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〔がの〕さんの閑粒子日記
〔がの〕さんの閑粒子日記 [全205件] 121件~130件 表示 << 前の10件 | 次の10件 >>
★所有ではなく、心澄みわたる生活を求めて(続・空白のつくりだす美しさ) 9 01月25日 (水)
アン・モロウ・リンドバーグ「日本紀行(北方への旅)」

――量ではなく質、速度ではなく静寂、騒がしさでなく沈黙、饒舌な言葉ではなく誠実な思考、多くの所有ではなく大きな美しさを求める生活を…。
 古い時代の日本の宗教家かひねくれたアウトサイダーが言いそうなことば。津波のような勢いで膨張するアメリカ資本主義社会の時代の潮流、所有に狂奔する人びとの群れを眼の前にして、空白のつくりだす美しさに心惹かれ、静かな一人の時、自分の中の澄みわたる心の泉にじっと目を注ぐ一女性の思想の原点がどこにあるか、聞けるものなら直接聞いてみたい衝動を覚えます。
 その原点がはっきりしました。わかりました、……わたし的には、ということですが。10代の後半のころ、一度は読んだことのある「北方への旅」。いや、読んだような記憶がわずかにあるという程度。著者のアン・モロウ・リンドバーグという人の名も覚えていません。どんな本だったか…? それが偶然、きょう、見つかりました。全文ではありませんが、「日本紀行」というタイトルで、ツンドク状態にあった本の一冊に載っていました。深沢正策という人の訳。ほら、ご存知でしょう、美智子妃殿下がIBBYで「子供時代の読書の思い出」と題して講演なさいましたが、そのとき、克明に覚えておられて紹介なさった一冊、日本少国民文庫「世界名作選」(山本有三・編)。その講演を機に新潮社から平成10年12月に復刊されましたが、その(二)に入っていました。
 いやいや、なんだかうれしく、さっそくむさぼり読みました。すぐに、アッ、ここだ! と感じました。文章もとっても、とってもきれいなんですよ。東洋への探検飛行で日本に着く前、千島列島を眼下にしているときの描写です。

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日没近い冬晴れの空を引き裂くヒコーキ雲(横浜にて)


――優美な島のいただきが、子供の食後のお菓子のように、霧のなかから頭を出し、その霧のなかに浮かんでいるのをわたしは見下ろしました。時々、雲のきれめから岩ばかりの海岸や「ホタルブクロ」の花に似た藍色の海が輝いては消えるのがのぞかれます。それは和やかにぼかされた、光のゆらめく、恐ろしいというよりも、むしろ美しさに打たれる、この世ならぬ夢の世界です。(深沢正策=訳)

 不安につつまれ、シベリア海岸に沿って南下しているとき、日本の根室から第一信が入ります。あたたかい歓迎のことばです。そのことばに「永遠の紳士よ!」と感激します。そして、濃霧に悩まされながら千島列島のケトイ島に決死の不時着水。二度とふたたび飛行はすまい、と思うほどの命がけの旋回降下でした。水に浮くようにつくられているシリウス号はごく小さく、北の海の逆巻く激浪に木の葉のようにもてあそばれます。それでも、根室から発進された船の水夫たちによって助けられ、エトロフ、クナシリと曳航され、根室に到着します。この水夫たち、それに農夫たちとの会話がおもしろいですねぇ。通じ合わないことばをどうにかして通じ合わせようとする双方の必死の努力。こうした接触をつうじて、アンは、飾り気なく慎み深い、慇懃な好意を見せる日本人を見、いたく感激します。何という礼儀正しさ!
 そのあたたかい好意につつまれて、作者は小さいときの記憶を解きほぐしていきます。ひとつは、父からもらった日本のおみやげ。それは、手ざわりやさしい和紙につつまれた箱で、紅白のこより(水引)がかかり、その結び目の下には赤い扇に似た紙の装飾物(のし、ですね)がついています。水引を解き、包み紙をていねいにあける。現われたのは、栗の皮みたいになめらかな、やわらかい木の箱。そっとそれをあけると、それまでに見たこともない、世にも見事な日本人形! 少女アンは、日本人はみんな芸術家にちがいないと思ったという。

 別のときのことです。少女期に父にともなわれて日本に来たことがあるのでしょうか。どこかの美術館に入ったときの印象を思い出して書いています。その美術館で、一枝の桜を描いた墨絵の掛軸を見ます。さらさらとした清楚な桜と、画面の左隅に雨に濡れしょびれた小鳥、それに二、三の草花があるだけの絵。なんにもない絵。しかしそこに、空虚どころか、緊張し充実し横溢している空間を少女は見ます。この絵でもっとも大事なのは何も描いてない部分なのだ、と気づく。言語などをもってはとても歯の立たない偉大な沈黙が世界を領していることを、この少女はぴたりと感じとっているんですね。

 さらに別のときのこと。茶の湯の静思のひとときを体験しています。
 数本の竹、小さな松、古びたひとつの石燈籠があるだけで、咲いた花もない庭を通って茶室に向かう。そこにある一木一草は磨かれたような清浄さをもち、見事な配置を見せる。そこを敷石づたいに歩いていくと、一木一草なのに森林の奥にいるよう。敷石は“むいたばかりの梨のうるおいかげん”に濡れている。そしてつぎに、草葺き屋根の、簡素をきわめた小さな茶室に着く。異常に狭く低い入口。それはどんな階級に属する人もそこで「謙虚さ」を学び、慎ましさを体現するためのつくり。柱は木、壁は紙。人をとじこめる石やレンガは使われない。簡素な床の間に飾られているのは一点の書画の掛け物と一本の花。窓の外にある樹の影が障子に映ってさらりと動く。虫の声をこれほど美しく聞いたことはない。無駄を去った質素な美しさの極致にあって、純度高くすごす沈黙と静思の時間。

