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■宮澤賢治。創作の源泉へ遡る 07月04日 (金)
 賢治のことなら、語り尽くせぬものがある。…あれれっ、「なめとこ山の熊」の調子になっちゃったかな?(「なめとこ山の熊のことならおもしろい。…」)
 宮澤家とたいへん親交のあった人、前日本女子大学講師の先生から、これまでに耳にしたことのない数かずの秘話を聞く機会を得ました。
(詳しくは、川崎市のテューター、みっちゃんが後日、報告してくれる…かな?)
 宮澤賢治については、40年余にわたってたくさんの本を読んだり、話を聞いたりして親しみ、かなりよく知っているつもりでしたが、こんな話は初めて、という驚きのなかで聞いた座談講演会。地域でおこなうわたしたちの読書会(わたし自身はこの市に住むものではありませんが)の企画を川崎市の市民館の自主企画としておこなったもの。そのなかから、ひとつだけ秘話を紹介いたしましょう。

hangesho004
半夏生(ハンゲショウ)

 賢治の父親は政次郎さん。質屋や古着で財をなした人ですね。ハンガーに吊るされた古い派手な着物の下をくぐって移動しなければならなかった家の事情を、賢治も弟の清六さんも、子どものころから大変嫌っていたそうです。賢治が37歳で他界する最後の前日まで、この父親とは互いに理解しあうことなく確執はつづき、最後の最後に至って「おまえもなかなかだった」と初めて父親にほめられたことを、死の床で清六さんににっこりと語ったと「兄のトランク」にしるされています。はげしく反発しながらもついに父親の掌のうえから脱け出すことのできなかったその生涯。そこに賢治作品の生まれた源泉を求めるのは、ごく常識的でしょう。
 ほかにも、母親のイチさん。不和の関係にある夫と息子のあいだにあって苦労しながらも、「人というのは、ひとのためになるように生まれてきたのッす」とずっとずう~っと賢治の耳もとで言ってきたやさしい母親です。その考え方の影を落としている作品なら、いくらでも挙げられますね。ほかにも、祖父母、宗教家、小学校の先生…などなどの影響の色も。

 ここで紹介するのは、父政次郎さんの姉、賢治から見ると伯母にあたる平賀ヤギさんという人の影響です。賢治が誕生したとき、この人は離縁して出戻っていたようです。ちょっと不幸を感じさせる女性。2歳、3歳の賢治が夜寝るときには、いつもこの人に抱かれて寝ていたようです。背負われたり、抱かれたり、たいそう可愛いがられていたらしい。ところが、そんなときいつもこの人が口にする子守唄は、なんとまあ、お経だったという。30歳がらみのきれいな出戻りバツイチ女。その人がたえず口に唱えていたのは、蓮如の「白骨の文」。浄土真宗の再興の祖とされる蓮如。しかし、口に出して読んでごらんなさい、ゾッとしますよ、この経文は。浄土真宗の葬儀に出られたことのある人なら、一度は耳にしたはずですが。
〔このテの経文は苦手という方は、どうぞここは飛ばして読んでください〕

「それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おおよそはかなきものは、
この世の始中終まぼろしのごとくなる一期なり。
…我やさき、人やさき、今日とも知らず、明日とも知らず、遅れ先立つ人は、
もとのしずく、すえの露よりもしげしといえり。
されば朝(あした)には紅顔ありて、夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり。
…されば、人間のはかなき事は、老少不定のさかいなれば、誰の人も、
はやく後生の大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、
念仏もうすベきものなり。あなかしこ、あなかしこ」


 人が死ぬのは、自分が先か他人が先か、わかったものではない。今日死ぬか、明日死ぬか、だれもわからない。あした(朝)には赤いほっぺたをして健康そうにしていても、夜(夕べ)には死んで白骨となる身、それがとりもなおさず、人間さ。哀れなものよ、人間とは。まだものごころのつかぬ賢治は、抱かれても、おんぶされても、添い寝されても、四六時中ぶつぶつとこんな呪文の雨を浴びて育ったというんですね。
賢治が書き残した数かずの珠玉の作品の随所に、どこか、何とも云えぬ哀しいものがあるのは、ひょっとして、ここかも知れない。たしかに、一面、この伯母さんの影響を無視することはできないのではないか、と。
 ご存知でしたか、こんな逸話を。宮澤家の人たちと深い関係がなくては、こんな話を知る機会はありませんでしょうね。

gloriosa005
グロリオサ、またの名を狐百合、百合車とも

 賢治と宗教のことは来週に改めて話される予定。父親の政次郎は、すわって昼飯を食べたことがないというほどのたいへんな働きものでした。同時に、仏教の信仰にとりわけ篤い人で、生粋の浄土真宗の徒、周辺地域ではその方面のトップリーダーの立場にある人でした。幼いころから賢治は欠かさず仏教講話に連れていかれ、正座してまじろぎもせず熱心に聞いていたそうです。賢治の透明な時間が想われますね。それが、あるときふと、日蓮宗の系統の「国柱会」へのめりこんでいきます。そこがどうもよくわからないのですが…。

