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★狂言「柿山伏」に、“笑い”の真髄と日本人に特異な感性を尋ねる 10月06日 (金)
 昨年のことだったでしょうか、「笑い」をテーマにラボ・ライブラリーが制作されたと聞きました。幸せを招く「笑い」。さて、みなさん、それを機にどこまで「笑い」をきわめたでしょうか。
 そんな動きのなかで、ずっと以前からラボのみなさんの前に用意されている狂言――、もっとも純良に洗練され、われわれの生理にもっともプリミティブな「笑い」として日本の伝統のなかに生きているこの芸能を、みなさんがどう意識され、どう捉えたか、わたしはいささか気になっていまして…。以前にも書いたことがありますが―「古典芸能〔1〕の(2))参照―candyさんの日記“十五夜狂言”に触発され、ふたたび思いつくまま書いてみたいと思います。


〔To: candyさん/すこし加筆して再録させていただきます〕
 昨日、10月4日、大蔵流狂言を観てきました。
 山本東次郎さん一門によるもので、「柿山伏」「水掛聟」「東西迷(どちはぐれ)」の三番。いやいや、久しぶりに笑いました、笑わせてもらいました! 
 ラボのみなさんには馴染み深い「柿山伏」ですが、今回は、室町時代におこなわれていた狂言のおもかげをとどめる、もっとも古いテクスト、天正本(てんしょうぼん)の「柿くい山伏」にもとづいて演じられました。いくつかの点で違っていて、そこが最高におもしろい。たとえば、最後のところ。ラボのほうでは山伏を打ち倒してあっさりと入り留めになりますが、山伏の祈り伏しの法力にひっかかったようなふりをして、よろよろ、よろよろとあとじさりをする耕作人の思わせぶりなさま。柿の木から落ち、腰を打って動けないでいる山伏が、拙者は尊ばれるべき山伏だぞ、屋敷につれて行ってちゃんと看病せい、というわけですが、山伏をおんぶした耕作人の柿主、途中まで来てしたたかに山伏を放り投げ、さっさと去って行きます。ラボのほうでは、「赦してくれい、赦してくれい」と逃げていくのは柿盗人の山伏で、耕作人が「やるまいぞ、やるまいぞ」とあとを追うかたちになっていましたね。
 なぶられて、カラス、サル、トンビの物まねをする山伏。しかしテクストの中には、タヌキやヘビ(くちなわ)を登場させるものもあるらしい。鳴くことをしないヘビをあの空間でどう演じるのでしょうねぇ。それも見てみたい。山伏とトンビと天狗のあいだにつながる古い習俗の観念(山伏が修行に修行を重ね、劫を経ると、末は天狗になりトンビになる、と信じられていた)についても、今後、研究してみたいし、「柿山伏」の話の原典を、日本の古典――「今昔物語」や「宇治拾遺物語」あたりから探ってみたいと思っています。
 わたしにとって、狂言のおもしろさのひとつに、ふだん何気なく口にしていることばがヒョイ、ヒョイと飛び出してくることがあります。今回見た「東西迷(どちはぐれ)」のなかでは、一休禅師のことばとされ、わたしがいつもわが身の不明を侘び、韜晦していうことば「へつらひて 楽しきよりも へつらはで 貧しき身こそ こころ安けれ」とか、一遍上人の「のこりゐて むかしをいまと かたるべき こころのはてを 知る人ぞなき」といったことばが聞かれ、したり! という次第。
 とっても楽しかったです。〔2006.10.05〕
                ☆
 ラボのテクストとのちがいで、もうひとつ大きな点は、耕作人になぶられるまま、新米の山伏が真似る生きもの。サルと最後のトンビは共通していますが、ラボのほうがイヌ(鳴き声:びょう、びょう、びょう)に対して、今回見たものではカラス(鳴き声:コカア、コカア、コカア)が登場していること。そして、耕作人の脅しですが、ラボのほうは、ことばによるからかいで済ましているのに対し、今回見たものは、カラスには弓、サルには槍、トンビには鉄砲を向けるとして、ぐっとリアルです。そのことには、わたしはちょっと違和感を覚えました。ラボのテクストでは「おのれ飛ばずば鉄砲を持って来い、撃ち殺してのけうぞ」、今回見たものもほぼ同じ。室町の時代にあった鉄砲、しかもそこらの田夫がもつほどの鉄砲とはどんなものだったろうか、と。それに、サルの身ぜせり――手の指先でからだじゅうのあちこちを掻くしぐさ――が強調されていたことも目につきました。
 生きものそれぞれのオノマトペがおもしろい。カラスは「コカア、コカア」と鳴きますが、江戸時代の笑話集でも、カラスは「子かぁ」と鳴きなしているのが見られますね。「かうたか」=買ったか、と聞きなしている人も。それに対して、トンビのほうは、「ひいろた」=拾った、だそうで、買った、拾ったといってオノマトペをおもしろがったのは、狂言のなかだけでなく、中世びとにはごく一般的だったと考えられます。
 どうやら、物まねが多く、そこが見どころになっているこの「柿山伏」は、童話的で、狂言を目ざす人の稽古用の曲だったと思われます。それにつけても、なぜ山伏は、狂言の世界ではこれほどまでにからかいの対象にされるのでしょうかねぇ。ほかにもたくさんありますよ、山伏がめちゃくちゃになぶられる狂言が。
 蛇足になりますが、柿の木について。わたしたちが目にする、いま栽培されている柿の木は、あまり丈が高くないですね。手を伸ばせば実が獲れる程度。せいぜい脚立があれば間に合います。ここから落ちてもたいしたケガにはならないでしょうが、昔の柿の木はもっとずっと高かったろうことは、覚えておいていいのではないでしょうか。
                 ☆
 「柿山伏」の典拠となっていると思われる説話をひとつ見つけました。「宇治拾遺物語」にある「実ならぬ柿の木」がそれ。

