幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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ちゃこの日記 [全413件] 371件~380件 表示 << 前の10件 | 次の10件 >>
てじなしとねこ 08月03日 (火)
 「あなたのうち、猫、飼ってるの?」といわれるくらい、うちにはよく猫が居る。またその猫が、庭やベランダでのんびりと寝そべっていたりする。お隣の奥さんが、猫がすきということで、野良猫にえさをやるので、このあたりに居ついてしまったのだ。てじなしのねこに負けないくらい、4,5匹いる。
 身が軽く、足音はしない。私の顔を見ても、「お隣さんに、こんにちは、」という感じで、ラボ・ルームへの階段をさっそうとのぼっていく。

*** このあたりに古びた車が一台やってきた。中からおじいさんが一人降りてきて、近くの空き地にテーブルを出して、なにやらしゃべり始めた。てじなだ!手品を始めた。Pit, pat, pit, pat…….どこからか、猫が集ってきた。・・・・・。***という感じ。

 SK2,だるまちゃんとかみなりちゃん、加古さんの絵はわかりやすい。一変して、これは油絵の大胆なタッチ。ラボはいろんな味のご馳走があるからいい。全体は憂愁の色、猫の目と、おじいさんの白いひげが目立つ。しかもその白は白抜きしてある。ひとつの技法。

 はじめは、昼、Four little kittens が、珍しいものを見にやってきた。小さい子はかわいい猫になりたくて、喜んでこねこになる。  その夜、Pit, pat, pit, pat 月が出て、ねこの目が白く光る。小さい子は、「こわい」という。  次の朝、・・・jump out with meows! ちいさいラボっ子は、おもしろがって飛び出す。
 Late, late that night, Pit, pat, pit, pat, Four dark shapes by the light of the moon,・・・・・もう大丈夫。夜も怖くない。こんな楽しいことはない、といわんばかりに、ラボっ子こねこは、飛び出す。
 Kitten がCat に成長する物語の最後には、小さいラボっ子も、ちょっと大きくなっている。

 ラボ・ライブラリー、Bravo, Kittens! といった後には、この題名の日本語はない。ある日、小1の子がもってきたノートにいいのがあった。「やったあ!こねこ」。お話を楽しんでよく聞く子だった。

 ―――「ニャンとおこったぞ。かんかんだ!」というところがおもしろい。「月にうかんだ4つのくろいかげが・・・Pit, pat, pit, pat のところのおんがくが、ぶきみでした。―――M子(小2)

 ―――おじいさんは、よかったね。4匹の猫のおかげで、お金持ちになりました。おじいさんは、ねこにじゃまされて、しっぱいしたと思っていたけど、本当は、ずっといいことが、おこったんだね。うんがよかったんだと思います。―――M子(小2)

 ―――おじいさんの手品は、ちょっと、古くなっていたと思います。新しいものを、練習しないといけないときに、猫たちが、仲間になってくれました。おじいさんは、新しい生活が、始まりました。今までは、大道芸人みたいだったけど、大きな舞台に立つことが出来ました。おじいさん、がんばってね。幸せにね。ねこをかわいがってください。―――Y子(小6)
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たぬき 07月30日 (金)
黒姫高原は今頃は、ラボ・ランドのラボっ子のエールやソングバードが響き渡っているだろう。黒姫も開発がすすみ、ずいぶん変わってしまった。私は、「たぬき」を聞くと、これがニコルさんの作だからか、黒姫につながる。このたぬきは、黒姫にすんでいる。彼なら、ラボっ子のエールにも驚かないだろう。好奇心旺盛だから、ひょっとしたら一人人数が多いよ!というロッジがあるかもしれない。

 この「たぬき」の物語、ラボから頭を離して、ただ、日本語の普通の創作物語として読んでも、本当に、面白いと思う。優れた物語。ラボの中に眠らせて?おくのがもったいないくらい。
 狸は、日本で親しまれている動物だが、日本の物語のたぬきや、あだ名につけられるたぬき、ふるだぬき、などのイメージとは全然違う。とっても好奇心の強い、ユーモアのある、かわいい新たぬきだ。たぬきという動物だから、許されて、いろんなことが出来る。ニコルさんの体験が織り込まれた、貴重な物語である。

 日本のたぬきが、一番よくて、はらつずみから始まるのがいい。しかも日本を出て、イギリス、アフリカ、カナダと行かせてもらって、そこで一番いいことをやってくる。たぬきといっしょに楽しめる。 

