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★理想の教師像を求めて、『チップス先生 さようなら』 03月19日 ()
〔小夜 & Gano トーク〕

小夜――淡々として退屈な、とくに何があるというわけでもない、平凡に思えるおはなしですが、なぜかシーンとこころにしみるところがありますね、チップス先生の生き方には。
がの――ジョージ・ヒルトンというイギリスの作家が書いたものです。1900年に生まれて1954年に亡くなっています。お父さんが教師生活を長くやっていて、貧困のなか、いろいろご苦労があったようですが、この小説はそのお父さんをモデルにしているような気がします。推測ですけど。
小夜――あら、1900年ですか。サン=テグジュペリと同じ年に生まれたんだわ。
がの――よく憶えていましたね。『星の王子さま』の作家と同じく、第一次世界大戦、第二次世界大戦の両方を見ている人、激動の時代を生きた人でした。平凡な作品といいますけれど、1934年、作者33歳のときに週刊誌のクリスマス特集号に発表した作品で、発表と同時にヨーロッパではたいへんな反響だったんですよ。映画にも二度なっていますし。
小夜――そうですか。でも、メリハリに乏しく、読むひとをドキドキさせて惹きつけるようなドラマ性があるわけでもありませんよ。たしかに、イギリスの伝統的なエリート教育がどんなふうにされていたのか、全寮制寄宿学校(パブリック・スクール)の毎日の生活がどんなものかを知ろうと思えば、なかなかいい材料と云えるのかもしれませんけれど。
がの――いやいや、新潮文庫 (菊池重三郎=訳) の初版が出たのが1956年ですから、ちょうど半世紀。おとうさんが書棚の奥から引っ張りだしてきたこの本が、昭和62年5月に出た71刷、そして読書会の皆さんが今回新しく買って読んだのが97刷、98刷でしたね。日本でもたくさん、たくさんの愛読者がいるという証しですよ。おとうさんはね、20年前には反戦ものとしてこれを読んでいましたが、どうやらそれはまちがいで、そういう観念を外して読んだとき、はじめてこの作品のすばらしさがよくわかったような気がしました。

記憶に残る先生像
小夜――木曜日にあった「ふれあい読書会」、おもしろかったですね。おとうさんが皆さんに尋ねたじゃないですか、「振り返って、今もっとも記憶に残る先生って、どんなタイプの先生ですか」と。いつもはあまり発言することのない中学生のおねえさんたちも、活発に云ってくれました。
がの――いろいろ挙げてくれましたね。それを総合すると、何か一つのことをいっしょに汗を流してやってくれた先生、ということだったでしょうか。
小夜――頑固で融通のきかない先生、感情的になってよく子どもを叱るマイナス・イメージの先生のことを挙げるおばさまたちも多かったわ。
がの――よいにつけ、悪いにつけ、一本スジのスーッと通った先生。逆に、たいしたことでもない知識を大仰にひけらかし、知ったかぶりをして自分の虚栄にばかり走るような先生、忙しぶって何でも自分ひとりでやっているふりをしながら、ほんとうは自分の体面しか考えていないような先生は、ダメということでした。
小夜――ダラシなく甘やかすばかりの先生、子どもを理解しているようなポーズをとって、ずかずかそのこころに深入りしてくる先生、そういうタイプも嫌われました。とにかく、子どもって、いつも、先生にせよ親にせよ、本気になって自分のほうを向いていてくれるかどうか、自分のことを近くから本当の愛情をもって見ていてくれているかどうか、そのことにすごく敏感なんですよね。
がの――ほらほら、そんなところから、この『チップス先生 さようなら』がたくさんの人たちに読まれてきたわけが見えてきたじゃないですか。たしかに、平凡です、とりたてて優秀なところなんてない、ついに校長先生にもなれないまま終わる、ちょっとダラシない、風采もあがらない先生ですが、そんななかにもキリリとしたたたずまいがあり、三世代にもわたってみんなから慕われ、愛されてきた、そのわけが。
小夜――小夜が驚いたのは、退職して十年以上になり、老いてからだが動かなくなっていても、卒業していった何千人もの生徒の顔と名前をきちんと憶えていること。これって、すごいと思う。寮生活の、食べるのも寝起きするのもいっしょという教育のスタイルがそうさせるということもあるでしょうが、本気で、ゆるぎない信念で、一人ひとりの生徒と向き合い、教育というリンクで真剣に格闘し通した人でした。
がの――教育といいますがね、彼が子どもたちに伝えたのは、授業で担当したラテン語のことではなく、端的に言えば、礼儀と規律ですよね。ちょっと古い観念といわれるかもしれません。でも、時代に取り残されそうになりながらも、生徒一人ひとりが自分のアイデンティティを形成すべき根拠地、守りぬくべき伝統の意味、モラルの重要さを、この先生は徹底的に語りつづけました。それに、注意しておきたいのは、イギリスという国はほかでは信じられないくらい伝統を重んじる国だということね。
小夜――堅苦しいばかりでなく、よくシャレをいう人でもありました。生徒たちも、こんどはチップス先生がどんなシャレを飛ばすか、たのしみにしていたじゃありませんか。そして、ものごとのおかしさを決して見逃さないセンスをもった人。納得できないことがあればどこまでも追いつめて…。
がの――風体からして滑稽でしたね。古ぼけてボロボロになった教師服(ガウン)を着て、いまにも躓きそうな危なっかしい歩き方。鉄のフチの眼鏡をかけ、その眼鏡ごしにやさしい眼を向ける。話し方にもどこかおどけたようなところがあって…。
小夜――自然のままで、気取りや見栄というものを知らない人、野心や欲望とは無縁の人、何ごとにもなりふりかまわず一所懸命にぶち当たる人でした。