 今は昔、延喜天皇(醍醐天皇)の御代に、五条の道祖神(さえのかみ)が鎮座されている所に、実のならぬ大きな柿の木があったが、その柿の木のうえに忽然と仏が現われなさるという事件があった。燦然(さんぜん)と光を放ち、さまざまな花などを降らし……

 ここでは天狗の失敗談がいろいろ書かれています。この話は、天狗が金色の仏に化して、京の五条の道祖神のところに生えた柿の木に現じ、さまざまな霊異を示していたというもの。ところが右大臣の源光がこれを見破り、弓で地に射落とします。

 あまりあまりにまもられて、しわびて、大きなる屎鵄の羽折れたる、土に落ちて、惑ひふためくを、童部ども寄り、撃ち殺しけり。〔宇治拾遺物語〕

 トンビ(屎鵄=しし、という漢字が当てられていますね)の翼が折れた状態になって土のうえにころがったところを、子どもたちがおもしろがって踏み殺した、といったすじだて。これが狂言につくりなされ、山伏が実のなっている柿の木のうえにのぼり、柿主に見つかってなぶられ、揚句にトンビとされて土に落ちる、というものにつくられた、と考えられます。
                 ☆
 道具だての何もない狂言は、candyさんもおっしゃるように、ラボのテーマ活動に通じるところがあります。必要以上の物質に囲まれ、それに迫られ、束縛され、いつも追いかけられているようなわたしたちの日々の生活。しかし、ここには何もない。いや、何もないという自由さがあります。圧倒的な自由と空白。何もないから、無限の可能性があり、どんな表現もゆるされるという世界。扇子一本で演じられる古典落語などの話芸もそうですね。
過剰を去った空間の気持ちよさ! 機会をとらえ、できるだけ能や狂言をご覧になって楽しまれることをお薦めしたいです。

★…画像1点削除 12.12 
Re:★狂言「柿山伏」に、“笑い”の真髄と日本人に特異な感性を尋ねる(10月06日)
candyさん (2006年10月06日 22時47分)

早速の「柿山伏」の詳しい解説、楽しく読ませていただきました。ますま
す、狂言に興味が湧いてきました。

「今昔物語」や「宇治拾遺物語」からの、お話も興味があります。
文庫でお楽しみ会に紙芝居や人形劇をするのに、奈良の昔話、特にこの
明日香辺りのお話を題材にと3年ほど前に色々調べたのですが、「雷の丘」
のお話だろうと思われるものを見つけて、脚本を考えなければ・・・と
思いつつそのままになっています。素人にはなかなか大変です。

そして、今日は「万葉の明日香路に月を見る会」があり、石舞台公園で、
猪熊兼勝氏の講演と和太鼓の演奏、八雲琴の演奏を聞いてきました。
台風の影響で朝からは雨だったので、中止かと思いましたが昼からは雨
が上がり開催されました。しかし、厚い雲がかかっていて、月は見るこ
とが出来ませんでした。しかし、公園の「風舞台」はススキで飾られ、か
がり火もセットされていて、いい雰囲気でしたよ。またまた、うらやま
しがらせるような事ですね。すみません!
Re:★狂言「柿山伏」に、“笑い”の真髄と日本人に特異な感性を尋ねる(10月06日)
dorothyさん (2006年10月07日 03時36分)

狂言も非常に興味のあるジャンルです。小・中学生のとき、
国語の教材に何点かの狂言がとりあげられました。また、
演劇鑑賞なるものが催され、音楽ホールのようなところに
行って何度か見たこともあります。どういった方々による
狂言だったのかは記憶にはありませんが、教材による予習
が行き届いていたためか、幼いながらも楽しめたことを
鮮明に思い出しました。

発声・発語法が全く違う欧米と日本の言語体系。
また、欧米の言語体系が主として8分の6拍子で
あるのに対して、日本語は4分の4または2分の2。
これは、狩猟民族対農耕民族の違いである、と
言われています。そういったもろもろを踏まえて、
西洋音楽(オペラなど)と日本古典芸能を鑑賞すると
また、楽しみもひとしおです。

