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★小さくても、弱くても、かけがえのない命、みんな同じ命 09月06日 (木)
コント――小夜とともに(121)

限られた命
― ユウくんがね、セミをいっぱい、いっぱいとっていました。
― 元気な昆虫少年だからね、ユウくんは。夏休みはまさにユウくんの季節だ。
― そんなことを言っていていいのでしょうか。セミたちが可哀相じゃありませんか。万智子先生もおっしゃっていたし、おとうさんもよく言うでしょ、限りある命だ、命あるものはどんな小さいものでも大事にしなければならない、と。
― それはそうだね、どんな命も限りある命、かけがえのない命。ニニギノミコトが木の花サクヤヒメだけをお嫁にして、お姉さんのイワナガヒメをいっしょにお嫁にもらわなかったことから、永遠の生命はこの世界から失われた。
― ユウくんのとるセミはともかくとして、小夜も早百合ちゃんも、おとうさんおかあさんも、みんなみんな動物のお肉を食べているし、お野菜だって命ある生きものですよ。ユウくんのこと、悪い子なんて言えません。みんなみんな悪い子じゃないですか。

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― さあて、困りましたね、他の生きものの命を奪わないと生きていけない人間。ほんと、罪深い生きものだ。肉をたべないベジタリアンもいるにはいるけれど。
― 動物の肉はだめだけれど、植物である野菜や山菜ならいい、というのも、理屈に合わないのではありませんか。
― 植物もおなじ生命体だからね。でも、そんなことを言っていたら、人間はどうやって生きていったらいいの? 小夜ちゃんの好きなカレーライスもハンバーグも「なし!」の毎日って、楽しいだろうか。
― 牛肉も豚肉も鶏肉も、小夜たちがふだん見るのは、お店でトレイに入ってきれいに包装され陳列されたもの。あれが畜舎にいた牛や豚と同じだという実感には遠いです。しかし、その欺瞞のおかげで、抵抗なく食べられるんでしょうか。このあいだも早百合ちゃんと「こどもの国」に行って、牧場でポニーやヤギやヒツジやウサギといっしょに遊びました。仲良しになったあのかわいいお友だちのお肉だ、と知ったら、とても食べられません。

食物連鎖とエコロジー
― 食べたり食べられたり、…可哀想だけれど、それが自然界の摂理だ、と考えるしかないよね。「食物連鎖」ということばを聞いたことはありませんか。
― お勉強しましたよ。木や草の葉や実を昆虫たちや野ウサギなどの草食動物が食べる。それを小型の肉食動物が食べる。その小さい動物を大型の肉食動物が食べる…。
― ほかにも森のなかでは、台風や落雷で倒れた大木が、何年かすると、バクテリアや菌類に食べられて腐食し、土のような有機堆積物に化して姿を消しています。その上に新しい命のヒコバエが生えていることもある。森のなかで死んだ動物たちも同じで、微生物のエサになって跡形なく消えてしまいますね。死んで他の生きものを養っている。
― よくできていますね、森のエコシステムって。

kabuto08

― 森だけではありませんよ。海でも、川でも、そのエコシステムははたらいています。アフリカのサバンナにすむ動物たちのこと、テレビで見ましたね。怖いような生存競争の現実がありました。うん、会社のなかだって同じさ、食うか食われるか…。動物でも植物でも、あらゆる生物種のあいだでこのシステムが働いて自然界のバランスがうまく保たれ、それによって地球上の生物の多様性が守られている。だから、小夜ちゃんは、罪の意識をもつ必要はなく、いっぱいおいしいものを食べて大きくなっていいのさ。
― でも、やっぱり、お肉を食べることには、どうしても心にひっかかるものが残ります。

肉食の迷論理
― 長野に諏訪大社という大きなお宮があります。ここに有名な「諏訪の勘文」というものが残っていて、肉食の理由をこんなふうに語っています。「日本一社鹿食箸」と題する意見書ですけど、テイのいい言い訳だね。おもしろいよ。おとうさんが現代語に直して言ってみるとね、「野獣鳥魚の類は、その業(ごう)が尽きたからこそ、人間に捕えられるのである。したがって、そうしたものたちに一時の情けをかけて放してやったところで、もはや長くは生きられない。それに、そうして野垂れ死んでしまっては、成仏も叶わない。だから、いっそのこと人間に食べられてその人間と同化し、その人間が成仏することでいっしょに自分も成仏できれば、そのほうが結果的には、野獣鳥魚のためである。だから、獲るものを恨むでないぞ」
― ま~、あきれた! 業が尽きた、ですって! 野垂れ死んだら成仏できないから、ですって! 手前よがりのひどいコジツケじゃないですか。わけても、神職にある人がそんなこと言うなんて、めちゃくちゃですよ、バチがあたりますよ。
― 小夜ちゃんみたいにカッカと怒ったかどうかは知りませんが、人が動物の肉を食べるのは同じ生きもの同士としてどうかな…? と考える人は、古来、たくさんいました。天武天皇といったら、「古事記」「日本書紀」の編纂を命令したことで、小夜ちゃんも知っているね。壬申の乱(672年)で大友皇子を破って天皇に即位した人。即位して4年後に、この天皇が肉食禁止令を全国に向けて発布しています。
― どんな内容の勅令なのですか。
― 今後、漁撈や狩猟に従事する者は、檻(おり)や落とし穴をつくったり、仕掛け槍などを設置してはならぬ。4月1日以降9月30日までのあいだは、隙間の狭い簗(やな)を設けて稚魚を獲ってはならぬ。また、牛、馬、犬、猿、鶏の肉を食べてはならぬ。それ以外は禁制のかぎりではないが、もし禁制を犯した場合は、きびしく罰する…。そういうものでした。
― 4月1日から9月30日、というのは、どういうことですか。
― これは稲作の時期ですね。魚を獲ったり獣を獲ったりなんぞしていないで、ちゃんとお米づくりに励め、ひたすら励め、それさえしていればいい、ということでしょうか。

