幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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★小学校低学年への英語導入、その模索の手ぶり 11月26日 (月)
 ――「『小学英語』模索の現場」。きょう11月26日の朝日新聞朝刊、第3面の社説わきで紹介されていた特集記事。皆さんも興味をもって読まれたことでしょう。
 横浜市の事例のいくつかが、ごく表面的ながら挙がっていました。この報道に先立ち、過日、市教委が来年から始めようとしている小学1年生からの英語教育をめぐっての公聴会・討論会に招かれて出席、そのことを雑駁ながら「BBS」のほうで、みかんさんの書き込みに応える形で書かせてもらい、それを「ページ一覧/つれづれ塾」でもう少し加筆して転記いたしました。
 走り書きでもあり、ひっそりとウラのほうで書き残しておいた形ですが、オモテに出して、もっと多くの皆さんに読んでもらい、テューターとして考え合うべきじゃないか、との二、三のお声をいただきました。ここずうーっとこの日記にはご無沙汰でもありましたので、以下に改めてコピーしてご紹介させていただきます。(いまは、ほかに追われるものがあり、また、あまり皆さんにお伝えしたい情報も持ちませんし…。)

takaiwa001
上信県境、碓氷峠に近い高岩の紅葉/撮影・提供・足ヨレ氏

小学校低学年への英語導入       

 昨日(11月15日)、横浜市教育委員会主催のスクールミーティング。すごいメンバーが雁首そろえて来たんですよ。教育長以下、教育改革推進部長、授業改善課長、教育対策課指導主事といった市の教育関係の主だった人が4人。それに地域を代表してわたしともう二人の自治会会長、三つの小学校の校長と副校長、それに教職員40数名、PTA役員と一般の父母60名前後、その他。テーマは小学校に英語を導入することをめぐる意見交換、討論(実質は、すでに計画はできていて、それを現場に下ろす地ならし、では?)。
 横浜市はすでに20年前から、5年生、6年生には国際理解教育として一定程度の英語を入れてきましたが、平成20年度より1年生から週1コマ程度を入れる計画とか。意見交換はたいへん活発なものでした。小学校教育の現場にある先生がたにしてみれば、英語教育の免許はもっていない、無免許運転をさせるつもりか、英語力に自信がない、母語による表現力を身につけるのが先決だ、とか、今でも手いっぱいなのに、さらにこの上負担をふやすことになり、授業が薄められ責任ある十分な教育活動ができない、とか、これまでおこなってきた国際理解教育をすこし充実させるということでいいのではないか、とか…。予想はされましたが、現場の不安と混乱には大きなものがあり、とりわけ、使いやすい、すぐれた教科書や副教材がぜひ必要だ、との強い声が聞かれました。
 いや~、先生がたもたいへんなら、子どもたちもたいへんですねぇ。塾があり、ラボがあり、学校の宿題があり、地域活動もあり…。

 横浜市教育委員会の考える小1からの英語は、そもそもどこに目標がおかれているのか。言語習得か、コミュニケーション能力をつけようというものか。薄っぺらな新しがりやが、ただのうわべのファッションとして行政サイドからこんなものを押し付けようということなら、教育現場はたまったものではない。プランにどうもしっかりした軸が見えてこない、長期を見据えた準備活動もされていない。
 そういえば、ラボにおいても、いつからか知らないが、外国語の導入は何歳ごろが適当か、パーティ活動は何人のグループ構成が適当か、といったもっともプリミティヴなことを、みんなで考え合うこと、議論することを、どうしてなのか、このごろはやめてしまったようですね。昔のある時期にはずいぶん熱心に議論されたのですが。あなた任せで、考えることをやめ、議論がなくなった組織は、だいたい衰退していく場合が多いですのでね。