【追記】
がのさんの川柳、拝読しておりました。また、
特に今回は、
◎ 誤解でも 言い訳するのは 虚しいし
これにとくに心ひかれました。

最近、とみに気になる誤用に「申し出る」があります。
で、川柳(になってないけれど)

「申し出る」 「申し付ける」の 誤りよ。
Re:Re:★狂言「柿山伏」に、“笑い”の真髄と日本人に特異な感性を尋ねる(10月06日)
がのさん (2006年10月08日 15時00分)

candyさん

「萬葉の明日香路に月を見る」会、名月の下での八雲琴の演奏――。
写真とともに雰囲気を味あわせていただきました。ほんとに、も~…。
恵まれてところにお住いですね。

 「雷の丘」という昔ばなしについては、存知ませんが、わたしの書棚
には、奈良新聞社から出ている「子供のための 大和の伝説」という一
冊があります。仲川明さんという人が書いておられます。たくさんのお
もしろい伝説・昔ばなしが眠っている土地がらのようですね、そちら
は。よく探したら、「雷の丘」もこの本のなかにあるかもしれません。
 1978年6月に読んだ、と印があり、おもしろかった、というほかには
もう完璧に忘れていますが、ひとつだけ忘れられないでいるものがあり
ます。それは、奈良市の「百萬辻子」(ひゃくまんずし)という、ごく短
い話。話が逸れるのですが、わたしが特に好きなお能の曲に「百萬」が
あります。「隅田川」という曲とともに、あまりにも哀しい“狂女も
の”なのですでして、喪ったわが子を恋い求めてさまよう女のせつない
業を描くもの。
 国立能楽堂で見た、目がさめるばかりの美しい舞台と、狂いの法悦の
なかで泣き倒れる舞いは、いまも目の奥に焼きついています。さらに
は、日本画の巨匠・故森田曠平さんの傑作絵とともに、それは忘れがた
い物語。
 たぶん、その「百萬」の典拠を探ろうということでどこかで手にいれ
たのがこの本だったかもしれません。いまでもあるのでしょうか、奈良
の開化天皇の御陵の西に「百萬辻子」といわれた町。春日の巫女だった
百萬は、ここに住んでいたとされます。艶やかな美しい女性です。
 巫女でありながらひとりの男の子をなしますが、西大寺の法要の際に
この子を連れて参詣したとき、おびただしい群集の中で子どもを見失っ
てしまいます。以来、悲しみのあまりこころを病み、子どもをもとめて
あちこちを彷徨、ついには京都・嵯峨野の清涼寺の大念仏会で親子の再
会をとげるという哀切きわまるストーリィ。
 奈良については、以前にも書きましたが、車酔いのみじめな最悪の修
学旅行のためぜんぜん知らないのですが、今辻子町(いまずしまち)の東
の、西照寺というところに百萬の塚とされる石塔があると聞いていま
す。ご存知でしたか。

★転記スミ 能「百萬」について ⇒古典芸能(2)
Re:Re:★狂言「柿山伏」に、“笑い”の真髄と日本人に特異な感性を尋ねる(10月06日)
がのさん (2006年10月08日 15時08分)

dorothyさん

> 狂言…。小・中学生のとき、国語の教材に何点かの狂言がとりあげ
られました。幼いながらも楽しめたことを鮮明に思い出しました。
 発声・発語法が全く違う欧米と日本の言語体系。西洋音楽(オペラな
ど)と日本古典芸能を鑑賞すると、また、楽しみもひとしおです。
          ----------------------------
 能・狂言の発声・発語の秘密も、魅力ですね。あんなよく通る声は、
わたしなんぞ、どうがんばっても出やしません。
 思うに、それはただに発声・発語技術の訓練による、というだけでな
く、能・狂言のことばがもともと持っているリズムに秘密があるように
思います。そのリズムをしっかりとらえられるかどうかがカギ。どうで
しょうか。それは、わたしたちの民族の生理にとって自然なことばで語
られている、ということ。かならずしも「きれいな」ことば、「上品
な」ことば、「典雅な」ことばというわけではありませんが、ひびきの
美しい自然なことば。

 dorothyさんは、おませにも、小中学校の国語教育のなかで、その狂言
にふれておいでとのこと。学校の程度の差でしょうか、世代の違いでし
ょうか、哀しいかな、わたしには、その時代、そんな機会はなかったで
す。
 いやいや、いっしょにこの狂言を観たご夫人によると、小学校5年生
の娘の国語の教科書に「柿山伏」が載っているとか。狂言としては初歩
的な作品とは思っても、ちょっと驚きましたね。ひょっとしたら、りん
ごちゃんの持っておられる教科書にも、載っているかもしれませんよ。

