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■エメリヤンと、捨てられるもの一切を捨てたトルストイと 03月24日 (月)
スミティさんの記録「もしも魔法が使えたら…」に添えて

もしも魔法が使えたら――
  ◎人を生き返らせたいな。
  ◎すべての武器を楽器に変えて、世界を平和にしたいな。
もしも魔法が使えたら――
  ◎心がとっても優しい人になりたいな。

 取り組み初めの頃は自分の欲求が多かったのですが、一番最後のラボでもう一度同じことを投げかけると、「困っている人を助けたい」とか、戦争のことなどが出てきて、エメリヤンに取り組むことで、そういった大きな視点、視野を持てるようになってきたんだと、うれしくなり、これを紹介した〔スミティさんの日記、3月24日より〕

hanamomo07

 スミティさんらしい気の利いた着眼であり、これこそが“テーマ”活動ですよね。おもしろいです。
 上記で見るように、山口の“西の魔女”たちはしっかりテーマをとらえてくれました。「武器を楽器に替え」る魔法など、大トルストイが伝えたかったメッセージをドンピシャに受けとめてくれていて、うれしくなります。できることなら、この魔女さんに会って話がしたい…。

 第三期のラボ・ライブラリー制作活動の第一歩としてロシアの民話の森に子どもたちを連れていこう、と発想したとき、ちょっとむずかしいかも知れないがどうしても一つ入れたかったのがトルストイの作品。ご承知のように、レフ・ニコラエヴィッチ・トルストイは、数かずの名作を書いた大文豪であるとともに、ガンジーと並んで、史上最大の思想家と呼ばれることもあり、「人生の教師」として四海に認められている偉大な人物。どこが「偉大」かについては、ラボのこの作品を訳出した水野忠夫先生や金本源之助先生、タチアーナさんらの謦咳にたっぷりと触れて学んだ千葉のKさんがいつか書いてくれると期待していますが。そうそう、3年後の2011年はこの作家の没後100年になりますね。

 トルストイの代表作「戦争と平和」や「復活」「アンナ・カレーニナ」をラボのおはなしCDに入れるのはもちろん無理で、でも、それらで語られているトルストイの思想(の一部)を集約的にあらわしている作として、水野先生たちといっしょに頭をかかえ、一所懸命考えて選んだのが「エメリヤンと太鼓」(原題は「作男エメリヤンと空太鼓」)でした。

 「復活」を読んだ人なら、主人公のネフリュードフにトルストイのおもかげを重ねたことでしょう。あるいは「戦争と平和」のアンドレイ公爵にその人を見た人もいるかも知れません。「アンナ・カレーニナ」ではリョーヴィンがトルストイかな。永遠の生命の道を探るこの登場人物たちのこころの葛藤、魂の彷徨、知性のはるかな旅で行き着いた先で見つけたのは、現代生活のうすっぺらな虚偽であり、はかなさ・むなしさであり、そこを突き抜けたところで見えた「全人類との抱愛」「真理と実生活との調和」でした。

 「エメリヤンと太鼓」に戻して言うなら、つまらないことでいちいち怒るな、ということであり、悪に抗するに悪をもってするな、暴力に抗するに暴力をもってするな、という教え。
 きょうのこのときでさえ、世界のいろいろなところで戦争、紛争がおこなわれています。チベットの騒乱など、このところ毎日、テレビやラジオで繰り返し報じられていますね。気になってもわたしたちには何もできませんが、いくら大量に中国軍が動員されようと、軍隊の武器による暴力をもって抑えつけようとしたら、互いの憎しみが増すばかりで、けっして解決しないであろうと思われます。あるいは、ここ2~3日、人を無差別に殺傷する事件が西で東で、わたしたちのすぐ身辺で頻発しています。命がそこまで軽くなっていることに愕然とさせられます。
 こんなとき、トルストイ(ガンジーも)は言います。憎しみを去って、愛をもって向かい合い、相手を助け、奉仕せよ、と。暴力、強制、流血、争闘、階級制度……、そういうもののない新しい世界の創造の理想のため、1世紀も前から苦闘していた人、トルストイ。