flowerarrange
自治会主催の講習会でフラワーアレンジに初挑戦。いかがでしょうか。

 歴史的にも、安政5年(1858)、井伊直弼大老により(勅許なく)調印された日米修好通商条約にもとづく開港以来、横浜は日本の自由貿易の原点であり、世界の窓口であり、生糸輸出により世界経済への道の力づよい先導役を果たしてきた、その横浜こそ一歩先んじてこれを制度化し、きっちり実施したい、と。しかし、今の子どもたちには、そんな歴史は実感から遠い。そして、付けたりかもしれませんが、この計画を実効的に進めるためには市民力が欠かせず、地域人材に目を向けなければならない、とわたしのほうを向いてニヤリ! の一幕も。
 市民ボランティアへの期待。テューターのもつ能力には地域活動として期待されるものがあり、ここで十分に生かされると思われますが、ホイ来た、ラボの風がきた! と飛びつくのは早計で、いささかなりとも収入が目当てなら、ま、手を出さないほうが無難でしょう。「英語が多少できることをひけらかそうとして…」という周囲の冷たい目もあることも覚悟しなければなりません(このごろ、親の教育レベルは高いですからね)。本気に地域の子どものことを考える方なら、ぜひ!

 ラボ・パーティの活動を知るわたしの目からは、この公聴会の雰囲気は、ある意味で異様なものでした。小学校低学年の英語は「領域」とされ(意味不明)、まったく教育評価の対象にはならないとのことでもあり(先生にとっては、そんないい加減さは許されない)、行政の指定する教科書どおりの、マニュアルに依存したところでおこなわれるコミュニケーション・スキルの向上なんて、ウソっぱち、先生がたの英語力に対する不安、発音がどうのこうのというより以前に(発音などどうでもよい、という意味ではない。ネイティヴの指導助手AETも付くわけだし)、先生一人ひとりがその人格の総体をかけて、子どもの素養を厚く幅ひろくつけること、ひとつでも多く社会的ないい体験をさせるという大人の努力を傾ければいい、あいさつことばをマニュアルどおりに教えても、そんなことではちっともコミュニケーション能力の向上にはつながらない、…というような、考えてみれば、ラボ教育の理念をそのまま語っている自分に気づいたひとときでもありました。ええ、一定の賛同を得ましたけれど、市教委のほうにはどこまで伝わったか…。

 ご丁寧な手引きや事例集も用意されるとのことですし(そんなものはなくてもいいのに)、先生がたにとって、それはそんなに負担なのかなあ、そんな懸念材料なのかなあ、そんなに自信がないのかなあ、…ひるがえって、ラボの教育はそんなに現実ばなれしたものなのかなあ、と、わたしの脳髄はどろんこ遊びのように掻きまわされました。(T0: みかんさん/2007.11.16)
Re:★小学校低学年への英語導入、その模索の手ぶり(11月26日)
まじょまじょさん (2007年11月28日 13時26分)

小学校英語についての日記がUPされ、あわてて飛んできましたら、な
んと、がのさんでした!お久しぶりです。
26日の朝日新聞「小学校英語」模索の現場を読み、あ~まだまだ模索な
んだな~と、なんだかもう途方もない道のりを感じました。
伊吹・前文科相の英語活動に否定的な発言で、必修化はなくなるかも?
と思っていましたが、とうとう2011年から教育の機会均等?のため、底
上げ?ばらつき?をなくすための一律実施に(なお懐疑の声を受けなが
らも)突入するんですね~。う~~ん。
国はたくさんの先進校・研究指定校に研究費を投入して、たくさんの研
究発表・公開授業をし、コミュニケーション能力の向上をうたい文句に
頑張っていますが、
そもそも母語力もなく、日本語でのコミュニケーションも難しい児童に
何をどうしようというのでしょうね?
08年からは、CDつき「英語ノート」を児童に配布? う~~ん。

先進校、研究開発校はもうすでにかなりお疲れで、、、初めのころの新
鮮さを児童も教師も失いつつあるような気がします。
ひるがえって、これまで英語活動に熱心でなかった学校は、相当に混乱
しているようにも感じます。
がのさんのところもそうなんだ~と、日記を拝読しながら、うなってい
ました。ついでに「小学校低学年の英語は「領域」とされ(意味不
明)・・」のくだり、笑ってしまいました。

