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〔がの〕さんの閑粒子日記
〔がの〕さんの閑粒子日記 [全205件] 91件~100件 表示 << 前の10件 | 次の10件 >>
★ピノッキオが伝えようとする真実 3 02月19日 (月)
—— ピノッキオのおはなし、覚えていますね、イタリアのコッロディという人がつくったおはなし。
—— コロッと忘れて…なんぞいませんよ。木の人形なのに、ある瞬間から人間のこころを与えられ、人間と同じ動作ができるようになります。人形から人間へ変わるその瞬間に何がはたらいたのか、小夜はいつも不思議に思っています。
—— それは、このあいだおはなししたでしょう。小夜ちゃんがおかあさんのおなかのなかで、植物から動物に劇的に変身する瞬間と同じで、神さましか知らない領域です。

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—— 話したり歩いたりする人形。イタズラをしたりウソをついたりするたびに鼻がピューンと伸びます。学校へ行くようになりますが、ズルをしてサーカスに行き、そこに入りびたったり…。とってもおもしろいおはなしだわ。
—— 木片から作った人形。ジェペットじいさんは自分で作ったこの人形のために、次から次へと、さまざまな気苦労をさせられました。
—— おばかさんなのよね、ピノッキオは。衝動的ですぐ誘惑に負けちゃうし。いいはなしだと思うとすぐ飛びついちゃう。デパートへ行ったときのおかあさんみたい。信じやすい、というよりは、しっかり自分で考えることをせず、楽しそうだから、と、もう自制がきかなくなっちゃうのね、ピノッキオは。
—— 欲望のおもむくまま、奔放で、好奇心旺盛で。でも、それが子ども本来のすがたなのではないでしょうか。自分の親兄弟がどれほど心配し困っているか、どれほど傷ついているか、なんて、ぜんぜん考えもしない。
—— 小夜はそんな子じゃないわよ。ピノッキオだって、最後にはいい子になってジェペットじいさんのところに帰るじゃないですか。
—— うん、おはなしではそういう展開になるけれど、おとうさんは、ここに、ちょっとやりきれないものを感じるのよね。
—— あら、どうしてですか。次から次にワクワクさせてくれる、すぐれたおはなしだと思いますけど。
—— この作者がどこまで意識して書いているかはわかりませんが、ここには、やりきれない悲劇、悲しい喜劇があります。
—— 「悲しい喜劇」といったら、言語矛盾じゃありませんか。
—— 現代人への重大な警告、と言い替えてもいい。
—— イエロー・カードですか。おとうさんの好きなラグビーでいうところの「シンビン」。
—— ほら、便利なパソコンや携帯電話。わたしたちがすぐ目の前にしているこうしたもの以外にも、さまざまな分野で科学技術の研究開発が進められています。その飛躍にはものすごいものがあります。医療技術、宇宙開発技術…。常人には想像のおよばないテンポで研究開発がおこなわれています。
—— そういうものでしたらまだしも、軍事技術がどこまで進んでいるのか、恐いものがあります。特に最近では、核開発の脅威をめぐって世界に大きな波が立っています。
—— それです、それです! ジェペットじいさんが自分でこしらえたものに翻弄され、泣かされますよね。プロメテウスがこの世に火をもたらして以来、人間はいつも、自分でつくりだしたもので自分を苦しめてきました。小夜ちゃんの大好きなアンデルセンも書いていますよ、「人間というものは幸福をもとめながら、いつも幸福を捨てている動物だ」と。
—— 自分で吐いたツバを自分の顔に受けているという「喜劇」。そうですねぇ、地球の温暖化のため世界のさまざまなところでこれまでになかったような自然災害が起こっています。小夜がおばあちゃんになる21世紀の中ごろには、北極海の氷がすべて溶けてしまうだろうという研究と予測を聞いて、ほんと、恐くなりました。この異常気象の原因の一つが、車の排気ガスなどが出すCO2だそうですね。便利さの代償に人間がつくっているものが地球をジワジワ傷めつけている。
—— 自分が慈しみ深く生み育てたものが、ある日、大きな醜悪な怪獣に育って、破壊的な暴力をふるって脅かすなど、他に迷惑を及ぼし、もう、作った人の手には負えないものに膨張してしまう。
—— 公害のほとんどは、もともと、人間が便利さを求めてつくったものから生み出されたもの、たいへん厄介なものです。わたしたちは、ゴミを出さずに一日でも過ごすことはできないのが現実。たわむれに作られた木片のピノッキオが、いつの間にか、親から独立してひとり歩きをはじめ、脅かすまでには行かないまでも、ほかのものに悪いこころを起こさせたり、周囲を不快にさせ、ハラハラさせ、困らせます。
—— その厄介な怪獣の象徴が「核」でしょう。核を使って作られる核兵器は、人間を毀し、地球を毀すものです。その危険をみんな知っていながら、よほどおカネもうけになるのでしょう、その魅惑にとりつかれた人があとを絶ちません。世界が今もっている核兵器だけで地球の8個分を粉々に毀すことができるそうです。
—— 人類の消滅、いや、地球の消滅ですね。どうすればいいのでしょうか。
—— 困りましたね。古来から傲慢さを身につけ、自分の欲を主張することを知った人間には、どんな判断にもときには誤りの可能性がある、ということを認めるほどの度量と謙虚さがないからね。これが最大の「悲劇」です。石川啄木が「一握の砂」のなかでこんな歌を書いています。
  人といふ人のこころに一人づつ 囚人がゐてうめくかなしさ
また、モンテーニュというフランスの思想家は、「生命の不断の営みは、死の建設である」とか、「生の中にある限り、死の中にある」といっています。無力なおとうさんは、地球消滅の歩みの前にはまったく無力でお手挙げ、モンテーニュの気分です。
〔「コント——小夜とともに」(42)より 2007.02.18〕
*転記スミ ⇒ ページ一覧「小夜 & GANO トーク=5」
★生命の歴史の流れのなかで 6 02月16日 (金)
——80兆という数字、おとうさんはイメージできますか。
——何のことですか、いきなり。
——日本の年間国家予算ですよ。
——な~んだ、80兆ね。おとうさん一人、小夜ちゃん一人よりはちょっと多いだけじゃないの。
——何か勘違いしていませんか。おとうさんは一人、小夜は一人、合わせて二人。日本人の人口が1億2千万人余り、世界じゅうを合わせて60数億人。小夜がいう80兆円とは関係ないわ。
——それではね、一人の人間のからだは何でできていますか。
——英語圏には「男の子って、何でできてる?」というナーサリー・ライムがあったわね。イタズラっ気と怠けごころでできてる!
——まったくゥ! 男の子も女の子も人間は細胞でできてるでしょ。
——はい、細胞。サイですね。サヨウでございます。