 ―――わたしのすきなテープは、「たぬき」です。たぬきが、いろんなところへいくから、わたしもいっしょにいきます。たぬきがへんしんするところがたのしいです。おかあさんが、ぱんをやくとき、わたしはおてつだいをして、たぬきのかたちのパンをやきました。せんせいにもあげますよ。―――S子(小1)
 
 ―――きょうは、日本から持ってきた、「たぬき」の紙芝居をやりました。ぼくは、素語りをしながら、かみしばいを見せました。もう、たぬきが、家中の評判になってしまい、友達をわざわざ電話で呼び出して、何回もやって聞いてもらいました。みんな、とてもよろこんでくれて、おなかがふくれたとき、Iam TANUKI, というのです。いつもタヌキ、タヌキ。とても人気のたぬきです。
 ある日、お父さんと、おかあさんが、けんかをしていました。ぼくは、急いで、かみしばいの、THE END をだして、だまって、それを見せました。二人は、笑ってしまって、けんかは、終わりました。―――K君(中1――アーカンソウで)
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かいだんこぞう 07月28日 (水)
「タケちゃんは、いなかから東京の団地に引っ越してきました。夏休み、田舎のおじいちゃん、おばあちゃんのところへ遊びにいくのを楽しみにしています。」こんな子が、いま、たくさんいることだろう。これほど環境の違う田舎というほどでなくても、おじいちゃん、おばあちゃんのところへいくというのは、子供にとっても、家族のみんなとしても、とってもうれしいことだ。我が家でも、もうすぐそのような状態になる。

 私の家のある環境は、笠松町という昔は、県庁があったという誇り高き町を隣に控えた新開住宅地。畑がだんだん住宅に変わっていくというところだ。ビルはほとんどなく、団地、マンションも少ない。関西のパーティと姉妹パーティ交流をしたとき、その姉妹パーティのひとつが、千里ニュータウンにあるパーティだった。そのパーティの家族の住宅は100パーセント、集合住宅、マンション、そして、核家族。うちのパーティは、ほとんどが庭付き一戸建て住宅で、ほとんどが広い家だ。しかも古い家や商家が多い。そして、そのとき、60パーセントが、祖父母と同居という環境だった。春秋、お互いに一泊交流をした後、その感想文は、みんなお互いの環境の違いに強い印象を受けていた。高層の住宅を体験した子、広いうち、それに大勢の家族との生活、忙しい商店、みんないい体験をしていた。

 私のパーティの子供たちのうちには、かいだんこぞうがいるような階段は、ほとんどなかった。でも、物語の中で、十分にイメージできる。人のいない階段は、静かだ。2階、3階とのぼっていくと、自分の足音がひびく。足音に追っかけられているようで、急いであがる。踊り場は、少し気分が変わる。そんな時、ふっと、かいだんこぞうと話が出来る。昼間でも静かで、淋しく感じるところだ。遊ぶ友達がないときは特に淋しい。夜の淋しさだ。だから、かいだんこぞうは、真っ黒。夜をしょって昼にも顔を出す。でも口だけが大きいからかわいい。かいだんこぞうにあったことのない子は、あってみたいなと思う。毎日会っている子は、かいだんこぞうのいないところで、のびのび遊び、強くなろう。そのうち、かいだんこぞうに会えないくらい友達が出来てしまうだろうから。一人ぼっちの淋しい子の足音は食べられなくなるぞ、かいだんこぞう。

 ―――ぼくはいま、かいだんこぞうを聞いているところです。かいだんこぞうっているのかなあ。タケちゃんみたいにかいだんこぞうにあってみたいが、近くに、かいだんがたくさんあるところがないしなあ。・・・よく考えてみると、かいだんこぞうなんて、いないんです。ありえない話ですが、ぼくは、ありうる話より、ありえない話のほうが好きです。想像や、空想の中には夢があります。それがラボの世界の中で、ふくらんでいくような気がします。だから、ぼくはラボが大好きです。―――T君(小6)
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だるまちゃんとかみなりちゃん 07月25日 ()
 毎日暑い。ちょっと雲行きが怪しくなって・・・一雨くるかな?・・・大粒の雨が降り出した! かみなり公園のプールを思い出すひと時だ。
 ラボの「だるまちゃんとかみなりちゃん」の物語もSK2だから、ずいぶん歴史を踏んだ物語だが、みんなに愛され、古さを感じない物語だ。
 
