学び、学んだものをみんなで分け合うところだ、と。
この伝統芸とラボに一脈通じるところがある、とみるのは夜郎自大だろうか。
今回、もうひとつ狂言にふれて思ったことは、どの一番をとっても
なんというか、人間てなかなかいいもんだなあ、と言っているように思われること。
他愛ないヘマやドタバタの失敗談でも、それを責め立てたり糾弾したりしないおおらかさ。
そこでは、大声たてて責任追及してなじったり、
補償や賠償を求めて目くじらを立てたりしない。
必要以上に掘り下げない、一種のいい加減さ、おおらかさ。
ぎすぎすした訴訟社会とは別な、こころやすまる空間が広びろとひろがっている。
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Re:✦狂言がいまのわたしたちに語りかけるもの(10月11日)
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かせだまさん (2011年10月16日 08時29分)
ごぶさたしております。
お写真が美しいですね。
マイナスイオンがあふれるようです。
また きます。ありがとうございました。
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Re:Re:狂言がいまのわたしたちに語りかけるもの(10月11日)
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がのさん (2011年10月16日 10時57分)
かせだまさん
>ごぶさたしております。
お写真が美しいですね。
マイナスイオンがあふれるようです。
また きます。ありがとうございました。
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オイ スマナイ(「ン」あまり)……じゃなかった、マイナスイオン。
天の配剤か、小粒の愛らしさと、みごとな紫。
つややかで、あでやかで、高貴な色。
王朝期の紫式部はあまり美人じゃなかったともききますが、
こちら、ムラサキシキブ。
かせだまさんのキリリッとした和服すがたとコラボさせてみたい。
そんな和装のかせだまさんとお能でも観にいけたら…いいなあ。
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Re:Re:Re:狂言がいまのわたしたちに語りかけるもの(10月11日)
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かせだまさん (2011年11月03日 08時54分)
がのさん
ありがとうございます。
かせだまは 元気爆笑大幅歩きで、
日舞の先生には
「お膝をひもでしばっているイメージで(小幅に)歩いてね」
といわれています。そんな 和装です!!
お能も歌舞伎も宝塚も 観た事がない天然記念物な?私ですが
観てみたいです~!
ありがとうございます!
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