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——小夜ちゃんもおとうさんも、おとなりのトモちゃんもトモちゃんのおかあさんも、みんな60兆の細胞からできているんですよ。
——おみかんの、あのつぶつぶみたいな…。
——まあ、そんなふうにイメージしてくれてもいい。その一粒一粒のなかに35億年におよぶ生命の歴史がつまっている、と聞いたら、スゴイ! と思いませんか。
——地球が誕生したのが、今から46億年も前のことだった、と聞いたことがあります。
——ところで、宇宙の歴史は200億光年といいます。200億年ではないですよ。光年という単位。その宇宙の歴史に比べたら、地球の歴史なんてケシ粒ほどにも足りない。
——そのスケールは、もう考えても仕様がない。想像を超えていますね。
——46億年前になってようやく地球が生まれ、さらにそのときから11億年を経て、ごく原始的な、菌類に近いような生命が誕生しました。アメーバのような微生物が誕生したのは、まだまだあと、それから8億年もあとのこと、今から27億年前だったそうです。そして、生命らしい生命とされる藻類、地球をおおっていた海に生きていた20億年前のその植物細胞がオーストラリアで発掘されました。
——恐竜が活躍した時代はまだですか。
——たくさんの恐竜たちがいたのは7500万年前ですから、ずっとずっと現代に近くなりましたけれどね。
——う~ん、小夜が想像できるのは、せいぜい古事記や萬葉集、源氏物語の時代以降です。
——いやいや、そこに至るまでにはもっともっと気の遠くなるような時間がかかります。日本に明石原人が現われたのが50万年前ですし、それから縄文時代が始まってくるのがおよそ1万年前。弥生時代となると紀元300年前後ということですから、長い長い古墳時代を経て、やっとこさっとこ卑弥呼の時代、それから奈良時代、平安時代になり…。
——小夜の生まれた21世紀、平成の時代となりました。あ~あ、たいへん、たいへん。
——小夜ちゃんだって、最初からこんな姿をしていたわけじゃありませんよ。
——わかるわ。おかあさんのおなかのなかで、豆粒にも足りない小さな命として、奇跡のようにして誕生したのよね。
——おかあさんのおなかのなか、羊水につつまれて十月十日いたあと、オギャー、オギャーといってこの世に現われました。途方もなく劇的なドラマだとは思いませんか。
——みんなに、かわいい、かわいい、といって歓迎されて…。でも、赤ちゃん自身にとっては、お誕生がうれしいことか、幸せなことか、そんなことはわからないじゃないですか。
——そりゃあそうかもしれません。いやだ、いやだ、もっともっとおかあさんといっしょにいたいよう、と感じていたかもしれませんね。ドラマだというのは、そういうことでなく、おかあさんのおなかのなかで奇跡のように命が誕生して以来、ものすごい速さで遂げた進化のこと。
——はい。あるかなしかの命の種子が、ヘソの緒でおかあさんとつながり、栄養を受けて育つうち、頭ができ脳ができ、目ができ鼻ができ、手足がかたちづくられ、少しずつ人間らしいすがたをもってきます。
——たとえばね、小夜ちゃんはおかあさんのおなかにいるとき、何で呼吸していましたか。
——あら、この世に生まれる前も呼吸をしていたのかしら。
——当たり前ですよ。生きているかぎりのものはどんなものでも呼吸しないでは生きていられませんよ。
——だって、おかあさんのおなかのなかには空気はありませんし。
——そうなの。たとえはあまりよくないですが、小夜ちゃんは、まず目では見えない微細な種子として海の底の岩にとりつきました。藻の胞子のようなものですね。この小さな植物からある瞬間に劇的に動物に変身して、鰓(えら)で羊水を吸ったり吐いたりしながら生きるようになったのです。つまり、お魚たちと同じです。植物からお魚になって、羊水という大海原のさざなみに心地よく揺られ揺られ、楽しい夢を見ながら大きくなったの。
——あら~、小夜は海の藻から、お魚から、進化したのですか。
——よく言うでしょう、海はあらゆる生きもののふるさとだ、と。小夜ちゃんは、お魚というよりは、ナマコかサンショウウオみたいだったのさ。小夜ちゃんはよく、うつ伏せになっておやすみすることがあるね。おなかを下にして。あれこそ小夜ちゃんがサンショウウオだった名残。
——やだ、やだ、そんなの! 意地悪ね、おとうさんは、見てもいないくせに。
——見ていないけれど、みんなそうさ。おとうさんだって、おかあさんだって、おとなりのトモちゃんだって。ホヤみたいなものからナマコみたいなものになり、脊椎が生じて、カエルのような両生類になり、爬虫類になり、そして哺乳類になり、そしてようやく人間に。生命の歴史をたどると、魚類から哺乳類にまで進化をとげるのに100万年もかかっているの。
——哺乳類から類人猿へ、霊長類へ。人間の誕生までは、まだまだはるかな時間を経なければならないのですね。
——そうですよ。類人猿の時代から、全身をおおっていた体毛がなくなり、尻尾が退化し、手足に5本ずつの指ができ、直立して歩くようになって、ようやく人間です。
——赤ちゃんが、這い這いから立っちするまでにも、そこには、備わった本能というより、歴史の記憶が働いているのですね。そう考えると、人間のからだの細胞、60兆個の細胞の一粒一粒が何十億年もの記憶を持っている、ということになります。
——気の遠くなるような時の流れがあり、そのなかで、気の遠くなるような確率で、小夜ちゃんとおとうさんも生まれ、そして出会っている。これを奇跡と呼ばずに何とよびますか! ですから、どの子もどの人も、生まれてきてよかったね、生きていることって、かけがえのない貴いことだね。お互いみんな、生まれてきたことをどれほど大事にしても足りないくらいだね。
——ほんとうにそうですね。でも、あらら、国家予算のおはなしが、どうして命の大切さのおはなしになっちゃったの?
〔「コント——小夜とともに」(41)より〕
*転記スミ ⇒ ページ一覧「小夜 & GANO トーク=5」
★ゴッホと浮世絵、時間を表現する稀有な技法の発見 14 01月10日 (水)
 年初の日記のなかで、主題とは離れますが、ゴッホと浮世絵のことをチラと書きました。ゴッホが歌川広重や葛飾北斎らの日本の絵を見て感激し、いくつもの模写を残していることなど。広重の描いた“名所江戸百景”のうちのひとつ、「大はしあたけの夕立」(写真・下)、…黒い空から鋭い斜めの線をなして激しく降り注ぐ雨、隅田川にかかる木組みの橋の上を江戸町人が右往左往する情景を描いた絵、それを模した「ジャポネズリー、雨中の橋」はあまりにも有名ですし、肖像画「タンギー爺さん」の背景にたくさんの浮世絵があることもよく知られていますね。
 こうしたことについて、数名の方からの追加情報やお問合せをいただき、改めていろいろなことを知るところとなりました。ありがとうございました。

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 ゴッホにかぎらず、モネやルノワールといった19世紀を代表するヨーロッパ絵画の巨匠たちに多大な影響を与えた浮世絵。ところで、きのう、愚妻のところに送られてきている月刊誌「いきいき」2月号のページをなにげなく開いていましたら、「浮世絵とゴッホ」と題する小さな記事が目にとびこんできました。早坂暁さんの講演の一部を抜粋したもののようです。
 いくつかの注目すべきエピソードが紹介されています。
 “炎の人”ゴッホがその弟のテオに書き送っていた手紙に何十回となく、日本に行きたい、日本人になりたい、日本の浮世絵師たちが住む“長屋”なるところでいっしょに暮らしたい、と書き、たいそうな憧れをもってゴッホが江戸というものを見ていたこと。
 わたし自身は知りませんでしたが、広重の「花魁」や「亀戸梅屋敷」も模写していること。
 そして、目からウロコ! びっくりさせられたのは、ゴッホの代表作のひとつ、ルーブル美術館にある、あの「糸杉と星の見える道」(写真・下)、ゴッホ特有のタッチでまん中に糸杉が大きく描かれ、手前には農夫が二人こちらに向かって歩いてくる、馬車も見える、のどかな田園の風景をとらえた絵ですが、よく見ると、糸杉の上辺を挟んで左に太陽、右に三日月が見られます。これは、与謝蕪村の名句「菜の花や 月は東に 日は西に」を描いたもの、菜の花を糸杉に入れかえたもの、との指摘。さあ、ほんとうかなあ…。
 微妙な変化を見せる日本の自然のすがたに時間のうつろいをとらえる繊細な日本人の目、その感性。そこに生まれた芸術にこころを寄せるゴッホやルノワールたちのまなざしに、芸術の不思議、芸術の秘密を見たように思いました。

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★…「ゴッホと浮世絵」転記スミ ⇒ ページ一覧「アート回廊=2」
★ノロウイルスも撃退! 江戸の武士・町人が求めた赤い縁起もの 6 01月01日 (月)
おめでとうございます。本年も相変わりませず…。がの・小夜

疫病を避けるには、赤い表紙の絵本を!?