 生むことのほんとうの苦しみをつうじてもうけた子どもにしてはじめて「わが子よ!」と呼べる。ひたいに汗してかち得たパンにしてはじめて「わがパンだ!」と喜んで受けとめることができる……。そうした思想に立って、名門の大富豪でもあった大作家は、水汲みもした、薪割りも靴づくりもした、泥まみれになって大工仕事も農耕の作業もし、何でもやりました。農奴の子どもたちのために学校をつくり、教育を施しました。下層の農民の生活のあいだでようやく探りあてた世界観が、愛と無抵抗と自己犠牲の思想であり、その観念と実生活を調和させるのがトルストイの生涯をかけた戦いでした。

 その晩年、伯爵とか名門の大地主という階級を捨てます。富を捨て、ヤースナヤ・パリャーナの広大な家を捨て、私有する一切を捨て、愛する家族さえ捨てて、家出します(このへんは、わたしにとってのもう一人の師、良寛さんの生きかたが思い出されます)。自分の生涯の最後の幾日かを、完全に自由に、孤独に、誰にも煩わされないで静かに生きたいとして出奔。1911年11月、ロシアの片田舎のある寒駅スターポヴォ(現在は「レフ・トルストイ駅」と改名されているとか)で高熱を発し、駅長官舎での1週間の病臥ののち、7日払暁、肺炎のために他界します。

 さて、すべてを捨てて孤りになって、「全人類との全き抱愛」の理想は、この大作家のなかで完結したのでしょうか。

 とんでもありません。それこそが、わたしたち、そう、あなたたちラボっ子に投げかけられた課題なんだと思います。むずかしいことだよ、これ。だから、だからね、しっかり「エメリヤン…」の“テーマ”活動をやっていただきたいのです。
 ついでにいわせてもらうなら、読んでもらいたいなあ、これらの大作の一つでもいいから。プーシキンの娘のマリアを外見上のモデルにしたというアンナ・カレーニナ、ソフィア夫人の妹のタチヤーナ・クズミンスカヤがモデルとされる「復活」のカチューシャ、「戦争と平和」のナターシャ…。彼女たちの魅惑とその生きかたにもふれてもらいたい。

tolstoi001
80歳のトルストイと、右は晩年のトルストイの秘書役だった三女のアレクサンドラ
tolstoi002
農場にたつトルストイ、77歳
  
★転記(部分)済み「エメリヤンと太鼓」の秘密 ⇒「ページ一覧」のうち「「物語寸景(6)」 
Re:■エメリヤンと、捨てられるもの一切を捨てたトルストイと(03月24日)
スミティさん (2008年03月24日 21時06分)

こんな風に取り上げてくださってありがとうございます。私も、まさに
これぞテーマ活動をする意味、と感じています。出てきた一つ一つの 
「もしも」に子どもたち一人一人の生き様、生活、環境、段階がありま
す。 おじいちゃんと一緒につりに行くふねが欲しいとことばにする小
学一年生、それには彼の抱えるものがあります。そしてそれを受け止め
るのはテューターだけでなく高校生たちも受け止めます。

今回エメリヤン政策秘話として発表にいたるプロセスを高校生が自分た
ちでことばにし、みんなの前で表現してから発表に臨みました。左のペ
ージに載せてあります。見た方からはこれがあって分かりやすかった、
と好評で、難しい物語、見る中に幼児も多かったのに、最後まで静かに
見てもらえて、子どもたちのイメージした、伝えたいと思ったことは受
け止めてもらえたようで、うれしかったです。

今の子どもたち、大きな権力の存在も、不自由であるということもなか
なか想像できません。農奴といわれても分からない。人間の歴史の中で
奴隷という不自由な存在があったという事実から小学校低学年にも分か
るように、いろいろなことをしました。戦争についても、ゲーム的な感
覚で戦うほうに楽しさを感じていた最初の頃の取り組みから、今、この
地球上で戦いがあり、その中で生きている子どもたちがいるという事実
も紹介しました。
子どもに分かりやすい資料をと図書館で山のように本を借り、それを毎
回もって行き、必要な時に出しながら。