為政者と庶民の食い意地くらべ
― そんな命令が出て、庶民はみんなおとなしく従ったのでしょうか。
― どういたしまして! なにしろ、それで暮らしを立てていた人も少なくなかったでしょうから。禁を犯して獣を狩り、その皮を剥いで収入を得て暮らすような人を卑しい存在として差別する偏見、いまに残るその偏見も、ここから生まれたと思われます。
― で、庶民の上に立つ王朝貴族の人びともそろって、その勅令に従ってお肉は食べなかったのですか。
― はっは、どうして、どうして! 庶民には肉食をきびしく禁じておいて、自分たちはうまうまと食べていましたよ。
― まっ、ずるい!
― ずるい、ですか? 考えてみてください、いまの国会議員や政府の高官たちは、BSEにかかっているかも知れない輸入牛肉を、庶民には「食え、食え」「多少あぶないけれど、安いんだから、いいじゃないか」と押しつけながら、自分たちは口にしようとしないね。時代が変わった、というか、飛鳥時代とは逆転してしまいました。そうは言っても、あの人たち、国産の高級牛肉を高級料亭でバクバク食べているに違いありませんけれど。
― 庶民がお肉を食べられないのは、いつまで続いたのですか。
― 正式に肉食解禁になったのは明治5年(1872)です。明治天皇ご自身が肉食を奨励し、それを禁じるのはいわれなきことだ、としています。この天皇はフランス料理がお好きだったそうですから、それにはお肉が欠かせないですものね。
― ずいぶん長くつづいたのですねぇ、肉食禁止令は。
― でもね、いつだって人はいろいろ知恵を働かせるものです。実質、江戸時代には肉食は復活していたようです。肉はご法度だけれど魚ならいいじゃないか、と、イノシシのことを「ヤマクジラ」と呼んで食べていたといいます。魚類なら問題ないじゃないかという発想。獣類、すなわち哺乳類の捕獲とそれを食糧にすることが禁じられていたわけですが、その当時はまだ、クジラといえば魚の一種だという認識で、それも哺乳類だとは庶民は知りませんでしたので。小夜ちゃんは知っていましたか? 哺乳類ですよ、クジラは。
― したたかな江戸庶民の知恵。こう見てきますと、食べることが社会の文化を推し進める牽引車になっていたような…。食欲はどんな理不尽をも腐食させてしまうバクテリアみたいなものですね。
― はっは、バクテリアのような貪欲な食欲。生物発生以来、食べること、子孫を残すこと、…突き詰めれば、生きものの関心はそこに行き着きました。肉を食するようになった人間も、その例外ではありません。古代より狩猟がさかんにおこなわれていたことはよく知られています。4000年前にはもう、野生のイノシシを食用のブタとして家畜化していたようですよ。飛鳥時代のことが書かれた「播磨風土記」には「猪飼野(いかいの)」のことがくわしく記されています。天皇からこの地を賜ってイノシシを放ち飼いにし、育てあげたその肉を献上した、とあります。天皇に限らず、肉はだれにとっても重要な食糧源、主要な蛋白源だったのでしょうね。

日本人とイノシシ
― 古代の人が食べたお肉といえば、イノシシだったのですか。
― 縄文時代のことを文献で見ると、狩猟はイノシシとシカがほとんどでした。とくにイノシシは食肉の3分の2を占めていたとあります。
― 地方によっては、シカのことをシシということがありますね。宮澤賢治の「鹿踊りのはじまり」は、シカではなく「シシ」と読んでいます。
― イノシシを狩ることが多かったのは、それが田畑を荒らす害獣だったことにもよります。大事な作物を食い荒らしてしまう憎っくいヤツでもあった。
― 害獣ですか、イノシシは? 害獣、…イノシシ年生まれのおかあさんには、このこと秘密にしておいたほうがいいですね。去年、おとうさんと京都へ行ったとき、狛犬のかわりにイノシシのオスとメスが向かい合っている神社がありましたね。イノシシを悪い獣ではなく神聖視する人もいたのでは…。
― そうそう、小夜ちゃん、よく憶えているね。和気清麻呂(わけのきよまろ)を祀る護王神社の拝殿前にあったもの。ほかの神社にはイノシシの狛犬は多分ないと思いますね。道鏡の策略で遠い大隈(鹿児島県)に流された和気清麻呂。途中で道鏡の放った刺客に命を狙われますが、そのとき300頭のイノシシが現われて清麿を守り、宇佐神宮まで導いたという故事にもとづいて、土地の人がイノシシを祀ったとされています。
― いろいろありがとう。明日から新学期。もうお休みしますね。今夜はイノシシの夢を見るかしら。

   転記スミ ⇒ ページ一覧「小夜 & GANO トーク=6」/部分「イノシシ 豕 亥」⇒「イワシの眼」
Re:★小さくても、弱くても、かけがえのない命、みんな同じ命(09月06日)
Play with meさん (2007年09月06日 20時52分)