そうしたら、なんと夕方、市内の小学校の校長先生からお電話をいただ
き、「文科省の研究開発指定校になったものの、このままでは英語嫌い
量産していく可能性がある。(中略)
ついては、まずわが校の教員研修をお願いできないだろうか・・」とい
うものでした。
へっ?私?? ・・・大量の情報をうまく処理しきれず、ダウン寸前の
古いPCのごとく固まり、とうとううなり声もでなくなりました。
私は、ラボ・テューター!なので、ここは思いっきり”ラボ”でいいの
かしら?
校長先生も教育委員会の指導主事も巻き込んでの、テーマ活動は楽しい
だろうか?
色や、動物や、くだものを覚える英語活動をしてきた先生方は、目から
鱗になるでしょうか?
それとも、大きく引かれるか・・・ う~ん。
Re:Re:★小学校低学年への英語導入、その模索の手ぶり(11月26日)
がのさん (2007年11月29日 01時10分)

まじょまじょさん

【その1】
>国はたくさんの先進校・研究指定校に研究費を投入して、たくさんの
研究発表・公開授業をし、コミュニケーション能力の向上をうたい文句
に頑張っていますが、そもそも母語力もなく、日本語でのコミュニケー
ションも難しい児童に何をどうしようというのでしょうね? 08年から
は、CDつき「英語ノート」を児童に配布? う~~ん。先進校、研究
開発校はもうすでにかなりお疲れで…、初めのころの新鮮さを児童も教
師も失いつつあるような気がします。

     ----------------------------

 ずっと以前、まじょまじょさんとひまわりさんとのあいだ(だったで
しょうか…?)でのやりとりの中でいわれていましたが、いささかなり
と教育プログラムを変える、進めるというときには、付け焼刃でない、
十分な準備と試行が必要なのは当然ですよね。いまのラボのことは知り
ませんが、かつてはそれを「レディネス」と呼んで意識化し、大事に位
置づけて取り組んでいたはずで、必要なだけの時間をかけて耕したゆた
かな土壌のうえにこそ、教育は積み上げられていくのが常道。国が用意
するという「英語ノート」がどういうものかも知りませんし(子どもに
与えるものは、最高レベルのものでなくてはならない)、横浜市が独自
につくろうとしている小学校の先生用の「英語教育の手引き」や絵や小
道具類がどんなものかも知りませんが、どこまで行っても、こどもを前
にしたときに求められるのは「人」ですよね、誠意ある人間の全体性。
とりわけ小学校にあっては、語学力を問うより以前に、質の高い深みあ
る人間性。中学校の英語科教諭との連携、なども考えられているようで
すが、さあ、どうでしょうか、そういう便宜主義は。
【つづく】
Re:Re:★小学校低学年への英語導入、その模索の手ぶり(11月26日)
がのさん (2007年11月29日 01時18分)

まじょまじょさん

【その2】

> そうしたら、なんと夕方、市内の小学校の校長先生からお電話をい
ただき、「文科省の研究開発指定校になったものの、このままでは英語
嫌い量産していく可能性がある。(中略)ついては、まずわが校の教員
研修をお願いできないだろうか」というものでした。

     ----------------------------

 まあ、そうでしょう。市民力が期待されている、と当局に言われて、
まず思い浮かんだのは、テューターという人たちのこと。とりわけ、山
梨県や甲府市の教育をめぐる集いの場に、都度都度、何度も駆り出さ
れ、高い評価を受けてきた実績のあるまじょまじょさんですから、わた
しがもしその立場にあったとしても、「ねえ、ねえ、ちょっと…」と声
を掛けて助力をお願いすることになるでしょうね。
 いろいろな課題が押し付けられることになりましょうが、まじょまじ
ょさんという「人間」ならだいじょうぶ、そのプログラム参加に太鼓判
を押してもいいですよ(わたしのハンコでは、あまり意味ないか!)。