今回調べた中で私自身がはまったのがマンガ「女帝エカテリーナ」池田
理代子 史実に忠実にマンガにしてあって、おもしろかったです。この
マンガを読み込める中高生が出てくれるとうれしいのですが。お母さん
方に受けていました。

それにしても、そう思っていたこの大事なことをとんと忘れると
は・・・ 私と高校生の子が分かっていたのに、高校生ももう取り紛れ
て・・・。情けない気持ちいっぱいの中、こんな風に言っていただける
とちょっと元気になりました。
Re:Re:■エメリヤンと、捨てられるもの一切を捨てたトルストイと(03月24日)
がのさん (2008年03月26日 00時53分)

スミティさん

 魔法で描きだすそれぞれの夢のほか、制作秘話で紹介されたラボっ子
みんなのすばらしい挑戦に胸を熱くしました。パーティのみんなが、そ
の挑戦をつうじてほんとうにいい経験を勝ちとったことに、感動を覚え
ます。それこそが本当の「テーマ活動」ですよね。

 子どもをヤワな、自己中心のひ弱な人間に育てあげようと思うなら、
それはいとも簡単です。口に甘いものばかり、柔らかいものばかりを食
べさせたらいい。欲しいとねだるものがあったら、すぐ与えるようにし
たらいい。(その種のラボ・ライブリーもたくさんありますので)
 しかし、ちっとはこころの強い、自分で考え、自分で決める力のある
人間、相手の気持ちのわかる人間に育てたいと思ったら、ときには骨の
太い、カチッとして歯ごたえのあるものを与えるべきだろう……、とい
うようなことは、子育て経験の豊富なテューターのみなさんなら、十分
ご承知ですよね。
 ときにはちょっとしたケガをすることもあろうかも知れませんが、そ
の丈を越えた、少し高いものにとびつく挑戦をさせなければなりませ
ん。「エメリアン…」はそんな意図をふくんでつくられたものです。

 大トルストイが後世のわたしたちに託し、投げかけているテーマは、
いくら挑戦してとびあがっても、手のとどかない高さ、いや、いくら手
をのばしても届かない深さがあります。もっともっといろいろな角度か
らその深遠に手を伸ばす努力をつづけねばなりませんね。またがんばっ
て次の挑戦をしてくださること、期待しています。 
 
Re:Re:Re:■エメリヤンと、捨てられるもの一切を捨てたトルストイと(03月24日)
スミティさん (2008年03月26日 23時35分)

がのさんへ

トルストイのそういうメッセージ、私自身は思っていましたが高校生以
下にはあえてあまり言いませんでした。発表一週間前、あなたたちが考
えたこと、ただ発表しただけでは伝わらない、伝えるには何かしたほう
がいいのでは、と投げかけて、でも最後は私がやらなきゃいけないか
な、なんて思っていたら、この制作秘話が夜中にメールできて、ちゃあ
ーんと分かっているではないの、と、うれしくなりました。
これまでのテーマ活動の中で、伝わる伝わらないはそのときのグループ
の力量で別にして、自分たちの中で伝えたいものがあることを大切にテ
ーマ活動をしてきました。高3のMちゃん、これでラボ卒業。そういう活
動を自分の中で租借してくれたからこそ、この原稿ができたんだと思い
ます。本人は気づいていないと思いますが。

すみだp15年、テーマ活動の歴史の中で、「ピノッキオ4話かなえられた
夢」 のときは親と子の愛情を考えたこと、 「海の楽隊」をしたとき
は、One for all all for one 一期一会、出会いをテーマにしたこと、
「長靴を履いた猫」の時は、長靴を履いた紳士的な猫、脱いだ野性の
猫、どちらが本当か、なんて話をしながら。今回「エメリヤン」では、
もしも魔法が使えたら、自分にとって幸せとは・・・直接的に聞いたこ
とも聞いていないこともありますが、そんなことをみんなで共有しあい
ながらの3ヶ月でした。

お母さん方もそれが分かるようになると、テーマ活動、ラボのおもしろ
さに気づいてくださるようで。「人」が育ち「人」になっていく。その
難しさとその感動。大人にとっても子どもにとっても。