■ ポーランドの絵本作家、ライナー・チムニク
小夜―ありがとう。おとうさんからのお年玉は今年もご本ですね。
がの―787円也の安上がりで悪いけど、小夜ちゃんがいちばん喜ぶものといったら、やはり、これ。春からは1年生ですし、どんどんひとりで本を読めるようになりましたので、ハイ、『レクトロ物語』(福音館書店)です。おとうさんは、以前、佐久間リカさんの訳した筑摩書房から出ている絵本のスタイルのもので読みましたが、これは昨年の夏に出たばかりの、上田真而子(うえだ・まにこ)さんの訳したもの。ほら、絵もたくさんあるでしょう。
小夜―わあ、ライナー・チムニクですね、ポーランドの。ずうっと以前から、おとうさんはこの人の作品を高く評価していましたね。
がの―20年以上も前ですが、『クレーン』をはじめて読んだときには、ほんと、仰天しましたよ。すっかりクレーンに惚れこんでしまった男。巨大なクレーンに登ったきり、下界で戦争が起ころうと、海の中に何十年にもわたって取り残されようと、仕事がなくなろうと、一文なしになろうと、知ったこっちゃない、ぜったいにクレーンから降りない。サビを落としネジを締めなおして、ただ大好きなクレーンを守ることにしか興味がありません。そういう非常識の世界をまともに生きる幸せな男というわけ。無益な戦争に対する批判であり、それに狩りだされていく人びとへの悲しみや市長や大臣たちの権力の虚しさといったものも、この変わった男の一途な生き方によってさりげなくいぶりだされていきます。う~ん、その意味は深く、文明を風刺する現代の寓話というところでしょうか。
小夜―レクトロさんもこのおはなしに出てきますね。トレーラーの運転手でクレーン男の唯一といってもいいお友だち。
がの―仕事よりは夢にふけることが好きな人です。戦争に引っ張り出されて最後には死んで帰らない人になりますが、夢と現実と、はたしてどっちがすばらしいかをわたしたちに問いかけているようなキャラクターです。
小夜―クレーン男もレクトロもタイコたたきも、いかにもおとうさんの好きそうな人物ね。クレーン男なんて、一日じゅう、ユーカリのボンボンをしゃぶり、口笛でローレライの歌を吹いている、がんこで、孤独で、融通がきかなくて…。
がの―そうかな。ところで、「レクトロ」のもともとの意味は、学者とか先生のことだそうですが、トンボめがねをかけ、学生服みたいなのを着た、ずんぐりして背の低い、あまり知性的には見えない、ごくふつうのおじさん。ふつうであることがふつうでないという異常な時代状況のなかを、生き生きと生きていく痛快さが格別です。
小夜―『クレーン男』『セーヌの釣りびとヨナス』『タイコたたきの夢』…、どれも小夜はだ~い好きですよ、この人の作品は。ユーモラスなエピソードに満ち、なんといっても、線描きの絵がユニークです。シンプルなパターンにした群像を細かく描くのが得意なのでしょうか。高い高いところから俯瞰する絵がときどき見られますが、これは珍しいですね。そして、主人公はいつもおっとりととぼけていて、さりげないなかにピリリと現代批判がこめられていてハッとさせられます。ひとつ、哀しくて小夜が泣いてしまった作品があります。『タイコたたきの夢』。「ゆこう、どこかにあるはずだ、もっとよい国、よい暮らし」と、タイコをたたき、角材を携えて人びとが集まり、さまざまなところを経めぐります。でも、どこにも受け入れられません。ユダヤ民族の悲劇を想い出させるものがあり、哀しかったです。ほかには、『熊とにんげん』や『いばりんぼの白馬』もおもしろかったです。
がの―小夜ちゃん、喜んでくれると思った。それにね、これ、小夜ちゃんがノロウイルスにかからないように、おまじないがかけられているのよ。

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小夜―『レクトロ物語』を読んだらノロウイルスに感染しないのですか。
がの―そう。その秘密はね、この帯にあるの。まっ赤な帯がかかっているでしょう。
小夜―また、おとうさん、へんなことをいう…。“まっ赤なお鼻のトナカイさん”は時期が過ぎましたし、まっ赤な「帯」のどこに秘密が隠されているのですか。 
がの―お正月の町に出たとき、なんとなく「赤」が目につくとは思いませんか。神社の社殿や鳥居の多くが赤く塗られていたり (「神社はなぜ赤いか」について、いささか曖昧ながらずっと以前に私見を書いて、“ウの眼=4”のほうに転記しました) …。
小夜―縁起ダルマやテングさんもまっ赤。いまお花屋さんの店頭で見られるポインセチアやシクラメンも。サザンカ、ツバキ、それにセンリョウ・マンリョウの実、ヤブコウジの実もまっ赤。でも、ご本は赤いというわけではありませんけれど。
がの―江戸時代には「赤本」と呼ばれる子ども向けの読みものがありました。内容はたいしたことはなく、絵が主体のおとぎばなしや武者ものがたりで、他愛のないメデタづくりの絵本なの。ですが、人びとはこれを正月の縁起ものとしてさかんに贈ったり贈られたりしていたんですって。
小夜―江戸の子どもたちのお正月は「赤本」がお年玉だったのですか。なるほど、赤い褌や赤い腰巻など、江戸町人が「赤」を縁起ものにしてきたことは、「神社はなぜ赤いか」のおはなしのときに、教えてもらっていますが。
がの―江戸期にかぎらず、日本では古来、「赤」が魔除けの呪力をもつ貴重な色とされてきたのです。「赤本」は別名「疱瘡絵」とか「疱瘡絵本」とも呼ばれていました。
小夜―ははあ、おとうさん、タンジュン! 赤本が江戸の子どもたちを疱瘡から守ったから、同様に、赤い帯のついた『レクトロ物語』が小夜をノロウイルスから守ってくれると思っているなんて。
がの―いやいや、その疱瘡ですが、江戸の人びとにとってはたいへんな脅威だったのですよ。もう、手のつけられないほどの猖獗を見、江戸の何十万もの子どもがこれでバタバタ死んでしまったというのですから、ノロウイルスなんてものの比じゃない。ワラをもつかむような気持ちでみんなが丹色の表紙のその本を求めたのですよ。
小夜―その後の医療技術の飛躍的な向上で、今は疱瘡という病気の名前を耳にすることがありません。

「赤」のもつ不思議なパワーにすがって、お年玉には「赤本」

がの―子どもがみんな寝しずまったころ、「おめんどご、子どもはいねが」と悪鬼がヌッとのぞきにやってくる。
小夜―それじゃあ東北のナマハゲじゃないですか。
がの―子どものすこやかな成長を願う親としてみれば、その病魔のおとずれは、震えおののくほど怖く、深刻なものだったのね。だから、江戸といわず、上州、武州、甲州といわず、かなり遠い地方から、湯島天神そばの女坂にあった相模屋という本屋さんまでわざわざ買いに行って、それを子どもへの正月のみやげにした。そんな習わしがあったという記録が古い文献に見られます。
小夜―正月に、ですか。どうして護符としての「赤本」がお正月の贈りものだったのかしら。
がの―どうして…、といわれても詳しいことは知りませんが、「赤本」、それからそのあとに登場した「青本」も、正月に向けて出されていたというのです。
小夜―小夜もその赤本、一度見てみたい。
がの―小夜ちゃんならそう言うと思った。でも、無理です。そうですね、国立国会図書館のようなところへ行ったら、あるいは倉庫の奥のほうにいくつか保存されているかもしれませんが、もとの姿のままの赤本をわたしたちが目にすることは、まず困難です。ひょっとするとどこかの大金持ちのコレクターが秘蔵しているかもしれませんけれど。
小夜―だって、たくさんつくられ、たくさんの人がそれを買って読んだのでしょ。
がの―たくさんといっても、当時のことですから、いくら多くても一万部を越えることはなかったと思いますよ。それに、用紙は灰色っぽい粗末な再生紙で、今の本とは比べようもなく劣悪なものでした。印刷技術も製本技術も進んでいませんでしたから、たちまち字がかすれたりページがバラバラにほどけてしまったり。このころの大衆的な絵入りの出版物をひっくるめて「草双紙」と呼んでいました。「草」といったら、小夜ちゃん、どんなものを想像しますか。
小夜―雑草、草花、草刈り、草もち、草むら、草ひばり、草分け、それに…、草野心平、森田草平。
がの―草野球、草競馬、草相撲、草枕、草庵、草の褥(しとね)、民草…。つまり、あまり本格的でないもの、きちんとしたところでおこなわれないもの、あまり真剣でない遊び半分のもの、劣っていてごくつまらないもの、ちょっとした仮りのもの、…そんな意味がありますね。草双紙のひとつ「赤本」も、あまり大事にされることはなく、読んだらポイと捨てられてしまうことが多かった。だから、あとに残っていないんです。表紙はあの毒々しい印象の「赤」ですから、お部屋にいつまでも飾っておくにはちょっと、ね。
小夜―もったいないわ。おとうさんがよく言うじゃないですか、本は大事に受けとめるべきで、しっかり読まないくらいなら外へ出ていって遊んだほうがいい、と。