>私は、ラボ・テューターなので、ここは思いっきり”ラボ”でいいのか
しら? 校長先生も教育委員会の指導主事も巻き込んでの、テーマ活動
は楽しいだろうか? 色や、動物や、くだものを覚える英語活動をして
きた先生方は、目から鱗になるでしょうか? それとも…、う~ん。

⇒まあ、そうでしょうね、事情もよくわからないまま期待をし、最初の
うちは、「いいんじゃない、なかなかおもしろい!」と。しかし、教育
現場がスジとしているところとのブレに気づいてくると、たちまち批判
が噴出してきます。ものすごく形式ばかりいう旧弊なところですから
ね、学校というところは。日々の課題に振り回されているためでしょう
か、ことばに対する感度が鈍すぎるように思います。遠まわりのようで
も、日本の古典文学の良質なものに、たえずふれているといいのでしょ
うが。
【つづく】
Re:Re:★小学校低学年への英語導入、その模索の手ぶり(11月26日)
がのさん (2007年11月29日 01時20分)

まじょまじょさん

【その3】

それに、きびしい母親たちの目。もしも英語の先生でござんす、なんて
気どっていたら、たいへんですよ、この人たちを相手にするのは。テュ
ーターのレベルを超えるような英語力をもっていますし、国際交流経験
ならはるかに豊富。市民ボランティアでアシスタント・テイチャーをや
れそうな人なら、わたしの周辺だけでも十数人いますね。しかし、国際
的なセンス、語学力という点で申し分なくても、子どもの前に教育者と
してどう立つか、となると、そりゃあ、だめでしょうね。まじょまじょ
さんくらいの実力と実績とエスプリがあれば、ぜんぜんOKでしょうが。
 一方、ラボはラボ。ものがたりのこころを大事にしつつ、感性ゆたか
にことばに近づいていくスタイルは、それとは別。これまで、いささか
なりともブレることなくやってこられたまじょまじょさんのラボを、さ
らに進め、深めていく、ということでいいんじゃないでしょうか。

 最近、アレッと言う間にこのあたりの土地の価格がウナギのぼりして
いると思ったら、慶応義塾大学の小学部がすぐこの近くに進出、開校へ
向けて着々と工事が進んでいるとか。それを見越した進学戦争がすでに
モーレツに過熱。かつての「金ツマの街」は新しく「慶応の街」へ。目
ざとい人たちがいるものです。あの日の大集会は、この地域の小学校教
育の関心の高さを知っての、小学校低学年への英語導入をめぐるタウン
ミーティングだったんですね。悲しいかな、先生がたがまったくついて
いけてないのが現状ですが。

 ※…さて、勘助と由布姫の約束、忘れてはいないでしょうね! 忘れ
 ていたら、今度会ったとき、げんこつゴリゴリだからね!
Re:Re:Re:★小学校低学年への英語導入、その模索の手ぶり(11月26日)
まじょまじょさん (2007年12月01日 01時39分)

がのさんへ
【その1】
23日に山梨地区の発表会が終わり、今週はパーティをお休み!
発表会終了後の開放感は格別です。そんなわけでやっと少し心の余裕が
でき、凍結していた自分のHPの更新もでき、こうしてがのさんところに
も書き込みさせていただくことができました。嬉しいです。(やっぱ
り、たまのお休みは精神衛生上必要ですね~)

小学校英語の研究発表会で、北海道の大学と地域の小学校で協働した、
「絵本を活用した英語活動」の報告があり、話題になったそうです。
・・・・まあ、今、そんなところなんだと思います。

>一方、ラボはラボ。ものがたりのこころを大事にしつつ、感性ゆたか
にことばに近づいていくスタイルは、それとは別。これまで、いささか
なりともブレることなくやってこられたまじょまじょさんのラボを、さ
らに進め、深めていく、ということでいいんじゃないでしょうか。