あざなえる縄/人柄を変えるもの
がの――一人の古風な教師の生涯の断片をていねいにつなぎ合わせて構成したような作品で、落ち着いた、恬淡な味で語られています。しかし、まったくドラマがないわけではありませんよ。抑えのきいた、まるでうす墨で描いたような画面に、いくつかの動きあざやかな線、印象的なドラマが描きこまれています。まわりが抑えられていますので、そこがよけいに鋭く生き、効果的にキワだって見えます。
小夜――先生は46歳のとき、キャサリンさんという25歳のすてきな女性と湖水地方のグレート・ゲイブル山で出会い、ひょんなことから恋をし、結婚します。おとうさん、この二人、考えられないような取り合わせだとは思いませんか。だって、男子校の舎監として子どもに伝統を語り、規律ばかりをいう、古くさく、おもしろ味のない、パッとしない男の人と、一方、女の人のほうは、それとは対照的に、若々しい理想に燃える、当世型のリベラリストですよ。
がの――そうそう。バツグンに聡明な、意識の高いひとで、イプセンを崇拝しているとありましたね。きっとこのキャサリンさん、女性の自立を宣言する『人形の家』や『ヘッダガブラ』などをしっかり読んでいたんでしょうね。ある日、決然と夫を捨て三人の子どもをすて、人形である自分を捨ててほんとうの自分を求めて家を出るノラのことは、先月の読書会でみなさんと読んだばかり。
小夜――女性の選挙権獲得の運動をしていたともありましたね、キャサリンさんは。ところで、おとうさん、男のひとって、すてきな女性に出会うと、あんなにコロッと性格まで変わってしまうものでしょうか。
がの――さすがのカタブツ先生もコロリと人柄が変わりましたね。包容力が出て柔軟になり、生徒とのコミュニケーションのとり方もたいへんじょうずになります。それにより、ウサンくさく、とりつきにくかった先生が、とたんに多くの生徒の信頼を得て慕われる存在に変貌します。でも、本質的な部分は変わっていませんよ。
小夜――教師の妻となったキャサリンさんの、ハツラツとした行動力が魅力的でした。伝統にしばられた学校に新しい風を送り、次つぎに旋風を巻き起こします。貧民街にある慈善学校の生徒を招いてサッカーの対抗試合をおこないましたね。良家の子弟を貧民窟の子どもたちに混じり合わせるなど、当時の常識ではとんでもないことでした。
がの――キャサリンさんに後押しされて明るい性格を取りもどしたチップス先生。しかし、充実した幸せな結婚生活は、2年あまりでプツリと断ち切られます。この世に生まれ出ようとする小さな命とともに、生徒や教師たちみんなに愛されたこのキャサリンさんは、あっけなく遠い世界の人となってしまいます。
小夜――天から降ったようなきらめきをもつ人でしたから、悲しいわ。ここは、すごくあざやかな印象を刻む描写でしたね。さらりとした淡彩画のようなストーリィの流れできていましたから。