原作の加古里子さんの絵は、小さい子にもわかりやすく、ラボっ子のノートにも、よく、だるまちゃんの絵は現れた。加古さんの絵は、細かいところまで丁寧に描いてあって好感が持てる。そして、表情や仕草、持ち物や、部屋にあるものなど、日常生活の延長線上にあるようで、作者の伝達意欲は十分に考えられている。

加古さんは、だるまちゃんシリーズを描くようになった動機を、「日本的な風土や香りを伴った筋と内容、主人公でつくってみたい、と思った。」と書いておられ、さらに、「外国のすぐれた絵本を見るたびに、そこに出てくる登場人物の服装や、仕草や、背景、時には手にもつ小道具や、刺繍の模様にも、ちゃんと風土に培われた意味があり、民族性が息づいている。優れた文章でも埋め尽くせないよさがあることに気がついた。」といっておられる。だから、加古さんの絵本は、絵が細やかに語っている。さらに真正面から科学を説明するのではないが、なぜ? あ、そうか! と小さい子が考えるような要素が入っているようにも思う。

―――ぼくは、きょう、「だるまちゃんとかみなりちゃん」を、ふるいほうのラボ・テープでききました。(テープからCDに切り替わるとき)。ぼくは、どうしてかみなりちゃんがおちてきたのかなあ、とおもっていたけど、テープをきいていたら、わかりました。たかく、たかく、あまりいきおいよく、かみなりちゃんがとびこんだので、プールのまんなかがこわれてしまったのです。ご馳走がたくさん並んだところが、すごくたのしそうだなあ、とおもいました。―――S君(小1)

―――だるまに、手や足をつけているので、いろんな表情が出せるね。だるまちゃんとか、かみなりちゃんとかいうのも、すごくかわいい。かみなりちゃんは、雲の上のプールから来たんだね。丸いものは、プールで使っていた、う・き・わ。だるまちゃんは、その丸いものを、かみなりちゃんにとってあげようと、いろいろ作戦を考えたけど、どれも失敗。かみなりパパが来てくれて、二人ともよかったね。
私は、だるまちゃんのいろんな表情が好きです。たくさん描いてみました。どういうところか、だるまちゃんが、なんといっているのかわかりますか。―――M子(中2)
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アリ・ババと40人の盗賊 2 07月21日 (水)
 7月17日、朝日新聞の土曜版be に、千夜一夜物語がとりあげてあった。興味深く読んだ。
 「ひらけ・ゴマ」の呪文。なぜ、「ゴマ」なのか。ゴマの栽培は古代エジプト時代まで、さかのぼる。搾油、薬草として使われた貴重な作物。でも古くて貴重な作物ならばほかにもある。その謎が解きたくて筆者は、カイロの旧市街にあるスパイスと薬草の老舗の主人に尋ねる。その答えが私は気に入った。[誰にもわからないでしょうね。なぞはなぞのままにしておけばいいじゃないですか。]そうだ。そうだ。だからこそ。[開けゴマ]の呪文が呪文でありうるのだ。

 アラビア語では、美しい女性のことを、「ゴマのようね」といって褒めるそうだ。目がパッチリして、ふくよかなことが、エジプト美人の条件だそうだ。ゴマは小さくて美しいものの象徴だという。(これも朝日新聞)

 らくだ・こぶにの再話で持つラボ・ライブラリーのアリババの物語。私は、この絵本を手にしたとき、「ワッ、すごい。」パステルで描かれたその一枚一枚の絵が、異色で、色が生々しくもあるし、激しく狂おしくもある。でも、「 へ・・・Vladimir Tamari」と、イラストレイターの名前を見ただけ。後、忘れていたと思う。数年後、同じく、らくだ・こぶにの書かれた文章を読んで、納得したのだった。 ‘80年だから、古い話だが、あるところで[三日月形の激情]という文を書き、タマリ氏のこと、この絵のことを述べている。

 北欧の昔話などと比べると、はっきりわかるが、北欧は、スケールの大きさはその自然にあり、人間の力の及ばない自然への畏敬の念がにじみ出ていると思う。この千夜一夜となると世界で一番古い民話集といわれているだけあって、長い年月語り継がれ、練りに練られた完成品ともいえる。
 「ひらけ、ごま!」の呪文で、岩が開き、中から金銀財宝が現れるなんて、どんな子でひきつけられる光景です。それを息を呑んで木陰から見つめ、思わぬ財宝を手に入れて、どきどきするアリババ。アリババ夫婦とカシム夫婦、盗賊のかしら、そしてモージアナ。それぞれの人間が興味深く関心を引く。