エメリヤンもピノッキオも海の楽隊も共通するものがあります「祈り」
人は祈り、祈らなくてもこうなりたいとことばにする、イメージすると
いうことの影響の大きさ、力。
今回エメリヤンに取り組んでみて、「では、私たち大人は、魔法が使え
たらどんなことを願うのか」 日本国の総理である福田氏はどんなこと
を願うのか。
取り組みの中で、エメリヤンと太鼓21世紀バージョンを考えたとき、大
きな軍事力と権力を持っているのは誰? そしてその人が考える魔法は
何? ではその中でエメリヤンのようにしいたげられている人々って
誰?という話も高校生としました。

彼、彼女たちの中のこの経験が10年後、20年後に生きますように。



 
Re:Re:Re:Re:■エメリヤンと、捨てられるもの一切を捨てたトルストイと(03月24日)
がのさん (2008年03月29日 10時18分)

スミティさん

【その1】
>今回「エメリヤン」では、もしも魔法が使えたら、自分にとって幸せ
とは……、そんなことをみんなで共有しあいながらの3ヶ月でした。
お母さん方もそれが分かるようになると、テーマ活動、ラボのおもしろ
さに気づいてくださるようで。「人」が育ち「人」になっていく。その
難しさとその感動。大人にとっても子どもにとっても。

     ----------------------------

 「人は人のなかでしか人になれない」――スミティさんのパーティ
の、ゆるぎないこの信念にそってやりきった活動だったのですね。たと
えば、あの老婆の眼をぬらしている涙が何なのか、しばらく立ち止まっ
てみんなで考えてみる、そこにテーマ活動があり、「人」への道があ
る、と信じていいのではないでしょうか。
 子どもたちに(おとなもいっしょに)、自分自身のアタマで考える力
を体得してもらう、つまり「人」として育っていく本源的な力をつける
体験をしてもらうために、ラボは世界のすぐれた物語にこめられたここ
ろを素材に、文化の核心である「ことば」に迫まる表現の活動をしてい
るんだ、といえるように思います。ですから、日常のパーティ活動をつ
うじて、質のよいダイナミックな体験(テーマ活動)をしてもらわなけ
ればなりませんね。それは、いうまでもなく、いくつのおはなしを聞い
たか、いくつの外国のことばをいえるようになったか、そういうその場
かぎりのセコイ尺度を問題にしません。

 一方、ラボ・ライブラリーの制作は、あっちにぶつかり、こっちにぶ
つかりしつつ、さまざまな過程を経て、とりあえずひとつの作品をつく
りあげ、結果、たくさん買ってもらってお金もうけができれば、それで
終わりではなく、子どもたちに“テーマ”活動として取り組まれ、さま
ざまに子どもの精神とこころを沸きたたせ、うるおし、十分に租借され
てはじめて完結するものですね。そこにあるのは、口に甘いものばかり
ではありません。
【つづく】。
Re:Re:Re:Re:■エメリヤンと、捨てられるもの一切を捨てたトルストイと(03月24日)
がのさん (2008年03月29日 10時21分)

スミティさん

【その2】
 制作するものたちは、つくっているとき、子どもたちはここでこんな
表現をするだろうな、こんなことを考えてくれるはずだ、こんな表情を
してくれるはずだ、…なんて想いながら作業をすすめます。そして、い
ちばんの悦びは、そうしたこちら側のひとり勝手な想念を大きく超え
て、子どもたちがもっとすばらしい発想で表現してくれたときです。
「まいった!」と兜を脱がされるときの感覚は、何にも増して心地よい
感動です。別段、子どもたちは制作者たちのためにテーマ活動をするわ
けではありませんけれど、そここそが「人」がいちばんそだっていく拠
点になっているはずだと思うのです。

 ごくごくその一端とはいえ、“偉大な”トルストイのこころにふれた
経験は、「人」になっていく子どもたちのもうひとつの影をつくってい
くことでしょう。余計なことでしょうが、トルストイを動かした気高い
思想の軸を、わたしなりに拾ってみました。「ページ一覧」の「ことば
の旅路、その2」に“トルストイの五戒”としてメモしましたので、機
会をみてご一読いただけたら幸甚です。
Re:Re:Re:Re:Re:■エメリヤンと、捨てられるもの一切を捨てたトルストイと(03月24日)
スミティさん (2008年04月13日 22時51分)