★…転記⇒「ページ一覧」のうち「物語寸景(6)」 関連⇒「物語寸景(7)「消えた妹トシを求めて…賢治の彷徨と挽歌」
Re:■宮澤賢治、創作の源泉を遡る(07月04日)
dorothyさん (2008年07月05日 05時52分)

宮澤賢治。専門学校でパソコンを教えるとき、
「入力練習」という名目で、授業の最初に
必ず5分間、「グスコーブドリの伝記」を
入力させていました。

学生たちにとっては、入力練習のためのテキスト、
としてしか捕らえていなかったようですが、私は、
読書をしないいまどきの若者たちに、ほんのわずか
でも、賢治の文章に触れてもらいたい、との
思いから選んだテキストでした。

小説(童話も含めて)には、その作者の通ってきた
人生がそこはかとなく見えてくるものですね。
今回のがのさんのお話からも、そう思いました。

「永訣の朝」の、妹を看取るスケッチ。
「竜のはなし」で最期に虫に体を食われる話。
「クンねずみ」で、高飛車でいることの応報。
「オツベルと象」。牛飼いが語る、思い上がった
百姓の話。最後に、「川へはいっちゃいけないよ。」
この言葉に、ふとわれに返る。
「銀河鉄道の夜」「グスコーブドリの話」
「虔十公園林」など、何度読み返しても
涙が出ます。

これらの話を、宮澤賢治の生い立ちや周囲の
人々のことを知って読むと、もっと生き生きと
胸に迫ってきてくれるように思いました。
貴重なお話、ありがとうございます。
また、お知らせいただければありがたいです。
Re:Re:■宮澤賢治、創作の源泉へ遡る(07月04日)
がのさん (2008年07月05日 23時49分)

dorothyさん

【その1】
>小説(童話も含めて)には、その作者の通ってきた人生がそこはかと
なく見えてくるものですね。
「永訣の朝」の、妹を看取るスケッチ。「竜のはなし」で最期に虫に体
を食われる話。「クンねずみ」で、高飛車でいることの応報。「オツベ
ルと象」。牛飼いが語る、思い上がった百姓の話。最後に、「川へはい
っちゃいけないよ。」この言葉に、ふとわれに返る。
これらの話を、宮澤賢治の生い立ちや周囲の人々のことを知って読む
と、もっと生き生きと胸に迫ってきてくれるように思いました。
     ----------------------------

 たとえば、広く文藝世界を見回して、心に深く刻まれて片時も忘れる
ことのできない「挽歌」を三つ挙げよといわれたら、dorothyさんでした
ら、どんな作品を挙げますか? ガーンと打ちのめされて呆然自失させ
られるような作。
 わたしの場合でしたら、ひとつは斎藤茂吉の「赤光」にある一首、

   のど赤き玄鳥(つばくろめ)ふたつ屋梁(はり)にいて
       たらちねの母は死にたまふなり

 つぎには与謝野晶子が夫鉄幹を喪ったときに書いたいくつかの歌(白
桜記)、たとえば、そのうちのひとつ、
   
   みなれたちゃわんのこの藍のもやうにも
       もうけふおまへはわかれてしまふ

 そして第一には宮澤賢治の「永訣の朝」「無声慟哭」、もうひとつ
「青森挽歌」でしょう。

  けふのうちに
  とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
  みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
    (あめゆじゆとてちてけんじや) …

 東京ことばで書かれた地の文(賢治のことば)に、妹トシのことばと
して花巻弁が差し込まれ、ふしぎな諧調をつくる詩文ですね。ほとんど
平仮名で書かれ、「っ」「ゃ」といった撥音も使わぬ、雪の夜のような
静謐な調子。とりわけわたしがまいってしまうのは、最後に近い部分な
んですけどね。

  この雪はどこをえらぼうにも
  あんまりどこもまつしろなのだ
  そんなおそろしいみぞれたそらから
  このうつくしい雪がきたのだ
    (うまれてくるたて
     こんどはこたにわりやのことばかりで
     くるしまなあよにうまれてくる)
【つづく】
Re:Re:■宮澤賢治、創作の源泉を遡る(07月04日)
がのさん (2008年07月05日 23時58分)

dorothyさん

【その2】

  おまへがたべるこのふたわんのゆきに
  わたくしはいま こころからいのる …略…
  わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ …(永訣の朝)