 小学校の国語教育のなかでこの伝統の古典芸能をどう紹介していくの
か、わかりませんが、子どもの醇乎としたこころ、みずみずしい感性
が、狂言のおおどかな笑いの世界に触れる意義は、たいへん大きいのか
もしれませんね。
Re:★狂言「柿山伏」に、“笑い”の真髄と日本人に特異な感性を尋ねる(10月06日)
Hiromi~さん (2006年10月09日 11時49分)

 上の写真いいですね。ヨーロッパでも北欧は又感じが違い訪ねてみた
い国です。ほんとにトロルがでそうです。

 狂言「柿山伏」今回の発表の候補でしたが、すでに1年以上前から取
り組んでエントリーするPがあることがわかり取りやめました。発刊当
時、「柿山伏」に取り組んで笑いということをべんきょうしました。実
際に狂言を見に行ったりしたものです。

 英語がとても簡単に思えて小学生でも英語で理解したものです。
「三本柱」も高大生かつどうで取り上げたり、テューター劇で取り上げ
たりしました。やはりあのライブラリーはすごかったです。

 それに引き換え、昨年の笑は何でしょう??「寿限無」のじゅの字も
聞こえてきません。

 今回の支部発表も新刊からエントリーなしでした。

 「幸福な王子」に取り組んでやはり、昔のライブラリーはすごいと改
めて思いました。SK3のシリーズはだるまちゃん、たろうの次の作品で
すよね。なぜか最近の発表は同じようなものが多く、比較的新しいテー
マが好まれるようです。私には良くわかりません。

 
Re:Re:★狂言「柿山伏」に、“笑い”の真髄と日本人に特異な感性を尋ねる(10月06日)
がのさん (2006年10月10日 00時11分)

Hiromi~さん

【その1】
> 狂言「柿山伏」今回の発表の候補でしたが、すでに1年以上前から
取り組んでエントリーするパーティがあることがわかり取りやめまし
た。発刊当時、「柿山伏」に取り組んで笑いということを勉強しまし
た。実際に狂言を見に行ったりしたものです。
今回の支部発表も、新刊からのエントリーはなしでした。
      ----------------------------
  狂言の笑い…、これは、いまテレビやラジオに氾濫している、程度
の低い笑いとはまったく別で、すばらしい日本固有の文化ですね。きわ
めて高度な言語遊戯です。こんな伝統をもっている国って、ほかにある
でしょうか。「柿山伏」については、ラボのものは別にしても、他の機
会に何度か見ており、そのおもしろさのポイントはよくわかっていまし
たが、ほかのものも、語り出したらきりがなくおかしく、腹部の筋肉が
痙攣するほど。涙をこぼしこぼし、笑ってしまいます。ひとが本然にも
つ怒りや惑い、疑い、欲望、妬み、恨み、弱み…といった感情が笑いの
なかでみごとに表現されていきます。おかしみのなかで人生のどうにも
ならない哀感がにじみ出てきます。去年、わたしはどこかで書きました
でしょうねぇ、「寝音曲」や「六地蔵」のこと。あるいはほかのホーム
ページのほうだったでしょうか。
  今回のなか、もうひとつ付言するなら、「水掛聟」。深刻な灌漑の
問題、農民の水争いが描かれていきますが、争っているのは、なんとま
あ、舅と娘聟。争いはどんどんエスカレートしていって、しまいには鍬
と鋤でめちゃくちゃな泥の掛けっこ、泥田での取っ組み合いにまでなり
ますが、ようやく仲裁に入るのが娘(嫁)。しかし、娘がどっちの肩をも
つかといえば、父親ではなく夫のほう。そのへんの微妙な人間関係の
味。コケにされた形の舅が投げかける負け惜しみのことばは、「来年か
ら村の祭りには呼んでやらないからなあ」という、ほろ苦いユーモア。
めずらしいですね、これほど農民の土のにおいを感じさせてくれる狂言
の曲は。
【つづく】
Re:Re:★狂言「柿山伏」に、“笑い”の真髄と日本人に特異な感性を尋ねる(10月06日)
がのさん (2006年10月10日 00時12分)

Hiromi~さん

【その2】
  生き生きとした人間がここにはいます、生き生きとした原寸大のわ
たしたちの生活があります。もうすぐするとこの「ひろば@」のサイトで
も見られますが、ハロウィンといえば右から左までうすっぺらな借り物
でつくるハロウィン、クリスマスといえばネコもシャクシもどっかから
持ってきたまがいものでつくるクリスマス。何の工夫もない、新しがり
やの自己満足。自分のすぐ身辺にある季節行事には目もくれないで、そ
っちばかりへつっ走るお調子ものの消費者たち。あふれかえるモノに踊
らされてホンモノが見えなくなっている人たち。せめて子どもたちとと
もに自分たちの手でつくることを楽しめばいいのに、みんなまがいもの
で間に合わせ、よかった、よかったというメデタサ。

  candyさんの、十五夜に因んでおこなわれた「萬葉の明日香路に月を
見る会」をめぐる日記に少しわたしの考えを書き込ませてもらいました
が、地方地方がもつ自分たちの固有の季節行事をもっと大事にしないと
いけないように思うのですが。借り物でない、自分たちのほんとうの美
しいことばが生まれるところがそこにあるからですね。「阿波おどり」
にラボがグループとして参加する活動が見られたようですし、長崎の
「おくんち祭り」にも、どういう形でか、参加したんでしょうかね。そ
んな活動もぼちぼち起こってはいるようではありますが。