がのさんへ

 制作するものたちは、つくっているとき、子どもたちはここでこんな
表現をするだろうな、こんなことを考えてくれるはずだ、こんな表情を
してくれるはずだ、…なんて想いながら作業をすすめます。そして、い
ちばんの悦びは、そうしたこちら側のひとり勝手な想念を大きく超え
て、子どもたちがもっとすばらしい発想で表現してくれたときです。


☆テューターも、子どもたちの発想、感じ方に驚かされ、目を開かされ
るおもいのことがあります。こういう時ってすごくうれしいです。
逆に、物語に取り組む中で、今の子どもたちのおかれている状況や抱え
ている問題が出てくることもよくあります。

最近思うこと。今回エメリヤンをやっても、小学校高学年の男の子、ゲ
ーム的に戦いを楽しむ、戦いのイメージが強すぎてそこから抜けられな
い。どの物語をやっても絵を描かせると武器が出てくる。気になってい
ました。DSなどで流行っている戦いのゲームがあるようで、かなりリ
アルなようで、そのゲームのことをいつも考えている、と子ども自身が
言っていました。

親は気をつけて規制はしていても、友達がみんなやればやりたいし、や
りたい気持ちがあれば、規制されてもほかでやる。
テレビにしてもゲームにしても文部科学省はもう少しこの影響に敏感に
ならないと、「人間になれない子どもたち」が増えるばかり。個人の努
力の限界を感じてしまいます。10年位前にNHK取材班が「人間にな
れない子どもたち」という本を出していますが。

「心のとってもやさしい人になりたい」と望む子もいれば、そのことば
をきいて、「うそっぽい」と感じる子どもがいることも現実です。

トルストイの理想とする「人間らしさ」。豊かで物とお金の中で育って
いく今の社会状況。

いま、パーティで「フレデリック」を取り上げて日本の美しい春を発見
しています。ラボに来ている中で、いい物語、音楽、絵、語り、そし
て、自然、それに出会う場を増やしてやりたい。
Re:Re:Re:Re:Re:Re:■エメリヤンとトルストイと“西の魔女”と
がのさん (2008年04月15日 00時02分)

スミティさん

【その1】
>最近思うこと。今回エメリヤンをやっても、小学校高学年の男の子、
ゲーム的に戦いを楽しむ、DSなどで流行っている戦いのゲームがある
ようで、「人間になれない子どもたち」が増えるばかり。10年位前に
NHK取材班が「人間になれない子どもたち」という本を出しています
が。
      ----------------------------

 子どもが“人間”になっていくすがたを、ちょっと違う側面からご紹
介し、おしゃべりしたいと思います。
 以前この「ひろば@」のどこかで紹介したことのある、梨木香歩さんの
『西の魔女が死んだ』をめぐって、この木曜日、4月17日、地域の中高
生や中高年の人たちを前に口演することになっていて、もう一度読み直
して作品鑑賞メモをつくっているところでした。これは、名古屋のさち
こさんに紹介してもらった本。(「ページ一覧」のうちの「物語寸景2-
5」所収)そこでは、教育に手抜きはいけないよ、ということを言わせて
もらいましたが。
 
 こういうしょうもないゲームにばかり心をとらわれているような子に
は、「魔女修行」が必要でしょうかね。どこにもいるケータイ馬鹿に
も。緑深い自然のなか、欲なく虚栄なく、つつましく暮らすおばあちゃ
ん魔女。その“西の魔女”のスローライフのまわりには、特別なことは
ありませんが、明るく温かい日差しと匂い立つような緑があります。ホ
ンモノの生きる力をもったすてきな存在です。そのていねいな生きかた
が魅力的で、「まい」は学校を休んで魔女修行に入ります。いや、手の
施しようのなくなったママがおこなった強制隔離によって。
 修行といっても、それは特別なことではなく、家事をしたり、勉強を
したり、ごくごく当たり前のことを、ていねいに心をこめてするだけの
こと。当たり前のことをして過ごすことの心地よさ、当たり前のことの
中に新鮮な喜びを見つけるゆたかさ。ちょっと神経過敏で、学校は苦痛
を与えるほか何もないところと拒否して登校しない、扱いにくい、生き
るに生きにくい少女「まい」は、魔女生活のそのゆたかさに癒されつ
つ、自信をつけ、成長していきます。
【つづく】
Re:Re:Re:Re:Re:Re:■エメリヤンとトルストイと“西の魔女”と
がのさん (2008年04月15日 09時03分)