 トシが死の床でいうことば、今度生まれてくるときには、自分のこと
ばかりでなく、ひとさまのためになるような生き方をしたい、という願
い、というよりは、祈りは、母親のイチさんがいつも賢治の耳もとでい
っていたことばですよね。「人というのは、ひとのためになるように生
まれてきたのッす」。自分の利得ばかりしか考えないで破廉恥な欺瞞を
犯すこのごろのケータイ短絡型人間に、イチさんのこのことば、トシの
このことばの一部でもわかってもらえたらなあ、と思いますね。せめて
ラボにかかわる人びとには、賢治のこの澄み切ったこころを大事な糧に
してもらいたいと、「わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ」次
第ですが。
 それにしても、人間の「絆」って何だろう、すごいなあ、と思いま
す。一人の人間の思想形成、人間形成にとって、「絆」とは…。

 またしても2面にわたってしまいました。ついでですので、さらに涙
をしぼってもらい、「無声慟哭」から抜粋して…。

  こんなにもみんなにみまもられながら
  おまへはまだここでくるしまなければならないのか
  ……おまへはじぶんにさだめられたみちを
  ひとりさびしく往かうとするか
Re:Re:Re:■宮澤賢治、創作の源泉へ遡る(07月04日)
dorothyさん (2008年07月06日 07時25分)

がのさん

>たとえば、広く文藝世界を見回して、心に深く刻まれて片時も忘れる
ことのできない「挽歌」を三つ挙げよといわれたら、dorothyさんでした
ら、どんな作品を挙げますか? ガーンと打ちのめされて呆然自失させ
られるような作。

挽歌、と聞いて、まず心に浮かぶのは、
万葉集巻2-141 有馬皇子の

岩代の浜松が枝を引き結びま幸くあらばまたかへり見む

これが浮かびます。19歳で謀反の濡れ衣を着せられ
絞首刑となった有馬皇子のこの歌は、大学時代、
万葉集の講義で暗記して以来、心の深いところに
いつも残っています。

また、がのさんと同じく斉藤茂吉「赤光」から

我が母よ死にたまひゆく我が母よ
  我を生まし乳足(ちた)らひし母よ

一昨年の夏、母が危篤に陥ったとの報を耳にし、
「みちのくの母のいのちを一目見ん
 一目見んとぞただにいそげる」
といった状態で、家族を置いて単身実家に戻り、
今まさに命の灯火が消えかけむとする母の姿が
この歌と重なっています。

ただ、ありがたいことに、私の母は、13時間の
大手術を経て、生還し、今は私の元で弱った体で
洗濯を引き受けてくれています。生きがいでしょうか。
こちらにやってきたより、頭脳もはっきりし、
疲れたといいながら、きんたやぽんちを叱りとばし
松山の友人と長電話しては私に注意されて(本当に
連絡がとれなくて困る!)、苦笑いの日々です。

そして、宮澤賢治の「永訣の朝」。
特に

「ああとし子
 死ぬといふいまごろになって
 わたくしをいっしゃうあかるくするために
 こんなさっぱりした雪のひとわんを
 おまへはわたくしにたのんだのだ」

この一節は心を打ちます。何かを頼むことで
頼まれた方の心に安寧をもたらす。愛する、
ということのあるひとつの形ではないか、と
思うのです。
Re:Re:Re:Re:■宮澤賢治、創作の源泉へ遡る(07月04日)
がのさん (2008年07月07日 10時14分)

dorothyさん

>「ああとし子
 死ぬといふいまごろになって
 わたくしをいっしゃうあかるくするために
 こんなさっぱりした雪のひとわんを
 おまへはわたくしにたのんだのだ」

この一節は心を打ちます。何かを頼むことで頼まれた方の心に安寧をも
たらす。愛する、ということのあるひとつの形ではないか、と思うので
す。
     ----------------------------

 宮澤賢治は第一級の「りっぱな」詩人か、「うまい」詩人か、という
と、わたしは必ずしもそうは思わないところがあります。しかしね~、
「永訣の朝」「無声慟哭」…、「雨ニモマケズ」も含め、こういう賢治
の詩は、わたしごときもののいささかの蛇足も必要としない真情にあふ
れていますよね。
 かつての日、わたしはこれらの詩句を嗚咽しながらなんべんも口に
し、自分の手で一字一字、原稿に書き写しつつ、何度涙したことだろ
う、何枚の原稿用紙を涙にぬらしたことだろう。わたしには妹はなく、
その実感には薄いものがあるのかも知れないけれど、わたしは、その涙
にこれ以上ないほどの清らかさを感じ、ことばを超える詩的宇宙のなか
に誘いこまれる美しい時間をこころいっぱいに楽しみました。