 リンドバーグ夫人の「空白のつくりだす美しさ」、シンプルライフ指向の原点は、日本人の古来の生活文化にあったんですね。それにしても、ウッヘー、じゃありませんか。ここまで日本を精細につかみ、理解しているとは! そんなに長く日本にいたわけではなさそうですし、生来の遺伝子によるのかな~。さてさて、海外交流にあたって、あなたは、あるいは、あなたが送り出そうとしているラボっ子たちは、どれほど日本のことを語れますか。どれほど日本を表現できますか。いや、それ以前に、どれほど日本のことを理解していますか。わたしは、もう、お手あげですが。
      転記スミ⇒物語寸景〔2-3〕
★空白がつくりだす美しさを、日々の生き方に 22 01月20日 (金)
リンドバーグ夫人「海からの贈物」
 先日の林ライスさんの日記で“ダライラマのことば”(お許しを得て「ことばの旅路、その2」に再録)を見出し、こころにしびれるものを感じました。19項目の“ことば”が挙げられているなかで、「変化に寛大であれ、しかしながら自分の価値を失うなかれ」「一日の中で、一人ですごす時間を持ちなさい」「時には沈黙がいちばんの答えである、ということを忘れないこと」にピーンとくるものがありました。
 それは、この前、わたしが日記で華道にふれて書いた、人間のシン(心、芯、あるいは信であり深であり針、真であるかも知れない)に関わり深いことであり、また、じつは昨日、もう一度この考え方に出会う機会を得ましたので、そのことを書かせてもらいます。
 以前にもここで紹介させてもらったことがありますが、わたしは、地域文化振興活動の一環で「ふれあい読書会」というものを主宰、中学校を会場にしておこなっています。地域の中高年世代の方々と中学生年代の若ものとの、海外の文学作品の鑑賞を挟んでの交流になっており、もう6年目に入りました。参加者は毎回だいたい30~40名。中学生の参加が少ないのがちょっと問題なのですが。
 昨日の活動では、リンドバーグ夫人の『海からの贈物』(吉田健一=訳、新潮文庫)をめぐって考えあい、語りあいました。「むずかしい。もう一度、ゆっくり読み直したい」「サッとは読めない。心にひっかかるところがいっぱいあり、傍線を引き引き、噛みしめ噛みしめ読む本ですね」というのがおおかたの感じ方でしたが、中高年世代にはスーッと入れる世界でした。二、三のテューターの方にも、この間お薦めしてきた一冊。頑張りすぎなくていいよ、それより、自身の中の“こころの泉”をもっと大事にしようよ、といった呼びかけを添えてご紹介してきました。

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 ご紹介するまでもなく、アン・モロウ・リンドバーグ(Ann Morrow Lindbergh 1906-2001)は、「翼よ、あれがパリの灯だ」の、あの史上初の単独大西洋無着陸横断飛行を成し遂げた米国の飛行家、北太平洋航路開拓の英雄チャールズ・リンドバーグの奥さんです。自身も飛行家で、1931年の北太平洋横断飛行の快挙を成し遂げたときには、副操縦士、通信士としてシリウス号に乗り、夫を助けています。昭和6年8月19日、夫妻を乗せたシリウス号が北海道・根室の弁天島の先に着水したときの日本じゅうの人びとの興奮は、いまも伝説のように語られていますよね。この体験は『北方への旅』で書かれていますが、1970年の大阪万博で展示されたこのシリウス号、なんと全長8.38m、翼幅13.07mという、今では考えられない、ちっぽけな飛行機。胴体は黒、翼は赤というおもちゃのようなこの飛行機によって切り拓かれた太平洋航路を、いまは一日何便かは知りませんが、何万、何十万という人が往き来しているし、夏にはたくさんのラボっ子も太平洋を越えてもうひとつの家族と交流を結んでいることを思えば、たいへんなエポックであったことがわかります。
 しかし、この快挙の翌年(1932年)、とんでもない事件が起こります。有名なこの夫妻の長男、まだ2歳にもならない子どもがお金めあてに誘拐され、2か月後に死体で発見さるという悲劇。この事件をネタにアガサ・クリスティは「オリエント特急殺人事件」を書いていますね。その悲しみを癒すためにヨーロッパへ渡りますが、間もなく第二次世界大戦。もみくちゃにされてアメリカに引き戻されます。それでも終戦後はまたフランス、ドイツに赴いて戦争罹災民の救済活動に挺身したり、汚染のすすむ地球環境の調査などにあたります。
 1955年(昭和30年)、リンドバーグ夫人51歳のときに出された『海からの贈物』には、上記のようなことは一切書かれていません。子育てを終えた一人のごくふつうの女性が、島で2週間をすごし、誠実に自身の心と対話、この間、われわれは何を得、何を失ってきたのかを問いつつ、海辺でひろった貝殻に託して、人生のいくつかのステージを感性ゆたかにあらわしたもの。

 いっしょにこれを読んだ女子中学生たちには、理解に及ばないむずかしい内容だったろうし、いままさにギンギラの輝きのなかで全力を傾けて活動するテューターの皆さんにも、ここで言われていることをお伝えするのはまだ早すぎるのかも知れません(ラボという企業の営業妨害にもなるかな?)。ですが、どれほど多くを抱えて駆け回っていても、大事なシンを欠いていたら人間的な魅力はありませんよ、と、知性にすぐれた皆さんに、澄みきった“内的な泉”がコンコンと湧き出る生き方を、不遜ながら提唱してみたいのです。そのためには、上に挙げたダライラマのことばとともに、リンドバーグ夫人のことばを胸に刻んでおいてみたい。この本に見られるいくつかのことばを拾ってみます。

 ――回転している車の軸が不動であるように、精神と肉体の活動のうち、不動である
  魂の静寂を得るようにしなければならない。
 ――簡易な生活は、大きな精神上の自由と平和を与えてくれる。
 ――不必要なものを捨てる。どれだけ多くのもので、ではなく、
  どれだけ少ないものでやっていけるか、ということにこころがける。
 ――無数の役割にちぎられたままにせず、少しでも自分の内部に注意を向ける時間を持ち、
  自分の精神に糧を与えよう。
 ――所有欲は、美しいものを理解することと両立することはない。
  ものは少なければ少ないほど美しく見える。
 ――周りに空間があって初めて、ものが美しく見える。一本の木は空を背景にして、
  一つの音はその前後の沈黙によって。
 ――人生に対する感覚を鈍らせないために、なるべく質素に生活すること。
  体と知性と精神の生活に平衡を保つこと。
 ――中年は、第二の開花、第二の成長、第二の青春。野心、物質的な蓄積、自我を捨て、
  競争のために着けていた甲冑を脱ぎ捨てて、ほんとうの自由が許されるとき。

 輝きあるすてきなことばがまだまだあるのですが、このへんで。今でこそ「シンプルライフ」が流行語のようにして語られ、わたし自身は、良寛さん、道元禅師といったあたりの本から親しく馴染んできた思想。驚かされるのは、これが刊行された1955年ごろといえば、アメリカも日本も、大量生産・大量消費、物質万能のバブル好景気の時代(汗して働くことの嫌いな「勝ち組」たちによる小才を利かせたセコい欺瞞、美しさと心のない偽造・捏造横行のこのごろの日本・世界のきのう・きょうとよく似ている)、“行け行け、どんどん”の時期に、世紀の英雄の奥さんが世界の片隅の小さな島で、ひとり静かに、冷静にこういうことを書いていること。虚栄心を捨て、偽善を捨て、自尊心というものに悩まされることのない自由な生き方にほんとうの美しさを見た一女性のたたずまいに、深い感動を覚えます。