人生をどう終える?
がの――老人のように気力を喪くした茫然自失の日々のなか、学校のおつとめはつづけられます。時代は、戦争へ、戦争へと、傾斜を急にしていきます。
小夜――軍人出身の若い校長先生が赴任してきて、能率をいい、経済性をいい、バリバリと学校の伝統を壊そうとします。そして、チップス先生の教授法は古くて時代に合わないと批判し、退職勧告をします。
がの――もう60歳になっていたこともありますけどね。しかし、毅然たる態度で校長先生の方針に抵抗します。そのはげしい言い争いを耳にした生徒からパッと噂は広まり、生徒、その親たち、理事会がこぞってチップス先生を擁護して立ち上がりますね。
小夜――感動的でした!
がの――その校長先生は追い出され、チップス先生は残りますが、そのあと65歳になって気管支炎を患ったのを機に、辞職を決意します。42年におよぶ教師生活に自分の手で幕をおろします。
小夜――学校を辞めても、学校とは道ひとつを隔てたところの家を借りて住みます。生涯を傾けた学校への思いの強さでしょうか。暖炉の前のイスに身をあずけて、たのしい数かずの思い出に浸りながら、新しい生徒たち、教師たちの往き来をずうーっと見守っています。ときには、新入生をお茶に招いて話をしたり、教師といっしょに食事をしたりも…。
がの――卒業生たち、若い教師たちが次つぎに戦場に駆り出されていき、死んで帰ってきます。乞われて再び学校に出るようになりますが、礼拝のときに校友戦死者の名を読み上げる役割を買って出ます。その声は震えてかすれ、なかなかことばになりません。
小夜――戦死者一人ひとりについての深い思い出が、先生の胸のなかにはくっきりと生きていますのでね。こんなイタズラをした子だった、あんなバツを与えた子だった、と。
がの――それでも、幸せそうな最期だったじゃないですか。朦朧とした意識のなかで、大団円のハーモニーを歌いあげる何千人もの大合唱、男の子ばかりの声がうずをなすのを、うつろに聞きながら、静かに最後の眠りにつきました。
小夜――よかった! むずかしい本でしたけれど、おとうさんとおはなしするうち、この作家がこの作品にこめた主張がスッキリ見えてきました。それに、おとうさん、なんだかとても羨ましそう。そんなにパッとした人生ではなかったかもしれませんが、質素で欲なく、時流に媚びない生き方、やはり、自分の信念に忠実に生きた人の、すてきな一生だったといえますね。
がの――そうかな。才うすく、運もツキもないおとうさんの小さな生き方にちょっとだけ通じるところがあるかな、遠くおよばないことばかりだけど。

     転記スミ⇒〔小夜 & GANO トーク=4〕/画像2点削除
Re:★理想の教師像を求めて、『チップス先生 さようなら』(03月19日)
dorothyさん (2006年03月20日 07時39分)

『チップス先生 さようなら』は、高校生の頃、
まず英語の副読本で読み、その後、日本語訳の
ものを読みました。
確かに、どこか、私のイメージのがのさんに
通じるところを感じています。

がのさんと小夜ちゃんの会話には、私の心に
鋭く突き刺さる部分もあり、それこそが、私が
今、強く反省しなければならないことへの指摘だ
な、と改めて感慨深く読みました。

きれいな花の写真を見つつ、美しい言葉に触れ、
とても心豊かになりました。
Re:Re:★理想の教師像を求めて、『チップス先生 さようなら』(03月19日)
がのさん (2006年03月21日 00時52分)

ドロシーさん

>>『チップス先生 さようなら』は、高校生の頃、まず英語の副読本
で読み、その後、日本語訳のものを読みました。確かに、どこか、私の
イメージのがのさんに通じるところを感じています。

★…そうですか。わたしのイメージですか。なるほど、そう云われてみ
れば、わたしの好みのタイプというか、わたしに似たところがたくさん
ありますね。とりたてて優れたところがあるでもなく、ただ頑固な一徹
もので、風体パッとせず、なりふりかまわず、風采あがらず、貧乏たら
しく、古くさく、そのくせ好悪はげしく、いつも躓きそうな危なっかし
さがあり…。ラボをずうーっと以前に辞めていながら、何のトクもない
のにまだこうやってぶらさがっているところも。
 でも、こんなわたしでも、キャサリンさんのような美しい天使、理想
の女性に出会ったら、クルリ、一変! 見違えるようなダンディになっ
ていたかもしれませんよ。事実は、見栄も野望もなく、ただ磊落に、お
だやかに生きているだけの人間。何に恵まれなかったかといえば、わた
しを変えてしまうような、そういう女性にめぐり逢えなかったというこ
とでしょうかね。

>がのさんと小夜ちゃんの会話には、私の心に鋭く突き刺さる部分もあ
り、それこそが、私が今、強く反省しなければならないことへの指摘だ
な、と改めて感慨深く読みました。きれいな花の写真を見つつ、美しい
言葉に触れ、とても心豊かになりました。

