★日本古典の世界、狂言・能楽へのいざない |
06月08日 (金) |
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きょう、6月8日、能楽師の観世栄夫さんが亡くなりました。ニュースでご覧になりましたか。わたしにとっては3月末に観た映画、新藤兼人監督の『午後の遺言状』であのお顔を見たのが最後になりました。認知症の老妻との最後の旅。かつての親友の女優(杉村春子)を別荘にたずねたあと、また旅に発ち、最高級ホテルの一室で心中する老夫婦の役をベテラン女優の朝霧鏡子さんとともに、味深くわびしげに演じていました。観世さんは「耳なし芳一」で絶妙な語りを聞かせてくれましたね。そのほかにも表現活動のうえでいろいろお世話になった方です。ご冥福を!
そのことで言うわけではありませんが、ラボのみなさんもこの機会に、狂言・能楽で美しい日本語の原型と洗練された伝統芸の世界にふれてみませんか。
東京・水道橋の宝生能楽堂で来たる6月17日(日) 。渡雲会の70周年記念大会、東京支部のFテューターが出演いたします。午前9時からの開始。能は、はかない恋に消えた夕顔の面影を描く「半蔀(はじとみ)」や天照大神の岩戸がくれの故事と神々の神楽のありさまを再現する「三輪(みわ)」が演じられます。Fさんの出演は、午後1時ごろの素謡「雲雀山」シテと、午後5時ごろ、仕舞のトリの組で「芭蕉」クセ を舞うほか、いくつかの地謡にも出ることになっているとのことです。入場無料。
「雲雀山」は中将姫と乳母の狂女もの。世阿弥の作。父に捨てられ殺される運命を負った幼い中将姫を雲雀山にかくまってひそかに育てる乳母。彼女は物狂いを装って花を売って生計を立てる。のちに、前非を悔いた父親と娘との対面が見どころ。
「芭蕉」は植物の精を寂しげな女のすがたに仕立てて、無常観を舞台に造形するもの。金春禅竹の作。みごとに昇華した幽玄能を味わうことになる。高度な曲で、芭蕉の精の静かな、ひたすら静かな舞いがこころに沁みる。
「老名人ならただ立っているだけで世阿弥のいう“せぬならでは手立(てだて)あるまじ”との心境で存在感が出せる舞いですが、何分、長年の稽古でも一介の素人には“残んの花”は出せないと存じますが、ご笑覧いただければ幸いです」とはFさんのことば。
この「芭蕉」のあとが野村万作師シテ、野村万之介師アドの狂言『柑子』、そして能「三輪」とつづきます。
遺憾ながらわたし自身は予定が重なり行けないのですが、なかなか充実した番組になっています。ぜひご都合をつけてこの機に言語表現の粋をご覧くださいますようご案内申し上げます。
なお、Fさんのお能については、「ページ一覧」のうち、「古典芸能・その1」〔1〕能「蝉丸」をご覧ください。一昨年9月に発表したものを画像とともに紹介しております。
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「午後の遺言状」について3月30日の日記の末尾で、
「ものごとには、水に流せることと流せないことがある。きのう観た映画「午後の遺言状」(新藤兼人監督)でときどき登場する丸い石…音羽信子の演じる別荘管理人であり老農婦が最後にポーンと川に投げすてていくダチョウの卵ほどの石の意味と関連して書きたいこともありますが、長くなりましたので、きょうはこのへんにて」
と思わせぶりに書いてそのままになりました。作品は、「老い」に捧げるさわやかな人間讃歌でして、ほかで書く機会はないと思いますので、今回の日記とは直接関係はないのですが、ごくかいつまんで私見の一端を示しておきたいと思います。
それは、新藤兼人監督に特有の意地の悪い(!?)ユーモアと、いまともに生きているものへのメッセージなんだろうと…。「一重積んでは父のため、二重積んでは母のため…」、あの地蔵和讃、賽の河原をめぐる民俗信仰の考え方が日本にはいまも根づよくありますよね。人の一生はひとくれの石塊に化して終わる、それこそが唯一の真実である、…とする古くからある考え方。そういう砂を噛むような暗い信仰をポーンとひっくり返して見せてくれたのがあのシーン、というのがわたしの解釈。
新藤監督の日本古来の習俗に対する関心にはかなり高いものがあり、この「午後の遺言状」のなかでも“足入れ婚”という、地方でおこなわれていた、正式な結婚の前の試験的な結婚の儀式について、かなりエロティックに突っ込んで描いていましたよね。そういう趣味がこの監督にはありますので、この見方、たぶんあまり大きく間違ってはいないと思うんですが。
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Re:★日本古典の世界、狂言・能楽へのいざない(06月08日)
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Hiromi~さん (2007年06月11日 20時55分)
ご無沙汰しております。
私も観世さんがお亡くなりになったニュースをみて、又ラボに関係する
方がお一人亡くなったと思いました。
「耳なし芳一」の声といい、心に響く語りでしたね。
ラボで会わなかったら、こういう関心は持たないでしょう。一度能楽堂
へ行った記憶があります。
惜しい方をなくしました。
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Re:Re:★日本古典の世界、狂言・能楽へのいざない(06月08日)
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がのさん (2007年06月13日 13時52分)
Hiromi~さん
>観世さんがお亡くなりになったニュースをみて、またラボに関係する
方がお一人亡くなったと思いました。「耳なし芳一」の声といい、心に
響く語りでしたね。ラボで会わなかったら、こういう関心は持たないで
しょう。一度能楽堂へ行った記憶があります。
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能楽堂にはえたいの知れぬ何かが住んでいます。いやいや、何も住ん
でいません。な~んにもない空間で、独特の空気だけが目に見えない動
きで流れています。100パーセント解放され、ムダなことばをいっさい要
しない、あらゆるクセを取り去った密な空気の流れ。
山奥の、だれも近づかない鍾乳洞の奥にいて、一滴ずつ、また一滴ず
つのしずくを耳にしているような、澄んだひびきにつつまれているよう
な、わたしは、そんな感覚に近いものをそこに感じることがあります。
わたしたちの日常は、おびただしいことばと音、ムダなことばと音の
なかにあり、繊細な神経にはつらいものがあり、繊細でない神経はます
ます鈍化し、ものごとのほんとうのすがたを感じられなくなりがちで
す。おれが、おれが…、という賎しさ、あつかましさからも解放された
世界。ええ、ときにはぜひ能楽堂へ行ってみてください。
先週末から奥美濃のほうへ旅行してきて返信が遅れました。モーレツ
な雨もありましたが、そのあとは若夏のすがすがしい好天とみずみずし
い緑にめぐまれて、日々の雑事を忘れてすごし、昨夜おそく帰りまし
た。Hiromi~さんのリッチなフランス、スイスの旅とはわけが違い、昔
の仲間とのごくつつましい旅でしたけれど、和紙と卯建の町並みの小さ
な城下町〔美濃〕や、水晶のような水と踊りの町、山内一豊夫人、賢夫
人として知られる千代の生誕地(?諸説あり)の、小じんまりとした城下
町〔郡上八幡〕などの、ゆかしい地方文化と歴史、そして素朴な自然に
ふれる、五感を洗われるすばらしい旅でした。夏の2か月間続けられる
郡上踊りの一端を習うというおまけも。
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