小夜ちゃんおひさしぶり!!
なかなかお父さんと難しいお話ができますね。
食物連鎖かどうかわかりませんが、PWMの愛犬Qちゃんはせみが大好
きです。
抜け殻はもちろん、ひっくり返っているもの、木に止まっているものも
時には上手にとってムシャムシャと食べています。
でも油蝉は見向きもしません。
今年は4年に1回のせみの大発生の年だったとか。
世界陸上のあった長居競技場も騒音になっていたらしいですよ。
庭のあちこちにはいでた穴がたくさん開いています。
7年もかかって生まれたのに短命のせみを取ったり食べたり(Q)
可愛そうそうだけれど動物界の現実ですね。
蚊だって、ゴキブリだって逃がしてやるの??ってことになりますもの
ね。
なにはともあれ、つくつくぼうしの季節になりました。
暑い暑いとまだ汗をぶるぶるかいていますが、どこかに秋が忍び寄って
いるのでしょうね。
小夜ちゃんも学校が始まりましたか?
運動会や遠足楽しいことがいっぱいの秋ですね。
元気にがんばってくださいね。
Re:Re:★小さくても、弱くても、かけがえのない命、みんな同じ命(09月06日)
がのさん (2007年09月06日 22時01分)

Play with meさん

PWMせんせい、お変わりありませんか。
お忙しい夏を過ごされたことでしょう。
こちら横浜は、ただいま台風9号の直撃を受けて、恐ろしいような風と
雨です。たたきつけるような、というか、ぶちまけるような雨の音。
あちこちで、強風でものが飛ばされ毀される音がします。
今夜は眠れるでしょうか。
さきほど、明日は小学校は臨時のお休みになるとの連絡が入りました。

さてさて、おもしろいですね~、セミが好物のワンちゃんですって!? 
しかも、どういうわけか、アブラゼミだけは敬遠して食べないとい
う…。
そんなワンちゃんがいるなんて、小夜ははじめて知りました。
幼稚園のときからのお友だちにトモちゃんという仲良しがいます。
そのトモちゃんちのプードルね、とってもとっても臆病なの。
このあいだいっしょにお散歩したときのこと、
熱く焼けた舗装道路のうえにセミが転がっていたの。
おなかをうえに向けて死んだようになって。
おちびプードルのモンちゃんはトコトコと行って鼻を近づけました。
とたんにセミは、ジッジッジッ! と鳴き騒いで飛んで逃げていきまし
た。
モンちゃん、ビ~~ックリ! 大きく飛びのいて、しばらくそこを動け
ずにいました。
驚いたんでしょうね。
PWMせんせいのところのワンちゃんは、オトコの子ですか、
それともオンナの子ですか。どんな種類のワンちゃんですか。
小夜はなんともありませんけれど、
おとうさんにはワンちゃんのおはなしは禁物ですよ。
イヌのにおいをかいだだけでアレルギーをおこし、
ひどい鼻炎を発します。ヘンですねぇ。
それと、アブラゼミでないとすると、
そちらにはどんな種類のセミがすんでいるのですか。
もとは南のほうにしか見られなかったクマゼミが
この温暖化でどんどん北上、このごろは、本州のあちこちで
あのシャーシャーシャーという声が聞かれるとか。
この夏は、姫路城のまわりはそのやかましい鳴き声に
包まれたことでしょうか。
こちらでは、もうセミの声はあまり聞かれず、秋の虫の声です。
Re:★小さくても、弱くても、かけがえのない命、みんな同じ命(09月06日)
Play with meさん (2007年09月08日 09時19分)

小夜ちゃんへ
台風大変でしたね。
大丈夫でしたか?
がの父さんは犬アレルギーなんですか?
ネコアレルギーはよく聞きますけれど?
わがやのQちゃんは女の子で、クリーム色の雑種なんですよ。
お散歩をするとこのごろ田んぼのあぜにイナゴがたくさんいます。
Qの気配でぴょんぴょん飛んでいきます。
さすがせみのようには捕まえられず、見送っています。
稲の穂が出てきました。
もう1ヶ月もすると稲刈りの季節です。
暑くても秋ですね~~~

「山の郵便配達」を読みました。
あんな短編だったとは思っていませんでした。
長年精魂こめて勤め上げた最後の配達。
たくましい息子の背におわれて川を渡るときの気持ち。
きっとうれしさの中に寂しい気持ちが混じっているのでしょうね。
犬との愛情あふれる付き合い。
最後に犬が老配達人についてくることを拒み、息子の道案内に追い返す
ときのなんともいえない気持ちは胸が詰まります。
ほっとすることは若き日の娘さんとの出会い。
息子の母親です。と知ったときのほっこりした気持ちは心を和ませてく
れます。
仕事一筋の配達人の人生はかつての日本の企業戦士のようですね。
でも素敵な息子に育ってくれて、後を引き継いでくれる幸せを喜びたい
です。
Re:Re:★小さくても、弱くても、かけがえのない命、みんな同じ命(09月06日)
がのさん (2007年09月08日 12時49分)

Play with meさん

【その1】
 こんにちは! 小夜です。
 台風のあと、すっきりとした秋空がひろがるものと思っていました。
だって、きのうはとってもきれいな夕焼けでしたから。でも、
きょうはまた真夏にもどったような炎暑です。
セミが遠く近くで鳴いていますよ。
小夜は、きょう、学校のほうは土曜日でお休みですが、
おとうさんはさきほど汗ぐっしょりになって帰ってきました。
小夜の行っている学校ではないのですが、きょうは、地域の小学校の
「ネットデイ」。全教室をネットでつなげる作業を、
ボランティアでお手伝いしてきました。作業といっても、
配線などのたいへんな部分は業者の人がやってくれていて、
いちばん最後のところを、ちょっとだけ。作業というよりは、
地域の人たちと小学校の現場教育の活動をつなぐという、
その意味あいが強く、自治会の会長ですので、
地域の顔として引っ張り出されたというだけのこと、
開通式に地域を代表して立ち会っただけのことですが。
でも、さまざまな視聴覚機器が教室に導入されていたりして、
驚いたといいます。すでにあたりまえかも知れませんが、
おとうさんの時代にはクーラーはもちろんのこと、
扇風機もなかった、といいます。インターネットが教室に入って、
どんな教育がされていくのだろうかと、
先生がたといろいろお話ししてきたみたい。
その発想にとても感動していました。