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■ 水準化で価値が埋没し、“質”の感覚が喪失した時代
がの―そうはおっしゃいますが、良くも悪くも、今の出版やマスコミの周辺と事情がよく似ているとは思いませんか。猛スピードで氾濫する情報を次つぎに追いかけていて、知識は豊富でも、それがどういうことなのかを立ちどまって考えることをしないわたしたち。わかったような気分になったら、よく咀嚼するいとまもなく次へ次へとつっ走り、すぐ忘れてしまいます。そういう薄っぺらな文化現象を商売上手な人がバッチリとらえて、読んで噛みしめじっくり考えるようなものよりは、読んだらすぐわかるもの、絵を多くして文字は少なく、だれにでもパッと飛びつけそうなものを、と商品化する、おカネに不自由しないわたしたち庶民が気易くそれを受け取る、という軽薄短小型の文化のなかにいるわけです。江戸時代後期、田沼意次(おきつぐ)という老中が側近政治をやっていた時代に有史以来の開放経済がもたらされました。享楽的な一大消費文化に人びとが浮かれ騒いで、大事なことを忘れた時代。それとよく似ているような気がします。それでも、このごろのマンガ文化やケータイなどに象徴的に見る大量生産と大量消費は、そのころとは比べようもない規模にふくれあがっていますけれど。
小夜―木も空気も水も、地球の大事な資源がメリメリと食いつぶされ、汚染され、砂漠化していくという現実があります。地球の温暖化の一因を日本の出版事業が担っているといわれますね。でも、江戸期にはそれほど多く出版されていたのですから、パッパと捨てられたとしても、中に少しは貴重なものもあったのではないでしょうか。
がの―そこが日本人の日本人らしいところ。自分の足元はあまり見ようとしないのよね。まえに浮世絵のはなしをしてあげたじゃないですか。
小夜―はい。浮世絵は、もとはといえば、長屋暮らしの江戸町人の、子どもが破った障子のアナをふさぐためにペッタリ貼られていたものだったり、お鍋や釜の底に敷かれていたもの。それをたまたまゴッホが目にして、「とんでもないこと!」と、簡素な線でなよやかに表現するその見事な描写法にびっくりし、大事に自国に持ち帰り、それを一所懸命にまねて絵を描いて、それがヨーロッパじゅうに広まり、世界にジャポニスムのブームを巻き起こしました。外国の人のたしかな目で評価されて初めて、自分の持っているものの価値に気づくという、日本人のいつものパターン。桂離宮に日本最高の建築美を発見したブルーノ・タウトの場合もそうでしたね。その後、和辻哲郎さんの名著『桂離宮』もあって、ようやく日本での評価が定まったという。
がの―その当時の出版事情をザッとおはなししておきましょうか。
小夜―でも、おとうさん、お正月早々、また長くなりましたよ。
がの―そうね。でも、これまでのおはなしで、赤本のことなどはよくわかってもらえなかったでしょうから、ごくかいつまんで。
◇   ◇   ◆   ◇   ◇

日本の中世までの本づくりは写本によりました。16世紀の末になって、キリスト教の宣教師が九州に印刷機械を持ち込みました。初期のごく単純なものでしたけれど。つづいては、豊臣秀吉による朝鮮出兵の戦利品の中に銅活字があったそうです。そろそろ出版がはじまっていくわけですが、当時読み書きのできたのは、武士階級と貴族階級のみならず、まだまだとはいえ、町人層にもどんどん広がりつつあり、本が「商品」として流通しだしていく前夜だったのです。
まず、京都・大坂に「仮名草子」と呼ばれる一群の小説が登場しました。1620年以降にはそれが商品化され、とりわけ井原西鶴の登場によってブームとなって、「浮世草子」として爆発的に流通するようになります。それはたちまち江戸のほうにもたらされ、いよいよ勢いを増し、山東京伝、曲亭馬琴らの洒落本が爆発的な人気を得ます。このときを機に出版事業は上方を離れ、江戸資本による独立した形でおこなわれます。この本屋さんのことは「地本問屋」(じほんどんや)は呼ばれました。
生き馬の目を抜くといわれるほど商売にたけた江戸の地本問屋の仕掛けで、“縁起”をからめて始まったのが丹色で表紙を刷った子ども向けの絵本「赤本」というわけ。ここからさらに、青年世代向けの「青本」「黒本」、おとなの人向けの「黄表紙」へと発展を遂げていきますが、ともあれ、疱瘡やコレラを恐れた江戸の人たちは、子どもにたむける縁起ものとして争って買ったので、赤本は完全に大衆化しました。発行部数の増大にともない、ついには表紙の印刷に使う赤色の顔料 (酸化鉛) が不足して途方もなく高騰します。とうとう赤色に代わって萌黄色で表紙が刷られるという始末。享保年間になり、その質も内容も変わり、萌黄色の表紙の「青本」は、絵よりは文章の比重のほうが重いものになっていきます。当代流行の風俗を映すことが主流で、歌舞伎や浄瑠璃の情報が取り入れられることが多かったようです。こちらのほうも原則的には正月に刊行するのが習わしでした。
◇   ◇   ◆   ◇   ◇

※…ライナー・チムニク絵・文 「クレーン男」(または福音館書店版「クレーン」=絶版)「セーヌの釣りびとヨナス」「タイコたたきの夢」はともに矢川澄子訳、童話屋刊(福音館版はいずれも絶版)。「熊とにんげん」「セーヌの釣りびとヨナス・いばりんぼの白馬」はともに福武文庫、前者は上田真而子訳、後者は矢川澄子訳。現在、入手不可のものが多いので、お確かめください。

★…転記スミ ⇒ ページ一覧「S&Gトーク=4」
★オタンチンパレオロガス! 漱石を慕いて 29 12月09日 ()
12月9日は、12月8日のつぎの日。あったりめぇだ、バカ! 日本軍による真珠湾攻撃がなされ、太平洋戦争へ突入することになった12月8日。そして12月9日、この日、夏目漱石が歿しています。1916年のことですから、90年経ったということですね。
このところ、森鴎外の研究書をあれこれ読んでいるなかで、無意識のうちに夏目漱石と比較している自分に気づきます。名実ともに近代の日本文学を代表するふたり。
――こんな話題、みなさんにはあまり興味ないんでしょうね、40周年だ、わーい、ワーイ、最高! といって浮かれあがっているときでもありますし。
ま、たまには何かを書け、という声もあり、ほんのちょっとだけ、わたし自身の覚え書きのつもりで…。
先月のはじめころでしたか、漱石の『吾輩ハ猫デアル』を読みなおしました。『坊っちゃん』とともに国民文学と呼ばれるほどポピュラーな作品。知らない人はいませんね。でも、ちゃんと、これ、読んでいますか。
ずっとずっと以前に読んだときとはぜんぜん印象がちがうんです。現代かなづかいに直されたもので読んでいましたが、今回は初版本の復刻版なのです。中村不折が装丁したり挿し絵を描いたりしています。途方もない懲り方のされた美本。ゴールデンギルトトップのアンカット・エッジス、つまり本の束と小口の部分には金が施され、手ざわりよろしい用紙を8ページごとにペーパーナイフでカットしながら読んでいくというもの。ええ、豪華です。ぜいたくな気分になりますねぇ、たかが読書ですが。
ところが、どっこい、これは明治文壇の一大奇書ですなあ。いや、高等落語というか。軽快洒脱な滑稽もので、漢語の警句に満ち、行分ハキハキとしてヒリリと人を刺すというものながら、多少は古語・漢語には通じているはずのわたしにも手におえない難物です。四つ五つの辞書を脇におきながらの読書。え~~っ、こんなだった!? 誤字もある、誤植もある。因みに、短文をいくつか拾ってご紹介しよう。もちろん、ルビなんてふってありません。〔  〕はわたしの読み。

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 無事に消光罷り在り候間、乍憚御休心可被下候〔はばかりながら、ご休心くださるべくそうろう〕
 雑ぜかへしてはいかんよ〔まぜかえして…。雑の字はパソコンにはない旧字〕
 今日は無據處差支があつて出られぬ〔よんどころなきさしつかえがあって…〕
 彼等鈍瞎漢は始めて自己の不明を耻づるであらう〔彼らどんかつかんは…はずるであろう〕瞎漢は、禅のことばで、“めくらやろう”といったほどの人を卑しめていう語。鈍はそれを強調する接頭語ですね。
 偖此原理を服膺した上で時事問題に臨んでみるがいゝ〔さて、この原理をふくようしたうえで…〕服膺(ふくよう)は、心によくとどめて忘れないこと。
 會ま吾妻橋を通り掛つて身投げの藝を発表し損じた事はあるが〔たまたま、吾妻橋を…〕
 十年一孤裘ぢや馬鹿気て居りますなあ〔十年ひとこきゅうじゃ…〕孤裘(こきゅう)は、古代中国の斉の宰相の晏平仲(あんへいちゅう)が1枚の狐の皮でつくった皮ごろもを30年も着つづけていたという伝説にもとづく。
 吾輩を目して乾屎橛同等に心得るも尤もだが〔吾輩をもくしてかんしけつどうとうに…〕乾屎橛(かんしけつ)、どうも漱石さん、お品がよろしくないですなあ。拭いたあとまだ不浄のついてまま乾いているクソカキベラのこと。いまみたいにトイレットペーパーはないもんね。
 もうひとつ、珍野苦沙彌先生が奥さんに向かって投げつける有名なことば、「オタンチンパレオロガス」。意味はわからないながら、こんなことばで悪口を言って友だちをいじめた経験、あるなあ。今ごろ謝っても遅いかしれないけど、うん、ごめん、ごめん。意味、やっとわかったよ。ローマ帝国の最後の皇帝コンスタンチン・パレオロガスにひっかけたシャレだったんだね。

