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ナイチンゲール(アンデルセン) 3 07月04日 ()
 世界的に有名な童話作家アンデルセンの作品集を、挿絵で飾るとしたら、あなたはどんなイラストレーターにその仕事を任せますか。もしも運命的な結びつきを大切にするとすれば、第一の候補者は、あの「太陽の東 月の西」の黄金期の挿絵画家、カイ・ニールセンではないでしょうか。なぜなら二人は、共にデンマーク人であった上、あまりに似すぎた境遇にあったからです。―――と、荒俣宏さんがいっている。私の好きなカイ・ニールセン。やはり新書館から出されているアンデルセン童話集は、私の手放せない本のひとつではあるが、残念ながら、ラボのなかのアンデルセンの物語としては、たった一つ、ナイチンゲールの絵が一枚入っているだけなのだ。でもその一枚が、なんとも私をナイチンゲールの世界に静かに引き込んでくれる。

 「太陽の東 月の西」で、彼は、北斎や広重の影響を受けていると書いたけれど、彼は、小さい頃から、アラビアン・ナイトを愛読していたといわれる。それらが、彼の作品のいくつかに中国をはじめとする東洋の舞台が出てくることにつながるのであろう。

 ―――ぼくはやはり、おもちゃ、つまり、にせものよりも、自然、つまり本物のほうがいいなぁ、と思いました。中国の話かと思ったら、アンデルセンの話なのでびっくりしました。―――Y君(中1)

 ―――日本の作り物のほうがよく見えます。でも、なきごえは、ナイチンゲールとは違って、ワルツしか歌いません。
 ナイチンゲールは作り物とは違って、自由に歌います。
 ナイチンゲールは作り物とは違って、こわれません。心もあります。自分の思ったように動きます。つくりものとは違います。
 王様が病気になられたとき、ナイチンゲールが歌を聞かせてあげたら、病気が治ってしまいました。王様にとって、命の恩人です。ナイチンゲールの温かい心が、いいなぁと思いました。―――N子(中2)

 コペンハーゲンの郊外で、楽しい鳥のさえずりを聞いた。キュロ・キュロ・キュ! チーロチーロ! チッ・ツ・チチ!と元気に、あるいはけたたましくなく。その時々で、リズム、メロディが違うのだ。こちらも「そうですねえ、いい天気、気持ちのいい日ですねえ・・」などと、勝手に相槌を打ちたくなる。するとまた、「ほんとにきれいな森でしょ。わたしのうたごえきいてね。」とでも言うように、キュロ・キュロ・キュー・キュー・ツチ!と歌うのである。何かと聞いたら、「つぐみ」だという。

 ナイチンゲール、うぐいす。涼しげな山で、美しくなく。静かになく。「おや、うぐいす!」。もういちど、ないてほしいな、と、待っていると、「ホーホケキョ」。奥ゆかしくなく。この鳥の鳴き声に魅せられた人は、昔から多いのだろう。  
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みにくいあひるのこ(アンデルセン) 1 07月01日 (木)
 北欧の旅は、天気に恵まれ、出来上がった写真も、一段と美しい。心に残るのは、新緑の緑といえるやわらかい木のみどり、バジタブルーの空、フィヨルドの神秘的な青や深緑り、どこも満足の旅であったが、もし、心残りがあるとすれば、アンデルセンの故郷、オディンセへ行かなかったことだ。

 世界的な童話作家であるアンデルセンが、なんといってもデンマーク人だということで、コペンハーゲンでは、アンデルセンの名前をよく聞くことになる。
「人魚姫」に因んだ人魚の像は、観光の場所にはなっているが、なんとも物語からは、離れた感じがする。私は、その後ろの風景のほうに、興味を持ってしまった。スマートに、きれいに並んだ風車の列が、バルト海の風を受けてまわっていた。
 歩行者道ストロイエを歩いて、市庁舎広場まで来ると、市庁舎の横に、アンデルセンの像がある。その姿は21年前に来て、この脇に立って写真を撮ったときと、変わってはいない筈なのだが、周りの様子が変わったのだろう。騒々しく忙しくなった。像も表情が硬くなったような気さえする。
 古い建物が並ぶニュウハウンをクルーズしていくと、アンデルセンがコペンハーゲンにいたときに住んでいたといわれる家を紹介する。
 コペンハーゲンは古いお城も多い。そして、どこへ行っても水辺に建物の姿を映すような風景が多い。すると、ごく自然な状態で静かに白鳥が浮かんでいる。郊外の宮殿へ行ったとき、水辺の木の下に、白鳥の親子がいた。近くにいた若い日本人観光客が「あ、ほんとに白鳥の子は、みにくい子なんだ。」と叫んだ。