 そうなんです、おとうさんは相当へんなひとです。
スギやヒノキだけでなく、花粉という花粉がダメですし、
イヌがだめ、それにこのごろは蚊取り線香にも拒絶反応が出ていて、
声が出なかつたり、声がひどくかすれてしまいます。
蚊に食われても我慢、我慢というのは、そ
ばにいる小夜たちのほうがたいへんで、困ります。

 そうですか、もう稲刈りの季節。
秋を運ぶ風に稲穂がゆったりと波打つ光景は
すてきでしょうねぇ~。PWM せんせいのおうちのまわりでは
そうした風景が見られるのですか。いいな~。
空気もさわやかで、胸のなかが清められるようしょうね。
【つづく】
Re:Re:★小さくても、弱くても、かけがえのない命、みんな同じ命(09月06日)
がのさん (2007年09月08日 12時57分)

Play with meさん

【その2】


>「山の郵便配達」を読みました。長年精魂こめて勤め上げた最後の配
達。たくましい息子の背におわれて川を渡るときの気持ち。きっとうれ
しさの中に寂しい気持ちが混じっているのでしょうね。犬との愛情あふ
れる付き合い。最後に犬が老配達人についてくることを拒み、息子の道
案内に追い返すときのなんともいえない気持ちは胸が詰まります。

     ----------------------------

 そうですよねぇ、どんなにがんばっていても、人間には、
年齢とともにメベリしていくものはあります。
その悲しさといらだたしさと、それまで勤めあげてきた誇り、
また、よき後継者を得たことの喜びと不安と期待、
そうした細やかな情感を表現するのに、父親のことばを借りず、
ワンちゃんの自然な動きを使っていることがわかります。
とても重要な役割を演じているはずなのに、イヌ嫌いのおとうさんは
そこをあまりよく見ていないようですね。
でも、世代を隔てた息子が、逆らうでもでなく、
だんだん自分を認めてくれていくときの満たされた思いは、
どんなにすばらしいでしょうね~。主人公のつつましい
地味な生き方を淡々と描写する地味な作品ですが、
胸にしみる感動を覚えますねぇ、こういうおはなしは。

 この夏は、もっともっとたくさん本を読もうと思っていたのに、
次からつぎにさまざまなことがあって、あまり
読めませんでした。読みたい本はいっぱいあるのに、
なかなか読めないで、ちょっとストレスがたまっています。
秋の光のもと、いい本をいっぱい読みたいです。
Re:★小さくても、弱くても、かけがえのない命、みんな同じ命(09月06日)
みかん(でこぽん)さん (2007年09月15日 00時29分)

今年は国際交流委員でした。

この夏、ホストファミリーの家で飼っていたウサギが死んで、
「埋葬するのかなと思っていたら、焼いて食べてた~!」
と、ショックだったけれど、ホストマザーに
「あなたも鶏肉やブタや牛肉は食べるでしょう?」
と言われ、自分も食べたら、おいしかったというラボっ子がいたよ!と
いう話しを、うちの娘にしていたら、

「それ、同じことを、ばあちゃんちで体験した!ウナギのつかみ取りし
ていて、後で、それが料理されて出てきて、ショックで食べれなかった
時に、おじちゃん(私の弟)に同じこと言われた!私は、食べれなかっ
た~。」
と、言われました。(私は知りませんでした!)

がのさんと小夜ちゃんの会話を読みながら、小学生の時、ラボの交流会
に行って、蝉の抜け殻を山ほど持って帰って、机の引き出しにしまって
いた息子や、上記の娘の話を、思い出しました。

子ども達は、色々な経験をすることで、色々なことを考え、育っている
のだな~と、思います。親が知らないところでも・・・。色々な方にお
世話になって、わが子達も、全うに育ってきたかな~と、感謝です。
Re:Re:★小さくても、弱くても、かけがえのない命、みんな同じ命(09月06日)
がのさん (2007年09月15日 22時25分)

みかんさん

【その1】

>今年は国際交流委員でした。この夏、ホストファミリーの家で飼って
いたウサギが死んで、「埋葬するのかなと思っていたら、焼いて食べて
た~!」と、ショックだったけれど、ホストマザーに「あなたも鶏肉や
ブタや牛肉は食べるでしょう?」と言われ、自分も食べたらおいしかっ
たというラボっ子がいたよ! という話をうちの娘にしていたら、「そ
れ、同じことを、ばあちゃんちで体験した!ウナギのつかみ取りしてい
て、後で、それが料理されて出てきて、ショックで食べれなかった時
に、おじちゃん(私の弟)に同じこと言われた! 私は、食べれなかっ
た~」と、言われました。子どもたちは、色々な経験をすることで、
色々なことを考え、育っているのだな~と、思います。

     ----------------------------

 この夏の国際交流でも、子どもたちはたくさんのエピソードを抱えて
帰ってきたことでしょう。いいことも悪いことも含めて。こうした子ど
もたちの体験を、新聞にのったから、雑誌で紹介されたから、というの
ではなく、すぐ近くにいる、顔の見える子の体験の事例をていねいに受
け止めて、それを地域に「見えるように」提供していくのが、ラボ・パ
ーティを主宰する立場の人、とりわけ国際交流委員の大事な役割なんで
しょうね。
 きれいごとだけの報告は、もういい。そこには、ほんとうの出会いと
ふれあいはないから。子どものひとりだちの旅は、不安なこと、苦しい
ことのみ多かりき、のはず。きれいごとで終わった旅はろくな旅じゃな
い、といっていいかも知れません。それぞれの「体験」をみんなで磨い
て積み上げて昇華してこそ、それが大事な「経験」になっていくのだと
思います。