 ただ、ほとんどの子が、絵本や名作・・・の形で、この内容に接している。どんな話でもそうであるが、「あ、この話、もう知ってる」と簡単に言ってしまう子は、私は、余り信用しない。こうして折角その入り口に立てたとき、興味を持ってより深くその世界をのぞけるように、アラビアン・ナイト(岩波少年文庫)くらいは用意しておいてあげたい。

 ―――ぼくは、とうぞくのかしらです。むちをならして、すごいはくりょく。ぼくは、いかにもおごそかな声を出して、「オープン セサミ!」といいました。カシムに思いっきりおそろしそうな声でいってやった。ちえをつかったけど、まけた。殺されるときは、とっても苦しかった。―――K君(小5)

 ―――小さいときから知っている物語なので、入りやすかった。アリババの話の中で、一番好きなところは、なんと言っても、魔法のことば、[開け、ゴマ]なぜゴマなのか、わからないけど、ごまのような小さいものだから、よりその力が不思議に感じられるし、親しみやすく感じられる。
 モージアナが盗賊のかしらをやっつけるところ、特に知恵を使って倒すところがすごい。小さいときからこのところがス好きだった。何度聞いても、スリルはあるし、登場人物もはっきりしていて、面白い。―――N君(高1)
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うみがたずねてきた 07月18日 ()
 夏休み、海水浴、海に行きたいシーズンである、というのも、一昔前のことか。今は、レジャーもいろいろ選択肢が増えているし、海水浴もその王者ではなくなった。夏は日焼けした肌が健康そうで、日焼けを競ったものだったけれど、今は、紫外線の害のほうが心配なようで、小さい子まで、日焼け止めクリームとか、紫外線対策を考えねばならぬようになった。でも、出来るだけ上手に自然を楽しみ、自然を学びたいものである。

 海星(人手)、鯛、平目(比目魚)、鱸、鮟鱇、鰯、烏賊、蛸、海鼠、海月(水母)、海老、蟹、蛤、牡蠣、帆立貝、栄虫累、鮑(鰒)、竜の落とし子、昆布、天草、海苔、 若布(和布、稚海藻)宿借り(寄居虫)、磯巾着、蝦蛄、老海鼠、わざわざ漢字で書いて遊んでみた。

 パーティでもいろいろ遊んだ。海の生き物を、たくさん厚紙に書いて切り抜き、クリップをつけてばら撒く。それを磁石をつけた釣り糸を作って吊り上げた。
海藻のダンス、若布はからからに乾いた若布しかわからない。春、常滑の海で養殖している若布をもらってきて、黒いべとべとしたのを、大きななべにお湯を沸かしてさっと入れると、ぱっと鮮やかな緑色に変わる。茎や花のついたようなぬるぬる若布をパーティみんなで、酢醤油で食べた。きっとこんなのが彼らの中には「うみがたずねてきた」物語の思い出になっているだろう。

 ―――これは、ひとでに「あそびにこい」といったら、ほんとうにやってきた。ひとでに人間のことばがわかるくらい心がつうじたのだと思う。なかまをおおぜいつれて、ぼくのうちへやってきた。やどかりがけんかをはじめたと思ったら、すもうだった。たこといかは、すもうではなくて、けんかで、すみのかけあいをしてまっくろけ。大人は、110番や119ばんといって、おおそうどうするのがおもしろい。―――T君(小5)

 ―――不思議な物語です。海に遊びにいった「ぼく」が、あまりに楽しくて、ひとでに「うちにあそびにおいで」といった。そのことばをずーと心のどこかにもっていて、ある日こんな夢を見た。そんな物語だと思った。海に行っても見ることの出来ないたくさんの海の生き物に、いっぺんに会えて何倍もうれしかった。魚や海藻になるのは簡単で、みんなすぐ表現した。それを迎えた僕や、お父さん、お母さんも考えると複雑で面白くなる。―――K君(大1)
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山山もっこり 1 07月15日 (木)
 先日、久しぶりにKテューターに会った。彼女は今年シャペロンなので、いまや大忙しの状態。Kテューターには、私のパーティを引き継いでもらっている。私が彼女に出会ったとき、あるひらめきがあって、[この人だ!]と思った。そうして引継ぎをお願いして、現在に至るが、私には微塵の後悔もない。