★…ドロシーさんをあげて批判しようというつもりは毛頭ございません
が、そこを感じ取っていただけましたら、わたしとしては十分です。教
師のあり方であり、子どもと向き合うおとなのあり方であり、なかんず
くラボっ子とともに歩むテューターのあり方を問うものとして読んでい
ただけましたら、本望です。時代おくれの野暮ったい視座に立っている
ことは承知のうえですが。
Re:★理想の教師像を求めて、『チップス先生 さようなら』(03月19日)
Play with meさん (2006年03月21日 01時15分)

小夜ちゃんお久しぶりです。
がの父さんとともに読書会に行ってきたんですね。
記憶に残る先生・・・いろいろありますね。
正面からきっちりと向き合ってくださった先生。
猫かわいがりの先生。
全く記憶に残っていない先生。
正義感にもえている教育実習時代に処世術的なことばをかけてもらって
嫌悪を感じた先生。
・・・などなど

「テューターとしていかにラボッ子と向き合うか」考えさせられまし
た。正直、華やかさに程遠いテューターであるわが身を振り返って、な
んだか応援歌のように思えました。

また、読んでみますね。
小夜ちゃんとGANOさんのトークで関心がむくむくわいてきました。
そんなに忙しくもないのに自分をいたわる気持ちを少し忘れていたよう
です。
心のゆとりを思い出させていただいたトークでした。
ありがとうございます。
Re:Re:★理想の教師像を求めて、『チップス先生 さようなら』(03月19日)
がのさん (2006年03月21日 22時33分)

Play with meさん【その1】

>小夜ちゃんお久しぶりです。がの父さんとともに読書会に行ってきた
んですね。
⇒こんばんは、PWMせんせい。お変わりありませんでしたか。きょうは、
首都圏支部の「国際交流のつどい」に招かれて日比谷公会堂へ行ってま
いりました。たくさんのおにいさん、おねえさんが夏にはまた海をわた
るのですね。終わったのが午後4時。それからおとうさんが次からつぎ
にいろいろなひととおはなしをしたり、そのあと、また或る打合せをし
たりで、おうちに帰るのが今ごろになってしまいました。お昼ごはんも
食べたのか食べなかったのかよくわからないようなありさまで、もう、
おなかがぺこぺこ。
 “ふれあい読書会”には地域に住む人ならだれでも参加できるのです
よ。中高生のかたと地域の旧世代のかたがたとの、読書を介してのふれ
あいが趣旨ですので、小夜のような小さい子でもいいのです。でも、ち
ょっとむずかしいですから、小夜以外には小さい方はいません。中学生
が数名とあとの30名前後はみなさん中高年のかた、ほとんど50代、60代
のおばさまです。今年に入ってから読んだのは、リンドバーグ夫人の
「海からの贈物」、イプセンの「人形の家」、そして今回です。小夜に
はわからないことばかりですが、でも、なんだかとてもたのしいです。
みなさんが、物語のポイントを的確にとらえることができ、それをとて
もおじょうずにことばにできるのに、感心させられてしまいます。ハッ
と思いがけないことをおっしゃる方もいて、いつも話題が尽きません。

> 記憶に残る先生…。いろいろありますね。正面からきっちりと向き合
ってくださった先生。猫かわいがりの先生。全く記憶に残っていない先
生。正義感にもえている教育実習時代に処世術的なことばをかけてもら
って嫌悪を感じた先生、…などなど。
⇒叱られたこと、ほめられたこと、いろいろとりまぜて懐かしく思いだ
されることでしょう。まっ先に思い浮かぶ先生といったら、どうでしょ
うか、おとうさんがまとめていましたが、何かをいっしょに汗しながら
やった先生。【つづく】
Re:Re:★理想の教師像を求めて、『チップス先生 さようなら』(03月19日)
がのさん (2006年03月21日 22時35分)

Play with meさん 【その2】

たとえば、キャンプでいっしょに寝起きし、薪を拾ってきて火を起こ
し、いっしょに食事のための準備をし、食べて片づけて、夜の闇の怖さ
や、雨や風を必死になって耐える経験をともにしたり、あるいは、部活
で、死ぬ思いで頑張り、勝った・負けたでいっしょに笑い、いっしょに
泣きあった先生。
 ところで、こういう先生のイメージのそばにいるのがテューターとい
う人たちだとは思われませんか。テーマ活動というものを通じて、子ど
もたちとほんとうに向かい合い、ときには怒鳴りあい、ぶつかり合うこ
とをしている人たち。「英語の先生でございます」といった態度で、子
どもたちの意識と離れていたら、何もできないのがテューターのしごと
ということでしょうか。

