Re:昨日の古典文学鑑賞会
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がのさん (2009年01月30日 21時22分)
dorothyさん
【その2】
その翌日におこなわれたのがその宮中儀式。これはふつう、紫辰殿で
おこなわれ、大般若経が講ぜられるという季節行事のひとつ。紫の上は
供養のシルシとして仏さまに花を捧げます。その献花の様式が蝶と鳥を
借りておこなわれます。蝶と鳥の装束をさせられた女童が花を捧げると
いうもの。鳥のすがたをした少女には銀の花瓶にサクラを挿したもの、
蝶のすがたをした少女には金の花瓶に山吹の花を挿したものを持たせ
た、とありますね。
dorothy さんの説によると、そこは逆で、銀の花瓶に挿されていたの
は山吹、金の花瓶に挿されていたのはサクラ…。いやいや、そうじゃな
い。鳥の装束をした少女がもっているのは山吹の挿された金の花瓶、蝶
の装束をした少女がもっているのはサクラを挿した銀の花瓶のはず、と
いいます。
さすがは“執拗な追求癖”のdorothy さんの才気、細かなところまで
目がいきますね。「源氏物語」をそんなふうには読んで来なかったわた
しには、考え及ばぬこと。でも、さて、どうでしょうか。その宮中祭事
については、わたしは不案内で、図書館に行って「源氏物語辞典」で調
べればすぐわかるのでしょうが、その時間も興味もなく、原典にもどっ
て読み返してみると、垣の下に咲きこぼれた山吹の中へ蝶がはかなげに
舞い入っていった、というような描写、また、中宮の歌、
こてふにて誘はれなまし心ありて八重山吹を隔てざりせば
を読むと、蝶と山吹の取り合わせは、なかなか自然で相性よく、また、
サクラにはメジロなどの小鳥たちのたわむれが似合うように思えます。
わたしは、これはこれで不自然には思わなかったのですが、いまは何と
もいえず、申し訳ないながら、紫女の書き違いだろう、なんて、とても
とても…。ただその夢のような非現実を堪能するのみです。
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Re:昨日の古典文学鑑賞会
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がのさん (2009年01月30日 21時16分)
dorothyさん
【その1】
>昨日は「胡蝶」の巻を楽しみました。この中で、秋(好中宮)の庭に来
た女童の扮装にちょっと疑問が出てきました。鳥の扮装をしている童が
持っている花瓶と蝶の扮装をしている童が持っている花瓶の色が逆では
ないか、ということです。私は、紫式部の勘違い説をとりますが、何か
ご存知でしたら、教えてください。
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「胡蝶」の章といわれてピーンとわたしの意識にのぼるのは、ひとえに
玉鬘の懊悩ばかりです。あまたの公卿たちからの求婚に悩まされる玉
鬘。かぐやひめのようです。養父である源氏はその悩みにつきあい、相
談にのってあれこれアドヴァイスしたり品さだめをしているうち、いや
いや、とんでもない、ほかの男にこの美しい娘を取られてたまるものか
と、あろうことか、自分の娘が欲しくなってしまう、といったあたり。
その前段で書かれている春の「季の御読経」という法会については、ほ
とんど記憶になく、思い出しもしませんでした。
(このところは、スタインベックだったり、良寛さんだったり、辻邦生だ
ったりと、源氏物語の雅さ、絢爛さ、あわれさとは遠く無縁な世界にフ
ワフワしていましたし…)
六条院の「春」の屋敷に住まいする紫の上。この高貴な女性が供養のシ
ルシとして仏さまに花を献ずる。さて、どんな花の献じ方だったかの記
憶はまったくありませんので、久しく開いていない原典のページをパラ
パラめくってみる。そこには、源氏物語全巻を通じてもっとも華麗な、
美しいシーン宮廷生活の一こまが描かれていました。
富と権力をきわめた源氏は、春の一日、竜頭鷁首(げきしゅ)の唐舟を御
殿の池に浮かべます。好奇心旺盛な若い女房たちを乗せて。まわりから
はウグイスの声、その他多くの小鳥たちの春の恋歌が聞こえる。目を左
右にめぐらせば、青さを増す柳、いまを盛りのサクラ、藤の花、山