   ※写真は、昨年9月に開催された「新制作展」(東京都美術館)に出展された小野かおるさんの作品。
    ◎…転記スミ⇒物語寸景〔2-3〕
     ◎◎…画像1点削除
★時間の遠い深みにあるものを、ひとつずつ、ごまかしなく… 19 01月10日 (火)
(華道、日本人の美意識/BBS関連)
 テューターのみなさんのうちの多くが茶道や華道の心得をお持ちのことでしょう。わたしのひとつ上の世代の女性は、ほとんど例外なく、お花とお茶、それにお裁縫とお料理を、女学校を卒えるとすぐ女のたしなみとして学び、体得していました。編み物教室に通う人も。そういうお稽古ごとが花嫁修業として広く普及し、定着していましたね。地方都市では、まだ、女子が都会の大学へ出るのは、ごく稀れな時代でした。日本舞踊をならうお嬢さんに恋にも似たあこがれをいだいたりしたことも…。当時、町にはそういう学校がたくさんあったことを記憶しています。いまはどうでしょうか。茶道、華道というと、なにやら取り澄まして気取った、何派だ、何流だと、いやに閉鎖的、権威主義的で、おかねがらみの印象もあり、庶民感覚からは遠いところのものになっているような…。

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 小原流華道の先生であり、ときには地域の福祉ヴォランティアをいっしょにすることもある一人の尊敬する知人がおります。60歳代の、謙虚で目立つことはないが、どこか気品があり、欲がなく、たいへん魅力的な女性でして、このひとに招かれるまま、華道の何かも知らず、生まれてはじめて華道展なるものをのぞくことになりました。
 そんなわけでして、だれの作品…、といわれても、その知人以外には名前は知らないんです。それぞれの作品の、どこをどう見ればよいのかもわからない。困ったことに、華道の求めるこころなんて考えたこともなく、そもそも「道」というあやしげな伝統というか因襲というか、そういう前近代的なものがいやな気がして、剣道、柔道、弓道、書道、芸道…、どうにも生理的に合わないんですね(といいながら、すこしばかりは茶道、香道にはふれたことがありますが)。「道」だからって、どうしたっていうんだ、めんどうだよ、どうでもいいことじゃないか、と、…ドウしようもないのですが。(あれっ、戯作気分がまだ抜けない)

 BBSのタイトル下でちょこっと書きましたように、無知の恥をしのんでその知人に聞いたところによれば、なかなか華道も奥が深いようなんですね。話してくれたことをわたしが十分理解したとはとてもいえないのですが、およそ以下のようなことらしいのです。
 活け花にあっても、求めるところは人間の生きるたたずまいと同じで、ひとに目鼻があり、手足があるように、それがある微妙なバランスをもって美しい形を生み出す。そうしたなかでも、ひとつの芯がないと表現にならないのだそうです。表現世界の柱になる個性的なシン。女性が、お化粧でいくら化けても、ほんとうの美しさには届かない。髪や耳や首をどれほど高価な宝石で飾っても、飾れば飾るほどチンケなものになるだけ。センスというものはそういう虚飾とは関係がない。活け花にあっては、小枝ばかりをきかせてキンキラに飾りたてても、生彩ある美しさは生み出せない。

 云っていることは、まさに人間についてなんですね。才能に恵まれ、たくさんのすぐれた能力をもち、りっぱな教育も受けてゆたかな教養と知識をもちながら、ほんとうの人間のシン(心、芯)を備えていないひとには魅力がない、ということ。まいりますね、こういうことを云われてしまうと。人がらをしのばせる人間の滋味。さて、わたしのシンにあるものって、なんだろう。そのシンを磨き、強めるために、わたしはこの1年、何をしなければならないのかを考えるお正月でした。
 ひとつわかったことは、急ぎすぎないこと。急いで大事なことを見すごしてしまわないこと。わかりもしないのにわかったふりをしないこと。年末に来て大騒ぎになった事件に、マンションやホテルの建設に際しての耐震強度偽装という、人間の良心を疑う問題がありました。その根本にあるのが、急ぎすぎたこと、ひとを欺きごまかしたこと、自分の利益に奔走するあまり人間のシンを忘れたか捨て去ったかしたこと、自分の仕事の誇りを見失ったこと…、ではなかったか。
 早いことはちっともえらいことじゃない。手帳の予定表を真っ黒にして東奔西走することを充実と勘違いする愚かしさは犯すまい。ゆっくりでいい、一つひとつ、じっくり時間をかけて考え、新しいとされるものに流されないこと。そう、時間の遠い遠い深みにある真実にしっかり目を向け、視点をずらさず見つめなおし、ごまかしなく考えてみること。そう見てくると、これは普遍的な教育観でもあることに気づきます、…いそがないこと、ごまかさないこと。
 やはり、プリミティヴな地平、古典に還るということかなあ。さまざまな「道」についても、わけもわからぬまま忌避しないで、その底にある哲理の輝きを汲み上げる努力をしなければ…。――じつは、それは、この年末、このひろば@のなかで、ある少女の生活スタイルから学ばせてもらったことでもあります。
       転載スミ⇒「伝統的技芸」/画像2点削除
★醜男が歌姫に寄せる一途な恋、至純な愛、「オペラ座の怪人」 27 12月05日 (月)
 12月3日、息子からもらい受けたチケットで新橋の四季劇場「海」へミュージカル「オペラ座の怪人」を観に行き、思いがけず、得がたい感動と華やぎのひとときをプレゼントしてもらいました。
 劇団四季のミュージカルはこのサイトでもときどき話題になりますが、わたしにはある種のこだわりがあって、これを観ることをしてきませんでした。しかしまあ、聞きしにまさる絢爛豪華さにドギモを抜かれました。黄金の彫像や水晶のシャンデリアなど、舞台装置の豪華さ、そして場面転換のすばやさ、ほんと、奇跡のように早い。アッと意表をつく変幻自在な動きぶりは、まるで外国のマジック・ショーを見ているよう。そして華麗な踊り。それは若々しく、きびきびと弾けとぶ勢いがあって気持ちいい。これぞエンターテイメントということか。わかる、わかる、見るものにとって、楽しくないはずがない。