  鳥のやうに栗鼠のやうに
  おまへは林をしたつてゐた
  どんなにわたくしがうらやましかつたらう
  ああ けふのうちにとおくへさらうとするいもうとよ
  ほんたうにおまへはひとりでいかうとするか
  わたくしにいつしよに行けとたのんでくれ
  泣いてわたくしにさう言つてくれ  (「松の針」より)

 死に瀕する妹に、林から松の一枝を採ってきて与える兄の思い。格別
な巧妙さがあるわけでもない、過剰なもの、飾ったもののひと切片もな
い詩。でも、修羅を誠実に生きた賢治という人の玲瓏な心象は、清浄な
気でわたしのこころを満たしてくれます。「詩」なんて呼ばなくてもい
いことばの世界がありますね。
Re:■宮澤賢治。創作の源泉へ遡る(07月04日) ・
みっちゃんさん (2008年07月10日 23時36分)

はぁ~い、市川パーティのHPでも
来週の最終回が終わりましたら、
講演会の様子、お知らせしま~す。

この度はまたまたお世話になってますっ!

参加させていただいている賢治の軌跡、
私にとっては本当にどれもこれも新鮮で
毎回2時間があっという間です。。

いよいよ来週で最後ですね。
きっともっとお聞きしたかったなぁ~と思うんだろうな。。
Re:Re:■宮澤賢治。創作の源泉へ遡る(07月04日)
がのさん (2008年07月11日 22時30分)

みっちゃんさん

【その1】

>市川パーティのHPでも来週の最終回が終わりましたら、講演会の様
子、お知らせしま~す。参加させていただいている「賢治の軌跡」、私
にとっては本当にどれもこれも新鮮で毎回2時間があっという間です。
     ----------------------------

 みっちゃんのたいへんスマートな司会進行ぶり、みなさんも喜んでく
れました。
 第二回は「宮澤賢治の信仰と文学」と題しての講演会で、宗教のほう
から宮澤賢治を捉えなおすという、ちょっとむずかしいテーマでした
が、先生ご自身の目と耳で捉えた確かな手ごたえをもったお話で、楽し
く聞けましたし、よくわかりましたね。熱心な浄土真宗の信者である父
親の政次郎さんとのはげしい確執のことや、伯母さんにあたる平賀ヤギ
さんの「白骨の文」のことからはじめて、暁烏敏(あけがらす・は
や)、島地黙雷、その養子の島地大等、高橋勘太郎などといったすぐれ
た高僧・学僧のこと、島地大等編著の「漢和対照妙法蓮華経」のこ
と…。ほとんど生まれ落ちると同時に仏教の信仰という環境にまみれて
育ったような賢治像が浮かびあがってきました。

 そして、何よりもびっくりしたのは、「歎異鈔」のこと。親鸞のこと
ばを弟子の唯円(ゆいえん)が書き留めたものとされていますが、「こ
の第一章をもって全信仰とする」と、ケンカをふっかけるように父親に
むかって手紙で宣告する賢治の気負いぶりも驚きですが、先生がワイシ
ャツの胸ポケットから無造作に取り出した和綴じの豆本。名刺よりもう
ひとまわり小さい手づくりの豆本で、和紙のうえに虫メガネで見なけれ
ば読めないような微細な文字、「歎異鈔」の全文を筆で書き写したもの
で、なんとまあ、これがみごとな達筆!

【つづく】 
Re:Re:■宮澤賢治。創作の源泉へ遡る(07月04日)
がのさん (2008年07月11日 22時42分)

みっちゃんさん

【その2】

 年に数度、先生からお手紙をいただきますが、墨痕あざやかなその筆
の走りは、いつも額に入れて飾っておきたくなるような美しいもので、
宮澤家の表札を書いているくらいですから、いい書をなすことは承知し
ておりましたけれど、こんなに微細な字を、しっかり、一字のごまかし
なく書かれるなどとは思ってもおりませんでした。宮澤賢治にぞっこん
傾倒するひとでなければ、こんなしんどいことはなさらないでしょう
し。
 大学との往き帰り、電車のシートにすわり、胸のポケットからこれを
取り出しておもむろに「歎異鈔」を読む老人のすがた、よく見ると、目
のまわりが涙でぬれている…。そこには神々しいまでの風韻があります
ね。人間の味とでもいうか。わたしもそんな老人になれたらなあ。

(この豆本、写真に撮ってありますので、のちほどPCメールで送りま
す)
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