スミティさん

【その2】
 野イチゴを摘んだり畑から野菜を採ったりと、ターシャ・テューダー
を想わせる、自給自足の、シンプルな、自然とともに生きる生活スタイ
ル。掃除にも洗濯にも電気を使うことのない質素な生活。魔女との日々
はそういうものでした。
 いつも背筋をピンと伸ばし、さかしらに他を否定することなく、多様
な生き方を肯定するおばあちゃんの魔女ぶりは、生きにくさを感じてい
る人の心の痛みに触れ、外の世界とつながる力を、たくまずして示して
くれるものでした。どうでしょう、共鳴できませんか、こんな生き方。

 一方、対照的なのは、中学生の主人公「まい」のママで、なりふりか
まわず、仕事、仕事といってキャリアウーマンとして息せききって東奔
西走しています。夫は長期単身赴任で不在、いつも自由いっぱいの独身
状態で、ハーフでかっこいいママはどこへ行ってももてもてです。そん
なママとふたりきりの「まい」の生活がどんなものかは、十分に想像が
つこうというもの。「まい」はどれほど高価なものを与えられても、満
たされることはありません。リッチさは人のこころを不安にさせるだ
け。「まい」には、逃避を考え、死を考え、人とのつきあいをきらい、
ひねくれるしかありませんよね。

 ゲームの発想にとらわれて、そこから離れられないでいる感性は、
「まい」のそんな状態にどこか似ているように思えるのですが。子ども
と本気には向き合っていないか、べたべたひっつきすぎで距離感のない
関係。ほしいといえば、すぐに親が買ってくれるから、子どもは何も考
えなくていい、自分で考えて決断しなくてもいい。魔女修行のいちばん
肝心なところは、何事につけ、自分で考え、自分で決める、というこ
と。喜びも希望も、また幸せも、自分のこころが決める。そこに“人
間”になった子どものすがたがある。テーマ活動の意味もそこにある。
「西の魔女が死んだ」は、おとなたちの効率主義が見落としていったさ
まざまな今日的な課題を、無理なく、説教くさくなく語ってくれている
好編で、いろいろ教えられ、これは地域の中学生たちに語るのにうって
つけの作品ではないかと考えているところです。
Re:■エメリヤンと、捨てられるもの一切を捨てたトルストイと(03月24日)
みかん(でこぽん)さん (2008年04月17日 22時52分)

”捨てられるものを一切捨てる”生き方、出来たらいいですね~。

物のない、シンプルな生活(荷造りが済んだ、段ボール箱ひとつで生活
する、引越し前後みたいな)に、憧れています。

物に囲まれて生活するうちに、一体、何が大切だったのか、わからなく
なってしまったような・・・そんな、迷子になったような生き方に、困
惑しています。

本当に大切なものを、見失わないように、生きたいです。

いつも、素敵なお花の写真の数々、ありがとうございます。”ひゅうが
みずき”(漢字がわかりません)初めて見ました。黄梅かな~と、思い
ましたが、ぜんぜん違いました。
Re:Re:■エメリヤンと、捨てられるもの一切を捨てたトルストイと(03月24日)
がのさん (2008年04月18日 11時40分)

みかんさん

【その1】
>”捨てられるものを一切捨てる”生き方、出来たらいいですね~。物
のない、シンプルな生活に、憧れています。物に囲まれて生活するうち
に、一体、何が大切だったのか、わからなくなってしまったような…。
本当に大切なものを、見失わないように、生きたいです。