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 この日の主な出演者は、オペラ座の怪人がO.T、歌姫クリスティーヌにM.T、ラウル子爵がY.T、メグにはK.A。総勢70名くらいの舞台だったでしょうか。歌ではクリスティーヌのメゾ・ソプラノがきわだって美しかった。怪人ファントムの歌も、届かない愛に狂う鬱屈した情感と孤独をしっかりと伝えるものでした。
 ストーリィから見ると、醜男が美女に寄せる純粋な思い、かなわぬ恋を描いたヴィクトル・ユゴーの傑作『ノートルダムのせむし男』を想起させられるもの。若い歌姫クリスティーヌに寄せる怪人の愛の一途さと孤独が胸をえぐります。顔の右半分に醜いひきつれのあとがあり、仮面でそこを隠しているナゾの男。そのコンプレックスを持ちながらも、こと音楽に関しては、たぐいまれな才能をもつ人物。あるときから、亡霊のようにしてオペラ座の地下深くに住み着いています。クリスティーヌの歌の才能を花開かせたのが、このナゾの人物。チャンスがめぐり、花形のプリマドンナとして舞台に立つようになるクリスティーヌ。
 そのころから彼女は、劇場のパトロンであり、幼馴染みでもあるラウル子爵に近づいていきます。クリスティーヌに深い思いを寄せる怪人に、抑えがたい嫉妬の炎が燃え上がり、オペラ座はシャンデリアが落下するなど、つぎつぎと不思議な事件に巻き込まれ、不吉な事件がつづきます。
 屈折しながらも、ひとりの女性へ悲しいまでの愛を傾ける怪人の純粋さは、裏切りに対するはげしい怒りとなり狂気となって、劇場関係者すべてを脅かすことに。オペラ公演を阻害され、混乱し困惑する人たちは、ひそかに怪人の殺害を計画するが、もともと存在を超えた存在である怪人は、だれをしても捕らえること殺害することはできない。
 歌のレッスンをしているとき、ふとした気まぐれから、クリスティーヌはいきなりナゾの怪人の仮面をひっぺがす。ぺろりとした醜い顔、ゾッとする顔が現われる。怒りのなかで、怪人は彼女を、オペラ座の地下の秘密の部屋へ引き込み、愛を迫る。恋人を連れ去られたラウル伯爵も、クリスティーヌを取りもどそうとあとを追い、このナゾの部屋に来る。たちまちラウルは怪人に捕らえられ、首にロープをかけられる。
 「わたしを取るか、それともそいつ(子爵)を取るか」と窮極の選択を迫られるクリスティーヌ。「子爵」と答えたら、恋人の首にかかったロープは引き上げられる。
 このとき、女は、怪人からの指輪を受け、自分から熱いキスをする。長い熱烈なキス。どういうことか、あのゾッとする醜い顔を厭うこともなく、愛情ふかく女のほうから抱擁する。(女のなかには、自分を世評高いプリマドンナに育ててもらった恩義も働いていたろうか)。すると、怪人ファントムのこころいっぱいに、あたたかい、やさしい潮が満ちてくる。怪人は、子爵の首にかけていたロープをパチリと千切り、ふたりの愛を許して、クリスティーヌとともに地上世界へ帰してやる。
 水のうえを歌いながらボートで去っていく恋人たち。あとにひとり残ったオペラ座の怪人。光のない部屋でまどろむように深く椅子にかける。悲しみと憂愁の空気が包む。つぎの瞬間、そこには白い仮面だけが残され、だれの姿もなかった。

 男の一途な愛の、水晶のような美しさが胸に沁みる。わたしにも憶えあるなあ、この孤独な思い。手を伸ばしても、伸ばしても届かない愛。そして、怒りを抑え、自分を殺して許し、愛するものへの思いを断つことの切なさ。ああ、愚かしいほどの純粋さ。同時に、女の気まぐれなこころの揺らぎに翻弄される男は、まったく、たまったものじゃない、という思いも。罪つくりだね、美しい女というのは、いつの時代も。

    転記スミ⇒「物語寸景〔2-3〕」
★神から賜った美しい自然、オアフ島東海岸へ 10 12月01日 (木)
 私的な体験ですので、このホームページで書いていいことかどうか、わかりませんが、オアフ島東海岸への3時間半のバス・ツアーについて、少しだけご紹介させていただきます。〔BBS関連〕

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ハナウマ湾


 ホノルル市内からH1ハイウェイに乗り、左手に横たわるコオラウ山脈を見ながら一路東へ。サンサンさんが学んだというハワイ州立大学を左に、右にはダイヤモンドヘッドの裏側を見ながらカハラ地区、ワイライ地区、アイナハイナ地区へ。このあたりは高級住宅街になっているらしい。石原裕次郎ほか、日本の有名な俳優さんの別荘もこのあたりにいくつかあるとか。カハラからは、マナウル湾を眺めおろしながら別のハイウェイに乗り、ハナウマ湾を一望する展望台へ。両腕を大きく開いたような形になっている静かな湾で、海の色の清さについてはことばを失いますね。
 ふたたびバスに乗って、サンデービーチをすぎ、シーライフパークへ。動物園、水族館があるようでしたが、そこに入園するほどの時間はありませんでした。ここまで来るとさすがに観光客やサーファーの姿は少なく、静かな落ち着きがあります。ちょっと歩いてマカプービーチの砂浜に出てみました。目の前に見える白い無人島がラビットアイランド。右に視線をめぐらせるとマカプー岬が黒々と、ドッシリと。ここの海の青さこそ神さまからの賜りもの、格別なものでしたし、路傍に見たブーゲンビリアのあざやかさも併せ、とてもわたしのペンでは表現できませんね。すばらしいです。

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シーライフパーク、正面がRABBIT Island
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右がマカプー岬