吹…、それらが水面に影を落として揺れている。まさに錦おりなす春の
景色。着飾った女房たちがキャッキャとはしゃぐ。そこには、伶人たち
による管弦の楽もめでたく奏でられていたかも知れません。
【つづく】
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昨日の古典文学鑑賞会
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dorothyさん (2009年01月29日 15時52分)
がのさんの、徒然草の話を採用させていただきました。
レジュメの「こひしく」の部分を白抜きして
さて、何でしょう?と。
21人の受講生のうち、以前から知っていたのは
ただ一人。ほかの方は、少し考えてらっしゃいました。
ついでにほかの段の紹介もしました。
古典文学鑑賞会、ですので、源氏物語に限らず
古典の名作に触れ、内容をいろいろな角度から
楽しめたらいいな、と思っておりましたので、
今回のがのさんの「牛の角文字」は、ネタに
つまり気味の私には、天からの啓示。
昨日は、源氏では、胡蝶の巻を楽しみました。
この中で、秋の庭に来た女童の扮装に
ちょっと疑問が出てきました。鳥の扮装をしている
童が持っている花瓶と蝶の扮装をしている童が
持っている花瓶の色が逆ではないか、ということです。
異本がないので、写し間違いとは考えづらいので、
紫式部がもともと勘違いしていたのか、何か根拠が
あってわざとそうしたのか・・・?
私は安易に、紫式部の勘違い説をとりますが、
何かご存知でしたら、教えてください。
かってなメッセージにも、やわらかい返事を
ありがとうございました。
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Re:今年もよろしくお願いします!
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がのさん (2009年01月29日 00時16分)
みかんさん
【その2】
>今年は地区代表兼ライブラリー委員です。がのさんから送っていただ
いたネイティブ・アメリカンの本が、役立ちそうです。中長期研究とし
て、日本近現代文学も読んでいます。芥川龍之介が、気になります。
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地区代表ですか! ライブラリー委員ですか! 大役ですね。でも、
考えようで、人は、背負ったものが重ければ重いだけ、筋力を勁くし、
人間を大きくします(中途半端な気持ちでなく、本気で取り組めば)。低
い鞍部ばかりを越えていては、山のほんとうの美しさには出会えませ
ん。とりわけ次の世代の子どもたちへ伝えるメッセージとしてのライブ
ラリー、これだけはぜったいに安直なものであってはなりません。
同じくきょう読み終わった作品にスタインベックの「赤い小馬」があ
ります。みかんさんもかつて一度はお読みになっておいでのことでしょ
う。わたしにとっては、6度目か7度目。子どもの文学としても広く読
まれている作品で、四つの中篇で構成されています。この作家の自伝に
近いものとされていますが、子どもだましの甘さは欠片ほどにもない。
いいかげんな媚びなどまったくない。きびしいですよね。父親は厳格で
すし、10歳の少年が愛して愛して、どれほど愛していたか表現できない
ほどの小馬が、わずかな不注意のため呆気なく死んでしまいます。ま
た、凄絶な馬の出産シーン、逆子の小馬を救うために母馬のおなかをナ
イフで切り裂いて殺さねばならないシーン、あるいは老人に対する父親
の冷淡な仕打ちを目のあたりにする少年。そのすべてを受け入れ、乗り
越えつつ成長していくジョディ少年。ここにはウソというものがない。
ウソのない作品には人間のほんとうのことばがあります。器用ではない
が、生きた人間のほんとうに美しいことばが。
ラボ・ライブラリーは、売れるか売れないかではない、それぞれの年
代に合うか合わないでもない、そういう、ウソのない、安易なごまかし
のない、ほんとうのことばで語られている作品からつくっていってくれ
ることを願っています。
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Re:今年もよろしくお願いします!