⇒私ごときにできることは、、、たかが知れています。だいたいいつも
ズッコケて、大ボケかましておりまして、でももしもブレることなくや
ってこられたとしたら、それは私の周りにいる方々のおかげです。
ずいぶん助けられ励まされてここまで歩いて(いや、ほとんど走っ
て!)きました。だから、人に何か頼まれたり、力を貸して!と言われ
たら、それこそ自分のレベルや力の限界をついうっかり忘れて、行け行
けどんどん、と前に進んでしまいます。困った性分です。
Re:Re:Re:Re:★小学校低学年への英語導入、その模索の手ぶり(11月26日)
まじょまじょさん (2007年12月01日 01時41分)

がのさんへ
【その2】
>こどもを前にしたときに求められるのは「人」ですよね、誠意ある人
間の全体性。とりわけ小学校にあっては、語学力を問うより以前に、質
の高い深みある人間性。
⇒ずき~~~~ん。では、教養と経験を兼ね備えた教員の前に立つに
は、いったい何が必要? 
どうもはったりだけでは、もちそうにありません。とほほ・・。

>かつての「金ツマの街」は新しく「慶応の街」へ。あの日の大集会
は、この地域の小学校教育の関心の高さを知っての、小学校低学年への
英語導入をめぐるタウンミーティングだったんですね。悲しいかな、先
生がたがまったくついていけてないのが現状ですが。
⇒そうでしたか。教育レベルの高い保護者に求められる、質の高い学校
教育を検討するタウンミーティング。その席で堂々と発言なさるがのさ
んの一言一言に、大きくうなずいておられる方も多かったのでは・・
鬼にがのぼう(お~懐かしい!)「慶応の街」にもラボ旋風が巻き起こ
るといいな~。

>…さて、勘助と由布姫の約束、忘れてはいないでしょうね! 忘れ
 ていたら、今度会ったとき、げんこつゴリゴリだからね!
⇒うわぁ~忘れてはいなかったのですが、はい、あまりにも時間が早く
流れ・・実態はやはりベールに包まれていたほうがよいかと存じます。
勘助の願いむなしく、由布姫は死んでしまったようですし・・ね。
Re:Re:Re:Re:★小学校低学年への英語導入、その模索の手ぶり(11月26日)
がのさん (2007年12月01日 23時37分)

まじょまじょさん

【その1】
>(地域活動で)私ごときにできることは、たかが知れています。だいた
いいつもズッコケて、大ボケかましておりまして、でももしもブレるこ
となくやってこられたとしたら、それは私の周りにいる方々のおかげで
す。人に何か頼まれたり、力を貸して! と言われたら、それこそ自分
のレベルや力の限界をついうっかり忘れて、行け行けどんどん、と前に
進んでしまいます。

     ----------------------------

ボケたりズッコケたり…。まっすぐブレなくわき目もふらずやっていれ
ば、そうなるのがふつうでしょうね。きょろきょろ色目をつかい、周囲
の顔色ばかり気にしてソツなくキッチリやろうとしても(それは「精神
衛生上」あまりよくなく)、うまくいくことはあまりありませんよね。
緊張から解放されたという23日の地区発表会、今回はどんなズッコケを
演じてくれましたか? そのシクジリを人間の弱さというのは間違い
で、だから周囲から親しまれ、愛されることになるのだろうと思うので
すが。皆さん自身がこどもたちの英語の発語をめぐってよく言うじゃな
いですか、間違っちゃいけない、正しく言おう、と意識すればするほ
ど、パニックになって頭がまっ白になってことばが出なくなり、言おう
といるときには話題はすでにそこから離れてしまって追いつけないでい
たり…。不正確さを気にせず、こころを開いて率直に表現するもののカ
チ~! と。
人のレベルなんて、何でしょうか。基本的にはそんなものはないんじゃ
ないでしょうか。その人に備わった品格とか素養の深い・浅い、誠実な
一途さがあるか、それともその場しのぎの器用さだけか、といった違い
はあるでしょうが。そこでしょう、まじょまじょさんにいろいろな方面
から声がかかるのは。出会う人一人ひとりを大事にするこころ、隔ての
ない気持ちよい礼儀を備えていることが、まじょまじょさんを輝かせて
いるんじゃないですか(たぶん、英語力がすぐれているから、ではない
と思うんですよ、失礼ながら)。
【つづく】
Re:Re:Re:Re:Re:★小学校低学年への英語導入、その模索の手ぶり(11月26日)
がのさん (2007年12月01日 23時42分)