 ここからバスは北上します。ワイナマロ地区はハワイ原住民だけでつくる地域。いくら景観がいいからといって、ほかからここに住もうとしてもだめ、原住民以外のひとが入ってくると、恐ろしい幽霊が出現して徹底的にしつこく追い払われることになっているとか。ほんとうかなぁ。相撲の曙関の出身地がここですって。彼のおかあさんが経営する小じんまりとしたショッピングセンターがあり、その前に、曙関の力強い突き押しスタイルの像が立っているのがバスのなかから見えました。
 つぎに通ったのはカイルアという町。ここにはオアフ島最大の湖があるとか。バスのなかから見たかぎりでは、湖というよりは、ちょっとした池かな。バスの前方にふたつのピークを見せるオロマナ山。これがオアフ島で最も高い山で、標高250メートル。ま、その程度です。この下には刑務所が広がっていて、左手が男、右手が女の受刑者を収容するところ。うん、なかなかいいところで、こんなところで服役するのだったら、ちょっとくらいなら、わたしもいいかな…。
 ここまで来ると、かなり疲れが出ます。モカプ岬を経てカネオヘに。このバス・ツアーの最後に立ち寄ったところがヌアヌパリ展望台。展望のすばらしさはともかく、立ち売りしていたパイナップルとマンゴー。まあ、これ、最高! よく冷えていておいしかったこと!
 帰路のバスでは半分眠っていましたが、それでも目にとびこんできたのは、日本の寺社。日蓮宗、天理教、浄土真宗などの寺、それに平等院まで。五重塔もりっぱなものでしたよ。いつ建てられたものなのか、古蒼な貫禄と威厳をもったものでした。まわりの植え込みも日本の寺社で見る様式のもの。
 いまのわたしたちは、太平洋のまん中の島まで来てなお、日本にいるようなくつろぎをもって異文化と美しい風光とやさしい気候風土を楽しめるわけですが、最初に日本からやってきて、事情もよくわからないまま手探りでいまの形をつくりあげるまでには、さまざまな苦しい努力もあったにちがいありません。そういう努力を感じさせないほどにいまは「日本」がこの世界で馴染んでいますけれど、日本の人がどれほど深くハワイ社会に入りこんでいたかを知ることにもなりましたね。
 長くなってしまいました。ごめんなさい。ハワイ報告はこれくらいにとどめましょう。
★ハワイのひびきおもしろいことば 21 11月29日 (火)
 12年余にわたって海外を知らず、英語もすっかり忘れていましたので、どうなることかと思っておりました。まあ、ありがたいことに、というか、数回を除いてほとんど英語で会話する機会もなく、この滞在を終えました。どこに行っても若い日本人ツアー客が多いことから、海のむこうの渋谷、って感じでしょうか。現地の人にしてみれば、日本語が話せないといい仕事に就けないような状態。

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 ということはあるにせよ、彼らの日常生活にしっかりと根をおろしたハワイ語もたくさんあることを知りました。わたしたちだって、知っていますでしょ、「アロハ」alohaくらいは。こんにちは、こんばんは、といった挨拶ことばですが、それだけでなく、さようなら、愛しています、愛、などにも広く使われていることばですって。「アロハ・アイナ」といえば「郷土愛」、「アロハ・カコウ」といえば、もうちょっと丁寧な「こんにちは」「こんばんは」になり、たくさんの人を前にしていうことが多く、「わたしたちのあいだに友情がありますように」というニュアンスになるそうです。こちらでは、人を見れば、いつでもどこでも「アロハ」、そして"HANGLOOSE"というらしいのですが、親指と小指を立てて手をひらひらさせます、ニコニコしながら。小指だけ立ててそれをやったら、どうなのかねぇ。
 「さようなら」は「アロハ」でいいのですが、「アフイホウ」というと、もうちょっと軽い感じでしょうか、「じゃまた」といった感じ。間違っても「アホウ」なんて云わないこと。さて、「ありがとう」はどういうか。それくらい知らないと「ヒラヒラ」hilahila(恥ずかしい、間がわるい)かもしれませんよ。「マハロ」mahalo が Thank you ですし、「マハロ・ヌイロア」といえばさらに丁寧な Thank you very much になりますね。
 「カネ」といったら、またお金かよ、と思い、渋い顔をしがちですが、これくらい早く覚えておかないと恥をかきかねません。お金のことではなく「男性」という意味。ほら、トイレを間違えたら、たいへん、あの太い腕で張り倒されますよ。ついでに「女性」は「ワヒネ」wahine ですって。因みにトイレのことは「ルア」lua 。ただし、「地面に掘った穴」とか「洞窟」の意味にもなっていて、昔の用便事情をしのぶことができます、でしょうかね。トイレのシアワセなときに「オコレ」「オコレ」だって? なんでこの至福のときを怒らなければならないのよ。どうも下品でいけませんね、がのさんは。「オコレ」とはお尻のことですって。
 どうだい、調子は? 「マイカイ、マイカイ」(いいよ、元気だよ)。“毎回”同じこと聞くなよな。
 「ケイキ」keiki はどうだい? 「景気」じゃないですよ。罪をつぐなって「刑期」は済んだかと訊いているわけでもなく、これ、子ども、男の子、息子のことですから、ま、安心してください。
 笑っちゃうのは「イポ」ipo 。「イボができちゃった」といわれて「どこに?」なんて云っちゃいけません。「恋人」「愛しい人」のことをイポといいます。サンサンさんはヤシの葉陰で「イポ」を見つけて恋をし、結婚したっていうわけ。ロマンチック~ゥ!

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 わたしたちの宿泊したホテルは、ワイキキ・ビーチがゆるやかに湾曲する、ちょうどそのまん中へんにありました。すばらしいロケーションでした。そのホテルの前を走っているのがカラカウア通り。ビキニ姿の若い女の子をカラカウのにいい通り、だなんて下司なことを想像してはいけませんよ。ハワイの通りにはよく歴代の王様や王女様の名がつけられていて、これも王様の名からとった由緒ただしい通りの名称なのですから。
 おばさん、ほら、もたもたしないで「ウィキウィキ」wikiwiki しなよ。早く、急いで、というほどの意味。そういえば、ホノルル国際空港のなかを走るシャトルバスの名前が Wikiwiki Bus だったね。
 腰やお尻を「フリフリ」hulihuli おどるフラダンス。「回す」とか「ひっくりかえす」という意味だそうです。「フリフリ・チキン」という現地の人にたいへん人気のある食べものがありますが、これ、チキンを丸のまま、あるいは半身を大きなグリルでぐるぐる回し、ひっくり返して焼いたもの。公園の片隅や野外でよく売られています。
 地名を探っていくと、その起源や由来を知ることになりますし、食べ物の名もユニークです。「オパカパカ」opakapaka といえばヒメダイ。ハワイの高級レストランではよくテーブルに供せられます。とくにこの時期の刺身は脂がのっていておいしかったです。同じ魚で「オノ」はサワラのこと。そのさっぱりした味の白身は「オノ!」で、これはdericiousの意味にもなっているとか。
 まだまだおもしろいひびきをもつことばを聞きましたが、ここではこれくらいにとどめましょうか。悲しいかな、書き留めておかないとすぐ忘れてしまうものですから、ここにしたためました。
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    転記ズミ⇒「HAWAII」
★清少納言 VS 紫式部 22 11月16日 (水)
 平成の才媛たるみなさまに問う、…あなたは清少納言派? それとも紫式部派? 
 遠い平安時代中期に生きたふたりの才女ですが、この機会にその生年・歿年を調べてみました。調べましたが、正確なところはわかりませんでした。諸説ありますが、それをまとめますと、清少納言は966年ごろに生まれ、1021~28年に死去しており、紫式部のほうは、970~78年に生まれ、1019年または1931年に歿したとされています。ほぼ同時代人ですが、清少納言のほうがわずかに年上だったということでしょうか。
 11月13日のわたしの「BBS」で書いたものを改めて再録、それを加筆修正しつつ、このふたりの才女をバトルリングに乗せてみました。