 アメリカ4-Hクラブとの交流で、馬に乗ったというような体験ととも
に、子どもがよく目にしてショックを受けるのが、動物を賭すシーンで
すよね。牛を、豚を、ヒツジを、ウサギを…(「命を賭す」と勇ましく
言っておいて政権をトスしちゃっただだっ子宰相もいますが)。感性す
ぐれた子、ものをよく考える利発な子、潔癖で純粋な子、あるいはまた
深窓で育てられたヤワな子ほど、そのショックは大きいようで、食事の
たびに泣いてゴハンを食べないというケースを耳にしたことがありま
す。みかんさんにはそんな幼時の覚えはありませんか。
【つづく】
Re:Re:★小さくても、弱くても、かけがえのない命、みんな同じ命(09月06日)
がのさん (2007年09月15日 22時31分)

みかんさん

【その2】

 白状しますと、チビのころのわたしがそうでした。小夜の胸につっか
えている不快感は、かつてのわたしのものでした。宗教的モラルとも関
係なく、何か罪悪感に襲われ、そんな自分は生きているに値いするのだ
ろうか、と。人ずれし、こころにナイーブさが失われ、ざらざらしたコ
ケが生えてきて図図しくなり、いつの間にかその胸のつかえは消えてい
ましたが、かつては母親を悩ませ、父親を怒らせたものでした。

 テューターのみなさんの多くが、子どもたちのこの素朴にして真率
な、本源的な疑問に立ち会って立ち往生するようなときがおありではな
いですか。いやあ、そんなことより、英語だ、英語だ、という人がもし
いるとすれば、ホンモノのテューターではない。素朴ながら本源的なこ
の種の大きな疑問にテューターはどう応えるのか、そんな興味から紹介
したのがこの一文でした。
 あるメディアにこの1月から週1回ずつ連載しているコラムがありま
すが、そこからハミ出したもの。ふだんはもっと温雅な、子どもをニヤ
ッとさせる短い楽しいものを書いていて、こんな詰屈な、堅苦しいもの
はぜったい出さないのですけれど。
 長々しいものをよくぞ読んでくださいました。感謝いたします。
Re:Re:Re:★小さくても、弱くても、かけがえのない命、みんな同じ命(09月06日)
みかん(でこぽん)さん (2007年09月16日 21時27分)

がのさん
 テューターのみなさんの多くが、子どもたちのこの素朴にして真率
な、本源的な疑問に立ち会って立ち往生するようなときがおありではな
いですか。いやあ、そんなことより、英語だ、英語だ、という人がもし
いるとすれば、ホンモノのテューターではない。素朴ながら本源的なこ
の種の大きな疑問にテューターはどう応えるのか、そんな興味から紹介
したのがこの一文でした。
 あるメディアにこの1月から週1回ずつ連載しているコラムがありま
すが、そこからハミ出したもの。ふだんはもっと温雅な、子どもをニヤ
ッとさせる短い楽しいものを書いていて、こんな詰屈な、堅苦しいもの
はぜったい出さないのですけれど。
 長々しいものをよくぞ読んでくださいました。感謝いたします。
----------------------------
こちらこそ、ありがとうございます。いつも立ち止まって、考えるヒン
トをいただいています。(その連載コラムも読みたいです!)

ショウガの花の写真も素敵ですね~。心洗われる写真も、いつも楽しみ
です。

私は農家育ちですので、割と身近に、動物たちの生死に接しています。

覚えているのは、牛の出産。気付いたときは何故か私も血まみれで、幼
くて何が起きたのか分かりませんでした。それから、家の裏で、首を切
られ血を抜かれ、羽をむしられた鶏。晩ご飯になったのかな???ま
た、父が育てていた牛が、売られていく日に、とても悲しそうな目をし
ていたこと。山羊の乳で育った私ですが、家の山羊に、雄の子ヤギが生
まれてくると、いつの間にかいなくなっていて、ソーセージになる為に
売られたと聞いたこと。

鈍感なのか、それほど、食べられなかったいう記憶はないのですが、小
学校の理科でヒヨコになりかけの鶏卵を見せられたあとは、しばらく、
タマゴが食べられなくなりました。

学校行事の”兎狩り”のあと、職員室の入り口に兎の皮が板にひろげて
張ってあって、本当に自分たちが食べたのかな~と、変な感じがしまし
た。

子ども達の問いに、うまく答えられているか、分かりませんが、精一杯
向き合っていきたいです。
Re:Re:Re:Re:★小さくても、弱くても、かけがえのない命、みんな同じ命(09月06日)
がのさん (2007年09月16日 23時49分)

みかんさん

【その1】
>私は割と身近に動物たちの生死に接しています。覚えているのは、牛
の出産。気付いたときは何故か私も血まみれで、幼くて何が起きたのか
分かりませんでした。それから、家の裏で、首を切られ血を抜かれ、羽
をむしられた鶏。また、父が育てていた牛が、売られていく日に、とて
も悲しそうな目をしていたこと。