 ―――小さいころからよく聞いた物語です。いつも、みにくいあひるの子ってかわいそうだな、と思っていました。やっぱり、人間も同じように、少し、他人と違うところがあると、意地悪なことを言いたがるのですね。親から直接言われるより、話しているところを、聞いてしまったほうが、どんなに悲しかったかと思います。生きる力がなくなってしまうと思います。
 それでもみにくいあひるのこは、立派です。ちゃんとひとりで、自立していくことが出来たのだから。最後には、美しい立派な白鳥になり、本当によかった。と、この物語から、いやなことがあるとき、「そのうち、きっと、それはもっといいことがあるための今なのだ。」と思うようになりました。―――S子(高2)
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きこえる きこえる 1 06月25日 (金)
 Talking without words これを、「きこえる きこえる」とは、うまくいえたものだと思う。「太陽の東 月の西」のなかに、なぜか欲張ってこれまで入ってしまったという感じだ。ラボ・ルームのすみには、ライブラリーすべての感想文や記録がとってあるので、それを整理しながら見てみると、その当時の活動が、明確によみがえってくる。

 ―――私は犬の言うことはわかりません。人間の言葉でも時々わからないことがあるくらいです。今は、社会の機械化と都会化によって無言化の方向をたどっています。よりいっそう、心のキャッチボール、ことばのキャッチボールが大切です。Talking without words は、声にならない言葉、言葉にしなくても、心がわかるということを言っているのだと思います。複雑なことを伝えるには、言葉は大切ですが、人間は、言葉以上に体でも表現しているし、それを理解すること、またそのような表現が出来ることが大切だと思います。―――S子(中1)

―――声に出さなくても、何を言おうとしているのか、動作だけでわかる。これはとってもすばらしいことだと思います。言語が違っても通じるということで、世界共通ということになります。
 聞いていて、「なるほどね」「あぁ、そういえばそうだ」など、何気なくしている普段の行動に、意味があることに気づきました。
 また、Talking without words といった場合、もっと深い意味にも私は解釈します。人と人とのいろいろな関係において、言葉に出さなくても、言葉以上の内容を伝えあっている場合があります。そこには、お互いのやさしさが、通い合うことが必要だと思います。―――Y子(大1)

―――絵を見て驚いた。版画で28枚。細かいところまで表されている。いくつかのこまが集って、オムニパス形式。興味深く聞いた。言葉にならなくても、いいたいことがわかる。普段、僕たちもやっていることだけれども、改めて、考えさせられた。そして、表情と同じように、音楽も、一緒に泣いたり、笑ったりしていた。―――M君(高2)

 このライブラリーには、大きい子の感想文しかない。当然だと思うけれど、小さいこの絵や言葉が残っていない。そして、なぜか、この絵本は10冊ぐらい、手元に残っている。きっと誰かの忘れ物だろう。一番忘れ物になりやすかった本だとは?・・・。

 発表では、28こまの写真が残っている。英語の世界、日本語の世界と分けて表現している。ことばのニュアンス、表現が少し変わってくるから。そういうことが小さい時から、体でわかるということが、ラボはすばらしい、と言える。
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太陽の東 月の西ーーー(2) 3 06月20日 ()
 夏至に近い今は、北欧も美しく明るい。人々もつい遅くまで外で遊びすぎてしまう。でも、この明るい期間は短い。秋もなく、すぐに冬になってしまうようだ。この、今見ているノルウェーの自然。ここが太陽がなく暗いとしたら、どうだろう。長い夜、人々は、おのずと忍耐を強いられる。年寄りは幼子に歌や話をして聞かせ、夢を抱かせたのだろう。

 「太陽の東 月の西」はスケールの大きい話だと思っていた。確かにノルウェーにふさわしい、まさに、ここの自然が生んだ昔話だと思った。フィヨルドの絶壁に挟まれた、ほんの小さな平地にも、小さな家を見る。「山のふもとに老婆がいる」といわれても、ごく自然に溶け込んでいる。東風、西風と風によって旅をするのも、この地形にいかにもふさわしい。娘は、北風によってようやくたどり着くことが出来るが、この厳しさは、簡単には、想像できるとはいえない。北欧の人々の北風にこめられる自然の厳しさに対する畏敬と恐怖は、この物語で、ここにたっぷり語られていると思う。