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 清少納言は、見捨てられわびしくなっていく中宮定子のサロンを、少しでも楽しげにしようと一人踏ん張った女性です。そのため、さがったあとは発狂し、かなりつらい最晩年だったようです。人間は豊かであれば「あわれ」を説き、わびしいからこそ「をかし」を説くのだな、と思ったものでした。〔ドロシーさん 2005.11.11〕
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 そうそう、『源氏物語』が「あはれ」の文学といわれるのに対して、『枕草子』は「をかし」の文学といわれます。わびしいから「をかし」を説いたとするには、ちょっと異論を感じますが、それはあとのことにして、万華鏡のように多彩で、明るく奔放な世界を描いていますね。藤原道隆の長女に生まれ、一条天皇に入内していた中宮定子。その後宮には、選り抜かれた才媛が集まっていました。そのなかでもとび抜けた才(ざい)を発揮したのが清少納言。“香炉峯の雪”のエピソードが有名ですよね。
 というわけで、ドロシーさんはどうやら清少納言ではなく、紫式部ビイキのご様子。はい、それならディベートです。わたしは清少納言の側に立ちましょうか。

 清少納言の後宮への出仕は28歳のとき。中宮定子は17歳でした。中宮定子のおぼえめでたく、彼女はこのサロンの花形として、華やかな女房生活をし、後宮全体をまとめつつ中心的に活躍していたようです。
 隠微な嫉妬と対抗心もあって、紫式部からは「したり顔にいみじう侍りける人」と評され、好印象を与えていなかった模様。陰謀と策略の渦巻く、煩わしく複雑な当時の政治世界と対人関係のなかをじょうずに泳ぐ術を知っていた紫式部とは違い、本質的に政治性のない人。物事にあまり拘泥しない、陰湿ではない、こころに裏オモテのない、底抜けにお人よしな、気性の美しい人。高度にリアルな人生観照をもつ紫式部のような大人の知恵を持ち合わせなかった女性でした。「したり顔」なんて云われる筋合いはなく、すてきじゃないですか、こんな女性。そのきたないことば、そっくりそのまま紫式部にお返しすればよかったのに。もっとも、それをしないのが清少納言の奥ゆかしさであり自信でもあったのでしょう。

 紫式部は『源氏物語』の末摘花のモデルとされていますね。クモの巣の張る落ちぶれた宮家の姫とされ、青白い不健康な顔に赤い鼻という不美人。光源氏ともあろう人がどうしてあんなパッとしない女を…、とうわさされる女性。まあ、不美人ながら情がこまやかとされています。しかし、末摘花なら、まだしも控えめということを知っていますよね。紫さんにはそれがない。それくらいですから、どうやらこころの底に暗いコンプレックスをもっていたようで、嫉妬深く心根がうすぎたない。タチがわるいことに、今をときめく権力の側にいるので、傲慢不遜。自分の目のとどくところに見目麗わしい、評判のいい、すぐれた女性がいると知ると、もう我慢ができない、片っ端からこきおろしていたようです。ときどきわたしたちの周囲にもいますよね、高い教養を持ちながら、カサ高く可愛げのないそんなひと。

 ひどいのにこと欠いて、和泉式部のことさえ「蓄積のないひと」とケチをつけている。「その和歌はパッと見たところはまあまあいいようだけれど、所詮は、たいした学問のないもののつくった、空っぽな歌」ですって。もう、偉そうに! 冗談じゃありません。この時代を生きていた女性のなかで和泉式部ほどモテた女性はほかにはおりません。情がこまやかで、学問の底も深く、魅力的で、上品な色香をただよわせ、このひとといっしょにいると、何かいいことがありそうな…。語るに十分足るひとですよ。「ものおもへば沢のほたるもわが身よりあくがれいづるたま(魂)かとぞおもふ」なんて歌をもらったとしたら、たいがいの男はまいっちゃうでしょうね。「黒髪のみだれもしらずうちふせば まづかきやりし人ぞこひしき」、恋の絶唱です。人間にツヤがあるというか、相手を思いやるやさしくあたたかい愛があります。天性の愛の詩人といえないでしょうか。
 天性の詩人ということでいえば、和泉式部以上にわたしが評価している女流歌人がいます。赤染衛門。長文になりましたのでその歌についてはふれませんが、なんとまあ、あきれたことに、紫式部はこの赤染衛門までくさしている! もう人格を疑うね、紫さん。

 あの時代の女性たちが今の時代に生きているとして、デートするとしたら、まあ、鼻っぱしが強く根性曲がりの紫さんじゃないですね。和泉式部か清少納言。わたしじゃあチト役不足だということはこの際別にして、うん、デートしてみたいね~。もっとも、清少納言は、時間ぎりぎりにやって来て、息せき食事をしてコーヒーを飲んで、ひとりでしゃべりたいだけしゃべって、「あっ、わたし用事思い出したわ。帰らなくっちゃ」と、さっさと帰ってしまうようなタイプ。才気ほとばしり、楽しい話題をたくさんもっていて退屈しないのですが、…ちょっとねぇ。その点、和泉式部はそうじゃない、こちらの気持ちをよくわかって、最後の最後までつきあってくれそう。いいなあ、こんなひと。抛っておけないよ、男なら。

 995年4月、道隆が死亡します。その際、権力は道隆の子の伊周(これちか)には移らず、仕掛けられた策謀により、定子の叔父(道隆の弟)にあたる藤原道長に渡ります。これにともない、中宮定子も禁中を追われる身となり、苦境におちいります。
 菅原道真に対する藤原時平、藤原道隆・伊周に対する藤原道長。『大鏡』で「才(ざえ)の人」の双璧とされた道真・伊周。そういう相手をうまうまと陥れた時平と道長は、表面は温雅ながら、じつは策謀に富む政略家の政敵。合理的な機略に富むタイプですね。こすっからく、権力をねらって陰に陽にいやがらせと圧迫をかけていた、わたしにはどうにもいけ好かない存在たる道長の、そのむすめ、のちの上東門院彰子に仕えたのが紫式部。百戦錬磨のすれっからしの、にくらしいほどしたたかな女、世に天才はわれ一人とでも思っているのでしょうか。その点、白痴のようにストーンと抜けたところもあって、プラス指向で、無垢な少女のように明るい清少納言て、ね、可愛いじゃないですか。