  で、わたしは、この14、15日、上福岡の知り合いの招きで、1泊し
て「川越まつり」に行ってみたいと計画しています。いつでしたか、川
越の喜多院のことをお書きになっておいででしたよね。小江戸と呼ばれ
る川越の楽しみ方で、何か特別にご推薦いただけるようなことはありま
せんでしょうか。おいしい食べどころとか、見どころとか、土産品と
か。たいへんな人出になりそうで、それが困りものですけれど。
Re:Re:Re:★狂言「柿山伏」に、“笑い”の真髄と日本人に特異な感性を尋ねる(10月06日)
dorothyさん (2006年10月10日 05時20分)

がのさん
>dorothyさんは、おませにも、小中学校の国語教育のなかで、その狂言
にふれておいでとのこと。学校の程度の差でしょうか、世代の違いでし
ょうか、哀しいかな、わたしには、その時代、そんな機会はなかったで
す。

おそらく、私の学年を担当された先生の中に、古典芸能に
通暁な方がいらっしゃったのだと思います。先日、姉と
その話をしたところ、二人の姉は、どちらも、そういった
経験がない、と申しておりました。

>いやいや、いっしょにこの狂言を観たご夫人によると、小学校5年生
の娘の国語の教科書に「柿山伏」が載っているとか。狂言としては初歩
的な作品とは思っても、ちょっと驚きましたね。ひょっとしたら、りん
ごちゃんの持っておられる教科書にも、載っているかもしれませんよ。

残念ながら、りんごの教科書(小5)では扱われていないようです。
日本の古典芸能の面白さは、その独特の決まりを理解するところから
始まるように思います。能のお面にしても、歌舞伎の隈取にしても
それぞれに約束事があるから、体の動きを最低限にして表現しても
十分伝わってくるのだろう、と。

>小学校の国語教育のなかでこの伝統の古典芸能をどう紹介していくの
か、わかりませんが、子どもの醇乎としたこころ、みずみずしい感性
が、狂言のおおどかな笑いの世界に触れる意義は、たいへん大きいのか
もしれませんね。

そう思います。がのさんがおっしゃるように、発語のみならず
そのリズムやテンポでもって、遠くまで声が通る、というのも
伝統芸能にふれてはじめて感じるものだと思います。

以前、なにかの番組で、オペラ歌手の口の前にろうそくの火を
置いて歌ってもらったところ、全然消えないどころか、ほとんど
炎が揺れなかった、というのをやっていました。ついで、日本の
民謡歌手にも、同じようにやってもらったところ、こちらも
同じように炎が揺れていませんでした。西洋オペラと日本の
民謡、発声法は全く違うにも関わらず、遠くまで声を響かせる
ための技法は同じなのだな、と感心したのを今、思い出しました。
Re:Re:Re:★狂言「柿山伏」に、“笑い”の真髄と日本人に特異な感性を尋ねる(10月06日)
Hiromi~さん (2006年10月10日 14時02分)

がのさん
>Hiromi~さん

【何の工夫もない、新しがり
やの自己満足。自分のすぐ身辺にある季節行事には目もくれないで、そ
っちばかりへつっ走るお調子ものの消費者たち。。

  地方地方がもつ自分たちの固有の季節行事をもっと大事にしないと
いけないように思うのですが。借り物でない・・

=>テューターさんたちもハローインにイースターにと行事でラボを楽
しんでいますね。私のような年代はせいぜい一年の終わりのクリスマス
交流会しか出来ません。行事におわれて本当のラボが出来ないと思いま
すが・・・。
 で、わたしは、この14、15日、上福岡の知り合いの招きで、1泊し
て「川越まつり」に行ってみたいと計画しています。いつでしたか、川
越の喜多院のことをお書きになっておいででしたよね。小江戸と呼ばれ
る川越の楽しみ方で、何か特別にご推薦いただけるようなことはありま
せんでしょうか。おいしい食べどころとか、見どころとか、土産品と
か。たいへんな人出になりそうで、それが困りものですけれど。
=>川越祭りは大変な人出のようです。毎年行ってみようかと思います
がまだ一度も行ってません。「小江戸川越」は魅力ある街です。最近宣
伝もしているのか日曜などけっこうな人出です。喜多院は是非お勧めで
す。春日の局部屋とか、宝物殿はすごいと思います。
あと500羅漢さんも見ごたえがあります。菊祭りはまだ早いでしょうか?
7,5,3頃が良かったように記憶しています。