 物語の雄大さに比して、ラボ・ライブラリーの絵本は少しお粗末であったと思う。語りからのイメージ、文字を読んでの思考、確かに大切で十分かもしれないが、挿絵、絵画によってさらに夢の世界を旅させてくれるともいえる。私は、「太陽の東 月の西」では、手放せない本がある。カイ・ニールセンの「太陽の東 月の西」である。ニールセンの生涯や作品について知れば納得のいくところだが、彼は、北斎や広重などの影響も受けており、彼の「太陽の東・月の西」の挿絵というより絵画は、東洋的な雰囲気もあり神秘的、幻想的であって、独特の様式美で表現している。私はこの物語を、彼の絵によって、いっそう好きになり、深めていったといえる。

 ―――はじめ、白熊は、悪いほうなのかな、と思っていたけど、とってもやさしい王子さまでした。娘は、それを知らずに、白熊との約束をやぶってしまい、別れなければならなくなって、かわいそうでした。三人のおばあさんに会ったり、東風、西風、南風、北風に連れて行ってもらうところは、とてもおもしろく、はくりょくがあります。お城についても、王子さまと話が出来るまでには、また、一苦労。あやういところで、王子さまと話が出来て、どんなに、うれしかったでしょう。わたしも、主人公と同じ気持ちになりました。不思議な、大きなお話です。―――Y子(小5)
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巨人シュトンペ・ピルト 06月19日 ()
 ストックホルムから飛行機でノルウェーのオスロへ。オスロからはバスで、リレハンメルを経由して、ゲイランゲルへ。それからバレストランド、そしてベルゲンと動いた。その間、切り立った絶壁に囲まれたゲイランゲルのフィヨルドをクルーズしたり、ブリクスダールでは、馬車に乗ったり、足場の悪い岩場を登ったりして、氷河の間近までいくことが出来た。
 ノルウェーの地形、フィヨルドは、実際に見なければ理解できないほどのものだと思った。私は古い本だが、東山魁夷の「白夜の旅」や、森麗子のファブリック・ピクチャー「白夜の旅から」を何度も眺めて楽しんでいる。これらのフィヨルドの絵画や、作品、または、旅行案内の写真などを見て、自分の絵の画材からは、はずして考えていた。私は、旅に画材を求めるとき、その国の文化にテーマを置いているから、フィヨルドは、まあ、旅のついでに回って来るか、ぐらいに思っていた。ところが、この旅の中心は、フィヨルドの雄大さ、すごさの感動になってしまった。言葉にいいつくせぬ、神秘的な美しさ、自然の力への敬嘆と畏怖、悠久のときの流れを感じ、周囲にも同じような観光客がいるのも忘れ、私は甲板で、風に吹かれ、長い一人の時間を物思いにふけった。

 太古の昔、氷河が削り取って出来た絶壁、その割れ目の谷に横たわる氷河。厳しい冬、フィヨルドには氷が張り、丘は雪に埋もれる。ようやく6月、雪解けの水は、無数の滝となって、岩盤の絶壁をすべり、大西洋へと流れる。
  
 今は、クルーズでこの景観を数時間で見て楽しむことが出来るが、刻々と変わる周りの様子は、雄大すぎて、写真にもしたくない。ノルウェーの文化は、まさにこの地形の上に作られたものだと思った。
 この厳しい絶壁と絶壁が重なり合う谷間のほんの少しの平地に、見逃しそうなほどの、農家や牧場がある。また、昔はあったが・・・という場所もかなりあった。そんなところを見つめていると、絶壁が急に巨人に見えたりする。静かに草を食んでいる羊たちのほうに向かって、叫ぶようだ。羊飼いの少年が現れた。今朝、私がホテルで食べたチーズ、カマンベールは、私の力でも、ぽたぽたとしるがでるほど、クリーミーだった。少年の矢は、トロルまで届くかなあ・・・。
 絶壁の岩面を見ると目や鼻があるようだ。2人、3人と重なっているようにも見える。ダウレアの「トロールものがたり」か。石になったトロルもいる。いやいや、それからトロルは、変わった!と私は言いたい。そのあとのトロルの絵本は、トロルが愛すべき仲間としてかかれていることが多い。
 フィヨルドを歩いて、氷河を見に行く道すがら、その湿地帯に、私は「ぬまばばさまのさけづくり」(オルセン)の酒のにおいを感じるのだった。トロルも愛すべき仲間だ。
 