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…こんなところでやめておきましょう。どうですか、子どもでも楽しく読めると思われていた“吾輩ネコ”、高校生、いや、大学生でもちょっと歯が立たないのではないでしょうか。それにしても、漱石については、知っているようで実はあまりよく知っていないことに気づく。
代表作の一つ『三四郎』に登場する魅力的な女性、美彌子という女性、あのモデルが平塚らいてうだったなんて、ご存知でしたか? 良妻賢母教育のお茶の水の“海老茶式部”であり、志操堅固な禅学令嬢たる平塚明(はる)。のちに「元始、女性は太陽であった」と「青鞜」で宣言、日本の婦人解放運動の第一歩を画期的に築いたあの女性ですが、それより以前、22歳のとき、とんでもないスキャンダルを起こしますね。作家のたまご、森田草平と那須塩原温泉の尾花峠の雪のなかで心中未遂。とびきりのエリートによる「痴に倣へる未曾有の事」として大騒ぎになります。師である生田長江が保護されたふたりを引き取りに行き事件の後始末に奔走、結局、森田草平の身柄は漱石のあずかりとなります。
バカな火遊びをしたもんだ、とさんざん森田を叱った一方、「で、どうだったんだい、あの女は…」、と根掘り葉掘りらいてうの、そそられる「女」を探る漱石。ピーンとはね返るような美彌子の堅さ、姿勢の高さと輝くような知性。う~ん、あれはたしかにらいてうのコピーかもしれない。自分で『三四郎』のなかに美彌子を描く一方、森田にもチャンスをつくってやる。そのときの経験を細かに書き朝日新聞に連載した『煤煙』が森田草平の出世作になっています。

さてさて、身分、格式の高い家の長男として生まれ、たいせつに育てられた森林太郎。俗悪な立身出世の欲にはまったく薄く、身分にも位にも社会的な地位にも役せられないながら、それでも次第に出世し、いちじるしく立身を遂げた鴎外。かたや、地位や俸給や生活費のことでたえずあくせくしていた漱石。その生まれ方、育ち方をこんなふうに書いていることを知って、またまたびっくりしました。

「私の家も侍分ではなかった。派手な付合をしなければならない名主といふ町人であった。私の知っている父は禿頭の爺さんであったが、若い時分には、一中節を習ったり、馴染の女に縮緬の積夜具をして遣ったりしたのださうである」

いったい、どんな育てられ方だったのか…。
「私は両親の晩年になって出来た所謂末っ子である。私を生んだ時、母はこんな年歯(とし)をして懐妊するのは面目ないと云ったとかいふ話が、今でも折々繰り返されてゐる。単に其の為ばかりでもあるまいが、私の両親は私が生まれ落ちると間もなく、私を里に遣ってしまった。其の里といふのは、無論私の記憶に残ってゐる筈はないのだけれども、成人の後聞いて見ると、何でも古道具の売買を渡世にしてゐた貧しい夫婦ものであったらしい。私は其の道具屋の我楽多と一所に小さい笊(ざる)の中に入れられて毎晩四谷の大通りの夜店に曝されてゐたのである。それを或晩、私の姉が何かの序に其処を通り掛かった時見付けて、可哀相とでも思ったのだらう、懐に入れて宅(うち)へ連れて来たが…」
「私は何時頃其の里から取り戻されたかは知らない。然しぢき又或る家へ養子に遣らされた。それは慥(たしか)私の四つの歳であったやうに思ふ。私は物心のつく八九歳迄其処で成長したが、やがて養家に妙なごたごたが起こったため、再び実家へ戻るやうな仕儀となった」

大文豪の幼少期がこんな暗い悲惨なものだったなんて、知らなかったですねぇ。漱石死して90年目、尊敬すべき大文豪の威徳をしのぶにふさわしいことだったかどうかあやしいが、何となく書いていたらこんなものになってしまいました。願わくばその才能の一片でも分けてもらえぬものか。
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南早稲田の漱石山房あとに建つ像

★…転記スミ ⇒ 「物語寸景」
★簡単便利はそんなにいいことか…。小栗康平の『埋もれ木』その2 6 11月14日 (火)
神話的な無時間のなかにこだまする元始の詩のやさしさ

 小栗康平が監督した映画『埋もれ木』を11月3日に見た。文化の日、この日、彼が紫綬褒章を受けたことを新聞で知ったのは、映画を見て帰ってからだった。『埋もれ木』は2005年に製作された彼のもっとも新しい作品。第53回カンヌ映画祭で特別上映されている、世界的には(国内ではいざ知らず)たいへん評価の高い作品である。
 物語の舞台は、山に包まれた小さな町。コンビニが道路わきに一軒だけ開いている、どこにでもありそうな過疎のさびしげな町。とりわけて美しいということもない。さて、この映画は何がテーマなのだろうか。たとえば、中断されたまま野ざらしになっている高速道路。緑の山肌を無惨に引き裂いて造られ、いまは廃墟のようになっているコンクリートの巨大な建造物。その上で正体のよくわからない若い男女が他愛もない遊びをあそぶシーン。田んぼのなかから突如あらわれた直径1メートル余の太い埋もれ木。3500年前のものと鑑定され、いきなり小さな町に考古学ブームが起こり、人の波が押し寄せ右往左往するシーン。数人の子どもが路上で群れているかと思うと、通る車、通る車ごとにその前に両手両足をふんばりたちはだかって“通行税”を求める「子ども地蔵」という習俗をあらわすシーン。おとな4、5人で、クジラだかフグだかの形につくった張り子のようなものをヘリウムガスの風船で空に吊り上げるシーン〔写真・下〕、などなど。映像は同質のリズムで展開するが、漸層的表現になっているわけでもない。そこには、人を引き入れるためのストーリィ展開のイロハとされる対立も争いもない。お決まりの恋愛ごっこもない。
 それでも、なぜか、こちらの感性に染み入ってくるものがある。

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 観るものはそうしたシーンを繋いでいるものは何かと見ているわけだが、どこまで行ってもそれがわからない。現実と幻想を織り交ぜた、イメージの秩序も跳躍もないかに思える、統一感を拒否した淡々とした積み重ねによって、小栗は何を表現しようとしたのだろうか。テーマも見えなければ、物語のスジを運んでいく基軸も見えない。強いて云うなら、三人の女子学生の、つぶれかかった雑貨店の片隅での雑談。べつだん遊びたいこともないから、思いつくままにでたらめな物語をつくって三人でリレーしてみないか、ということになる。書きとめられることもないその場かぎりの物語。彼女たちは文学少女らしくもない、退屈してどう時間をつかったらいいかわからずにいる、ふつうの女の子たち。その物語はこんなふうに始まる。
 町に唯一あるペットショップに、ある日、ラクダがやってくる。誰が注文したということもない。このラクダのために、町のあらゆる舗装道路は掘り返され、砂塵の巻き上がるデコボコ道に変わる。それだけで、あとはそれにつづけて別の女の子が物語をつむぎだしていく。でも、三人でやろうと決めはしたものの、それほど気があるわけではなく、荷やっかいになってだんだんトーンが落ちていく。物語は繋がっているようでもあるが、ぜんぜん関係ないようでもある。ユニークな、ゆたかな発想もなく、狭くつまらない内容へはまりこんでいく。ラクダのためのごろごろした土の道と、廃墟のようにうち捨てられた高速道路と、そのあいだの距離のなかに、ひょっとすると制作主体の思いが潜んでいるのかもしれないけれど、そこはわからない。