 後は街並みをぶらしながら「菓子屋横丁」まで足を伸ばすと、昔懐か
しいおもちゃや、お菓子が並んでいます。アメリカへホームステイのと
きはみんなここでお土産を買います。
 先日パリへも孫の誕生会にお友達がたくさん来るというのででっさり
昔懐かしいおもちゃなど送りました。
Re:Re:Re:Re:★狂言「柿山伏」に、“笑い”の真髄と日本人に特異な感性を尋ねる(10月06日)
がのさん (2006年10月10日 22時11分)

dorothyさん

【その1】
> がのさんがおっしゃるように、発語のみならず、そのリズムやテン
ポでもって、遠くまで声が通る、というのも、伝統芸能にふれてはじめ
て感じるものだと思います。
 以前、オペラ歌手の口の前にろうそくの灯を置いて歌ってもらったと
ころ、全然消えないどころか、ほとんど炎が揺れなかった、というのを
やっていました。ついで、日本の民謡歌手にも、同じようにやってもら
ったところ、こちらも同じように炎が揺れていませんでした。西洋オペ
ラと日本の民謡、発声法は全く違うにも関わらず、遠くまで声を響かせ
るための技法は同じなのだな、と感心したのを今、思い出しました。
     ----------------------------
 ほ~ぉ、オペラ歌手も民謡歌手も、ですか。おもしろい話ですねぇ。
それ、わかるような気がします。

 東京郊外で歯医者をやっている親戚筋のものがおります。ここにかつ
て、美しい母とそのお嬢さんが患者として通ってきていました。ところ
が、しばらくお嬢さん、すがたを見せません。で、2年余ぶりにイタリ
アから帰国、二期会から派遣されてイタリアで本場のオペラを勉強して
帰ってきたとのこと。以来、プリマとして第一線で堂々たる活躍、たい
へん注目され、期待されました。大柄で、しかも優雅で、上品な美しさ
があり、声量もゆたか。オペラのために生まれてきたような女性でし
た。お母さんにとってもたいへんご自慢の娘さんで、公演のたびにチケ
ットをくださり(歯医者がおつきあいで買ったものをわたしどもに分けて
くれたのかな?)、わが国のトップクラスのオペラにその都度接する機会
に恵まれました。
 きわだった実力をみせ、いま人気の佐藤しのぶさん、塩田美奈子さん
もぜんぜん及ばない舞台を見せていました。オペラに親しい人でした
ら、すぐその名が想い浮かぶことでしょう。はい、M.Yです。背丈で云っ
たら、わたしよりたぶん10センチくらい高かったでしょうか。まさにプ
リマドンナ、舞台映えはピカイチでした。
 あいさつ程度ではありますが、わたしも何度か話を交わしたことがあ
ります(ええ、胸をドキドキさせながら)。ですけど、あの朗々たる歌の
声とはまったく裏はらに、なんとまあ、おだやかな、かわいい声をだす
こと! 【つづく】
Re:Re:Re:Re:★狂言「柿山伏」に、“笑い”の真髄と日本人に特異な感性を尋ねる(10月06日)
がのさん (2006年10月10日 22時16分)

dorothyさん

【その2】
 気持ちのよい澄んだ声ではありますが、恥らっている少女のような、
むしろ聞き取りにくい声。とても舞台のまん中で、他を圧する歌声を聞
かせる人と同じには思えないほどでした。歌うときの発声法とふだんの
会話とは、ぜんぜん違うのでしょうね。

 3~4年ほどはほんとうに華々しいプリマとしての活躍をしておりま
した。ところが、あるとき、NHKと衝突したという噂を耳にしました。詳
しい事情はわかりませんが。さらには結婚し子どもが生まれたとも聞
き、それを機に、周囲の惜しむ声をよそにその世界からスッパリと身を
退いたそうです。わたしもそれ以来、オペラの公演で彼女のすがたを見
ることはありませんでした。
 狂言の話題とは離れましたが、発声法の秘密ということで、そんなこ
とを思い出しました。
Re:Re:Re:Re:★狂言「柿山伏」に、“笑い”の真髄と日本人に特異な感性を尋ねる(10月06日)
がのさん (2006年10月10日 22時42分)