 お土産屋で、私は、ひとつだけ気に入ったトロルを買った。その他は、お店の人に頼んで、全部写真を撮った。ノルウェーで入ったお土産屋のトロルは全部私のカメラの中にある。いつか私のフィヨルドの絵のどこかに現れるかもしれない。

 家に帰って、トロル人形を友達に見せると「それ、なあーに、魔よけ?」といった。私は「うん、そう。」といった。そうなんだ。何かにも書いてあった。「幸運を招き、財を呼ぶ」と。そのように信じよう。

 ―――私は、ひつじかいが、「ちっともこわくない」といったところがすきです。シュトンペ・ピルトのからだにやがささって、シュトンペピルトがこうさんしたとき、ひつじかいは、ほんとうはこわがっているのだから「よかった」と思っていると思います。羊飼いはよく頭を使って考えたと思います。ひつじかいは、小さいのに、大きいシュトンペ・ピルトにかてて、よかったです。わたしは、ひつじかいを、おおえんしています。わたしは、夢を見ました。ゆめのなかに、シュトンペ・ピルトが出てきましたよ。―――I子(小2)
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ウッレと冬の森 1 06月15日 (火)
 6月の北欧は、美しく明るかった。木々は、ちょうど日本の新緑のみどり。どこへ行っても花がいっぱいだった。マロニエ、ゴールデンシャワー、しゃくなげが、真っ盛り。それにルピナスが自生している。お花屋さんで、2本、3本と買うルピナスが、淡いピンク、白、むらさきときれいにそこらあたりに咲いている。散歩の途中、私はルピナスにかこまれて、しばらく時間をとめていた。
 
 今年の雪どけばあさんは、よく働いて、きれいに掃除し、春の女王をお迎えしたのだ。因みに、先回、来たときは4月だった。まだ冬のコートを着て歩いた。雪どけばあさんの掃除中、春の女王をお迎えする前だったのだろう。
 今は、11時ころまで明るく、3時ころに白んでくる。もうすぐ夏至際。北欧の人たちは、一番うきうきしているときだ。朝夕は、まだ上着の要る温度なのに、彼らは、もう夏を感じ始めている。日中、太陽が照れば、裸になり、テラスに出たり、芝生に寝転がったりしている。短い春夏は、大切なのだ。

 ヘルシンキからシリアラインでスウェーデン、ストックホルムへ。夕方5時に出港した船は、翌朝9時にストックホルムに着く。バルト海を静かに走る。島々がすばらしい景観を作っている。小さい島に赤やオレンジの屋根のかわいい家、そして水際に小さな小屋、その小屋からは、水面に差し出した板場、サウナ小屋だ。島の人たちの日常がうかがえる。広い海に出たかと思うくらい何も見えなくなったと思っていると、狭い海峡に入り込み、島が目の前に見えたりする。北欧は干満がなく、潮が薄いので、凍るのだという。
 ストックホルムも車が多く渋滞。旧市街地はノーベル賞授賞式で有名な市庁舎やコンサートホールをみたりするが、ほんの少し走れば郊外へ出る。そんなところへ来ると、「ウッレと冬の森」を想像できるようにもなる。
 
 家の周りは、今は緑みどり。少し行けば、ブルーベリーのつめそうな小道や、まっすぐに伸びた高い木々の茂った森がある。でも冬、明るくなった9時、10時、家からスキーをつけて「いってきまーす」と出かける、ウッレをイメージすることは容易である。決して日本のスキー場でしか出来ないスキーではない。ごく日常的に家の周りで、スキーやそりで遊ぶことが出来る。
 
―――この話に、白霜じいさんと、雪どけばあさんが出てくるのが面白いと思いました。冬といえば雪ですが、少し脇役のように思える霜が、ここでは、おじいさんのおかげで、引き立てられています。本当に寒い地方では、霜のほうが厳しいのかもしれません。また、雪解けばあさんのおかげで、春が来る前に春を迎える準備期間――雪解けの時期があることを教えています。雪解けという余りきれいでないものを、「雪どけばあさん」の登場で、詩的な楽しいものにしています。
 [冬が去り、春がやってきました]という表現が、雪どけばあさんのおかげで、とてもはっきりと、明るく、喜びを持って受け止められます。
 でも、白霜じいさんや雪どけばあさんに会えるのは、ウッレたち、小さい子でないと会えないのかなあ。―――いいえ、私は物語の中で会うことが出来ました。―――S子(高3)