    ----------------------------

⇒ おっ、「ドナドナドナ、ド~ナ♪」の世界ですね。いやいや、みか
んさんには負けました、「ヘヘーッ、ごかんべんを~」です! 牛の出
産シーンですか! 首を切られ羽をむしられた鶏ですか! 小夜に聞か
れるとまずいですが、わたしがそんなものを見たら完璧に卒倒していた
ことでしょう。そうそう、アメリカ4-Hとの交流計画で子どもたちがよく
体験してくることに、家畜の出産がありましたね。幸か不幸かわたしに
はその体験はありませんが、考えてみれば、それ、すごいことですね。
ほんとのところ、子どもたちはそれを目の前にして何を感じたのでしょ
うか。それをしっかり語ってくれている子はいますか。
 およそ、いざとなると、女のほうが神経は強い、とよく言われます
が、みかんさんのことを思ったら、どうやらわたしなんぞは、幼い小夜
の前で知ったかぶりして命の大事さを語る資格はなかったんですね。恥
ずかしいことです。
 学校行事で「兎狩り」ですか! 山に野生する野うさぎですか? そ
れとも学校で飼育していたウサギさんですか? どっちにしても、それ
をカレーか何かにしてみんなで食べたのですか!? とんでもないこと!
 それに、皮を剥いだのは誰だったのでしょうか? ソーセージになっ
たオス山羊、…あ~あ、すごいことを聞いちゃった。今夜は寝つけるだ
ろうか。
【つづく】
Re:Re:Re:Re:★小さくても、弱くても、かけがえのない命、みんな同じ命(09月06日)
がのさん (2007年09月16日 23時54分)

みかんさん

【その2】

 みかんさんは、たしか、スリランカの子どもたちを援助する活動をな
さっておいででしたね。いまも続けておいでですか。わかりましたよ、
そういう難しいボランティアへまっすぐ向かわせる精神のよりどころが
何だったのかが。
 それにひきかえ、わたしはどうだろう。早々に会社を辞めたあと、仕
事、仕事に追われてまったく親孝行する間もなく母親を特別養護老人ホ
ームで亡くし、そのつぐないということもあって少しはひとさまのため
に、と思って介護ヘルパー2級の資格を取得しました。にもかかわら
ず、どうしてもほかの人の「清拭」ができない、シモの世話ができな
い、(料理もできない)ため、「福祉」という語のところにとどまっ
て、軽いボランティアと、わかったふりしていろいろ書いたりしゃべっ
たりして地域の啓蒙活動まではしても、介護の現場に立つことはできな
い弱さに埋没していました。カエルのおしりに棒を突っ込んで遊んだ友
だちと、その日以来、疎遠になった自分の弱さも、恥ずかしい。

 きょうは老人会の「敬老の日のつどい」に自治会を代表して招待され
行ってきました。挨拶を求められて、松下幸之助さんのことばを借りて
励ましました。出しゃばるな、にくまれ口や泣き言や人の悪口陰口をい
うな、知ってることでも知らぬふりをして、いつでもアホでいろ、と
か、勝つ気になるな、負けていろ、お金と欲は捨てろ、どんなときにも
感謝のこころを忘れるな、などなど。70名ほどのご老人には感動をもっ
て聞いてもらいましたが、所詮はわたしの経験知から生み出したことば
ではなく、便宜的な“借り物”にすぎません。ああ、これがわたしの実
体か! とがっくりさせられます。

 みかんさんなら、真率な子どもの疑問にまっすぐ向き合えますね。子
どもの持ち帰った国際交流体験を全身で受け止められる精神的なパワー
と経験量をお持ちですから。「体験」を「経験」にまで昇華しているい
いお話を聞かせてもらいました。
Re:Re:Re:Re:Re:★小さくても、弱くても、かけがえのない命、みんな同じ命(09月06日)
みかん(でこぽん)さん (2007年09月20日 23時37分)

がのさん
丁寧に、書き込みにお返事していただき、ありがとうございます。

スリランカは、大好きな絵本作家がいるあこがれの国です。candyさんの
活動をサポートしているだけですが、いつか行ってみたいとも思いま
す。

兎狩りは、野生の兎です。早朝、暗いうちに、集合して、前日、父に竹
で作ってもらった、音の鳴るもの(?なんと呼ぶのか知りません)を持
ち、「ちょ~い、ちょい、ちょい」だったかな?かけ声をかけながら、
山の中を歩くのですが、いったい、どこの山だったのか、定かではあり
ません。学校行事ですが、記憶では、一回きりです。特別な年だったの
でしょうか?

「きっと、野生の兎なんか、いるはずがない」という、予想を裏切り、
二、三匹、捕まりました。足を括られて棒にくくりつけられた野生の兎
の姿は、覚えています。

学校に歩いて帰ったときには、もう、体育館で食事の用意が出来ていた
ので、兎が捕れても、捕れなくても、炊き込みご飯が食べられるよう
に、保護者の方で用意されていたのではないかと思います。(兎は先生
達が食べるのだという噂もありました)

きっと、学校で兎を飼うのだろうという予想を裏切られた、”職員室入
り口の毛皮”は、かなりショックだったのだろうと思います。

”牛の潤んだ目”以外は、みな、一度きりの記憶で、やはり、子供心
に、強烈な印象を残しているのだと思います。

野生の兎は、子どもが小学生の時にバードウオッチングで行った、細川ガ
ラシャゆかりの立田山で、迷子になったときに、見たことがあります。

その時は、「わ~、ピーターラビットみたいだ!」と思ったことを覚え
ています。身近に野生の動物たちがいても、気付かない生活をしている
のですね。そこには、タヌキも生息しているみたいです。

日本野鳥の会の会員だった息子は、熊が里に下りてきたニュースを見
て、熊の立場で反応します。人間の立場で反応する私は、子育ても、異
文化理解だな~と、思います。
Re:Re:Re:Re:Re:Re:★小さくても、弱くても、かけがえのない命、みんな同じ命(09月06日)
がのさん (2007年09月21日 21時04分)

みかんさん

【その1】
>スリランカは、大好きな絵本作家がいるあこがれの国です。candyさん
の活動をサポートしているだけですが、いつか行ってみたいとも思いま
す。
     ----------------------------