まじょまじょさん

【その2】
>(語学力を問うより以前に、質の高い深みある人間性)ずき~~~~
ん。では、教養と経験を兼ね備えた教員の前に立つには、いったい何が
必要? どうもはったりだけでは、もちそうにありません。とほほ…。

     ----------------------------

 だから! “ズッコケまじょ”のままでいいじゃないですか、という
より、仕方ないじゃないですか。ハッタリなんて、まじょまじょさんに
は似合いませんよ。テーマをめぐってこどもと向かい合う経験と、その
向かい合い方の質(これについては、昔、『チップス先生、さような
ら』を作品鑑賞するなかで、書いたことがあったような記憶が…)とい
うことでは、けっして劣ることのないキャリアをもっておられるし、系
列にしばられた「教育」という名のタガ、成績評価という桎梏のタガの
はまった先生がたより、自由闊達な発想でこどもの目を見られるのが、
最大の強みではないでしょうか。

 わたしの場合、ラボを退職した直後、あれれ…という間に、地域の小
学生たちの放課後をともにする活動に関わる仕儀に。それを、こちらも
いつの間にか喜んで、ラボ・キャンプのようなスタイルでリードしたこ
とがありました。ぶらさがられ、乗っかられ、ともに汗まみれになり、
たいへんでしたが、楽しかったし、こどもたちにはメタメタ愛されまし
たですよね。そこは、マニュアルもない、ルールもない、無手勝つ流の
世界。そして、そこは、こども(カギっ子が多い)がいちばん生き生き
と命を燃やす世界。
 口惜しいながら、いまはもう、その体力がありません。かつていっし
ょにあそんだこどもたちは、いまは中学生に、高校生に。そしてわたし
は、ときどき式典などの機会に背広すがたで彼らの前に立つという立場
に。つまらんことではありますが。
【つづく】
Re:Re:Re:Re:Re:★小学校低学年への英語導入、その模索の手ぶり(11月26日)
がのさん (2007年12月01日 23時47分)

まじょまじょさん

【その3】

 もうひとつ、私事ながら付言いたしますと、いまは毎日、愚妻の病気
のために大学病院通い、病室詰めなのですが(きょう土曜日は一時帰
宅)、この世界にも、さまざまに「先生」と呼ばれる人たちがいます。
その方面の第一人者、その分野の権威とあがめられる名医と折々出会い
ます。その名医ですが、知ったかがぶりしてあまり詳しいことはいわな
いけれど、やさしく丁寧に患者に対応してくれる先生がいるかと思え
ば、周囲に持ち上げられて相当いい気になっているのか、わけのわから
ぬ専門用語をいくつか並べたあとは、傲然と助手の医師に指示してツン
ケン、ツンケンとしている先生もいます。看護師の場合もそうですね。
ズッコケたり、いちいち要領が悪く手間どったりする人。ときにはイラ
イラさせられることもありますが、でも、病院のようなところにいてホ
ッとさせられるのは、そんな人のたたずまいですね。ゴリッパな看護師
さんは、どうも馴染めないし、病んで疲れたこころはソツなさだけでは
癒されない。

 …とかなんとか、酔っ払い気分で不真面目に書いてきましたが、由布
姫をかならずしもズッコケのボケ姫と思っているわけではありませんの
で、お忘れなきよう。
 して、かくなるうえは、とくと覚悟めされよ、土中にもぐろうと、雲
のうえに隠れようと、竹光なれば一刀両断ならずとも、げんこつグリグ
リでござるぞよ。ハッハ、よろしいかな?
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