Hiromi~さん

> 「小江戸川越」は魅力ある街です。最近宣伝もしているのか、日曜
などけっこうな人出です。喜多院は是非お勧めです。春日の局の部屋と
か、宝物殿はすごいと思います。あと五百羅漢さんも見ごたえがありま
す。
 後は街並みをぶらぶらしながら「菓子屋横丁」まで足を伸ばすと、昔
懐かしいおもちゃや、お菓子が並んでいます。
     ----------------------------
 ありがとうございます。 
 川越まつりは350年余の伝統をもつ祭りで、国指定の文化財になってい
るとか。祭りにくりだす10台の山車は、大正時代以前のものだそうです
ね。
 喜多院は、どういう所縁をもつのか、春日の局と結ぶところがあると
の様子。家光の乳母役のお福さんですよね。明智光秀につながるところ
があり、岐阜城の斎藤道三の筋をひく女性が、どうして川越に…。行っ
てみればわかるということでしょうか。
 川越を象徴するのは、寛永年間につくられ、今も鳴りつづける「時の
鐘」でしょうか。人の波でゆっくり見ているわけにはいかないのでしょ
うが、楽しみにしております。
 こんなのんびりした“幸福な”話とは別に、Hiromi~さんのところで
は、その日、いよいよ「幸福な王子」の支部発表ですね。どうぞ、いい
発表になりますよう、念じております。
Re:Re:Re:Re:Re:★狂言「柿山伏」に、“笑い”の真髄と日本人に特異な感性を尋ねる(10月06日)
dorothyさん (2006年10月20日 12時07分)

がのさん

オペラには大変興味があり、当地にての公演が
あると、りんごを連れて最上階で見ております。

>3~4年ほどはほんとうに華々しいプリマとしての活躍をしておりま
した。ところが、あるとき、NHKと衝突したという噂を耳にしました。詳
しい事情はわかりませんが。さらには結婚し子どもが生まれたとも聞
き、それを機に、周囲の惜しむ声をよそにその世界からスッパリと身を
退いたそうです。わたしもそれ以来、オペラの公演で彼女のすがたを見
ることはありませんでした。

あの方のことかな?と思い当たるプリマがいます。

私も知り合いにオペラ歌手がいますが(でも現在二期会
会員ではないようです。ニューイヤーオペラコンサート
にも何度か出たのですが)、その方は普段のつぶやきも
とても響いていました。
地方コンクールは、出演すると確実に1位。高2で
全国コンクール2位になるなど、輝かしい成績で
芸大にいらっしゃったのです。あれほどの声量と技量を
もってすら、日本国内レベルのトッププリマには
なれないのだとしたら、世界的なプリマの技量を
想像することすらできません。

・・・私のほうも、随分内容がそれましたね。

ところで、山車の写真、楽しませていただきました。
きれいですね。随分勇壮・華麗な祭りのようですね。
Re:Re:Re:Re:Re:Re:★狂言「柿山伏」に、“笑い”の真髄と日本人に特異な感性を尋ねる(10月06日)
がのさん (2006年10月20日 23時59分)

dorothyさん

【その1】
>オペラには大変興味があり、当地にての公演があると、りんごを連れ
て最上階で見ております。
 ⇒ そうですか、オペラに映画に、じょうずに時間をお使いですね。
歌唱のほうはなさいませんか。先日、NHKで全国合唱コンクールをや
っていたようですね。家内が2日にわたってずっとテレビにかじりつい
ていましたが、たまたまひょいとわたしが見たとき、郡山市安積中
(小?)学校という名が出ていて、もしかするとりんごちゃんの通ってい
る学校かな、なんて思ったんですよ。音楽教育に熱心な土地柄なんでし
ょうかね、そちら。
 わたしは、このところしばらくご無沙汰ですが、近くの中型音楽ホー
ル(フィリア・ホール)に錦織健と塩田美奈子さんがときどき来て公演す
るので、以前はよく行って聞きました。おしゃべりも織り込んで、たの
しかったですよ。(このホールで近づきになり、しばらく追っかけをやっ
ていたのがバイオリンの千住真理子さん。彼女にもこのところすっかり
ご無沙汰ですが)

あの方のことかな? と思い当たるプリマがいます。
⇒ M.Yさんのほうは格段に本格的でして、いつも大舞台での、80人
~100人にもおよぶ大編成のオペラでした。おかげで十数回、見させても
らう幸運にあずかりました。「ふしぎの国のアリス」以来のおつきあい
になる一柳慧さんですが、そのオペラ「モモ」に出してもらってたらど
うですか、と勝手なことを云った記憶も。どだい無茶な注文で、それは
実現しませんでしたが。何かのときに撮った彼女の顔写真があるはず。
差し障りがあるといけませんから、こっそり内緒でメールのほうでお見
せしますね。
【つづく】 
Re:Re:Re:Re:Re:Re:★狂言「柿山伏」に、“笑い”の真髄と日本人に特異な感性を尋ねる(10月06日)
がのさん (2006年10月21日 00時08分)

dorothyさん

【その2】
>ところで、山車の写真、楽しませていただきました。きれいですね。
随分勇壮・華麗な祭りのようですね。

 ⇒ ネコもシャクシもハロウィンだ、イースターだ、クリスマスだ…
と、なんの工夫もなく、似合いもしない借り物のうすっぺらな衣裳をつ
けて自己満足している人たちを揶揄し、自分のところの季節行事をもっ
と大事にせよ、借り物でないほんとうのことばはそういうところにしか
ないよ、と生意気げに方々に云いまわったものですから、その手前、わ
たしもちゃんと秋の行事を見ておかないといけないと思いまして…。え
え、日本人の血が騒ぎますね、あの笛の音、太鼓のひびき、鉦の音。