 そうでしたか。奈良のcandy さんたちのグループがとても熱心に進め
ておいでの、意義深い活動ですね。なかなか実際にはできない尊い活動
だと思います。むずかしい事情もあることでしょうが、どうぞそのすぐ
れた能力の一端を他の欠落部分にやさしく注いでやってくださいますこ
とを…。

 それにつけても、九州支部のテューターのなかには(詳しいことはわ
かりませんが)、みかんさん、candyさんたちのスリランカへの絵本を贈
る活動のほか、子どもの人権問題に取り組んでおられるくまさん、バン
グラディシュの子ども支援をなさっておられるフェニックスさんなどな
ど、ひとつ超えた意識をもっておられる方がおられますね。すぐ目先に
ある自分の利得と欲だけで奔走し、忙しい、忙しいとヒーヒー言ってい
る人とは対極の「異文化」にある、志の高い「異人種」の方が多いよう
に見受けられます。九州おんなの肝っ玉は太い、とよくいわれますが、
それって、他にはあまりない九州テューター固有の「文化」ではないで
しょうか。ゆっくりでいいですから、大事にそのこころを守っていって
いただきたいです。
【つづく】
Re:Re:Re:Re:Re:Re:★小さくても、弱くても、かけがえのない命、みんな同じ命(09月06日)
がのさん (2007年09月21日 21時10分)

みかんさん

【その2】

 >兎狩りは、野生の兎です。早朝、暗いうちに、集合して、前日、父
に竹で作ってもらった、音の鳴るものを持ち、「ちょ~い、ちょい、ち
ょい」とかけ声をかけながら、山の中を歩くのです。学校行事ですが、
記憶では、一回きりです。「きっと、野生の兎なんか、いるはずがな
い」という、予想を裏切り、二、三匹、捕まりました。足を括られて棒
にくくりつけられた野生の兎の姿は、覚えています。

     ----------------------------

 おォ~。ふしぎな掛け声を発しながらウサギを追う…。まるで、高野
辰之さん作詞の「ふるさと」の世界、「兎追いし かの山/小鮒釣りし
 かの川…」の風光を映す世界ですね。「山は青き ふるさと/水は清
き ふるさと」と、さわやかな山の風が通り、そのイメージを借りてか
わいい童話が一、二編書けそう、……ですが、足をくくられ棒に逆さ吊
りにされたウサギさん、…う~ん、やはり、ちょっとねぇ。

 それと、みかんさんに、またほかの皆さんにも、ちょっとお尋ねいた
します。オモテの日記でイノシシのことを少しご紹介しました。ずっと
ずうーっと古い時代から、良しにつけ悪しきにつけ日本人が深く関わり
をもってきた動物のひとつですが、イノシシが主体的に登場してくる昔
ばなしや民話を、和気清麻呂の逸話はあるとして、わたしはほかにあま
り知りません。ご存知でしたら教えていただきたいのですが。
 クマ、ウサギ、キツネ、タヌキ、ウマ、ウシ、イヌ(狗)、カッ
パ…、これら多くの動物たちはたくさんの民話をつくってきたのに、ど
うしてイノシシのおはなしはあまりないのかなあ、という疑問。小夜が
あれ以来、ごはんのときもお風呂に入っているときも、四六時ちゅう首
をかしげている素朴な疑問です。
Re:★小さくても、弱くても、かけがえのない命、みんな同じ命(09月06日)
みかん(でこぽん)さん (2007年10月01日 19時02分)

「和気清麻呂の逸話」も、初めて知った、不勉強な私ですので、イノシ
シが出てくる話は『十二支の話』しか、思い浮かびません。それも、主
体なキャラではなく、登場人物の1人(一匹)という存在です
が・・・。

ブタも日本の話(民話)には出てきませんよね~!?

『ポルコさま、ちえばなし』(岩波おはなしの本)という、スペインの
話しに出会ったとき、
「ブタが主人公になる話しがあるんだ~!」
と、小さな驚きでした。

あと、宮崎アニメの『もののけ姫』の「おことぬし」が、思い出されま
すが、他にも、アジアに、ないでしょうか?

それとも、「おことぬし」みたいに、”土地神様”のような存在で、お
話には、あまり出てこないのでしょうか?
Re:Re:★小さくても、弱くても、かけがえのない命、みんな同じ命(09月06日)
がのさん (2007年10月01日 23時12分)

みかんさん

>イノシシが出てくる話は『十二支の話』しか、思い浮かびません。そ
れも、主体なキャラではなく、登場人物の1人(一匹)という存在です
が。ブタも日本の話(民話)には出てきませんよね~!?

     ----------------------------

 どうしてなんでしょうねえ、その後わたしもいくつかの昔話の本を探
ってみました。大和の伝説にもない、それなら古くから狩猟が盛んにお
こなわれていた奥羽地方の民話ではどうかと見当をつけて、「羽前の昔
話」(稲田浩二監修、武田忠編、日本放送出版協会刊)をつぶさにあた
ってみました。雀、猿、兎、田螺(つぶ)、いたち、鼠、蛙(びっ
き)、狼、狐、犬、蜂、牛、猫、蟹、(かまいたち)、…などなど、さ
まざまな動物、それに鳥類と魚類が登場しますが、イノシシも豚もひと
つも語られていません。ほんと、どういてなんでしょうかねえ。
 「猪」の字の入った姓の知人をみかんさんも何人かお持ちではありま
せんか。猪瀬さん、猪岡さん、猪野さん、猪俣さん、猪熊(葉子)さん
(児童文学者)、…ずうっと、ずうーっとたどっていけば、この人たち
のご先祖はどこかで猪との関係にぶつかるのかも知れませんが、それぞ
れ、荒っぽい「猪突猛進」にも「イノシシ武者」にも「手負いのイノシ
シ」にも似つかない、静かな、思慮の深い、抑制の利いたすばらしい人
たち。土地の名前にも「猪」の字を見ることがよくあります。