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 定子の兄弟たる頼みの伊周の失脚につづき、1000年、定子は出産のあと24歳であわただしく死んでしまいます。清少納言も35歳で後宮を退くことに。こののち間もなく『枕草子』は成立していますね。激動の政治的情勢のなか、この作品のもつ明るさはちょっと異様かも知れません。ですが、滑稽なものを滑稽といい、おかしいものをおかしいといっている率直さ、直截さがこのひとの味でしょう。ですから、書いているものはちっともむずかしくありません。政治の暗い影などありません。紫式部に見る大人の知恵などぜんぜん持ち合わせなかったかのようにさえ見える、そのカラリとしたこだわりのなさは、清少納言の生来のものだったかも知れませんが、池田亀鑑博士は、この随想はもともと、中宮定子の遺子である一品宮脩子(ゆうし)という内親王の姫女に捧げる中宮定子賛美の書であったとしており、そういうこともあって暗いむずかしい部分は避け、「をかし」に終始したと考えられます。

 ドロシーさんが書いてくださっているように、彼女の晩年は不遇で悲惨なものでした。その落魄ぶりについては『今昔物語』や『古事談』に見られるそうですが、わたしはそれについてはよく知りません。ひとつだけ『古事談』で語られる伝説をご紹介します。
 才媛の名をほしいままにした清少納言ですが、のちには零落してみすぼらしい廃屋に住んでいました。あるとき、若い殿上人たちがひとつの車に同乗してその家の前を通りかかります。見れば、いらかは破れ、土塀は崩れ、見る影もないていたらくぶり。「少納言無下ニコソナリニケレ」(あ~あ、清少納言もさんざんだなあ)と無遠慮に話している若者たち。それを清少納言が聞いていて、破れた簾(すだれ)をかき上げると、鬼形の女法師のような顔をつきだして「駿馬の骨をば買わずやありし」(死んだ馬の骨を買った人だってあるじゃないの!)と、中国の昔ばなし、燕王の故事を持ち出して云い返したとか。ここには“香炉峯の雪は?”と問われ、御簾を高くあげて中宮を感服させた清少納言の高い教養を示すエピソードがもじられていますね。
 どうもご退屈さまでした。紫式部の側に立った反論を期待しています。
★“ことばの苑”であそぼうよ、平成「ものはづけ」に挑戦を 3 11月10日 (木)
“ものはづけ”といったら、「笑点」の「大喜利」を思い浮かべる方もおいででしょうか。
「すまじきものは、宮づかい」なんてことばは、このごろでも
サラリーマンのあいだでよく云われ、よく聞かれます。なるほど。
それでもいいのですが、清少納言の『枕草子』、ほら、
「春はあけぼの。…」ですよ。
「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、少しあかりて、
紫だちたる雲の細くたなびきたる。…」
皆さんも思い出されませんか、高校のころ悩まされた日本古典文学の授業。
『枕草子』の一節に見られるのが、この“ものはづけ”。
しかしまあ、昔むかし、若い生意気ざかりにこの文章を読んだときは、
なんだか、さかしらに知ったかぶりをして、
才能をハナにかけてやがって、いけすかない女だなぁ、と
しか思いませんでしたね、正直なところ。
『徒然草』の兼好法師にしたって、そうですよ。
うるさいなぁ、わかったふうなことばかりを悟りすまして云って、
そんなこと坊主のあんたにいわれたくないよ、こちとら、
人生これからなんだから、と。
皆さんもそんなところじゃなかったですか。
あっ、違いましたか。失礼、失礼。
文章の滋味なんて知るはずもない、無垢で単純で人生経験量も少なく、
人と人とのあいだの微妙な感情や、その割り切れない関係など
知るはずのないときに出会った文学ですから、
そんなふうに思ったとしてたいして罪は問えませんよね。
ところが、さんざん失敗と挫折を繰り返し、かくもさんざん恥をかき、
運に見放され、さんざん痛いめにもあっていたずらに馬齢を重ね、
自分の弱さもズルさも知ったところで、改めてこれを読むと、
これがいいんですねェ、なかなかおもしろいんですねェ。
白内障の手術を受けたあとのように、
ぼんやりとしか見えていなかったものもよく見えてくるし。
それに、さすがは1千年余を経てなお今に残る古典です、
ことばが美しいです。ひびきのよい、調子のよいことばです。
つい声をだしたくなるようなことばです。
日本人の感性の原点にある、生理に合ったなつかしい、
きららかなつやをもったことば。
古来からの日本人の生活感、モラルの原型があります。
読むうち、からだのシンのところがほかほかして、
こころがわくわくしてきます。
わたしたちが大事にしなければならないことばとは、
こういうものを指すのじゃないでしょうか。

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「春はあけぼの。…」につづいて、「めでたきものは」
「すさまじきものは」「にくきものは」「あじきなきものは」
…などと、「ものは」形式の随想の章段がしばらくつづきます。
これが笑えます。いえ、いえいえ、感動させられます。泣かされます。
批判精神が旺盛で、鑑識眼にすぐれ、皮肉たっぷりで、
たいした見識をもった女性がいたものだと、
「はい、まいりました!」です。
古くないんですよ。遠い昔の人がこういうナウイ感性を
もっていたことにも驚かされます。

さて、どれがいいのかな。いくつか例を挙げてみましょう。
「ありがたきもの」つまり、めったにないものとして、
「舅にほめられる婿。また姑に思はるる嫁の君。
毛のよく抜くるしろがねの毛抜。…」ですって。
グサリとえぐる鋭さがありますね。
「にくらしいもの」に挙げられているのは、
急いでいるときの長っ尻の客、
つまらない人が笑いながらよくしゃべること、
昔の女をほめあげる新しい恋人、
あけた戸を閉めないで出ていく人、…だそうです。
こんなのばかりでなく、ホッと胸を熱くさせられるものもあります。
「うつくしきもの」ですが、「うつくし」とは、
古語では美しいというよりは可愛らしいという意味に近いのですが、
ここでいたいけな子どものすがたが活写されています。
「二つ三つばかりなるちごの、いそぎて這い来たる道に、
いとちひさき塵のありけるを目ざとに見つけて、いとおかしげなる
および(指先)にとらへて、大人などに見せたる、いとうつくし」
女性ならではの細やかな観察ですね。