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がのさん (2009年01月29日 00時08分)
みかんさん
【その1】
>今年もどうぞよろしくお願いします。
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どうぞ四六四九! 昨年は、だいじな人を喪いましたこと、お見舞い
申し上げます。でも、みかんさんのこころは十分に通じているはずで
す。遠いあちらからみかんさんの日々をしっかり見守っていてくださる
ことでしょう。それを機に、周囲のみなさんのこころに寄る波をしずめ
てくれる、いっそう温雅なお顔をとりもどしてくれていることと推察し
ております。
>> 最近、『禅-Zen』という映画を見ました。ひたすら座禅するとい
う、只管打座。心のさざなみも、次第にひいていくのでしょうか。
評判のよい映画のようですね。
わたしの場合、参禅しても、写経をしても、凡愚な俗心はついに去る
ことなく、こころの波はおさまることありません。ただ、昨日につづく
今日を泰然と生き、今日につづく明日を悠然と生きる、…そうありたい
もの、それのみです。わたしのテーブルの上にはいつも良寛さんにかか
わる本が数冊置いてあり、迷ったとき、突き当たったときには、ここに
来ます。だいたい書店で「良寛」という文字を見ただけで、手持ちのお
金があろうとなかろうと、買わずにいられません。きょうは買ってきた
ばかりの雑誌「サライ」の大特集「良寛を旅する」(2月5日号)を先ほ
ど読みおわったばかり。その高い精神性は、わたしごときには太刀打ち
しがたい母岩の厚さ勁さで、どうにもなりはしませんが、「無一物中無
尽蔵」「欲なくば一切足り 求むる有れば万事窮する」に倣って恬淡さ
をこころがけてはいます。道元のもの、白隠のものも読みたいのです
が、なかなか読めずにいます。このごろは視力が衰えてしまって…。
【つづく】
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今年もよろしくお願いします!
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みかん(でこぽん)さん (2009年01月28日 19時24分)
一月も月末になってしまいましたが、ちょっと、HPに書き込む余裕が
出てきました。今年もどうぞよろしくお願いします。
トップページの、「あなたの顔を見ていると、こころの中の波がしずま
る」という言葉、胸にしみます。そんな穏やかな顔になれたらいいです
ね~。
最近、『禅ーZen』という映画を見ました。ひたすら座禅するとい
う、只管打座。心のさざなみも、次第にひいていくのでしょう
か・・・。
今年は地区代表兼ライブラリー委員です。がのさんから送っていただい
たネイティブ・アメリカンの本が、役立ちそうです。中長期研究とし
て、日本近現代文学も読んでいます。芥川龍之介が、気になります。ま
た、がのさんのHPで、いろいろ、勉強をさせていただくことになると
思います。よろしくお願いします。
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Re:Re:◆ウッシッシ! 牛が導く うまし世や…(01月20日) [ 関連の日記 ]
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がのさん (2009年01月26日 11時18分)
dorothyさん
【その2】
きょうはまた、小学生の放課後活動で、20~30分何かおもしろい話を
してやることになっていたり、そのあと十数人のボランティア・スタッ
フも加わり、子どもたちといっしょに“ペタンク”とか“チュックボー
ル”とか“インデアカ”とか、わたしもよく知らない簡単なスポーツを
して遊ぶことになっています(子どもたちとの時間は楽しく、これはわた
しの精神状態を維持するためにも欠かせません)。老人福祉方面のボラン
ティアも、なかなか他に代わってもらえないという事情。高齢化に加
え、このごろは不況のあおりで生活困窮者も急増。行政がつくる制度で
はカバーできない、目に見えないところで支えを必要としている人たち
がいっぱいいて、地域の課題は際限がありません。
dorothy さんや多くのテューターさんのように、カッコウよく颯爽と
その道を闊歩していられるといいのですが、輝きのときも知らず、あま
り文句もいわず、収入のことも考えず、腰が立たなくなるまで無様なか
っこうで這いつくばるようにして、こんなことをやっていかねばならな
いのかも知れません。所詮、“うまい世”なんてありゃしない。どこで
そんなふうになってしまったのか、“うまさ”とは無縁の世界で生き
る、それがわたしの宿命らしく。
(わたしの立場からは、いまさら何を言ってもむなしく、こんなところ
で私信メールのお応えとさせていただきましょうか)
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Re:Re:◆ウッシッシ! 牛が導く うまし世や…(01月20日) [ 関連の日記 ]
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がのさん (2009年01月26日 11時12分)
dorothyさん
【その1】
>「舐犢(しとく)の愛」。いいお話を伺いました。赤ちゃんを抱いた若
いお母様方の穏やかで喜びに満ちた微笑を思い浮かべました。
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高校時代、受験勉強のなかでふれたことばで、じっくりその奥義まで
考えるゆとりはありませんでしたけれど、なぜかこころの奥に残ってい
たことば。いいことばですよね。
馬にかかわる故事が多い中国、牛にまつわる故事が比較的多い日本。
騎馬民族と農耕民族。農耕稲作文化を引き継いできた日本のありかたの
一面を牛をめぐる故事に見ることができるのかも知れません。それにし
ても、食糧自給率40パーセントを下まわるこの国は、さあ、これからど
こへ行くのでしょうか。
>> 体調が悪かった、との由。インフルエンザでしょうか?