 映像は、きれいとはいえず、ごく当たり前なものを映し出していく。ただ、何やら不思議に染み入ってくる感覚がこちらに残る。だいたい画面ぜんたいが夕暮れどきのようにうす暗く、はっきりとは見えない。登場し動く人物は、いつも遠景で捉えられ、珍しくもない周囲の自然とともにあって、表情をアップで写すことはない。背中を向けているシーンも多い。出演者は、ブラウン管のむこうなどでときどき見かけるのには、田中裕子がいる、岸部一徳がいる、平田満、坂田明、中島朋子といったところも。しかし、彼らの誰にも個性的な、ことさらなキャラクターは与えられていない。そもそも主人公がいない。だれも重要な役を演じてはいない。たまたまひとつの映像空間に通り合わせただけといった様子。おおよそ観るものに何一つサーヴィスしてくれない。だから、よほど意識的にこちらが目を凝らしていないと、いまのが誰だったか、それとわからない状態。わからなくていい、というのがどうやら小栗康平の手法のようだ。主語を取り除いた映画ということになるだろうか。そもそも、映画における主語って、何だろう。いよいよむずかしくなってくる。
 ここの人たちは表情でものごとを語ろうとしない。人をごまかし欺くのに使われることの多い表情というものに消しゴムをごしごしと当て、執拗なまでに殺す。よくしゃべるのは、ウソつきか虚飾屋。「小人の過つや必ず文(かざ)る」で、器量の劣った、うすっぺらな知識しかないものほどよくしゃべり、とりつくろうことばかりやらかす。ところが、この映画ではあまりセリフもない。さらには、“ただしい”とされることばでものごとを語ろうとしない。そうですよね、身に覚えはありませんか、わたしたちはこれまで、表情とことばでどれほどたくさんの人を欺いてきたことか! ごまかしを重ね、言い訳をし、ウソばっかりついてきた自分のこの生涯に思い至る。笑顔が美しいなんてのも、あれはウソっぱちの、たぶらかし、ごまかしかもしれない。怖い、怖い。
 しかしまあ、刺激もなければ興奮もない、こんなことで映画がつくれるものなのだろうか。神話のなかにいるように時間の感覚が、まるでない。ないないづくめでつくりだす映画。そう、いまわたしたちがすぐ隣の町で簡便に見て楽しんでいるような映画はこんな手法ではつくれない。まさにここに、小栗康平の今日的な映像文化の危機へ立ち向かうギリギリの挑戦がある、批判と皮肉がある、とわたしは見る。簡単便利はそんなにいいことなのか、というわたしたちへの根源的な問いかけがある、というふうに。

 先回、身のほど知らずの「蟷螂(とうろう)の斧」でこのページに書いたように、わたしたちの目の前にある映像は、一見、多様であるように見えて、じつはハリウッドのアメリカ的な感性にくるみとられて一元化・単一化したもので、本当の意味での多様性は失われ、知らぬ間にわたしたちの感性も知性もやせぎすに衰えてきています。すぐ目の前の、すぐわかるものしか見ていない人たち。自分の利得しか考えちゃいない、金持ちだが精神においてはスッカンピンな人たちの群れがひしめく街に生きているわたしたち。金持ちでないところだけその群れから免れている可哀そうな自分。
 映像文化も、劇場の大スクリーンから、町のすぐそこにあるシネマコンプレックスへ、ビデオ・DVDを映すテレビ画面やパソコンやカーナビへ、そしてついには携帯電話のあの小さな液晶画面へ。掌のなかで観る映画が求めるのはどんな映像か。人間のこころの動きの機微なんてどうでもよい、こころを開放するとされる景観の雄大さ壮大さなんて意味がない、色だってどうでもいい、とにかくアップだ、どアップだ、スキャンダラスな刺激だ、ぶっとばすような強烈な刺激の連続だ、ニュアンスゆたかな美しいことばや音楽なんてしゃらくさい、叫べ、ただ声のかぎり喚きちらせ、かまうことはない、ヴォリュームいっぱいにかき鳴らせ、……そういう傾向を強めていくことは見えている。
 そうして映像づくりは意味を失い、その役割を終えて消えていく。気韻あふれることばや表現が喪われ、あのへんてこな顔文字だけで人と人がつながっていく。そういう時代は、人間という生物にとって、いい時代といえるだろうか。このごろの流行語でいうなら、「美しい国」のイメージはそこでつかめるのだろうか。小栗康平の挑戦の意味はそのへんにあるような気がする。

 この人は、浦山桐郎、篠田正浩について助監督として映画をつくってきたあと、1981年に『泥の河』で監督デビューした。その後、『埋もれ木』の以前には、李恢成の『伽倻子のために』、島尾敏雄の『死の棘』、オリジナル脚本による『眠る男』と、問題作ばかりをつくってきた。難解というのとも違うようだが、見てすぐわかる、簡単に伝わる、というものは一つもない。そのわりには外国の賞をよくとる。大衆受けをねらった、興奮と刺激で人を酔わす楽しみにはぴしゃりと背を向けて、これまでの映画作りの常識をひっくり返してきた。「新しいファンタジー」と、もの知り顔にいうタレント気取りのいい加減な映画評論家の評もあるにはあるが、それともぜんぜん違う。むしろ、神話のような感じといえるかもしれない。『古事記』などに見る叙事詩的冗漫というに近い。
 文化の原点へ誠実に回帰していく芸術家の強い意思をわたしはそこに見たように思う。

★…転記スミ ⇒ ページ一覧「つれづれ塾 その《6》」
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★映像文化と“ことば”の明日は…? 小栗康平監督『埋もれ木』から 11 11月06日 (月)
 いま流行りのシネマコンプレックスに氾濫する、“カタカナ・タイトルの映画”を観ることは、わたしの場合、まずありません。何故か。その理由が、なんとなく自分ながらわかりました。11月3日、小栗康平監督による新しい映画『埋もれ木』(2005年製作)を観たことによります。
今回は、ことばと映像の可能性、その今日的問題といったことについて語ってみたい。

 それを語る前に、お尋ねしてみたいことがあります。皆さんの小さい子どもさんが、いつまでもテレビ・アニメを見ている、テレビ・ゲームで遊んでいるとして、「もう、やめなさい」「むこうへ行って勉強しなさい」「早く寝なさい」と促さねばならないことがあるとします。何故子どもがいつまでもテレビを見ていたり、テレビ・ゲームで遊んでいてはいけないのか、そのわけをきちんと語って聞かせたことがありますか。「うるさいから」でしょうか、「ご自分の見たいテレビ番組があるから」でしょうか、子どもさんの「目がわるくなる」からでしょうか、「学校の勉強がおろそかになる」からでしょうか、それとも、「番組の程度の低い通俗性に毒されるおそれあり」だからでしょうか。

 一方向だけから与えられるメッセージ、…考えなくていい、むしろ考えないでくれ、見てくれるだけで十分、として投げかけられる表現にさらされている子どもたちがどんな子に育つかは、およそ見当がつこうというもの。だって、子どもならぬ判断力あるはずのわたしたちにしたって、たとえば、世界のニュースがCNNからしか発せられないとしたら、恐ろしいことになりますよね。

 わたしたちの世代のものにとっては、映画といえば、特別なものでした。少なくとも、コンビニ感覚で手っ取り早く観るようなものではありませんでした。昭和30年代が映画の黄金時代だったとよく云われますが、何をもって黄金時代と云ったかといえば、一つには、ほんとうに多様な映画があったということではないでしょうか。多様な、メッセージ性のあるすぐれた映画。そう云ったときにフッと象徴的に想い起こされるのは、東欧のすごい映画の数かず。ポーランドの『灰とダイヤモンド』、ワルシャワ放棄を描いた『地下水道』。地上で生きられないおれたちだが、いやいや、まだ地下があるじゃないか、という極限状況下の生死を賭けた苦しい発想には胸をえぐられ、泣きましたね~。
 時代が変わり、その東欧映画がプツリと消えて久しい。いまはハリウッド映画ばかり。あとわずかに、甘っちょろいだけで何の発信力もない韓国映画。なるほどこれらは、スーッとわかる映画、考えることなく大衆にサッと伝わる映画です。まあ、このわかりやすさが今日的な娯楽のレベルというものなのでしょう(前首相の異常な人気は、ことばのわかりやすさだと指摘されていますね)。つまり、アメリカ文化のおびただしい横溢であり、商業性への露骨な傾斜でした。それは、映像と表現の単一化、一元化によるアメリカの世界戦略に飲み込まれていく図という以外の何ものでもありません。