 でも、ほんとうのことを白状すれば、あんなおしくらまんじゅうはか
なわないし、そういうものよりは、すばらしい季節でもありますし、静
かな寺院の、小堀遠州がつくった枯山水書院式曲水の庭園といったよう
ななかでボーッとしているほうがわたしの性には合っているのですが。
そうそう、五百羅漢さんの一つひとつの表情を楽しんでいる時間のほう
が、ほんとうは好きなのですが。ええ、いましたよ、dorothyさんによく
似た羅漢さんも。
Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:★狂言「柿山伏」に、“笑い”の真髄と日本人に特異な感性を尋ねる(10月06日)
dorothyさん (2006年10月23日 09時06分)

がのさん
>でも、ほんとうのことを白状すれば、あんなおしくらまんじゅうはか
なわないし、そういうものよりは、すばらしい季節でもありますし、静
かな寺院の、小堀遠州がつくった枯山水書院式曲水の庭園といったよう
ななかでボーッとしているほうがわたしの性には合っているのですが。
そうそう、五百羅漢さんの一つひとつの表情を楽しんでいる時間のほう
が、ほんとうは好きなのですが。ええ、いましたよ、dorothyさんによく
似た羅漢さんも。

遠州流から分かれた小さな流派で華道を習いました。
山野に分け入り樹木の自由なうねりをいただいてきては
それを小さな水盤に表現する流儀で、姉はかなり上達
しましたが、元来が静かな私!中級にはいった段階で
結婚・引越しを期にやめてしまいました。

五百羅漢さんは、実際にじっくり見ると自分にそっくりな
像がある、と聞いたことがあります。きっと飛びぬけて
美しいのを「dorothyだ」と思ってくださったのだと
信じています。

さて、私は実を申すと一時期、オペラ歌手を目指し
かなり本格的な訓練を受けました。受験時期前に
のどを壊し、諦めました。が、先日書きましたように、
地元でどう見ても飛びぬけて才能・技量のある人が
ある一定の活動以降、鳴かず飛ばずの現実を見ると
諦めて正解だったな、と思います。夕食の支度などを
しながら思わずイタリア歌曲やベッリーニ歌曲を
鼻歌で口ずさんでいるのに気づき、苦笑いするときも
あります。娘とオペラを見に行けるようになって
感無量です。
Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:★狂言「柿山伏」に、“笑い”の真髄と日本人に特異な感性を尋ねる(10月06日)
がのさん (2006年10月23日 22時33分)

dorothyさん

>元来が静かな私! 結婚・引越しを期にやめてしまいました。

⇒静か、…ですか。遠州流華道に、オペラ、バレエ(えっ、これはちこた
んでしたっけ)…。
まさか民謡や謡曲、香道、日本舞踊までも…? 女のたしなみ、才媛で
あることのたしなみも、なかなかたいへんなことですね(お料理のほう
は?)。女は、とりわけいいところに育った女性は、いつも演じているこ
とを宿命づけられているようで、窮屈なことです。
 四国の清少納言、讃岐の和泉式部と呼ばれた人が、結婚と引越しを機
に「みちのくの聖子ちゃん」に変身、というわけ!? 「黄梁一炊の夢」
(コウリョウ一スイのユメ)、はたまた「邯鄲の夢」(カンタンのユメ)
か。いやいや、「人間(ジンカン)万事塞翁ガ馬」ともいいますから、希
望を捨てちゃいけませんよ。まだまだどう転ぶかわかりません。ご存知
という元プリマのM・Yさんも、才能を埋もれさせてはもったいない、
このままでは終わらないはずと信じていますので。

>五百羅漢さんは、実際にじっくり見ると自分にそっくりな像がある、
と聞いたことがあります。きっと飛びぬけて美しいのを「dorothyyだ」
と思ってくださったのだと信じています。

⇒ハッハッハのヒッヒッヒ。ご期待に副えましたかね、アタマはハゲ
て、その上にはカラスのフン、鼻が欠けたり、手がもげていたり、苔む
してシミだらけみたいだったり…、なのが多かったですよ。それでも、
ほんとうにやさしい慈悲に満ちた表情をしています、美しいとはあまり
思いませんでしたが。こういうのを「惻隠(そくいん)の情」というので
しょうかね。人間の本性にそなわっているあわれみのこころ、いたわり
のこころ、というか。
 これぞ日本人の顔。まわりにいる人のだれかに似ています。この日曜
日、中国の無錫や西安のあたりをゆっくり旅行してきた友人と話をし、
たくさんの写真を見せてもらいました。とりわけ兵馬俑の画像にはぞく
ぞくするものがあり、感動させられました。でも、あの俑の一体ごとに
異なるけわしい表情と、羅漢さんのやさしい表情を見比べると(たとえア
タマにカラスのフンがかかっていても)、ここに国民性の違いの一端を見
たような…。どの方も、おだやかな、いいお顔です。
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