⇒ インフルエンザが心配されましたが、病院の診察ではそうではない
と言われました。長くつづいている症状で、もう治った、もう完璧、と
いうことでいい気になって出ていくと、すぐまた症状がもどってしまう
という繰り返し。何もかも放り出して、気を入れて休めばいいのです
が、どうしても欠かせない会合やら活動やらがあり、困ったことです。
とりわけ土曜、日曜は会合や催しのラッシュです。たとえば昨日は早
朝から、3自治会合同の地域拠点防災訓練。全体を引っ張って仕切らね
ばならないだけでなく、市と区の消防署、地区の消防団、区長をはじめ
区役所地域振興課のおえら方や防災関係者、小学校・中学校の校長・副
校長とそれ以下などに、ぜったい参加するよう声をかけているのがわた
し自身ですので、ちょっとくらい体調不良では、他の人に任せた、とい
うわけにはいきません。消防車に乗せて町を一周するということで子ど
もたちも100人以上参加します。防災意識は小さいときから、と訴えてき
ましたし。
まあ、終わって、午後から夕方にかけて布団にもぐりこんで休めば、
なんとか症状もいくぶんかよくなって、夕飯にはあったかいすき焼き
を。これで済めばいいのですが…。
【つづく】
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Re:◆ウッシッシ! 牛が導く うまし世や…(01月20日) [ 関連の日記 ]
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dorothyさん (2009年01月25日 06時16分)
「舐犢(しとく)の愛」。
いいお話を伺いました。赤ちゃんを抱いた若いお母様方の
穏やかで喜びに満ちた微笑を思い浮かべました。
「黒牛白犢を生ず」。
なるほど。禍福はあざなえる縄のごとし。
人間万事塞翁が馬。どんなにつらくても、
それですべてが終わるわけではない、と。
今の私には、励ましの言葉をいただいた
気がします。
「こひしく・・・とぞ思ふ」の
なぞかけ歌も、とても楽しく読みました。
体調が悪かった、との由。インフルエンザでしょうか?
どうぞお大事に。
ここに公表できない愚痴をメッセージに怒涛のように
書きました。送信してしまうと、どんなことを書いたのか
記録がないので、うろ覚えです。きっと支離滅裂だと
思います。さらっと読み流していただければ幸いです。
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Re:Re:◆ウッシッシ! 牛が導く うまし世や…(01月20日) [ 関連の日記 ]
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がのさん (2009年01月23日 14時38分)
dorothyさん
【その3】
ついでにもうひとつ。「呉牛月に喘ぐ」という故事。呉という国は南
のほうにあり、夏はたいへんな暑さだったようで、だれもがその暑さに
苦しめられました。牛もいっしょで、昼間の暑さにほとほとうんざりし
た牛が、日が落ちて涼しくなったあとも、出て来た月を見て太陽と思い
違いをしてハアハア喘いだ、という愉快なはなし。別なことばで「杞
憂」がそれでしょうか。要らぬ取りこし苦労をすることの譬え。
ラボをやっているみなさんにはおおよそ関係のない、他愛もないこと
を書いてきました。とにかく、わたしたちのことばはじつにニュアンス
に富んでいることを思います。ほかのどんな国のことばよりも。大事に
しなければ、と思う。
いま読んでみたい本があります。水村美苗さんの「日本語が亡びると
き――英語の世紀の中で」。これまでこの人のものは何冊か読んできま
したが、このごろ信用のおける珍しい作家のうちの一人。まだ書店にも
行けないでいるのですけれど。
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