 それ以上に、いまは映像の中心はテレビであって、子どもが映画を見る機会はあまりないのが実情のようです。さらには、テレビでもDVDでもなく、携帯のあの小さな液晶画面で映画を観ようとする時代。手っとり早く楽しめればそれがイチバンというわけで、どうも便利すぎますよね~。いきおい、映像のもつ意味、ワイドスクリーンで見てきたあの映像は、いまや極限的に小さく押し込まれていく傾向にあります。映像の影が薄められたときに浮上してくるのが、ことばと音ということになりましょうか。そのことばや音も通俗趣味に堕し、あやしい。微妙な情緒のあやは消え、やたらアップにした刺激的な映像と絶叫調のことばが掌のなかの小さな液晶画面で騒ぎまくる。おそろしく薄っぺらになっていくような気がする。薄っぺらですぐわかるというものにすぐ満足してしまう薄っぺらな知性。
 まわりには抱えきれぬほどに大きく広い世界がある、多様な世界がある、もうひとつのすぐれた映像文化がある(それを、今回、小栗の「埋もれ木」に見ました)ということを知らない今の若い世代が、どれほど貧しく脆弱な社会構造をつくっているかは、わたしが云うまでもありません。シネコンにかかる映画、といえば、たくさんあるようでいて、じつはちっとも多様でないことはおわかりのとおり。限られたヴァーチャルなところにいては、言語も感覚も育ちません。わかるだけのもの、伝わるだけのもの、商業的に成立するものだけのものに単一化していったら、わたしたちの感覚世界はどんどん痩せこけてしまいますね。

 ラボの皆さんは日常の活動を通じて、子どもたちには多様な表現にふれてもらおうとさまざまな努力をしています。ところが、そういう観点もなく、さまざまな世界を見まわすことなく、自分のアタマで考えることもないまま、ヴァーチャルと現実との接点のない世界に子どもが深く深く埋没していったら、どうなるでしょう。ことばが貧しくなります。こころがやせていきます。人間がひとりよがりになっていきます。映像の場合は、ことばに文法があるようには規範がありませんから、共通する場でよい・悪いを互いに語り合い論じ合うことが起こりません。せいぜい感覚的な印象を語るのみです、よかった、気持ちわるかった(キモかった)、すごかった、カッコよかった・悪かった…、という程度。それだけ。借りものばかりで自分のことばを持たない栄養不良の個性、そこではコミュニケーションが成り立つはずもありません。これって、受験科目偏重の、必修科目の未履修問題とは……無関係でしょうかね~。
 どうでしょうか、このごろの子どもたち一般を見て、表現の貧しさについて、お感じにはなりませんか。友だち同士でさえ語り合えないから、自閉的な存在を生み、命の尊さなんて知るはずもなく、痛さの感覚さえないから平気でひとを傷つける。ひとのこころを傷つけることばを得意げに発する。人間の孤独の闇は深まるばかり。さあ、どうしましょうか。

 書きはじめたら、また長々しいものになってしまいました。小栗康平監督による『埋もれ木』については、皆さんの反応をみて、気がむいたら来週にでも書いてみます。

★…小栗康平「埋もれ木」その1 転記スミ ⇒「つれづれ塾《6》
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☆…画像は、12月に記念行事がおこなわれるという横浜・みなとみらい21地区の景観の一部。上がパシフィコ横浜。式典のほか、日本近代化の先導を果たした横浜の初冬の風をどうぞ感じて帰ってください。
 そのこととはまったく別に、わたしは、11月5日、桜木町駅をはさんでこことは逆の山がわ、そこに日本の文明開化の歴史を求めて歩いてきました。新橋―横浜に鉄道が開通したときの横浜が桜木町のことだとは、地元の人さえあまり知らないし、鉄道だけでなく、日本の夜に灯りをもたらしたガス、また水道の事業など、ここからはじまっているものがいろいろ。何よりも、日本の鎖国を解いた日米修好通商条約に決定的な役割を果たし桜田門外で倒された井伊直弼大老や、開明派で横浜開港を提唱しつづけ、最後には攘夷派浪士に暗殺された佐久間象山、また福沢諭吉らのゆかりの地、また有島武郎「或る女」有吉佐和子「ふるあめりかに袖はぬらさじ」、俳人・中村汀女らの文学作品の舞台をたずね、そのあとついでに「みなとみらい21」へもふらりちょっとだけ…。
★テューターから転身、光あやなす魅惑の世界へ 11 10月27日 (金)
伊藤満江さんというお名前に、憶えはありませんか。
ラボ・パーティの草創期から10年とちょっと、静岡県熱海市で
100人パーティを主宰して、エネルギッシュな活動をなさっていた元テューター。
当時、主として教務の分野で大きな役割を果たし、今日のラボの礎石を築いた一人です。
スキーがおじょうずだったことでもよく知られていましたね。
(シャンソンやカンツォーネをうたう歌手でもあったことは、今回はじめて知りました)

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はじけ飛ぶような活発さで黄金期のラボの世界にピカピカ輝いていた人ですが、
サマーキャンプのラボランドくろひめへ向かうバスで、不測の事故に遭遇、
負傷してしばらくの療養の必要があり、やむなくラボの活動から離れました。
その後、傷は癒えましたが、あれれっ、指先が思うように動かない…。
その指を刺激するリハビリのためもあって、
かねてよりの夢だったステンドグラス制作の世界へ。
グラスアートへの思いは、8歳のとき、教会で見たステンドグラス。
それが織りなす清麗な光耀の印象が忘れられずにあった、といいます。
ヨーロッパ各国をまわって研究を重ね、そして結婚。姓も伊藤から林へと変わり、
熱海を離れました。それを機にスタジオを設け、本格的なステンドグラス制作の道へ。
どこで? はい、わたしの家から歩いて7、8分のところ、横浜・青葉区です。
(南青山にもスタジオをもっておられるようです)
そこの工房でステンドグラス作家として制作することすでに22年、
その個性的なセンスのきらめきを存分に生かして、
光がつくりなす美しいくつろぎの世界を大小さまざまな建造物に広げてこられたほか、
初心者から上級者まで、幅ひろい会員を対象に制作指導にあたっています。
その林満江さん、このたび久しぶりの作品展を地元で開催しました。
わたしも二十数年ぶりにお目にかかり、1時間半ほど思い出ばなしをしてきました。
ほんとうに美しいですね、ステンドグラスの光。
山の稜線をわたってくる澄んだ風のように、こころを洗う清い光。

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昔とちっとも変わらぬ、親しみ深い明るい表情。
おしゃべり大好きで、話しはじまったらとどまるところを知らない、いつもの調子。
なつかしさのなか、たいへんな歓待にあずかりました。その勢いで、
ハンダゴテなど使ったこともないわたしですが、近々、生徒のひとりとして
イチからステンドグラスを教えてもらおうかな、と思っているところです。

へたな紹介よりは、作品(生徒さんたちの作品を含む)を写真で見ていただきましょう。
ラボ・パーティ創立40周年祝賀イヴェントの案内を昨日いただいたばかりですが、
そんな折でもあり、こうした話題を提供いたしました。


★…林満江ステンドグラススタジオのホームページがあります。トップページの右「お気に入り一覧」のうちの「美術・工芸」に入れておきましたので、興味のある方はどうぞ。
★★…転記スミ ⇒ 「アート回廊=1」
★★★…写真1点(タイトル写真3点)削除 12.08
★華麗に、小粋に、いなせに、“小江戸・川越”の秋は祭り一色に 2 10月17日 (火)
上の写真は、晴れ姿の“小江戸小町”たち。ちょっぴり緊張ぎみですが、かわいいでしょ!
山車の曳きまわしは、先頭には先触れ、つぎには金棒を手にした露払い以下の曳き子がつづき、
吉原つなぎとあでやかな緋ちりめんの手古舞衆、黄八丈のたっつけ袴をはいた提灯持ち、
そのあとにつづくのが、この可愛らしい小江戸小町たち。
さらにこのあとには半纏に鈴だすきの、いなせな小若連が。

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町内ごとに繰り出すご自慢の鉾山車。この日を待っていた歴史文化伝承の29基。
秋空をつきあげるかに、あちらから、こちらから、ピーヒャラ、どんどん、
チンカンポン…、笛、大太鼓、締太鼓、鉦のお囃子が聞こえる。
囃子台の前では、天狐、おかめ、ひょっとこ、獅子、猩々…、
お面をつけた踊り手がお囃子のリズムの緩急に乗って、おもしろおかしく舞う。
人びとの波が道々にあふれ、うずをなし、町はいま、祭り一色に。

ラボの皆さんの活動にはあまり関係ないことなので、
コーナーの飾りにそっとご紹介するにとどめようとのつもりでしたが、
目ざとい人がさっそくこれを見つけて、もっとちゃんと! とのお叱り。
初めての川越で、知るところは少ないですが、写真でサッとご覧いただきます。

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勢ぞろいのあと、それぞれの山車は町すじに出る。ひとつの見どころが
この「曳っかわせ」。山車同士が交差点で出会ってすれちがうときには、
お互いの山車の正面を向け合って、囃子の儀礼打ち。いわばエールの交換である。
一か所に数基の山車がせりあって「曳っかわせ」をするときは、急テンポの囃子が入り乱れ、
踊り手、囃子方、曳き子たちの声がどよめき、祭りはまさに最高潮に!