     ----------------------------

 トルストイのストイックさも感動的ですが、みかんさんにさっそく読
んでいただいた「西の魔女…」。あんな魔女になりたいものですね。虚
栄なく、不要なものはぜんぶ削ぎ落として、質素ながら、緑深い自然を
友に「命」と「魂」を大事にする生きかた。欲がない、モノがないか
ら、ネジレのない、すっきりとした生きかたができる。そして、彼女の
する一つひとつに「ていねいさ」を見、感動します。これがないですも
んね、このごろの人には。ほんとうにシンプルな、自然とともに生きる
生活スタイルですが、掃除にも洗濯にもお料理にも野菜づくりにも、心
を外すことはなく「ていねい」で、当たり前ななかにいつも新鮮な輝き
と喜びを見つける生きかた。偏見なく、すべてを受け容れるおおらか
さ。さかしらに他を否定することなく、多様な生きかたを肯定し、そこ
に喜びをみる。自己流儀の生活をしていながら、引きこもるようなこと
はなく、外の世界とつながる力は、その多様な生きかたの肯定にある。
作品のテーマとは違いますが、あの老人にはどこか惹かれるものがあり
ますね。

 ところで、みかんさんのおたくではどうしていますか、夕ごはんのし
たくができて子どもさんを食卓に呼ぶとき。おっきな声で「ごはんです
よ!」と呼びかけますか。これがふつうと思うのですが、このごろは、
そうではなく、電話の子機を子ども部屋において、それで呼んだり、携
帯電話で知らせることが多いとか。
【つづく】
Re:Re:■エメリヤンと、捨てられるもの一切を捨てたトルストイと(03月24日)
がのさん (2008年04月18日 11時46分)

みかんさん

【その2】
 じつは、4月1日付けで横浜市の青少年指導員連絡協議会の委員を押
し付けられて任につき、その役員にも指名されて、きのうのこと、午後
からずっと区役所につめ、委嘱状伝達式と記念講演の準備をしていまし
た。その際に聞いたことなのですが、「ごはんですよ!」さえモノで伝
える時代になっていると聞いてビックリ! よっぽど広い邸宅に住んで
いるのかな、とも思いますが、かならずしもそうではない様子。親子の
あいだでさえ、こんな状態で、メンと向かってものをいうことがなくな
りつつあるようですね。人間関係の希薄さは、ここのところ自治会活動
に奔走するなかでもイヤというほど実感させられたことでしたが。人間
関係拒否、会話拒否、そこらへんから、最近いくつかの悲惨な事件、理
解しがたい惨事が起きていることを感じます。
 いまこうして向かい合っているパソコンが人間の意識をどう変革した
か、これは前進なのか、それとも後退なのか…。あらゆるモノがマニュ
アル化してすでに設定され、失敗することがなくなった(少なくなっ
た)。でも、たしかに憶えがありますが、「失敗」することでわたした
ちはチビのころからたくさんの大事にものをしっかりとつかんできた、
その「失敗」とプロセスを欠いた人間がどんなふうになっていくのか、
それを考えると、眠れないものがありますね。

     ----------------------------

> ”ひゅうがみずき”(漢字がわかりません)初めて見ました。黄梅か
な~と、思いましたが、

⇒漢字では「日向水木」となると思います。春の最初に咲くマンサク科
の花で、みかんさんのお住まいの熊本とはおとなりさんの「日向の国」
宮崎県に原木があるようです。画像ではアップにしていますが、もとも
とは小さな花です。冬枯れのあとに突然現われる黄色が、ほんとうにみ
ずみずしいですね。
Re:Re:Re:■エメリヤンと、捨てられるもの一切を捨てたトルストイと(03月24日)
みかん(でこぽん)さん (2008年04月21日 16時50分)

がのさん、

本当に憧れます。欲も、ものも最小限で、一つ一つのことを、丁寧に、
心をこめて生きる生き方。
(実態は、手抜きばかりで・・・)

ラボやボランティア活動、その他諸々で、時々首が回らなくなるので、
数年ごとに、少しずつ生活を整理します。今年は、地区の役員も回って
きて、回覧板や配布物の多さに驚いています。散歩がてらに、近所を歩
くのも、お花がいっぱい見れて、いいものですが・・・。

あ、うちは、携帯を持たせるのが、高校の終わりからなので、部屋に持
っていかずに、リビングにあったりしますので、家の中の連絡用として
は、機能しませんね。ま、狭い家ですので、必要ありませんが・・・。

子供たちが、中学生・高校生くらいから、部活や朝夕の課外授業など
で、みんなそろった食事には、誰かが、「お~!今日はみんないる!」
と、いいます。

街路樹の花水木が、こちらでは、今、満開ですが、日向水木は、花水木
とは、名前が似ているだけですよね?