 私は、自分のパーティの引継ぎを決意したとき、なぜか「山山もっこり」が私の心の中を占めた。この物語は、小学一年生の女の子の作というから、驚きだが、そんなこととは関係なく、私はこの物語に、「神」を感じるのだ。私はパーティのラボっ子にも、そのように話した。「ここにある山が、あちらに移動するだけだ」と。

 パーティのラボっ子何十名を引き継いでもらうことは、それほど難しいことではないと思う。しかし、それを私が、「よろこんで」「あんしんして」引き継いでもらおうとしたときには、大げさに言えば、私の精神、魂をも引き継いでほしいと思う。
 山は簡単に、ひょっこり出来たものではない。山山もっこりの山は、常に動く。あるときは裾野を広く広げて、どっしりと。あるときは、不安がいっぱいで、山がかすむ。あるときは手を出したように中ほどを膨らませ、あるときは頭が大きくなり・・・・・ゆっくりと、葉っぱを茂らせ、目が出来、鼻、口ができて、山(パーティ)ができてきた。私は、常に何かに護られてきた。その守護神ともども、移動するのだ。
ラボっ子は移る。山はいったん姿を消して見えなくなる。そうしてあちらへ移動する。若い力はすぐに山を動かす。山はむくむく新しい山の形を作り出す。私は、心の中で、時々呼びかける。「たろうくーん、気分はどう?」「いいよ。とってもうれしいよ。」そうして、葉っぱの茂る話や、目の出来た話を聞くことが出来る。私はいつも、Kテューターには感謝、感謝である。

―――このあいだ、おとうさんや、おかあさんと車で遊びに行ったら、山山もっこりみたいな山を見たんだよ。だからしゃしんをとってもらったの。ね?目や鼻や口があるでしょ。先生にもしゃしんをあげますよ。―――S子(小2)

―――ぼくは、はじめ、むくむくとうごいたのは、じしんかとおもいました。山に、目やはなや口ができてしゃべれるようになりました。山山もっこりの意味はわかりませんが、山のふしぎということだと思いました。ひろしくんが見ると、動いて、お母さんが見ると、動きません。ひろしくんと山のひみつです。ふしぎで、たのしいおはなしです。―――T君(小1)

「ふたごがうまれた」<創作・山山もっこり、つづきの話>
―――ある日、たろうと、およめさんのはなこが、話をしていたら、はなこが、急に「おなかがいたいわ」といいました。びっくりしたたろうが、ふるやさんにいいました。ふるやさんが、「あかちゃんが、うまれるんだよ」と、おしえてあげると、たろうは、とてもよろこびました。
ある夜、たろうは、夢を見ました。それは、ふたごが生まれた夢でした。たろうは、朝おきて、夢のことを、ふるやさんに話すと、[きっと、ふたごだと思うよ。ふたごだといいね]とよろこんでくれました。
お昼ごろ、また、はなこが、「おなかがいたいわ。」といいました。ふるやさんが、「もうすぐ生まれるよ」といいました。 
次の朝、たろうが目を覚ますと、ギャーギャーとなきごえが聞こえました。ふるやさんも、かけつけてきました。「たろう、ふたごがうまれたよ。」とさけびました。たろうも、ふるやさんもおおよろこびです。男の子はたろうにそっくり。女の子は、はなこにそっくり。みんな大喜びで、お昼から、お祝いのパーティをしました。ふるやさんたちは、おいわいのプレゼントに、男の子には、本物のかぶとむしのバッジ、女の子には、きれいな花でつくったかんむりをあげました。それから、みんなで相談して、男の子には「じろう」。女の子には「ゆきこ」というなまえをつけました。
ふるやさんは、「このあたりも、にぎやかになるねえ。」と大喜びです。その夜は、みんな、ぐっすりねむりました。―――A子(小6)
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たろうのおでかけ 07月13日 (火)
 Stop, Taro! は、今考えてみると、外に持ち出した発表としては、私は一度もやっていない。でも、何かというと、そこらにころころと出てくる物語で、何時もみんなと共にあった物語だ。絵も一番多く描かれているし、粘土で作ったキャラクターや、車やお店、タペストリーなどが残っている。タペストリーは、みどりのタオル地に、タローやペットたちがアップリケしてあって、小さい子に好まれ、よく、妹、弟たちのお昼寝用に使われた。
 