というわけでして、平成の清少納言といわれる(!?)知性ゆたかな
テューターさんに、こころをほぐして、この“ことばの苑”で遊んでいただこうとの趣向。
あなたのユーモアセンスをご披露くださいませんか。

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さて、手はじめに、こんなふうに、ということでいくつかの
例題をだします。おもしろい“もの”をお寄せくださいませんか。

 ◎ 取りもどしたいものは…
   ⇒間違い字いっぱいのまま出してしまったラブレター

 ◎ ポイと捨てたいものは…
   ⇒×歳ともなり、腰まわりにやたらついてきたぜい肉

 ◎ ストップをかけたいものは…
   ⇒女の箍(たが)のはずれたおしゃべり

いまはサッと気のきいたものが浮かんできませんが、さあ、
あとは皆さんがつづけてください。左の「平成“ものは”づけ」
ご紹介してまいります。上記の題でなくてもけっこうですよ、
 ◎ 記憶から消し去りたいものは…
 ◎ 子どもに見せたくないものは…
 ◎ 足で蹴りつけたいものは…
など、どんな“もの”でも。
★盲導犬による福祉体験学習 2 10月28日 (金)
朝から、地域のふたつの小学校の福祉体験学習に。
それぞれ3,4,5,6年生を対象に、日本盲導犬協会の協力を得て
盲導犬のことを紹介、「共に生きる」をテーマに話し、
小学生たちと対話した。体育館で2時限ずつ。
おつきあいいただいた盲導犬は
ラブラドル・レッドリバーのディックくん、4歳8か月のオス、
それに視覚障害者の方、盲導犬訓練師の女性。

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むこうからイヌを連れた人がきたら、とくかく逃げるに如かずの
知る人ぞ知るイヌ嫌いのわたしが、どうして盲導犬を…?
どうして、というほどのことはありません。この企画の
コーディネーター役の地区社会福祉協議会の役員を代表して、
仕方なく、というだけのこと。
それでも、おとなしく、なかなか品格もあるディックくんにふれて、
少しだけワンちゃんアレルギーは減った、…かな?

現在、日本盲導犬協会に盲導犬が欲しいと登録している
目の不自由な人が4,700人、それに対して活動しているのは958頭と、
ぜんぜん不足しているという。さて、わたしたちにできることは…。
盲導犬育成のためのたくさんの募金が寄せられたり、
訓練前の生後2か月から10か月間、里親となって世話する
パピーウォーカー、仕事を終えたイヌをあずかるリタイアウォーカー
という人もいるようです。
沢口靖子さんたちが出演した映画、盲導犬クイールの話はたいへんな人気だったとか。
ご覧になりましたか?

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【転載ズミ(関連書込みとも)⇒「イワシの眼」(2)イヌぎらい】
★義経主従を追って俳句の旅 10月26日 (水)
 NHKの大河ドラマ「義経」への関心の高さでしょうか、「義経の悲劇と芭蕉の旅のかかわりをもうちょっと詳しく、との声を三、四の方から寄せていただきました。この日曜日は私用が重なり、終日からから外を出歩いていたので見損ないましたが、ドラマはいよいよ「義経記」のクライマックス、追われる義経が描かれることになりますね。「安寿と厨子王」のおはなしから逸れてしまいますが、芭蕉の句にとらえられた義経主従の表情を…。
 浅香山(安積山)、安達原黒塚、福島の文字摺石、医王寺についてはすでにふれました。白河の関に至る前に那須野ケ原、殺生石を訪ねていますが、ここはご存知、那須与一ゆかりの地。こんなふうに挙げていくときりがありませんが、特にだれにも馴染み深い句をとどめている二、三のところを拾ってみましょう。

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本文とは関係ありません。
上高地の秋。スミティさんの画像を拝借して。


 平泉・高館(たかだち)で詠んだのが、
   夏草や つはもの(兵)どもが 夢のあと
ですね。高館は別名「衣川館」ともいわれ、義経主従が最期をとげたところ、“弁慶の立ち往生”の伝説が語られているところです。「つはものども」とは、義経とともに戦って散っていった家臣のことにほかなりません。また同時に、藤原三代の栄耀が崩れ去った地でもあります。
 鳴子をすぎ、尾花沢へ向かう途中にあるのが尿前(しとまえ)の関。陸奥(みちのく)と出羽の国境になっていて、芭蕉と曾良はここで関守に怪しまれて足止めを食います。やっと関所を通されたときには日は傾いて宿るところに難儀する事態に。やっと見つけた泊めてもらえる家は、この地に独特の民家で、土間のむこうは厩屋になっています。ゆっくり寝て休もうとしても寝られるものではありません。
   蚤虱(のみ、しらみ) 馬の尿(しと)する 枕もと
という、風雅には遠い悲惨な状態。さて、ここですが、鳴子の湯といえば、義経の若君が生まれ、産湯をつかったところといわれていますし、尿前は、その若君がはじめてオシッコをしたところだといいます。ほんとかな~。義経たちが並んで立ちションをしたところ、という人もいるそうですが…。紅花の香りにつつまれて彼らはさぞや気持ちよく放尿したことだろうか。まあ、そんなことさえ伝説になるほど、日本人の判官贔屓には強いものがあるということなのでしょうね。
 もうひとつだけ挙げておきましょうか。もっとも胸うたれるエピソードをきざむ句は、
   むざんやな かぶとの下の きりぎりす
でしょうか。小松で詠んだ句で、倶利伽羅峠で木曾義仲の軍に討たれた老将、斎藤別当実盛を詠んだものですね。この人は、もともとは、頼朝や義経の父親である源義朝に従って大活躍したすぐれた武将。義朝亡きあと、平家につかえ、宗盛のもとにいました。木曾義仲にとっては2歳のころから親しみ、少なからざる恩義のある人でした。戦いでは、味方の軍勢がそろって逃げ落ちていきますが、そんななか、どうしたのか、くるりと後ろに取って返す一騎があった。多勢に無勢、たちまち討ち取られてしまいますが、見れば、大将が着けるような錦の直垂(したたれ)を着ている実盛ではないか。すでに70歳を過ぎているが、白髪を黒く染めて若武者を装っている。老いたりといえども憐れみ無用と、潔く戦った一武将の壮絶な最期。骨肉相食む戦国の世の悲劇ということになりますが、芭蕉は一匹のきりぎりすに実盛の霊を見たのかも知れません。このことは「平家物語」巻七や、謡曲「実盛」にくわしく語られていますね。
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