がのさん、学校の屋根裏に上ったりして、大丈夫ですか?ライブラリー
秘話。是非、小出しでいいですので、継続してくださいね。(熱烈なフ
ァンより)
Re:Re:Re:Re:■エメリヤンと、捨てられるもの一切を捨てたトルストイと(03月24日)
がのさん (2008年04月22日 19時25分)

みかんさん

>うちは、携帯を持たせるのが、高校の終わりからなので、部屋に持っ
ていかずに、リビングにあったりしますので、家の中の連絡用として
は、機能しませんね。ま、狭い家ですので、必要ありませんが…。

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 さかしらに社会批判をするのは、あまり趣味ではありませんが、ほん
とに、人間、どうしちゃったんでしょうねぇ。13歳の「まい」が、入っ
たばかりの中学で疎外されていったすがたと、このところいろいろな機
会に耳にする「学校裏サイト」というものが一本につながって見えまし
たし、あるいは毎日報道されている出会い系サイトで知り合う者どうし
の傷つけあい。殺害という犯罪までも連日。振り込め詐欺にも携帯が使
われていましたね。便利なはずの携帯電話を契機にして生ずる新しい犯
罪と蛮行の数かず。ほんと、いやな渡世じゃのぉ~。
 こういうモノが悪い、持たすな、といってしまえば簡単なんでしょう
が、根はもっともっと深いところにあり、上から下まで人びとが生きる
たたずまいを忘れてしまったことによるように思いますね。モラルとい
うのとも違う、(テューターの自信と誇り、なんて書いたばかりです
が)人間としての誇りというか自信というか、おテントさまに恥じない
というか…。
 モノが欲しくてたまらない気持ちを抑えることができないまま、どん
どん自分の身のまわりをモノで飾ってうずめる。それは、人が富みすぎ
て、一つ得ると次が欲しくなる、その欲の連鎖か。そう、わたしみたい
にスッカンピンですと、気がラクですよ、株が上がっても下がっても、
たいして気にならない。物価が上がっても、あまりモノを買わないか
ら、そんなに気にならない。それでも、ちゃんと人なみには食べている
し、着ているし、そんなに不自由しているわけではない。むしろ、ささ
やかながら人さまのお役にたつことさえしていられる。
【つづく】
Re:Re:Re:Re:■エメリヤンと、捨てられるもの一切を捨てたトルストイと(03月24日)
がのさん (2008年04月22日 19時27分)

みかんさん

【その2】

 さあ、どうすればいいんでしょうか。車。燃費もよい小さなものにし
たとはいえ、そんなに頻繁に使う用事もないし、不要じゃないか、ガソ
リンも高いし、幾重にも税金がかかる、駐車場の契約料もばかにならな
い、歩いている通行人を脅かして迷惑をかけ、おまけに有毒なガスを撒
き散らして空気を汚染する、電車だってバスだってあるのに、こりゃ
あ、ムダだよぉ、老いとともに感覚も鈍って危険だし、……とはいいな
がら、やはり便利で、まだちょっと廃車にするわけにはいかない、とい
う優柔不断さに甘えることになってしまう。だめですねぇ。

 西の魔女のつくりだす、緑のなかの自給自足生活を、人間の生理にそ
って健康にゆたかにいとなむために、わたしたちはまず何を捨てなけれ
ばならないのでしょうか。(女房を捨てろ、という乱暴なことをいうの
もいて…。うん、それもいいかな)
 でも、まあ、「お~、みんないるかぁ、メシしだぞぉ」と、裸電球の
下の(まさか!)食卓に家族の顔をそろえる幸福は、いじましいけれ
ど、いいじゃないですか。トルストイの高邁な思想には遠いでしょう
が、それでいい、それ以上の何もいらないですよね。
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