募集のチラシや、お知らせのカットなどにも、よくタローとチローたちは使われた。このころ(30年余も前のこと)作ったチラシやお知らせのことをいえば、ガリ版とか、謄写版とか言って、蝋引きの原紙に鉄筆で書いて印刷していた。それからボールペン原紙になって、これなら、子供でもかける、と喜んだ。私は幼稚園にも原紙を持っていって、子供に絵など描かせていた。家では手刷り、センターでは、輪転機だった。やがてコピー機、ワープロ、パソコン・・・それもどんどん機能がよくなって、いまや・・・・・という時代になってしまったが、こういう時代を通ってきて今のラボがあると思うと、思いも深くなる。

 ぐるんぱと同様、原作の日本語とは違って、原作の日本語と、絵本から、ラボで英語がつけられてから、新たに日本語にしてあるので、お店のページにしても、大通りの車のところにしても、絵本をそのまま語って聞かせる感じになる。福音館にはほかにも、たろうシリーズはあるけれど、このラボの「たろうのおでかけ」は、生き生きしていると私は思う。

 ―――わたしの一ばん思い出のことば、Little boy , be careful. ラボにはいって、さいしょにいったことばです。わたしは、おねえちゃんもおにいちゃんもラボに入っていたので、生まれたときから、テープをきいていました。いつも元気なたろうや、ペットたちといっしょに、ゆきちゃんとこまでの道でおこるいろんなことを、たのしんできいていました。―――S子(小3)

 ―――小さい子と、ストップ・タローをやりました。タローのあとから、ばたばたとペットたちがついてきます。みんなすごく楽しそうなんだけど、お話のこと考えているのかなあ。私は何時もそれが気になっていました。テープをよくきくと、ペットたちのなき声もそのときによって変わっています。ペットもみんなで、タローのことばをいってみよう、といいました。その後は、タローと同じ気持ちでなくことができました。いいテーマ活動になったと思います。―――A子(大1)

 今このCDを流すと、今の子供には、テンポがずれているようにも思う。でもよく聞いていると、音楽もよく出来ている。ちっとも耳障りではなく、この音楽の間にそれぞれの子が、自分の思いで、この物語の行間を埋められたらいいなあ、と思って聞いた。なんだか毎日が忙しすぎる今だからこそ! 
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ぐるんぱのようちえん 07月09日 (金)
 「ぞうさんのえをかいて!」と、子供や孫、あるいは周囲の小さい子に言われたら、どんな絵を描くのだろう。私の絵は元気な「ぐるんぱ」になってしまう。そのうちに、はなの上に、クッキーをのせたぞうや、お皿や靴までのせてしまう。こういう絵は、ラボっ子でなくても、ぐるんぱのお話を知らない子でもよろこぶ。ぞうの絵といえば、私が思うには、横向きの絵が多い。間違いなく「ぞう」と分かるように描くことが出来る。前向き、正面から描いた絵は少ないと思う。[はなを高く上げて、きれいな、くうきをすっています]と、前向きで、はなを上げたぞうの絵を描くのは、ラボっ子の特権だろうと思う。

 この、ぐるんぱさん、動物の世界、ジャングルから、異郷である人間の世界にやってきて、一生懸命働くのだけれど、大きなものばかり作ってしまう。
そしてついに、ぐるんぱは幼稚園なって、「ぼくはとってもとってもたのしいぞ!」というように幸せを見出す。
 「やー、できたぞ、・・・」「ぐるんぱ、なにがなんでも大きすぎる・・・」の繰り返しが、小さい子は好きだった。そして大きなものが次々ふえてぐるんぱはしょんぼりするのだけれど、ラボっ子は、楽しくなってしまうのだった。

 この最初のテープSK1が作られる当時、このぐるんぱの絵本は、すでに、フランス語、英語に訳されて、フランスやアメリカ、イギリスで出版されていたという。ラボではそれこそ活動を考えての英語、日本語をつけ、絵本の原作と違う新たなものとして、ラボ・テープにしたという。ある意味、特殊な価値を持つラボの物語といえる。

 ―――ぐるんぱは、きれいにしてもらって、しごとにでていった。いろいろなみせにいったけれど、大きなものばかり作るので、おいだされてしまうところがおもしろい。でも、さいごのところがいちばんいい。こどもたちがおおぜい集って、ぐるんぱのようちえんになった。こどもたちのせわをするときのぐるんぱは、とってもうれしそうでした。―――T君(小2)