町すじを練り歩く山車とは別に、祭り道路のわきには仮説の舞台が設けられ、
ここでもにぎやかなお囃子と踊りがくりひろげられている。


川越のシンボルといえば「時の鐘」。今も日に4回、市民に時をつげている。櫓の高さは、
奈良の大仏さまと同じとか。下は江戸の町屋形式のおもかげをとどめる蔵造りの町並み。


★…画像4点削除 12.12
★狂言「柿山伏」に、“笑い”の真髄と日本人に特異な感性を尋ねる 17 10月06日 (金)
 昨年のことだったでしょうか、「笑い」をテーマにラボ・ライブラリーが制作されたと聞きました。幸せを招く「笑い」。さて、みなさん、それを機にどこまで「笑い」をきわめたでしょうか。
 そんな動きのなかで、ずっと以前からラボのみなさんの前に用意されている狂言――、もっとも純良に洗練され、われわれの生理にもっともプリミティブな「笑い」として日本の伝統のなかに生きているこの芸能を、みなさんがどう意識され、どう捉えたか、わたしはいささか気になっていまして…。以前にも書いたことがありますが―「古典芸能〔1〕の(2))参照―candyさんの日記“十五夜狂言”に触発され、ふたたび思いつくまま書いてみたいと思います。


〔To: candyさん/すこし加筆して再録させていただきます〕
 昨日、10月4日、大蔵流狂言を観てきました。
 山本東次郎さん一門によるもので、「柿山伏」「水掛聟」「東西迷(どちはぐれ)」の三番。いやいや、久しぶりに笑いました、笑わせてもらいました! 
 ラボのみなさんには馴染み深い「柿山伏」ですが、今回は、室町時代におこなわれていた狂言のおもかげをとどめる、もっとも古いテクスト、天正本(てんしょうぼん)の「柿くい山伏」にもとづいて演じられました。いくつかの点で違っていて、そこが最高におもしろい。たとえば、最後のところ。ラボのほうでは山伏を打ち倒してあっさりと入り留めになりますが、山伏の祈り伏しの法力にひっかかったようなふりをして、よろよろ、よろよろとあとじさりをする耕作人の思わせぶりなさま。柿の木から落ち、腰を打って動けないでいる山伏が、拙者は尊ばれるべき山伏だぞ、屋敷につれて行ってちゃんと看病せい、というわけですが、山伏をおんぶした耕作人の柿主、途中まで来てしたたかに山伏を放り投げ、さっさと去って行きます。ラボのほうでは、「赦してくれい、赦してくれい」と逃げていくのは柿盗人の山伏で、耕作人が「やるまいぞ、やるまいぞ」とあとを追うかたちになっていましたね。
 なぶられて、カラス、サル、トンビの物まねをする山伏。しかしテクストの中には、タヌキやヘビ(くちなわ)を登場させるものもあるらしい。鳴くことをしないヘビをあの空間でどう演じるのでしょうねぇ。それも見てみたい。山伏とトンビと天狗のあいだにつながる古い習俗の観念(山伏が修行に修行を重ね、劫を経ると、末は天狗になりトンビになる、と信じられていた)についても、今後、研究してみたいし、「柿山伏」の話の原典を、日本の古典――「今昔物語」や「宇治拾遺物語」あたりから探ってみたいと思っています。
 わたしにとって、狂言のおもしろさのひとつに、ふだん何気なく口にしていることばがヒョイ、ヒョイと飛び出してくることがあります。今回見た「東西迷(どちはぐれ)」のなかでは、一休禅師のことばとされ、わたしがいつもわが身の不明を侘び、韜晦していうことば「へつらひて 楽しきよりも へつらはで 貧しき身こそ こころ安けれ」とか、一遍上人の「のこりゐて むかしをいまと かたるべき こころのはてを 知る人ぞなき」といったことばが聞かれ、したり! という次第。
 とっても楽しかったです。〔2006.10.05〕
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 ラボのテクストとのちがいで、もうひとつ大きな点は、耕作人になぶられるまま、新米の山伏が真似る生きもの。サルと最後のトンビは共通していますが、ラボのほうがイヌ(鳴き声:びょう、びょう、びょう)に対して、今回見たものではカラス(鳴き声:コカア、コカア、コカア)が登場していること。そして、耕作人の脅しですが、ラボのほうは、ことばによるからかいで済ましているのに対し、今回見たものは、カラスには弓、サルには槍、トンビには鉄砲を向けるとして、ぐっとリアルです。そのことには、わたしはちょっと違和感を覚えました。ラボのテクストでは「おのれ飛ばずば鉄砲を持って来い、撃ち殺してのけうぞ」、今回見たものもほぼ同じ。室町の時代にあった鉄砲、しかもそこらの田夫がもつほどの鉄砲とはどんなものだったろうか、と。それに、サルの身ぜせり――手の指先でからだじゅうのあちこちを掻くしぐさ――が強調されていたことも目につきました。
 生きものそれぞれのオノマトペがおもしろい。カラスは「コカア、コカア」と鳴きますが、江戸時代の笑話集でも、カラスは「子かぁ」と鳴きなしているのが見られますね。「かうたか」=買ったか、と聞きなしている人も。それに対して、トンビのほうは、「ひいろた」=拾った、だそうで、買った、拾ったといってオノマトペをおもしろがったのは、狂言のなかだけでなく、中世びとにはごく一般的だったと考えられます。
 どうやら、物まねが多く、そこが見どころになっているこの「柿山伏」は、童話的で、狂言を目ざす人の稽古用の曲だったと思われます。それにつけても、なぜ山伏は、狂言の世界ではこれほどまでにからかいの対象にされるのでしょうかねぇ。ほかにもたくさんありますよ、山伏がめちゃくちゃになぶられる狂言が。
 蛇足になりますが、柿の木について。わたしたちが目にする、いま栽培されている柿の木は、あまり丈が高くないですね。手を伸ばせば実が獲れる程度。せいぜい脚立があれば間に合います。ここから落ちてもたいしたケガにはならないでしょうが、昔の柿の木はもっとずっと高かったろうことは、覚えておいていいのではないでしょうか。
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 「柿山伏」の典拠となっていると思われる説話をひとつ見つけました。「宇治拾遺物語」にある「実ならぬ柿の木」がそれ。

 今は昔、延喜天皇(醍醐天皇)の御代に、五条の道祖神(さえのかみ)が鎮座されている所に、実のならぬ大きな柿の木があったが、その柿の木のうえに忽然と仏が現われなさるという事件があった。燦然(さんぜん)と光を放ち、さまざまな花などを降らし……

 ここでは天狗の失敗談がいろいろ書かれています。この話は、天狗が金色の仏に化して、京の五条の道祖神のところに生えた柿の木に現じ、さまざまな霊異を示していたというもの。ところが右大臣の源光がこれを見破り、弓で地に射落とします。

 あまりあまりにまもられて、しわびて、大きなる屎鵄の羽折れたる、土に落ちて、惑ひふためくを、童部ども寄り、撃ち殺しけり。〔宇治拾遺物語〕

 トンビ(屎鵄=しし、という漢字が当てられていますね)の翼が折れた状態になって土のうえにころがったところを、子どもたちがおもしろがって踏み殺した、といったすじだて。これが狂言につくりなされ、山伏が実のなっている柿の木のうえにのぼり、柿主に見つかってなぶられ、揚句にトンビとされて土に落ちる、というものにつくられた、と考えられます。
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 道具だての何もない狂言は、candyさんもおっしゃるように、ラボのテーマ活動に通じるところがあります。必要以上の物質に囲まれ、それに迫られ、束縛され、いつも追いかけられているようなわたしたちの日々の生活。しかし、ここには何もない。いや、何もないという自由さがあります。圧倒的な自由と空白。何もないから、無限の可能性があり、どんな表現もゆるされるという世界。扇子一本で演じられる古典落語などの話芸もそうですね。
過剰を去った空間の気持ちよさ! 機会をとらえ、できるだけ能や狂言をご覧になって楽しまれることをお薦めしたいです。

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