> 「テューターとしていかにラボッ子と向き合うか」考えさせられまし
た。正直、華やかさに程遠いテューターであるわが身を振り返って、な
んだか応援歌のように思えました。
⇒ですから、テューターの華やかさなどはなにほどの意味もありませ
ん。風体からするとどうもパッとしないチップス先生が、年老いてなお
何千もの生徒一人ひとりのことをよく憶えているのは、その一人ひとり
との具体的な深い関わりであり、ほんとうに子どもと向き合うことなし
には考えられない皮膚をすりあった感覚によるものであるように、テュ
ーターのあり方もそれに近いように思うのですけれど。お化粧じょうず
がいいテューターだ、社交的で口達者な人がすぐれたテューターだ、有
名大学を出た人がテューターとしてふさわしい、などと思う人はどこに
もいないだろうと思います。その点、PWMせんせいが長い時間のなかで地
道につくってきたラボの世界、地域に堅実に築いてきたたのしい空間を
もって、多くの人たちが信用し、尊敬し、頼りに思っておられるから、
支部の代表に推してくださっているわけで、これがPWMせんせいの応援歌
だなんてとてもとても。恥ずかしいですよ。

> また、読んでみますね。小夜ちゃんとGANOさんのトークで関心が
むくむくわいてきました。心のゆとりを思い出させていただいたトーク
でした。
⇒お読みになって、また小夜にもいろいろお教えください。
Re:Re:Re:★理想の教師像を求めて、『チップス先生 さようなら』(03月19日)
dorothyさん (2006年03月23日 05時52分)

がのさん

★…そうですか。わたしのイメージですか。なるほど、そう云われてみ
れば、わたしの好みのタイプというか、わたしに似たところがたくさん
ありますね。とりたてて優れたところがあるでもなく、ただ頑固な一徹
もので、風体パッとせず、なりふりかまわず、風采あがらず、貧乏たら
しく、古くさく、そのくせ好悪はげしく、いつも躓きそうな危なっかし
さがあり…。ラボをずうーっと以前に辞めていながら、何のトクもない
のにまだこうやってぶらさがっているところも。
 でも、こんなわたしでも、キャサリンさんのような美しい天使、理想
の女性に出会ったら、クルリ、一変! 見違えるようなダンディになっ
ていたかもしれませんよ。事実は、見栄も野望もなく、ただ磊落に、お
だやかに生きているだけの人間。何に恵まれなかったかといえば、わた
しを変えてしまうような、そういう女性にめぐり逢えなかったというこ
とでしょうかね。

大分言葉が足りなかったようです。
キャサリンに出会ったあとのチップス先生のイメージです。
奥様や、がのさんをとりまくすべてがキャサリンではないでしょうか?
そして、心ときめかせるオードリーも。

鎌倉はすっかり春なのでしょうね。
Re:Re:Re:Re:★理想の教師像を求めて、『チップス先生 さようなら』(03月19日)
がのさん (2006年03月23日 10時45分)

ドロシーさん

>大分言葉が足りなかったようです。キャサリンに出会ったあとのチッ
プス先生のイメージです。奥様や、がのさんをとりまくすべてがキャサ
リンではないでしょうか?そして、心ときめかせるオードリーも。

⇒ハッハッハ。気を遣ってくださり、ドーモ。でも、そりゃあ、ムリち
ゅうもんでしょう、キャサリンさんやオードリーを○○と重ねて考える
なんてことは。いいんです、いいんです、人生、いいこともあれば悪い
こともある。いや、悪いこと、ハズレクジのことのほうがずっとずっと
多いのがツネちゅうもんで、その点、チップス先生は、どうしてどうし
て、恵まれた幸せもんですよ、たとえボロボロのガウンばかり着ていた
としても、すくなくとも1回は、ドンピシャの大当たりクジを引き当て
ているのですから。
視力が落ち、目薬を差し差し読書しなければならなくなっても、…春の
黄禍に悩まされ、あまり外出も出来ず、不快と欲求不満のダルマさんに
なっていても、…観たいもの、行きたいところがいくらあっても、旅行
するおかねがなくじっとしているしかなくても、すべてはわが身の不明
に帰するわけで、もう、その現実を受け入れるしかありません。あ~
あ、ゴメンナサイ、神さま、せっかくこの世に降ろしてもらったのに、
こんなみっともない、役立たずの生き方しかできなくって。
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