 5年生のR子は、素語りというよりは、ぐるんぱになりきって、ひとりテーマ活動をやってくれた。このような比較的わかりやすい物語を、英、日で自分のものにしてしまうことは、十分に楽しくて、自信もつく。
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へそもち 1 07月06日 (火)
 
 月に一回、ボランティアで小学校に行って「英語で遊ぼ」をやっている。One Little Finger をやった後、shoulder, knee といろいろやっていたら、一人の子が、「おへそは?」といった。私は「belly button、おなかのボタンだって」といった。すると、4年生の子が「tummy button じゃいけないの?」といった。私は「いいよ、どっちでも。あかちゃんことばなの。」といった。
 家に帰って、辞書を引いてみた。幼児語として一応出ていた。感のいい子がいるもんだ、と思った。辞書を引いてもうひとつ思い出すのは、「臍」の navel。私が、オレンジのネーブルを買ってくると、姑がいつも、「これはネーブルだね。おへそがあるから]というのだった。Navel orange もこれなんだ。

 ところで、私にこの belly button を思い出させた「へそもち、かみなりこぞう、The Thunder Boy」のライブラリーは、今のラボ活動を築き上げた最初のテープ。歴史的な作品といってもいいだろう。私が最初の発表会でやったのも、この Thunder Boy だった。そのころは、まだテーマ活動模索時代で、ダンボールをつんで五重塔の絵を描いたり、かみなりこぞうは、机の上にのったりしたものだった。

 また、この物語は、日本語が多く、日、日、日、英。日、日、英・・・というように、ある意味、自由自在。今の作り方から言えば、特殊といえる。当時この制作に当たられた責任者の覚書として出されたものがある。その中から、面白いと思うことだけ抜書きしておこう。
 この「かみなりこぞう、原作、へそもち」は、いかにも日本の昔話のようだけれども、渡辺茂男さんのまったくのオリジナル、しかもニューヨーク生まれという。渡辺さんが、ニューヨークの市立公共図書館の児童図書館に留学していらしたとき、ハドソン川のほとりを電車通勤していると、エンパイアステイトビルなんかにワァーと黒くもがかかることがあった。そのとき、ふっと思いついてこの物語を書かれたという。渡辺さんは英語でこの物語を作り、アメリカの子供たちに話して聞かせた。それを日本に帰って日本語に直し、赤羽末吉さんが絵を描いて「へそもち」として、福音館書店からだされたのだそうだ。それにまた、一生懸命ラボの英語をつけて、日本語もつけて、ラボ・ライブラリーにしたというわけ。
 これに関わった人たち、みな大御所だけれど、当時は若い。歴史を感じる作品である。

 ―――人や動物のおへそを取って食べるなんてへんだな。おしょうさんはあたまがいい。おへそのかわりに、おもちをやって、もう、ぎせいしゃが出ないようにしたから。
 でも、おおきいばあちゃんは、かみなりがくると、いつも「おりこうにしないと、おへそをとられるぞ、くわばらくわばら」といいます。おかあさんは、「おなかを出していると、おなかを冷やして病気になるよ。ということだよ」といいました。私はみんなおもしろいなとおもいました。―――I子(小3)

 ―――黒くももくもく。たいこをドドンドン。いなづまピカッ!物語にすると雷も面白い。暑い日に雷が来ると、ああ気持ちがいいと思う。でも、本当はこわい。五重塔のやりに引っかかったのも、避雷針のことを言っているのだと思う。田舎に遊びに行ったとき、ものすごい音がして、いなづまが走るのを見たときは、こんなにこわいものかと思った。
 最後に、おしょうさんが、「もう、へそをとるんじゃないぞ!」という。人々の切実な願いと、自然に対する人間の知恵、自然を大切にする心と調和、私たちの忘れてはならない物語だ。―――Y子(中1)

 雷は電気。そうわかっていても、物語の中では楽しめる空間が、頭の中にほしい。心の余裕でもある。小野かおるさんも、そんなきもちで、「かみなりさま」の絵本をいくつか書いておられるのであろう。

 SK1は、何十回やっただろう。発表会に関係なく、雷のなる夏には、必ず思い出して聞いた。国際交流では、何人もが、障子紙などに、絵を描いて巻物を作ったりもした。なつかしい物語だ。
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