 街中を歩いているとき、私は本屋を見つけて、飛び込んだ。「あった。あった」ベスコフの絵本。先回、3冊ほど買っていった。(すでに現役テューターにゆずったが)読めない原書を、こどもたちは興味深く熱心に見たものだった。私は買わない本を、手に取り、懐かしく見るだけで、外に出た。
 
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太陽の東・月の西ーーー(1) 05月29日 ()
 このライブラリーは、特別の思いのあるラボ・テープである。それまでのラボ・テープとは根本的に制作の体制が変わったのである。今でこそ、テューターが関わるのが、当然のようになっているが、このテープの制作からテープ委員会の体制ができたのだった。初めてのテープ委員は、たくさんの本、たくさんの資料を読んで読んで、何冊もの本を(重い荷物)持って本部の委員会に出席した。専門家の話も聞いた。その時々の専門家を巻き込んで関わっていただく体制も、このときからである。テューターの不安と大変さは、この程度であるが、このときの事務局関係者の心配、努力、苦労、気遣いは、大変なものであったと思う。
 とにかく、こうしていわば手探りで、出来上がったテープ!。最初にスイッチを入れて、音が出たときの感激!ずーと聞いていく・・・音楽も語りも・・・ああ、できたんだ!・・・と涙を流して聞いた。こんな思いを、共有できる人が、何人かいらっしゃる。それからどんどん体制が整って、新しいライブラリーが加わっていく。何事もありきたりの言葉ではあるけれど、「初心忘れず」の気持ちも大切にしたいものである。

 1982年にこのテープが出た。そしてその物語への想いもあって、‘83年に私は北欧に旅行した。ラップランドの人形や、トロルが今も残っている。そのときの記録も、懐かしく読んだ。今回、21年ぶり、北欧4カ国に行く機会を持った。きっと、先回よりも、私の中で、物語が熟成しているので、いい旅が出来ると期待している。

 帰ったら、しばらくはウッレの世界にひたり、トロルと遊べるだろうと、うきうきしている。

 
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鮫どんとキジムナー 2 05月25日 (火)
 1995年、このライブラリーが出たとき、物語の背景を求めて、の旅として、沖縄に出かけ、キジムナーの研究家で、キジムナー友の会を結成したりしておられる山城善光さんにお会いすることができた。
 沖縄へ出かける人は、それぞれいろいろな目的があるだろう。何よりも恵まれたリゾート地でもあるし、また重い歴史を抱えた島でもある。沖縄へ行って、ガイドの話を聞けば、それらから逃れることはできない。

 私たちは、石垣、西表島など、観光もした後、那覇にはいった。沖縄ラボの宮里さんのお世話になり、国際通りの山城さんのお店へ行く。現地のテューターの数人の方とも一緒になり、山城善光さんにお会いした。
 このお店は、沖縄の家庭料理でお酒の飲めるお店だった。壁には、いっぱい沖縄の言葉が島の絵と共に張ってある。そして正面にはキジムナーがいた。それは「平良真也作」と書いてあり、その下には「ブナガヤは平和の象徴」と大きく書いてあった。キジムナーのことを土地によって、いろいろな言い方があり、大宜味村、喜如嘉では、ブナガヤといい、山城さんも、ブナガヤと話されていた。そこにあるキジムナーが、イメージ通りであるとか、イメージが深まるとかは別として、山城さんが、いかにキジムナーを愛し、キジムナーの存在を信じている一人かがわかる。
 へちまと豚肉、ぶたのみみ、ゴーヤなど、沖縄料理に、泡盛をふるまわれ、夜、8時過ぎに着いた私たちは、料理と話に興奮と感謝、大満足のひと時だった。

 ところでライブラリーの[鮫どんとキジムナー]。この絵本の楽しいこと。私は、ラボ・ライブラリーの多くがそうであるが、単なる教材ではなく、すぐれた芸術作品であると思う。本多豊国さんの講演を聴くと、なるほどと、その努力のあとが納得できる。絵として、少し退屈になりそうなところには、紅型の雰囲気を持たせて、さらにそのあたりのイメージをたすけるような細やかな絵が描かれている。鮫どんは豊国さんに似ている・・・と私には思える。