 「豕(イノコ)を抱いて臭きを知らず」という格言をご存知でした
か。イノシシまたはブタの古称がイノコ。どうもいやな臭いのする存在
ということになっていたようで、自分の欠点や醜さというものは、自分
ではなかなか気づかないものだ、こころせよ、ということでしょうか。
耳が痛いですね。

 ついでながら、京都御所のとなりにある護王神社の神使がイノシシで
あることを紹介しましたが、そのほかのさまざまな動物が神社の縁起に
もとづいて神使とされていることに気づきました。たとえば、鹿を神使
としているのは春日大社、鹿島神宮、厳島神社、兎は住吉神社、鳩は八
幡宮、蛇は弁財天、意外だったのは鰻を神使にしている三嶋大社、など
など。
Re:Re:★小さくても、弱くても、かけがえのない命、みんな同じ命(09月06日)
がのさん (2007年10月02日 00時00分)

みかんさん

 古来、日本人には親しかったはずのイノシシ。その肉は「ぼたん」と
呼ばれて珍重されたし、イノシシの子を「ウリボウ」と呼んで親しんだ
り、姓名にも知名にもなっているのに、それがどうも、物語としてはど
うやら伝わっていないことがわかりました。いや、ご存知という方がお
いででしたら、ぜひお教えくださいませんか。
 萬葉集にこんなのがあります。ちょっとオトナの時間です。

   妹をこそ 相見て来しが 眉引きの 
     横山辺(よこやまへ)ろの 猪(しし)なす思へり ―3531

あの娘に逢いにきただけなのに、(眉引きの)横山辺りの猪のように思
いおる、ちくしょうめ! といったところでしょうか。夜這いに来た男
を害獣のイノシシのように嫌って追い払ったのは、娘自身か、それとも
その親か。あわれな男よのう、おぬしは。また、こんなのもあります。

   心合へば 相寝るものを 小山田の
     鹿猪田(ししだ)守(も)るごと 母し守らすも ―3000

(娘と)心さえ合えば(合意のうえなら)共に寝てもいいはずなのに、
小山田をよく荒らしにくるイノシシを見張るようにして、おっかさんが
きつい目をして番をしているからなあ、というわけ。まあ、見込みなし
だよ、おまえさん、あきらめるんだな。
Re:Re:★かけがえのない命、みんな同じ命/亥の子祝い
がのさん (2007年10月02日 21時05分)

みかんさん

【その1】
 主題の「命」から離れ、「食物連鎖」から離れ、さらに「イノシシ」
からもますます離れてしまいますが…。
 九州・熊本にお住まいのみかんさんなら、「亥の子祝い」という西日
本の農村部にひろくおこなわれてきた習俗をご存知でしょうか。陰暦の
10月の亥の日におこなわれる刈り上げ祝いの行事で、あらゆる病気を追
い払い、家内安全、そして、イノシシの多産にあやかって子孫繁栄を祝
うもの。夕闇が迫るころ、子どもたちが家々の庭を石で搗いてまわり、
都度、門口でお金やお菓子などの祝儀をもらい受けるといいます。石は
4~5キロもある円形の重いもので、上には御幣が結びつけられ、石の
まわりには縄が巻かれます。そこから何本もの縄が出ていて、それを子
どもたちが一本ずつ持って四方八方に張り、リーダーの掛け声に合わせ
て上げたり降ろしたりするらしい。“よいとまけ”の要領かな?(こ
れ、いいですねぇ。楽しそうじゃないですか。海のむこうの行事ハロー
ウィンを真似てワンパターンでやるよりは、今年はこのゆかしい伝統の
スタイルで家々をまわるというのはどうですか。土の庭がないとダメで
しょうけれど)わたしは、山口や北九州で幼児期~青春期をすごした愚
妻から、このときに歌われる「亥の子唄」という子どもの歌を聞きまし
た。

  亥の子亥の子/えびす大黒さんという人は/一に俵をふんまえて/
  二にニッコリ笑って/三に酒つくって/四つ世の中よいように/
  五ついつものごとしに/六つ無病息災に/七つ何事ないように/
  八つ屋敷を広めて/九つここに蔵をたて/十でとっくり納めた/
  繁盛せえ 繁盛せえ/○○のうち 繁盛せえ
【つづく】
Re:Re:★かけがえのない命、みんな同じ命/亥の子祝い
がのさん (2007年10月02日 21時06分)

みかんさん

【その2】
 祝儀をくれなかったり、少なかったりすると、最後のところは、

   貧乏せえ 貧乏せえ/○○のうち 貧乏せえ

 になるというから、こりゃあたっぷり祝儀をはずまないとひどいこと
になりかねない。子どもたちは夜更けまでこうして各戸をまわり、最後
は当番の家に集まって「亥の子餅」とさまざまなごちそうをたべ、その
晩はだいたいの者がそこに合宿して一夜を明かす。事実は、朝までわい
わい騒いで眠らない場合が多いそうですが。
 これって、関東地方や中部地方で陰暦10月10日の夜におこなわれてき
た「十日夜(とうかんや)」の刈り上げの行事と同じ趣旨のものでしょ
うかね。この日は、田の神が稲づくりを終えて山に帰る日とされ、関東
地方では、石でなく、わら鉄砲と呼ぶ藁を束ねた太い棒状のものを地面
にトントンとたたいて各戸をまわります、“トーカンヤ、トーカン
ヤ…”と囃しながら。からみ大根につけてお餅を食べるのが慣わし。当
屋にみんなで泊るのも西日本の習俗と同じですね。
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