 私が、絵本を見せながら読み聞かせをしていた。見開きいっぱいの絵のところは、文が少ない。そのページを読んで、次に移ろうとしたら、「ちょっと、ちょっと、・・まだー・・」という。次のページは、文章ばかり。わたしは、「わかった!」と思い、一生懸命絵から絵につなげるように、物語を覚えた。子供たちには十分絵を楽しませながら、絵から絵に飛んで、語りをやった。大うけに受けて、幼稚園でも十分、楽しんだ。

・・・「鮫どんとキジムナー」を聞きました。終わりに、沖縄の言葉で話しています。ぼくは、本を見て、初めは、わかる、わかると、思って聞いていたけど、そのうちに、何を言っているのか、わからなくなりました。これでも、日本語なのかと思うくらいわかりません。でもまた、そのうち、「さめどのー」(さめどん)「ないびた」(なりました)「ひち、はちにん、たちゃびた」(七、八年たちました)と、どんどんわかるようになってきて、すごくおもしろいと、思いました。
                      ・・・S君(中1)

 キジムナーの物語の心を知るには、ウチナーの言葉で聞くほうがいいかもしれない。船越義章さんが言われているように、「学問的な解明で納得するよりも、祖母の語った話で培われた私だけのキジムナー」でいいと思う。
  ガジュマルの木は、見る人によって、いろいろな姿にも見える。威厳をもった姿、優しい懐かしさを感じる姿、象に見えたかと思えば、後ろへ回れば、キリンに見える。そんなガジュマルの木の後ろに広がる青い海。朝、夕、変幻に変わる空や雲の様。こんなところに人々が、神や、魂、木の精を感じても不思議ではない。その土地の空気を肌で感じ、そこに感じた私のキジムナーを大切にしよう。

 [昔、人間は、キジムナーと心を通わせていた。いい友人であった。それが、いつのまにか、人間の知恵が、悪知恵になり、欲ができたために、キジムナーとの心の通い路が、閉ざされてしまった。]船越義章さんの言葉である。
・           
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沖縄の色 5 05月19日 (水)
 このところ天気がはっきりしなくて、やがて梅雨に入るようだ。沖縄はすでに梅雨に入っていて、当然、こちらより早く梅雨明けとなる。そうするとからりとした暑い夏がやってくる。
 沖縄といえば「鮫どんとキジムナー」について書きたいところだけれど、私が沖縄へ行って、強く印象に残っているのは、「沖縄の色」である。
 私が沖縄に旅行したのは2度。最初はそれこそキジムナーの背景を求めて、テューター仲間と春に。つぎは、ぜひ沖縄に行ってみたいという主人と一緒に夏に出かけた。
 旅行に行くことは、私にとっては油絵を描く画材の収集でもある。沖縄に画題を求めて描いた絵は、首里城公園内の城壁が作る曲線と、いくつかの門、その建物がかさなって見えるアングルに魅せられて、絵にしたもの。それから、石垣島に多く見られるシーサーのさまざまな形や表情をたくさん集め幾枚かの絵を構成した。
 さて、夏の沖縄、天気は上々、暑さも相当なものだった。その暑さの中、宮古島から始まって、来間、伊良部、下地、池間、石垣、由布、竹富島と、それぞれの島の特徴を楽しんだ。
 島に着いた旅のはじめから、感激しっぱなしだったのは、色の美しさだった。
 海。一口に青いといって片つけられない。真っ白い海岸線を作るよく乾いた砂浜。その白にやさしくかぶさる色は、さんご礁が作る明るいブルー、油絵の具のコンポーズブルーとでも言おうか。中ほどに白い波が立つところがある。その向こうは濃いブルー、コバルトブルーディープだ。海の表は、太陽の光を受けて、細かい波のしまを作る。それに感激して車で2,3分走れば、その色はまた微妙に変化し、次の感激に浸る。私は車の中から息を呑んで海のもてなしを見続けた。
 朝焼け。朝日の昇る10分間は、刻々と海と空の色、あたりの様子が変わる。どちらが東かもわからぬほど、空一面が多彩な暖色に彩られる。雲はピンク、オレンジ、イエローなど、変幻に染まり、あたかも大円舞場で華麗に踊っているようだ。でもその踊りは短く、まもなく鮮やかな青空が現れ、雲は白さと厚みを増してくる。暑い沖縄の夏の空となる。
 日中、訪れる先々でわれわれを迎えてくれた色は、ハイビスカスの赤、アリアケカズラの黄、ブーゲンビリアのピンク、そしてガジュマルの木の威厳に満ちた深い緑、などなどだった。
 そして毎日夕日の沈む時刻にあわせ、その一刻一刻を楽しんだ。一日働いた雲たちが「お休み」と告げられたご褒美のように、やさしく彩られる。絵の具の名前は、思い浮かばない。この色は私には出せない。貴い物語の色である。一日の幸せに感謝して見つめる私たちの前に、黄金の光を放ち続ける太陽。そして明日への希望を乗せて、水平線が瞭然と残り、鷹揚にわれわれを包む。雲たちは残照に染まりながら、それぞれお気に入りの姿を見せてくれる。
 私たち二人は、おもちゃで遊ぶ子供のように、カメラのシャッターを何回も押した。船をシルエットに入れたり、自分たちの姿を入れたりして。この色と、刻々と移りゆく様、その神秘的ともいえる自然の美しさは、絵でも写真でもなく、私の心のシャッターが捉えた、雄大なパノラマである。
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スーホの白い馬 1 05月16日 ()
 「スーホの白い馬」絵本を英訳、馬頭琴CDと共に発売、と新聞に出た。
 あら、英訳はこちらのほうが先なのに。
 馬頭琴奏者、李波という方の、作曲、演奏する「叙事曲スーホの白い馬」CDが絵本につくらしい。どんなのか、CDも聴いてみたいし、英訳もみてみたい。

 ラボ・ライブラリーの「スーホの白い馬」は、私は音楽もすばらしく、言葉も語りも、それこそCD作品として誇れるものだと思う。このCDを手にしたとき、出だしの音楽が赤羽さんの絵と、馬頭琴の音色のイメージとに私の気持ちの中でぴったりしたのを覚えている。それからやがて、スーホの制作資料集を読んで、納得したり、感心したり・・・このCDの製作者の努力に感謝した。間宮さんの説明されているMouth Harpという楽器は、私が北海道へ行ったとき、アイヌの楽器として手に入れたムックリと似ているのだそうだが、なかなか音を出すのも難しい。
 Shkhのつづりや、morin khuur,とか noyon なども、この資料集で納得した。CDを聞いてイメージすることも大切だが、知識として得たり、その背景を知って、その物語の理解も深まり、イメージがより広がる場合がある。やはりいろいろ読むことは大切だろう。

 このスーホの発刊されるころ、馬頭琴奏者のチボ・ラグさんの演奏会が名古屋であった。それを聞きにいき、CDも買い、馬頭琴の写真も取らせてもらった。その写真や、赤羽さんの絵などを参考にして、ラボっ子たちは、自分の馬頭琴を作った。粘土で先につける馬の頭の飾りを作り、長い細い板と、適当な大きさの空き箱を用意して、みんなそれぞれに工夫したのだ。それをもって、馬頭琴のCDをかけながら、自分が演奏しているかのように、それぞれにモンゴルを想像し、イメージづくりをした楽しい思い出がある。

 参考文献はたくさんあるけれど、ここにそのころ読んだ一冊の本が残っている。「少年は砂漠をこえるーーーハラ・エルチをたずねて」斉藤洋・作(ほるぷ出版)がある。私が適当に選んだ本だが、モンゴルの少年がいかに馬、羊などを大切にし、少年競馬など乗馬に熱心なのか。モンゴルの広大さ、砂漠のすごさ、など、やはり本を読めばそれぞれの年齢にあった行間の埋め方をするものだと思った。
 
――― 大切にかわいがっていた馬が死んでしまって、スーホはかわいそうでした。悲しかったと思います。でもスーホは、悲しみに負けずに一生懸命白馬に教えてもらったとおりに、楽器を作りました。それはいつも白馬と一緒にいられるということです。スーホは悲しかったけれども、白馬にいつも励まされて、幸せだったと思います。―――T君(小6)

 どこかで読んだ話。モンゴルの結婚式の誓いの言葉には、「夫を愛しますか。」に続いて、「馬を大切にしますか。」というのがあるという。どんなに、馬と人間との結びつきが深いかということだろう。
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